わかたんかこれの日記 猿丸集からのヒントその1

2017/11/20  前回「猿丸集の特徴」と題して記しました。

今回、「猿丸集からのヒントその1」と題して、記します。(上村 朋)

1.『猿丸集』の歌 3-4-15歌から3-4-17

① 『猿丸集』より、詞書をもう一例引用し、その詞書に従って歌の理解をした結果を示します。

3-4-15  かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに

    ほととぎすこひわびにけるますかがみおもかげさらにいまきみはこず

3-4-16

    あづさ弓ひきつのはなかなのりそのはなさくまでといもにあはぬかも

3-4-17歌 

 あひみねばこひこそまされみなせがはなににふかめておもひそめけん

3-4-15歌以後、詞書のあるのは3-4-18歌です。3-1-15歌から3-1-17歌の3首の歌は、「かたらひける人の・・・」という3-4-15歌の詞書がかかる歌である、ということです。

② 詞書の現代語訳を試みると、次のとおりです。

 「親しく交際していた人が、遠く隔たって暮らしはじめてから後、その人のもとに(送った歌)。

 詞書にいう「かたらひける人」の動詞「かたらふ(語らふ)」には、互いに話す意や、親しく交際する意や男女がいいかわす等の意があります。「かたらひ」という名詞も立項した辞書では、おしゃべりのほか男女の契りとの説明もあります。

 また、詞書にいう「とほくいきたり(ける)」の「いく」は、「行く」であれば、和歌では「生く」とのかけことばなどを除いて「ゆく」が用いられると、あります。ここでは、「生く」(生活する、の意)をかけていると理解します。

つまり、「この和歌の作者から、遠く離れて生活しはじめてしまった人」に送った歌、の意となります。具体には、中流下流の貴族(官人)であって地方に赴任した男か、都に暮らしているものの作者との約束を忘れたかに近づかなくなった男のどちらかを指していると思います。前者では文を遣るのに人を介することになり、後者の意味で「遠く」と言っている可能性が高い。

文のやりとりも途絶えさせた男へ、女が送った歌、という意が、この詞書から生じています。

③ 以上の3首の歌意は、つぎのように理解できました。

3-4-15歌 (私が、鳴き声を)待ちかねているホトトギスよ。写りが悪くて本当に困った鏡のように姿をみせない。それに加えてあなたの面影も。そしてこの頃はお出でも便りもありませんね。

3-4-16歌 梓弓を引く、という引くではないが、その引津(地名)のあたりにはえているなのりその花なのですか(私は)。「名告りそ」と口止めしさらにその花が本当に咲くまで私と逢わないつもりなのですね。

3-4-17歌 親しく逢う機会がなければ、神仏に祈る気持が募ってきます。表面には水がなくとも底には流れがあるという水無瀬川のような(心の底では私を大事にしてくれている)人と信じこんで、どうしてこのように深く濃く私はあなたに染まってしまったのだろうか。

 

④ 歌にある語句、「こひわびにける」及び「こひこそまされ」の「こひ」は、「乞ふ」の意です。類似歌では「恋」を意味します。

⑤ この3首の類似歌は、諸氏も指摘しているそれぞれ次の歌です。

2-1-2642歌: 右一首上見柿本朝臣人麿之歌中也、但以句句相換故載於茲。

      さとどほみ こひわびにけり まそかがみ おもかげさらず いめにみえこそ

2-1-1934:問答十一首(1930~1940    巻第十 春相聞

      あづさゆみ ひきつのへなる なのりその はなさくまでに あはぬきみかも 

1-1-760:「題しらず  よみ人しらず」   巻十五 恋歌五

      あひ見ねばこひこそまされみなせ河なににふかめて思ひそめけむ

⑥ 2-1-2642歌と2-1-1934歌は、「来てください」と誘っている歌です。これに対し、3-4-15歌と3-4-16歌は、「誠実さがない」となじっている歌です。

3-4-17歌は、歌本文は全て平仮名であり、その類似歌1-1-760歌とは、清濁抜きの平仮名表記で、最後の1文字が「ん」と「む」と違う以外全く同じですが、歌意が違います。

