わかたんかこれ 巻三雑歌は将来も詠う 萬葉集巻三配列その22

 前回(2022/10/31)のブログに引き続き、萬葉集巻三の配列の検討結果を、「わかたんかこれ 巻三雑歌は将来も詠う 萬葉集巻三の配列その22」と題して、記します。歌は、『新編国歌大観』によります。(上村 朋)

1.~35.承前

 『萬葉集』巻三の雑歌について、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 萬葉集巻三の配列その1」(2022/3/21付け)から、「同 萬葉集巻三配列その21(2022/10/31付け)において検討してきました。

 そのまとめがまだ残っているところです。

36.『萬葉集』巻三雑歌の総括

① 巻三雑歌について、『萬葉集』の歌は、(その『萬葉集』に記載の)題詞のもとに歌があるという普通の理解が妥当であるという仮説を検証しつつ、歌と天皇の各種統治行為との関係を重視して検討してきました。「36.」~「38.」に総括をしたい、と思います。

② 巻三雑歌には、『新編国歌大観』によれば158首が配列されています。歌と天皇の各種統治行為(11区分)との関係は、当初表Eと整理でき最終的には、下記「37.」に示す「表E’」となりました。

それを、年代順は4区分、歌と天皇の各種統治行為は2区分として、歌数を集計したのが、下記「37.」に示す「表 天皇の代による4グループ別にみた巻三雑歌の配列状況」です。

 下記「38.」には、各歌の理解の経緯を記しました。

 なお、巻三までにある題詞の割注は、巻三編纂者が記したものではなく、左注も同様であることを事前に確認できたので、巻三雑歌にある歌の理解の根拠としていません。

③「表E’」における「関係分類」欄に示す天皇の統治行為の仕分けは、巻一雑歌の検討で用いたものです。(ブログ2022/3/21付け本文「2.」参照)。 

④ 関係分類の「A1,A2又はB」の歌は、4つの歌群にまとまり、天皇の代順に(そのほかの関係分類の歌を挟んで)配列されていました。それぞれの歌群の最初の歌は、2-1-235歌、2-1-290歌、2-1-315歌、及び2-1-378歌となります。

⑤ そのほかの関係分類の歌も、関係分類の「A1,A2又はB」における4つの歌群に整理でき、巻三雑歌に配列されている歌全158首は、天皇の代を年代順に4つのグループに大別したうえでグループ順に配列されている、と確認できました(下記の「表 天皇の代による4グループ別にみた巻三雑歌の配列状況」参照)。

⑥ 配列されている歌は、官人が私的に書き留めていた歌です。それに編纂者が題詞を作文しています。その歌を元資料と称すると、それは、律令に基づく儀礼やそれと一体の公的宴あるいは官人同士の歓送迎会において、披露された歌(伝承歌も含む)が主体です。そのほか書状に書き記したものと作者の手控えがあります。

その元資料の歌意は、それが披露された場に沿って理解されるものであって、巻三雑歌における歌意とは別になります。

⑦ 題詞の作文は、簡潔を極めた倭習漢文であり、当時の官人の常識に従った用字法によっている、といえます。これは巻一雑歌でも同じです。

⑧ 前後の題詞をも考慮すると、歌に暗喩あるいは示唆が多々ありました。それらから、巻三雑歌の編纂時点を、聖武天皇の御代と固定して、天智系の天皇の時代に最終的に編纂されていると、いえます。そして、巻三の最後の編纂者は、『萬葉集』の公表を許されるように巻一と巻三の雑歌全体を見直す作業を行っています。その結果、『萬葉集』が公に認められたのは今上天皇への忠誠の証左となったからではないか、と推測します。

⑨ 巻三雑歌は、最後の編纂者による次のような方針のもとに編纂されている、と推測できます。

第一 編纂時点を聖武天皇の御代と固定する。

第二 天武天皇から聖武天皇までを即位順に3グループとしたのち、聖武天皇の御代終了後に即位する天皇の時代を「寧楽宮」の御代と称した4つ目のグループを作る。そして、3つ目のグループで聖武天皇崩御に関する歌は配列しない。

第三 「寧楽宮」とは、聖武天皇崩御以降において官人が希望を寄せる男性の天皇を想定している御代に擬す。そのため、巻一の標目にある「寧楽宮」の意と通じます。

第四 各グループは、歌と天皇の統治行為の関係分類の「A1,A2又はB」により区分を示し、「C」以下の区分の歌により当代の治世を表現する。

第五 巻三雑歌の最終の編纂に合わせ、『萬葉集』の公表を許されるよう巻一と巻三の雑歌全体の統一性をとるよう巻をまたいで見直す。

第六 代々の天皇の庇護のもとに次の天皇は即位するものであり、「寧楽宮」の御代の天皇とその御代を予祝する。

⑩ なお、暦年順の題詞からみると、巻一(部立ては雑歌のみ)の標目「寧楽宮」とは、和銅五年と明記した歌のあとに配列されているので少なくとも元明天皇以降の御代を指すことができます。また標目「寧楽宮」のもとにある2-1-84歌は「秋去者 今毛見如 妻恋尓 鹿将鳴山曽 高野原之宇倍」(あきさらば・・・)」と作詠時点より以後のことのことを(確実に予測できることとして)詠っており、「寧楽宮」の御代を予祝している暗喩を込めた歌とも理解ができます(元資料の歌意は別です)。

巻二相聞も題詞の配列から、元明天皇以降の御代を指すことができます。

巻三挽歌も題詞の配列から、天平16年の安積皇子の薨去のあった後の御代(孝謙天皇以降)を「寧楽宮」と称することができます(次回に詳細を記します)。

巻四相聞はその最後の歌が藤原久須麻呂(天平宝字8年(764)刑死)に報贈する歌で終わっており、その年に披露された歌と想定すると称徳天皇の御代が始まった年なので、少なくとも次の光仁天皇の御代以降を「寧楽宮」と称することができます。

