わかたんかこれ 猿丸集恋歌確認37歌その2 悲秋とは  

 前回(2024/6/3)に引きつづき『猿丸集』歌の再確認をします。今回は第37歌の2回目です。

1.経緯

2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群を想定し、3-4-36歌まで、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを再確認した。歌は、『新編国歌大観』より引用する。

2.再考の結果概要 3-4-37歌 

① 『猿丸集』の第37番目の歌及びその類似歌と諸氏が指摘する歌は、次のとおり。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌a  1-1-185歌: 題しらず  よみ人知らず 

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌b・・3-40-38歌  秋来転覚此身衰 

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

② この3首の歌本文は、清濁抜きの平仮名表記が同じですが、詞書は、異なります。

 今回は類似歌aを検討し、その結果、次のことが言えます。

 第一 類似歌aは、『古今和歌集』の部立て「秋歌上」にある歌であるので、恋の歌ではない。歌意もそのように理解できる。

 第二 類似歌aは、四季の一つである「秋」にとくに生じる心境を詠っている。「秋」の、収穫の喜びではない、枯れるなどけじめをつける厳しさを景として心境を述べたものである。 

 第三 類似歌aの現代語訳(試案)は次のとおり。

 詞書:詞書 「題しらず  よみ人しらず」

 歌本文 「おしなべて季節は進み秋が今年も来るのに、私だけには特別で。本当に悲しい。何もできない状況に追い込まれたのだったのだと、思い知ったことよ」(1-1-185歌改訳(試案))

 

3.~5.承前 (ブログ2024/6/3付け参照。この歌3-4-37歌を概略確認しました)

6.再考 類似歌a 1-1-185歌 

① 類似歌a 1-1-185歌は、『古今和歌集』の部立て「秋歌上」にある歌です。この歌は、ブログ2024/6/3付けの「5.」で、この部立てに配列されているので恋の歌ではない、と予想しました。

 最初に、『古今和歌集』の部立て「秋歌上」の配列から確認します。

「秋歌上」の配列は、以前検討しました(付記1.参照)。その際の結論は②以下の再確認でも変わりませんでした。

 即ち、秋という季節の進む順を、歌群を単位として示しており、この歌は、私の想定した歌群類の3番目の「「秋くる」と改めて詠む歌群」にあります。

② このような『古今和歌集』の編纂の特色は、諸氏も指摘しています。

 久曾神氏は、各巻は、歌を「類別排列している」と指摘しています。そして部立て「秋歌上」は、時節、天象、動物等と類別し、時節は四季(さらに春秋は上下)に、秋上は「立秋・初秋・七夕・秋景」と類別している、と指摘し、「鑑賞にあたっても、排列はつねに注意すべきである」と指摘しています。

 松田武夫博士は『古今集の構造に関する研究』で「古今集は、個々の和歌を編集し統一することによって、撰者自らの情意的世界を表現したもの」であり、(連続する何首かをくくる)「目に見えぬ包括概念(『主題』と称する)が排列過程に発現し、全巻に存在する」と指摘しているそうです(竹岡正夫氏の言)。その主題の捉え方のひとつが私の理解による歌群類ということになります。

③ 「「秋くる」と改めて詠む歌群」の歌は1-1-184歌~1-1-189歌の6首です。歌本文は、下表のように、秋の景を詠み次いで作者の心境を述べています。

表 1-1-184歌~1-1-189歌の詠みかた  (2024/6/24現在)

歌番号等

詠んでいる景

作者の心境

心境が生じた時点

1-1-184

このまよりもれくる月の影

こころづくしの秋はきにけり

秋(初秋か)

1-1-185

おほかたの秋(くる)

わが身こそかなしき物

秋(初秋か)

1-1-186

むしのね

まづぞかなしき

1-1-187

もみぢつつうつろひゆく

物ごとに秋ぞかなしき

秋あるいは不明

1-1-188

秋くるよひ

(ひとりぬるとこは)つゆけかりけり

1-1-189

秋のよぞ

物おもふ事のかぎり

秋あるいは不明

まとめ

通例の秋における景

悲しい気持ち・「おもふ」ことが募る

秋になってから作詠

注1)歌本文に、「きく」、「秋くる」及び「秋のよ」とある歌の心境が生じた時点を「秋」と、それのない歌の心境が生じた時点を「秋あるいは不明」と整理した。

注2)「秋くる」と「むしのね」は初秋の可能性が高いと予想した。

 