⑦ このように、『猿丸集』の51首の歌は、同一の発音のことばや文言(名詞とか動詞の活用形とか副詞とかそれらの組み合わせとか)に多義性があることを意識して詠まれた歌になっています。

 これは、3-4-47歌解明のヒントの一つであると言えます。

 また類似の歌があるのは、語句の意味合いを限定してくれている、と言えます。これも解明のヒントの一つです。

 これらのヒントは、詞書を十分尊重して理解することから始まりました。当たり前の事ですが、重要なことでした。

2.『猿丸集』の歌 3-4-47歌 その1 検討方法と語句の定義

① それでは、『猿丸集』の3-4-47歌を検討したいと思います。次のように進めます。

 最初に、『猿丸集』編集当時の語句の意味を確認します。

 次に、3-4-47歌において多義性のある発音部分の有無と、有る場合の候補を、検討します。

 次に、3-4-47歌の詞書の意味を確認します。

 その後、3-4-47歌の歌意を検討します。

② 3-4-47歌を除いて検討した『猿丸集』の51首の歌は、類似歌がベースにあって、『猿丸集』編集時のことばの理解で創作され、編集されてる、と言えます。その時代は、1-1-995歌の詠われた時代でもあります。

そのため、『猿丸集』の残りの1首である3-4-47歌も同様の傾向であると断言でき、かつ1-1-995歌のこれまでの各語句の検討結果を適用できることとなります。

 3-4-47歌は、次のとおりです。

3-4-47 あひしれりける女の 人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける

たがみそぎゆふつけとりかからころもたつたのやまにをりはへてなく

 

類似歌として、1-1-995歌を、諸氏も指摘しています。

1-1-995歌  題しらず         よみ人しらず

   たがみそぎゆふつけ鳥かからころもたつたの山にをりはへてなく

 

 この二つの歌は、清濁抜きの平仮名表記をすると、まったく同じです。

③ この3-4-47歌における主要な語句を、定義することとします。

第一 初句の「たがみそぎ」の「みそぎ」は、 『万葉集』と三代集の「みそき」表記の歌(1-1-995歌を除く)を作詠時点順に並べてみたとき、ことばの意味は通常連続するものであるということから、「みそき」表記の一番可能性が高いイメージが、「祭主が祈願をする」であると思われます。このイメージは水辺における祭場を必須としていません。三代集で次に高いのが「夏越しの祓」(半年間に身に着いた罪に対してはらいをする民間行事)という行事の意です。(ブログ2017/8/21の日記参照)

しかし、「たがみそぎ」という句としての理解は、1-1-995歌と同様に、今は保留します。

第二 二句にある「ゆふつけどり」は、三代集の時代の「ゆふつけどり」であるので、最古の「ゆふつけとり」表記の歌(作詠時点が849年以前)の3首のうち2首にある、「相坂のゆふつけ鳥」の略称として生まれたものです。「あふさか」という表現は、「逢ふ」あるいは「別れそして再会」のイメージがついて回ることを前提として用いられ、「あふさかのゆふつけとり」を、「逢ふ」ことに関して歌人は鳴かせています。(ブログ2017/04/27の日記参照)

「ゆふつけどり」は、『続後撰和歌集』にある「兵部卿元良親王家歌合に、暁別」と詞書のある、よみ人しらずの歌(作詠時点が943以前(元良親王逝去)と推定した同和歌集の821歌)が詠まれて以後、鶏の異名として確定し、鳴く時間帯も暁が定番となりました。それ以前の歌における「ゆふつけ鳥」は、にわかに鶏と断定できません。それ以前の歌では、(1-1-995歌を除いた考察結果でいうと)「巣に向かう前の情景に登場する鳥たち」の意であり、「夕告げ鳥」であり、「逢う」前の場面の歌に登場しています。(ブログ2017/05/01の日記参照))

 即ち、この3-4-47歌においても、「「逢う」前に登場する夕方に鳴く人家近くにもいる鳥。」の意が有力です。

 

第三 三句にある「からころも」は、 『例解古語辞典』には「平安時代以後の女官の正装。」と説明していますが、この歌は、そのような意に統一される以前の時代(古今集のよみ人しらずの時代)に詠まれた歌です。