⑪ 巻三雑歌最後の編纂者については未検討です。

 

37.『萬葉集』巻三雑歌にある歌の配列状況

二つの表にまとめました。

表 天皇の代による4グループ別にみた巻三雑歌の配列状況(2022/10/10現在における表E’に基づいた表)  (2022/10/31現在)

歌群のグループ名

歌番号

関係する天皇

  計

関係分類A1~B

左以外の関係分類

第一

235~245 (11首)

246~289 (44首)

天武天皇

持統天皇

文武天皇

 55首

第二

290~291 (2首)

292~314 (23首)

元正天皇

元明天皇

 25首

第三

315~328 (14首)

329~377  (49首)

聖武天皇

 63首

第四

378~380 (3首)

381~392  (12首)

寧楽宮

15首

 計

        (30首)

        (128首)

 

158首

注1)歌番号は、『新編国歌大観』記載の『萬葉集』での歌番号

注2)「関係分類」とは、歌と天皇の統治行為との関係を事前に用意した11種類の分類をいう。関係分類「A1~B」とは「A1」、「A2」及び「B」の関係分類である。関係分類名は表E’参照。各歌について、分類保留の歌はなく、複数の分類に該当した歌もない。

注3)この表は、表E’をもとに、作成した。結果として「表 万葉集巻三雑の部の配列における歌群の推定(20222/3/21現在)」と同じになった。

注4)「関係する天皇」欄の「寧楽宮」とは、聖武天皇崩御後に即位する(官人が待ち望んだ)天皇を示唆している。『萬葉集』が公表された時の天皇が天智系の天皇であるので、皇位継承の天武系から天智系への転換を編纂者は念頭において、第四のグループを設けた、と推測できる。結果的に、巻一雑歌にある標目「寧楽宮」の意と重なり得る。 

注5)「歌番号:左以外の分類」欄の歌で一番多い関係分類は「C」である。「H」と「I」には、「G」までに分類できない歌を天皇の下命の有無で分類した。

 

表E’ 巻三雑歌にある歌(158首(2-1-235~2-1-392))と天皇の統治行為との関係の一覧表  (2022/10/31現在 )

関係分類

歌数

該当歌

備考

A1天皇及び太上天皇などの一般的公務に伴う(天皇が出席する儀礼行幸時の)歌群、但しA2~Hを除く)

 

29

2-1-235 行幸時の人麿歌

2-1-236 天皇出御の宴席時

2-1-237 (持統)天皇

2-1-238 復命歌

2-1-239 応詔歌:長忌寸意吉麻呂歌 

2-1-240~2-1-242 天皇の代理としての長皇子の狩を詠う:人麿歌

2-1-243~2-1-245 行幸準備:弓削皇子

天武天皇時が第一候補

 

 

持統・文武行幸

皇子は遊猟を勝手に行えない

題詞の「遊」は行幸準備。

2-1-290志賀行幸企画時:石上卿歌

 

2-1-291前歌に和する歌:穂積朝臣老歌

企画のみで終わった行幸

あるいは待望する行幸か。

同上

2-1-316 行幸時の歌:土理宣令歌

2-1-317 旅中歌:波多朝臣小足歌

 

 

2-1-318,2-1-319 行幸準備時:中納言大伴卿歌

2-1-320,2-1-321 旅中歌:赤人歌

 

2-1-322~2-1-324 旅中歌:作者不明

 

2-1-325,2-1-326 旅中歌:赤人歌

 

2-1-327,2-1-328 行幸時:赤人歌

 

作者は持節大将軍藤原宇合を迎えに行った使節一行の一人

行幸聖武天皇即位の関連行事 聖武天皇の御代を予祝

即位を祝い富士山のように語り継がれる御代と詠う

皆が仰ぎ見る富士山を詠うことで天皇を予祝

斉明天皇の故事を詠い天皇即位を予祝

即位時の歌 天皇の代理に赤人が詠う

2-1-378 行幸準備:湯原王

 

2-1-379 阿倍内親王五節舞を舞った時の宴席歌:湯原王

2-1-380 「吾君」を褒めたたえた挨拶歌:湯原王

聖地吉野には皇子の意志だけでは行けない

天智系への天武系の天皇の配慮か

 

「吾君」は「寧楽宮」

 

A2天皇及び太上天皇などの死に伴う歌群

0

無し

 

B天皇が下命した都の造営・移転に関する歌群

 

1

2-1-315 復命歌:藤原宇合

 

知造難波宮事に任じられたときの決意表明

 

C天皇の下命による官人などの行動に伴う歌群(Dを除く)

66

2-1-246, 2-1-247 平城京での宴席の歌:長田王歌

2-1-248 上記の宴席で和した歌 和する歌:石川大夫

2-1-249上記の宴席で和した歌: 長田王歌

2-1-250~2-1-258 旅中歌:人麿歌

 

2-1-265 旅中歌:滋賀を詠う:刑部垂麿歌

2-1-266 旅中歌:宇治川を詠う:人麿歌

2-1-267 旅中歌:降雨中の行旅を詠う:長忌寸意吉麿歌

2-1-268 旅中歌:琵琶湖の夕景を詠う:人麿歌

2-1-272~2-1-280 旅中歌:高市連黒麿歌 

2-1-281 旅中歌:石川少郎歌

2-1-282,2-1-283 旅中歌:高市連黒麿歌 

2-1-284 応答歌 高市連黒麿妻歌

2-1-285 旅中歌 春日蔵老歌

2-1-286 旅中歌:高市連黒麿歌

2-1-287 旅中歌:春日蔵老歌

2-1-288 旅中歌:紀伊国 笠麿歌

2-1-289 旅中歌:前歌に和した歌 春日蔵首老歌

題詞での「・・・之時」は話題になった時の意 挨拶歌

 

