わかたんかこれ  猿丸集は恋の歌集か 仙柘枝は 萬葉集巻三配列その19

 前回(2022/9/5)のブログから日が経ちましたが、引き続き萬葉集巻三の配列について、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 仙柘枝は 萬葉集巻三の配列その19」と題して、今回、2-1-388歌以下3首の比較検討を記します。歌は、『新編国歌大観』によります。(上村 朋)

1.~30.承前

萬葉集』巻三の雑歌について、巻一の雑歌と同様に、歌と天皇の各種統治行為との関係から検討し、各歌について判定した表E(ブログ2022/3/21付けの付記1.に記載)を得ました。そして、「関係分類A1~B」の歌30首は、天皇の代を意識した4つのグループに分かれました。それ以外の歌においても2-1-387歌まで各グループに分けられることを確認しました。

各グループは天皇の代の順に配列されており、各筆頭歌は、2-1-235歌、2-1-290歌、2-1-315歌および2-1-378歌です。

31.「分類A1~B」以外の歌 2-1-388歌~2-1-390歌の歌本文比較

① 今回同一の題詞のもとにある歌の3首の歌本文を題詞とともに比較検討します。3首が、天皇の代を意識したどのグループの歌であるかは次回の検討とします。

 検討対象の題詞と歌は次のとおり。巻三の雑歌に配列されています。

2-1-388歌 仙柘枝歌三首

   霰零 吉志美我高嶺乎 險跡 草取可奈和 妹手乎取

あられふり きしみがたけを さがしみと くさとりはなち いもがてをとる

(左注あり) 右一首或云、吉野人味稲与柘枝仙媛歌也。但見柘枝伝無有此歌

2-1-389歌 (同上)

   此暮 柘之左枝乃 流来者  梁者不打而 不取香聞将有

このゆふへ つみのさえだの ながれこば やなはうたずて とらずかもあらむ

(左注あり) 右一首

2-1-390歌 (同上)

古尓 梁打人乃 無有世伐 此間毛有益 柘之枝羽裳

いにしへに やなうつひとの なくありせば ここにもあらまし つみのえだはも

(左注あり) 右一首若宮年魚麿作

② 下記の検討から、3首は、巻三雑歌に、一組の歌として一つの題詞のもとに配列されており、次のような趣旨の歌をこの順で並べている、といえます。

『柘枝伝』(しゃしでん)を題材に詠っている歌と整理できるものの、「仙であっても幹ではない枝に関する歌」、という整理もできる歌であり、巻三の編纂者は、後者を重視しているのではないか。

第一 2-1-388歌は、仲睦まじい夫婦(広く男女)が「吉志美我高嶺」(きしみがたけ」で雹や霰にあい慌てふためく様を、第三者が詠う。その男女は『柘枝伝』の中の男女とみなすこともできる。

第二 2-1-389歌は、「このゆふへ」にあたり、(「つみのさえだ」をとるのに不要な)梁を仕掛けないで 流れてきた「つみのさえだ」をとれるか自問し、「つみのさえだ」を手に取るのが誰にとっても納得のゆくものではないか、と第三者として詠う。

第三 2-1-390歌は、昔の人、例えば『柘枝伝』に登場する男性がいなかったら「つみのえだ」はここにあり、それを手にした当事者を、好意ある第三者として詠う。

「つみのえだ」は「摘むことができる枝」でもあり、暗喩として、幹に対する「えだ」が、即ち分家であり、幹になる(本家を継承する)ことを讃嘆しています。また「さえだ」の「さ」は副詞という理解も可能です。

③ 倭習漢文である題詞にある「仙」という漢字は、「やまびと。仙人」の意のほかに、「すぐれている。とうとい。うつくしい。非凡。」あるいは「天子に関する事物につけていう語句」の意があります。また、「柘」という漢字を用いた熟語に「柘黄」があり、そして「枝」という漢字には、「木の幹から別れ出た部分」の意のほかに、「分家」の意があります。(ブログ2022/8/1 「26.⑧」参照)

 そのため、題詞「仙柘枝歌三首」の理解は、『柘枝伝』を念頭に作文された題詞と、『柘枝伝』を念頭におかない(「柘枝」を伝説の人名とみない)で作文された題詞の2案があり、前者は建前の題詞、後者は題詞にある暗喩であると予想していました。(ブログ2022/8/1 「26.⑫及び⑬」参照)。

