わかたんかこれ  猿丸集第47歌その2 あふさかのゆふつけ鳥

前回(2019/7/22」、「猿丸集第47歌 その1 失意逆境の歌か」と題して記しました。

今回、「猿丸集第47歌その2 ふさかのゆふつけ鳥」と題して、類似歌に関して記します。(上村 朋)

. 『猿丸集』の第47 3-4-47歌とその類似歌

① 『猿丸集』の47番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 3-4-47歌  あひしれりける女の、人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける

   たがみそぎゆふつけどりかからころもたつたのやまにをりはへてなく

 

その類似歌は、古今集にある1-1-995歌です。

題しらず      よみ人しらず

   たがみそぎゆふつけ鳥か韓衣たつたの山にをりはへてなく

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、まったく同じです。

③ それでもこれらの歌は、趣旨が違う歌です。この歌は、男が昔知っていた女を誘っている歌であり、類似歌は、男が逢えない状況を打開しようとしている歌です(今回の検討で、この歌に「昔知っていた」(女)を加え、類似歌では「予測」を改めました)。

 

2.~7.承前

(最初に、類似歌を当該歌集の配列から検討した。類似歌の前後10首を検討し、巻第十八は失意逆境の歌群であることを前提に、1-1-993歌~1-1-996歌(未検討の1-1-995歌は保留)は、執着の姿勢あるいは希望を詠う、失意逆境脱出の歌群とみなせた。また、1-1-994歌と1-1-995歌の作詠時点でもある古今集よみ人しらずの時代における「たつた(の)山」の意を確認した。)

 

8.類似歌の現代語訳の例

① 類似歌1-1-995の前後の配列上の検討が終わったので、次に類似歌について、検討します。

最初に、類似歌について、諸氏の現代語訳の例を示します。

「あれは木綿つけ鳥(鶏)であろうか、立田山にながながと鳴きつづけているが。」久曾神昇氏『古今和歌集』(講談社学術文庫

「「ゆふつけ」鳥という名がついているからには「木綿」(ゆふ)を付けているのだろうが、いったい誰のみそぎの木綿を付けた鳥が、あのように竜田の山に、時節到来とばかり鳴くのか。」(竹岡正夫氏『古今和歌集全評釈』(右文書院1983補訂版))

② 久曾神氏は次のように指摘しています。

A たがみそぎ」とは、だれのみそぎの木綿(ゆふ)であるか、の意。次の「ゆふつけ鳥」にかかる枕詞。

B 「からころも」(唐衣)とは、衣を裁つ意で、「たつた」にかかる枕詞。

C 「たつたの山」とは、立田山。大和国河内国との交通路に当たる山。

D 「をりはへて」とは、長くひきのばしての意。

E 「ゆふつけ鳥」とは、祭礼のときに木綿(ゆふ)をつけた鳥の意で、鶏をいう。『俊頼髄脳』『綺語抄』『和歌童蒙抄』『袖中抄』などをはじめ、平安時代の歌学書などに諸説が見える。・・・四境祭によって鶏の異名となったと見るのがよかろう。闘鶏の時に木綿をつけたとか、白い尾長鶏とする説もあるが、古歌の歌詞から見るに鶏とするのがよい。

③ 竹岡氏は、次のように指摘しています。

A 1-1-994歌が「風吹けば沖の白波立つ=竜田山」と言葉の上での序があったのを受けて、同様に「誰がみそぎ木綿付け=夕つけ鳥」と言葉の上だけの序を置いている。

B 1-1-994歌で「君が一人越ゆらむ」とある、その「君」がこの歌では今、一人で竜田山を越えていて、夕つけに鳴く鳥の声を聞いてこの歌を詠んでいる趣にもなっている。

C 「唐衣」は、「たつ(裁つ)」の枕詞であるが同時に上の「みそぎ」、「木綿(ゆふ)」と縁があるのであろう。「禊」で「木綿」の「衣」を着用するのである。

D 「夕つけ」を「木綿付け」と見立てたのは、竜田山の神厳な雰囲気から思いつかれたものであろう。

E (古今・後撰の)ゆふつけ鳥」は、「夕つけ」(夕方)に鳴く鳥の意。なく鳥の種類は、各歌(の場面場面)により推測。ここでは、「夕つけ(夕がた)」に鳴く鳥のこと。逢坂の関などには鶏が飼われていたようであるから、その鶏のことを言っているのであろうが、竜田山では・・・夕方になると鳴く鳥の類かとも考えられる。

