わかたんかこれ 猿丸集第46歌その1 誹諧歌とは

前回(2019/5/13)、 「猿丸集第45歌その3 類似歌の元資料」と題して記しました。

今回、「猿丸集第46歌その1 誹諧歌とは」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第46 3-4-46歌とその類似歌

① 『猿丸集』の46番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 

3-4-46歌  人のいみじうあだなるとのみいひて、さらにこころいれぬけしきなりければ、我もなにかはとけひきてありければ、女のうらみたりける返事に

     まめなれどなにかはよけてかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

 

その類似歌  古今集にある1-1-1052歌  題しらず      よみ人しらず」

     まめなれどなにぞはよけくかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句が2文字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、女への愛が変わらないと男性が詠う歌であり、類似歌は破局寸前の女性が詠う歌です。

 

2.誹諧歌という部立

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

古今集にある類似歌1-1-1052歌は、古今和歌集巻第十九雑体歌のなかの誹諧歌の部(1011歌~1068)にある歌です。その配列からの理解に資するため、誹諧歌の部という部立を最初に確認します。

② 契沖がいうように、誹諧歌の部の配列は巻第一から巻第十八の類別の順に配列されている、とおもわれます。また、四季の歌については、隣り合う歌に共通項を認めることができます。

その類別を歌群と捉えると、凡そ次のようになります。

春の歌群:1-1-1011歌~1-1-1012

夏の歌群:1-1-1013

秋の歌群:1-1-1014歌~1-1-1020

冬の歌群:1-1-1021

恋の歌群:1-1-1022歌~1-1-1059

雑の歌群:1-1-1060歌~1-1-1068

このように、賀歌の歌群(巻第七相当)から物名の歌群(巻第十相当)までと哀傷歌の歌群(巻第十六相当)をたてていない、と見られています。

③ 巻第十九にある誹諧歌の部の「誹諧」には、読み方が二つあります。即ち、「はいかい」と「ひかい」です。それは誹諧歌の理解(あるいは定義)にかかわっています。

大漢和辞典』(諸橋轍次)では、「誹」字は「ひ」と読み、「そしる」の意とし、「諧」字は「かい・がい」と読み、「あふ・かなふ」の意を第一にあげ、「やはらぐ」、「たぐふ・ならぶ」などのあとの9番目に、「たはむれ・じゃうだん。おどけ」もあげています。また「誹諧」も説明し「ひかい」と読み、「おどけてわる口をきく」意とあります。

古今和歌集』にある「誹諧」という漢語にだけ、「はいかい」という訓がほどこされていることになります。

久曾神氏は、「「誹諧」も古くは俳諧と同じで滑稽の意で、『奥義抄』以下諸書に詳しい論がある。この種の歌は、他にも少なからず混在している。」と紹介しています。「この種の歌」とは、「巻第十九にある誹諧歌の部に配列してある歌と同様な歌」の意でしょう。「混在」とは、本来別々の部立の歌ではないのか、と問うニュアンスにとれます。

それは、四季の部立(巻第一~巻第六)にある歌には、恋の部立に配列しておかしくない歌(巻第十一~巻第十五)がある、という指摘とは異なります。『古今和歌集』には四季の部立に恋に寄せた歌がありますが、それは恋に寄せて詠っているかいないかに注目した視点から言えばそうなりますが四季の部立の趣旨にはずれている歌が、当該四季の部立に配列されている、ということではではありませんでした。だからこれを「混在」と諸氏は認識していません。ほかの部への「混在」を許しているかの歌の類をもって構成・配列している不思議な部立から検討をしたい、と思います。

④ 久曾神昇氏は、『古今和歌集』の構成について、整然と類別されているとして、次のように指摘しています。(講談社学術文庫古今和歌集全訳注(四)』の「解説」より)

第一 各巻の歌は、和歌と歌謡(巻第二十に記載した歌)からなる。

第二 和歌は、表現態度によって有心体と無心体(すべてが誹諧歌)に大別している。

第三 有心体の歌は、歌体により短歌、長歌、旋頭歌に3分し、短歌以外は雑体とくくる。

第四 短歌は、題材によって自然と人事に二分し、さらに細分して排列している。

自然題材は、四季推移・詠作動機(賀・離別・羈旅)・表現技法(物名)に細分できる。

人事題材は、事件過程(恋一~五)と詠作動機(雑上下)とに二分できる。

第五 誹諧歌は、短歌の類別と同様である。

第六 歌謡の細分は、神歌ほか六分となる。

⑤ このような氏の区分は、誹諧歌の部に置かれた歌も、和歌の部類に入る、と言っていることになります。その和歌を最初に区分する基準になっている表現態度とは、心の内で感じて咀嚼したものを外に向って客観化するための、ものの捉え方と表出方法の種々相を指す言葉でありますので、二大別している有心体と無心体とは、当時の官人の大方の人びとにとり、「ものの捉え方と表出方法」として普通といえる幅のうちにあるものと一見なにを言いたいのか理解しにくい異端(当然異端は極く少数)・独自性の強いものという区分と言い換えられると思います。

