前回(2018/9/10)、 「猿丸集第28歌その2 やまのかげ」と題して記しました。
今回、「猿丸集第29歌 ゆづかあらため」と題して、記します。(上村 朋)
1. 『猿丸集』の第29歌 3-4-29歌とその類似歌
① 『猿丸集』の29番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。
3-3-29歌 あひしれりける女、ひさしくなかたえておとづれたりけるによみてやりける
あづさゆみゆづかあらためなかひさしひかずもひきもきみがまにまに
類似歌 『萬葉集』 2-1-2841歌。巻十一のうちの 「譬喩(2839~) 」
あづさゆみ ゆづかまきかへ なかみさし さらにひくとも きみがまにまに
(梓弓 弓束巻易 中見刺 更雖引 君之随意)
② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句~四句と、詞書が、異なります。
③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、昔の親密な関係に戻ることが確かになった時点の女の喜びの歌であり、類似歌は、まだ関係が出来ない前(あるいはできてほしい時点)の女の拒絶(あるいは願望)の歌です。
2.類似歌の検討その1 配列から
① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。
類似歌は 『萬葉集』巻第十一 古今相聞徃来歌類之上の、「旋頭歌」、「正述心緒」等とともにある「譬喩」に記載されている13首の3首目にあり、左注に「右一首、弓に寄せて思ひを喩へたるなり」とある歌です。「譬喩」の13首には左注があります。
② この歌の前後の歌として「譬喩」の13首(2839歌~2851歌)をとりあげ、その左注をみてみます。そして寄せている物が何を意味しまたは示唆しているかを諸氏の意見より記します。また、()内は当該歌の趣旨を私がまとめたものです。
寄衣喩思 2-1-2839歌:作者が、相手の女性を衣に喩える。
(貴方と一緒になったら人目につくかと謡いかけた男の歌)
同 2-1-2940歌:作者が、衣を作者以外の女性に喩える。
(来ないのは衣裳のようにお相手が沢山いるせいかと男に迫る女の歌。)
寄弓喩思 2-1-2841歌 (類似歌であり、後述)
寄船喩思 2-1-2842歌:洲に取り残された舟に、作者が、自身を喩える。
(相手の来訪を待ち望んでいる女の歌)
寄魚喩思 2-1-2843歌:簗にかかっている魚に、恋の相手を 作者がたとえる。
(娘に密かに通う男を長年気が付かなかった親の自虐の歌)
寄水喩思 2-1-2844歌:池の水を、作者が、自身の心に喩える。
(誠実さを相手に誓う歌。作者は男か。女でも可。)
寄菓喩思 2-1-2845歌:毛がいっぱい生えている桃(は立派な桃となる)を、作者は 自身に喩える。
(努力したので恋の成就を疑っていない男の歌。作者は女でも可。)
寄草喩思 2-1-2846歌:葛の這い広がって(追いかぶさって)いる状態を、男の作者自身に喩える。
(私の女であると宣言した男の歌)
同 2-1-2847歌: どんどん育つ菅を、作者の相手に喩える。
(早めに縁を作ったほうがよいのだ、と言い寄る男の歌。女でも可)
同 2-1-2848歌: 目的なく刈られた菅を、言い寄られた作者にたとえる。
(玩んだ男をなじった女の歌)
同 2-1-2949歌: 若草は、作者自身をさす。
(添い遂げたいと願う男の歌。女でも可)
寄標喩思 2-1-2850歌:標を、好いてもらえない作者に喩える。
(不安定な関係のままでいることを嘆く女の歌。)
寄滝喩思 2-1-2851歌:滝を、噂の高いことに喩える。
(ちょっと逢っただけで噂が高くなったらその後音沙汰のないのを恨む女の歌。)
③ 寄弓喩思の歌(類似歌)を除いて検討すると、みな相聞歌です。最初の寄衣喩思の2首は、2-1-2839歌を、逢いに行けない理由があるのだと訴えた歌とみれば、次の2-1-2840歌は、お相手が沢山いるのでしょうねと応えた歌とも理解でき、対の歌とみることができます。対の歌はこれだけで、寄せる物を越えて対の歌と見做せる歌もありません。又、恋の成就に向っての2-1-2939歌から時間軸上に並んでいる歌とも見えません。それぞれが独立した歌が2-1-2941歌以下の歌です。
