わかたんかこれの日記 猿丸集からのヒントその2 

2017/11/27  前回「猿丸集からのヒントその1」と題して記しました。

今回、「猿丸集からのヒントその2」と題して、記します。

 (追記:3-4-47歌は、その後ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第47歌その4 暁のゆふつけ鳥」(2019/8/12付け)で検討し、現代語訳を改めました。同ブログの「20.3-4-47歌の現代語訳を試みると」を参照ください。(2020/4/18 上村 朋))

 

1.『猿丸集』からのヒント

① 前回、『猿丸集』の51首の歌の傾向は、残りの13-4-47歌に適用できることを指摘しました。

 その傾向は、次のとおりです。

その詞書に十分作詠事情が記されていること。その解明から歌の理解が始まること。

・同一の発音のことばや文言(名詞とか動詞の活用形とか副詞とそれらの組み合わせの語句とか)の多義性を意識して作詠されていること。

「たつたのやま」の「たつ」はいくつもの語義があり、詞書の意を表わし得ること。

類似の歌があり、語句の意味合いを限定してくれていること。

・この結果、51首は、諸氏の指摘している類似歌とは別の意味合いの歌であること。

③ このため、3-4-47歌の理解を、詞書の確認から始めます。

 

 

2.3-4-47歌の詞書その1 あひしる・かたらふ など

① 3-4-7歌は、次のとおりです。

3-4-47 あひしれりける女の 人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける

たがみそぎゆふつけとりかからころもたつたのやまにをりはへてなく

 

類似歌として、1-1-995歌を、諸氏も指摘しています。

1-1-995歌  題しらず         よみ人しらず

   たがみそぎゆふつけ鳥かからころもたつたの山にをりはへてなく

② 類似歌と比較すると、この歌は、具体の詞書が有ること、及びこの歌が全て「平仮名」で表現されていること、が違います。後者は先に検討した3-4-17歌とその類似歌1-1-760歌と同じです。

③ 詞書にある「あひしれりける女」とは、「交際のあった(という)女」、の意です。「あひしる」が、互いに親しむ・交際する、の意です。「けり」は伝聞の意を表わし、過去の事実をさします。

後撰和歌集』などで、「あひしりてはべりける人(女)」は多くの詞書にあり、諸氏は、「深い関係になったひと」(1-2-507歌)、「以前に知己を得ている人」(1-2-1291歌)あるいは「すでに関係を持っている女」(1-2-748歌)と訳したりしています。なお、『後撰和歌集』と『拾遺和歌集』には「あひしれりける人」という表現の詞書が1首(1-2-113歌)あります。「忍びたる人」(1-2-943歌)や「しのびたりける人」(1-2-508歌)、という表現があります。

④ 詞書にある「人をかたらひて」とは、名詞「ひと」+格助詞「を」+動詞「かたらふ」の連用形+助詞「て」という組み合わせです。「ひと」とは、特定の人物を念頭にして記述しているものの固有名詞をさけた表現方法のひとつです。

『例解古語辞典』には「かたらふ」などについて次のように説明しています。

・かたらふ:動詞:語らふ:a語り合う・互いに話す。b親しく交際する。c男女がいいかわす。d説いて仲間に入れる。e頼み込む、相談をもちかける。

・かたらひ:名詞。:a互いに話をすること。b男女の契り。c説得して味方に引き入れること。

・を:(体言を受けているので)格助詞:もともとは間投助詞。基本的には現代語の「を」と同じ。:a動作の向けられる対象や目的を示す。・・・を。b持続する動作の行われる場(空間的な場か時間的な場)を示す。・・・を。c以下略。

⑤ 「かたらふ」の語義を中心に整理すると、「ひとをかたらひて」の現代語訳に、次のような案があります。

・ある人を相手に、語りあって。

・ある人と親しく交際して。

・ある人と男女の仲を言いかわして。

・ある人を、説いて仲間にいれて。

・ある人に、あることで頼み込んで。

 これらのどれもが、ここまでの詞書の文言からは可能です。

⑥ 「おもふさまに」は、形容動詞の連用形であり、「思いどおりの状態」、の意です。

 