 

 

水島を望見したと仮定した歌

近江国より上京時

 

近江国より上京時 

 

地名の特定は保留 行幸時なら作者は先遣隊員か

 

 

 

送別の席の歌

 

送別の席の歌

公務での夜行か

 

 

従駕時のうたではない。

 

2-1-299,2-1-300 旅中歌:田口益人大夫歌

2-1-301 還俗して従駕が決まった時の歌:弁基(であった春日蔵老の)歌

2-1-303,2-1-304 旅中歌:長屋王

2-1-306,2-1-307 旅中歌:人麿歌

2-1-308 近江旧都を詠う:高市連黒人歌

2-1-309 児のおねだりの歌:安貴王歌

2-1-313 別れの挨拶歌:門部王歌

2-1-314 挨拶歌:(木偏に安)作村村主益人歌

駿河国の景

作者が還俗者であることを強調

「駐馬」の理由保留

 

 

 

「幸伊勢之国時」は従駕の意ではない

 

2-1-329 畿内の境明石の漁民を詠う:門部王歌

2-1-358管内巡察時の宴席歌 生石村主真人歌

2-1-360~2-1-366 旅中歌:赤人歌

2-1-367,2-1-368 旅中歌:笠金村歌

2-1-369,2-1-370 旅中歌:笠金村歌

2-1-371 着任の挨拶歌:石上大夫歌

2-1-372 復命歌:作者未詳

2-1-373 宴席歌。主賓の着任歓迎歌:安倍広庭卿歌

2-1-374 任国での歌:門部王歌

漁火の示す現実(泰平)に作者の門部王が気付いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2-1-381藤原家の庭園を詠みその屋敷で生まれた聖武天皇の皇太子基皇子を詠む歌:赤人歌

2-1-391,2-1-392 旅中歌:作者未詳の別々の伝承歌

次期天皇(この歌では基皇子)を予祝

 

2-1-392は部立て最後の歌(反歌

D天皇に対する謀反への措置に伴う歌群

0

無し

 

E1皇太子の行動に伴う歌群(E2を除く)

0

無し

 

E2 皇太子の死に伴う歌群

0

無し

 

F皇子自らの行動に伴う歌群(当人の死を含む)

 

4

2-1-263,2-1-264 雪を詠う新田部皇子への人麿歌 

2-1-269 むささびを詠う志貴皇子

 

2-1-270 故郷を詠う長屋王

新田部皇子は735没

 

伝承歌を皇子作としている。志貴皇子は716没

長屋王は729没

G皇女自らの行動に伴う歌群(当人の死を含む)

0

無し

 

H下命の有無が不明な事柄に伴う(作詠した官人自身の感慨を詠う)歌群

10

2-1-259~2-1-262 香具山とその麓の現況を嘆く歌:鴨君足人歌

2-1-271 諧謔の歌:阿倍女郎歌

 

 

 

阿倍女郎は中臣東人との贈答歌がある。

2-1-295~2-1-298 起承転結の4首:角麿歌

摂津住吉を褒める伝承歌

2-1-359 明日香への望郷歌:上古麿歌

 

I天皇の下命がなく、事にあたり個人的な感慨を詠う歌群

 

48

2-1-292,2-1-293* 月齢が大変若い月(初月)の見え始めと見納めを詠う :間人宿祢大浦歌

2-1-294 山を越えると詠う:小田事歌

 

2-1-302 降雪の時期もよい時期と詠う:大納言大伴卿歌

2-1-305 目的地まで道程が遠いと詠う:中納言安倍広庭歌

2-1-310~2-1-312 昔の人である久米の若子を詠う:博通法師歌

元明天皇元正天皇を示唆しているか。

 

二句にある「勢能山」は「わが親しい男性」を示唆する

元資料は宴席での題詠か

 

 

 

昔の人とは文武天皇を示唆するか

2-1-330 応答歌:通観歌

2-1-331~2-1-340 宴席での題詠歌: 大宰少弐小野老などの歌

2-1-341~2-1-353 讃酒歌:旅人歌

2-1-354 応答歌: 沙弥満誓歌

2-1-355 旅中歌:若湯座王

2-1-356 白雲の叙景歌:釈通観歌

2-1-357 白雲の叙景歌:日置少老歌

2-1-375,2-1-376 :春日野を舞台にして詠う:赤人歌

 

2-1-377 和した歌:石上乙麿歌

 

 

順調な御代を詠う

望郷歌&天皇賛歌

讃酒歌に和した歌

 

 

 

 

春日野は祈願の地。聖武天皇に御子を授かるのを願う。こひ=乞ひ・祈ひ

光明子に児が授かるのを願う。

2-1-382,2-1-383 逢うことを祈願する歌 :大伴坂上郎女

 

2-1-384:送別の歌:筑紫娘子歌

 

 

 

2-1-385,2-1-386 国見の山に見立てた筑波山に登ったと詠う:多比真人国人歌

2-1-387 韓藍を懲りないで育てようと詠う歌:赤人歌

2-1-388~2-1-390 つみのえだを題材に詠う:作者未詳歌

「君」は現世の人物で遣唐使の一員となった大伴古麻呂

元資料は筑紫から出立する者への伝承歌。4つ目のグループの天皇への代替えを示唆するか

 

作者とともに誰かが登ったと詠う。

 

山部親王皇位継承を是とする歌

その人がつみのえだを手にするのは納得がゆくと詠う

158

 

 