このため、今除外していた類似歌も、「寄弓喩思」の歌が1首だけなので独立の相聞歌という理解でよい、と思います。
④ 「寄○喩思」の「○」は、作者、作者の相手、または(関係あるかにみえる)第三者を喩えています。例外は、「寄水喩思」の2-1-2844歌と「寄滝喩思」の2-1-2851歌であり、前者は、作者が、自身の心を指し、後者は、噂を指しています。
3.類似歌の検討その2 現代語訳の例
① 諸氏の現代語訳の例を示します。
・ 「梓弓の弓束を巻き替えて、途中で逢うことを止めて、再びまた私の気を引いても、あなたの心のままです。」(阿蘇氏)
・ 「梓弓の弓束を巻き代へ、又、中目刺を代へて引く如く、人が代り、手を代へて、私を誘はうとも、私はただ君につき随ふだけです。」(土屋氏)
② 阿蘇氏は、つぎのように指摘します。
・ 「ゆづか」は、弓の握りの部分。木の皮や獣の皮などで巻いた。取り替えるとは妻を替える譬喩。
・ 「なかみさし」は未詳とする説が多い。上(句)下(句)との続きからいって巻き替えて(新しい女性と交際して)後にさらに引く(ふたたび古なじみの私の気を引こうとする)というのであるから、(上下の間にある「なかみさし」の解は、『日本古典文学大系』等の説がおだやか。動詞「見さす」であり、「見終わらないで中止する」の意。
・ 「女性の歌で、個人的契機で詠まれたというよりも集団の場でのうたいものであったか。主意は(今も)自分の気持ちはかわらないことか。」
③ 土屋氏は、つぎのように指摘します。
・ 「(三句の)「なかみさし」は、東大寺献物帳中の弓の注記に「目刺」が二三見える。「みさし」はこれであらうという。弓の部分であろう。「なか」を中央の意と見れば、数個ある如くも見えるが明かでない。「目刺」の語からすれば、或は照準のための照星の如きものではあるまいか。それなら「中」は的中の中で旧訓の如く「あて」と訓むべき如くも思はれる。「みさし」は「めさし」とも訓み得よう。」
・ 「(四句にある万葉仮名)「更」は、「みさし」を弓の部分とすれば、「ゆつか」と同じく「かへて」と訓むべきであらう。」
・ 「あまたの(人の)誘因にはなびかず、ひたすら君に随う心と見なければ、五句が生きてこない。」
④ 『新編国歌大観』の『萬葉集』は、西本願寺本が底本ですが、この歌の三句「中見刺」の底本での訓みは「あてみてば(あてみれば)」です。
⑤ 五句「きみがまにまに」は、『萬葉集』に15例(首)あり、その万葉仮名はほとんどが「君之随意」であり、この2841歌も「君之随意」です (付記1.参照)。また、「ひかばまにまに」とある『萬葉集』歌が2-1-98歌の1例(首)(付記4.参照)があり、その万葉仮名は「引者随意」です。そして、勅撰集には「きみがまにまに」あるいは「ひかばまにまに」と表現する歌は、ありません。
4.類似歌の検討その3 現代語訳を試みると
① 類似歌は、左注に「右一首、弓に寄せて思ひを喩へたるなり」とある譬喩の部に置かれた歌であり、弓とその操作などにも隠喩がある、と理解してよい歌です。
そのため、上句「あづさゆみ ゆづかまきかへ なかみさし」を確認してみたいと思います。
まずは、用いられている語句についての検討をします。
② 初句「あづさゆみ」について、『萬葉集』を確認してみると、句頭に「あづさ(の)ゆみ」とある萬葉集歌が、34首あります(付記2.)。そのうち、「あづさゆみ」と結びつく語が「ひく」となる歌が、8首あります(各歌は付記4.参照)。弓の操作「引く」から、「相手の気を引く」を導いて用いられている類の歌です。
この8首の作者を女と仮定すると、弓を引くとは、相手の気を引く・相手を引き付けることであり、弓は相手の男の意となりました。作者が男と仮定すると、弓を引くとは、相手を引き付けようとする作者自身の意と理解できます。弓の操作をしようとしているのですから、女ではなく腕力のある男です。
「あづさゆみ」の隠喩の候補は、特定のある男性か男性一般のどちらかのようです。
このように、上記2.でみたように、「寄○喩思」の「○」は、作者、作者の相手、または(関係あるかにみえる)第三者を喩えている例にこの類似歌も該当します。
③ 二句にある「ゆづか」について、『萬葉集』での用例を、句頭にある「ゆづか」で確認してみると、4首あります。(付記3.)