3.3-4-47歌の詞書その2 なげき・いふなど

① 詞書は、(・・・なげきけるけしきを見て)「いひける」で終わっています。

② 『例解古語辞典』では語義をつぎのように説明しています。

 ・なげき:名詞。嘆き:長息からの変化。aため息。b悲しみ・悲嘆。

・なげく:動詞。嘆く:aため息をつく。b悲しむ・また悲しんで泣く。b請い願う・哀訴する。

 ・けしき:気色:aようす・顔つき・態度。bきげん。c意向。考え。d受け・覚え。

 ・見る:a視覚に入れる・見る。b思う・解釈する。c(異性として)世話をする。d経験する。e見定める。見計らう。f取扱う。処置する。

 ・いふ:言ふ:aことばを口にする・言う。bうわさをする。c呼ぶ。d言い寄る・求愛する。e詩歌を吟じる・口づさむ。f 獣や鳥などが鳴く。g(・・・だとして)区別する・わきまえる。

・けり:過去回想の助動詞。aある事がらが、過去から現在に至るまで引き続いて実現していることを、詠嘆の気持ちをこめて回想する意を表わす。b ある事がらが、過去に実現していたことに気がついた驚きや詠嘆の気持ちを表す。c今まで気づかなかったり、見すごしたりしていた眼前の事実や、現在の事態から受ける感慨などに、はじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちを表す。d伝聞や伝承された過去の事実を、回想していう意を表す。

③ 「いふ」の語義のうち、ここでは、この歌を「いひける」となっているので、bcf及びgには該当しないことになります。

④ この歌集で、詞書が、「いひ(ける)」で終わっているのは、この歌だけです。

詞書が「よめる」で終わっている歌が、この『猿丸集』には、一番多く、11首(詞書がかかる歌でいうと14首)あります。

「よめる」のほかの「よみてやる」「もとに」「返事に」「やりける」を加えると、詞書がかかる歌でいうと36首あります。相手におくったかに見えるこれらの歌36首があるなか、同じように相手に詠いかけていると理解できるのがこの「いひける」の歌です。

なお、『後撰和歌集』では、「・・・つかはしける」で終わる詞書がいくつもあります。「送った(という歌)」、の意です。この『猿丸集』にはありません。

⑤ 「けしきをみて」の「みる」は、語義のcdが該当しないことになります。

 

4.3-4-47歌の詞書その3 歌の作者

① 詞書が「あひしれりける(しりたりける)人・女の、」で始まる歌は、この歌集に4首あります。その歌の作者を整理すると、

 3-4-1歌 作者は、あひしりたりける人ではなく、この歌を詠んで書きつけた人。

 3-4-18歌 作者は、「あひしれりける人」本人。

 3-4-45歌 作者は、あひしれりける人ではなく、この歌を詠んで書きつけた人。

 3-4-47歌「あひしれりける女の、・・・・けしきを見ていひける」 

作者は、あひしれりける女ではなく、この歌を「いひ」ける人であるが、書きつけた人かどうかは不明、となりました。

その場合の現代語訳(試案)は、下記の5.の通りです。

「あひしれりける(しりたりける)人・女の、」が、必ずしも作者ではありませんでした。

 

5. 3-4-47歌その4 詞書の現代語訳(試案)

① 幾つかの案が考えられます。いままでの語句の検討結果を表にするとつぎのようになります。

表3-4-47歌の詞書における主たる語句の現代語訳試案の表 (2017/11/25現在)

語句

a案

b案

c案

d案

e案

あひしれりける女

交際のあったという女

交際のあった女

 

 

 

人をかたらひて

ある人を相手に、語りあって。

ある人と親しく交際して。

ある人と男女の仲を言いかわして

ある人を説いて仲間にいれて

ある人に、あることで頼み込んで。

おもふさま

思いどおりの状態

 

 

 

 

