わかたんかこれの日記 猿丸集の特徴

 

2017/11/9  前回「歌の現場」と題して記しました。

今回、「猿丸集の特徴」と題して、記します。(その後の検討により、2020/4/14に、猿丸集の類似歌数を追記し、3-4-1歌等がさらに検討中であることを追記しました。(上村 朋)

 

1.『猿丸集』と『古今和歌集』の同時代性

① 1-1-995歌を、『新編国歌大観』より、引用します。

1-1-995歌  題しらず         よみ人しらず

   たがみそぎゆふつけ鳥かからころもたつたの山にをりはへてなく

 

文字遣いがちょっと違いますが、この歌が『猿丸集』にあります。

今まで検討してきたところでは、この歌あるいはこの歌の異伝・類似していると思われる歌が採録されている同書記載の歌集で、最古の『古今和歌集』に近い位置にある(先行しているかどうかは分かりませんが)のが、『猿丸集』です。

② つまり、1-1-995歌に用いられている語句の意味が同じであろう期間に、編集されているのが『猿丸集』です。言い換えると、『古今和歌集』の語句と、『猿丸集』の語句は同じ感覚で用いられている、と言えます。

 

2.『古今和歌集』の構成

① 『猿丸集』は、検討の詳細は後日に記しますが、『古今和歌集』と同様な手法で構成編集された歌集である、と言えます。

② その『古今和歌集』の手法について、その特徴を記すと、

・序が付けています。そして撰者を明らかにしています。

・各巻の順番は、歌を和歌と歌謡(大歌所歌・神あそびのうた・東歌など)に分け、前者を四季・恋・雑の順とし、各巻は、その主題のもとに整然と歌を配置しています。そして後者を最後の巻に配しています。

・各歌は、詞書とともに配置しています。詞書は、同前ならば省略されています。作者名も同じです。当時の歌人が記録保存する場合の一般的な方法であったのでしょう。この方法は、三代集もその他の勅撰中も踏襲しています。

・詞書の内容は、各巻の趣旨に添うものとなっています。詞書は、もともとの資料にある詞書を、編集方針に従い取捨あるいは不明にしています。例えば、四季の部立の巻では、その部立の方針に沿い、屏風歌として詠われた歌であること(作詠事情)を積極的に記していない歌があるのが、分かっています。恋の部でも屏風歌であることや歌合の場での歌であることを積極的に記していない歌が、あります。

これにより、詞書は、編集方針に沿って、歌を理解するための示唆を与える役割を担っているといえます。

 ・歌は、1100首あり、平仮名を多用して書いてあります。そして歌枕や掛詞の技巧が用いられています。

 ・歌集の書写につれて、わずかな違いが生じていますが、信頼を損なうものではありません。大胆な作為が書写にあたって加えられていません。

③ 1-1-995歌も、『古今和歌集』の編集者が採用した資料にあった元々の詞書を採らず、 『古今和歌集』では「題しらず」と記し、さらに作者名をも省き、歌のみを記載したということも考えられるところです。

『猿丸集』の場合も、少なくとも三代集と同時代であり、歌の記載方法は、当時の歌人のやり方を採用しているのであろうと、推測でき、検討の結果はその通りでありました。

3.『猿丸集』の構成

① 『猿丸集』は、三代集の時代に編集された歌集です。『新編国歌大観』の「解題」によると、公任の三十六人撰の成立(1006~1009頃)以前に存在していたとみられる歌集で、編集者については触れていません。

 『古今和歌集』と違うのは、序が無いことと撰者が特定されていないこと、です。

② 歌の配列については現在のところ未検討です。

③ 『猿丸集』には、詞書が、全52首のうち35首にあります。記載のない歌は、同前の詞書、という扱いです。なお、1-1-995歌を類似歌とする3-4-47歌の詞書は、この歌のみにかかります。

④ 『猿丸集』記載の歌に類似した歌が、『萬葉集』や『古今和歌集』などにありますが、『猿丸集』記載の歌とその類似歌の詞書は、異なっています。

⑤ 『猿丸集』は、作者名を記していません。詞書で作者のスタンスが分かる歌はあります。作者を詮索せず、歌を鑑賞せよと、歌集の編集者は言っています。

⑥ このように、『猿丸集』の編集者は、独自の方針で、『古今和歌集』同様に元資料を取捨選択しているあるいは創作している、といえます。

⑦ 歌は、平仮名を多用して記されています。

⑧ なお、完成した『猿丸集』を、後年書写にあたった歌人たちは、他の歌集と同様な扱いをしたと思われます。書写にあたりわざわざ詞書を書加たり添削等の操作を受けた可能性は低いと思われます

 

4.『猿丸集』の概要

① 詞書を重視すれば、歌の趣旨がそれにより左右されます。

歌を、清濁抜きの平仮名表記をしてほぼ同じであっても、歌意が異なれば、一つが正伝でほかの歌が異伝という関係にあるのではなく、別の歌、違う歌である、と言えます。

歌集が、そのような歌の集りであるならば、その歌集は、特定の編集者により「独自の一定の方針」もとに編集されている、と見なせます。

『猿丸集』は、まさにそのような歌集であったのです。

② 今、1-1-995歌の検討のため『猿丸集』歌を理解しようとしているので、1-1-995歌を類似歌とする3-4-47歌を除いた『猿丸集』の51首の歌について、その各自の類似歌との比較考量を行いました。

次のことが、分かりました。

・類似歌がベースであって、この歌集の歌はその後創作され、編集された。

・類似歌は、『萬葉集26首。『古今和歌集24首、『拾遺和歌集2首である。なお、『赤人集』に1首ありそれは『拾遺和歌集』歌とも重なる。(その後の確認では複数の類似歌が認められ、『萬葉集』30首、『古今和歌集』24首、『拾遺和歌集』2首、その他6首計62首である。また、猿丸集歌の編纂方針の検討中であり、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・・」の各ブログに記している(2020/4/14))

・詞書に従い歌を理解すると、歌の趣旨が類似歌と異なっている。類似歌からいうとこの歌集にある歌は、類似歌の異伝の歌ではない。

③ 『猿丸集』はしっかりした編集方針で編集されていますので、3-4-47歌と類似歌である1-1-995歌とにも、このような原則があてはまるはずです。

 

5.『猿丸集』の歌の例 3-4-1歌と3-4-2歌

① 『猿丸集』の歌の具体例で説明します。最初の歌3-4-1歌は、詞書を3-4-2歌と共有しています。

 その二首の歌の詞書と歌の現代語訳(試案)を示します。

 歌は、詞書に従い理解したものです。

3-4-1 あひしりたるける人の、ものよりきてすげにふみをさしてこれはいかがみるといひたりけるによめる

しらすげのまののはぎ原ゆくさくさきみこそ見えめまののはぎはら

3-4-2 <詞書なし。つまり、同上、の意。>

から人のころもそむてふむらさきのこころにしみておもほゆるかな

 

② 3-4-1歌の詞書の現代語訳(試案)は、次のとおり。

「交友のあった人が、地方より上京してきて、スゲに手紙を添えて、「これをどのようにご覧になりますか」と、私に、言い掛けてきたので、詠んだ(歌)。」

③ 3-4-1歌の歌意は次のとおり。

しらすげも花を咲かせ、立派で赤紫に咲く萩が見事な花畑となっている見事な野原を、あなたは旅の行き来によく見えたのではないでしょうか。萬葉集の歌の真野のはりはらではなく赤紫に咲く萩の野原を。(紫衣の三位への昇進も望めるようなご活躍にお祝い申し上げます。)」

④ 3-4-2歌の歌意は次のとおり。

「(朝鮮半島の)韓から技術を持ってやってきた人が衣に染めるという紫の色と同じ色で咲くハギの花(昇進されるあなた)を、心に深くしみじみと思うことでしょう。」

⑤ 3-4-2歌は3-4-1歌の詞書のもとで詠まれた歌と私が主張する理由は、次のとおりです。

  a 「紫」が両歌に詠み込まれている。両歌の類似歌である2-1-284歌と2-1-572歌にも「紫」が詠み込まれている。(ハギの花は赤紫色である。)

   b 両歌はよく知っている者同士でのやりとりの歌であり、また、両歌の類似歌2-1-284歌と2-1-572歌も、それぞれやりとりした歌として記載されている。

  c 両歌は再会の歌と別れの歌で対になっている。類似歌2-1-284歌と2-1-572歌も同様である。

⑥ 補足をすると、詞書にいう「ものよりきて」は、「地方より、京に上がってきて」、の意です。

 例を挙げます。

 ・『猿丸集』3-4-21歌の詞書「物へゆくに、うみのほとりを見れば・・・」

(地方に下ってゆく途中に、海の渚をみれば・・・)、

・同3-4-27歌の詞書「ものへゆきけるみちに、きりたちわたりけるに 」

(都ではなく)地方へ下ったときの道すがら、・・・、の意。あるいは、女性を訪れる夜の道に、・・・の意。

 ・『後撰和歌集』1-2-1225歌の詞書「男の物にまかりて(二年許有てまうで来たりけるを)」

(ある男が、地方に赴任して(二年ばかり・・・))

・同1-2-1262歌の詞書「物にこもりたるに」

(あるお寺に参籠したところ)

・『拾遺和歌集』1-3-485歌の詞書「物へまかりける人のもとに・・・」

(ある国へと出立する人のところに・・・)

・同1-3-1032歌の詞書「春物へまかりけるに・・・」

(春、あるところへ出かけたところ・・・)

 

⑦ この二首の類似歌を示すと、次のとおりです。

3-4-1歌の類似歌:2-1-284歌 黒人妻答歌一首 

しらすげの まののはぎ原 ゆくさくさきみこそみらめ まののはりはら

 

3-4-2歌の類似歌:2-1-572歌 大宰師大伴卿、大納言に任ぜられ、都に入らんとする時に、府の官人ら、卿を筑前国の蘆城(あしき)の駅家に餞する歌四首(571~574 ) 