「ゆづか」には、何かを巻くようです。弓の一部を指す名称と推測できます。頻繁に巻き直しをしなければならない部分かどうかは分かりません。
④ 公益財団法人全日本弓道連盟HPをみると、弦弽(ゆがけ)、弓道着や袴などと共に道具のひとつに弓をあげ、その部分部分の名称を説明していますが、「弓束」という名称はありません。
弓の中程の矢をつがえて握るところ付近の名称として、上から「矢摺藤(やずりどう)」、「藤頭(とがしら)」、「握り」、「手下」の4つをあげています。「矢摺藤(やずりどう)」の長さは6cmと説明し、そこに巻く藤をも「矢摺藤(やすりとう)」と呼び「握りの上に巻く、段々細くなる(ように)加工を施した籐のことで、長さは弓1張り分」という説明があります。
また、「現在の弓道で使う弓には照準器がついていません」との説明もあります。
「デジタル大辞典」(小学館)には「ゆづか(弓束・弓柄)」に3つの意があるとし「a矢を射るとき、左手で弓を握る部分、bゆみづか、cそこ(弓を握る部分)に巻く藤」と説明しています。
⑤ 「ゆづか」を「まきかへ」る(動詞で「巻き替える意」)のは、弓そのものにかかわる作業・行為です。だから、三句にある「みさし」が同じく動詞であるならば、「ゆづかをまきかへる」以外の弓そのものにかかわる作業・行為と理解してよい、と思います。弓を「ひく」行為は、その後の作業・行為となります。
三句「なかみさし」の「みさし」が、四段活用の動詞「みさす(見止す)」の連用形であれば、「見るのを中途でやめる」の意があります(『例解古語辞典』より)が、この歌における意はまだよくわかりません。とりあえず「何らかの弓に対する作業・行為」として以下検討します。
⑥ 二句と三句の「ゆづかまきかへ なかみさし」は、二つの作業・行為を詠っている順に行うものとこの歌からは理解できます。
続けて「さらにひく」と詠んでいるので、「ゆづかまきかへ なかみさし」という作業・行為をしなくとも「ひく」ことはできるようです。わざわざしている作業・行為が、「ゆづかまきかへ なかみさし」であり、何かの理由があって行う必要が生じる「ひく」ための準備行為のひとつとみなせます。
見方を変えると、「ゆづかまきかへ なかみさし」は、弓を引くのに通常はともに行わなくともよい作業・行為となります。男女の間のことでこれを考えるならば、特別な土産とか課されたペナルティを解消する行為とか指定された状態を保つ行為などが該当すると思います。
⑦ 次に、四句「さらにひくとも」の副詞「さらに(更に)」には、「あらためて、事新しく、いまさらのように」とか「重ねて、加えて、そのうえに」などの意があります(『古典基礎語辞典』)。
「さらにひく」行為をする者は、「あずさゆみ」という語で示された男であり、特定のある男性か男性一般かのどちらかです。
特定のある男性であると、その人物が(「なかみさし」などの条件を整えて)再チャレンジすることであり、「さらに」は、「重ねて、加えて、そのうえに」の意です。
男性一般であると、その人物が(「なかみさし」などの条件を整えて)再チャレンジするほか、「ひく」行為を以前行った人に替わって(「なかみさし」などの条件を整えた)違う人が作者にアタック、ということの意も生じて、「さらに」とは「あらためて、事新しく、いまさらのように」の意となります。
また、「とも」は逆接の仮定条件を表わす接続助詞であり、「たとえ・・・ても」、の意と、既に起こってしまったことを仮定的に表現し「すでに・・しているが、たしかに・・・ても」の意とがあります。
⑧ 五句「きみがまにまに」とは万葉仮名「君之随意」に示されているように、「貴方の気に召すまま」の意です。万葉仮名「君之随意」と記述された大方の歌と同じく、また、土屋氏のいうように、この歌は、五句の万葉仮名「君之随意」を相手に伝えたいのが趣旨の歌と理解します。