 1-1-184歌にある月の光は他の季節でも生じることがある通年の景です。それでも現代の季語としてみれば「春の月」は三春の季語であり、「冬の月」は三冬の季語ですが、単なる「月」とか「夕月夜」は三秋の季語です。そうすると、「このまよりもれくる月」も第一に秋の景であると理解してもよいものです。

 1-1-185歌以下も、表の「詠んでいる景」欄の景は、すべて、通例の秋に見聞きすることができる景(自然界に生じている景)です。台風が来た時でないと見聞きできないものではありませんし、現代でも秋には普通に見聞きできる景です。『古今和歌集』の編纂者の時代でも同じであろう、と思います。

④ そして、その景を見聞きして当時の人(官人と限定してもかまいません)は、誰でもいつでも「作者の心境」欄の思いを抱くとは信じられません。その景と特定の個人的な事情あるいは特別な知識とが結びついたとき「作者の心境欄」の思いが生じているのではないか。2000年代の日本にあってもそれは同じです。

 1-1-184歌を例にすると、久曾神昇氏は、「さまざまに物思いをさせる秋」と指摘しています。私は「人の心をすりへらす秋」と意訳しました。作者にとって気がかりなこと、配慮すべきことが重なった秋が到来した、と感じたということであり、立秋を過ぎた自然の景は、山の紅葉した遠景を愛でる場合があるように、すべてが「悲しい気持ちになる秋の景」ではありません。

 この6首において、その「特定の個人的な事情」は割愛されています。「特別な知識」とは、漢詩文における「悲秋」の用例のイメージ、さらに秋の景の表現と対になる心境の表現などから想像できる秋のイメージではないか、と予想できます。その確認をしてみます。

⑤ 「特別な知識」で、秋とはどのようなものか。

 最初に、漢和辞典における説明、次に具体の用例を検討します。

 「秋」とは、次のような意と『角川新字源』にあります。(以下原則同じ)

 第一 みのり。いねのみのること。

 第二 あき。四季の一つ。

 第三 とき。たいせつな時。例)危急存亡之秋

 第四 としつき。年月。歳月。例)千秋

 「悲秋」という熟語は、「もののあわれを感じる秋。秋の気に感じていたみ(悼み)悲しむ。杜甫の七言律詩「登高」に「万里悲秋常作客、百年多病独登台」(とある)」と解説されています。「秋」の意は「四季のひとつである秋」か、「かなしい(特別な)時」の意なのでしょうか。

 「悲」字は、「自分の思いにそむくのをかなしむ意」を表し、「かなしむ」と訓むとき、「哀」が「ふびんに思う・いたわしく感じる」意に対して「悲」は「哀より強く、なみだはないが声をあげていたむ・悲傷」の意であり、「懐」は「心中に、ものがなしく感じる」意、という差異があります。

 「悲愁」とは「悲しみうれえる」(詩文の引用なし)と、

 「悲傷」とは「かなしむ・こころがいたむ・かなしみいたむ」(詩文の引用あり)と、

 「悲風」とは「aものさびしい音をたてる風・悲しみの情を起こさせる風 b秋風」(aに対して詩文の引用あり)と、

 「悲曲」とは「悲しい調子の曲・悲しい事がらを歌った曲・またその音色」と、あります。

 また、「秋意」とは「a秋の気配・秋の気分 b「俗」冷淡なこと。」及び 「秋気」とは「a秋の気候・けはい 秋意と同義語 bきびしいけはい」と、あります。

⑥ 漢詩文での「悲秋」を確認します。

『角川新字源』が「悲秋」の説明に引く杜甫の七言律詩「登高」、並びに『大漢和辞典』(諸橋徹次氏)が「悲秋」に引く『楚辞』の「九辯」、杜甫の「九日藍田崔氏荘」及び劉兼の「酬勾評事詩を確認します。

