わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 逃避行か萬葉集巻三配列その15 

 前回(2022/7/25)の「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 皇位継承 萬葉集巻三の配列その14」に続き、今回「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 逃避行か萬葉集巻三の配列その15」と題して記します。歌は、『新編国歌大観』によります。(上村 朋)

1.~25.承前

萬葉集』巻三の雑歌について、巻一の雑歌と同様に、歌と天皇の各種統治行為との関係から検討し、各歌について判定した表E(ブログ2022/3/21付けの付記1.に記載)を得ました。そして、「関係分類A1~B」の歌30首は、天皇の代を意識した4つのグループに分かれました。それ以外の歌においても2-1-387歌まで各グループに分けられることを確認しました。

26.「分類A1~B」以外の歌 2-1-388歌などの題詞 その1

① 巻三雑歌の天皇の代を意識した4つ目のグループは、聖武天皇以降の天皇を象徴する「寧楽宮」に居られる天皇の代の歌、と予想しているところです(ブログ2022/3/21付け「3.③」参照)。

 「その天皇の代の可能性が高ければ、そのグループの歌」という判定は、前回同様に、題詞のもとにおける歌意で「聖武天皇以降の天皇」の代に関する歌という可能性で判断することとします。ほかの代の可能性の有無は関係ありません。

② 2-1-388歌を検討します。その題詞「仙柘枝歌三首」のもとに歌が3首あります。次のとおり。

2-1-388歌 仙柘枝歌三首

   霰零 吉志美我高嶺乎 險跡 草取可奈和 妹手乎取

あられふり きしみがたけを さがしみと くさとりはなち いもがてをとる

(左注あり) 右一首或云、吉野人味稲与柘枝仙媛歌也。但見柘枝伝無有此歌

2-1-389歌 (同上)

   此暮 柘之左枝乃 流来者  梁者不打而 不取香聞将有

このゆふへ つみのさえだの ながれこば やなはうたずて とらずかもあらむ

(左注あり) 右一首

2-1-390歌

古尓 梁打人乃 無有世伐 此間毛有益 柘之枝羽裳

いにしへに やなうつひとの なくありせば ここにもあらまし つみのえだはも

(左注あり) 右一首若宮年魚麿作

③ 「承前」に記した表E(ブログ2022/3/21付けの付記1.に記載)は、歌と天皇の統治行為との関係を11分類したものですが、この題詞のもとの3首は、次のように判定しています。即ち、

「仙柘枝媛を詠う作者未詳歌」であり、「相聞歌と見間違う、雑歌の要素不明の歌」である。そして、関係分類は、「I天皇の下命がなく、事にあたり個人的な感慨を詠う歌群」 

 雑歌としての理解が不十分のままです。

 諸氏は、吉野山の仙女を娶るという話を前提にした歌が3首詠われていること、及び2-1-388歌と2-1-390歌の左注を重視して、題詞は「柘枝(つみのえ)という仙女にまつわる歌三首」と理解しています。雑歌として配列されているのは、(公的な)宴席の歌が理由か、との推測があります。

④ 題詞から、検討します。

 題詞「仙柘枝歌三首」は、前歌の題詞「山部宿祢赤人歌一首」と同じ構成となっている倭習漢文です。

 巻三の雑歌にある題詞は、作者の名を原則的に明記してあります。「人名のみ+歌〇首」という作文タイプで皇族、官人、官女、及び僧籍の者以外の名は、この題詞のほかには、2-1-271歌の題詞(阿倍女郎屋部坂歌一首)、2-1-284歌の題詞(黒人妻答歌一首)、2-1-382歌の題詞(大伴坂上郎女祭神歌一首 幷短歌)及び2-1-384歌の題詞(筑紫娘子贈行旅歌一首)の4題と、大変少ない。

 そして、この4題は、その人物が作者である、と諸氏はみています。しかし、この題詞を諸氏は、そうみていません。特異です。それはこれから改めて検討することとします。

⑤ 又、巻三の雑歌の題詞に、人物名が無いのは「反歌〇首」とある場合と次の題詞です。

或本反歌一首:対象となる歌は、2-1-242歌

或本歌(云・曰)〇首:(同上)2-1-245歌& 2-1-262歌& 2-1-366歌

一本云:(同上)2-1-279歌

詠不尽山歌一首 幷短歌:(同上)2-1-322歌&2-1-323歌(反歌)&2-1-324歌(反歌)   なお、2-1-324歌の左注に「右一首高橋連虫麿之歌中出焉、以類載此」とある。 