⑨ 以上の結果を踏まえ、詞書(題詞)に留意し、現代語訳を試みると、次のとおり。弓を引く者に2案ありますので、(試案)も2案あります。
A:「あづさゆみ」の隠喩の候補は、特定のある男性
「(貴方は)梓弓の弓束を(時には)巻替えて中見さすということまでしたうえで、改めて弓を引こうとしています。弓を引くのは、たしかに弓を引く方のお考え次第でしょう。それと同じように、気持ちを改めるなどして私にアプローチしてくださるのも貴方のお気に召すままなのですよ。(そうしたら私は喜んでうけましょう)。」
この歌は、「ゆづか・・」ということをして弓を使い続けることもあるではないかと例を示して、女が相手に行動を促した歌です。「とも」は、既にそのようなことが弓で行われているが、の意であり、既に起こってしまったことを仮定的に表現していることになります。
この(試案)は、阿蘇氏の訳に近いですが、三句「なかみさし」の理解の差により、作者が男に条件を付けているかの歌という理解になりました。
B:「あづさゆみ」の隠喩の候補は、男性一般
「(男の方は)梓弓の弓束を(時には)巻替え、中見さすということまでして、更に弓を引いてみようとします。それは弓を引くひとのお考え次第でしょう。みなさんがそのように色々考えられて事新しく私を誘うのもみなさんの自由でしょう。そのようなことをいくらしても、私はあの人につき従うつもりですので。」
五句「きみがまにまに」の「きみ」は、「私が思い焦がれている(皆さんもご存知の)あの人」の意であり、「さらにひ」こうとしている人ではありません。
この(試案)は、土屋氏の訳と趣旨が同じです。「とも」は、逆接の仮定条件を表現していることになります。
⑩ この歌が、集団の場の謡い物ならば、相手の集団の中に心を寄せている男がいるとすれば、自分への再チャレンジを仲間とともに促している意の女の歌とも、断っても(懲りないで)再チャレンジする男どもをからかって「私には心を寄せる男がいます。」の意の女の歌とも、理解できます。どちらの場合も、作者が「心を寄せる男」は、その集団内では周知のことですから、この歌の前に謡われた相手の集団側の歌によって、この歌の意は、どちらかに決まったと思います。
『萬葉集』の採録者が、両方の意があることを承知で採用したとすると、『萬葉集』巻第十一にあるそのほかの譬喩歌にも両意があるものがあると思います。それは、今3-4-29歌の類似歌としての検討の外なので、別の機会を待つこととします。
5.3-4-29歌の詞書の検討
① 3-4-29歌を、まず詞書から検討します。
② 「あひしれりける女」とは、馴れ親しんでいたことのある女、男からいうと昔通っていた女、男女の間柄であった女、の意です。
③ 現代語訳を試みると、次のとおり。
「男女の間柄であった女が、長く遠ざかっていた男の訪れがあって後に、詠んで送った(歌)」
6.3-4-29歌の現代語訳を試みると
① 「ゆづか」とは、矢を射るとき、左手で弓を握る部分を指す、と理解します。弓を射るときしっかり握る重要なポイントとなります。
② 二句にある「あらため」とは、下二段活用の動詞「改む」の連用形です。「新しくする」意のほか、「着替える」、「よりよい状態に直す・改善する」意があります(『古典基礎語辞典』)。さらに後世「調べる・吟味する」意も加わっています。「あらため」た後に「なかひさし」という状態になったと詠っています。
③ 三句にある「なか」は、時間的に三分した中間の期間の意です。以前逢っていた頃と、昨日から今朝まで逢っていた時間帯に挟まれた期間(つまり逢っていなかった期間)をさし、「なかひさし」とは、「逢わないでいた日時が長かった」、の意です。