氏が指摘する誹諧歌の細分が短歌の類別と同様であるということは、表現態度を問わなければ、誹諧歌の部にある歌はすべて巻第十八までのどれかに配列してよい歌である、ということです。

氏は、また、巻第十九の誹諧歌の部にある歌が滑稽を表出しているとしていますが、他の巻にも滑稽を表出している歌がある、とも指摘しています。これは、部立の内容に重複を許していない整理をされているならば、滑稽の表出が表現態度のみに原因が有るわけではない、ということです。誹諧歌の部に配列すべき理由が滑稽の表出ではない証しと思います。

⑥ 『古今和歌集』には、序があり、編纂の意図などを記しています。各歌については後程検討することとし、序における、巻第十九の誹諧歌への(間接的)言及の状況をみたいと思います。

久曾神氏がいう「和歌と歌謡」という言葉は、『古今和歌集』収載の歌や『日本書紀』にある童謡も、『萬葉集』に集録されなかった東歌も、日常的な挨拶歌もすべて含む日本語による詩歌を指しているのは明らかですが、『古今和歌集』編纂者は、それを「やまとうた」と言って、仮名序を書き出しています。漢文世界の漢詩に匹敵するやまとことばの世界の詩が「やまとうた」です。真名序では、「夫和歌者 託其根於心地・・・」と書き出しています。

仮名序の最初の文章「やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世の中にあるひと・・・心におもふことを見るものきくものにつけていひだせるなり。」は、「やまとうた」たる要件は、人が心に思うことを表現したものである、ということを述べています。『古今和歌集』収載の歌をみると、或るリズム感のある文章(韻文)であるので、そのリズム感も編纂者は要件と考えていますし、官人らの意思疎通に用いている語彙・文章の構成法であることも要件であるのは当然のことです。

そして(仮名序にその表現が無いのですが、)真名序では「(是以逸者 其声楽 怨者 其吟悲)可以述懐 可以発憤」(かくして、我が意中を述べることができ、かくして憤りをあらわすことができる(久曾神氏訳))と書き記しています。

この文章は、「心におもふこと」には喜怒哀楽に渡ることがあることを、改めて言っています。

だから、勅撰和歌集である『古今和歌集』は喜怒哀楽に渡る歌の代表例で編纂していることになります。

仮名序は、六歌仙を評し、その歌の内容に「まことすくなし」(真情がものたりない・遍照)、表現(詞)において「はじめをはりたしかならず」(きせん)、歌全体の「さまいやし」(ものの捉え方表現がみすぼらしい・くろぬし)などと記しています。六歌仙は歌謡の作者ではないので、「やまとうた」のうち久曾神氏のいう「和歌」に、色々な見方からの詠み方、語句の使用などがあることを例示している文章になっています。

⑦ また、仮名序は、「(今上天皇は)万えふしふにいらぬふるきうた、みづからの(うた)をもたてまつらしめたまひてなむ。」と記し、当時の官人が推薦した古い歌と自ら選んだ歌が『古今和歌集』編纂の資料となっていると明記しています。これは、この『古今和歌集』が、課題を事前に定めて募集した歌からの撰歌集ではない、ということです。また、それらから偏らぬように撰歌する基準と漏れのないようにする手段を講じていること示唆しているのが、この文章です。

⑧ このように、事前に歌題が定められておらず、各自が推薦する「やまとうた」の古歌と他薦ではない自選により集まった「やまとうた」から、「心におもふこと」の範囲を限定せず秀歌を選び、配列するにあたり部立を準備して編纂したのが『古今和歌集』である、と序は、説明していることになります。

だから、編纂上、四季とか恋とか雑とかの部立に律しきれない秀歌があるとすれば、それらを収載すべき部立を用意していたことが分ります。誹諧歌の部は久曾神氏のいう「和歌」の最後に置かれた部立であり、そのような役割を編纂者は担わせている、と言えます。

