わかたんかこれ 猿丸集恋歌確認38歌 あき詠う

前回(2024/6/24)に引きつづき『猿丸集』歌の再確認をします。今回は第38歌です。

1.経緯

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群を想定し、3-4-37歌まで、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを再確認した。歌は、『新編国歌大観』より引用する。

2.再考の結果概要 3-4-37歌 

① 『猿丸集』の第37番目の歌及びその類似歌と諸氏が指摘する歌は、次のとおり。

3-4-37歌   あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-4-38歌の類似歌1-1-185歌 :題しらず  よみ人知らず 

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

3-4-38歌の類似歌c 3-40-38歌 : 秋来転覚此身衰 

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② この3首の歌本文は、清濁抜きの平仮名表記が、同じですが、詞書は、異なります。

 再確認を今回まで3回にわけて行ったところ、次のことが言えます。

第一 この歌(3-4-37歌)は、詞書のもとにある歌本文なので、二人の関係がうまくいっていないかの段階の恋の歌と理解できる。

 改訳した現代語訳(試案)は次のとおり。

 詞書: 「秋の始めのころ、いろいろと思いを重ねた結果、この歌を詠んだ」(37歌詞書改訳(試案))

 歌本文:「おしなべて、季節は進み、秋が今年も来るのに私だけには特別で。本当に悲しい何もできない状況に追い込まれたのだったのだと、思い知ったことよ(普通の、慣れからの飽きと言ういつものものと思っていたのに、この度は本当に貴方に飽きられたのだと、身にしみて知ることとなったよ)  (37歌歌本文改訳(試案)) 

第二 類似歌a(1-1-185歌)は、『古今和歌集』の部立て「秋歌上」にある歌であるので、恋の歌ではない。歌は、四季の一つである「秋」にとくに生じる心境を詠っている。「秋」の、収穫の喜びではない、枯れるなどけじめをつける厳しさを景として心境を述べたものである。 

現代語訳(試案)は次のとおり。

 詞書: 「題しらず  よみ人しらず」

 歌本文: 「おしなべて季節は進み秋が今年も来るのに、私だけには特別で。本当に悲しい。何もできない状況に追い込まれたのだったのだと、思い知ったことよ」(1-1-185歌改訳(試案))

第三 類似歌b 3-40-38歌は、歌集の部立て「秋部」にある歌であり、恋の歌ではない。老いはすすみまた今秋の除目にあえなかったことを詠った歌である。

 現代語訳(試案)は次のとおり。

 詞書: 「秋になるとひとしお我が身の衰えを覚える」

 歌本文: 「秋は、悲しさを感じる時節と人はいうが、特に今年の秋は気分が悲しいだけではない体の衰えを実感させられる悲しい秋であるとわかったよ。(人と違い、除目にあえなかったのは本当に辛いと身にしみて思う秋だ。)」

第四 この3首のうち、「恋の歌」はこの歌3-4-37歌のみである。

第五 3首の二句にある「あき」の第一義が異なる。この歌は、「飽き」であり、類似歌aは、「秋の季節」であり、類似歌cは、大方の秋は秋の季節であり作者にとっての秋は「秋の除目」である。

第六 3首の五句にある「おもひしりぬれ」の内容が異なる。 この歌は、男女の一方が相手に捨てられたことに思い当たったこと。類似歌aは、悲しい、あるいは悲しい見通しがたっている事態になったと確認したこと。類似歌bは、老いを感じる秋に除目にあえないとさらに辛いと詠嘆したことである。

第七 この歌の検討を始めた時の仮説(この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う)は誤りである。

③ 今回類似歌bを確認し、この歌が類似歌と異なる歌意であることを確認します。

3.~6.承前 

7.再考 類似歌b  3-40-38歌

① この歌(3-40-38歌)を収載する『千里集』は、千里死後成立した他薦集です。さらに千里の名を借りた歌集である可能性が高い歌集です。そしてその成立時期は『古今和歌集』以後であるのは確かですが、『猿丸集』の成立との前後関係については資料が不足しています。