④ そうすると、「ゆづかあらためなかひさし」とは、「矢を射るのに重要な梓弓のゆづかの部分のように、貴方と私の間を結んでいた関係を貴方が新しいものにして(私を遠ざけて)から長い日時が過ぎた」、の意となります。
弓の「ゆづか」という部分は、類似歌が「まきかへ」と詠っているように、時々藤を巻き直し仕立て直す必要がある部分であるようですので、「まきかへ」たことを非難している訳ではありません。
⑤ 詞書によれば、これは、男が帰ってからおくった歌、つまり後朝の歌、となります。
⑥ 詞書に従い、現代語訳を試みると、次のとおり。
「矢を射るのに重要な梓弓のゆづかの部分のように、貴方と私の間を結んでいた関係を貴方が新しいものにして(私を遠ざけて)から長い日時が過ぎました。昨夜お出でいただき一緒の時間を過ごさせていただきました。これからは、弓を引かないのも弓を引くのもその弓を使う人の意思ひとつであるように、私は、あなたのお心のままです。」
男が訪れるのですから、ある程度手順というものが貴族であれば有るでしょう。作者は不意に男を迎えたのではないと思います。後朝の歌をおくったことは、これからもよろしく、ということです。
7.この歌と類似歌とのちがい
① 詞書の内容が違います。この歌は、詠む経緯を具体に記しています。類似歌は、詠む経緯がわからず、左注を含めても弓に例えた相聞の歌としかわかりません。
② 二句の語句が異なります。この歌3-4-29歌の「あらため」が、類似歌2-1-2841歌では、「まきかへ」となっています。
その意は、この歌では、「新しくして・よりよい状態に直して」の意であり、詞書を踏まえると、「男が私との関係を新しくして(私を遠ざけるという状態になって)」、の意となります。類似歌では、「取り替えた、巻く材料を新調して仕立てた」、の意となります。
③ 三句の語句が異なるようです。この歌3-4-29歌は、「なか(中)ひさし」と単に逢わなかった時間の長かった、の意です。これに対して、類似歌2-1-2841歌は、不明です。「みさす」が動詞「見止す」であると、少なくとも 時間が長い意ではなさそうです。
④ この結果、この歌は、今後の交際を受け入れた歌であり、類似歌は、「なかみさし」が不明の作業・行為のままであっても、特定の気を引いてほしい男性にお願いしている歌、もしくは寄ってくる男に断りを告げている歌です。
つまり、この歌は、昔の親密な関係に戻ることが確かになった時点の女の喜びの歌であり、類似歌は、まだ関係が出来ない前(あるいはできてほしい時点)の女の拒絶(あるいは願望)の歌です。
④ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。
3-3-30歌 <詞書なし>
あらちをのかるやのさきにたつしかもいとわがごとく物はおもはじ
類似歌 類似歌は2首ある。
a 『人丸集』3-1-216歌。『柿本集 下』
あらちをのかるやのさきにたつしかもいとわがごとにものはおもはじ (四句いとわればかり、(とも))
b 『拾遺和歌集』1-3-954歌。「題しらず 人まろ」 (巻第十五 恋五)
あらちをのかるやのさきに立つしかもいと我ばかり物はおもはじ
この歌と類似歌は、趣旨が違う歌です。
⑤ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。
次回は、上記の歌を中心に記します。
(2018/9/17 上村 朋)
付記1.『萬葉集』の「きみがまにまに」とある歌(15首)
①『萬葉集』には、「きみがまにまに」と詠う短歌が、13首ある。つぎのとおり。
2-1- 415歌 巻第三 譬喩歌 市原王歌一首
いなだきに きすめるたまは ふたつなし かにもかくにも きみがまにまに (君之随意)
2-1- 793歌 巻第四 相聞 又家持贈藤原朝臣久須麿歌二首(792^793)