和歌一首:(同上)2-1-372歌  左注に「右作者未審、但笠朝臣金村之歌中出也」とある。

羈旅歌一首 幷短歌:(同上)2-1-391歌&2-1-392歌(反歌)  なお、2-1-392歌の左注に「右歌若宮年魚麿誦之、但未審作者」とある。 

 このようにみてくると、「詠不尽山歌一首」と「羈旅歌一首」は、巻三雑歌の題詞としては大変特異なものであり、この題詞「仙柘枝歌三首」の「仙柘枝」も人間界の人物でない、というのも特異な題詞である、といえます。

 さらに、直前の題詞「山部宿祢赤人歌一首」という題も作者名でなかったので特異なものの部類に入ります。

 なお、上記の「和歌一首」という題は、直前の歌に応えた歌という意なので、その状況から作者は官人です。

⑥ また、この題詞にある「仙柘枝」は、左注などにより、仙女の名、と今は理解しているところですが、『萬葉集』にはこの題詞に出て来るだけの名です。また「柘枝」表記でも題詞や歌本文にありません。

 また、仙女の名といっても人間界側でつけた通称であるものの、歌本文には、2-1-389歌の「柘之左枝(之)」(つみのさえだ(の))及び2-1-390歌の「柘之枝(羽裳)」(つみのえだ(はも))と、題詞にある「柘枝」と表記している名を割って表記しています。訓でも同じです。

 詠う場合、その人物は代名詞で表現したり、その人物を示唆するほかの表現としているのが普通ですが、この歌ではそうなっていません。それも有り得る、という傍証がほしいところです。

 そして、そもそもこれらの元資料にだけ、作詠時点や作詠事情が全然記録されていなかったとは信じられません。

 巻三の編纂者は、元資料の記されている各種情報から取捨選択して題詞を作文しているはずです。

 その結果であるこの題詞に、歌本文と配列などを考慮すれば、編纂者は、ここにこの歌を配列している事情や「柘枝」の意がわかり、元資料の事情もおのずと推測できる、と考えていた、ということになります。

 なお、『萬葉集』において「柘」字を用いている表記は、題詞ではこの題詞だけであり、歌本文では2-1-389歌と2-1-390歌と巻十夏雑歌の筆頭歌にある「詠鳥」と題した2-1-1941歌(「(明来者)柘之左枝(尓)」((あけくれば)つみのさえだ(に))という句)にあるのみです。2-1-1941歌では、植物の「山桑」の意と理解できます。

⑦ 「人名+歌〇首」タイプの歌で、作詠時点や作詠事情が歌本文、配列及び『続日本紀』の記述との突合などにより、分かった歌があります。

 そして、歌本文から旅中歌と思われる歌は、作者が官人であれば旅そのものが公務の場合が多く、歌と天皇の各種統治行為との関係分類は、「C」となり得る歌となります。

 例えば、「人名+歌〇首」タイプの最初の歌2-1-267歌は、長忌寸奥麿(ながのいみきおきまろ)作の公務の旅中における歌であり、配列から、歌本文は天智天皇の御代と当代を比較していることになります。2-1-295歌~2-1-298歌はご当地摂津住吉を褒める起承転結の4首であり、宴席の題詠歌かと思えます。宴席が公的なものだからご当地を褒めている歌と言えます。

 また、波多朝臣小足の2-1-317歌は、表E作成時の判定をブログ2022/3/21付け本文での検討により、藤原宇合率いる蝦夷征討軍の慰労と凱旋日程等を指示時の歌」と特定でき、関係分類も「C」から「A1」に変更できたところです。

 だから、この題詞と歌本文と配列等から、雑歌の歌として適切な理解が導けるはずです。

⑧ 題詞は倭習漢文ですので、用いている漢字の意から確認します。『角川大字源』 によります。

 「仙」:「せん」と発音する。

第一 やまびと・仙人。俗界を離れて山中に住み、不老不死・神変自在の術を修めたといわれる人。中国道教における理想的な人物とされる。

熟語例として「仙人」(山中にすみ、不老不死の術を得た人・道士を目指す理想的境地)