⑨ また、『例解古語辞典』付録の「和歌の表現と解釈」では、和歌を、次のように解説しています。

第一 「和歌は、美しいことばを美しいリズムで表現する言語芸術である。用語も語法もその方向で洗練され、日常的な日本語は多くの面で特徴的な違いがある。」

第二 「平安時代以後は(和歌、特に三十一文字による短歌は)仮名の成立により、個性的な発想と凝縮した表現とを駆使することによって、豊富な内容を盛り込むようになった。」

第三 「『古今和歌集』の和歌(短歌)は、(豊富な内容を盛り込めるようになったので)錯綜した二次元の面的表現が基本になっており、声に出して直線的に読んでも理解できないものが多い。(それを読み解きその巧みさを味わう)知的な言語ゲームである。

 

当時の和歌(短歌)は、『古今和歌集』以外にも各種資料に残されて今日に至っています。諸氏が指摘しているように、長寿を祝う賀の席を飾る屏風に添える歌の需要が多かったこと、官人らは挨拶として短歌を遣り取りしていたこと、を想起すると、和歌(短歌)に期待された重要な役割にはその場の雰囲気を高めることがあったであろう、と言えます。当事者であれば理解し得るという当意即妙の「ものの捉え方と表出方法」による歌も、その役割を果たしたはずです。それらの歌は、当事者の事情の類型化により共通に楽しめる「やまとうた」(による言語ゲームの一モデル)となり得る、と言うことです。このように色々な視点・前提条件で和歌(短歌)が詠われていました。

⑩ そして『古今和歌集』は、当時の「やまとうた」を代表させるべく編纂しようとしています。奥村恒哉氏は、『古今和歌集』は、「全編の組織が一貫した方針のもとに整然と統一されている。」と指摘し、「円熟した律令体制のもとで、律令官人によって、「大夫之前」にあるにふさわしいものとして撰述された。律令体制の理想を文字の上に具現したものである。」と指摘しています。(『古今集の研究』臨川書店1980/1/31初版)。撰歌したすべての歌が勅撰集に相応しい歌である、という自負が編纂者にみなぎっています。

⑪ これらのことから、久曾神氏のいう和歌を対象にして用意された部立の最後の部立として置かれている誹諧歌の部は、(和歌の秀歌集とするために例外を設けないため)それ以前の部立に配列出来ない秀歌を配列できるような部立となっている可能性が強い。

⑫ 以上久曾神氏の構成論、『古今和歌集』の序及び『例解古語辞典』付録の「和歌の表現と解釈」を材料に検討してきました。その結果、「誹諧歌」とは、

「ひかいか」と読む部立名であり、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある、和歌の秀歌であり、他の部立に馴染まない和歌(より厳密にいえば、短歌)を配列する部立の名」ではないか、と思います。

そこに配列されるであろう短歌は、「心におもふこと」のうちの「怒」や「独自性の強い喜怒哀楽」であり、一般的な詠い方の歌の理解からみれば、極端なものの捉え方などから滑稽ともみられる歌となりやすい傾向もあるだろう、と推測できます。

古今和歌集』の部立に関する検討から、誹諧歌にある歌はこのように整理できます。

⑬ なお、久曾神氏のいう和歌は、1-1-1歌が最初の歌であり、1-1-1068歌が最後の歌となります。この2首をペアの歌として特段の意義を『古今和歌集』編纂者が認めていると推測します。それは、どのようなことを意味するか興味が湧くところですが、別の機会に検討したいと思います。

 

3.諸氏の誹諧歌の理解 その1

① 次に、誹諧歌について諸氏の意見を検討します。

② 「誹諧」を「はいかい」と読んで、「俳諧と同じ滑稽」の意として、類似歌1-1-1052歌を現代語訳している一例を先にあげます。

「私は誠実にしているけれど、いったいなにのよいことがあるか。(なんのよいこともないではないか。)また反対に乱れて(浮気して)いる人もあるが、なんの悪いこともない。」(久曾神氏)

久曾神氏は、「まめなれど」「みだれてあれど」と確定法で述べ「どちらも実際にはなんの相違ないではないかと、現実の社会倫理を揶揄した歌」、と指摘しています。久曾神氏は、その点で「滑稽」の意がこの歌にあるとみているようです。