 「登高」には、「萬里悲秋常作客、百年多病独登台」とあります。

 七言律詩の前半(初句~四句)は、登った高台からの景を、後半(五句~八句)は登台した作者杜甫の心境を述べています。

風急天高猿嘯哀  風急に天高くして猿嘯(ゑんせう)かなし

渚清沙白鳥飛廻  渚清く沙(すな)白くして鳥飛びまわり

無邊落木簫簫下  無邊(むへん)の落木 簫簫(ゆうゆう)として下り

不盡長江滾滾来  不盡の長江 滾滾(こんこん)として來たる

萬里悲秋常作客  万里悲秋 常に客(かく)となり

百年多病獨登臺  百年多病 ひとり臺(だい)に登る

艱難苦恨繁霜髩  艱難はなはだ恨む 繁霜(ほんさう)のびん

潦倒新停濁酒杯  潦倒(らうたう)新たにとどむ 濁酒のさかずき

 この詩は、杜甫が亡くなる3年前の作です。妻子を連れて故郷を離れ流浪の生活を長年余儀なくされ虁(き)州(現在の重慶市北東部に設置された)に留まって居た時の詩です。「登高」とは陰暦重陽節句(9月9日)に高山に上って菊酒を飲み災厄をはらう行事です。 この詩では、一人登って災厄をはらおうとしています。

 この句は、その五句と六句です。その意は、例えば、

「どこまでもさすらいゆくわが身の上か、この悲しい秋に、私はいつも流浪の旅人であり、生涯病いがちの身を、今日はただひとり高台に登っている。」(『新釈漢文大系19 唐詩選』(目加田誠 1964 明治書院))とあります。目加田氏は「万里悲秋」を「見渡す限りもの悲しい秋」と語釈しています。

 八句は、禁酒をしていることを述べています。

 「悲秋」とは(後半の最初の句にあり)、「万里」が流浪してきた総距離(人生の歩み)を指しているので、作者杜甫の官人として身を立てられないまま年を重ねて人生の秋をむかえていることを表現していることになります。そしてその作者のこれまでの人生に対する自己評価の言葉は、(前半に述べる)晩秋・陰暦9月9日の景の評価に杜甫は重ねたと思います。

 晩秋の景色を、現在の自分の境遇に象徴させて表現している、と思います。

⑦ 次に、「九辯」には、「悲哉秋之為気也」とあります。

「九辯」は楚の大夫宋玉の作で九つの章から成る詩です。宋玉は屈原の弟子であり、「師の忠にして放逐せられしを閔惜す。(これを作りて)以て其の志を述べた」(王逸)という詩です。その第一章は次のようにはじまります(『新釈漢文大系34 楚辞』(星川清孝 1970 明治書院)による)。

悲哉秋之為気也      悲しいかな、秋の気たるや。

蕭瑟兮 草木揺落而變衰   蕭瑟(そうくつ)たり 草木揺落(ようらく)して變衰(へんすい)す。

憭慄兮 若遠行   憭慄(れうりつ)たり 遠行(ゑんかう)にありて

山臨水兮 送将歸  山に登り水にのぞみ、まさに歸(かへ)らんとするを送るが若(ごと)し。

 泬寥兮・・・       泬寥(けつれう)たり、・・・

 通釈:悲しいことよ、秋の気というものは。風はさわさわとさびしく鳴っている。それで草木は吹き散り、色も変わっておとろえる。逝く秋には心がいたみ悲しむ。それは遠い旅路で、山に登ったり、水辺に立ったりして、故郷に帰ろうとする人を送る時の気分のようである。秋の眺めはむなしく雲もない。・・・(以下薄ら寒い秋の気は人の身にしみ、その時不遇に心楽しまず貧しい士人はただ広々として寂しい、ひそかに自分を憐れに思う、といい、燕は別れを告げ、雁は南遊す、などと続く。)

 星川氏は語釈において、「送将帰」について「一年の秋を送るのが、親戚故友の帰って行こうとするのを送ると同じ気持ちで悲しい」と指摘しています。

 この詩では、「悲哉秋之為気也」(悲しいかな、秋の気たるや)とあり、「悲秋」という用語は用いていません。「秋の気」は秋の景色を作りだす(あるいは秋の景色となるもとのものを動かす)力を言うのであって、その働きは人の身にしみ、秋が深まるのは心が痛み、悲しむ、つまり結果として「悲しい秋の景」となっている、と述べています。その景に屈原の主張と(せざるを得ない)行動とを作者は重ねており、「悲しい状況を抜け出せない屈原」と作者は言っていることになります。