はるかぜの おとにしいでなば ありさりて いまにあらずとも きみがまにまに (君之随意)
2-1-1313歌 巻第七 譬喩歌
寄海かぜふきて うみはあるとも あすといはば ひさしかるべし きみがまにまに (公随)
2-1-1916歌 巻第十 春相聞 寄霞
たまきはる わがやまのうへに たつかすみ たつともうとも きみがまにまに (君之随意)
2-1-2355歌 巻第十一 旋頭歌
にひむろの かべくさかりに いましたまはね
くさのごと よりあふをとめは きみがまにまに (公随)
2-1-2542歌 巻第十一 正述心緒
たらちねの ははにしらえず わがもてる こころはよしゑ きみがまにまに (君之随意)
2-1-2568歌 巻第十一 正述心緒
ひとめもる きみがまにまに(君之随尓) われさへに はやくおきつつ ものすそぬれぬ
2-1-2699歌 巻第十一 寄物陳思
かにかくに ものはおもはじ あさつゆの あがみひとつは きみがまにまに(君之随意)
2-1-2749歌 巻第十一 寄物陳思
おほぶねの ともにもへにも よするなみ よすともわれは きみがまにまに (君之随意)
2-1-2841歌 (この類似歌) (君之随意)
2-1-3299歌 巻第十三 相聞
(反歌) たらちねの ははにもいはず つつめりし こころはよしゑ きみがまにまに(君之随意)
2-1-3395歌 巻第十四 相聞
むざしのの くさはもろむき かもかくも きみがまにまに(伎美我麻尓末尓) わはよりにしを
(左注あり、右九首(実際は3390~3399)武蔵国歌)
2-1-4529歌 巻第二十 二月於式部大輔中臣清麿朝臣之宅宴歌十首
いそのうらに つねよひきすむ をしどりの をしきあがみは きみがまにまに
(伎美我末仁麻尓)
②『萬葉集』には、「きみがまにまと」と詠う長歌が、2首ある。つぎのとおり。
2-1-1789歌 巻第九 相聞 神亀五年戊辰秋八月歌一首幷短歌
・・・ しにもいきも きみがまにまと おもひつつ ・・・ (君之随意常)
2-1-4017歌 敬和遊覧布勢水海賦一首幷一絶
・・・ かもかくも きみがまにまと かくしこそ ・・・ (伎美我麻尓麻等)
付記2.『萬葉集』で句頭に「あづさゆみ」とある歌(34首)
① 『萬葉集』で句頭に「あづさ(の)ゆみ」とある歌について、「あづさゆみ」という語句がどのような語句と意味の上で強く結びついているかをみると、次の表のとおりである。 分類Aの歌は付記4.に記す。
分類 |
「あづさゆみ」が結びつく語 |
該当する歌の番号 |
事例数 |
A |
引く |
98 99* 2510 2648 2841* 2999 3000 3002* |
8 |
B |
音・(便りなどを)聞く |
207 207イ 217 314 534 4238 |
6 |
C |
はる(張る・春) |
1833 |
1 |
D |
よる(寄る) |
3002* 3509 3510* |
3 |
E |
地名「引津」 |
1283 1934 |
2 |
F |
ますらをのいでたち表現 |
230 481 3316 3907 4118 |
5 |
G |
「すゑ」(末、地名の「すゑ」) |
1742 2646 2997 2998 3001 3163 3510* |
7 |
H |
部位を特定する修飾語 |
3 99* 2841* 3507 3589 4188 |
6 |
計 |
|
|
38 |
注1)歌の番号は、『新編国歌大観』所載の『万葉集』の歌番号
注2)「*」は、ダブって各分類に計上している歌(各歌2分類ずつ)
注3)分類の概要つぎのとおり
分類Aは、弓の操作「引く」から「相手の気を引く」を導いて用いられている類である。
分類Bは、弓の操作から「音」の枕詞となっている類で、(便りなどを)聞くを導いている。