なげきけるけしき

ため息をついてばかりしていた

悲しみに沈んだまま

悲しんで泣くばかりである

哀訴するかのようす

哀訴するかの意向

見て

視覚に入れる・見

思う・解釈する。

取扱う・処置する。

見定める・見計らう

 

いひける

(歌になって)ふと口にしてしまったという

(知っている歌を)口づさんでしまったという

 

言い寄ったのであったという

 

 

 

 この歌の作者の立ち位置(「みていひける)を確認して、詞書の現代語訳を試みると、2種類が残ります。知っている歌を口ずさんでしまったというスタンスは、『猿丸集』のこの歌を除く51歌の傾向(上記1.参照)と異なるものであり、除外してよいと思います。

③ 「ふと口にしてしまったという」の立ち位置を前提にすると、検討した各語句の第一義の語義による詞書の訳がスムーズなものとなります。

「この歌の作者と交際のあったという女が、ある人を相手に、語りあって、思いどおりの状態にならなかったのであろうか、いつもため息をついてばかりしていたのを見て、ふと口にしてしまったという(歌)。」(これを詞書第1案、と以下言います。)

④ 「言い寄ったのであったという」の立ち位置を前提にすると、例えば、検討した各語句の最後の語義による詞書となります。

作者と交際のあった女が、ある人を、あることで頼み込んで、思いどおりの状態にならなかったのであろうか、いつもその人が哀訴するかの意向であるのを見定めて、言い寄ったのであったという(歌)。」(詞書第2案)

⑤ なお、詞書第1案は、つぎのような試訳もあり得ます。

別案:「作者と親しくしていた女性がいたそうだが、その女性が人と契りを結んだものの思っていたのとは違う状況が続くのであろう、常に悲しんでいる様子でいるのを見て、作者がこの歌を口にしたのだという。」

⑥ この歌は、1-1-995歌をベースに創作されている歌なので、詞書は、1-1-995歌が詠まれた状況とは異なります。別の状況下、あるいは新たな物語として、この詞書は記されていると信じてよいので、この歌集で唯一「いひける」と表現されていることは、他の歌とは状況が全然異なると理解すると、詞書第2案(に添ったところの)訳が妥当であると思います。

⑦ 作者は、詞書によると、女の事情を聞かされています。その女に「いひける」歌がこの3-4-47歌です。

 

6. 3-4-47歌その5 初句と二句について

① それでは歌本文の検討に入ることとします。

初句と二句についてまず検討します。この歌が詠われた時代、「みそぎ」は「祭主が祈願する」の意であると、確認しました。(2017/11/20の日記参照)。屋敷内でもできる儀式です。「ゆふつけとり」は、「相坂のゆふつけ鳥」と理解されているであろうことも確認しました。(2017/11/20の日記参照)。

 詞書によれば、作者は、女が溜息をつくとか、悲嘆にくれている事情を、承知しています。つまり色々話を聞かされている訳です。祈願の儀式をも試みていることも聞かされているのではないでしょうか。そして、その女に、作者は、この歌を示しているのです。

② だから、初句と二句「たがみそぎ ゆふつけとりか」は、その女に語りかけているのではないでしょうか。

それも、作者は「誰かが禊をしているようだね」と話題を提供しているのではなく、貴方がした「みそぎ」に効果があったかと、聞いたのです。「みそぎ」をした結果、「相坂のゆふつけ鳥」の鳴き声を聞くような方向の事が貴方に将来しましたか、と尋ねたのです。

このような理解をすれば、初句と二句がつながり、「みそぎ」と「ゆふつけとり」の関係に意味があることになります。

③ この理解は、作者が、誰かが「みそぎ」をしている現場近くに居て、それが事実かどうかを推測する視覚情報や聴覚情報を得て発したものではないという説明にもなります。なお、この理解は、詞書の第1案でも矛盾していません。

④ この理解によれば、初句と二句は、つぎのような現代語訳(試案)になります。

「誰のみそぎだろうか、その結果、逢う予感を感じるゆふつけ鳥が現われたのは。」

あるいは、

「誰が禊して、逢う予感を感じるゆふつけ鳥を聞いたのだろうか。」

 

