わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 霰 萬葉集巻三配列その16

 前回(2022/8/1)の「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 逃避行か萬葉集巻三の配列その15」に続き、今回「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 霰 萬葉集巻三の配列その16」と題して記します。歌は、『新編国歌大観』によります。(上村 朋)

1.~27.承前

 『萬葉集』巻三の雑歌について、巻一の雑歌と同様に、歌と天皇の各種統治行為との関係から検討し、各歌について判定した表E(ブログ2022/3/21付けの付記1.に記載)を得ました。そして、「関係分類A1~B」の歌30首は、天皇の代を意識した4つのグループに分かれました。それ以外の歌においても2-1-387歌まで各グループに分けられることを確認しました。

 各グループは天皇の代の順に配列されており、各筆頭歌は、2-1-235歌、2-1-290歌、2-1-315歌および2-1-378歌です。

28.「分類A1~B」以外の歌 2-1-388歌の歌本文 その2

① 2-1-387歌まで検討が終わり、今、2-1-388歌を、検討中です。

 題詞は、あらあらの検討が終わりました(前回のブログ2022/8/1付け参照)。歌本文の検討を続けます。

 2-1-388歌を再掲します。

 2-1-388歌 仙柘枝歌三首

   霰零 吉志美我高嶺乎 險跡 草取可奈和 妹手乎取

   あられふり きしみがたけを さがしみと くさとりはなち いもがてをとる

(左注あり) 右一首或云、吉野人味稲与柘枝仙媛歌也。但見柘枝伝無有此歌

 四句「草取可奈和」を、(『新編国歌大観』の訓ではない)「くさとりかなわ」と訓んだ土屋文明氏と伊藤博氏の現代語訳について前回(ブログ2022/8/1付け)検討しました。そして、両氏の理解は、『懐風藻』から類推した『柘枝伝』(しゃしでん)の説話の趣旨にそった歌になっていないのではないか、と指摘しました。

 今回、四句を(『新編国歌大観』の訓である)「くさとりはなち」と訓んだ歌として、検討します。

 その結果、「霰」の特性に適う、両氏と異なる理解となりました(下記⑯に現代語訳(試案)を記載)。

② 句ごとに、検討します。

 初句「霰零(あられふり)」に用いている漢字「霰」と「零」の意は『角川大字源』に次のようにあります。

 漢字「霰」:あられ。空中の水蒸気が急に凍って降ってくるもの。

 漢字「零」:aおちる。(雨がしずかに)ふる。おちぶれる。bしとしと降る雨。cあまり。端数。dなど・・・

 なお、漢字「降」:aおりる。下る。bふる。ふらす。おちる。cくだす。

 古語辞典には

 「あられ」:「a(冬に降る)霰。b「あられぢ」の略。」(『例解古語辞典』)。あるいは「a雲中の水分が凝結して降るもの。古くは、雹(ひょう)をも含めたらしい。bあられじの略」(『岩波古語辞典』)

 「あられふり:霰降り:「遠(とほ)」、「鹿島(かしま)」などにかかる枕詞(『例解古語辞典』)。

 『時代別国語大辞典上代編』には、「①あられがふってカシマシ(やまかしい)の意で、地名カシマにかかる。②アラレがふってキシムの意で、地名キシミにかかる。③あられの降る昔がトホトホと聞えるところから、遠にかかる。」とあります。

④気象現象である「あられ」とは、気象庁では、氷の塊であり、大きさにより「あられ」と「ひょう」に区別しています。直径5mm以上になると「ひょう」(雹)と呼んでいます。ちなみに漢字「雹」とは、「あられ。氷雨」とあり、「霰」との違いの説明は省かれています。

 俳句の歳時記によると、「霰(あられ)」は冬の季題であり、「雹(ひょう)」は夏の季題となっています(付記1,参照)。

④ 『萬葉集』で、「あられ」と訓んでいる例をみてみます。

 漢字「霰」を用いた歌は、巻一~巻四にこの歌のほか2首あります。

  2-1-65歌 慶雲三年丙午幸于難波宮時(64歌&65歌)  長皇子御歌

   霰打 安良礼松原 住吉之 弟日娘与 見礼常不飽香聞

   あられうつ あられまつばら すみのえの おとひをとめと みれどあかぬかも

  2-1-199歌 高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌

   挂文 忌之伎鴨 [一云 由遊志計礼抒母] 言久母 綾尓畏伎 明日香乃 真神之尓・・・引放 箭繁計久 大雪乃 乱而来礼 [一云 霰成 曽知余里久礼婆] 不奉仕 立向之毛 露霜之 消者消倍久・・・