分類Cは、弓の操作「張る」から同音の「春」を導いている。
分類Dは、弓の操作により「弓の本と末がよるから」同音の「(近)寄る」を導いている。
分類Gは、弓に本と末があるのでその「末」から同音の「(空間的時間的に進む方向性と行きつく範囲・限界を意識した)物事の末)」(『古典基礎語辞典』)や地名の「すゑ」を導いている。
注4) ダブって各分類に計上している歌は、つぎのとおり。
2-1-99歌は、「あづさゆみ つら(H)をとりはけ ひく(A)ときは のちのこころを・・・」
2-1-2841歌は、「あづさゆみ ゆづか(H)まきかへ なかみさし さらにひく(A)とも・・・」また、「ゆづか」も句頭にある歌である。
2-1-3002歌は、「いまさらに なにをかおもはむ あづさゆみ ひきみ(A)ゆるへみ より(D)にしものを」
2-1-3510歌は、「あづさゆみ すゑ(G)はより(D)ねむ まさかこそ・・・」
② 『萬葉集』で句頭に「あづさのゆみ」とある歌は、2-1-3歌と2-1-3589歌の2首でありその他は「あづさゆみ」である。
2-1-3歌 天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌
やすみしし 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 朝猟に 今立たすらし・・・(・・・梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓・・・)
2-1-3589歌 防人歌 (ゆづかも句頭にある歌)
置きて行かば妹はま愛し持ちて行く梓の弓の弓束にもがも
(於伎弖伊可婆 伊毛婆麻可奈之 母知弖由久 安都佐能由美乃 由都可尓母我毛)
付記3.『萬葉集』で句頭に「ゆづか」とある歌(4首)
① 句頭に「ゆづか」とある歌は、つぎのとおり。
2-1-1334歌 寄弓
みなぶちの ほそかはやまに たつまゆみ ゆづかまくまで(弓束級) ひとにしらえじ
2-1-2841歌 (この類似歌) ゆづかまきかへ (弓束巻易)
2-1-3506歌 相聞
かなしいもを ゆづかなべまき(由豆加奈倍麻伎) もころをの こととしいはば いやかたましに
2-1-3589歌 防人歌
おきていかば いもはまかなし もちてゆく あづさのゆみの ゆづかにもがも((由都可尓母我毛))
付記4.『萬葉集』で句頭に「あづさ(の)ゆみ」があり、「ひく」の語がある歌は次の8首である。
2-1-98歌 あづさゆみ ひかばまにまに よらめども のちのこころを しりかてぬかも
梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨 郎女
2-1-99歌 あづさゆみ つらをとりはけ ひくひとは のちのこころを しるひとぞひく
梓弓 都良絃取波気 引人者 後心乎 知人曽引 禅師
2-1-2510歌 あづさゆみ ひきてゆるさず あらませば かかるこひには あはざらましも
梓弓 引不許 有者 此有恋 不相
2-1-2648歌 あづさゆみ ひきみゆるへみ こずはこず こばこそをなぞ こずはこばそを
梓弓 引見弛見 不来者不来 来者来其乎奈何 不来者来者其乎
2-1-2841歌 類似歌(本文1.に記す)
2-1-2999歌 あづさゆみ ひきみゆるへみ おもひみて すでにこころは よりにしものを
梓弓 引見緩見 思見而 既心歯 因尓思物乎
2-1-3000歌 あづさゆみ ひきてゆるへぬ ますらをや こひといふものを しのびかねてむ
梓弓 引而緩 大夫哉 恋云物乎 忍不得牟
2-1-3002歌 いまさらに なにをかおもはむ あづさゆみ ひきみゆるへみ よりにしものを
今更 何壮鹿将念 梓弓 引見弛見 縁西鬼乎
(付記終り 2018/9/17 上村 朋)