 両案のもとで3首を以下のように検討した結果、『柘枝伝』を題材にしている意も含みうる後者の理解が妥当であり、「「仙」と形容できる「柘」(つみ・山桑)の「枝」(幹ではないもの)の(あるいは、に関する)歌三首」、即ち、題詞は、「仙なる柘枝(つみのえだ)に関する歌三首」という理解となりました。

 題詞の暗喩は後程検討します。

④ 上記②と③は、以下の検討結果です。

題詞を、付記1.に記すような2案として、3首の歌本文を個々に検討して得た前回ブログまでの現代語訳(試案)は、つぎの表1のとおり。これに基づき3首の比較をします。

表1 「仙柘枝歌三首」という題詞のもとにある歌の2022/9/5現在の現代語訳(試案)  

歌番号等

現代語訳(試案)

同左検討ブログ

2-1-388

「(恐ろしい)霰が降ってきて遮るもののない「きしみがたけ」にいるのを「さがし」と判断したので、私は、手にしていた草を放り捨て、いそぎ妹の手をとった(霰から逃げるために)。」(2-1-338歌現代語訳試案第一)

ブログ2022/8/15付け「28.⑯」

2-1-389

第1案 作者が、自身の行動を推測している場合

「今日この場で話題となった事がらのような夕方、「つみのさえだ」が、(目の前に)流れてくるとしたらば、(その流れに)梁は、設けることをしないで、私は手にすることはないだろうか、どうであろう。」 (2-1-389歌現代語訳試案第一)

ブログ2022/8/22付け「29.⑪」

2-1-389

第2案 作者が、誰かの行動を推測している場合

「今日この場で話題となった事がらのような夕方、「つみのさえだ」が、(目の前に)流れてくるとしたらば、(その流れに)梁は、設けることをしないで、(「つみのさえだ」を)誰かは手にすることはないだろうか、どうであろう。(2-1-389歌現代語訳試案第二)

ブログ2022/8/22付け「29.⑪」

2-1-390

第1111案 『柘枝伝』の説話に関する歌で作者の感慨を詠う場合

 「もし昔々に、やなうつひと味稲が居らず(そしてつみのえだ)があり、(それを)流すとすれば(それが流れてきたらば)、今日(現在)この所にも(つみのえだは)あるのだろうなあ(、と安堵しつつ私は思う。)その「つみのえだ」よなあ(それは、感動的だった、と私は思う)。」

 *「つみのえだ」は、特別な幸運か。

ブログ2022/9/5付け「30.⑮」

2-1-390

第1112案 『柘枝伝』の説話に関する歌で貴方への感嘆を詠う場合

 「もし、昔々に、やなうつひと味稲が居らず(そしてつみのえだ)があり、(それを)流すとすれば(それが流れてきたらば)、貴方も(そこに)居合わせたのだからなあ、(と安堵しつつ私は思う。) 摘むことのできる「つみのえだ」は、まあ(それは、感嘆に値する、と私は思う)。」

 *「つみのえだ」は、「摘むことができる分家筋のあなた)の意」

ブログ2022/9/5付け「30.⑮」

2-1-390

第1121案 『柘枝伝』の説話が話題となった席・会合が深く関係する歌<で作者の感慨を詠う場合

 「もしも、昔々に、やなをうったという味稲のような立場にいる人物が(今日現在には)居らず(そして)つみのえだがあり、それを流すとすれば(それが流れてきたらば)、今日(現在)この所にも(つみのえだは)あるのだろうなあ(、と安堵しつつ私は思う)。その「つみのえだ」よなあ(それは、感動的だった、と私は思う)。」

*「つみのえだ」は、特別な幸運か。

ブログ2022/9/5付け「30.⑮」

2-1-390

第1122案 『柘枝伝』の説話が話題となった席・会合が深く関係する歌の場合

「もし、昔々に、やなをうったという味稲のような立場にいる人物が(今日現在には)居らず(そして)つみのえだがあり、それを流すとすれば(それが流れてきたらば)、貴方も(そこに)居合わせたのだからなあ、(と安堵しつつ私は思う。) 摘むことのできる「つみのえだ」は、まあ(それは、感嘆に値する、と私は思う)。」