   かけまくも ゆゆしきかも [一云 ゆゆしけれども] いはまくも あやにかしこき あすかの まかみのはらに ・・・ ひきはなつ やのしげけく おほゆきの みだれてきたれ [一云 あられなす そちよりくれば] まつろはず たちむかひしも つゆしもの けなばけぬべく ・・・

 漢字「安良礼」を用いた歌は、巻一~巻二十に、上記の2-1-65歌と2-1-4322歌(その二句が「安良礼多波之里」)のみです。

 漢字「雹」を用いた歌は、巻一~巻二十に、1首あります。

 2-1-2316歌 冬雑歌

   我袖尓 雹手走 巻隠 不消有 妹為見

   わがそでに あられたばしる まきかくし けたずてあらむ いもがみむため

 題詞からも歌本文からも「雹手走」の「雹」は、冬に降る「霰」を指しており「可憐な小粒の氷」といえます。後代の歳時記の基準からも同じです。

⑤ 2-1-65歌の題詞にいう行幸は、『続日本紀』によれば同年9月丙寅(26日)難波に行幸し、翌十月壬午(12日)還御しているものを指しているそうです。太陽暦では11月下旬ごろであり、今日いうところの「あられ」が降ることも有り得る頃ですが、『続日本紀』ではそこまでわかりません。

 その二句「安良礼松原」の「安良礼」は地名(の一部分)だそうです(付記2.参照)。同音のその地名を褒める枕詞と伊藤博氏は説明しています。

 しかし、古語辞典には「あられふり」が枕詞とあげられていますが、「あられうつ」はあげられていません。

 「あられ」に対して、動詞「ふる」と動詞「うつ」の違いは、「ふる」よりも「うつ」ほうが激しい降り方の表現になるのではないか。音も激しいでしょう。激しく降ってきたとすれば、実際は大粒の雹(ひょう)であったかもしれません(下記⑮参照)。

 この歌は、難波宮への行幸途中の地「住吉」を褒める歌です。伊藤氏は、旅での安全のため望郷と土地褒めをセットして詠うのが習いである、と指摘しています。

 そのため、「あられうつ」とは、「あられ」状のものが落下してくるという気象現象状況で、もっとも激しい降り方を「うつ」と表現し、「あられというとあの急激な降り方と音を連想することを強調し、「松原といえば、この地の松原であると、とてつもなく評判が高い」とか「特に有名になっている」という意の修飾語としてこの歌では用いられているのではないか。

 そのうえ、「あられうつ あられ(まつばら)」と褒める度合いを強めてこの歌では表現している、と理解が可能です。二句の「安良礼」は地名ではなく「霰」の意であり、2-1-65歌の現代語訳を試みると、次のとおり。

 「音を立てて降ってくるのですぐ気が付く「霰」のように、松原といえばとてつもなく評判がたかいこの地の松原、それは住之江に居る(すでに評判になっている)弟日姫と同様に、本当に見飽きることがないなあ。」

 初句は、二句にある地名「松原」、あるいは、景勝の松原のあるエリアを修飾している、といえます。

 海岸沿いの松原は、今でもその長さも評価の要素の一つであろう、と思います。長さが短い松原を褒めようとはしていない、と思います。

⑥ 2-1-199歌の「一云 霰成 曽知余里久礼婆」を伊藤博氏は「あられのように矢が集まってくるので」(「曽知」は未詳)と現代語訳しています。射かけた矢がおびただしく集中している状況を、大雪が一カ所に降りかかってくる様子に譬えるとともに、形容した語句になっています。あられが降っている間はその量も音も激しいので、射かける矢の途切れない様の形容と思えます。

 著名な松原や、射かけた矢が集中している状況という、対象が特異な状況にある点に着目して比喩として用いているところです。

⑦ 3首目の例であるこの歌(2-1-388歌)では、初句「霰零」は、二句にある「吉志美我高嶺(乎)」を、修飾しています。

 二句「吉志美我高嶺乎」は、「吉志美」+我+高嶺+乎」と語句分解できます。

「吉志美」は一字一音の万葉仮名であり、「きしみ」と訓んでいるので、地名(又は山名の一部)か、動詞「きしむ」の連用形(動詞の名詞化)です。

 類似歌と指摘されている『肥前風土記逸文にある歌(5-353-19歌)は歌垣の歌とされており、歌垣が行われている近くの山が「きしみがたけ」と表現されている、とみることができます。