 しかし、今は、『猿丸集』の編纂者が参考にできた歌集として(類似歌とみなして)検討します。

② 最初に、『千里集』の配列を確認します。この歌集は部立てをしていますが「恋歌」相当の部立てがありません。この歌は、部立て「秋部」に配列されています。だから、『千里集』の編纂者は、この歌を「恋歌」と認識していない、と言えます。

 また、この歌集の詞書は、部立て「詠懐」を除き詩句のタイプとなっています。

 「秋部」には21首あり、その詞書は原拠詩(漢詩)の詩句がある場合、その原拠詩は秋を詠っていました。原拠詩のない詞書の詩句(あるいは文章)も秋をイメージしたものといえました。

 21首の歌本文も表記されている語句から現代の季語を追うと秋の季語がすべての歌にあり、三秋の季語をはさみながら時節の推移にほぼ従っていますが、時節の推移意外の何らかの意図を配列に感じます。

③ その意図を類似歌b 3-40-38歌の前後の歌4首計8首とその直後の数首の配列で再確認しました(前者の8首は前回(ブログ2018/12/3付け及び同2018/12/10付け)の再確認です)。

 その結果、前回同様に、みな詩句タイプの詞書と同じ趣旨の秋の歌を詠っていることになり、その歌の趣旨は、次のとおりでした。

3-40-34歌 「夏部」の歌。心を静かに保てれば、「身」もすずやかであった、と詠う。(下記⑦及び⑧と同様に秋の除目を念頭に理解すれば、その日が近づいてきたが平静を保とう、と詠っていることになる)

3-40-35歌 「夏部」の歌。谷間をゆく道はすずしかった、と詠う。「夏部」の最後の歌だが、季末の行事水無月の祓を題材にしていない。(秋の除目を念頭に理解すれば、やるべきことをし感触もなくはない、と詠っていることになる。)

④ 3-40-36歌 「秋部」の筆頭歌。立秋にちなむ歌ではなく、七夕伝説に仮託した歌。作詠時期は七夕直前か。歌本文は「天の河ほど遠く離れたので何かとであうのは難しくなったなあ」、と詠う。

 詞書(天漢迢迢不可期)の原拠詩は不明である。「不可期」を「ねがうべからず・あてにするべからず」と理解し、改めて現代語訳を試みると、

「天の川は、はるか遠くであり願うべからず」(3-40-38歌詞書改訳)

 歌本文も改訳する。

「天の川と同じように遠い存在となってしまった。再びそれに逢い見るというのは難しいことだなあ。(次回を期すことになったが、除目にあえるだろうか。)」(3-40-38歌・歌本文改訳)

 七夕伝説では天の河で年に一度必ず逢っているが、作者の場合それは大変希望的観測、ということになる。官人として秋にであう何かとは、散位の作者とすると、秋の除目ではないか。

3-40-37歌 「秋部」の歌。むなしく年を重ねて秋の霜に髪の毛が例えることができると詠う。(除目にあえないことがはっきりした時の心境)

 詞書の詩句は原拠詩の詩句と同じである。原拠詩ではこの詩句に続き、「一向に出世していない」という。この歌の作者も同じだが、基本的に役職についていない(散位としか名乗れない)。

 歌本文は改訳する。

「秋の夜におりる霜に例えることになった、私の髪の毛は。私が無為に年を重ねて老いたものだから(老いてゆくのか、白髪になる年齢でも除目にあえずに。)(3-40-37歌・歌本文改訳)

「霜」は。現代の季語では「三冬」の季語である。「秋の霜」は晩秋の季語である。

3-40-38歌 「秋部」の歌。類似歌bであり、下記⑦及び⑧で検討する。

3-40-39歌 「秋部」の歌。原拠詩の詩句を手直しした詞書であり、足早に去る秋を怨む、と詠う。

 詞書の理解を前回(ブログ2018/12/3付け)から、霜が原因で草と虫は対応をせまられた意を明確にして、次のように改訳する。

 「霜にあたった草は、枯れることに向かい、霜にあたった虫は怨み苦しむ」

歌本文の現代語訳は前回と同じ。

 霜を詠う3-40-37歌を参考にすれば、ここにいう霜とは、除目にあわなかったことを指し、この歌はその場合の思いを予想しているか。

⑤ 3-40-40歌 「秋部」の歌。再び七夕伝説の歌。一年に一度のことが生じるのは今日であることを、詠う。(秋の除目を念頭に理解すれば、除目の当日となった、と詠う)