注1)歌は、『新編国歌大観』の巻番号―当該巻の歌集番号―当該歌集の歌番号で示す。

注2)歌の理解は、下記「38.」に記す。「備考」欄のコメントはその一端。

注3)「該当歌」欄の作者は、題詞により判断している。

注4)表E作成後、関係分類を変更した歌は次のとおり(その結果がこの表E’である)

表Eにおいて関係分類欄◎印の歌(計7首) 

 2-1-240 ~2-1-242歌(C→A1)

 2-1-316歌&2-1-317歌 (C→A1)

 2-1-325歌 &2-1-326歌 (C→A1)

そのほか表E作成後の検討で関係分類を変更した歌

 2-1-301歌 (I→C)

 2-1-309歌 (I→C)

 2-1-381歌 (H→C)

 2-1-384歌~2-1-386歌 (C→I)

注5)表E作成後、歌の理解を深めた歌が上記注3の歌のほかにもある。例)2-1-291歌、2-1-379歌、2-1-380歌

 

38.『萬葉集』巻三雑歌にある歌の理解と関係分類判定検討経緯

各歌を、今回のブログまでに次のように検討し、表E’を得ました。筆頭歌より、順に記します(2022/10/31現在)。

  2-1-235歌: ① 題詞が作者を天皇としている歌の前に置かれ、かつ雑歌の筆頭歌なので、天武天皇の時の歌と編纂者が仕立てたか。題詞では人麻呂が、雷丘で詠んでいる。ブログ2022/3/21付け「3.② 第一」参照。

② 雷丘にたつ天皇には作者人麻呂が仕えた可能性のある天皇すべてが該当可能である。天武系の初代である天武天皇から持統天皇文武天皇までに可能性があり、元資料は何時詠まれたかは不明。巻三を最終的に編纂した時点ではこの三代の天皇薨去されており、天皇を一代に限ってこの歌を理解しなくともよいのかもしれない。

③ 天武天皇の存命時の事実であると実証するのは困難な歌である。聖武天皇からみれば曾祖父である天武天皇のエピソードがこの歌になる。

  2-1-236歌: 2-1-235歌左注にある或本の歌。2-1-235歌の元資料か。五句「宮敷座」により、行事に伴う宴席で人麿は詠んでいる。

 2-1-237歌:この歌に次の歌が「媼」が和しているので、題詞の「天皇」は女性の天皇とみると、持統天皇か。御製の歌は、巻三雑歌ではこの1首のみ。

2-1-238歌:「媼」が和している歌。復命歌。

2-1-239歌:題詞にある長忌寸意吉麻呂は、人麿と同時代の人物である。応召の詳しい時点は不明であっても持統天皇あるいは持統上皇時に披露された歌として矛盾はない。

 2-1-240歌~2-1-242歌:ブログ2022/3/21付け「3.② 第二」参照。

  2-1-243歌~2-1-245歌:① 題詞の「弓削皇子遊吉野時・・・」について諸氏が、2-1-111歌の題詞「幸吉野宮時 弓削皇子贈・・」と同時期と指摘している。

② 三船山に雲は常にあるものの例と理解した。

 ③ 題詞に「遊」というが行幸準備。「遊」についてはブログ2022/3/14付け「20.⑥」以降を参照。④ 2-1-243歌は、常にある雲のようにいつまでも生きられるとは私は思ってもいない、という自らの生の無常を詠っている。直前の長歌反歌は、「おほきみは かみにしませば・・・」と詠い、直後の歌は、題詞に「この歌に和する歌」とあって「おほきみは ちとせにまさむ・・・」と詠っている。そうすると、作者は自分を卑下して「大君」を讃えていると理解できる歌となっている。天皇臨席の場ではこのような発想で讃えにくい。これからも題詞の「遊」という漢字は少なくとも「行幸」時の公の席のものではない、ということを意味していると思える。

⑤ 弓削皇子文武天皇3年(699)年薨去されているので、この歌の元資料は、文武天皇3年までに詠われていることになる。

 2-1-246歌&2-1-247歌:ブログ2022/3/28付け「5.」参照。宴席の歌。題詞にある「・・・之時」は話題になった時の意。この2首を含め2-1-249歌までが一つの歌群。

  2-1-248歌~2-1-249歌:ブログ2022/3/28付け「5.」参照。

  2-1-250歌~2-1-258歌:伝承歌からなる一つの歌群。文部天皇の御代に披露された歌ではないと積極的に主張できない。ブログ2022/3/28付け「6.①」参照

  2-1-259歌~2-1-262歌:伝承歌。ブログ2022/3/28付け「6.①」参照

  2-1-263歌&2-1-264歌:ブログ2022/3/28付け「6.②」参照。新田部皇子が雪の日に人を寄せた際の歌と理解して、関係分類を「F」とした。

 2-1-265歌:ブログ2022/3/28付け「6.①」参照。文部天皇の御代に披露された歌ではないと積極的に主張できない。

  2-1-266歌:四句「いさよふなみ」は何を暗示して居るか不明。四句と五句は、とどこおり漂う波の行方がわからない(伊藤博氏)と、流れきれずに居る波は流れ行くべき方もなく湛へられている(停滞に重きを置く土屋氏)という理解がある。