 動詞「きしむ」(軋む)とは、「きいきい音をたててこすれ合う。きしむ」の意があります(『例解古語辞典』 以下も原則同じ)。

 巻一~巻四での用例を確認すると、次のとおり。

第一 「吉志美」表記或いは訓「きしみ」は、この歌(2-1-388歌)一首のみ。

第二 「高嶺・高峰」の用例は5首にある(付記3.参照)。題詞に「不尽山」とある歌などにある。

『例解古語辞典』によると、

「高嶺」を「たかね」(高嶺・高根)と訓むと、歌語であり「高い峰」の意。

「たけ」と訓むと、同音意義の語句として、次の意があります。

 第一 たけ:竹

 第二 たけ:丈・長:a背丈・高さ。b立っている物または立てた物の長さ。c(・・・のたけの形で、全体で)・・・の度合い・程度・積み上げた高さを想像していう。(『新版角川古語辞典』では、a物の高さ。また長さ。b物の程度。c勢い。勢力。d馬の蹄から肩までの高さ四尺~四尺九寸(約120~150cm)までの総称。e歌論で荘重な感じ・気品。格調。)

 第三 たけ:嶽・岳:高く大きい山。高山。

⑧ これらより、二句にある「吉志美我高嶺(乎)」の理解には、少なくとも3案あります。

第一 諸氏の指摘する吉野山中の比定地未定の山。比高のある山あるいは山の肩の名前(固有名詞または普通名詞)

第二 『肥前風土記逸文にある歌(5-353-19歌)が詠う、肥前国にある山の名前(固有名詞)

第三 きいきい音をたててこすれ合うという意の名を持つ山で、比高のある山(何かを象徴している普通名詞)。

 勿論、第一と第二にも暗喩を想定しておかしくありません。

 これを修飾するのが初句「あられふり」です。

 初句「あられふり」を枕詞として扱い、二句を「きしみがたけ」と訓めば、上記②に引用した『時代別国語大辞典上代編』に従い、上記3案全てが成立します。

 枕詞とみないで、「あられふり」の意を、巻一~巻四にあるほかの2例から類推すると、「対象が特異な状況にある点に着目して用いている」語句であったので、地名「きしみ」や山の名の一部である「きしみ」よりも、「たけ」における「さがし」、あるいは、動詞「きしむ」における「さがし」に着目した比喩とみることができます。

 そのため、「たけ」(比高のある山)における「さがし」の比喩であれば、上記3案全てが成立します。

 また、動詞「きしむ」における「さがし」の比喩であれば、上記の第3案のみが成立します。

 この歌の題詞を、仮に「仙女である柘枝の(あるいは、に関する)歌 三首」とすれば、『柘枝伝』(しゃくしでん)が前提になるので、第1案の吉野山中に無理に比定地を求めなくともよい抽象化した山である上記の第3案が有力である、と思います。

⑨ また、この二句にある(吉志美我高嶺)「乎」は、体言に付いているので格助詞「を」であり、

 「体言(またはそれに準じる語句)+を+形容詞の語幹+み」

の形で、その状態の対象となる物ごとを示し、全体で、下に続く同左の原因・理由を表し、(・・・を・・・として、・・・が・・・ので)となります。

 だから、次句「險跡」(さがしみと)」の「さがしみ」と一体です。

 「さがしみ」は、次のように語句分解ができます。

 形容詞「さがし」の語幹+接尾語「み」+格助詞「と」

 形容詞「さがし」とは、aけわしい。b危うい・危険だ。の意があります。

ここでの接尾語「み」とは、「(形容詞の語幹に付いて)体言を作る」意であり、「と」を格助詞とみます。

⑩ 格助詞「と」には、次の意があります。

 a 何か、事をする際の相手となるものや、いっしょにいたり、行ったりするものを示す。・・・と。・・・ともに。

 b移り変わり、変化していった結果を示す。・・・と。

 c たとえていうのに用いられる。・・・のように。

 d比較・対比していうときの基準を示す。・・・と。・・・と比べて。

 e 文に相当する語句を、引用の形で受ける場合。「言ふ」「聞く」「思ふ」「見る」「あり」「す」などへ続けて用い、その内容を示す。

 f 文に相当する語句を、引用の形で受ける場合。下に述べる動作の目的や原因などとなる物ごとの内容を示す。「とて」と同じ。「・・・といって。・・・と思って。・・・として。