第二 凡俗を超越している人。

第三 世俗の気のない清高なさま。例)「仙姿」(仙人のような俗を離れた優れた姿)

第四 世俗を離れること。またその離れている場所。

第五 軽く舞い上がるさま。

第六 すぐれている。とうとい。うつくしい。非凡。

例)「仙骨」(仙人の骨相、なみなみでない風采)、「仙席」(尊貴な人の座席)

第七 詩歌や書画などの特に優れた人。例)「詩仙」

第八 天子に関する事物につけていう。 

例)「仙遊」(仙人のように自由に遊ぶ。またその土地・人の死をいう) 

「仙洞」(仙人のいる所。俗界を離れた清浄な地。また、天子の行幸

  「仙翰」(天子の書簡。また、鳳凰の異称。)

また、国語の熟語として「仙洞」は「上皇法皇の御所。また上皇法皇

  第九 道教の別称 などなど

 

「柘」:「しゃ」、「やまぐわ」と発音する。

第一 「くわいろ。黄赤色。染料に用いる。(やまぐわの木からとれる染料の色)」

熟語例)「柘黄」(山桑の木で染めた黄赤色。またその服。唐代以後天子や貴人が着る。)

第二 やまぐわ。のぐわ。落葉高木。葉を柞蚕が食べ山繭をつくる。また、枝で矢をつくる。

第三 はりげやき。落葉高木。 例)「柘糸」(しゃし):山桑の葉で飼育した蚕の吐いた糸。

第四 さとうきび

なお、「柘枝」は熟語としての立項はありません。

 

「枝」:し、えだと発音。

第一 えだ。木の幹から別れ出た部分。幹と対となる語。わかれ・おおもとから分かれ出たもの。

第二 えだする。えだがでる。

第三 わかれる。分岐する。

第四 分家 

第五 手足 胴から分かれた手足  など

 

「歌」:漢詩の一体であり、古詩に属し、歌謡形式のものをいう。しかしここでは、日本固有の意。漢詩文に対し、和歌・短歌の意に用いる。和文での歌をいう。

 

「三」:ここでは、三つの意であり、「首」とは、詩文を数える助数詞です。

 

⑨ 阿蘇瑞枝氏は、『萬葉集全歌講義』で、2-1-388歌の「注」において、「柘」は『新撰字鏡』に「豆美乃木」(つみのき)、倭名類聚鈔に「豆美」とある、と紹介しており、和名は「はりくわ」という桑科の樹高5~7mの樹木と指摘しています。普通の蚕はあまり食べないが食べさせると糸質が向上するとも指摘しています。渡来の時期は不明だそうです。

⑩ 2-1-388歌の左注を参考にすれば、「柘枝」(音よみすると「しゃし」)とは、仙女の名前あるいは通称となります。『柘枝伝』(しゃしでん)という書物(多分漢文体)が当時あり、その内容は、現在では不明ですが、『懐風藻』の7詩の句に詠われています(付記1.参照)。それからわかることは、

 「吉野の人味稲(うましね)が川で、吉野山中にいる仙女が姿を変えていた柘の枝を拾い持ち帰ったところ女に化し一旦は妻になって二人は楽しく暮らした(がその後仙女はもと居たところに還っていった)、ということを語っていると思われる伝説」、

ということです。

 不老不死の仙人・仙女という人物がこの世に一旦来て去るという発想は、中国渡来のものであるので、それがこの説話の基本にあるとみて、もと居たところに還っていった、という私の推測を()で加えています。書名の名前「・・・伝」を見ると、漢文体の書物だったのでしょう。

 このわかっている範囲での伝説を、仙女の立場から整理すると、何らかの理由で仙界から追放された仙女が、人間界においてその償いか修行をして戻って行った、ということになります。償い・修行そのものは、人間界にとってはプラスに働いたこと(あるいは人間次第でプラスになること)なので、人間界では僥倖の一例として語り継がれてきた、ということになります。

 阿蘇氏は、神武記の丹塗矢伝説と『柘枝伝』は類似すると指摘しています。丹塗矢伝説とは三輪山の神が丹塗矢になって溝を流れてゆき拾った娘と結婚し娘を生みその娘が後に神の子として神武天皇の皇后となった、という伝説です。三輪山の神は戻っていっています。