からひとの ころもそむといふ むらさきの こころにしみて おもほゆるかも 

    右二首(572&573) 大典麻田連陽春

⑧ 前者2-1-284歌の作者である黒人の妻は都で留守番をしていたのであり、「白菅で有名な真野のハギの野原を、旅の行き来に あなたこそ眺めることができるでしょうね。真野のハギの野原を(私は留守番役ですが。)」、と返歌をしています。黒人の妻は、3-4-1歌と作者と同じように、都にいて詠んでいます。

諸氏のいう黒人と共に妻が旅中にいるかのような理解は、誤りです。妻が旅中の歌と理解しても、前者2-1-284歌と3-4-1歌とは、別の歌であるのは明白です。

 後者2-1-572歌の初句~三句は、「しみて」を起こす序詞です。染色文化も朝鮮・大陸から伝わった文化の一つです。2-1-572歌の作者は、大宰師大伴卿と上下の関係が切れるのですが、縁のあったことを喜んでいる、と思われ詠いぶりです。

⑨ このように、この2首は、詞書に従い理解すると、それぞれの類似歌と、清濁抜きの平仮名表示ではよく似ていますが、まったく別の歌となっています。

 次回は、もう一例と3-4-47歌について、記したいと思います。

御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)

 

わかたんかこれの日記 歌の現場

(2017/11/2)  前回「たがみそぎの「たが」」と題して記しました。

今回、1-1-995歌の「歌の現場」と題して、記します。(追記:2018年以降改めて始めた『猿丸集』のブログがあります。「わかたんかこれ 猿丸集・・・」と題しており、例えば3-4-15歌は、「わかたんかこれ猿丸集第15歌 いまきみはこずを」(2018/5/21付け)を参照ください。3-4-47歌はその後理解が深まりました。(2020/4/14 上村 朋))

 

1.この歌でみそぎをしているのは都から離れたところ

1-1-995歌の作者は、「たがみそぎ」と詠いだしています。この作者は「たつたの山」で「ゆふつけ鳥」がながながと鳴くのも聞いています。誰かがみそぎをしている場所は、「たつたの山」かその近くなのではないかと、推測できます。

 古今和歌集歌人の時代、禊を行うところは、ほとんどの貴族が行う旧暦六月末日の水無月のはらへならば、平安京賀茂川が有名です。水無月のはらへは、その後貴族の邸内でも行われています。山中にでかけていません。

みそぎが実質祈願の行事であるならば、それは屋敷うちでしょう。陰陽師が必要ですから。寺院での祈禱にみそぎという行事は必要ありません。

 

 

2.たつたの山の所在地がわからない

みそぎが、山中で行われていないようですので、『古今和歌集』でこの歌の前にある1-1-994歌に詠われている「たつたのやま」と同じ山を指していないと思われます。

たつたの山が、1-1-994歌と違い、都のなかか、その近くの山とか山以外のところを指すのであるかもしれません。そうすると人里近くの小高い処と言うイメージ、及びゆふつけ鳥の鳴くのが人家近くの林であるので、例えば、神社がすでに設けられている時代ならば奥の院あたりとか神前の杜とかいうところ、神社がない時代でも都近くの岡があげられます。

 

3.『猿丸集』

1-1-995歌は、多くの歌集(と物語)に採録されており、『新編国歌大観』記載の21の歌集(物語)にでてきます。微妙に文字遣いなどが異なっているのもあります。

同書記載の歌集の成立順でみると、最古の『古今和歌集』の次ではないかと思える『猿丸集』や、物語(創作)に引用された(『大和物語』154段など)などにあり、これらの1-1-995歌の重複歌に、現場などの解明のヒントがないか、念のため、検討することとします。

ご覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋 2017/11/2

わかたんかそれ 葬るところ

800年代の和歌について、「わかたんかこれ・・・」と題して記している上村朋です。その話題から離れて表記について記します(2017/10/26)。

 

1.平安京風葬地 

和歌で、ゆふつけ鳥とか八声の鳥という表現のある歌を探しているとき、「とり」の検索で「とりべの」を詠う歌にであった。

鳥辺野は、東山三十六峰のひとつ、音羽山から阿弥陀ケ峰の麓、東福寺に居たつ一帯を指し、平安時代、京の三大風葬地のひとつであったそうである。

 竹林征三氏によれば、三大風葬地とは、鳥辺野と化野(あだしの 西の嵐山の麓)と蓮台野北の船岡山の麓である。寺に弔って葬られる死者は高僧か高貴な身分の者に限られ、民衆には葬式も墓も許可されていない。

さらに、水葬地があった。鴨川の川原(三条河原~六条河原)である。鴨川の一番大切な役割は死者の遺体を流し去ることであり、洪水は都市を清潔に保つためになくてはならないインフラシステムであったのである。

 衛生面で平安京は長持ちのするシステムを持っていたのである。もっとも前期の平安京人口は12万人という推定がある。全国緒人口は、鬼頭宏氏らによると北海道を除いて800年ころ550万人前後(耕地面積800千町歩前後)という推定である。

 

2.散骨

 平安時代は、人口に占める比率から言えば、散骨タイプが大変多かった。現代は微々たるものであるが増えてきている。

 私の父は、生地を離れ、墓守は叔父にお願いし、自分は献体申し込みを済ませた。その後は海への散骨を希望し、そのようにした。

 母は、献体はやめ、それにならってくれと希望し、そのようにした。散骨の位置は異なる。

 私らは、樹木葬の手配を済ませている。そこには名前を刻む石がある。風葬ではない。変則の両墓制か。

 御覧いただき、ありがとうございます。

わかたんかこれの日記 たがみそぎの「たが」

2017/10/9  前回「三代集よみ人しらずの四首」と題して記しました。

今回、1-1-995歌の「たがみそぎの「たが」」と題して、記します。

夏休みのほか使用しているPCの不調や『猿丸集』のことで、824日から2か月近く経ってしまいました。

 

1.「たが」と作者が問うための情報

 ①前回まで、1-1-995歌の主な語句について、作詠時点の時代の意味の検討をしてきました。今回は、歌の中での語句の検討をはじめます。初句「たがみそぎ」の「たが」の検討です。

 1-1-995歌は次のとおりです。

 題しらず  よみ人知らず

   たがみそぎゆふつけ鳥かからころもたつたの山にをりはへてなく

 ②この歌の作者は、どういうことから「たがみそぎ」という疑問を発したのでしょうか。

 「みそぎ」をしている(と思いますが)その人と作者の位置関係はどうだったのでしょうか。

 ③作者は、「たつたの山」になく「ゆふつけ鳥」の声が聞こえる位置にいるはずです。

 「ゆふつけ鳥」の鳴き声からどのようなことが推理できるでしょうか。鳴き声から「ゆふ(木綿)をつけることがある鶏」を849年以前において推理する過程がわかりません。

 もっと一般化しても、鳴き声から「ゆふ(木綿)をつけることがある鳥」を849年以前において推理する過程がわかりません。

 ④鳥が、「ゆふ(木綿)をつける」ということが、「みそぎ」とどのように関係するのか。この歌ではなかなかわかりにくいことです。「みそぎ」と「ゆふつけ鳥」の関係がいまのところ不明なのです。

 

2.「たがみそぎ」の意味

①初句「たがみそぎ」は、表面上「誰が行っているみそぎか」の意にとれます。

②片桐氏は、『古今和歌集全評釈』で、1-1-995歌を次のように現代語訳しています。「誰の禊のために木綿(ゆう)をつけた夕(ゆう)つけ鳥であろうか。立田の山で、ここぞとばかりに盛んに鳴いているのは。

氏は、「逢坂の関のゆふつけ鳥」の連想で「ゆふつけ鳥」の鳴き声を詠んだ(歌)」としていますが、「逢坂の関のゆふつけ鳥」が「ゆふ」と関係あるとしても。みそぎとはどのような関係が作詠時点当時にあったのか、言及していません。

 それでも氏は、初句は、「ゆふつけ鳥」を間接的に修飾している、と理解しているようです。

 ③久曾神氏は、『古今和歌集』(講談社学術文庫)で、次のように歌意を述べています。

 「あれは木綿つけ鳥(鶏)であろうか、立田山にながながと鳴きつづけているが。」

 初句は、だれのみそぎの木綿であるか、の意で、つぎの「ゆふつけ鳥」にかかる枕詞と、しています。

 しかし、「たがみそぎ」が枕詞になっているのは私の知るところではこの1-1-995歌のみです。「みそぎ」には「ゆふ(木綿)」を常に使用することが、枕詞となった理由であるならば、「たが」と「みそぎ」を行っている者を問うのは何か意味を作者は持たせているのかもしれません。

 

 ④31文字のうちの5文字を、作者は、無駄にしないはずです。捨て駒という表現がありますが、無意味な指し手、という意味ではありません。初句が、この歌の中で生きてくるはず、と私は考えています。

  「たが」という語句は「みそぎ」という語句を修飾しています。このように作者が判断した情報をどのように得たのでしょうか。

 

3.作者が外部から得た情報

 ①作者は、「たつたの山」になく「ゆふつけ鳥」の声を聞いています。聴覚で作者が得た情報は、これだけのようです。「みそぎ」に関して聴覚の情報があったとすると、その現場の近くに作者がいると推測され、誰かと疑問を呈することはないでしょう。

 なお、「みそき」表記に特徴的な音があると詠っている歌は万葉集や三代集にありません。

 ②視覚で得た情報には、「たつたの山」という存在がまず、有ります。「ゆふつけ鳥」は山でなくもの、と限っていないので、この歌の作詠時点において鳴いているのが少なくとも山中であるという推理をするための視覚情報を得たはずです。