の意があります。

⑪ 次に四句「草取可奈和(くさとりはなち)」は、次のように語句分解できます。

名詞「くさ」+動詞「とる」の連用形((あるいは接頭語「とり」)+動詞「はなつ」の連用形

 名詞「くさ」は大別2意あります。

 「草」:a草の総称。b屋根をふいたりするわら・かやの類

 「種」:種類。たぐい。

 動詞「とる」は同音異義の語句です。

「取る」:a手に持つ。b(拍子を)とる。

「捕る」:とらえる。

「執る」:手に持って扱う。操作する。

「採る」:採用する。採択する。

などなど。

 接頭語「とり」は、(動詞「とる」の連用形から)動詞に付いてその動詞の意を強めます。

 なお、「とりはなつ」の立項は『例解古語辞典』にありません。

⑫ そして、動詞「はなつ」(放つ)とは、a手に持っている。物を放す。b自由にする。解き放す。c遠ざける。捨てる。d追放する。流罪にする。eなどなどの意があります。

 登山の場合、設置されている鎖や、しっかりした岩やトレッキングポール(ストック)は頼りになりますが、細い立ち木や草をあてにできません。路のそばの草を取ろうと手を伸ばせばバランスを失いかねません。

 「くさとりはなつ」という「くさ」が草であるならば、それは登る途中に見つけた食糧になる「くさ」とか観賞用か遊びの小道具としての「くさ」でも手にして作中人物は行動しているのでしょうか。

 また、そのような「くさ」がある時期は、俳句での春の季題か夏の季題がふさわしい時期のはずです。

⑬ 五句「妹手乎取」(いもがてをとる)の「妹」とは、女性を親しんでいう語であり、「兄」(せ)の対の語句です。

 「手」とは、「身体の部分の名。手。また、手のひら。」のほかに、「筆跡・手筋」、「手だて・方法」などの意もあります。

 「とる」は、上記⑪に記すように同音異義の語句です。

 このため、五句は、「作者が親しくしている女性の手を自分の手に持つ」とも「作者の親しい女性のために、手だて・方法を採用する」とも理解が可能です。

⑭ 次に、歌本文の文の構成を検討します。上記の語句の意を踏まえて主語述語を強調すると、つぎのとおり。初句は枕詞という説もあるので、「あられふる」という終止形でないが、何かにかかる(修飾する)独立した文とみなします。

文A あられふり :(天候が急変し、あるいはそのようなる天候となる時期を迎え、)霰が降ってきて、

 別案:(天候が急変後、あるいはそのようになる時期となり、)霰が降り続き、

文B きしみがたけを さがしみと:「きしみがたけ」を(越えるのには霰のために)危険な状況になっている(と私は理解した)ので、

 別案:「きしみがたけ」(そのもの)を「さがし」と(私は判断した)ので、

文Cくさとりはなち :(それで、それまで手にしていた)「草」を私は手放して、

 別案:(二人で持っていた)「草」を手放して、

文Dいもがてをとる :(そして) 私は妹の手を取る(その妹のために)。

 別案:(そして) 私は妹の手を取る(その妹以外の何かのために。)

⑮ 文Aのような天候の時に山に登る(あるいは峠越えする)のは解せません。この歌が、『柘枝伝』にもとづいて詠まれているとすると、夫婦となったことを確認している歌であり、山頂(あるいは峠越え)などを目指していない、山麓での野遊びの歌ではないか。

 類似歌の5-353-19歌(『肥前風土記逸文にある歌)は、二人だけになるための道中歌(仲間あるいは上司からの逃避行の歌)(2022/8/1付けブログ「27.⑤」参照)とみましたが、もう一つの類似歌と言われる5-347-69歌(『古事記』仁徳条にある歌)を無視すれば、逃避行の歌と見る必要はなく、5-353-19歌も夫婦となったことを確認している歌と理解が可能です。

  また、歌にいう霰は、雹(ひょう。現今では直径5mm以上の氷塊をいう)も含んだ表現であるとすると、落下するスピードも増し、農作物の被害や身の危険も大きくなります。野遊びの時に出逢う「あられ」であれば「雹」混じりの「霰」を詠う歌という推測が可能となります。

 そうすると、文Bは、これ以上野遊びをするのは天候の変化があったので止めよう、という趣旨であり、文Bの別案「「きしみがたけ」(そのもの)を「さがし」と(私は判断した)ので、」の意ではないか。