F 二句の「ゆふつけ鳥か」の「か」は、「誰が・・・か・・・」と詠う歌の例よりみて末尾の「鳴く」と係り結びの関係にある。この歌は「ゆふつけ鳥」が主語である。

G 「みそぎ」とは、川原などで水によって身を浄め、罪や穢れを祓い落すことをいう。(1-1-501歌の釈において)

なお、竹岡氏は、「たつたやま」について語釈していません。その位置を図に示しています(現在の龍田大社付近の図)。

⑤ 2例の現代語訳をみると、次の点が疑問です。

第一 『古今和歌集』巻十八雑下の部の歌は、失意逆境の歌群(久曾神氏)というが、どのような点でそれを認めているのか

第二 歌の中で主役となっているとみえるゆふつけ鳥が、「ながなが鳴い」たり「時節到来とばかり鳴く」のは何を言わんとしているか示唆もない

第三 「ゆふつけ鳥」と「あふさか(山)」の関係を不問にしている

第四 「たつた山」のイメージが、前回(2019/7/22付けのブログ)検討した結果とだいぶ異なる

第五 三句「からころも」に加え初句「たがみそぎ」も省いて現代語訳している例があるが、31文字しかない和歌において、5字も10字も省いても意が通じる場合もあるものの、この歌ではいかがか

⑥ ここまでの『猿丸集』の検討は、和歌の表現は伝えたい事柄に対して文字を費やすものである、という考え、和歌集の撰者は、自らの意図で歌を取捨選択し歌集を作っていること(その和歌集における歌の意図と元資料の作者の意図とは別であるということ)、を前提として行ってきました。

それにより、各歌の理解が十分出来、その前提を認めない場合の歌の理解は、その歌集に置かれた歌としては不十分であることが多々ありました。

だから、用いている語句に関して当時の用例に基づき得た成果を踏まえ、この歌も、この前提で検討をしたいと思います。

 

9.歌の語句の当時のイメージ みそぎ

① 類似歌1-1-995歌に用いられている語句で一度検討した語句は、次のとおりです(付記1.参照)。

初句にある、みそぎ

二句にある、ゆふつけ鳥

三句にある、からころも

四句にある、たつたの山

五句にある、をりはへて

たつたの山やゆふつけ鳥と関係が深い、あふさか(山)

② 「当時」とは、1-1-995歌が詠まれたと推定している時点、即ち『古今和歌集』のいわゆる「よみ人しらずの作者の時代」を指します。『古今和歌集』の編纂者の活躍した時代がこの後に続いています。「当時のイメージ」とは、その語句について当時の歌人の共通理解を言います。その語句のイメージは、当然次の時代にも引き継がれますし、その語句にはあらたなイメージ、派生したイメージが付加されたり、状況の変化で一新している場合もあります。

そのため、次の時代である『古今和歌集』の編纂者の活躍した時代のイメージも比較のため、ここに改めて確認をすることとします。

③ 語句ごとに検討します。

初句にある「みそぎ」という語句を用いた『萬葉集』歌は、『新編国歌大観』において5首あり、「祭主として祈願する」意が3首、「罪に対してはらいをする」意が2首でした。

「はらへ等」の語句を用いた『萬葉集』歌は、4首あり、「祭主として祈願する」意が1首、及び「羽を羽ばたく」「治める・掃討する」意が3首でした。

合計9首すべて701年~750年の間に詠まれた歌です。(付記2.の①参照)

④ 「みそぎ」の意が、「祭主として祈願する」ということは、「祭主として祈願する」ことがメインの行為(あるいは行事)の略称として、最初に行うところの霊的に心身を清める行為(狭義の「みそぎ」)の通称「みそぎ」を用いている、ということです。メインの行為(あるは行事)については、歌や詞書で判断することになりますので、「みそぎ」の意はいくつもあることになります。少なくとも、和歌にみる「みそぎ」とはメインの行為の略称の場合があるということです。

「祭主として祈願する」場合、それを含む一連の宗教的あるいは民俗的行事とは、行う場所(祭場)を用意し霊的に清め、供物を用意し、狭義の「みそぎ」を済ませた者が、神の接遇する資格・許しを得」た後、何らかの祈願をする宗教的行為をし、これまでの一連の行為の終了を神に告げ、その場所の霊性を除くまでを言います。直会を含む場合も簡略化している場合もあります。