「からころも」は、「外套の意(官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着)」の意です。三代集にあっては、単独の意で22例、衣裳一般の意あるいは女性の意や「からころも着用者」の意などを掛けて14例あります。そのほか外套ではなく美称の意等でつらゆきらの歌が3例あります。(ブログ2017/5/19の日記参照)

なお、外套の意とは、片岡智子氏の説を基本としており、耐用年数1年未満の材料・製法の衣も含むものであり、耐用年数が短いので親しいものにはよく新調してあげる(裁つ場合もある)、ということになり、季節感もあるものです。

 

第四 四句にある「たつたのやま」は、 『萬葉集』にある「たつた(の)やま」表記の意、即ち「700年代のたつた道から見上げた時、並行する大和川の両岸にみえる尾根尾根。あるいは生駒山地の南端(大和川に接する地域)と大和川の対岸の尾根。あるいはこの道を略して、「たつたのやま」ともいう」という意、を引き継いできたものの、「たつた(の)かは」の創出以後(901年以降)はその影響を受け、所在地不定の紅葉の山、というイメージに替りました(固定した、ということです)。

 『古今和歌集』のよみ人知らずの時代の歌である1-1-995歌が詠われたころの「たつたのやま」は、「たつた(の)かは」の創出以前ですので、所在地不定の紅葉の山ではありません。しかし、一義的に定義できないのが現在までの検討結果です。

例えば、三代集で、「からころも」に導かれた「たつた(の)やま」表記は、6首あり、秋の部の4首と雑体の部の1-1-1002歌すべてが紅葉を歌っており、1-1-995歌だけ紅葉をうたっていません。

 そのほか、887年に開催された仁和中将御息所歌合で藤原後蔭(のちかげ))が詠った「春霞たつたの山」((1-1-108歌)や1-1-994歌など紅葉を歌わない歌3首には、萬葉集歌の700年代の「たつた(の)やま」のように所在地が特定できるかのイメージがあります。(ブログ2017/06/26の日記参照)

 

第五 四句にある「たつたのやま」の「たつ」は、前句の「からころも」との関係では、「裁つ」の意です。そして「たつたのやま」という山の名の一部を構成しています。その「たつ」は地名の龍田(竜田)の「龍(竜)」を候補として今まで検討してきました。 

『猿丸集』の各歌の検討からすれば、「たつ(た)」の発音に留意して、もっと広く候補を検討すべきあります。場合によっては「たつ」に、三通りの意味(語義)を掛けていることも検討すべきです。

ブログ20170522の日記に記したように、『萬葉集』と三代集より、「からころも」を枕詞とした「たつ」は、地名の龍田の「龍」(竜)以外の意として、

発つ   1-1-375歌 よみ人しらず 作詠時点は849年以前

たつ:うわさがひろがる意(立つ・起つ) 1-2-539歌 よみ人しらず 作詠時点は905年以前

などがあります。さらに、「春霞たつたの山」(1-1-108歌)のような、「からころも」を冠しない「たつ」で「立つ」意をもつ「たつたのやま」と詠う歌もあります。

後ほど改めて3-4-47歌の場合の「たつ」を検討することとします。

第六 五句にある「をりはへてなく」は、聞きなす一フレーズの時間が長いのではなく、そのフレーズの繰り返しが止まらないで長く鳴き続けているのを、いいます。(ブログ2017/04/07の日記参照)

 ただ、「をりはへてなく」は、語句としては「をり+はへ+て+なく」とも分解できますので、3-4-47歌の場合の検討も後ほどすることとします。

 

3.『猿丸集』の歌 3-4-47歌 その2 多義性のある「たつ」

① 3-4-15歌や3-4-17歌は、「こひ」の多義性によって歌意が類似歌と変りました。

この歌で、多義性のある発音を探すと、「たつ」のほかに、「ゆふ」、「みそぎ」、「たつたのやま」、「ゆふつけどり」、「をりはへて」及び「なく」があります。詞書においても、「かたらひ(て)」、「いふ」も多義のある語句です。