  2-1-267歌:①前後の歌の配列からは近江国大和国の地名を期待するところだが不明。 ②三句「神之埼」は「みわのさき」と『新編国歌大観』の『萬葉集』は訓む。2-1-157歌の初句「神山之」も「みわやまの」と訓んでいる。これは前歌にある「三諸之 神の神須疑・・」より推測が可能である。③土屋氏は、2-1-267歌の「神」を必ずしも「みわ」と訓まねばならぬ根拠はない、として「和泉貝塚市の東南近木川河口付近の地(行基が神崎船息を置いた地)とみるべき」と指摘。また四句の「狭野乃渡」の「さの」は神崎の東南に続いて今和泉佐野市がある、と指摘する。「わたり」は河海をわたる所の意、武庫のわたり、難波のわたり等の如く濟津をいふと同時に基地たる港をもいふやうに見えるからここのその意にとれば自然とも指摘し、五句の「家」は作者が宿るべき家とも指摘する。もともと人家がないことを確認している。④伊藤氏は現和歌山県新宮市三輪崎と佐野一帯、という。⑤四句にある「わたり」とは、土屋氏のいうように、地元の人だけでなく官人も公用に利用している常設の利用頻度がある施設か、その付近の意であろう。河の渡しであれば、その位置は河口を避け増水に備えられる微高地または段丘が近くにある河原という地点となり人家はない。船泊りであれば、その位置は官か行基が造った停泊施設であり、避難用であれば常住の人家がないところもある、と推測できる。⑥土屋氏の指摘する「神崎船息」とは『行基年譜』にいう活動のひとつで「神崎というところの船泊」を指すが、資料批判をすると、行基の活動拠点楊津院と一体となった神崎川下流の河尻(神崎)の泊であると推測できる。作者が降雨中の移動で海路または陸路という二つの推測ができる。⑦作者は伝未詳。文部天皇の御代に披露された歌ではないと積極的に主張できない。2-1-268歌:ブログ2022/3/28付け「6.①」参照。

  2-1-269歌:① 狩場から都に逃げてきたムササビが捕獲され献上に添えようとした歌がある(2-1-1032歌)。献上前に死んだのでそのままとなった。夜行性のムササビを、猟師が捕獲対象としていないだろうから、違和感のある取り合わせである。何者かを夜行性のムササビに例えている歌か。夜這いに失敗した男をからかった歌か。折口信夫氏の『口訳萬葉集』では「宴席歌」としている。

② 配列は、近江旧都を詠う人麿歌の次にある。また千鳥が鳴く歌に挟まれている。表E作成時は「今後の検討を要する歌。志貴皇子が何者かを積極的に例えている、とみて「関係分類」を「F」とした。

③ 巻三雑歌の最後になる2-1-387歌以降の歌の検討を終え、巻三が天皇の代で4つにグループ化されていることが確認できた時点で再検討した。

志貴皇子皇位継承争いの誰かを念頭に詠んだと理解されると(あるいはそのように誤解されると)政治的発言と捉えられる恐れがある。それでも志貴皇子の歌として巻三の編纂者の手元にあったのであろうか。しかし各氏族を代表しないような立場の官人が政治的見解をこの歌に付加して口にしてもするのは伝承歌であれば、それが知られたとしても咎められにくい。この歌の元資料は、漁師が別の名詞句になっていた伝承歌であり、官人にはよく知られた歌ではなかったのではないか。

巻三の最後の編纂者が、孫が天皇になった志貴皇子を先見性ある人物と仕立てたられる必要性を感じていたと思える。そのためには天武・持統の御代の歌が望ましい。「関係分類」の「F」は変わらない。

④ ブログ2022/3/28付け「6.②」参照。

2-1-270歌:ブログ2022/3/28付け「6.②」参照。

  2-1-271歌:歌意保留。坂の地肌が赤いことを詠うのか。土屋説で、整理した。ブログ2022/3/28付け「6.②」参照。

 2-1-272歌~2-1-280歌:ブログ2022/3/28付け「6.②」参照。作者高市連黒人は、持統・文武の頃の人と言われている。

 2-1-281歌:ブログ2022/3/28付け「6.③」参照。

 2-1-282~2-1-284歌:ブログ2018/1/29付け「3.及び4.」及びブログ2022/3/28付け「6.④」参照。作者春日蔵老は天平6年(701)還俗した弁基。

 2-1-285歌~2-1-287歌:ブログ2022/3/28付け「6.④」参照。作者春日蔵老とは大宝元年(701)還俗を命じられた弁基。

   2-1-288歌:題詞「(人物名)往紀伊国・・・歌」は、公務の旅行時であるが、「幸…時」と記していないので行幸の従駕時ではない。この歌の前後には、公的な場ではないところでの軽妙な歌が多い。ブログ2022/3/28付け「6.④」参照。

 2-1-289歌:作者名が、弁基が701年還俗時に与えられた名前である「春日蔵首老」である。それ以降の作詠時点である。ブログ2022/3/28付け「6.④」参照。

  2-1-290歌:① ブログ2022/3/21付けの本文「3.② 第三」とブログ2022/3/14付け「20.⑥~⑧」を参照。

② この歌に続く2-1-294歌とあわせて検討すると、皇位継承が延び延びになっている聖武天皇を待ち望むことが巻三雑歌として示唆されている。

  2-1-291歌:2-1-290歌と同じ「幸志賀時」の歌とみる。行幸が企画段階で終わったことが残念と詠う。

  2-1-292&2-1-293歌:①ブログ2018/3/26付け「2.~8.」及びブログ2022/4/4付け「8.①」参照。

② 元正天皇あるいは元明天皇の御代に披露されてない、と断言できない。

③ 歌は、月の見え始めと見納めを詠う対の歌。巻三雑歌の三つ目のグループとして2-1-292歌は、関係分類が「A1~B」以外の歌の最初に位置する。天皇は、女性が元正天皇元明天皇と2代続く。月は、元明天皇元正天皇を示唆しているか

  2-1-294歌:①ブログ2022/4/4付け「8.②」参照。さらに歌意の検討を次に記す。

 ② 歌本文二句の「之奈布勢能山」(しなふせのやま)を諸氏は「しなふ背の山」と訓む。巻三雑歌としては「なよやかに美しい、わが親愛なる男性」の意となり、祖母(元明天皇)からみた男の孫、あるいは姉(元明天皇)からみた弟にあたる「聖武天皇」となり得る。四句「吾越去(者」」は天皇即位を示唆するか。