一般に「祭主として祈願する」場合は、水辺における祭場を必須としている訳ではありません。

狭義の「みそぎ」とは、現代においては、水を用いる場合が多く、(神道式の)幣ではらってもらうことを含める場合があります。

⑤ 次に、三代集で「みそぎ」という語句を用いた歌は8首あります。(付記2.の①参照)

作詠時点が801年~850年と推計した歌は、2首あり、「祭主として祈願する」意の歌が1首(1-1-501歌付記2.の②参照)と類似歌1-1-995歌です(その意を今は保留します)。

851年~900年の歌は、ありません。

901年~950年の歌は3首あり、「罪に対してはらう」意と「民間行事の夏越しの祓と言う行事」の意と「神の接遇する資格・許しを得る」意が各1首です。

951~1050年の歌は3首あり、「民間行事の夏越しの祓と言う行事」の意が1首と「朝廷の特定儀礼」の意が2首です。「祭主として祈願する」意の歌はありません。

三代集で「はらへ等」と言う語句を用いた歌は13首あり、「民間行事の夏越しの祓と言う行事」の意が4首と「喪明けのはらへ」の意が1首と、「羽ばたく等」の意が8首です。「はらへ等」と言う語句で「祭主として祈願する」意の歌はありません

⑥ これから、「みそぎ」という語句のイメージは、付記2.の①の表にあるように701年~750年の間の「祭主として祈願する」意および「罪に対してはらいをする」意のみから、901年~950年には、「民間行事の夏越しの祓と言う行事」の意が加わり、951~1050年には「朝廷の特定儀礼」の名にもなった、という拡大をみることができます。

「罪に対してはらう」意は「神の接遇する資格・許しを得る」意とともに自らの穢れを落とすという意が通底にある行為であり、また、「民間行事の夏越しの祓と言う行事」の行為の基本には「罪・穢れを払いおとす・身から遠ざける」行為があります。

なお、『貫之集』をみると、「みそき」表記の歌が3首あり、「はらへ」表記の歌5首とともにいずれも屏風歌でかつ「民間行事の夏越しの祓」を意味しています(付記4.参照)。 また「みそく」と「はらふ」と表記のある歌が1首(3-19-353歌)は、「祭主として祈願する」意です。これらはすべて作詠時点は901~950年です。

⑦ 1-1-995歌の推計作詠時点は、801年~850年ですので、その当時の「みそぎ」という語句のイメージは、『萬葉集』歌以来の「祭主として祈願する」の意の「みそぎ」が主流であった、と思われます。

⑧ この歌のように「みそぎ」とゆふつけ鳥」と言う語句が共に用いられている歌は、『新編国歌大観』全体では10首しかありません。勅撰集には「たがみそぎ ゆふつけ鳥か・・・」と詠うこの類似歌1-1-995歌しかなく、3-4-47歌を除くと年代順には『壬二集』にある3-132-732歌(1215年の順徳院名所百首における詠)がその次に詠まれています。

 

10.歌の語句の当時のイメージ ゆふつけ鳥

① 「ゆふつけ」あるいは「ゆふつくる」と表記した歌は、『新編国歌大観』記載の歌では、採用した推計方法の限界から作詠時点が849年以前としか推計できない次の3首が最古の歌であり、清濁抜きの平仮名表記でみると、みな「ゆふつけとり」表記です。

1-1-536歌 相坂のゆふつけどりもわがごとく人やこひしきねのみなくらむ

1-1-634歌 こひこひてまれにこよひぞ相坂のゆふつけ鳥はなかずもあらなむ

1-1-995歌 たがみそぎゆふつけ鳥か唐衣たつたの山にをりはへてなく

このように、『萬葉集』には「ゆふつけとり」表記の歌がありません。

② この3首を含めて、「ゆふつけ」あるいは「ゆふつくる」と表記した歌は、1050年までには一旦終焉しました。この間に22首あります。この22首には、鳥が「なく」行為を詠んでいる歌が16首あります。「なく」とは、歌の本文に「なく(鳴く)・告ぐ・こゑたつ・きこゆ・ひと声」の表現がある、という意です。

③ この16首を、作詠時点順にみると、「なく」時間帯と「ゆふ」に掛る詞に変遷があります。

第一に、最古の歌から923年以前と推計した歌(5-417-21歌)までの7首は、時点が不明か夕方に「なく」歌であり、そしてすべて「ゆふ」表記に夕方の意が掛かっていて不合理ではありません。そして「ゆふつけとり」のみの表記が「あふさかのゆふつけとり」の意と決めかねる歌は、「あふさか」表記のない1-1-995歌だけです。さらに、「あふさかのゆふつけとり」は、季節を気にせず鳴き続けています。