 詞書の原拠詩が未だわからない。結局七夕伝説を題材とした2首の詞書の原拠詩は不明である。

3-40-41歌 「秋部」の歌。老い(あるいはあること)から私の心は、秋になると、それだけで悲観的になる(今後の生活が不安だ)、と詠う。

3-40-42歌 「秋部」の歌。四句の「あだなる人」とそうでない人世間一般の人とを対比している。即ち、貴人は私の秋の悲しみを感じない、と詠う。

 詞書は、原拠詩の句「「悲愁不至貴人心」を「秋悲不至貴人心」に替えている。

 だから、秋の自然に出会って感じる感慨を詠う原拠詩とちがって、秋に起きた世俗的かつ個人的な事柄を悲しんでいる歌に替わっている。

3-40-43歌 「秋部」の歌。詞書は原拠詩の詩句に同じであり、例年よりも木の葉は付着した霜によってきれいにみえる、と詠う。(秋の除目を念頭に理解すれば、除目にあえた官人(宅)をうらやんでいる歌。以下3-40-46歌まで付記2.参照)

3-40-44歌 「秋部」の歌。詞書は原拠詩の詩句のうち「秋興」を「秋思」と変更している。そして、微かにでも希望のあった今年の秋は毎夜苦しい思いを重ねた、と詠う。(官人が注目している除目当日まで苦しい日々であったと詠う)

3-40-45歌 「秋部」の歌。詞書は原拠詩の詩句のうち動詞「欲」を動詞「命」に変更している。そして、今年の秋が悲しいのは、無為のまま老いることを思うのが原因だ、と詠う。

初句~二句にある「すぎて行く秋」とは、今年の秋をいう。毎年の秋ではない、とすると、「除目にあわずにすぎてゆく秋」のことではないか。

3-40-46歌  「秋部」の歌。詞書は原拠詩の詩句と同じ。紅に替わる木には、普段は鳴いているセミがよりつかなくなる、と詠う。

 紅葉している木は除目にあった人、セミはその近くに居る官人を示唆している。

 

⑥ 官人である千里は、『千里集』の序では散位と記し、待命の状態です。そして秋には除目があります。

 柳川順子氏は、「大江千里における「句題和歌」製作の意図」(『広島女子大学国際文化学部紀要』13号 2005)で、『千里集』記載の歌の詞書の句と原拠詩の乖離は「千里の満たされない境遇に対する鬱憤に発している。除目叙位のある春秋に拘っている証左である。」と指摘しています。

 「春部」の歌を私は未確認ですが、「秋部」の歌については同感です。

⑦ 配列は、秋の除目をこのように意識している、と理解できます。

 次に、3-40-38歌の詞書を検討します。前回(ブログ2018.12/10付け)、詞書は、原拠詩に詩句と一致することを確認しました。原拠詩の詩句「秋来轉覺此身衰」は「秋になるとひとしお我が身の衰えを覚える」と(『新釈漢文大系 白氏文集』で)岡村繁氏は訳しており、そのままこの歌の詞書の現代語訳としたところです。

 原拠詩では、作者白楽天は、新秋を迎え老いてきたことを訴えています。頭髪や白くなり朝冷たい水で口をすすげば歯が真っ先にしみる、と身体に感じることを吟じています。そしてそのような年で拝命している官職によって友にあえないことを嘆息しています。

 詞書は、原拠詩の詩句と同一です。原拠詩の作者は官職を得ていますが、千里は官職に就いていません。「秋となって身の衰えを感じる」とは、老いのほか「散位」のままであることを意識している詞書ではないか。