  2-1-295~2-1-298歌:作者角麻呂は伝未詳である。この4首は、海岸線の緩やかな変化、漁民の穏やかな生活、住吉の松原の神々しさを詠う伝承歌。泰平な御代を詠っており、天皇の御代はどの代でも可能である。

  2-1-299歌&2-1-300歌:ブログ2022/4/4付け「8.③」参照。

  2-1-301歌:ブログ2022/4/4付け「9.」参照。作者弁基を還俗させたのは文武天皇であるが、作者の新たなスタートを元明天皇の御代のスタートになぞらえたと配列から推測できる。

  2-1-302歌:① ブログ2022/4/4付け「10.①」参照。元資料は宴席の題詠かと思うが、関係分類は「I」とした。

② 土屋氏は「勘の部類」だとして作者を大伴旅人と言い、巻三の配列が歌の「製作年代」に割合に無関心。編纂者は巻一と巻二の拾遺のつもりらしい、のも「勘」という理由のひとつ、という。

③ 元資料の作詠時点と作者の検討はともかく、巻三編纂者が、2-1-301歌と2-1-303歌の間に配列していることを重視した。

④ 雪が降り積もる時期もよい時期(御代)であると詠うか。

 2-1-303歌&2-1-304歌:① ブログ2021/11/15付け「11.④~」及びブログ2022/4/4付け「10.①」参照。

② 巻三雑歌としては、「妹」に今上天皇の御代を暗喩して讃えていることになる。

 2-1-305歌:① ブログ2022/4/4付け「10.①」参照。

②巻三雑歌としては、初句「児等之家道」(こらがいへぢ)が聖武天皇への皇位継承への道筋を示唆するか。

 2-1-306歌~2-1-307歌:① ブログ2022/4/4付け「10.②」参照。

② 元資料は、穏やかな治世を詠うといえる伝承歌ではないか。

③ 巻三雑歌としては、二句「遠乃朝廷(跡)」(とほのみかど(と)が、当時、既に立太子しているので首皇子は次代の天皇と確定しているので春宮を示唆するか。

2-1-308歌:① ブログ2022/4/4付け「10.②」参照。

② 巻三雑歌としては、文武天皇崩御の時点では皇位継承候補に天智系皇子は論外ということか。

  2-1-309歌: ブログ2022/3/14付け「20.⑥~⑧」、ブログ2022/3/21付け「3.② 第三」及びブログ2022/4/4「10.③」参照。題詞の「・・・之時」という書式に注目。

  2-1-310~2-1-312歌:① 作者の法師は伝未詳。歌の内容からも作詠時点及び披露時点は不明である。ブログ2022/4/4「10.④」参照。

② 巻三雑歌としては、「久米能若子」は文武天皇を示唆しているか。

 2-1-313歌:ブログ2022/4/4「10.④」参照。

 2-1-314歌:ブログ2022/4/4「10.④」参照。 

  2-1-315歌:①ブログ2022/3/14付け「20.③」参照。作者藤原宇合が知造難波宮事に任じられた時(神亀3年(726)10月)の予祝の歌(伊藤氏)として復唱復命した歌。11種の「関係分類」では、A1よりも、造難波宮に関する歌と捉えられるので、Bとする。 ②難波宮聖武天皇が命じて天平4年(732)完成(後期難波宮といわれる)。

  2-1-316歌:ブログ2022/3/21付け「3.② 第四」参照。

 2-1-317歌:ブログ2022/3/21付け「3.② 第五」参照。蝦夷征討軍一同への挨拶歌。

  2-1-318&2-1-319歌:①割注(「未経奏上歌」)は、後人の作であり、題詞を誤解している。

②2022/3/14付けブログ「20.⑥~⑮」参照。題詞にいう「暮春之月幸芳野離宮時」とは神亀元年3月1日からの聖武天皇行幸が最有力である。

行幸される吉野の景は以前よりもさやかである(天武天皇の御代を越える御代となるだろう)と予祝した歌。

 2-1-320&2-1-321歌:ブログ2022/3/14付け「20.⑤」参照。富士山を詠う赤人歌は、聖なる山のように今上天皇の御代が後々まで言い継がれてゆかれるようになる、と予祝する歌である。この歌は聖武天皇の即位の一連の行事でのある宴席で披露が可能な歌。

 2-1-322歌~2-1-324歌: ブログ2022/3/14付け「20.⑤」参照。今上天皇は富士山のように誰もが仰ぎ見る方である、と予祝する歌。

  2-1-325歌&2-1-326歌:ブログ2022/3/21付け「3.② 第六」参照。船出の故事を詠い、旅中歌というスタイルの予祝の歌。

 2-1-327歌&2-1-328歌:①ブログ2022/3/14付け「20.⑤」参照。②上記3つの長歌を献じられた今上天皇が、応えた歌である。天武天皇への誓いを詠う。赤人が代作して儀礼中に披露されたか。長歌は「いにしへおもへば」と詠いおさめる。

 2-2-329歌:①ブログ2022/4/11付け「11.」参照。題詞(倭習漢文)にある「見」字は、「見定める・見計らう」意。②今上天皇を頂いて、海の民なども心置きなく生活しており、ありがたいことだ、と詠う歌であり、関係分類は「C」(天皇の下命による官人などの行動に伴う歌群(Dを除く))。③漁火の示す現実(泰平)に作者の門部王が気付いた歌。④作詠時点は藤原広嗣の乱が生じる前です。