③ この久曾神氏の理解において、上記2.の⑬にいう「誹諧歌」という部立の歌であるかどうかを確認してみます。

第一点目に、「現実の社会倫理を揶揄する」という発想は、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想」の一例である、と言えます。ただし、上記2.の②に示した歌群の「恋の歌群」にあるこの歌の発想として「揶揄」が第一であるのは疑問です。「まめなれど」と「みだれてあれど」という対比には、恋の歌として「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想」がある、と言えます。普通の詠み方であれば、どちらか一方から詠んでいる歌が多いところです。

第二点目に、上記2.の②に示した歌群の「恋の歌群」にあるこの歌は、常の恋の歌であれば逢ってくれることを期待して詠うところなのに歌のトーンがまったく違っており、巻第十一などの恋の部に馴染みにくい短歌である、と言えます。

第三点目に、題しらず・よみ人しらずの歌と明記し、最初は個人の事情からヒントを得たものであったでしょうが、一般化した詠い方として配列しており、雑の部の歌にも馴染むと思えますが、配列からは「恋の歌群」の歌と理解すべきであるので、雑の部に馴染まない短歌である、と言えます。

第四点目に、秀歌という判定が妥当かどうかは、総合判断なので、編纂者の判定を尊重します。

このように、この歌は、「揶揄」によってではないものの、「誹諧歌の部」に配列するのが秀歌であれば『古今和歌集』のなかでは、一番妥当ではないか、と思います。

④ 久曾神氏は、「誹諧も古くは俳諧と同じで滑稽の意。」と説明し、「この種の歌は、他にもすくなからず混在している」と指摘していることを、既に紹介しました。つまり、他の巻にも滑稽味の強い歌があり、「滑稽」が「誹諧歌」だけの特徴でないものの、この歌はそれが特徴である、という整理は、上記②の⑬が妥当であるとしたら、この歌が誹諧の部にある恋の歌群の歌でるのはちょっとちぐはぐです。

⑤ 『古今和歌集』における誹諧の部の位置づけの理解が、歌の理解に影響しているとみることができますので、諸氏の誹諧の部の理解を、検討のうえ、当該歌の現代語訳を参考にしたい、と思います。

 

4.諸氏の誹諧歌の理解 その2

① 誹諧歌の「誹諧」に関する諸氏の説明を、いくつか紹介します。

『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』では、「解説」において「巻第十の「物名」と巻第十九の「雑体」は歌の修辞法か特殊の歌体(長歌・旋頭歌)に注目した、いわば外形を規律とした分類である。」とし、頭注において「誹諧」とは、「俳諧」とも書き滑稽の意で中国の詩で用いられた用語」としたうえで、「誹諧歌」の部に収めた歌は、「縁語や掛詞、卑俗な語句、擬人法などを意識的に用いて滑稽味を出そうとしたものである。撰者たちは(古今集が)帝への奏覧を目的としながらも、公的ならざる私的な場から生まれた歌を集めた」といっており、滑稽であることと公的ならざる場の歌であることが要件となっていると指摘しています。

しかしながら、1-1-1031歌は、詞書に「寛平御時后の宮の歌合の歌」と明記しており、この歌の元資料は歌合の歌です。この歌合を公的ならざる場という位置づけとするのは『古今和歌集』編纂者にとり至難の業です(律令の制度上そのような権限を与えられていない立場に編纂者はいます。)。歌合が律令に基づく儀式に伴うものではない、と上司に整理してもらった、という理解をしなければなりません。

みつねの作である1-1-1067歌(後ほどでも検討します)は、詞書によれば元資料は宇多法皇の御幸における漢字で示された題に応えた歌です。御幸中の法皇のパフォーマンスが公的か否かをいちいち判断した上司とは誰になるのでしょうか。そのような整理をしてもらって編纂したのが『古今和歌集』であるとはとても思えません。

公的な場の歌かどうかは、誹諧歌の部の歌の要件ではない、と理解してよい、とおもいます。

② 次に、佐伯梅友氏は、「誹諧歌」とは「萬葉集巻十六にある戯れの歌の系統で、正格の、改まった歌に対し、一ふし笑いを含むものを言う」と説明しています(『古今和歌集 佐伯梅友校注』岩波文庫)。「正格」とは「正しいきまり」とか「正しいきまりにあっていること」、の意の熟語です。

織田正吉氏は、『古今和歌集』はまじめさと遊戯性、雅びと笑いが混在する書であり、「誹諧」とは「おかしみ、諧謔のこと」であり、「誹諧歌」とは「笑いのある歌のこと」と説明しています。(『『古今和歌集』の謎を解く』(講談社選書メチエ))