⑧ 次に、七言律詩「九日藍田崔氏荘」には、「老去悲秋強自寛 興来今日盡君歓」とあります。

 この七言律詩は、陰暦9月9日重陽節句に招かれて酒宴の席(登高での宴)で作った詩です。当時作者杜甫は49歳であり、地方での勤務を命じられていました。この詩は   「「悲」字と「歓」字を巧みに綜合した詩である」と森槐南氏は指摘しています(『東洋文庫564』p371)。

『新釈漢文大系19 唐詩選』(目加田誠 1964明治書院)より、引用します。

 九日藍田崔氏荘  杜甫

老去悲秋強自寛    老い去って悲秋しひて自ら寛(ゆる)うす。  

興来今日盡君歓一     興来 (きた)って今日(こんにち)君が歓をつくす。

羞将短髪還吹帽   羞(は)づらくは 短髪をもって 還(また) 帽を吹かるるを。

笑倩傍人為正冠   笑って傍人(ばうじん)に倩(たの)んで為に冠(かんむり)を正さしむ。

藍水遠・・・      藍水は遠く・・・

通釈 老いゆくわが身には、うら悲しい秋だが、つとめて心をひろく取り直し、今日は興のわくままに、あなたの歓待を十分に受けつくした。短く薄い髪の毛に僅かにとめた冠だが、それがまた風に吹きとばされるはずかしさよ。傍らの人にたのんで、曲がった冠を直してもらいながら、我ながらおかしくなる。藍水は遠く・・・(以下、藍田崔氏の荘からみる景を、見る者の気持ちで悲しい景(杜甫)とも楽しい景(主人ら)ともとれるよう述べ、来年この集まりに果たして誰が健在かといささか酔うておもう、と結ぶ)

 この詩にいう「悲秋」は、「老去悲秋」と年を重ねて今年の秋をむかえた自分にとり悲しい秋である、と詩を起こし、老いてくると来年がここに自分が居るか判らないと結んでいるので、重陽節句当日のこの荘からの景の見方は老いた作者とそれ以外の人とでは違う,と指摘していることになります。

 老いた自分を悲しい存在であると自覚しているから秋の自然の景も悲しい景に見えると言っています。

⑨ 次に、劉兼の「酬勾評事詩」は手元に日本語の参考書がありません。詩全文を引用します。

閑庭欹枕正悲秋 忽覺新編浣遠愁。

才薄只愁安雁戸 年高空憶復漁舟。

鷺翹皓雪臨汀岸,蓮裊紅香匝郡樓。 

對景卻慚無藻思,南金荊玉卒難酬。

 題の現代語訳を試みます。漢字の意を『角川 新字源』で確認します。

 酬とは、「aすすめる・主人が客に酒をすすめる bむくいる(受けたさかずきを返す・こたえる返事をする・かえす・謝礼する)」とあります。 

 勾とは、「aひっかける bまがる cとらえる・ただす」 などの意があります。

評とは、「aはかる・公平にきめる bあげつらう cしなさだめd文体の名(批評を加えつつ書いてある文章)」とあります。

 事とは、「aつかう bこととする・つとめる cこと(まつりごと・いくさ・職分・仕事・事業) d仕える」とあります。

 そうすると、題は、「構えての評にこたえる(酬)」と理解できるでしょうか。

 第一句「閑庭欹枕正悲秋」は、「物静かな庭は、枕から頭をもちあげて聞き耳をたてると、まさに悲しい秋である」と理解できます。第二句以下は、「雁、空、漁舟、鷺、雪、」など自然の景の語句が続きます。「悲秋」は四季の秋の景を悲しいと評しているのではないか。この場合も秋と言う季節が悲しいのは、秋の景に作者が悲しい気分になっていることがきっかけととれます。それが何の暗喩なのかはわかりませんでした。