さらに、直接「ゆふつけ鳥」を視覚で捉えていたかもしれません。例えば、「ゆふつけ鳥」が群れをなして舞っている風景が考えられます。(鳴く生物として理解しているものは夕告げ鳥が「ゆふつけ鳥」としての話ですが。)

 

 時間帯を推理する陽射しに関する視覚情報を得ているでしょう。

「みそぎ」に関しての視覚情報には、「みそぎ」の準備状況を示す物などがあるかもしれません。

 そのほか、「みそぎ」の現場を見通せないようにしている杜か壁かあるいは(作者が居る)室内からの見通しを邪魔する障害物の視覚情報があります。

 ③肌から得る情報があったかもしれません。それは時間帯を推理できる情報でもあるでしょう。

 ④この歌は、題しらずの歌で、作者が文字でどのような情報を得ていたか、口頭でどのような情報を得ていたか、は不明です。

 ⑤いづれにしても、これまでの語句の検討の結果の上に、この歌の現場を踏まえた検討が必要です。

 次回は、歌の現場に関して、記したいと思います。

  ご覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)

 

 

わかたんかこれの日記 三代集よみ人しらずの 四首

2017/8/24  前回 、「 三代集のみそぎとはらへ ]と題 して記 してました。 
今回は、「三代集よみ人しらずの四首」と題して、記します。

 

1.849年以前の歌である 1-1-501歌
① 三代集 で「みそき 」表記の歌 は 8首あり  、作詠時点順 で古い歌 から 4首が、 よみ人しらずの歌 です。即 ち、 850( 正確には 849 年)以前 の歌である 1-1-501歌、 1-1-995歌 と、901年~950年以前に詠まれた1-2-162歌、1-2-216歌です。これらの歌を検討します。
② 1-1-501歌は、つぎのような歌です。
  題しらず           よみ人しらず

   恋せじとみたらし河にせしみそぎ神はうけずぞなりにけらしも
 この歌は、推定した作詠時点順でいうと、勅撰集において最古の「みそき」表記のある歌の一つです。
 ここでの「みそき」表記は、初句の「恋せじ」ということを目的とした一連の行為全体を「みそぎ」と称していると理解できます。その「みそき」表記の行為は神に対して行われたものであるからこそ、神が受けなかったといえるのであり、単におのれのけがれを除くための水を用いるという「みそぎ」の意ではなく、「恋せじ」という祈願の一形態です。だから罪も穢れも不問となります。
 「みそき」表記が表している祈願は、「恋せじ」と誓いをたてているのか、「恋せじ」という気持になることをお願いしているのか、あるいは恋することをけしかけている何者かから身を遠ざけることをお願いしているのか、の三つのいずれかを意味しており、「「みそき」表記のイメージ別現代語訳作業仮説 の表」(2017/7/17の日記参照)の「祭主として祈願をする」( イメージI0)に相当します。
③ 『古今和歌集』での配列の上でこの歌を見てみます。この歌は、「巻第十一 恋歌一」 (469歌~551歌)の中ほどにあります。
 「恋歌一」の歌順は、各歌の詞書よりみると、恋愛の進展に従っての配列になっています。「恋歌一」の歌順は、各歌の詞書よりみると、恋愛の進展に従っての配列になっています。
 即ち、評判や噂だけでまだ見たことがなく逢う手立てもない段階の歌から、手紙や歌のやり取りができる段階にすすみ(例えば477歌)、外出した相手の車を遠くより見るなどの段階、恋心が盛り上がる段階(例えば491歌)、そしてこの1-1-501歌があり、恋の思いが人に知られるほどになった段階(例えば503歌)、逢うことができないことを我慢している段階(例えば515歌)、恋にやせ細る段階(例えば528歌)、というように配列されています。
 小島憲之氏と新井栄蔵氏は、「恋歌一」の配列に触れて、「476歌からほのかに見て恋う歌となり、480~507歌をひそかに恋ふ歌、508~527歌を揺れる思いの歌、528~541歌を寄るべなき恋の歌、542以下10首を時のみすぎゆく歌」としています。

④ この歌の前後の歌をみてみると、
499歌は、やまほととぎすが夜通し鳴くのをうらやましく、詠い、
500歌は、したもゑをせむ、と詠い、
502歌は、心の乱れを、詠い、
503歌は、いろにはいでじ、と詠っています。
 この歌の並びからみると、「みたらし河」でみそぎをした501歌の主体(男か女)は、まだ片思いの段階で、人に苦しい心も言えず、悶々としている状況とみられます。人に知られていない段階ですので、仮に実際の経験を作者が詠んでいるとすれば、「恋せじ」と祈願をした歌の主体が臨んだ「みたらし河」は、家人以外の人にはみられないような配慮をしてある場所にあるか、独占的に当該区域をその主体が占めることができる場所にあるのではないかと推測できます。
 それはともかく、そのような「みそぎ」をする「みたらし河」は、どこにあるのでしょうか。
⑤ 三代集で事例を探すと、「みたらしかは」表記の歌は、この歌のほかには、次の歌しかありません。「みたらしに」表記も「みたらしの」表記や「みたらしや」表記の歌もありません。
1-3-1337歌  巻第二十  哀傷
  女院御八講捧物にかねしてかめのかたをつくりてよみ侍りける     斎院
   ごふつくすみたらし河のかめなればのりのうききにあはぬなりけり
 冷泉家伝来の藤原定家自筆本の臨写とれる京都大学付属図書館蔵中院通茂本を底本とした『新日本古典文学大系7』による歌本文は、次のとおりです。
 業尽す御手洗河の亀なれば法の浮き木に逢はぬなりけり
 作者斎院は、57年斎院を務めた選子内親王(生歿は康保元年(964)~長元8年(1035))です。賀茂神社に仕える斎院にとり仏教行事への参加が禁忌にあたりますので、法華八講の行事に供物として金細工の亀を贈った際、詠まれたのがこの歌です。
 この歌の現代語訳を、試みました。
 「前世までの行いの結果として今生では亀に生まれ、今は御手洗池で前世の償いを一生懸命している者と同様なのが私です。あの盲目の亀の喩えに言われている浮き木の穴に首を入れる可能性と同じように希少な機会である仏の教えを講じる法華八講に、私は参列できません。人として生きている今が輪廻していいる私にとって大事な時であるのに、残念でなりません。(せめて、 御縁をつくら せてください。)」

 盲目の亀の喩えは、盲亀の浮木譬喩として『雑阿含経 15 巻』(大正蔵 2巻 108 頁下 )にあります。大乗 経典の法華にも引用され( 法華経第二十七妙荘厳王本事品など)ています。一眼亀(いちげんのかめ)とも言われ てい ます。 
 この歌の 「みたらし河」は、 今日の寺院でいうな らば放生池のようなものを指しています。  亀が 仏の教えを 実践しよう と している 世界 が「みたらし河」 であり特定の川  や池 を指す固有名詞ではありません。 
 作詠時点は、 詞書にある女院((藤原 詮子 (ふじわらのせんし) の没年 である である 長保 3年( 100 1年)以前 と 推計しまた。  1001 年は、『拾遺和歌集』 成立前 であり、 作者が斎院を退下した 長元年 (1028)(1028) のだいぶ 前の時点 です 。作者は 、諸経の要文を 題とした自選『発心和歌集』諸経の要文を 題とした自選『発心和歌集』を寛弘 9年(1012)につくるほど仏教 に傾注した女性です。
 なお、初句「ごふつくす」を、「劫尽くす」と漢字表現する伝本もあるようです。

⑥ 「みたらし(かは)」表記を、この時代の歌人の歌で探すと、990年歿の兼盛に、「するがにふじといふ所の池には色色なるたまわくと云ふ・・・」と詞書して現在の富士山本宮浅間神社の湧玉池を「みたらし川」と呼んで詠った歌(3-32-136歌)があります。
 『古今和歌集』後に成立した歌集『大斎院前の御集』には、「四月、(葵祭に伴う)みそぎの夜かはらにていたうかみなりければ・・・」と詞書して、
3-76-72歌  かは神もあらはれてなるみたらしに思ひけむ事をみなみそぎせよ
3-76-73歌  なかれてもかたらひはてじほととぎすかげみたらしのかはとこそみめ
とあり、斎院がみそぎをおこなう場所の河を、「みたらし」と詠っています。
 さらに、
3-76-129歌  はらふれどはなれる物はみそぎかはただひとがたの事にぞありける
3-76-130歌  ことならばしめのうちはへゆく水のみたらしがはとなりにけるかな」
3-76-131歌  あふ事のなごしのはらへしつるよりみたらしかはははやくならなむ
 これらの歌も、川の流れのうち、はらへをする場所の河を、「みたらしかは」と詠っています。

 また増基最晩年の正歴・長徳の交頃(993~995)成立と考えられている『増基法師集』には、
3-47-48歌  ここにとてくるをば神もいさめじをみたらし川のかはもなりとも
3-47-49 歌 (かへし) みな人のくるにならひてみたらしのかはもたづねずなりにけるかなやは
3-47-50歌  みたらしのもみぢの色はかはのせにあさきもふかくなりはてにけり
3-47-51歌  みたらしのかざりならでは色のみえつつかからましやは
3-47-52歌  ひとのおつるみたらし川のもみぢ葉をよにいるまでもおりてみるかな
と詠った歌があります。

このように三代集の時代、歌人は、神聖であると観念した川の一定の部分や池を、「みたらしの」あるいは「みたらし河」と歌に詠んでいます。その歌の中では、詞書や歌の本文によって特定の河川を指していることが当然明白になっている(美称として用いている)場合もあります。
⑦ 「たつたかは」表記の検討の際、地名を名乗っている河の名は、その地名の地域内を流れている川を指すと指摘し、瀬田川宇治川・淀川と名前の替る川を一例として示しました。
「みたらし(かは)」表記も神聖な場所として用いる流れを指している表現であり、賀茂川においてみそぎをするのに使う地域の当該賀茂川部分や、禊等のことを行う社の境内にある水場(流水個所)を指したとみられます。