⑧ さて、歌本文を再確認します。清濁抜きで平仮名表記すると1-1-185歌と同じであり、同歌と同じ4つの文からなり、その趣旨も同歌と一致します。

第一 大かたの秋 :「あき」の一般論を記す

第二 くるからに :「あき」は来るもの(呼び寄せられるものではない)と記す

第三 我が身こそかなしきもの :その「あき」は作者にだけはかなしいものと記す

第四 とおもひしりぬれ :そのように知ったと記す

 第一の文にある「大かた」については、これまでと同様に、佐藤氏の論にたって理解します。「秋」については、部立て「秋部」にある歌なので、四季のひとつである「秋」の意で用いられている、と思います。

 第三の文にある「我が身」の「身」は、「a命ある人や動物の肉体。特にその胴体 b前世から運命、あるいは生まれてからそのときまでの状況をかかえて存在する人そのもの」を言い、「身体」と「物がもつ役目の中心をなす部分」と「その人に付随している周囲の状況を含めた人間存在」を指す語句です(『古典基礎語辞典』)。

⑨ 序と歌の配列と詞書に留意すると、除目を念頭においた部立て「秋部」の歌として、前回(ブログ2018/12/10付け「10.」)試みた現代語訳は、妥当なものです。

 3-40-38歌 秋になるとひとしお我が身の衰えを覚える。(原拠詩の岡村繁氏の和訳を採る)

 「秋は、悲しさを感じる時節と人はいうが、特に今年の秋は気分が悲しいだけではない体の衰えを実感させられる悲しい秋であるとわかったよ。(人と違い、除目にあえなかったのは本当に辛いと身にしみて思う秋だ。)」

 詞書の原拠詩では、官職にいる白居易は老いからの身体的な不都合と友と楽しめないこととを嘆いており、この歌で千里は「おほかたの嘆きである「老い」にさらに官職を得られなかったことを嘆いています。

8.再考 この歌は恋の歌か

① この歌4-3-37歌は、ブログ2024/6/3付けの検討で、詞書とそのもとにある歌本文により、二人の関係がうまくいっていないかの段階の恋の歌と理解できました。ただし、現代語訳(試案)には次の2案がありましたので、1案に絞り込みます。

詞書:第一案 「飽きが始まったころ(それは陰暦七月ころだった)、胸のうちでじっと反芻してきたことを詠んだ歌」(第37歌詞書別訳)

   第二案 「秋の始めのころ、いろいろと思いを重ねた結果、この歌を詠んだ」(37歌詞書改訳(試案))

歌本文: 第一案 「慣れ親しみすぎたためのよくある飽きが秋にきただけのことと思っていたが、本当に別れる(飽きられた)ことになる秋がきたのだ。あなたをつなぎとめる何の働きかけもできない無力の自分であると、いまさらながら思い知ったことであるよ。(年に一度会える彦星(又は織姫)にも私はなれないのだと思い知ったよ。)」 (37歌歌本文(試案))

    第二案 「おしなべて、季節は進み、秋が今年も来るのに私だけには特別で。本当に悲しい何もできない状況に追い込まれたのだったのだと、思い知ったことよ(普通の、慣れからの飽きと言ういつものものと思っていたのに、この度は本当に貴方に飽きられたのだと、身にしみて知ることとなったよ)  (37歌歌本文改訳(試案)) 

② 類似歌との違いは、恋の歌か否かにあることがこれまでの検討でわかりました。そして、恋の歌であれば「飽き」は暗喩で示すほうが当時の官人の常套手段ではないかと推測できるので、詞書と歌本文はともに、第二案を採ることとします。

③ 類似歌aは、ブログ2024/6/24付けで再確認したように、部立て「秋歌上」にあり、恋以外のままならぬ状態を秋の景に重ねて詠っています。

④ 類似歌bは、恋の歌を除いている歌集であると、序で作者は述べており、部立てが「秋部」にあり、秋の除目にあえなかったことを嘆いています。

 このように、3首の歌本文は、清濁抜きの平仮名表記では同じですが、配列されている歌集がそれぞれ別であり、部立てと詞書に従い歌意が異なる歌でした。

 なお、この歌と私の想定した歌群との関係は未だ宿題となっています。

⑤ ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただきありがとうございます。

 次回は、3-4-39歌を検討します。

 (2024/7/8  上村 朋)