 なお、『大漢和辞典』(諸橋徹次氏)には、「悲秋」について、「悲しい秋。もののあはれを感ずる秋。又、秋に悲しむ。秋気に感じていたみかなしむ。」とあります。

⑩ 宋玉の「九辯」の第一章において、晩秋の自然界の景を評して「秋が深まるのは心が痛み、悲しむ」というのは、屈原の主張と行動の悲しみをも指しています。作者は屈原を悲しんでいます。

 杜甫の「登高」と「九日藍田崔氏荘」は、晩秋の自然界の景が「悲しい思いに重なる秋」となっているのは杜甫自身に理由があります。

 劉兼の「酬勾評事詩」は、晩秋の自然界の景が「悲しい秋」であるのは「勾評事」に作者が接したことではないか。しかし、詩の全編を理解していないので、この見方は保留します。

 結局、宋玉1詩と杜甫の2詩は、秋と言う時節でも晩秋という時点で、詩の中の主人公の悲しい経験を晩秋の自然に重ねている、とみることができます。少なくともこの3詩からの「悲秋」の意は、「秋にかなしむ」とか「秋気に感じていたみかなしむ。」意が妥当ではないか。

 漢詩文における「悲秋」とは、枯れるとか平均気温が低下し続けるという自然界の現象に作者の悲しい経験(あるいは予測)と重ねることが出来た場合、秋と言う時節を評する言葉(悲しい秋という季節)にもなっている、と思えます。

 3詩が述べる自然界の現象は、晩秋に毎年繰り返される普通のものであって、特異な気象の時などというものではありませんでした。そして「悲秋」に重ねた人物の悲しさの原因は、3詩とも人生を左右するかのような大事なのではないのか、と思います。

⑪ この3首に述べる自然界の景は、1-1-185歌にある「おほかたの秋」といえる景です。毎年巡ってくる景です。その景を「悲秋」と感じるのは1-1-185歌の作者の心境によっていることになります。作者にとっても悲しいことがあって漢詩文における「悲秋」の意(秋にかなしむ・秋気に感じていたみ(悼み)かなしむ)に通じるといえることになります。

 しかし、「おほかたの秋」は「くる」と詠っており、初秋であり、漢詩文の「悲秋」の「秋」は既に秋のシーズン半ば以降のイメージです。1-1-185歌は漢詩文の「悲秋」の意を敷衍している和歌ではない、と理解してよい、と思います。上記の表にみるように、晩秋の景は1-1-186歌以下の3首だけではないか。

 表の「詠んでいる景」欄と「作者の心境」欄との間には、作者に特有な(歌には表現していない)何かが秋という時節に生じている、と推測できます。秋と言う季節になると、身の回りで楽しいことではない、内攻的になるときがあり、それはほかの季節よりも多い、ということを示す歌群ではないか。

 つまり、秋が来ると、いろいろと思い、気をもむことが多い、と各作者が感じていることを、詠んでいる景に接してまた作者はその思いを新たにしたのが、この歌群の歌であろう、と言えます。

 上記④で予想した、「漢文の知識」としての「悲秋」の用例では、人生の一大事といえる経験(あるいは予想)がありましたが、この歌群の歌では明確に一大事と詠っていません(示唆もありません)。また晩秋の景に限っていないようです。

 漢詩文における「悲秋」の意を「秋にかなしむ・秋気に感じていたみ(悼み)かなしむ)」と理解するならば、この歌群の歌6首には漢詩文における「悲秋」の意を踏まえているといえる歌もあることになります。

 しかし、「悲秋」の題詠をした歌ではなく、『古今和歌集』の編纂者は、個々の事情で秋という季節に「物思ふ」状況を詠った歌をこの歌群に集めているのではないか。歌にいう「秋くる」とは晩秋よりも初秋がふさわしい。

⑫ 前回(ブログ2018/11/19付け「2.」)での結論は、この歌群の歌は、「秋に関して(景観ではなく)作者の心情につながるような形容をしている歌のみであることが確認できます。この歌群の歌の各作者は、秋が来ると、いろいろと思い、気をもむことが多い、と確かに感じています。」ということでした。

 私の想定したこの歌群に関しては、今回も同様な結論となりました。

 しかし前回想像した「作者にとり、今年の秋は、まだ秋となったばかりであっても、とんでもないことを経験する(あるいは確実にそうなる)と予感している、と詠った歌ではないか」というのは、誤りではないか、と今は思います。