また、作中人物は「逢ふ」前の(あるいは逢えると信じてよい)時点で、詠っています。但し、1-1-995歌を留保します。

第二に、8番目に古い943年以前と推計した1-10-821歌と9番目の951年以前と推計した歌5-416-188歌は、暁に「なく」歌であり、歌の鳥の名に夕方の意を掛けているのは不自然です。そしてこの2首における「ゆふつけ」(鳥)は、「あふさかの」と形容されていません。

1-10-821歌は、歌合における 「暁別」 と題する歌であり、その題から鳥の「鳴く」時間帯が作者にとり所与のものであったことが分かります。だから、ゆふつけ鳥が初めて暁に鳴いた歌となり、積極的に「あふさかの」という形容を「ゆふつけとり」にしなくなった最初の歌でもあり、「ゆふつけとり」と表記した後朝の朝おくる歌としても最初の歌です。また、『大和物語』119段の5-416-188歌も、歌に「暁」と「なく」を明記してある歌です。

1-10-821歌 『続後撰和歌集』 兵部卿元良親王家歌合に、暁別   よみ人しらず

したひものゆふつけ鳥のこゑたててけさのわかれにわれぞなきぬる

5-416-188歌 『大和物語』 149段 (直前の地の文)えあふまじきことやありけむ、えあはざりければ、かへりにけり。さて、朝に、男のもとよりいひおこせたりける。

あか月はなくゆふつけのわびごゑにおとらぬねをぞなきてかへりし

第三に、10番目となる955年以前と推計した1-2-982歌以降は、7首のうち3首が、暁に「なく」歌であり、かつ作中人物が「逢ひて」後の時点の状況を詠っており、そしてその3首は「ゆふ」表記に夕方の意が掛かっているのは不自然であったり、「夕」の表現をわざわざするという工夫を凝らしています。

④ 「ゆふつけ」表記に含意する詞は、最古の歌の「夕べ」から始まり、1-10-821歌で「結ふ」、(967以前の作詠時点と推計した)3-23-26歌で「木綿」(ゆふ)が加わりました。「ゆふつけとり」は、1-10-821歌以降、暁に鳴く鶏の意が定着してゆきます。

⑤この1-1-995歌の作詠時点の頃及び『古今和歌集』編纂時は、上記③の第一の時期に該当し、「ゆふつけとり」表記は、原則「あふさかのゆふつけとり」を意味しており、その日の夕方以降「逢う」ことを期待した意を含意した(期待を込めた)夕方に鳴いている鳥の意であり、鶏という限定はありません。

しかし「あふさか」という地名との関係が不明なのが1-1-995歌です。

⑥ 「あふさかのゆふつけとり」と11文字も費やすのですから、(作者であり、鑑賞者でもある)歌人たち共通の認識があったはずです。そして略称が作れなくて文字数をなかなか減らせなかったと思われます。

⑦ なお、「ゆふつけ」表記あるいは「ゆふつくる」表記の歌にはゆふつけ鳥を意味しない歌もあり、単に「夕べ」、「木綿を付ける」意の歌が各々1首、5首あります。

 

11.歌の語句の当時のイメージ からころも

① 「からころも」については、片岡智子氏が三代集を含めて検討した成果に基づいています。

② 700年代の「からころも」は、官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着耐用年数1年未満の材料・製法の衣も含む)を指します。

また、耐用年数が短いので親しいものがよく新調してあげる(裁つ場合もある)、ということになります。

③ 「からころも」を詠う歌は萬葉集』に7首あり、728年以前と推計する歌から755年以前と推計する歌までです。

「からころも すそ(裾)・・・」と詠う歌が4首、「からこもろ きみにうちきせ(着る)・きなら(着馴らす)・きなし」が3首あり、「たつたの山」に掛かる歌が1首あります。さらに今回確認すると3首は男が「からころも」を着ている状況を詠っています(2-1-2626歌、2-1-2690歌、2-1-4425歌)。

④ 「からころも」を詠う歌は三代集に39首あります。今回再検討すると次のように変わりました(付記3.参照)。

作詠時点の推計が850以前は5首、「からころも」の意は700年代と同じの歌が2首、それにからころも着用者の意を含ませた歌が1首、それに衣裳の意を含ませた歌が1首と、今検討対象の1-1-995歌です。