 *「つみのえだ」は、「摘むことができる分家筋のあなた)の意。

ブログ2022/9/5付け「30.⑮」

注1)歌番号等:『新編国歌大観』の巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)2-1-390歌の現代語訳(試案)の「第1111案」などは、ブログ2022/9/5付けの「30.⑮」における試案の番号

 

⑤ 巻三の配列順に、一つの題詞のもとにあることを重視して2-1-388歌から検討します。

A1上記表1の現代語訳(試案)(2-1-388歌現代語訳試案第一)という理解は、 『柘枝伝』の説話に関係の深い題詞のもとにある歌とすると、『柘枝伝』における味稲(うましね)と妻になった仙女が仲睦まじい夫婦であった時期のエピソードという理解が可能です。

A2 歌にいう「霰」(あられ)とは、現在の雹(ひょう)と霰を区別せずに指す当時の語句です。

A3 上記A1の理解における舞台の地・吉野に、「きしみがたけ」と異名をつけてもよい山・山塊を諸氏は指摘できていません。そのような地名が含まれていない山の名前・異名の理由は、次の歌などとの関係で検討するほかありません。

「きしみがたけ」の理解に3案あるものの、ブログ2022/9/5付け「30.⑯」に指摘したように、「つみのえだ」の意との整合という点から、そのうちの「きいきい音をたててこすれ合うという意の名を持つ山で、比高のある山(何かを象徴している普通名詞)」ではないか。 初めから抽象化した山として詠まれていた可能性があります。 

A4形容詞「さがし」の意は「aけわしい。b危うい・危険だ。」の2意あります。上記表1の(試案)では、bの意であり、突然の霰が「危うい・危険だ」と二人は認識しています。

A5 四句の訓は,『新編国歌大観』の訓であり、「くさとりはなち」です。

A6 『柘枝伝』の説話に関係の薄い題詞のもとにある歌とすると、単に仲睦まじい男女が「きしみがたけ」において「あられ」に遭った際の歌となります。

その男女が「あられ」に出会った場所は、屋敷内でも野遊びによく詠われている野でもなく、著名な防衛拠点のある山でもなさそうです。でも類似歌(5-353-19歌)にある肥前国にある地名(「耆資麼」(きしま))らしき名を冠した山です。だから、「きしみがたけ」は、前後の歌などとの関係でその命名の理由(この歌に用いられている理由)を探るほかありません。

 「きしみがたけ」を中心に理解すると、題詞がどちらの理解でも「きしみがたけ」に行ったばかりに「霰」の危険に私たち二人はであった、という理解となります。

A7 歌には主語が明示されていません。作者は、題詞の理解がどちらでも「霰」にあった当事者(作中人物の一人)と推測しているところですが、次の歌などの関係でその当事者の行動を第三者が詠んでいる歌という理解もあり得ます。 

現代語訳(試案)の細部は、次の歌などとの比較検討後とします。

⑥ 2-1-389歌 の検討をします。表1に示した2案があります。

(試案)第1案(2-1-389歌現代語訳試案第一)を最初に検討します。

B1 初句「このゆふへ」と作者自らが場面設定して作者自身の行動を推測した歌と理解した歌です。初句にある「この(ゆふへ)」とは、2022/8/22付けブログの「29.③」に記す第三の意であり、「歌が披露されることとなったその会合等までに既に話題となっていた事がらにおける「この」ゆふへ(官人の間で十分話題となっていたことを題材に、その話題にあるようなことがおこる「ゆふへ」と詠いだした)」ということです

B2 また、「ゆふへ」は夜のはじまりの時間帯を指す語句であるので、「このゆふへ」には「何かの始まり」の意を付け加えることができるとも指摘したところです。

B3 この歌は、会合で披露されなくとも書簡のやりとりにおける歌と理解することも可能です。「この」という臨場感は、同席していることを要していないからです。

B4 また、この歌は、川を自然流下してきた「つみのさえだ」を拾い上げるのに、「やな」の有無を問題にしており、その理由がわかりませんでした。

改めて、その理由を、この歌が『柘枝伝』に深く関係している題詞のもとにあるとして、まず検討します。

『柘枝伝』の説話を再現する資料となっている漢詩集『懐風藻』の詩句から、私は「吉野の人味稲(うましね)が川で、吉野山中にいる仙女が姿を変えていた柘の枝を拾い持ち帰ったところ女に化し一旦は妻になって二人は楽しく暮らした(がその後仙女はもと居たところに還っていった)、ということを語っていると思われる伝説」と理解しました(ブログ2022/8/1付け「26.⑩」)