⑬ 次に、詞書です。「題しらず  よみ人しらず」とあるので、作詠事情も作者も分かりません。

⑭ 次に、歌本文です。

 この歌は、清濁抜きの平仮名表記では、3-4-37歌の歌本文とまったく同じになります。

 この歌は次の文からなります。3-4-37歌と同じです。

第一 おほかたのあき :「あき」の一般論を記す

第二 くるからに :「あき」は来るもの(呼び寄せられるものではない)と記す

第三 わが身こそかなしきもの :その「あき」は作者にだけはかなしいものと記す

第四 とおもひしりぬれ :そのように知ったと記す

⑮ 部立て「秋歌上」の「「秋くる」と改めて詠む歌群」にこの歌があることに留意すれば、第一の文にある「あき」は、四季のひとつである「秋」を指していることになります。

 「おほかた」の意とその用法は、工藤重矩氏の指摘に従い理解します(ブログ「2024/6/3付け」の「4.③」など参照)。

 そのほかの各文の語句の意は、ブログ「2024/6/3付け」の「4.」に記すとおりです。

 例えば、「物思ふ」とは、「運命のなりゆきを胸の中で反芻する」、という意(『古典基礎語辞典』)。あるいは「もの思いをする・思いにふける(『例解古語辞典』)です。

 「思ひしる」とは、「内情や趣を理解する。悟る。」や「身にしみて知る。」や「思いあたる。あとになってそれとわかる。」の意(同上)です。 『例解古語辞典』には「理解する・思いしる」とあります。

⑯ また、第三の文にある「わが身」は連語であり、「a自分のからだ、また自分の身の上 b当人・自分自身」の意です(『例解古語辞典』)。

 その「身」(名詞)は、『例解古語辞典』に「aからだ・肉体 b人の運・分際・身の上 c(果実などの)肉質の部分・中身 d自分自身」の意とあります。『古典基礎語辞典』には、「a命ある人や動物の肉体。特にその胴体 b前世から運命、あるいは生まれてからそのときまでの状況をかかえて存在する人そのもの」を言い、「身体」と「物がもつ役目の中心をなす部分」と「その人に付随している周囲の状況を含めた人間存在」を指す語句とあります。

 この「身」の意は、現代語にも引き継がれています。

⑰ 工藤氏の指摘を踏まえると「秋が到来する」という自然現象に対して、「おほかた」により作者の心境に「何かが到来する」を対概念として理解させようとしている、とみることができます。

 この歌は、この歌群にあって、「あき」の意は、普通の季節の「秋」として用いられ、その季節に個人的な事情の発現で悲しい気分になった時という前提で詠われています。

 現代語訳を再度試みると、 次のとおり。

詞書 「題しらず  よみ人しらず」

歌本文 「(第一の文):おしなべて季節は進み秋が <別案:普通の(楽しみがある)秋が>

(第二の文):今年も来るのに、

(第三の文):私だけには特別で。本当に悲しい <別案:その秋と比べると我が身だけは悲しい存在になっている>

(第四の文):何もできない状況に追い込まれたのだったのだと、思い知ったことよ」

 これは、3-4-37歌の現代語訳(試案)の第2案 「37歌歌本文改訳(試案)」の第四の文の()の部分を省いたものと同じです。今は上記の別案を省き、「1-1-185歌改訳(試案)」とします。

 四季のひとつ「秋」の、収穫の喜びではない、けじめをつける厳しさ・さびしさを景として心境を述べたのがこの歌です。

⑱ 作者は、肉体的か心理的かは分かりませんが、悲しい状況になっている、ということです。作詠時点とした年の秋に作者は「悲しい、あるいは悲しい見通しがたっている事態になったと認識している」ことになります。

 「おほかたのあき」とは、「おほかた」の意が「ひととおり・普通だ」(『例解古語辞典』)とか「一般に・ひとそろい・そもそも」(『古典基礎語辞典』)などとあり、「悲しいことに必ずしもつながらない通常の自然の光景が見られる秋」という時節を指していることになります。

 「悲しい何もできない状況に追い込まれた」と自覚する事情は、3-4-37歌と違って詞書にも記されていません。しかし、工藤氏の「おほかた」の指摘に従えばこの歌の元資料の段階の作者とおくられた人の間では了解されていたのであろうと思います。