851年~900年は2首、「からころも」の意は700年代と同じが1首、単純に衣裳の美称の意の歌1首です。後者は、上記のような意から生まれるとは思えない意です。女性むけの外国産の衣(韓衣)を指しているのではないか。

901年~950年は24首、「からころも」の意は700年代と同じが9首、それに女性の意を含ませた歌が4首、それに着用者の意を含ませた歌が9首あり、衣裳の美称の意が1首、外来の服の意に女性の意を含ませた歌が1首です。

これは、「からころも」の意に、700年代の延長上に、着用者を指すことが増え、女性むけの外国産の衣(韓衣)の意が拡大した、ということになります。平安時代の女官の正装である上着の上に着る「からぎぬ」に連なると思えます。

951年~1000年が8首、「からころも」の意は700年代と同じが4首、それに着用者の意を含ませた歌が4首です。

着用者の意を含ませた歌の1例を示します。

後撰和歌集』 巻第十 恋二  1-2-622歌 女につかはしける       よみ人しらず

終夜ぬれてわびつる唐衣相坂山にみちまどひして

⑤ 「からころも たつたのやま」という表記のある歌は、『萬葉集』と三代集で5首あります。作詠時点順にいうと、

最初が2-1-2198歌(738年以前 巻十 秋雑歌 詠黄葉  よみ人しらず)、

次に1-1-995歌(849年以前 巻十八 雑  よみ人しらず)、

三番目以降は1-2-359歌(905年以前 巻七 秋  よみ人しらず)、1-2-383歌(905以前 巻七 秋  よみ人しらず)、1-2-386歌(945年以前 巻七 秋  つらゆき)です。

類似歌1-1-995歌以外の4首は、秋の紅葉を詠んでいます。この4首において、「からころもたつ」とは、「からころも」という衣(防寒用の外套)を所定の形に仕立てる(裁つ)意、となり、仕立てた衣を「たつたのやま」に見立てていることになります。そのため、季節感もあるものであり、毎年秋に新調されて、着馴れて結局着つぶしてしまう衣が、紅葉の山が出現しそして落葉の山へと移ることの比喩となり得ています。類似歌1-1-995歌は部立が雑の部にある歌であり「紅葉したたつたのやま」を詠んでいると断言できません。

⑥ また、「たつ」は、「裁つ・立つ・発つ・(噂が)起つ」などの意がある同音異義語ですが、「からころも」がもともと外套という衣類の一種であって「ころも」の総称・美称に容易に変容できたことから「たつ(裁つ)・裾・袖・衣・たもと」にも「からころも」は掛かるように(抽象化し枕詞的に)なっていっています。

⑦ これをみると、からころもの意は700年代と同じ意のみの歌が17首と4割を超えていますが、それに着用者の意を含めている歌が、850年以前からあり14首と4割近くあります。

 この結果、1-1-995歌が詠われた時代の「からころも」の意は、700年代と同じ意であり、それに着用者の意を含む場合もあるのが判りました。

『例解古語辞典』には「からころも」を立項し、枕詞のほか「からぎぬ」と同じとし「平安時代以後の女官の正装。」と説明していますが、そのような意に変わる以前の時代が、古今集のよみ人しらずの時代と言えます。

 

12.歌の語句の当時のイメージ たつた山

① 「たつた(の)山」については、前回の検討時に次のように確認しました。(付記1.参照)

② 「たつた(の)山」と詠う『萬葉集』の歌は作詠時点がみな700年代ですが、既に、阻む壁の意を強調し、「たつ」に「発つ」「起つ」を掛けて用いられており、「たつた(の)山」という実際の山地の名のほかにそれから離れて抽象的な・実際の所在地を問わない「たつたの山」として(逢うことを予想できる)相坂(山)ではないところの代表地名として万葉集時代に選びとられていたと思われます。

二人の仲を断つ(切り離す・隔てる)意をこめた「たつたの山」が家持作の2-1-3953歌にあります。

③ 『古今和歌集』のよみ人知らずの時代もそれを受け継ぎ、「あふさかやま」と対を成して、たつたの山も抽象化されてきていたのではないか。1-1-994歌においても、そのとおりでした。

④ なお、『古今和歌集』編纂者が活躍する頃、寝殿造りという建物における屏風の需要に対応して万葉集時代その山地の紅葉も詠われている(かつ平安京の西方にある)「たつた(の)山」の山中に、紅葉の映える河として「たつたかは」が創出され、その後その紅葉が「たつた(の)山」にも適用されました(但し、『古今和歌集』の歌には紅葉が詠われていません)。