B5 しかし、「持ち帰ったところ女に化」したというのは漢詩集『懐風藻』の詩句の内容を逸脱しており誤りでした。『懐風藻』の詩句には「梁前柘吟古 (梁の前で柘姫が歌ったのは昔のこと)」などとあり河原で柘の枝から人間の姿に戻っていると理解したほうが妥当です。また「尋問美稲津 (美稲が梁を仕掛けた場所を尋ねてみた)」とあるので梁があった場所に味稲が居たものの、梁に柘の枝が留まったかどうかは不明です。梁の近くに流れ着いただけの可能性もあります。

味稲が「つみのさえだ」に注目したきっかけは、「やな」を設けた場所である、という以外は、現在分かっている『柘枝伝』の内容に含まれていないことになります。

そして、梁は、「つみのさえだ」を集めるために設けるものでは当然ありませんので、『柘枝伝』の説話が「つみのさえだ」を梁が引き寄せた、と限定できません。

B6この歌で「このゆふへ」とこの歌の作者が設定した場面を、『柘枝伝』にあてはめると「つみのさえだ」が味稲のうった「やな」近くに流れてきて味稲が手に取った場面になります。

その「つみのさえだ」は自然流下してきたとみえる「つみのさえだ」です。

つまり、味稲が手に取ったという行為は、味稲の立場からは全くの偶然である、とこの歌で作者は強調しているのではないか。

それは、その偶然により仙女と夫婦になったことが味稲の運命を左右した、ということを強調していることになります。

B7 それを強調する理由は、いまのところわかりませんが、題詞が『柘枝伝』に深く関係しているのであれば、この歌は、『柘枝伝』の理解の仕方に関して意見を述べた歌ということになります。

『柘枝伝』の説話で重要なのは、梁を設けたことではなく、何の疑いも持たず、また特別な事は期待せず仙女と夫婦になったこと、という意見を述べたことになります。仙女が仙界から人間界に(いうなれば)降りてきてまた戻る資格を得ることを補佐してもらう人物として味稲は仙女に選ばれており、成功の暁には仙女がお礼をするはずであるのが重要である、ということです。『柘枝伝』での味稲は、仙女との夫婦の破局が出会いの経緯からいずれ突然来ると恐れていても、一人の女性として仙女をただただ愛しく思っており、昔話の「花咲じいさん」の主人公のじいさんと同じであり、隣のよくばりじいさんのようにその後のことを期待することなどない人物であったのでしょう。

仙女という身分が分かっているので、味稲は、破局の時の置き土産を期待している人物のはず、という立場にこの歌の作者はいない、ということです。(仙女が味稲の前に出現した理由はほかにもあるかもしれませんが、味稲の気持ちは同じでしょう。)

B8 この歌は、同一の題詞のもとにある前歌2-1-388歌の次に配列されており、その内容を承知して詠われています。

前歌を、『柘枝伝』における味稲(うましね)と妻になった仙女が仲睦まじい夫婦であった時期のエピソードと理解すると、この歌は、その夫婦の誕生のきっかけとなった「つみのさえだ」を手に取ったことには、作者が見るところ味稲が「やな」を設けたことがかかわっていない全くの偶然である、と詠っている、ということになります。味稲は、前歌に詠われている「きしみがたけ」山中を流れている川において「つみのさえだ」を手にしたことになります。

B9 この理解の場合、表1の2-1-389歌の「現代語訳(試案)」欄に示した第1案は、初句に関して少し補足が必要であり、第1案の初句は、次のようになります。

初句「このゆふへ」:今日この場で話題となった事がらのような夕方(今日この場で話題となった『柘枝伝』でつみのさえだが流れてきた夕方、)

しかしながら、『柘枝伝』の味稲の行動の動機などについて、わざわざ意見を示すことになる「今日(の)この場」はどんな席であったのでしょうか。

B10 また、「ゆふへ」に「何かのはじまり」の意を含意させているとすると、仙女との出会いは味稲の新たな運命の始まりであったので、「このゆふへ」に立ち会った人物の新たな運命の始まりを示唆しているのでしょう。