付記1.『千里集』の疑問

① 『千里集』は、3-4-37歌の類似歌の一つとした歌が収載されている歌集であり、ブログ「わかたんかこれ・・・」で何回か検討している(ブログ2018/11/26付け、同2018/12/3付け、同2018/12/10付け、同2020/2/3付け、同2020/2/10付け)。少なくとも藤原公任の『三十六人撰』の成立(1006~1009年頃)以前に成立している、と諸氏は指摘している。

② その結果、『千里集』は、千里死後成立した他薦集であり、さらに千里の名を借りた歌集である可能性が高い歌集と推測した理由は次のとおり。

第一 部立てした歌集の献上は、当時新しい試みであるが、以後踏襲したと思えるものは現存していない。この献上のスタイルが異常である。

第二 『千里集』は、「古句」によって詠うと序にいうが、原拠詩が不明な歌や一部の文字を異なる語句で引用している句がある。また「古句」の意味合いが曖昧である。これでは官人としての漢文の素養を疑われる。

第三 その序に記す日付と官位が一致しない。本人が誤って記すとは信じられない。

第四 『古今和歌集』ではよみ人しらずの歌(1-1-185歌)であるのに、それが『千里集』にある(3-4-38歌)。

第五 柳川順子氏は、「彼が生きた時間の中で、彼が思い描いた文脈に沿って捉えたい」(「大江千里における「句題和歌」製作の意図」(『広島女子大学国際文化学部紀要』13号 2005)として、句題(詞書)と和歌を対照して論じ、(『千里集』の歌風は)「当時においては滑稽と受け止められた可能性が高い」と指摘している。

第六 大江千里は、著名な漢学の家に生まれながら、父音人や弟千古と違い、詳しい履歴は不明である。

第七 これらは、『千里集』は後世の人物が千里に仮託して作成した歌集であることを指し示している。

③「秋部」にある全21首の歌本文も、表記されている語句から現代の季語を追うと秋の季語がすべての歌にあり、その配列は三秋の季語をはさみながら時節の推移に従っている。ただし、七夕伝説の歌が配列上2カ所に分かれている。

④ 関連の歌は巻頭歌のほか「霜」と言う晩秋の季語がある歌の次にあるなど、時節の推移意外の何らかの意図を配列に感じられる。

付記2. 『千里集』 3-40-43歌以降の数首の現代語訳(試案)

① 3-40-43歌 樹葉霜紅日 :「樹葉、霜、紅なる日」 (原拠詩の詩句に同じ)

   つねよりも木ぎのこの葉はおく霜にくれなゐふかくみゆる比かな

 現代語訳(試案)「例年よりも、(見える範囲の)木々の葉はそれらの葉についた霜によっていっそう鮮やかな紅葉に見えるこの頃となったよ」(暗喩は「官人で秋の除目にあった(命を受けた)人達は輝きがましてみえる」)

② 詞書の原拠詩は、白楽天の五言律詩「答夢得秋日書懐見一レ寄」3097詩である。秋の日の思いを詠じた友人の詩に答えて作った詩である。作者62歳の作である。

幸免非常病 甘當本分衰  幸ひに非常の病を免れ、甘んじて本分の衰に当たる。

 眼昏燈最覺 腰痩帯先知  眼の昏きは、燈、最も覚え、腰の痩せたるは、帯、先づ知る。

   樹葉霜紅日 髭鬚雪白時  樹葉、霜、紅なる日、髭鬚、雪のごとく白き時。

   悲愁縁欲老 老過却無悲  悲愁は老いむと欲するに縁る、老い過ぐれば却つて悲しむ無し。

 この詩は、分相応の老境にはいったが悲しみや愁いを感じるのは老境に入ろうとする時だけであり、老境に入ってしまえば悲しみも老いも感じないものだ、と詠じている。

「樹葉霜紅日」は次の句「髭鬚雪白時」と対比されている。「樹葉、霜、紅なる日」 とは「木々の葉とそれらの葉についた霜も紅くみえる日」。髭と鬚が白くなる時と対比されている。