⑧ これから考えると、この1-1-501歌の「みたらしかは」もこのような普通名詞と理解するのが妥当です。邸内の遣水も歌において「みたらしかは」と称しておかしくありません。
 あるいは、『古今和歌集』の撰者が、「恋一」に配列するため伝承されてきた歌の固有の川の名を、みそぎをする水場を指す普通名詞(「みたらしかは」)にさしかえたのではないか、とも考えられます。実際の経験でなく創作された歌であっても、この歌を送られた人は、歌に詠われている「みたらしかは」の場所は容易に想像できたのではないでしょうか。
⑨ 『新編国家大観』における『萬葉集』において、「みたらし」表記の歌や「せしみそき」表記の歌は、ありません。なお、『萬葉集』で、男女の間のことを理由として「みそき」表記があるのは、女性の歌として2-1-629 歌 1首、男性の歌として2-1-2407歌1首のみです。 前者の「みそき」表記は、「A11orB11orC11」であり、後者は「I0」と整理しています(2017/8/3の日記参照)。

⑩ 次に『伊勢物語』にこの1-1-501歌は引用されていますので、検討します。
 『伊勢物語』の成立は 少なくとも三次に亘ると諸氏は指摘し、業平が元慶 4年(880 )に没して いるので、始発期の十数段はその前に、次に天暦(947~957年)頃、最後は天暦以後少し後になって多くの段が業平 に関係のない『万葉集』や古今よみ人 しらずの歌なども利用して 付け加えられたとしています。このよ うに、成立が 三代集の時代(1000年以前)であるのは確かであるので、この物語における伝承や民間の行事などは1-1-995歌と同時代のものと考えてよいと思います。
 このよみ人しらずの歌は、第65段に引用されています。この段は『伊勢物語』の始発期の段ではなく、『古今和歌集』成立後成立した段です。この段が成立したころは、怨霊の脅威も世の中に浸透した後です。安倍晴明は、1005年亡くなっています。宗祇は『古今十口抄』で、この501歌は、不逢恋の部立、伊勢物語65段歌は、逢ひて後の歌、と指摘しています。
⑪ その『伊勢物語』の65段は、
「むかし、おほやけ思してつかうたまふ女の、・・・」ではじまり、次のように続きます。
「この男、いかにせむ、わがかかる心やめたまへと、仏神にも申しけれど、いやまさりにのみおぼえつつ、なほわりなく恋しうのみおぼえければ、陰陽師、神巫(かむなぎ)よびて、恋せじといふ祓への具してなむいきける。祓へけるままに、いとど悲しきこと数まさりて、ありしよりけに恋しくのみぼえければ、「恋せじとみたらし河にせしみそぎ神はうけずもなりにけるかな」といひてなむいにける。(以下略)」

と、あります。
伊勢物語』の「この男」は、「わがかかる心やめたまへ」という祈願を、いくつかの方法で試みています。そのいずれの方法においても叶わなかったので、1-1-501歌を詠んだ、という筋書きです。
 その試みは、仏に祈願すること、神に祈願すること、その次に「陰陽師、神巫(かむなぎ)よびて祓へす」という試みであり、これらの試みすべてを、『伊勢物語』のこの段のこの歌では、「みそき」表記と称せるものとしているということです。陰陽師が活躍する時代に、「みそぎ」の意味する事柄はだいぶ広がったと、言えます。念のため、「この男」の最後に「祓へす」ということのイメージを確認すると、恋しきことは変わらなかったと嘆いているので、この「はらへ」表記も祈願を意味している理解できます。
⑫ 1-1-501歌の五句「なりにけらしも」は、『伊勢物語』中の歌の主体の詠嘆と違い、い、歌の主体の不確実な推量です。恋慕の気持ちが変わらなかった歌の主体は、受けないということは、反語として、突き進めとの示唆かと考えています。
 そもそも、「みそき」表記の行為・行事をして、好ましい結果を得られなかった原因は、祈る側にあります。
 神は、理由なく「受けない」ようなことは神威を損なうし、また神に過失があるはずがないので、そのようになった原因は、願った側に何かの誤り・誤解があったからです。
 すなわち、そのような願いをすべき神に願っていたのか、あるいは祈願のために選択した方法に問題があったか、あるいは選択した方法は正しかったがその過程に誤りが生じたか、の何れかであるか、あるいはそれらが重なって生じたか、ということが、「うけず」と歌の主体が判断した状況をもたらした原因です。

 本来は、祈願をやり直さなければならないところを、歌の主体と祈願にたずさわった陰陽師などは、性急に「恋せじ」と努力するのが誤りではないかと、都合よく「みそき」表記の結果を推測しています。
 まだ逢わせてもらえない人におくる歌であるこの1-1-501歌は、それほど恋に囚われていると訴えていることになります。単に相手に言い寄っている段階で、言葉で脅している、あるいは、この歌をみてもらいたい相手にやんわりと迫っている歌となっています。

⑬ 次に、歌の主体(作者)について検討します。
 『古今和歌集』のよみ人しらずの歌にも明らかに男女の歌があります。
 巻十一では、483歌以後の歌は、すべてよみ人しらずの歌です。483歌の歌の主体は縫う所作を詠っており女性、499歌は寝ずに待っている女性の歌であろうと思えます。この501歌の作者は、男女どちらかと決めかねます。どちらの側からもこの歌は相手につきつけることのできる歌です。しかし、相手にこのようなストレートな迫り方を当時の女性がするのは例外とは思います。
 この歌の主体を男と仮定した場合、相手の女性の侍女も男が何者かは承知している恋の段階ですので、手紙などの点検役をしている侍女のもとに、この歌だけでも相手に読み上げてほしいという口上を伴って届けられたこともあるような実用の歌だったのではないでしょうか。伝承歌として残った所以かもしれません。

⑭ 以上の検討を踏まえて、現代語訳を試みると、次のとおり。
 作者を男と仮定します。
 「貴方への恋慕を断ち切ろうと、清い川で私はみそぎをして神に祈った。だが、未だにあなたに逢えないのをうらめしく思っている自分がいる。これは神が私の願いを聴いてくれなかったということらしい。(あなたと私が結びつく運命だとそっと知らせてくれた気がする。)」
⑭ 作詠時点に関しては、『古今和歌集』のよみ人しらずの時代の歌(849年以前)以外の情報がありません。


2.950年以前の歌である 1-2-162歌
① 1-2-162歌  返し             よみ人しらず

   ゆふだすきかけてもいふなあだ人の葵てふなはみそぎにぞせし
 この歌は、巻第四 夏にあり、前歌1-2-161歌の返しの歌です。
1-2-161歌  「賀茂祭りの物見侍りける女のくるまにいひいれて侍りける

                            よみ人しらず
   ゆきかへるやそうち人の玉かつらかけてそたのむ葵てふ名を
です。「やそうち人」は「八十氏人」で、この歌では賀茂神社への奉幣使の行列をさします。『萬葉集』歌では、天皇に仕える多くの氏の人々の意で用いられています。
 また、「葵」という語句について、『例解古語辞典』は、「葵」を「植物の名。フタバアオイ。「賀茂の祭り」に牛車の御簾や人々の冠や烏帽子などにさして飾りとした。賀茂葵」と説明しています。ここでは、「逢ふ日」を掛けています。
② 諸氏は、この歌の初句と二句「ゆふだすきかけてもいふな」は、『古今和歌集』恋一にある「ちはやぶる賀茂のやしろのゆふだすきひと日も君をかけぬ日はなし」(1-1-487歌)を前提にしている、と指摘しています。
 作詠詠時点は、1-1-487歌が『古今和歌集』の「よみ人しらず」の歌であるので、作詠時点の推計方法に従えば849年以前と整理できます。この1-2-162歌が『後撰和歌集』のよみ人しらずの歌なので、作詠時点は、905年以前という推計となり、1-1-487歌を前提にすることが確かに可能です。
③ 1-1-487歌にある動詞「かける」は、「木綿襷を掛ける」意と「あなたを慕う」意をかけています。これに対して、この歌では、「木綿襷を掛ける」意と「私を慕う」の意をかけて用いられています。
 すなわち、初句と二句は、「木綿襷をかけて皆さまが奉仕している賀茂の祭の際に私を見かけて下さったそうですが、すぐ言い寄るなどということはしないでください」の意となります。

④ 五句「みそぎにぞせし」の「みそぎ」は、作者でもある作中人物が行った行為です。賀茂祭の奉幣使の行列の見物がきっかけの歌の贈答なので、この行列と同じように見物の対象となっている二日前に行われている賀茂川における齋院の祓という行事が思い浮かびます。その行事には、現在の「斎王代以下女人 列御禊の 儀」次第(上賀茂神社HP )を下敷きにして理解すると )を下敷きにして理解すると )を下敷きにして理解すると )を下敷きにして理解すると )を下敷きにして理解すると 、「みそぎに引き続き行う形代を川に流すのとおなじように、それは水に流すという)処置をした」の意となります。
 何を流したかというと、四句の「葵てふな」であり、それは贈られた歌(1-01-161歌)にある「たのむ葵てふ名」(逢う日の訪れることを頼みにしている)です。
⑤ ここでの「みそぎ」は、「現代語訳の作業仮説の表」(2017/7/17の日記参照)を適用すると、B0に相当します。穢れを形代に移してその形代を流すのは、A0ではなくB0に含まれる儀式です。
⑥ この歌の現代語訳を試みると、次のとおり。
「木綿襷をかけて皆様が奉仕してる葵祭のときた私を見かけたということだけで、葵祭の葵(あふひ)に掛けて「逢う日」などと声をかけないでください。浮気者のあなたが 言ってきたことばなど、葵祭の斎院の御禊で執り行われる形代流しのように流してしまいましたよ。」
⑦ 作詠時点に関しては、上記以上の情報がありません。