なお、この歌の作者は、2-1-388歌の作者(作中人物の1人、あるいは第三者)と重なっても矛盾はありません。しかし、この歌はB1にいう作者自身の行動を推測している歌なので、重なるならばその前者となります。

B11 次に、この歌が『柘枝伝』と関係が薄い題詞のもとにあるとして、検討します。

この歌で初句に、「このゆふへ」とこの歌の作者が設定した場面は、『柘枝伝』の場面ではないことになります。初句「このゆふへ」の意「今日この場で話題となった事がらのような夕方」の「話題」について題詞からのヒントがみつかりません。単に、「ゆふへ」という時間帯に「つみのさえだ」が流れてくるのを目にした場合という設定が、「話題」であるというということなのでしょうか。

この歌は、流れてきた「つみのさえだ」を手に取るのに、作者は、「やな」が不要であることを強調した歌のように見えます。しかし、魚などを獲るための「やな」を「つみのさえだ」を手にする方法であるかのようにみなすことがあるのでしょうか。『柘枝伝』の説話のように既に「やな」が設けられているのならばともかくも、一般的にはあり得ないと思います。

B12 この理解の場合、表1の2-1-389歌の「現代語訳(試案)」欄に示した第1案は補足すべきことがありません。しかし、不思議な歌という印象が残ります。

B13 「ゆふへ」に「何かのはじまり」の意が含意されていると、それは「話題」に関してのことでしょう。「つみのさえだ」が流れてきて手に取ったことがきっかけで何かが始まったのか、ということなのでしょうか。

B14 この歌は、『柘枝伝』の説話に関係の薄い題詞のもとにある前歌2-1-388歌を承知して詠われています。だから、前歌は、仲睦まじい男女の「あられ」に遭った際の歌であり、この歌は、流れてきた「つみのさえだ」を手に取るのに、作者は、「やな」が不要であることを強調した歌ととれます。

この二つの歌からのメッセージは、仲のよい夫婦があり男性である伴侶が「つみのさえだ」をたまたま手にとったのだ、ということになり、それをこの歌の作者は是認しているかに見えます。

また、この歌の作者は、B1に記すように作者自身の行動を推測していますので、2-1-388歌の作者のうち作中人物の1人と重なっても矛盾はありません。それも多分男性でしょう。

⑦ 次に、2-1-389歌の現代語訳(試案)第2案(2-1-389歌現代語訳試案第二)を検討します。

 C1 初句「このゆふへ」と作者自らが場面設定して作者以外の者の行動を推測した歌と理解した歌です。

初句にある「この(ゆふへ)」とは、2022/8/22付けブログの「29.③」に記す第三の意であり、「歌が披露されることとなったその会合等までに既に話題となっていた事がらにおける「この」ゆふへ(官人の間で十分話題となっていたことを題材に、その話題にあるようなことがおこる「ゆふへ」と詠いだした)」ということです。(このように、初句の理解はB1と同じです。)

C2 第1案と異なる点は、作者自身の行動ではなく第三者の行動について推測していることです。

だから、『柘枝伝』の説話に関係の深い題詞のもとにある歌とすると、上記のB2~B8の検討がこの歌にも該当します。

第1案は、私ならこのように思う(つみのえだを偶然手にした)と詠い、第2案は、誰もがこのように思うと詠っています。

このため、表1の2-1-389歌の「現代語訳(試案)」欄に示した第2案は、四句と五句が、第1案と異なります(初句は同じ)。即ち、

四句と五句「やなはうたずて とらずかもあらむ」:(その流れに)梁は、設けることをしないで、誰もが手にすることはないだろうか、どうであろう。

しかしながら、第1案同様に、『柘枝伝』の味稲の行動の動機などについて、わざわざ意見を示すことになる「今日(の)この場」はどんな席であったのでしょうか。

C3 また、「ゆふへ」に「何かのはじまり」の意を含意させているとすると、B10の前段と同様のことを指摘できます。

なお、この歌はC1にいうように作者以外の者の行動を推測している歌ですが、B10なお書きと同じように、この歌の作者が、2-1-388歌の作者と重なっても矛盾はありません。

C4 次に、この歌が『柘枝伝』に関係が薄い題詞のもとにあるとして、検討します。

この歌の初句「このゆふへ」の意の理解は、B11と同じです。そして、作者のみではなく第三者でも、流れてきた「つみのさえだ」を手に取るのに、「やな」が不要であるとおもうのではないか、と強調している歌となっています。B12及びB13の理解も該当します。2-1-388歌の次にある歌としてB14の理解も該当し、作者のみならず第三者もそのように思う、と詠っています。