③ この歌本文は、次のような文からなる、と理解できる。

第一 つねよりも:平常の事ではない、と記す。そのつねよりも異なるものを以下の文から探すと、第四の文にある色彩であろう。

第二 木ぎのこの葉は:作者が「みゆる」とする対象物を、記す。

第三 おく霜に:第五の文の原因を記す。格助詞「に」の意は「動作・作用の起こる原因・理由を示す」

第四 くれなゐふかく:色彩の鮮やかなことを、記す。

第五 みゆる:その色彩が実際今目に入っていることを、記す。木の葉又は霜の色彩についてなので、時間的には季節単位ではなく、分単位の時間ではないか。

第六 比かな:名詞「ころ」とはおよその時を表す。「くれない深い」色彩を見た一時点か、そのように見える時期かは、歌本文全体からの判断となる。

④ この歌本文は、木の葉は紅葉するし、それに付随した霜も紅葉し、色鮮やかに見える特別の日々が秋にある、と詠っている。秋は、紅葉することに意味があるとすると、霜が紅葉したかにみえるのには暗喩があるのではないか。

 「釈論大江千里集(十一)」(半沢幹一・小池博明 『共立女子大学文芸学部紀要69』)には、二句~三句が「秋のこのはにおくしもの」とある歌本文に対して「表現上「くれなひふかくみゆる」のは秋の木の葉におく「しも」である。木の葉のほうが白い霜を紅くすると(作者は)みなしている」とある。木の葉からみれば紅葉するに値しない霜にも紅葉する恩恵を与えている、と言う暗喩があると、私は推測する。

 

⑤ 3-40-44歌 蕭条秋思苦  「蕭条たり秋思の苦しみ」 (原拠詩の「秋興」を「秋思」と変更している)

   かすかなる時のみみゆる秋のよはもの思ふことぞくるしかりける

 現代語訳(試案)「微かでも希望があったようにみえた(年の)秋の夜は、物を思うことで苦しかったことだ」(除目を楽しみにしていたころを振り返った歌か)

⑥ 詞書の原拠詩は、白楽天の五言律詩 「社日關路作」 (0654詩)である。全文を引用する。

晩景函關路 涼風社日天  

青巌新有雁 紅樹欲無蟬

愁立驛樓上 厭行官堠前

蕭条秋興苦 漸近二毛年

「社日」とは雜節のひとつでこの詩では秋の社日をいい、秋分に最も近い戌の日であり、毎年9月20日前後(2024年は9月21日)である。土地神に感謝をささげる祀りの日である。函谷関への途次、「晩景」(夕暮れの景色)を、涼風の吹く秋の社日の日にみて、作者は愁いに閉ざされた、と記し、その七句目が「蕭条秋興苦」(蕭条(しょうじょう)たり、秋興(しゅうきょう)の苦しみ)であり、白髪まじりの年齢に近くなった、と吟じている。

「蕭条」とは、「ひっそりとしてものさびしいさま」の意であり、「秋興」とは「秋の感興」の意である。「秋興の苦しみ」とは、筆頭句にある「晩景函谷路」でみた風景から作者が感じた思いである。自然界の秋の景色に感じた思いであるが、「二毛」(白髪まじり)という自分の老いへの愁いも作者は感じている。

 それを詞書は「秋思の苦しみ」に替えている。白楽天の詩が対象としている事柄以外のことで秋に生じる事柄への苦しみを作者は詠いたいのではないか。自然界の秋の景色ではない人為的なものへの苦しみという意に替えている、と理解できる。それは作者千里は散位の官人であるので秋の除目ではないか。

 なお、杜甫には「秋興」と題した七律八首がある。

⑦ 歌本文は、つぎのような文からなる、と理解できる。

第一 かすかなる時のみみゆる :ぼんやりとしたことがあった一時期のみが「みゆ」(現れる)、と記す。「みゆる」は動詞「みゆ」の連体形であり、次の語句「秋」を修飾する。