② まず、「たつ」を検討します。

『例解古語辞典』をみると、立項している「たつ」は4語あり、大略8種の語義をあげています。

・辰:第一の語義が、十二支の第五番目。

・竜:第一の語義が、想像上の動物の一つ。

・たつ:2種にわけ、

動詞で、断つ・絶つであり、第一の語義が、切りはなす。

動詞で、裁つであり、第一の語義が、布を裁断する・裁断して縫う。

・立つ:3種に分け

動詞(四段活用)で、第一の語義が、基本的には現代語の「たつ」に同じ。

補助動詞(四段活用)で、第一の語義が、特に・・・する・盛んに…する、の意。

動詞(下二段活用)で、第一の語義が、基本的には現代語の「たてる」に同じ。

補助動詞(下二段段活用)で、第一の語義が、特に・・・する・ひたすら…の状態になる、の意。

基本的には現代語の「たつ」に同じとする語義に関しては、細分して、発つなどのほかに、

・(進行をとめて)そのままの状態でいる、ある位置にいる、の意。

・位につく、の意。

   ・(新しい年・月・季節などが)始まる、の意。これらを含め20の語義のあることを説明しています。

これらの語義は、3-4-47歌や1-1-995歌が詠まれた時代でも用いられていたと思われます。

和歌では、同音のことばに複数の意をかけて用いられている場合が多々あります。

③ 語義が多いので、3-4-7歌の詞書を参考に絞りこむこととします。

この詞書の粗々の検討をすると、「ひとをかたらひて」も「つねになげきけるけしき」である女を「見ていひける」歌と述べており、これからの身の処し方か課題の解決策に悩んでいる人を対象に詠んだ歌が、この歌であると思えます。

この歌の「たつ」の意は、「からころもを裁つ」のほか、次のようなケースが考えられます。

・今の立場をとりあえずつづける意(進行をとめてそのままの状態でいるという意)の、立つ

・さらに情報を収集するため、ためしに噂や評判をひろがらせる意(現代の「立てる」の使い方のひとつ)の、立つ

・思案を中断させる意(現代の「立てる」の使い方のひとつ)の、立つ

・リセットし新たな生活に向かう意(出発する意)の、発つ、

・関係をきっぱりと絶つ(切り離す)意の、絶つ

・(その場から立ち去る)意の、起つ

このようにみてくると、「たつ」という語句は、「批判あるいは激励あるいは助言」など色々な内容に用いることが可能ということです。「たつ」がこの歌の意を左右している可能性が高いと言えます。

④ 三句から四句の「からころも たつたのやまに」は、

  からころもを裁つ&

          立つ(あるいは発つ・絶つ・起つ)&

          たつたのやまに<そして五句に続く>

という構成になっている、とみることができます。

 「からころも」を枕詞としてその意を不問にすると、「たつたのやま」の「たつ」に「立つ等」を掛けて詠んでいる、ということです。

⑤ また、「たつたのやま」という語句の「た」には、「たつた」という地名・集落名の一部にあたる「た」のほか、単独の名詞の「た」(田、他、誰)はあるものの、活用する語が見当たりません。

「田」を直接形容する活用語の例(水張り田など)は多々あります。「他」での例は知りません。「誰」での例も知りません。「たつた」は、一義のようです。そのため、「たつたのやま」は、「山」の名前ということになります。これは所在地を特定している訳ではありません。

 

4.『猿丸集』の歌 3-4-47歌 その3 「をりはへてなく」の多義性

① 「をりはへて」の、「をり」と「はふ」という発音には、いくつかの動詞があります。

 四段活用「折る」の連用形やラ変活用「居り」の終止形・連用形があり、また「這ふ」や「延ふ」があります。

② 「なく」は、「鳴く」「泣く」「無く」「(上代において連語の)なく」があります。「鳴く」と「泣く」は和歌ではよく掛けて用いられています。前者は獣・鳥・虫などが、後者は人が、「なく」意です。

③ 『例解古語辞典』では、次のとおり立項しています。

・「居り」:a存在する・いる。b(立つに対して)すわっている。c補助動詞。動作・状態の継続を表わす。・・・ている。

・「折る」:四段活用aおる。折り取る。b曲げる。C波などがくずれる。

・「折る」:下二段活用a折れる。b曲がる。c負ける・譲る・屈する。

・「折り延へて」:連語。時間を長びかせて・ずっと延ばして。

・「這ふ」:四段活用。aツルクサのつるが地面などにそってのびる・這う。b腹ばう・腹ばいになって進む。

・「延ふ」:下二段活用。a引きのばす・張りわたす。b思いを及ぼす・心にかける。

・「て」:接続助詞。連用修飾語をつくるのがおおもとで、基本的には、現代語の「て」と変らない。連用修飾語をつくる場合で、あとの語句にかかる。(ほかに)あとに述べる事がらの原因・理由などを述べるとかの接続語をつくる場合、事がらを順々に述べていく場合などある(以下割愛)。