『柘枝伝』に関係なく、わざわざこのように意見として示す歌を詠む「今日(の)この場」はどんな席であったのかが不明です。  

C5 この歌の作者は、第三者の行動を推測しているので、2-1-338歌の作者と重なっても矛盾はありません。

C6 同じ題詞のもとにある歌は、一般に、同一の作者の歌を配列しているのか、同じ話題に関する別人の歌を配列しているかが考えられます。

また、同じ話題に関する歌であれば、漠としていますが「何かの偶然性」が共通の話題なのでしょうか。

どちらも、同じ題詞のもとにある3首目の理解のヒントとなります。

C7 次の歌2-1-390歌の検討時「つみのえだ」は同音異義の語句として「摘むことができる枝」の意もあり、さらに「摘むことができる分家」の意ともなることが分かりました(ブログ2022/9/5付け「30.⑪」)。しかし「つみのさえだ」は、別の意が込められている語句でもあります。

 「さ」は、歌語をつくる意を持つ接頭語の「さ」のほかに、「他称・そいつ・それ」の意の代名詞「さ」の可能性があります。そうであれば、「つみ」の木の「その枝」を手に取る、という表現は、作者自らが設定して「このゆふへ」に深くかかわっている可能性があります。

2-1-389歌が『柘枝伝』の説話と深く関係しているならば、「つみのさえだ」は仙女の化した「山桑の枝」の意となるでしょう。この歌の作者が「このゆふへ」と設定した場面は、「何かを手にとる」ことが『柘枝伝』の味稲の運命となる可能性が高い場面である、と作者自身が感じていることになります。

C8 『柘枝伝』の説話との関係が薄い題詞のもとにある歌とすると、二句にある「つみのさえだ」とは、「つみの木の枝」のほかに、「摘むことができるその小枝」の可能性があります。そして「枝」には分家の意があるので、それは、ある条件をクリアした特定の分家」という意となっているかもしれません。これもヒントとして次の歌を検討し、また戻りたいと思います。

⑧ 次に、2-1-390歌を検討します。

D1 この歌は、初句~二句にある「いにしへの やなうつひと」という語句により、『柘枝伝』の説話が前提になっていることがわかります。『柘枝伝』の説話は、当時の官人のよく知る説話になっていた、といえるでしょう。

D2 そして、二句にある「やなうつひと」、五句にある「つみのえだ」、及びその「えだ」にも各2案づつあります。(ブログ2022/9/5付けの「30.⑪、⑬」など)。また、四句にある「ここ(に)」の意が多数あり(同上「30.⑨」)、ほかにも同音異義の語句を用いているのが、この歌です。

D3 このため、2022/9/5現在のこの歌の理解として、二句にある「やなうつひと」に2意を認め、字余りの四句にある「ここ」に2意を認め、それを組合せた案が表1の4案です。そのうち、『柘枝伝』の説話に関する歌という理解の第1111案と第1112案よりは、『柘枝伝』の説話が話題となった席・会合が深く関係する歌という理解の第1121案と第1122案が現代語訳(試案)の候補となることになります。

どの案も、四句で文意が一旦切れ、五句は、四句までの文意を対象に詠嘆あるいは感動の文となっている構成です。だから、ある事がらを振り返って詠んでいると理解した歌となっています。

そうすると、同じ題詞のもとの歌3首は、C6に指摘したのと同じ話題の歌であれば、『柘枝伝』の説話を前提に、ある事がらを振り返って詠んでいる3歌ということになります。

ある事がらとは、C6で指摘した「何かの偶然性が共通の話題」であり、それは、「つみのえだ、あるいは、つみのさえだを手に取る」と推測します。1首目の五句「いもがてをとる」に留意すると、何かを手に取ることが、共通の話題ではないか。

D4 同一の作者の歌3首であれば、この歌の作者は、二首目までの作者である2-1-388歌の作中人物となります。即ち、2-1-388歌に詠われた「きしみがたけ」で「あられ」に出会った一組の男女のうちの男性か、その一組を客観視して詠う第三者ということになります。後者の第三者は、第三者という立場の人物ということなので実際の詠み手は別々であっても構わないことになります。