 

3.950年以前の歌である 1-2-216歌
1-2-216歌  みな月ふたつありけるとし            よみ人しらず
   たなばたはあまのかはらをななかへりのちのみそかをみそぎにはせよ
① この歌は、『後撰和歌集』の夏部の最後に置かれており、旧六月晦日の民間行事である夏越の祓を詠んでいます。
 民間行事の夏越しの祓は、夏の最後の日に行う行事です。六月に閏月があると、夏の季節の最後は閏月の晦日であり、その日夏越しの祓をして、その30日前の六月晦日は、誰かのための禊や祓ができる日だ、と詠っています。
② ななかへり:『後撰集新抄』は本居宣長の説として、詩経・小雅・大東に「維れ、天に漢有り。監れば亦光ること有り。跂たること彼織女終日に七襄せり」とあり、さらに注に「襄は反也」とあることを紹介しています。
③ 現代語訳を試みると、つぎの通り。
 「織女は、 閏六月がある年は、最初の晦日には天の川原において丁寧に牽牛のために祓をしてあげて、閏の晦日は、私らがするように我が身のために夏越の祓をしなさいよ。
④ ここでの「みそき」表記のイメージは、夏越しの祓という行事(K0)となります。
⑤ なお、作詠時点は、片桐氏の意見(閏六月があったのは、後撰集によく歌が採られている時代では、延喜元年(901)と延喜20年(921)の2回。)を参考に、延喜20年(921)としました。
 閏六月のある暦年は、さらに遡ってもあるでしょう。七夕を題とした歌もあるでしょうが、推測をでません。

 

4.850年以前の歌である 1-1-995歌
① 1-1-995 歌  題しらず           よみ人しらず
   たがみそぎゆふつけ鳥か唐衣の山にをりはへてなく 
② 作詠時点について、検討します。
  この歌が  最初に 記載された歌集の候補として、『猿丸集』を『古今和歌集』とともに残しておきまた (2017/2/29 の日記 参照 )が、 歌を引用している『新編国歌大観』の「解題」にいう「公任の三十六撰成立 (1006~1009(1006~1009 頃)」以前に存在していたと みられる」ということ(成立が例えば 890 年以前というこが完全否定 できていないということ)が理由でした 。猿丸(大夫)じたい伝承上の人物であり、明瞭に詠作と認定し得る歌がなく、また存命時期も不明ですも不明です 。

 『猿丸集』は 雑簒の古歌集で、前半は 万葉異体と出典不明伝承後雑簒の古歌集で、後半は、『古今和歌集』の 読人不知と万葉集歌である 読人不知と万葉集歌である ことがわかっている 歌集です。
 この 『古今和歌集』 記載 の歌が後半に  一括して収載さ れていて分載されていない

こと、書写が忠実にされて 特段の再編集もなく今日まで 伝えられて いること、の二つ は確かなことであるので、 『猿丸集』の成立 は、『古今和歌集』の成立後の可能性が高いと 言えま す。
  二つの歌集も成立の前後 関係 は推測できたのすが、具体作詠時点を 『猿丸集』から、『古今和歌 集』のよみ人しらずの時代の歌 (849 年以前 )からさ らに 絞りことができません ことができませんでした 。

③ 『万葉集』と三代集の 「みそき」表記の歌(この995 歌を除く) を作詠時点順に並べてみたとき、ことばの意味 は通常連続 するもの であるというこから、「みそき」表記一番可能性が高い イメージ が、 「祭主が 祈願 をする( I0 )」である と思われます。 このイメージは水辺における祭場を必須としていません。  2~5句か ら水辺を特定できないので、 I0 のイメージ「みそき」表記としても歌と矛盾しません。
 しかながら、この歌の作者が初句「たみそき」というような疑問を持つきっかけの

情報 がわからないの で、 「祭主が祈願をする( I0 )」 の歌という 可能性 をなかなか補強できません 。

 

5.今回のまとめ
① 三代集の 「みそき」表記のよみ人しらずの歌四首 のうち、 作詠時点が、 849 年以前であるのは、 1-1-501 歌と 1-1-995 歌の 2首で すがこれ以上作詠時点を特定できませんした。ほかの 2首も同じでした 首も同じでした 首も同じでした 。
② 「みそき」表記のイメージは、次とおりです。
1-1-501 歌 I0
1-1-995 歌 保留 なお、 なお、 作詠時点 の観点から の観点から 考察 すると すると 、I0 か。
1-2-162 歌 B0

1-2-216 歌 K0
③ 次回は、 1-1-995 歌について 歌について 、さらに さらに さらに 記し ます 。
御覧いただき、ありがとうござます。(上村 朋)

わかたんかこれの日記 三代集のみそぎとはらへ

2017/ 8/21  前回、「万葉のみそぎも祈願 三代集は」と題して記しました。
 今回は、「三代集のみそぎとはらへ」と題して、記します。
 三代集の「みそき」表記等の歌21首を検討します。

 

1.三代集の「みそき」表記と「はらへ等」表記の検討
① 『萬葉集』と三代集において句頭などに「みそき」表記のある歌と句頭などに「はらひ」又は「はらふ」又は「はらへ」表記のある歌(三代集間の重複歌を除く)歌(6首+21首)を、「現代語訳の作業仮説の表」(2017/7/17の日記参照)による「みそき」等のイメージの分類をして、作詠時点別に、表にすると、次のとおりです。但し、1-1-995歌は当面分類を保留し、同表に用意のないイメージは「表外」のイメージとしています。

表 『万葉集』と 三代集の「みそき」表記はらへ等表記歌の作詠時点別 「現代語訳の 作業仮説の表」 のイメージ別一覧 (2017/8/3現在 )

 期間

 「現代語訳の作業仮説の表」のイメージ

 計

 西暦

A13or

B13or

C12

B11

I0

K0

L0

N0

表外

保留

(首)

701~750

 

2-1-629*

2-1-629イ

*

2-1-423

2-1-953

2-1-2407

2-1-4055

 

 

2-1-199

2-1-1748

2-1-4278

 

 

 9

~850

 

 

1-1-501

 

 

 

 

1-1-995

2

851~900

 

 

 

 

 

 

 

 

0

901~950

 

 

 

 

 

 

1-3-293

 

 

 

 

 

 

1-2-162

 

 

 

 

 

 

1-2-215

1-2-216

1-3-133

 

1-1-416

1-1-733

1-2-275

1-2-478

1-2-770

1-2-771

 

 

11

951~1000

 

 

 

1-3-292

1-3-595

1-3-134

1-3-1291

1-3-254

 

1-3-594

1-3-662

 

7

1001~1050

 

 

 

 

 

1-3-1341

 

 

1

三代集の計 (計)

1 (1)

1 (1)

1 (1)

6 (2)

1

8

2 (2)

1(1)

21

(8)

注1)歌番号等は『新編国歌大観』による。
注2)イメージに関するA0,A11等は、2017/7/17の日記記載の「現代語訳の作業仮説の表」による整理番号である。「表外」とは同表にない現代語訳(のイメージ)、の意であり、すべて朝廷の特定の儀礼であった。
注3)「はらへ」表記に関しては、上記の表中の「和歌での「みそき」表記のイメージ」を「和歌での「はらへ」表記のイメージ」と読み替えて適用している。
注4)歌番号等に「*」印の歌2首のイメージは、正確には「A11orB11orC11」である。
注5)1—01-995歌は分類を「保留」とした。今後検討する。
注6)赤字の歌番号等の歌は、「みそき」表記のある歌である。そのほかは「はらへ等」表記の歌である。
注7)作詠時点の推定は、2017/3/31の日記記載の「作詠時点の推計方法」に従う。

 

② 「現代語訳の作業仮説の表」 のイメージについて のイメージについて のイメージについて のイメージについて のイメージについて 説明 します。

・イメージ  B11 は、その罪に対してはらいをする 意です。

「はらい」とは、「その行為を(神道における)神事と捉え、それにより霊的に心身を確実に清めることとなる行為で、罪やけがれなどに対して効果がある行為」の意です(2017/7/17 日記参照)。「神道における」とは、仏式でなくキリスト教式でもない意であり、「はらい」は「陰陽道伊勢神道やその他の古来からの呪法」における神事のひとつという認識です。(「神道における」は「現代の神社や陰陽道などにおける」という表現にしたほうが誤解が生じないかもしれません。)
・イメージI0 は、祭主として祈願をする意です。
・イメージN0 は、「禊・祓ともになく、「羽を羽ばたく」「治める・掃討する」等の動詞」です。「払う」意も、このイメージになります。

・イメージK0 は、「夏越しの祓(民間の行事)又は六月祓(民間の行事)」です。朝廷の行う「大祓」を真似たような、民間人が個人・家門単位に行うところの、現についている穢を除きかつ過去の罪による義務・欠格を神々からチャラにしてもらう行事の全体を指します。原則として旧暦六月晦日の行事であり、この行事全体を夏越しの祓とも六月(みなづき)祓ともいいます。「平安時代には一般的に川などの水で身を清め、祓具に茅輪(茅を輪の形にして紙をまいたもの)を用い、くぐり抜け」(竹鼻氏)、またみずからに着いている穢れを人形などに移し川などの水に流すという行事であり、後には陰陽師が進行を司るようになりました。

「からさき」(唐崎)は現在の近江八景の一つの地を言い、祓をする場所として有名であり、『蜻蛉日記』と『更科日記』には作者が京から赴き夏越しの祓をしている場面があります。
・イメージL0 は、「喪明けのはらへ」です。喪の明けたことを神に告げ、喪服から通常の服に着替えるために行う祓です。喪中で使用していた服や身の回り品を川に流す民間の行事であり、祓うことが目的の行事です。この祓以後、通常の生活に戻ります。喪服の処理の実際は種々あったようです。
・イメージ「表外」とは、「現代語訳の作業仮説の表」に用意のなかった現代語訳の(イメージの)意であり、三代集においては、朝廷の行う儀式をさしていました。