 

13.歌の語句の当時のイメージ をりはへて

① 「をりはへて」と言う表記は、『萬葉集』にありません。

② 古今和歌集』の成立時点を905年とすると、この年以前に詠まれたと思われる歌の4首にこの表現があり、この「たがみそぎ・・・」の歌)1首だけでゆふつけ鳥がなき、ほかの3首ではほととぎすがなく、と詠まれています。

③ 三代集における「をりはへてなく」とは、一フレーズの時間が長いというよりも、飽きないでそのフレーズを繰り返している状況を指しています。「声ふりたてて」も同じ状況を指しています。

④ しかしながら、ブログ「わかたんかこれの日記 猿丸集からのヒントその1」(2017/11/20)で検討したように、三代集の連語の例のほか、「「をりはへて」の「をり」を、「居り」と「折り」、「はへ」を「延へ(て)」と「這へ(て)」とする理解があります。

例えば、「(たつたのやまに)居りつづけ(延へて)、鳴いている。」とか「(たつたのやまに)居り、心にかけて(延へて)、鳴いている。」とか、連語より、鳴く鳥の行動描写が細かくなります。今、「あふさかのゆふつけ鳥」が「たつたの山」に来て鳴かないのであれば、「鳴き方」の描写と割り切ってもよい、と思いますので、その場合は、連語のみの意として差支えないと思います。

⑤ このように、1-1-995歌の作詠時点の前後、「をりはへて」は同じ意です。

 

14.歌の語句の当時のイメージ あふさか(山)

① 萬葉集』に「あふさか」とある6首は、「あふさかやま」という表記が5首、「あふさかを(うちいでてみればあふみのみ・・・)という表記が1首です。そしてそのうち3首に「逢ふ」意を掛けています。「あふさかやま」の抽象化が始まっている、とみられます。

② 三代集の「あふさかのゆふつけとり」は、850年以前のよみ人しらずの時代から詠まれており。表記した歌5首すべてが「(貴方に)逢ふ」を掛けており、作中人物が「逢ふ」であろうと予測している時間帯の前に「ふつけとり」が鳴いています。つまり、夕方になって作中人物の感情の高まりを表わし、あるいは予祝をするように鳴いていると聞きなしています。

そして、901~950年に歌人は創意工夫して(あふに反するような)あふさかの関を詠み始めています。

③ また、「あふさか(の)やま」と表記された三代集記載の歌10首はすべてに「逢ふ」意が掛かっています。

③ 「あふさか」の景物と言う捉え方をすると、「山」は『萬葉集』の時代からあり、「ゆふつけとり」が、849年以前の1-1-536歌などで生まれ、その時代に、関も「しみつ」(清水)も生れましたが、関の流行は901~950年代です。

④ 1-1-995歌が詠われた頃も、『古今和歌集』の編纂時も、同じ意味合いでした。

 

15.類似歌について現代語訳を試みると その1

① 『古今和歌集』の配列と語句の検討を踏まえ、「題しらず」という詞書に従うと、類似歌1-1-995歌の現代語訳の前回の試み(2017/11/27のブログ)は誤りでしたので、改訳したい、と思います。

② 語句の意は、元資料の歌としては古今集のよみ人しらずの時代の意ですが、『古今和歌集』の歌ですのでその編纂者の理解している意となります。

③ この歌の文の構成をみてみます。

初句「たがみそぎ」の「たが」は連語であり、「誰が」または「誰の」の意です。

当時の「みそぎ」には、「(あふさかの)ゆふつけ鳥」など鳴く鳥の存在が必須ではないので、初句と二句は関係ない語句であり、別々の事がらを述べている(二つの文である)、と理解できます。

そうすると、この初句のみで、一文を成す疑問文です。

二句「ゆふつけ鳥か」の「か」は、終助詞あるいは疑問の助詞の係助詞です。終助詞と理解すると、この句のみで、一文を成します。係助詞と理解すると三句以下とともに一文を成す可能性があります。この場合、主語がゆふつけ鳥になり、「ゆふつけ鳥」と言う表現が「あふさかのゆふつけ鳥」の略称(いうなれば既に一種の歌語)と知っている者にとって、その鳥が「たつたの山」で鳴くと詠むのは常識外れです。『古今和歌集』の編纂者の時代もそうでした。だから、二句は三句以下とも別の独立した文である、ということになります。(この点が前回と異なります)