 確かに、訪れた人物がもと居たところに勝手に還っていった点、訪れを受けいれた側(人間界側)は還ったのを受け入れた点、の二つは共通しています。そして訪れを受けいれた側にその後善いことがあった点があったかどうかは『柘枝伝』では不明です。

⑪ この題詞を、諸氏は、つぎのように読み下しています。

 土屋氏:やまひとつみのえ のうた 三しゅ (左注にある「柘枝仙媛」は「つみのえやまひめ」)

 伊藤氏:やまびめつみのえ のうた 三しゅ

 阿蘇氏:やまひめつみのえ のうた 三しゅ

 『日本古典文学全集2 萬葉集一』:やまびめつみのえ のうた 三しゅ (頭注して「仙女の柘枝媛(つみのえひめ)の意」。左注にある「柘枝仙媛」は「つみのえやまびめ」)

 名は「つみのえ」と言うという認識で一致しています。「天皇」、「大伴卿」という表記を「すめらみこと」、「おほとものまへつきみ」と訓んでいるのと同じです。

 「柘枝」を「せんしゃし」と音読みしていません。

⑫ 上記⑧で引用したように漢字「仙」字の意が複数あり、題材としている『柘枝伝』の詳細も上記⑩のように不明な部分があります。このため、巻三雑歌にある題詞として、2-1-388歌の題詞の読み下しは、いろいろな案が考えられます。

 大別2案が想定できます。

 第一は、左注にも引用している「柘枝伝」を念頭において作文された題詞とみる案です。例えば、

 「仙女である柘枝の(あるいは、に関する)歌 三首」

 左注が指摘しているように、最初の一首が当時存在していた『柘枝伝』という書物にはない歌なので、この歌は新たに誰かが代作した歌となります。ほかの二首も『柘枝伝』の説話を承知している者が作者であると推定できることを考えると、この題詞は、『懐風藻』の各詩と同じように、『柘枝伝』に題材をとって新たに詠んでいる歌3首という意であると理解できます。

 この案は、題詞の建前の意であろう、と予想します。しかし、題詞にある「柘枝」という表記が人物の名前であるかどうかは確認を要します。

⑬ 第二は、『柘枝伝』を念頭におかない(「柘枝」を伝説での人名とみない)で作文された題詞とみる案です。

 そうすると、この題詞とこの直後にあり巻三の最後の題詞である「羇旅歌一首」は、「事物の名+〇首」タイプともくくれます。

 即ち、「「仙」と形容できる「柘」(つみ・山桑)の「枝」(幹ではないもの)の(あるいは、に関する)歌」、と理解する案です。「仙」の意により、題詞の読み下しは、例えば、次のようになります。「枝」の意に「分家」があるのに留意したい、と思います。

 この案は、題詞の暗喩にあたる意の候補であろう、と予想します。

暗喩題1案 「仙」は、「仙人」の意、「枝」は、「樹木の枝」の意

  仙人である女性の持ち物である山桑の枝(杖状のもの)に関する歌

暗喩題2案 「仙」は、「世俗の気のない清高な」の意、「枝」は、「樹木の枝又は分家」の意

  世俗の気のない清高な山桑の枝(分家)の(あるいは、に関する)歌

暗喩題3案 「仙」は、「すぐれている、とうとい」の意、「枝」は、「樹木の枝又は分家」の意

  すぐれている山桑の枝(分家)の(あるいは、に関する)歌 (「分家」で意訳をすれば、「優れている血脈につながる分家の(あるいは、に関する)歌」)

 暗喩題4案 「仙」は、「天子に関する事物につけていう語句」の意、「枝」は、「聖なる樹木の枝あるは聖なる分家」の意

  天子に関する山桑の枝(分家)の(あるいは、に関する)歌 (「天子に関する山桑」で意訳をすれば、「天子のみの衣服に用いる染料であるやまぐわの木の幹でない部分の(あるいは、に関する)歌」)

等々。

⑭ これらの読み下しで歌本文はどのように理解できるか、を次に検討し、その後再度

題詞の検討をします。

27.「分類A1~B」以外の歌 2-1-388歌の歌本文 その1

① 歌本文について、2-1-388歌の四句「草取可奈和」を「くさとりはなち」と訓んでいる現代語訳の例が、今、手元にないので、最初に四句を「くさとりかなわ」と訓んだ理解で題詞の理解にあうか、を検討します。この題詞のもとの3首の現代語訳の例を2例示します。