 伊勢の斎宮となった皇女は、内裏で天皇とお別れの挨拶の儀をした後、伊勢に下りますがその途中で「みそぎはらへ」をしながら下ります。延喜式5 巻6 条 (河頭祓)などに規定があります。また、即位にともなう行事である大嘗会に先立ち10 月に天皇賀茂川に臨幸して行われる祓があります。大嘗会の御禊(という儀式)であり、文武百官や女官が供奉する晴儀です。祓うことが目的の行事です。1-3-662 歌の作者は、それを見物したのでした。

③ 三代集の歌を、イメージ別にみると、
・I0 は初期に2 首あるだけである。それも「みそき」表記の歌である。I0 のイメージの歌が851年以降詠われていない。なお分類を保留している1-1-995 歌はこの初期に詠われている「みそき」表記の歌である。

・K0 は、901 年以降にあり、「みそき」表記も「はらへ等」表記もある。
・N0 は、901 年以降の「はらへ」表記のみである。
・表外は、951 年以降にあり、朝廷の二つの行事を「みそき」表記している。
・恋にからむ祈願が全然詠まれなくなっている。この傾向が当時の歌人にあるのかどうかを、945 年歿と言われている貫之など三代集の歌人の歌で確認を要する。
などを指摘できます。

④ 三代集の歌を、作詠期間より検討すると、
・850 年以前の歌は2 首しかない。I0 の歌1 首(1-1-501 歌)と分類保留の歌1 首(1-1-995 歌)である。
・851~900 年に「みそき」表記等の歌は詠まれていない。
・901~950 年に「みそき」表記の歌は3 首あり、A13orB13orC12 が1 首、B11 が1 首及びK0 が1首である。「はらへ等」表記の歌は8 首あり、K0 が2 首そしてN0 が6 首である。
・951~1000 年に「みそき」表記の歌は3 首あり、K0 が1 首及び朝廷の儀式が2 首である。「はらへ等」表記の歌は4 首あり、K0 が2 首、L0 が1 首及びN0 が1 首である。
・「みそき」表記のイメージは、時代がさがるにつれて、I0 のイメージが消えるものの、種々なイメージが加わってきた、と言える。
・「はらふ等」表記は、払うなど、「祓ふ」以外のイメージ(N0)がどの作詠期間でも多い。
などを指摘できます。

⑤ 三代集歌を『万葉集』歌と比較すると、
・「みそき」表記の歌は、『萬葉集』に5 首あるうち、よみ人しらずの歌が、1首だけ(2-1-2407 歌 相聞歌)ある。三代集の「みそき」表記の歌8 首では、作詠時点順で最初の4 首(1-01-501 歌 1-01-995 歌 1-02-162 歌 1-02-216 首)がよみ人しらずの歌である。
・「みそき」表記の歌は、『萬葉集』では、祭主として祈願の意(I0)が多いが、三代集では8 首の「みそき」表記の歌のうち、夏越しの祓の意(K0)と表外の意が各2 首で合わせて半数を示す。この4 首は、儀式あるいは行事を「みそき」表記が意味している。
・「はらへ等」表記の歌は、『萬葉集』では、4 首あり、祭主として祈願の意(I0)が1 首と「羽を羽ばたく払う等の動詞」の意(N0)の歌が3 首であった。三代集では「羽を羽ばたく・払う等の動詞」の意(N0)の歌がやはり多く、13 首中8 首と6 割を超えている。その他に夏越しの祓の意(K0)の歌が13 首中4 首、「喪明けのはらへ」の意(L0)の歌が同1 首であり、儀式あるいは行事を「はらへ」表記が意味している歌が新たなイメージとして登場している。
などを指摘できます。

 

3.『貫之集』での「みそき」表記等の歌の検討
① 「みそき」表記の歌は、『平中物語 <貞文日記>』などの物語類にもあるが、ここでは、作詠時点が何年間もある歌集として、『貫之集』をとりあげ、作者の紀貫之が、「みそき」表記と「はらへ」表記をどのように用いていたかを、検討することとします。
② 『新編国歌大観』記載の『貫之集』において、次の条件のいづれかに該当する歌を抽出すると、次の表のように12 首ありました。
a 禊に関すると思われる歌。具体的には、索引で「みそき(して、する、つつ」あるいは「みそく」とある歌。
b 祓に関すると思われる歌。具体的には、索引で「はらふ(る、れば、」あるいは「はらへて(そ、も、なかす)」とある歌。
c 六月祓に関すると思われる歌。具体的には、詞書に「六月はらへ」の類のある歌、あるいは歌に「なつはらへ」の類のある歌。

 

表『貫之集』の「みそき」表記と「はらへ」表記関連の歌(2017/8/6 現在)

作詠時点

 

巻名

歌集番号

歌番号

 歌

表記1

表記2

「みそき」「はらへ等」表記のイメージ

906以前:延喜6年

3

19

11

みなづきのはらへ

みそぎする川のせみればから衣ひもゆふぐれに浪ぞ立ちける

みそき

 

夏越しの祓(K0)

914以前:延喜14年

3

19

37

夏(35~37)

住みのえのあさみつ塩にみそぎして恋忘れ草つみてかへらん

みそき

 

 

 

夏越しの祓(K0)

 

918以前:延喜18年

3

19

107

はらへしたる所

この川にはらへてながすことのはは浪の花にぞたぐふべらなる

 

はらへて

夏越しの祓 (K0)

919以前:延喜19年

3

19

132

六月ばらへ

おほぬさの川のせごとにながれても千年の夏はなつばらへせん

 

なつはらへ

夏越しの祓(K0)

937以前:承平7年

3

19

353

<記載なし>

つらき人わすれなむとてはらふればみそぐかひなく恋ひぞまされる

みそく

はらふ

祭主として祈願する (併せてI0)

937以前:承平7年

3

19

363

みなづきにはらへしたる所

はらへてもはらふる水のつきせねばわすられがたき恋にざりける

 

はらへても&はらふる

夏越しの祓(K0)(はらへて:祓う

 はらふる:払う)

937以前:承平7年

3

19

366

こまひき

都までなづけてひくはをがさはらへみのみまきの駒にぞありける

 

はらへみの

その他(駒引)(表外:名詞+名詞)

938以前;承平8年

3

19

403

六月はらへ

御祓(みそぎ)つつおもふこころは此川の底の深さに

かよふべらなり

みそき

 

夏越しの祓(K0)

939以前:天慶2年

3

19

415

夏ばらへ

川社しのにをりはへほす衣いかにほせばかなぬかひざらん

 

 

その他 (川社)(記載なく対象外)

941以前:天慶4年

3

19

484

夏かぐら

行く水の上にいはへる河社川なみたかくあそぶなるかな

 

 

その他(川社)(記載なく対象外)

943以前:天慶6年

3

19

529

<記載なし>

玉とのみみなりみだれて落ちたぎつ心きよみや夏ばらへする

 

なつはらへ

夏越しの祓(K0)

945以前:天慶8年

3

19

539

はらへ

うき人のつらき心を此川の浪にたぐへてはらへてぞやる

 

はらへて

祓う(A12orC11)

 注1)歌番号等は『新編国歌大観』による。
注2) 「「みそき」「はらへ等」表記のイメージ」欄は、2017/7/17 の日記記載の「現代語訳の作業仮説の表」による整理番号である。「表外」とは同表にない現代語訳(のイメージ)、の意である。
注3)同表中の「和歌での「みそき」表記のイメージ」を「和歌での「はらへ」表記のイメージ」と読み替えて適用している。
注4)全て屏風歌(屏風絵の料の歌)であった。

 

③ この12 首のうち、歌中において「みそき」表記のある歌は、
 3-019-011 歌(K0)

 3-019-037 歌(K0)

 3-019-353 歌(併せてI0)

 3-019-403 歌(K0)

の4 首だけです。このうち3-019-353 歌だけは「はらへ等」表記もあり、I0 のイメージの歌でした。

④ なお、この12 首のうち、屏風歌(屏風絵の料)と詞書で明記している歌が9 首、入集した『新古今和歌集』の詞書で屏風歌と明記しているのがこのほか1 首あります。そのほかの歌も、『貫之集』の構成から屏風歌として詠まれた歌と判断でき、「たつた」の検討で示した屏風歌・障子歌であったとする推定の基準の仮説に照らすと、12 首すべてが屏風・障子の為に詠まれた歌となります。

⑤ イメージ別にみると、
・イメージI0 の歌は 1 首 3-019-353 歌(併せてI0)のみである。但し留意すべきことがあるので、後述する。
・イメージK0 の歌は 7首ある。このうち3-019-037 歌の理解を後述する。
・イメージがA12orC11 の歌が、1 首ある。この歌(3-019-539歌)の現代語訳は後述する。
・イメージ表外の歌は「こまひき」と詞書のある1 首である(3-019-366 歌)。地名が並んだための「はらへ」表記となっている。
・そもそも「みそき」表記等がない歌が2 首ある(3-019-415 歌 3-019-484 歌)。

などを指摘できる。
⑥ 貫之は、屏風の歌として詠んでいるので、歌題が、「六月はらへ」とか「夏かぐら」とか「夏」とか「はらへしたる所」と与えられ、季節でいうと旧六月が多い。わずかに歌題不明の歌が2 首あるだけであり、そのためイメージK0 の歌が多くなっています。