 『古今和歌集』編纂者は、この歌を、恋の部ではなく「秋歌上」という部立てに配列しているので、作者とこの歌をおくられた人物が了解していることは、恋以外の事がらである、ということが確実に理解できる、と考えているのではないか。

それは、例えば、作者あるいは周辺に居る人物の健康状態が昨年より格段に悪化していることとか、作者の子供の政略的な結婚が破綻したとか、家格を乗り越えられなくとも官人としての働きが不十分であるという自覚などが想像できます。

⑲ 季節の「秋」は立秋の日から立冬の前日までの期間を言います。2024年は8月7日~11月6日です。

 気象庁のデータによれば、1991年~2020年の30年間の平均気温は8月7日が27.3度、11月6日が14.3度であり、最高気温はそれぞれ31.8度、18.5度、最低気温はそれぞれ23.9度、10.7度です。中国大陸の西安や洛陽や北京でも平均気温は次第に下がるのは同じでしょう。

 「秋を悲しいとする感じ方」は秋のシーズンを通して該当するのであれば、平均気温が日々低下してゆくという一方方向にのみ変化してゆくことが一因なのでしょうか。それならば、立冬以降の数週間も同じ傾向が続きます。

詠うとすれば「秋だから悲しい」のではなく、「秋になって悲しいことが(作者が関係する事柄で)起こった」からであろう、と思います。

 「もののあわれを感じる秋」とは「もののあはれを感じる光景が多々ある秋」と言う意であり、1-1-184歌~1-1-189歌は、それぞれ違うその光景を詠っています。

 ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただきありがとうございます。

 次回は類似歌cを検討したのち3-4-37歌が「恋の歌」かどうかを確認します。

(2023/6/24    上村 朋)

付記1.『古今和歌集』の巻三「秋歌上」の配列検討の経緯

① 「秋歌上」の配列は最初に「ブログ2018/9/3付け」等で3-4-28歌の類似歌のために検討した。その後3-4-37歌の類似歌のために前回「ブログ2018/11/19付け」で「秋歌上」で想定した歌群のうち「「秋くる」と改めて詠む歌群」の配列を検討した。

② その結果、次のことを指摘できる。

第一  『古今和歌集』の部立て「秋歌上」は、現代の季語の分類で「初秋」と「三秋」にあたる語句による景を詠う歌のみで構成している。時期はだから初秋にあたり、その語句の状況を細分した上で歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしている。

第二 歌群ごとに歌の内容は独立している。

第三 その歌群は、つぎのとおり。

  • 立秋の歌群 (1-1-169歌~1-1-172歌)。
  • 七夕伝説に寄り添う歌群 (1-1-173歌~1-1-183歌)
  • 「秋くる」と改めて詠む歌群 (1-1-184歌~1-1-189歌)
  • 月に寄せる歌群 (1-1-189歌~1-1-195歌)
  • きりぎりす等虫に寄せる歌群 (1-1-196歌~1-1-205歌)
  • かりといなおほせとりに寄せる歌群 (1-1-206歌~1-1-213歌)
  • 鹿と萩に寄せる歌群 (1-1-214歌~1-1-218歌)
  • 萩と露に寄せる歌群 (1-1-219歌~1-1-225歌)
  • をみなへしに寄せる歌群 (1-1-226歌~1-1-238歌)
  • 藤袴その他秋の花に寄せる歌群 (1-1-239歌~1-1-247歌)
  • 秋の野に寄せる歌群 (1-1-248歌)

第四 「「秋くる」と改めて詠む歌群」の歌の各作者は、秋が来ると、いろいろと思い、気をもむことが多い、と感じているのではないか。秋に関して(景観のみではなく)作者の心情につながるような形容のある歌のみである。この前後の歌群とはあきらかに異なる思いが歌となっている。この歌も例外ではないはずである。

第五 この歌の元資料が『千里集』のなかの1首であれば、「よみ人しらず」の歌として配列しているのは編纂者の意思である。すべて『古今和歌集』記載の歌は、その部立てと詞書に従って歌は理解するよう求められている。

(付記終わり  2024/6/24    上村 朋)