 2-1-330歌:ブログ2022/4/25付け「12.③」参照。歌本文から作詠時点・披露時点の特定は困難な歌。

  2-1-331~2-1-340歌:①ブログ2022/2/14付け「18.⑨」参照。旅人が大宰師在職中の大宰府における同一の宴席での歌。②大宰府にあって、遥かに奈良(平城京)の盛観をしのび幾分の憧憬を交へての歌(土屋氏の意見)。③順調な御代を詠っている。

2-1-331歌:①ブログ2021/11/29付け「13.②~④」参照。歌本文にある「寧楽乃京師」は平城京を賛美している。②ブログ2022/4/25付け「12.④」参照。

  2-1-332歌~2-1-333歌:作者防人司祐(正八位上相当の職)大伴四綱は、神亀17年(745)頃正六位上雅楽助となっている。

  2-1-334歌~2-1-338歌:師大伴卿の歌。

 2-1-339歌:ブログ2022/2/14付け「18.⑦~」参照。大宰府任官中である)同席者を慰める歌。

  2-1-340歌:ブログ2022/2/14付け「18.⑨」参照。筑紫を「退出する」即ち都に栄転する気分を詠う。

  2-1-341~2-1-353歌:ブログ2022/4/25付け「12.④」参照。土屋氏は「中国の讃酒歌にならった妻を亡くした後の大宰師大伴卿の歌」という。

  2-1-354歌:ブログ2022/4/25付け「12.④」参照。旅人讃酒歌に和した歌。この歌も泰平の世を寿いでいる。

  2-1-355歌~2-1-359歌:① ブログ2022/4/25付け「12.⑤」参照。各歌とも作者は伝未詳。聖武天皇の御代に披露されたことがないということを証するのは難しい。

 ② 2-1-357歌にある「白雲」と2-1-358歌にある「塩焼火気」が山になびく意は要検討。

  2-1-360歌~2-1-372歌:①ブログ2020/10/26付け「11.⑦~」及び同ブログ「付記1.」参照。

② 聖武天皇の御代活躍した官人の歌とみなせます。ブログ2022/4/25付け「⑥~⑧」参照。

  2-1-373歌:暗喩があり、主賓の到着を待ち望んでいる歌となる。ブログ2022/4/25付け「12.⑨」参照 また、ブログ2020/10/26付け「11.⑦」参照。

  2-1-374歌:① 望郷(京)歌。ブログ2022/4/25付け「12.⑨」参照 

② 伝承歌。ブログ2020/10/26付け「付記1.」参照

  2-1-375~2-1-377歌:① ブログ2022/3/21付け「3.② 第七」&ブログ2022/4/25付け「13.~14.」参照。作者赤人と石上乙麿であり聖武天皇の御代でも披露された歌。配列から作詠時点は天平初期であり、聖武天皇に皇子誕生を官人が期待していたころ。

② 2-1-375歌ほか1首の題詞にある「登春日野」には祭祀を行う意が暗喩されている。

③ ブログ2020/10/26付けで検討した際は巻三雑歌全体の配列が考慮の外であったので、元資料の理解に留まっていた。

④ 2-1-377歌は2-1-375歌と2-1-376歌(長歌反歌)に和した歌。

  2-1-378歌:①ブログ2022/3/21付け「3.② 第八」、同ブログ「3.③」及びブログ2022/5/2付け「15.①~④」参照。天武天皇以降天皇家の聖地となっている吉野は湯原王が一人の決断で行けるところではない。題詞にある「遊」は「幸」の時の歌ではないことを示す。行幸準備(事前の現地確認など)での吉野行ということになる。

② 2-1-375歌以下3首と時系列に配列されているとすると、その3首での皇子、即ち、聖武天皇崩御後の天皇の吉野への行幸準備という理解も可能である。それは関係する天皇が「寧楽宮」に相当することになる。

③ 湯原王志貴皇子の子で白壁王(後の光仁天皇)の弟で各種史書に叙位・任官の記録がない人物。

 2-1-379~2-1-380歌: ①ブログ2022/3/21付け「3.② 第九」&ブログ2022/5/2付け「15.⑤~⑫」参照。

④ 参照ブログに訂正を要する箇所がある。「15.⑪」の記述「天武系の人物の・・・天智系の天皇・・・」は、「天智系の人物の・・・天武系の天皇」に訂正する。錯誤であった。

⑤ 元資料は、「15.⑨」に指摘したように皇太子(阿倍内親王)が五節舞を舞った際の歌であり、巻三の歌としては、編纂者が題詞を新たにしたことで(広く)次の天皇への忠誠を詠う歌としている。

⑥ また、『萬葉集』にある歌の披露された最終時点と『萬葉集』が公表されるまでの間に、皇統が天武系から天智系に変わった。天武系の人物が継承できない事態を無念に思うのは、必死に皇統を守ってきた女性の天皇たち(持統天皇元明天皇元正天皇)ではないか。これらの天皇への何らかの配慮は、皇統を継いだ天智系の天皇の立場からはかかせない。そして『萬葉集』の公表の許しを得るためには、今上天皇への配慮は『萬葉集』編纂者として欠かせない。

このため、巻一雑歌にならい、前天皇に関する歌を、次の天皇に関する歌の前に配列した、という理解も有り得る。

 2-1-381歌:① ブログ2022/3/21付け「3.② 第十」の指摘をブログ2022/5/16付け「16.」で検討。

② 「故太政大臣藤原家」は聖武天皇の皇后(光明子)の居住地で立太子された基王の生まれたところ。

③ 元資料の歌としては、「古い堤」は、ゆるぎない律令体制、「池」とは今上天皇と皇太子をいう。聖武天皇の皇太子を対象にした歌であり臣下として祝意を示した予祝の歌。あるいは、光明子立后のお祝いの歌という理解もあり得る。