 別の見方をすると、「みそき」表記などは、四季の歌ではほかの時期に用いることなく、恋の歌でも用いることがほとんど用いない作歌態度を貫之はとっていた、ともいえます。
⑦唯一、イメージI0 として用いられていると推定された3-019-353 歌は、課題が不明の歌のひとつです。『新編国歌大観』は、この歌を収載にあたり、底本とした陽明文庫本にもないものの誤脱歌と推定して他本から補った歌としている歌の一つです。『貫之集』の巻一から巻四までがこの歌以外は明らかに屏風歌あるいは障子絵の歌であるので、この歌も屏風・障子の為に詠まれた歌と歌集編纂者かあるいは書写した者は理解したのだと推定できます。
田中喜美春・田中恭子両氏は、3-019-353 歌を「薄情なあの人をきっぱり忘れ忘れようと、祓えをしてみたけれど(川で身を清めたけれど)みそぎの甲斐もなく恋しさがつのったことだ。」と現代語訳しています(『私歌集全釈叢書20 貫之集全釈』(田中喜美春・田中恭子著 風間書房 1997/1)。
 屏風の絵などがどのようなものであるかが伝っていないので、祝いの席の屏風に相応しいかどうか、及び屏風・障子の為に詠まれた歌かどうかの確認ができません。貫之の歌であることの確認もままなりませんが、とにかく『貫之集』記載の歌であるので、貫之の生きていた時代の歌であろうということだけで今「みそき」表記の検討の対象にしておきます。
 この歌の「はらふ」は「祭主として祈願をする」行為全体、「みそぐ」はその祈願の儀式のなかの一場面の行為と理解できます。
⑨ 課題が不明の歌のもうひとつは、3-019-529 歌です。この歌は、歌に「夏この歌は、歌に「夏ばらへする」としており、これは、ここでいう夏越しの祓の別名です。島田智子氏は「作詠時点は天慶6 年(943)4 月。尚侍貴子四十賀屏風。」としています(『屏風歌の研究 資料編』( 2009))。
⑩ 3-019-37 歌(K0)は、「延喜十四年十二月女四宮御屏風のれうのうた、ていじゐんの仰によりてたてまつる十五首(29~43)」のうちの「夏」と詞書のある歌です。住之江という禊をするのに適している地で「みそぎ」していますので、旧六月の絵の屏風を仮定して、その「みそぎ」を夏越しの祓と今回整理しましたが、朝廷の公的儀式で「住之江」に出向いたところの絵も考えられます。
 何れにしても、この歌は、お祝いの席を飾る屏風の歌であるので、住之江のもうひとつの名物である忘れな草もついでに詠っていますが、「みそぎ」を行う目的とは関係ない事柄であると整理しました。

 

⑪ 3-019-539 歌(A12orC11)は、「同じ八年二月うちの御屏風のれう廿首(536~545)」のうちの1 首で「はらへ」と歌題が与えられています。

 田中喜美春・田中恭子両氏は、3-019-539 歌を「冷淡なあの人の薄情な心をこの川の浮いている波にことよせて祓え清めてやることだ。」と現代語訳しています(『私歌集全釈叢書20 貫之集全釈』(田中喜美春・田中恭子著 風間書房 1997/1)。
 夏越しの祓という行事ではなく、「あの人の薄情な心を」「祓え清める」という行為と捉えていますので、何かを祈願するというよりも、あの人が薄情な心とさせている穢れを祓え清める、の意と理解できます。そうすると、これは、波にことよせているので、A12 またはC11 と整理できます。

このため、この歌の「はらへ等」表記のイメージは、A12 またはC11 と見なします。(なお、このような詠いぶりの歌も屏風歌として可能であることには、違和感を感じます。)

⑫ このような『貫之集』における「みそき」表記等の用い方をみると、3-019-539 歌も「祭主として祈願をする」(I0)イメージではなく、祈願の歌もありますが、恋にからむ祈願の意の「みそき」表記は、主流にはなっていない、ということが分かりました。
⑬ なお、3-019-539 歌については、田中喜美春・田中恭子両氏の説以外の理解もあり得ます。

 歌題(詞書)は、「はらへ」であり、よくある「六月はらへ」ではないので、屏風の絵は、月並屏風の旧六月の場面ではなく、名所を描いた一連の屏風の一つであるという理解です。例えば、歌題の「はらへ」にかかわる名所としては、からさきや住之江やあすか(かは)などが、あります。

 いずれにしても、祝いの場面を飾る屏風の歌なので、「あの人の薄情な心を」「祓え清める」という行為を詠っているという理解以外の理解を試みる価値があると思います。 
⑭ 一般に、祓をするのには罪を人形に移します。「うき人」の罪を移した人形が作中人物の手元にあるはずもありません。
3-019-539 歌は、次のとおりです。
   うき人のつらき心を此川の浪にたぐへてはらへてぞやる

 初句~二句は、「私の気持ちを重くさせるつらい人に対して、心苦しく思っている私の心を」と現代語訳できます。

 この「つらき心」を、「はらへ(てぞ)やる」とこの歌は詠っています。

 「て」は接続助詞で、活用語の連用形につくので、「はらふ」という動詞が下二段活用の他動詞とわかります。

 「やる」が補助動詞であるならば「動作が進む意」より「動作を遠くまで及ぼす意」のほうが妥当です。そうであると、「はらふ」の意は、「祓う」より「払う」意ではないか。
⑮ その場に居ない人の心を、「祓う」のが屏風に添える歌としてふさわしいとは思いません。
「つらき心」とは、自分の断ち切れない気持ちをさし、「たぐへて」とは必ず遠ざかる波に強制的に連れてさってもらうことをさしています。
 このような理解も、出来ます。
 次回は、三代集の「みそき」表記の歌で、よみ人しらずの歌について、記します。
 ご覧いただき ありがとうございます。(上村 朋)

 

 

わかたんかこれの日記 万葉のみそぎも祈願 三代集は

2017/8/3 前回、「越中守の造酒歌」と題して記しました。

 今回は、「万葉のみそぎも祈願 三代集は」と題して、記します。

万葉集』の「みそき」表記等の検討対象歌6首を比較検討したのち、三代集の「みそき」表記等の歌を抽出します。

 

1.万葉集』の「みそき」表記等の歌の総合的検討

① 『萬葉集』の6首について、ここまでの検討結果を、「みそき」表記と「はらへ等」表記についてまとめると、次の表のようになります。

表  『萬葉集』での「みそき」表記・「はらへ等」表記のイメージ一覧(2017/8/3現在)

歌番号等

対象の表記

罪が前提

穢れが前提

罪穢れ不問

2-1-423

「みそき」

 

 

I0

2-1-953

「はらへ」

 

 

B0

2-1-953

「みそき」

 

 

A0

<2-1-953>

<「みそき」&「はらへ」>

 

 

 <I0>

2-1-2407

「みそき」

 

 

I0

2-1-629

「みそき」

A11orB11orC11

 

 

2-1-629イ

「みそき」

A11orB11orC11

 

 

2-1-4055

「(いひ)はらへ」

 

 

I0

1)歌番号等は、『新編国歌大観』による。

2)イメージに関するA0,A11等は、2017/7/zzの日記記載の「現代語訳の作業仮説の表」による整理番号である。

3)検討の際、訳に使用している現代語のみそぎ(禊)の意は、「その行為を、川などで水を浴びるという民族学的行為と捉え、それにより霊的に心身を清めることとなる行為をいうものとする」である。

4)検討の際、訳に使用している現代語のはらえ(祓)の意は、「その行為を、(神道における)神事と捉え、それにより霊的に心身を確実に清めることとなる行為をいうものとする」である。

5)罪とは、「道徳あるいは宗教上、してはならない行い」の意である。

6)穢れとは、「不浄なものと観念したもので、「日本における共同体で、本来の状態から不安を感じる状態にかわり不浄と認定されたとき生じているもので、一定の霊的な手段を講じて無くすべきもの・身から離すべきものと、信じられていたもの」の意である。

 

② 『萬葉集』の「みそき」表記のある歌5首において、罪を前提にしている歌が2首しかなく、3首は罪や穢れを不問とした形で用いられている。

その罪を前提にしている歌2首(2-1-629歌と2-1-629イ歌)は、同一の題で同一の作者で、みそぎをする場所が異なるだけの歌であり、一方が他方の異伝歌と言える歌群です。その歌での「みそき」表記の意味は、2017/7/17の日記記載の「現代語訳の作業仮説の表」におけるA11orB11orC11です。

なお、

A11:「みそき」表記の意は、その罪に対してみそぎ(または略式のみそぎ)をする

B11:「みそき」表記の意は、その罪に対してはらいをする

C11:「みそき」表記の意は、その罪に対してみそぎ(または略式のみそぎ)をし、・・・はらいをする

 このうちのどれか一つに検討したが絞れ込めなかった、のが orの意である。

③ 罪や穢れを不問とした形の残りの3首は、2首(2-1-423歌と2-1-2407歌)が同表のI0の意であり、残りの1首(2-1-953歌)が、「はらへ等」表記もある歌で、同表のA0の意(同歌の「はらへ」表記はB0)であり、並記していることにより、祭主として祈願する意(I0)の意となっているとみなせる歌です。

  なお、

  I0「みそき」表記の意は、祭主として祈願する

  A0「みそき」表記の意は、罪やけがれなどから心身を霊的に清める。水使用(浴びなくともよい)。

   B0「はらへ」表記の意は、罪やけがれなどから心身を霊的に清める。はらいを行う。)

 

④ 萬葉集』の「はらへ等」表記のある歌は2首であり、その1首(2-1-953歌)は、上記③の通りであり、もう1首(2-1-4055歌)は、「いひはらへ」表記をし、この表記において、同表のI0の意です。

⑤ 結局、6首のうち4首が、I0の意で用いられています。罪や穢れの意識より祈願を意識している歌になっています。4首のうち作者がよみ人しらずの歌は1首(2-1-2407歌)だけでした。

そして残りの2首は、罪を意識している歌です。作者が明らかな歌です。

 このように、『萬葉集』において、すでに、「みそき」表記は、「みそぎをしてその神の接遇をする資格又は許しを得る」(A13)の意で用いられる例はありませんでした。

⑥ 「はらへ」表記の歌は、953歌一首のみが結局検討対象に残っただけなので、「はらへ」表記一般についてのコメントは差し控えます。

⑦ 「みそき」表記検討対象の歌の作詠時点の推計は、423歌の「723年以前」から4055歌の748年以前」であるので、30年に満たない期間です。700年代早くから「みそき」表記は「祭主として祈願をする」(I0)の意で用いられていたのではないか、と言えます。