このため、「か」は終助詞であり、二句のみで一文をなします。

終助詞「か」は、体言などにつき、感動文、疑問文として気持ちを添える意があります。『明解古語辞典』には「感動を表わす「か」(の用例)は和歌に集中する」ともあります。

三句以下は、そうなると、明示されていない主語が「なく」という叙述を普通にしている文です。

以上の三つの文からこの歌は成る、とみることができます。

④ 各文ごとの検討を、次回、行うこととします

ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

3-4-47歌を中心に記します。

2019/7/29  上村 朋)。

付記1.語句検討の前提・経緯・結果を記すブログについて

① 1-1-995歌の疑問から始まった和歌検討の前提・経緯・結果は、「わかたんかこれの日記 ・・・」(2017/yy/zz)と題した上村 朋のブログに記してある。(自2017/3/24 2017/12/28

② それを今回再確認した結果、一部別の結論に至ったり改訳したりした部分がある。本文の当該箇所でその旨を断っている。

③ 語句ごとに検討結果を総括あるいは概要を述べているブログの一端を記す。

「みそぎ」:ブログ「わかたんかこれの日記 みそぎの現代語訳の例」(2017/7/17)

ブログ「わかたんかこれの日記 三代集のみそぎのはらへ」(2017/8/21)

「ゆふつけ鳥」:ブログ「わかたんかこれの日記 ゆふつけ鳥は最初の200年に20首」(2017/3/31)

ブログ「わかたんかこれの日記 ゆふつけとりは2種類」(2017/5/1)

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さらに、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第47歌 その1 失意逆境の歌か」(2019/7/22

「をりはへて」:ブログ「わかたんかこれの日記 ほととぎすも をりはへてなく」(2017/4/7)

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ブログ「わかたんかこれの日記 ゆふつけとりは2種類」(2017/5/1)

付記2.『萬葉集』と三代集の「みそき」表記「はらへ等」表記歌について

① 作詠年代で「みそき」表記「はらへ等」表記歌を整理すると、次の表のとおり。

表 『萬葉集』と三代集の「みそき」表記「はらへ等」表記歌の作詠時点別「現代語訳の作業仮説の表」のイメージ別一覧 (2017/8/3現在)

期間

語句「みそぎ」と「はらへ等」のイメージ

西暦

神の接遇する資格・許しを得る

罪に対してはらいをする

祭主が祈願

民間行事の夏越しの祓

喪明けのはらへ

羽ばたく・治める・掃討する

朝廷の特定儀礼

保留

(首)

701~750

 

2-1-629

2-1-629イ

2-1-423

2-1-953

2-1-2407

2-1-4055

 

 

2-1-199

2-1-1748

2-1-4278

 

 

 9

~850

 

 

1-1-501

 

 

 

 

1-1-995

 2

851~900

 

 

 

 

 

 

 

 

 0

901~950

 

 

 

 

 

 

1-3-293

 

 

 

 

 

 

1-2-162

 

 

 

 

 

 

1-2-215

1-2-216

1-3-133

 

1-1-416

1-1-733

1-2-275

1-2-478

1-2-770

1-2-771

 

 

11

951~1000

 

 

 

1-3-292

1-3-595

1-3-134

1-3-1291

1-3-254

 

1-3-594

1-3-662

 

 7

1001~1050

 

 

 

 

 

1-3-1341

 

 

 1

三代集の計(首)

 1 (1)

 1 (1)

 1 (1)

 

6 (2)

 1

8

 2 (2)

 1 (1)

21

(8)

注1)歌番号等は『新編国歌大観』による。

注2)この表は、ブログ「わかたんかこれの日記 三代集のみそぎとはらへ」(2017/8/21付け)記載の「表 『萬葉集』と三代集の「みそき」表記「はらへ等」表記歌の作詠時点別「現代語訳の作業仮説の表」のイメージ別一覧 (2017/8/3現在)」による。「イメージ」は、ブログ「わかたんかこれの日記 「みそぎの現代語訳の例」(2017/7/17)記載の「現代語訳の作業仮説の表」による。

注3)1—01-995歌は分類を「保留」とした。今後検討する。

注4)赤字の歌番号等の歌は、「みそき」表記のある歌である。そのほかは「はらへ等」表記の歌である。

注5)作詠時点の推定は、ブログ「わかたんかこれの日記 ゆふつけ鳥は 最初の200年に22首」(2017/3/31付け)記載の「作詠時点の推計方法」に従う。

 