7. 3-4-47歌その6 二句から四句について

① 三句「からころも」は既に当時「たつたのやま」の枕詞として認められています。「からころも」は、要するに使用期限が一冬の外套を意味しています。このような意味の語「からころも」をはさんで、この歌では、「ゆふつけとり」と「たつたのやま」が結び付けられて詠われています。

② ゆふつけとりが鳴くと詠うのは、相坂であるのが当時の感覚なので、「たつたのやま」のゆふつけとりを詠うのは疑問が生じます。あるいは新たな発想です。つまり「たつたのやま」と詠うべき理由があるということであり、「たつ」の多義性に注目せざるを得ません。

 「たつ」という発音は、この歌では、「(からころもを)裁つ」、「(山の名であるたつたのやまの)たつ」及び「発つ、断つ、立つなどいづれか」の意が込められているはずです。

③ 詞書によれば、作者は、女から色々話を聞かされています。それは、男女の仲ではないものの信頼されている証左です。その女に対してどんな感情を、その時作者に生じたかを考えると、男であるので、いくつかのパターに分けられます。

・紳士的にあるいは好意をもって接する。即ち同情をしてなんとかしてやりたい、または勇気づけたい。(感情aと以下言うこととします)

・紳士的にもう敬遠したい。つまり男との関係の結論を先延ばしている女にうんざりしている。(感情b

・傍観者の好奇心から、勝手なアイデアを言いたい。(感情c

・女の期待・望みを知りかつ信頼されていることも分かったので、この際女との関係を築きたい。(感情d

それぞれの感情に対応する「たつ」の意があります。

感情aには、あきらめず見守りなさいという意の「たつ」、即ち現状を維持しなさいという意の「たつ」

感情bには、諦めなさいという意の「たつ(絶つ)」、即ち関係を絶つ意の「たつ」  

感情cには、噂を流し確かめる・・・

感情dには、再出発をすすめる意の「発つ」、即ち諦めて新たな男との関係をすすめるという意の「たつ」

このうち、感情dは、詞書第2案と整合します。

④ 詞書第2案で感情dを持った作者であるとすると、二句から四句の現代語訳(試案)の一例を示すと、つぎのようになります。

「相坂にいるはずのゆふつけ鳥だろうか、一冬だけで使い捨てのからころもを「裁つ」ではないが、場違いにも絶つに通じてしまう音を持つ竜田の山に」

あるいは、

「相坂にいるはずのゆふつけ鳥だろうか、「からころも」を(今年も)裁ってあげるという「たつ」ではないが、絶つに通じてしまう音を持つ竜田の山に(場違いにも)」

 

8.3-4-47歌の四句から五句について

①四句から五句は、「(からころも)たつたのやまにをりはへてなく」です。

② 主要な語句の語義を一覧にします。「をりはへて」を、居り+はへ+て、折り+はへ+て,あるいは連語として整理しました。(2017/11/20のブログ参照)

表3-4-47歌の四句と五句における主たる語句の現代語訳試案の表 (2017/11/25現在)

語句

 a案

 b案

  c案

 d案

たつたのやま

萬葉集時代の竜田の山

たつたかはと並ぶたつたやま

 

 

(たつたのやまに)をりはへて

居りつづけ(延へて)

居り、心にかけて(延へて)

居り、地を這うように(這へて)

たつたのやまであるので、逢うと言う予感を与えようという気持ちを抑えて抑えて(折り+延へて)

(たつたのやまにおいて)をりはへて

(たつたのやまにおいて)気持ちを抑え(折り)心にかけて(延へて)、

 

(たつたのやまにおいて)ずっと繰り返して(連語)鳴いている。(なきやまない)

 

 

 

なく

鳴く

泣く

無く

 