政治を担う中心の氏族は、700年代も『古今和歌集』の歌人たちの時代も同じであり、世の中も政争は激しかったとしても『万葉集』でみられた「みそき」表記に関する傾向は古今集歌人にも引き継がれていると予想できます。

 

2.三代集で「みそぎ」表記や「はらへ等」表記のある歌

① 1-01-995歌の初句「たがみそき」表記の意味を検討するため、「みそぎ(禊)」ということばの同時代的な使い方の特徴を探るべく、1-01-995歌の詠われた時代とその直後と思われる時代の歌として三代集所載の歌を取り上げます。

② 萬葉集』と同様に、『新編国歌大観』所載の三代集から、句頭に「みそき」表記のある歌と句頭に「はらひ」又は「はらふ」又は「はらへ」表記のある歌を抽出します

その結果が、次の表です。検討対象となった歌は重複を除いて21首ありました。作詠時点の推定は、2017/3/31の日記記載の「作詠時点の推計方法」に従っています。

この21首中の、「みそき」表記と「はらへ等」表記について、先の「現代語訳の作業仮説の表」を基本にして検討した結果をも記載しました。なお、その表中の「和歌での「みそき」表記のイメージ」を「和歌での「はらへ」表記のイメージ」と読み替えて適用しています。

表 三代集における「みそき」と「はらへ等」表記の歌(三代集間の重複歌を除く) (2017/8/3現在)   

作詠時点

巻番号

歌集番号

歌番号

詞書

表記1

表記2

巻名 部立

「みそき」「はらへ等」表記のイメージ

849以前:よみ人しらずの時代

1

1

501

題しらず

恋せじとみたらし河にせしみそぎ神はうけずぞなりにけらしも (読人しらず)

みそぎ

 

巻十一恋一

祭主として祈願する(I0)

849以前:よみ人しらずの時代

1

1

995

題しらず

たがみそぎゆふつけ鳥か唐衣たつたの山にをりはへてなく (よみ人しらず)

みそぎ

 

巻第十八 雑歌下

保留

905以前:古今集

416

かひのくにへまかりける時みちにてよめる

夜をさむみおくはつ霜をはらひつつ草の枕にあまたたびねぬ(つねみ)

 

はらひつつ

巻九羈旅歌

払う(N0)

905以前:古今集

1

1

733

かへし

わたつうみとなりにしとこをいまさらにはらはばそでやあわときえなむ(伊勢)

 

 

はらはば

恋三

払う(N0)

905以前:後撰集よみ人しらず

1

2

162

返し

ゆふだすきかけてもいふなあだ人の葵てふなはみそぎにぞせし (よみ人しらず)

みそぎ

 

巻第四 夏

形代を流す(B11)

905以前:後撰集よみ人しらず

1

2

215

みな月ばらへしに河原にまかりいでて、月のあかきを見て

かも河のみなそこすみててる月をゆきて見むとや夏ばらへする (よみ人しらず)

 

夏ばらへ

巻第四 夏

民間行事の夏越の祓(K0)

905以前:後撰集よみ人しらず

1

2

275

同じ御時きさいの宮の歌合わせに

秋の野の露におかるる女郎花はらふ人なみぬれつつやふる (よみ人しらず)

 

はらふ

第五秋中

払う(N0)

905以前:後撰集よみ人しらず

1

2

478

題しらず

よをさむみ ねさめてきけは をしそなく はらひもあへつ しもやおくらん(よみ人しらず)

 

はらひもあへつ

巻第四 冬

払う(N0)

905年以前:後撰集よみ人しらず

2

770

人のもとにまかりて、いれざりければすのこにふしあかして、かへるとていひいれ侍りける

夢じにもやどかす人のあらませばねざめにつゆははらはざらまし(よみ人しらず)

 

はらはざらまし

巻十一 恋三

払う(N0)

905年以前:後撰集よみ人しらず

1

2

771

返し

涙河ながすねざめもあるものをはらふばかりのつゆやななになり(よみ人しらず)

 

はらふばかり

巻十一 恋三

払う(N0)

921以前:延喜20年

1

2

216

みな月ふたつありけるとし

たなばたはあまのかはらをななかへりのちのみそかをみそぎにはせよ (よみ人しらず)

みそぎ

 

巻第四 夏

民間行事の夏越の祓(K0)

924以前:躬恒生存

1

3

133

題しらず

そこきよみ なかるるかはの さやかにも はらふることを かみはきかなん (よみ人知らず)

 

はらふること

巻第二 夏

民間行事の夏越の祓(K0)

934以前:承平四年

1

3

293

承平四年 中宮の賀し侍りける屏風

みそぎして思ふ事をぞ祈りつるやほろづよの神のまにまに (藤原伊衡)

みそぎして

 

巻第五 賀

神々の接遇の資格(A13 orB13orC12)

955以前:拾遺集よみ人しらず

1

3

292

題しらず

みな月のなごしのはらへする人は千とせのいのちのぶといふなり (よみ人しらず)

 

はらへ

巻第五 賀

民間行事の夏越の祓(K0)

955以前:拾遺集よみ人しらず

1

3

1291

服(ぶく)ぬぎ侍るとて

ふぢ衣はらへてすつる涙河きしにもまさる水ぞながるる (よみ人しらず)

 

はらへて

巻第二十 哀傷

喪明けの「はらへ」(L0)

983以前:恒徳公家障子

1

3

594

恒徳公家障子

おほよどのみそぎいくよになりぬらん神さびにたる浦のひめ松 (源兼澄)

みそぎ

 

巻第十 神楽歌

朝廷の儀礼(伊勢の斎宮のはらへ)(表外)

990以前:歿

1

3

254

冷泉院御時御屏風に

人しれず春をこそまてはらふべき人なきやどにふれるしらゆき(かねもり)

 

はらふべき

巻第四冬

払う(N0)

995以前:粟田右大臣逝去

1

3

595

粟田右大臣家の障子に、からさきに祓したる所にあみひくかたかける所

みそぎするけふからさきにおろすあみは神のうけひくしるしなりけり (平祐挙)

みそぎする

 

巻第十 神楽歌

民間行事の夏越の祓(K0)

997以前:拾遺抄成立

1

3

134

題しらず

さはへなす あらふるかみも おしなへて けふはなこしの はらへなりけり (藤原長能

 

はらへなり

巻第二 夏

民間行事の夏越の祓(K0)

997以前:拾遺抄成立⑫

1

3

662

大嘗会の御禊に物見侍りける所に、わらはの侍りけるを見て、又の日つかはしける

あまた見しとよのみそぎのもろ人の君しも物を思はするかな (寛祐法師)

とよのみそぎ

 

巻第十一 恋

朝廷の儀礼(大嘗会のための天皇のはらへ)(表外)

1005以前:拾遺集

1

3

1341

おこなひし侍りける人の、くるしくおぼえ侍りければ、えおき侍らざりける夜のゆめに、をかしげなるほふしのつきおどろかしてよみ侍りける

 

あさごとにはらふちりだにあるものをいまいくよとてたゆむなるらむ(実方朝臣

 

はらふちりだに

第二十哀傷

払う(N0)

 

 

 

 

21首(重複歌を除く)

 

 

 

1)歌番号等は、『新編国歌大観』による。

2)イメージに関するA0,A11等は、2017/7/17の日記記載の「現代語訳の作業仮説の表」による整理番号である。「表外」とは同表にない現代語訳、の意であり、すべて朝廷の特定の儀礼を言う。

3)「はらへ」表記に関しては、同表中の「和歌での「みそき」表記のイメージ」を「和歌での「はらへ」表記のイメージ」と読み替えて適用している。

41—01-995歌は分類を「保留」とした。今後検討する。

5)作詠時点の推定は、2017/3/31の日記記載の「作詠時点の推計方法」に従う。

 

③ 推定した作詠時点は、849年以前から1005年以前の約150年間です。

一番古い歌が1-01-501歌と1-01-995歌のよみ人しらずの歌2首であり、『萬葉集』所載の最後の歌(2-01-4055歌)の作詠時(748年以前)から約100年経ています。

④ 「みそき」表記の歌は、8首ありました。但し、『新編国歌大観』における重複歌除く。作詠時点の早い順に並べると、次のとおり。

   1-01-501歌 1-01-995歌 1-02-162歌 1-02-216(ここまでの4首はよみ人しらず)

1-03-293歌 1-03-594歌 1-03-595歌 1-03-662歌 (この4首は作者名あり)

 作詠時点が、849年以前の歌から997年に及びます。

⑤ 「はらへ等」表記の歌は、13首ありました。但し、『新編国歌大観』における重複歌除く。作詠時点の早い順に並べると、次のとおり。

  1-01-416 1-01-733歌 (この2首は作者名あり)  

1-02-215歌 1-02-275歌 1-02-4781-02-770歌 1-02-771歌  1-03-133歌 

1-03-292歌 1-03-1291歌 (この8首はよみ人しらず)

1-03-254歌 1-03-134歌 1-03-1341歌(この3首は作者名あり)

作詠時点が、905年以前の歌から1005年に及びます。

 

⑥ これらのうち、「みそき」表記と「はらへ等」表記が重なった歌は、一首もありません。

 この表をみると、I0のイメージは「みそき」表記で1首しかなく、「みそき」「はらへ等」表記が混在しているのがK0のイメージ(民間行事の夏越しの祓)です。「はらへ等」表記では、N0のイメージ(祓に関係ない払う等)が一番多く8首あります。

⑧ 次回は、三代集の各歌の検討をし、比較検討します。

 御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)