 なお、「(くさ)とりはなつ」とは、同音意義の語句であり、

接頭語「とり」+動詞「放つ」であれば、「手に持っている物を放す・自由にする」を強調した意となり、

動詞「採る」+動詞「放つ」であれば、「採用し(確かめて)自由にする・捨てる」の意

などなどの意となります。

 土屋文明氏は、2-1-388歌の四句が「草取叵奈知」(くさとりはなち)では「一首中の句としてはやはり据わりが悪い」と指摘しています。『萬葉集註釈』(仙覚抄)に、『肥前風土記』にこの歌がみえるとあるのを踏まえて論じています。

② 土屋文明氏の大意:

 2-1-388歌  仙柘枝(やまひとつみのえ)の歌三首

 「吉志美(きしみ)が嶽が険阻なので、其の草を取り登ることが出来ずに反って妹が手をとる。」

  (氏は、作者を、左注に従い味稲(うましね)とする。)

 2-1-389歌

 「この夕べに柘のさ枝が流れて来たならば、吾も梁は打たずその枝を取らずにあるだらうか。いやいや吾も取ることであらう。」 (大意よりみると四句にある助詞「て」は、連用修飾語であって「の状態で」の意。作者は未詳と氏はみている。)

 2-1-390歌

 「古へに味稲の如く梁をかけてしまふ人間が居なかったならば、今ここにも柘枝(つみのえ)はあらうものを。」 (氏は、作者を、左注にある若宮年魚麿(わかみやのあゆまろ)とする。)

 氏は、このように三首とも仙柘枝が作者(披露した歌)ではない、と理解しています。また、

③ 次に、伊藤博氏の訳例は、次のとおり。

 2-1-388歌:四句「草取可奈和」は「くさとりかなわ」と訓み、意は未詳だが、類同の歌(下記の5-353-19歌と3-347-69歌)に「草取りがねて」とあるのと同義と理解して、

 「吉志美(きしみ)岳、この岳が険しいので、私は草を取りそこなっていとしい子の手を取る。」 (氏曰く、「手を取る」という物言いは歌垣での男女が手を取り合うことを表す慣用句であり、歌垣から起こった民謡であるこの歌を披露したのは、宴席での官人。)

 2-1-389歌

 「今宵、もし仙女の化した柘(つみ)の枝が流れてきたならば、梁は仕掛けていないので、枝を取らずじまいになるのではなかろうか。」 

 (氏曰く、この歌は、前歌に応えた歌。宴席での前歌を披露した人とは別人の創作かあるいは伝承歌か。四句の助詞「て」は、順接の用法の中に理由の意を託したもの。)

 2-1-390歌

 「遠い遠いずっと以前、この川辺で梁を仕掛けた味稲という人がいなかったら、ひょっとして今もここにあるかもしれないな、ああその柘(つみ)の枝よ。」

  (氏曰く、作者は、左注にある若宮年魚麿。あるいは作者未詳の伝承歌として披露したのが若宮年魚麿か。)

 氏は、「この歌は2-1-389歌より露骨に、故事に対する羨望の念を示している。あらわな羨望は故事への厚い待遇につながる。露骨になったところで(この題詞のもとの)歌は閉ざされている。」と指摘し、土屋氏と同じように、三首とも仙柘枝が作者(披露した歌)ではない、と理解しています。

④ 両氏の歌の理解は、微妙な違いがありますが、そのベクトルは同じです。

 2-1-388歌の作中人物は、山を越えるのはやはり困難を感じて「いもがて」を取っています。仙柘枝に実際に逢った人物(味稲)の気持ちを詠っています。

 2-1-389歌の作中人物は、今、柘の小枝が流れてきたら、取るだろう、と詠っています。味稲の例に倣う、と言っています。

 2-1-390歌の作中人物は、拾った柘の小枝が仙女であるという僥倖を今に残してくれたらよかったのに、とその僥倖をうらやんでいます。伊藤氏の指摘するように、僥倖にあった人物(味稲)の成功を祝福しているのかもしれません。