③ 作者の感情dにおいては、「をりはへてなく」は、上の表における「折り(そして)延へてなく」であり、連語ではなく、つぎのどちらもが該当します。

・たつたのやまであるので、逢うと言う予感を与えようという気持ちを抑えて抑えて(折り+延へて)鳴いている。

・(たつたのやまにおいて)気持ちを抑え(折り)心にかけて(延へて)、鳴いていて鳴き止まない(相坂とは違う鳴き声である)

 

9.3-4-47歌全体の現代語訳(試案)

① 「いひける」という表現がこの歌集において1例しかないことから、詞書第2案で作者の感情dにおける歌が、この3-4-47歌であると確認しました。

② 各句の検討を踏まえると、つぎのように現代語訳(試案)できます。ストレートに各句の文章をつなぐと例えばつぎのようになります。

・「誰のみそぎだろうか、その結果、逢う予感を感じるゆふつけ鳥が現われたのは。相坂にいるはずのゆふつけ鳥だろうか、一冬だけで使い捨てのからころもを「裁つ」ではないが、場違いにも絶つに通じてしまう音を持つ竜田の山に。たつたのやまであるので、逢うと言う予感を与えようという気持ちを抑えて抑えて(折り+延へて)鳴いている。」

・「誰が禊して、逢う予感を感じるゆふつけ鳥を聞いたのだろうか。相坂にいるはずのゆふつけ鳥だろうか、「からころも」を(今年も)裁ってあげるという「たつ」ではないが、絶つに通じてしまう音を持つ竜田の山に(場違いにも)(たつたのやまにおいて)気持ちを抑え(折り)心にかけて(延へて)、鳴いていて鳴き止まない(相坂とは違う鳴き声である)」

③ 一つの歌の訳として文章を少し練ると、つぎのようになります。

a 「誰が祈願をしたのだろうか(それは良い結果をもたらしてないね)。逢う予感を感じるゆふつけ鳥が現われたのは、場違いにも相坂ではなく、一冬だけで使い捨てのからころもを「裁つ」ではないが、絶つに通じてしまう音を持つ竜田の山だよ。気持ちを抑えた違う鳴き方を繰り返している。」

b 「誰が祈願の儀式をして、逢う予感を感じるゆふつけ鳥を聞けたのかなあ。「からころも」を(今年も)裁ってあげるという「たつ」ではないが、絶つに通じてしまう音を持つ竜田の山という場違いなところに来て気持ちを抑え祈願をしたものに気を使いながら、相坂とは違う鳴き声でなきやまない。竜田の山の「たつ」は「絶つ」に通じているのかね、新たな出立の「発つ」に通じているのかね。」

④ さらに練り、三句の「からころも」を無意の枕詞と割り切ると、次の訳となります。

誰がみそぎして、逢う予感を感じるゆふつけ鳥を聞けたのかなあ、(そうでしょう貴方)。場違いなたつたの山に居るゆふつけ鳥が鳴いているのを聞いてもねえ。」

⑤ 三句の「からころも」を有意の枕詞とすると、次のようになります。この訳が良いと、思います。

誰がみそぎして、逢う予感を感じるゆふつけ鳥を聞けたのかなあ、(そうでしょう貴方)。場違いなたつたの山に居るゆふつけ鳥が鳴いているのを聞いてもねえ。たつたのやまのたつは、あの一年で使えなくなるからころもをたつに通じているよ。(あたらしいからころもを求めたらいかが。相談相手になっている私がいますよ。)

 これは、『猿丸集』の歌なので、1-1-995歌と意が違うはずです。

 

10.まとめ

① 『猿丸集』の全52歌は、類似歌のある創作歌という共通の視点で撰歌されています。

② 3-4-47歌は、1-1-995歌とは、別の意を込めた歌となっています。

 どの古語辞典でも、ことばは、文脈や作者の時代やその場の状況などを考慮してその文章で使われているので、語句の息づかいを動的レベルで感じ、用語の意味を把握し、現代語訳をし、鑑賞しなさい、と勧めています。そのとおりです。

④ ご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、後代の物語などからのヒントを、記します。(上村 朋)