第二 秋のよは :時系列での一時点であることを、記す

第三 もの思ふことぞ:心底心配することがあることを、記す

第四 くるしかりける:作者の気持ちを記す。 助動詞「けり」は詠嘆の気持ちをこめて回想する意か。

⑧『釈論大江千里集(十一)』(半沢幹一・小池博明)によれば、「かすか」(物事の状態が低いことを表す語句)の和歌の用例は、『萬葉集』から八代集にはなく、私家集でも初出が『千里集』であり、二番目が『千穎集』である。『千穎集』の真名序には千穎の歌などを千穎の甥が編纂したとあるが、共に架空の人物であり実際の編纂者は11世紀に活躍した歌人とされている(西山秀人「千穎」(『和歌文学大辞典』古典ライブラリー2014)。また「かすか」が時を修飾する例はほかにないそうである。

「かすかなるとき」とは、「ぼんやりとしたことがあった一時期」すなわち「微かな望みを持たせられていた時期」ではないか。

 

⑨ 3-40-45歌 悲秋縁命老 (悲秋は老いの命ずるによる 原拠詩の詩句のを一部変更している) 

   すぎて行く秋のかなしとみえつるはおいなむ事を思ふなりけり

 現代語訳(試案):「過ぎ去って行く今年の秋という季節が悲しいとおもってしまうのは、自分が老いてゆくということを思うからである」(この秋の除目にあえなかったのを悲しむのは、老い先短いからである)

⑩ 詞書の原拠詩は、白楽天 五言律詩「答夢得秋日書懐見一レ寄」3097詩である。3-40-43歌の詞書の原拠詩と同じである。

詞書は、原拠詩の句「悲愁縁欲老」を一部変更している。

詞書の訓は、原拠詩の句に準じて訓んで見た試案である。

⑪ 歌本文は、次のような文からなる、と理解できる。

第一 すぎて行く秋のかなし :今過ぎ去る秋について「悲し」、と記す

第二 とみえつるは :(秋は悲し)と認める、と記す

第三 おいなむ事を思ふなりけり :その理由を記す

⑫「すぎてゆく秋」とはこの歌を詠んでいる年(今年)の秋をいう。作者にとり悲しいのは秋であり老いることではない。何かにチャレンジするのに今年の秋失敗しているので、老いて年を重ねて迎える来年の秋も失敗する可能性の高いことを心配している、と詠うと理解できます。官人として毎年秋にチャンスがあるのは何か。除目ではないか。

 

⑬ 3-40-46歌 紅樹欲無蟬  「紅樹に蟬無からんと欲す」 (原拠詩の句と同じ)

   もみぢつつ色紅にかはる木はなくせみさへやなくはなりゆく

 現代語訳(試案):「それぞれの葉が色づいて全体が紅に替わる木は、鳴くセミさえ来なくなる状況に自然となる」(除目にあった人は散位のままの私から離れてゆくことになる)

⑭ 詞書の原拠詩は白楽天の五言律詩 「社日関路作」 (0654詩)であり、3-40-44 歌の詞書の原拠詩と同じであり、その4句目の句を詞書としている。原拠詩での「晩景」のひとつが対となる三句と四句であり、北から雁が来て、(夏の風物である)セミはみえない、と吟じている。

 詞書は原拠詩の詩句と同じである。

⑮ 歌本文は、次の文からなる、と理解できる。

第一 もみぢつつ色紅にかはる木は :段々と紅葉する木がある、と記す 上二段活用の動詞「もみつ」の連用形が「もみぢ」。

第二 なくせみさへやなく :鳴くセミさえその木に居らず、と記す。紅葉の時期なので普通のことである。しかし、作者は、セミは木に寄り付いて鳴くのが普通であるので、紅葉したから寄り付きにくいというトーンで詠っている。

第三 はなりゆく :そのような状況に自然となってゆく、と記す。なりゆくのは第一の文の木である。 

⑯ 和歌ではセミは夏の風物。現代の俳句では晩夏の季題である。半沢氏らが指摘する盛秋以降までセミが鳴くと(詠う和歌)は考えられない。紅葉した木でセミが鳴かないのは平安京周辺では普通のことである。とすると、紅葉した木は除目にあった人を、セミはその人の近くに居た作者を暗喩し、二人の交際はおのずと変化が生じることを言っているのか。

(付記終わり  2024/7/8  上村 朋)