④ 巻三雑歌の歌としては、「古い堤」は、ゆるぎない律令体制、「池」とはこれから即位する天皇。この歌は予祝の歌。天皇の代を意識したグループ分けでは第四グループの歌。

⑤ 土屋氏は、この歌を「それほどさしせまった懐旧の情に燃えて居るといふ態のものではない」と評している。

 2-1-382&2-1-383歌:① ブログ2022/5/30付け「17.~19.」参照。

② 題詞は、「作者が、「祭神歌」と称せる類の歌を一首詠んだ」、というメッセージ。確実に将来、この世の「君」にあえることを祈願した歌、と理解できる。

③ 元資料の披露は、第一候補が天平5年の例祭時、第二候補が天平勝宝2年の例祭時。その両年遣唐使が渡唐しており、その一員に(一族の1人)大伴古麻呂がおり、彼が無事任務を果たし帰国することを祈願した歌。歌本文にある「君」とは、代名詞(対称。あなた)の意で大伴古麻呂を意味する。

④ 巻三の歌としては、あいたい「君」は、将来の天皇あるいはその御代。「君」は、名詞であり「天皇、自分の仕える人」の意。

⑤ 左注は後世のもの。

 2-1-384歌:① ブログ2022/6/6付け「20.」参照。

② 元資料は伝承歌。乗組員や乗船者(官人)に贈った送別歌。題詞にある「行旅(歌)」とは、「旅の行程全体(の心得に関する歌)」。贈られた者は無名の人物でもあり得る。

③ 無名の人物が天皇に準じる人物を示唆している例が、巻三挽歌の筆頭歌2-1-418歌にある。

④ この歌は、荒々しいのが常の海の旅路の心構えを詠っている。巻三雑歌としては、この歌を贈られた人物を今上天皇とみると、天皇家の人々や官人とも別れて船出して行く先は、あの世である。前後の歌の配列を考慮すると、この歌は今上天皇から次の天皇への代替わりを示唆しているのではないか。

  2-1-385&2-1-386歌:① ブログ2022/6/27付け「21.」及びブログ2022/7/4付け「22.」参照。

② この歌には、当時の常識と異なり筑波山に「国見する山」の意が付与されている。また作者が誰と一緒に登ったかは題詞にも記されていない。それを想像させる歌。

③ 歌本文に、山頂における行動や感動が詠われていない。長歌の2-1-385歌は、筑波山は時期を選ばずに登らなければならない山だから登ってきた、と詠う。筑波山天皇位の代名詞とみると、避けることができないので即位の道を歩む、という意となる。反歌の2-1-386歌は、見上げてばかりではなく登ってきた、と詠う。この歌が、作詠・披露した人物の感慨を詠っているとすれば、一緒に登った人物(国見する人物)への思いがこもった歌となる。

  2-1-387歌:① ブログ2022/7/11付け「23.」、ブログ2022/7/18付け「24.」及びブログ2022/7/25付け「25.」参照。

② 歌本文の「‘韓’藍」には、「新到の観賞用植物である現在のケイトウ」のほかに、「外国より渡来した観賞用の植物以外のもの」の意を付与できる。即ち渡来者、仏教、律令制の国家像の意が付与可能。

③ 元資料は、「韓藍」はケイトウを詠う。聖武天皇の御代を過ぎて後に作詠(披露)された歌。しかし(赤人作の歌という)題詞からは編纂時点からみると伝承歌である扱いである。

④ 巻三雑歌の歌としては、「韓藍」に「近い過去に渡来した人物(たち)」の意を加えている。

この歌は、2-1-381歌とともに、「(聖武天皇皇位継承者としてお認めになっている)将来の天皇」を示唆している歌となっている。

  2-1-388~2-1-390歌:① 次の6つのブログ参照。ブログ2022/8/1付け「26.及び27」、ブログ2022/8/15付け「28.」、ブログ2022/8/22付け「29.」、ブログ2022/9/5付け「30.」、ブログ2022/10/3付け「31.」及びブログ2022/10/10付け「32.」。

② 元資料の歌は、特定の話題について往復した歌3首か。題詞は、倭習漢文として、漢字の意義を踏まえても「仙なる柘枝(つみのえだ)に関する歌三首」という理解となり得る。巻三の歌としては、『柘枝伝』(しゃしでん)に登場する「つみのえだ」を題材とした3首と表面上なっている。

③ 2-1-388歌の初句に用いられている「霰」字は当時、現在の「あられ」と「ひょう」を総称した字。「霰」にあった男女を第三者の作者が詠う。

④ 2-1-389歌は、「つみのえだ」を手に取るのは納得がゆくと第三者が詠う。

⑤ 2-1-390歌本文にある「いにしへにやなうつひと」とは、天武天皇を象徴している。「つみのえだ」を今手にした当事者を、第三者が詠う。

 2-1-391&2-1-392歌:① 雑歌の最後の歌。ブログ2022/3/21付け「3.② 第十一」では官人の都へ帰任の歌と推測し、「C」と判定し、作中人物が不明であったが、ブログ2022/10/10付け「33.」で検討した結果は次のとおり。

② 元資料は、別々の伝承歌。

③ 巻三雑歌の歌としては、長歌2-1-391歌が、淡路島からある目的地にむかう乗組員の長の歌。反歌2-1-392歌が、その目的地から乗船した者が船上において大和に心ひかれていると詠う歌。乗船者の名が伏されており、この長歌反歌は、律令体制の再出発、新たな皇統の出現を祝う歌となり得ている。

(「38.」 終り )

ブログ「わかたんかこれ・・・」をご覧しただき、ありがとうございます。

次回は、『萬葉集』巻三の挽歌を検討します。

(2022/11/7    上村 朋)