② 1-1-995歌と同じ時代の歌1-1-501歌は、つぎのような歌である。ブログ「わかたんかこれ 2017/6/24」で検討した。当時の伝承歌である。

     題しらず                よみ人しらず

恋せじとみたらし河にせしみそぎ神はうけずぞなりにけらしも

A この歌は、推定した作詠時点順でいうと、勅撰集において最古の「みそき」表記のある歌の一つ。

ここでの「みそき」表記は、初句の「恋せじ」ということを目的とした一連の行為全体を「みそぎ」と称していると理解できる。その「みそき」表記の行為は神に対して行われたものであるからこそ、神が受けなかったといえるのであり、単におのれのけがれを除くための水を用いるという「みそぎ」の意ではなく、「恋せじ」という祈願の一形態である。だから罪も穢れも不問となっている。

B 現代語訳(試案)はつぎのとおり。

「貴方への恋慕を断ち切ろうと、清い川で私はみそぎをして神に祈った。だが、未だにあなたに逢えないのをうらめしく思っている自分がいる。これは神が私の願いを聴いてくれなかったということらしい。(あなたと私が結びつく運命だとそっと知らせてくれた気がする。)」

C (配列から言えば)まだ逢わせてもらえない人におくる歌。単に相手に言い寄っている段階で、言葉で脅している、あるいは、この歌をみてもらいたい相手にやんわりと迫っている歌。手紙などの点検役をしている侍女のもとに、この歌だけでも相手に読み上げてほしいという口上を伴って届けられたこともあるような実用の歌だったのではないか。それが伝承歌として残った所以かもしれない。

 

付記3.三代集の「からころも」表記歌の再検討結果

① 今回現代語訳(試案)を再検討した。また、時期区分の誤りを正し、再集計した。

表 「からころも」表記のある三代集の歌の「からころも」の意味別作詠時期別分類(2019/7/28現在)

時期

外套の意(官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着

衣裳(美称)の意

外来の服の意

歌数の計(首)

単独

衣裳も

女性も

着用者も

 

女性も

 

~850

1-1-515

1-1-865

1-1-995*

 

1-2-729(冬嗣)

 

1-1-375

 

 

 

  5

851~900

1-1-410(業平)

 

 

 

1-1-572(つらゆき)

 

  2

901~950

1-1-576(ただふさ)1-1-786(かげのりのおほきみ)

1-2-313

1-2-359

1-2-383

1-2-1329

1-3-149(つらゆき)

1-2-386(つらゆき)

1-2-660(つらゆき)

 

1-2-539

1-2-948

1-2-1317(女)

1-2-1316

(公忠)

 

1-2-622

1-2-713

1-2-848

1-2-849

1-2-1328

1-1-519

1-2-529(桂のみこ)

1-3-327(つらゆき)

1-2-746(右近)

1-1-808 (いなば)

1-1-697(つらゆき)

 24

951~1000

1-2-1114(雅正)

1-3-1189

1-3-321

1-3-326(三条太后宮)

 

 

1-2-804(源巨城)

1-3-703

1-3-704

1-3-1225

 

 

 

  8

歌数(首)

 17

  1

 

  4

 14

 

  2

 

  1

 

39

注1)歌番号等は『新編国歌大観』による。

注2)*印の1-1-995歌は、仮に「外套(単独)」に整理している。

注3)「からころも」の意味の分類は次のとおり

・外套:700年代におけるから「からころも」の定義:官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着

・衣裳(美称):上記の外套の意を含まず、衣裳一般の美称。(外来の服の意を除く)

・外来の服:上記の外套や衣裳の意を含まず、外来した美麗な服

・衣装も:外套の意のほか衣裳一般の意あり。

・女性も:外套の意のほか女性の意あり。

・着用者も:外套の意のほかその外套を着ている人の意あり。

注4)赤数字の歌番号等の歌以外の作者は、よみ人しらず、である。

付記4.『貫之集』の「みそき」等表記の歌について

① 清濁抜きの平仮名表記「みそき」とある歌

 3-19-11歌 3-19-37歌 3-19-403

但し、3-19-37歌については、朝廷の晴儀として住之江に行く要件を想定していれば「みそき」はその晴儀(朝廷の特定儀礼)か。

② 同様に「はらへ」とある歌

 3-19-107歌、3-19-132歌、3-19-363歌 3-19-529歌、3-19-539

(付記終り。2019/7/29    上村 朋)