 なお、「おりはふ」(織り延ふ)は、立項していません。

④ 『古典基礎語辞典』では、「居り」について、解説欄で次のように説明しています。

・(居、ヰルの連用形)ヰ+アリ(有り)の転と考えられる。ヰル・アリが人間だけでなく、動植物・無生物・自然現象などにも広く使われのに対して、ヲリはほとんどが人について用いられる。動かずにじっとそこにいる意。

補助動詞として、…しつづける・・・・している意を表わす例も多い。

上代では、自分の動作についていい、へりくだった意味合いが含まれている。中古では、自分だけでなく、従者や侍女など身分の低い者の動作に用い、卑下や非難、侮りの気持ちが強くなる。(以下割愛)。

⑤ 『古典基礎語辞典』では、「折る」について、解説欄で次のように説明し、「まっすぐに突き進む気持ちをくじく。またそういう気持を抑える」という語釈もしています(用例は日葡辞書より)。

・ワル(割る)の母音交代形。

・他動詞(四段活用)は、ひと続きのもの、棒状のものに力を加え、横断的にひびを入れ分裂させ、その機能を失わせる意。

・他動詞(四段活用)は、また、棒状のものを鋭角的に曲げる意。また、布や紙など平面状のものに筋をつけ、畳み重ねる意。

⑥ 「て」について、 『古典基礎語辞典』では、解説欄で次のように説明しています。

・動作や状態が確かに成立して、そこでいったん区切れることを表わす助詞である。

・『萬葉集』には1500例以上あるが、その意味用法はほぼ8つに分類できる。それらは、中古以降も変わらずに使い続けられている。

・このように意味・用法がきわめて多岐にわたっているのは意味的に非常に弱く、特定の条件付けをするものでないことにもよる。動作状態がすでに成立していることを示すのが役目であるため、その前後の事実関係により、容易に順接にも逆接にもなりうる。

⑦ さて、「をりはへて」であります。以上のような意味合いがありますので、四句の「たつたのやまに」に続いている五句「をりはへてなく」は、複数の理解が生じ得ます。「負ける・譲る・屈する」の意の「折る」は下二段活用なので、連用形が「折り」とならないので対象外です。「をり」を、「居り」、「折り」または連語と理解して例示します。

・(たつたのやまに)居りつづけ(延へて)、鳴いている。

・(たつたのやまに)居り、心にかけて(延へて)、鳴いている。

・(たつたのやまに)居り、地を這うように(這へて)啼いている。

・(たつたのやまであるので、逢うと言う予感を与えようという気持ちを抑えて抑えて(折り+延へて)、鳴いている。

・(たつたのやまにおいて)気持ちを抑え(折り)心にかけて(延へて)、鳴いている。

・(たつたのやまにおいて)ずっと繰り返して(連語)鳴いている。(なきやまない)

⑧ このことから、連語とのみに限定しないで、3-4-47歌を理解する必要があることがわかりました。

 

5.『猿丸集』の歌 3-4-47歌 その4 多義性のある「ゆふ」

① 「ゆふ」という発音のことばは、「夕」「木綿」「結ふ」の立項が古語辞典にあります。「ゆふつけとり」表記の検討で採りあげた言葉です。

② 「みそぎ」は、和歌では、各種の儀式の略称としても、狭義の「禊」の意にも用いられています。

③ 詞書にも多義性のある発音部分があります。「かたらふ」は、第一の語義である「語りあう・互いに話す」のほか「男女がいいかわす」の意などがあります。また、詞書にある「いふ」は、第一の語義が「ことばを口にする・言う」です。この二つは、詞書の現代語訳に当たり、検討することとします。

 

④ ご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、3-4-47歌の詞書などについて、記します。(上村 朋)