③ 片桐洋一氏は、「誹諧歌」とは「俳諧歌ではなく「ひかいか」であり、誹は相手を誹謗すること、諧は相手と共に楽しむこと(である。だから)非和歌的な語、非雅語的な語を用いて、相手にざっくばらんに言いかける歌」と説明しています。また「古今集の和歌の真の姿は、「うつろひゆく」を惜しみ、「我が身世にふる」はかなさを嘆く抒情の文学以外の何物でもない」とも説明しています。(『原文&現代語シリーズ 古今和歌集笠間書院)。

④ 竹岡正夫氏は、「誹諧」とは「古今集に関する限り「ヒカイ」と読むのが正しく、その語義も、おどけて悪口を言ったり、叉大衆受けのするような卑俗な言語を用いたりする意と解すべきなのである」と論じ、「滑稽」や「戯笑」を旨とする「雑戯」の類、「俳諧」とは同じものでは決してない」と指摘し、「(誹諧歌の部とは)表現のしかたに観点を置く」もの)」と説明しています。

そして、「古今集における一般の和歌は・・・文学としての型をとっており「雅」の世界に属し、「誹諧歌」はその型においてまさに型破りであり、対象のとらえ方やそれを表現する用語において、卑俗なおどけた態度が認められ、到底「雅」の世界に属するとはいえない歌」、と指摘しています。(『古今和歌集全評釈』(右門書院 1981補訂版))。

⑤ 鈴木宏子氏は、「一つの歌集の中で、およそ和歌に詠まれ得るすべての「こころ」、つまり人間の感情生活の全体を網羅的一体的に捉えて、各巻のテーマとして掲げたのは「古今集」が最初であった」とし、

「誹諧」を「はいかい」と読み、「たわむれ、滑稽といった意味である。どのような歌を「誹諧歌」とみなしたのか、撰者のコメントが残っていない」ので集められた歌から推して「(「誹諧歌」とは)三十一文字の短歌体ではあるが、内容的に正統から逸脱する性状のあるものなのであろうと考えられている」、と指摘しています。(『『古今和歌集』の創造力』(NHKBOOKS1254 NHK出版 2018/12))

⑥ このような諸氏の理解に共通していると思われることをみると、「誹諧歌」とは、次のように表現している歌に該当しないが和歌である、と『古今和歌集』編纂者が認め、他の部立の歌とも認めなかった歌ではないか、と思えます。

 有心体の歌(久曾神氏、)

 公表された特定の歌(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)(通常の応答歌、献上歌、依頼歌の類)

 正格の、改まった歌(佐伯氏)

 まじめさと雅び(それぞれ遊戯性と笑いの対概念とされている)の歌(織田氏

 ざっくばらんに言いかけるものいいでない歌、「うつろひゆく」を惜しみ「我が身世にふる」はかなさを嘆く抒情歌(片桐氏)

 文学としての型をとっており「雅」の世界に属する歌(竹岡氏)

 内容的に正統から逸脱する性状のない歌(鈴木氏)

 

⑦ 先に、「誹諧歌」とは、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある、和歌の秀歌であり、他の部立に馴染まない和歌(より厳密にいえば、短歌)を配列する部立の名」と推測しましたが、次の理由により、上記⑥に記した各氏に共通する誹諧の歌の定義を、その推測は含んでいる、と言えます。

 第一に、上記⑥の箇条書きの歌でない歌は、ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある。

 第二に、上記⑥の箇条書きの歌でない歌は、他の部立に馴染まないと十分推測できる。

 第三に、編纂者の見識により和歌の秀歌であるとされたのであれば、その判断を尊重して然るべきである。

⑧ そうすると、『古今和歌集』における「誹諧歌の部」には、文学の型にとらわれない詠み方の歌や、雅語とか書き言葉に拘らぬ語彙を用いた歌や、現在の川柳に通じる爽快さ・意表さがある歌が配列してあっておかしくない、と思います。鈴木氏のいう「内容的」だけでなく「外見的」にも「正統から逸脱する性状のある歌の秀歌集が「誹諧歌の部」である、と思います。

⑨ 次回は、誹諧歌の部の歌が、上記2.の⑪の「誹諧歌」という部立の歌に相応しいかどうか具体に確かめたい、と思います。ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただきありがとうございます。

(2019/2/27   上村 朋)