 雹混じりの霰が降ってきたら、山であろうと、屋敷内であろうと、外に居たら危険です。

⑯ 文Cの「草」は、野遊びで摘んだ「草」を意味し、文Dは、霰を恐れ急ぎ大木の下かなにかに身を避けるか駆け降りようとする行動であろう、と思います。

 このような理解で現代語訳を試みると、次のとおり。

 「(恐ろしい)霰が降ってきて遮るもののない「きしみがたけ」にいるのを「さがし」と判断したので、私は、手にしていた草を放り捨て、いそぎ妹の手をとった(霰から逃げるために)。」(2-1-338歌現代語訳試案第一)

 

 この理解は、『柘枝伝』における、仲睦まじい夫婦であった時期のエピソードということになります。この題詞のもとの残りの2首の理解と平仄があうかどうかは後程確認することとします。

 「きしみがたけ」は、上記⑧の第一か第三と理解できます。

 また、この歌の左注はこの理解に関わりはありません。左注は巻三編纂者の記したものではない、と理解できます。

⑰ 類似歌5-353-19歌も、突然の霰に対して同様な対応をしている歌と理解できます。この類似歌の詠われた現在の佐賀県杵島郡付近には杵島山と総称されている山地があります。有明海に面する白石(しろいし)平野と西の武雄盆地の間にある南北9km東西4kmの山地です。北は六角川、南は塩田川で画されており、310~370mの山頂が4カ所ある山地です。(『日本大百科全書』等より)

 山地の麓のどの集落からも、裏山が「杵島」山地です。類似歌の二句にある「耆資麼加多塏」(きしまがたけ)とは、その裏山の一角を歌語的に表現したと理解してよい、と思います。「高嶺・高峰」が歌語として用いられていることに通じます(付記2.参照)。

 (なお、「杵島」の地名(山名)の起こりについては、「肥前国杵島郡の郡名の由来と郡家所在地について」(Fac. Edu. Saga Univ. Vol13,No1 竹生政資・西晃央)を参照されたい。)

 「あられふり」という語句が歌枕となる以前からの、「霰」に遭ったときの対応を詠っているのが類似歌5-353-19歌です。巻三編纂者は、この歌の元資料における「霰」を、同様に理解してここに配列しているのではないか。

 この歌の類似歌は、「あられ」を詠う5-353-19歌だけではないか、と思います。

⑱ なお、この歌の四句を『新編国歌大観』と同じように「くさとりはなち」と訓んで現代語訳している例がありましたので、紹介します。中西進氏の訳です。(『万葉集 全訳注原文付(一)』(講談社文庫 1978))

「あられの降る吉志美の山がけわしいので、草をとりそこねて妹の手をとることよ。」

 注して、a初句にある「零」を「フル」とよむのは風土記逸文の歌による。b霰の音のキシムとつづく。c吉志美我高嶺は、佐賀県杵島郡白石町の杵島山の訛ったもの。既に固有名詞の所在地を忘れて歌っている。伝承の間に地名の入れ替えは普通。この歌は、そのまま伝承柘枝伝説に組み入れられたもの。とあります。氏は、「あられ」の考察と遭ったときの行動を想定していません。

 また、黒路よしひろ氏の『万葉集入門(http://manyou.plabot.michikusa.jp/manyousyu3_385.html)』では、2-1-388歌(旧番号385歌)の訓と現代語訳を次のようにしています。

「あられふる吉志美(よしみ)が岳(たけ)を険(さが)しみと草(くさ)とりはなち妹が手を取る

現代語訳:あられの降る吉志美の山が険しいので草を取り損ねて妹の手を取ってしまったよ。」

 氏は、評して、「思いもかけず美女を得た喜びを詠っています。歌の内容自体は解釈が少し難しいのですが、「草を取ろうとしたら山が険しいので手元が狂っておまえの手を取って(握って)しまったよ」といったところでしょうか。」と記しています。この理解も「あられ」の考察をしていません。

⑲ 同じ題詞のもとにあと2首が配列されています。その歌本文を検討後に、再度現代語訳を試みたい、と思います。その後、これらの歌が、天皇の代を意識したどのグループの歌か、という検討を行うこととします。

 次回は、2-1-389歌本文の検討などを行います。

 今日は、敗戦後77回目の終戦の日です。明治改元(1868年10月23日)から154年目が今年です。

 天武天皇飛鳥浄御原宮造営(672年)後、77年目は天平20年(748年)で元正上皇(独身で即位した天皇)が崩御し翌天平勝宝元年(749) 聖武天皇孝謙天皇に譲位しています。