D5 そのため、3首目のこの歌は、『柘枝伝』の説話に深く関係している歌ではなく、「つみのえだ、あるいは、つみのさえだを手に取る」行為あるいは更に限定して「いもがてをとる」行為がキーポイントになる作者の時代に生じた事がらを詠んでいる、と限定できます。

D6 さて、第1121案は、二句にある「やなうつひと」とは、「『柘枝伝』に登場する味稲のような立場の今日(現在)の人物」を指し、「ここ」は「この所」、即ち具体的には「『柘枝伝』に登場する味稲がつみのえだを手にとったような場所・状況」を指します。そして、作者は、五句で「それは感動的であった」と詠います。

第1122案は、二句にある「やなうつひと」とは、「『柘枝伝』に登場する味稲のような立場の今日(現在)の人物を指し、「ここ」は「ここに」で貴方の意となり、具体的には「この歌を送った人物」を指します。そして、作者は、五句で「それは感嘆に値する」と詠います。

作者は、D4の整理から、第1121案の場合、2-1-388歌に詠われた「きしみがたけ」で「あられ」に出会った一組の男女のうちの男性でも、その一組を客観視して詠う第三者でも可能です。

しかし、第1122案の作者は、当人ではあり得ないので、後者、即ちその一組を客観視している第三者ということになります。

D7 次に、この歌が詠まれた背景となる「つみのえだ、あるいは、つみのさえだを手に取る」行為あるいは更に限定して「いもがてをとる」行為はどのような事がらなのか、を検討します。

巻三の配列が天皇の代の順である(上記「1.~30.」参照)ので、これまでの検討からこの3首は聖武天皇あるいは同天皇以後の御代で作者が官人として活躍していた時代に生じた事がらが対象になります。対象の下限は、『萬葉集』の最終的編纂が終わった時となります。深く編纂に関わったはずの大伴家持延暦25年(806)3月に恩赦により罪を許され復位して以降に『萬葉集』は公に認められたと推測されていますので、それまでは(加除訂正を含む)編纂が可能であったことになります。

その間の天皇は、孝謙天皇(749~758)、淳仁天皇(758~764)、称徳天皇(764~770)、光仁天皇(770~781)、桓武天皇(781~806)、及び平城天皇(806~809)です。

2-1-390歌にある「つみのえだ」が「摘むことができる枝」(語句に忠実であれば「摘みとる枝」)と理解すれば、「えだ」を「分家」の意に採ると、皇位継承問題における「分家」(皇子)がからむ事がらが候補にあがります。大伴家や藤原家に関して分家筋がからむ事がらを、3首一組の歌で編纂者は配列しない、と思います。

皇位継承が、天武天皇を祖とする天皇の系統から天智天皇の系統に『萬葉集』編纂可能期間の末期に替わりました。光仁天皇の即位です。そしてその次の天皇は、藤原家をはじめ有力な氏族の娘を母としていない人物が天皇となっています。桓武天皇です。

D8 「つみのえだ、あるいは、つみのさえだを手に取る」という表現は、皇位継承のうち白壁王の天皇即位経緯(光仁天皇誕生)に関しての暗喩ではないか。

さらに、「つみのえだ」は、「いにしへのやなうつ人」も手にしているので、「天皇位」を暗喩している、とも言えます。即ち、

「いにしへのやなうつ人」は「つみのえだ」を手にした(天武天皇の即位)が、「つみのさえだ」はあなたの前にある(その天皇位はあなたが手にする)

と、光仁天皇天武天皇になぞらえているようにもとれます。

D9 このような理解は、『萬葉集』が、天智系の天皇賛歌に終わってしまった場合の危険を回避し天武系の天皇が即位するのを嘉する配慮を強く持っていたのは、『萬葉集』の編纂最終期の編纂者である、とする論とも合致すると思います(ブログ2021/10/4付け「3.⑧~⑩」参照。また、『逆説の日本史3巻 古代言霊編 平安遷都と萬葉集の謎』291p以下(井沢元彦 小学館 1995)も参照)。

D10 そうであれば、皇位継承に直接かかわる当事者がこのような歌を詠むより、周囲にいる誰かが詠んだ体に巻三編纂者はしている、と推測できます。

2-1-390歌の現代語訳(試案)としては第1122案となります。

⑨ 2-1-389歌の初句「このゆふへ」における話題を、C6での予想の「何かの偶然性」ではなく、「時期天皇」のことではないか。C8を考慮すると、「つみのさえだ」は、次期天皇の有力候補者(皇子)となります。