 70数年経過というだけで課題満載の時なのでしょう。

 「ブログわかたんかこれ 猿丸集 ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。(2022/8/15    上村 朋)

付記1.『平凡社俳句歳時記』(新装版)での「あられ」と「ひょう」の説明について

①霰(あられ)は、三冬(立冬から立春前日までの(新年を除く)の3カ月)の季題。

②「氷あられ」もあるが、俳句では普通「雪あられ」を指す。

③真っ白な可憐な3~4mmの小粒。屋根や樹木にぱらぱらと気持ちよい音を立てて一しきり降る。

④雹(ひょう)は、三夏の季題。

⑤多くは雷雨をともなう。「ひさめ(氷雨)」は「ひょう」の古語。3月~6月に降り、5月頃が一番多い。

⑥雹に近いものに霰があるが、霰は冬、雪の降る少し前に降るものである。

⑦古く万葉には雹および霰字を「あられ」と訓じているが、ほかにもそのよみかたの例はある。

付記2.「安良礼(あられ)松原」について

大阪市立図書館HPにある「おおさか資料室「大阪に関するよくある質問」の「あられ松原」の回答は、下記②~④である。Wikipediaの「足立」(あんりゅう)の項などは下記⑤以下に紹介する。

②「安良礼(あられ)松原」とは万葉集にも見える古い地名で、今の住之江区安立町(あんりゅうちょう)付近であったとされています。(『角川日本地名大辞典 27』角川書店 1983)

③長い年月の間に新田開発や埋立が進み、今では住之江区でも内陸部といえる安立町ですが、江戸中期頃は、このあたりまでが海岸線でした。海辺にそって松原が広がる景勝地であったことから、安良礼(あられ)松原の名が生まれました。また、松が粗くまばら(疎)に生える松原として「あらら松原」の語があり、それが転じたとの説もあるようです。(『角川日本地名大辞典 27』角川書店 1983及び『広辞苑新村出岩波書店 2008)

万葉集」の巻1に「安良礼松原」を詠った歌(2-1-65歌)があります。

⑤現在の住之江区安立町紀州街道に沿う東西100~150m南北約5kmの町域である。地名の起こりは、江戸時代となって名医として知られていた半井安立軒元成(なからいあんりゅうけんもとなり)が住んでいたことによる(Wikipedia)。

⑥「あられ」という地区名・地名は、現在の大阪市域と堺市域にはない。また、現在の大阪府松原市に「松原」という地区名・地名はない。

付記3.「高嶺・高峰」の用例(巻一~巻四) 5首(計7句)に用いられている。

2-1-320歌 山部宿祢赤人望不尽山歌一首 并短歌

天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将徃 不尽能高嶺者
   あめつちの わかれしときゆ かむさびて たかくたふとき するがなる ふじのたかねを あまのはら ふりさけみれば わたるひの かげも かくらひ てるつきの ひかりもみえず しらくもも いゆきはばかり ときじくぞ ゆきはふりける かたりつぎ いひつぎゆかむ ふじののたかねは<2022/7/29  15h>

2-1-321歌 (同上)

田児之浦従 打出而見者 真白衣 不尽能高嶺尓 雪波零家留
たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける

2-1-322歌 詠不尽山歌一首 并短歌

麻余美乃 甲斐乃国 打縁流 駿河能国与 己知其智乃 国之三中従 出之有 不尽能高嶺者 天雲毛 伊去波伐加利 ・・・駿河不尽能高峰者 雖見不飽香聞

なまよみの かひのくに うちよする するがのくにと こちごちの くにのみなかゆ いでたてる ふじのたかねは あまくもも いゆきはばかり ・・・ するがなる ふじのたかねは みれどあかぬかも

2-1-325歌 山部宿祢赤人至伊予温泉作歌一首 并短歌

皇神祖之 神乃御言乃 敷座 国之尽 湯者霜 左波尓雖在 嶋山之 宣国跡 極此疑 伊予能高嶺乃 射狭庭乃 岡尓立而 歌思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継尓家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代尓 神左備将徃 行幸

すめろきの かみのみことの しきしまの くにのことごと ゆはしも さはにあれども しまやまの よろしきくにと こごしかも いよのたかねの いさにはの をかにたたして うたおもひ ことおもほしし みゆのうへの こむらをみれば おみのきも おひつぎにけり なくとりの こゑもかはらず とほきよに かむさびゆかむ いでましところ

2-1-388歌 (今回の検討対象の歌 本文「28.①」に記載) 

(付記終わり 2022/8/15   上村 朋)