⑩ このため、光仁天皇の即位経緯を念頭におくと、一組となるこの3首は、次のように理解できます。

2-1-388歌に詠われている「きしみがたけ」とは、聖武天皇以後の天皇を巡る皇子や官人の疑心暗鬼・皇子の粛清を象徴し、「あられ」は称徳天皇後に関する政治的動きを象徴しているのではないか。その渦中に待きこまれた夫婦(白壁王夫妻)がいる、と第三者的に詠っています。表面は、仲のよい男女のエピソードを周囲の者が紹介している体の歌です。

2-1-389歌に詠われている「つみのさえだ」とは、この歌がD3で指摘した「ある事がらを振り返って詠んでいるので、「摘むことができるその小枝」即ち「有力官人が支持した称徳天皇後の天皇となった皇子を象徴しています。「やな」とは、色々な政略を象徴しているのでしょう。作者は、「つみのさえだ」を支持する、と詠います。

2-1-390歌に詠われている「いにしへにやなうつひと」とは、天武天皇を象徴し、「つみのえだ」とは、天皇位の意ではないか。この歌は、特定の人物が(官人の総意を得て)即位したことを寿ぐ、という作者の主張の歌となります。

しかしながら、表面的には、『柘枝伝』に登場する「つみのえだ」を題材とした歌三首とも理解できるところであり、このような暗喩を隠した上記②のような趣旨の歌が、これら3首である、と思います。

⑪ なお、ブログ2022/8/22付け「29.⑩」で、「(仙)柘枝歌」という題詞を前提にすると、「つみのえだ」に関する歌であるものの、歌において、「つみのさえだ」は「梁を打たない」という表現により、『柘枝伝』における「つみのさえだ」でない、即ち特別なことを期待しているのではない、ということを強調しているのではないか、と推測したのは、誤りでした。

「わかたんかこれ 猿丸集 ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

次回は、これらの3首が、巻三にある理由などを前後の題詞からも検討します。

(2022/10/3   上村 朋)

付記1.2-1-388歌以下3首に共通の題詞について

① ブログ2022/8/1付けの「26.」で得た題詞の現代語訳試案は次の2案である。また下記②~⑤を指摘した。

第一は、左注にも引用している『柘枝伝』を念頭において作文された題詞

「仙女である柘枝の(あるいは、に関する)歌 三首

第二は、説話『柘枝伝』を念頭におかない(「柘枝」を伝説での人名とみない)で作文された題詞

 「「仙」と形容できる「柘」(つみ・山桑)の「枝」(幹ではないもの)の(あるいは、に関する)歌」 

② 第一は、『懐風藻』の各詩と同じように、『柘枝伝』に題材をとって新たに詠んでいる歌3首という意であり、題詞の建前の意であろう、と予想する。第二は、題詞の暗喩にあたる意か。

③ 説話『柘枝伝』は詳細が伝わっていない。『懐風藻』にある詩句からの復元した概略があるだけである。

④ 巻三の雑歌にある題詞で、人物名を記載していない題詞は大変珍しい。「反歌〇首」などの例を除くと、「詠不尽山歌一首」と「羈旅歌一首」とこの題詞「仙柘枝歌三首」だけである。

⑤ 題詞にある「仙柘枝」が名であれば、歌では「柘之左枝(之)」(つみのさえだ(の))及び2-1-390歌の「柘之枝(羽裳)」(つみのえだ(はも))と、名を割って表記されていることになる。

⑥ 題詞は倭習漢文であるので、漢字の意に留意してよい。多義のある漢字「仙」字と「枝」字は要注意。

⑦ ブログ2022/8/1付け本文「26.⑨」で触れたように、阿蘇瑞枝氏の指摘した神武記の丹塗矢伝説と『柘枝伝』に類似は認められる。訪れた人物がもと居たところに勝手に還っていった点、訪れを受けいれた側(人間界側)はそれを受け入れた点、そして訪れを受けいれた側にその後善いことがあった点が共通している。このため、巻三の編纂者は、積極的に神武記の丹塗矢伝説をなぞった3首としているという仮説が立てられる。

(付記終わり。2022/10/3  上村 朋)