 この理解から題詞の意を選ぶと、そのほかの理解の可能性の検討もしていませんので、

「仙女である柘枝の(あるいは、に関する)歌 三首」 

が最有力です。

⑤ それでは、両氏の理解は、『柘枝伝』の理解に沿うものであるか、を確認します。

 最初に、2-1-388歌です。

2-1-388歌は、類似の歌が指摘されています。

第一 『肥前風土記逸文にある歌:杵島曲(きしまぶり)の歌 

 5-353-19歌    郷閭士女歌

  阿羅礼布縷 耆資麼加多塏塢 嵯峨紫弥苫 区縒刀理我泥底 伊母我堤塢刀縷

「あられふる きしまがたけを さがしみと くさとりかねて いもがてをとる 」

(この訓は、『日本古典文学大系3 古代歌謡集』による。現代語訳の提示は割愛。)

第二 『古事記』仁徳条にある歌  女鳥王(めどりのみこ)と共に逃げ退びてゆく速総別王(はやぶさわけのきみ)が相手に詠う歌 

 5-347-69歌      速総別王(はやぶさわけのきみ)

   波斯多弖能 久良波斯夜麻袁 佐賀志美登 伊波迦伎加泥弖 和賀弖登良須母

「はしたての くらはしやまを さがしみと いはかきかねて わがてとらすも 」

 (この訓は、『日本古典文学大系3 古代歌謡集』による。現代語訳の提示は割愛。)

 この歌2-1-388歌の大意を上記の土屋氏と伊藤氏のそれとして類似の歌と比べると、いずれも野遊びの歌ではなく、山を越える際の歌のようにみえます。

 

類似歌は、『肥前風土記』と『古事記』のそれぞれの前後の文脈を踏まえると2首とも二人だけになるための道中歌(仲間あるいは上司からの逃避行の歌)です。

⑥ これに対して、四句の訓を「くさとりかなわ」と訓んだ両氏が理解した2-1-388歌は、「柘枝伝」における「吉野人味稲」と「柘枝仙媛」の間にも仲間から逃避するようなエピソードがあったとして詠っていることになります。

 しかし、左注にいう『柘枝伝』に、そのようなエピソードはもともとなかった、と推測できます。

 それなのにこのような歌を詠っているのは、魚を獲るために川に梁(やな)を仕掛けるのは共同作業である(梁漁は集団単位で行うもの)、という認識が作者にあるからなのでしょうか。「吉野人味稲」が柘の枝を手にしたのは偶然であり、たちまち伴侶を得た幸運は仲間に妬まれたはずである、という認識なのでしょうか。

 『柘枝伝』にもともとなかったが、当然そのような行動を取るはずだとして、改めて誰かがこの歌を「吉野人味稲」に替わって詠ったのがこの歌、ということになります。

⑦ 『懐風藻』の詩で詠われているエピソードは、一時は相思の(とおもわれる)二人であったが『柘枝伝』の仙女はそれを一方的に終わらせています(上記26.⑨と付記1.参照)。何故だ、と仙女にせまり、一人悲嘆にくれたのは「吉野人味稲」のはずです。二人で悲嘆にくれて仙女は仙界に還るのを諦めた、という説話ではありません。だから、この歌は、『柘枝伝』の理解から逸脱しているかにみえます。

 類似歌と同じような仲間から二人一緒での逃避の途中の歌と理解できる歌、即ち、四句を「くさとりかなわ」と訓んで理解する歌は、『柘枝伝』を下敷きにした歌ではなく、新たな‘柘枝伝’を作る歌であるかもしれません。或いは、単に四句の訓の誤りであるかもしれません。

 左注にも引用している「柘枝伝」を念頭において作文された題詞のもとの歌としては、さらなる確認を要します。

 少なくとも後者の例に、『新編国歌大観』の訓(四句を「くさとりはなち」と訓む)がありますので、それによる理解を試みたい、と思います。

 あらためて語句の意を確認しつつそれを次回検討します。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集 ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 暑中お見舞い申し上げます。熱中症、コロナに気を付けましょう。

(2022/8/1  上村 朋)

付記1. 『柘枝伝』に触れた句と思われる『懐風藻』の詩

①『懐風藻』(全訳注 江口孝夫、講談社学術文庫 2000)によれば、7首の句に触れている。

②『懐風藻』は751に成る漢詩集である。江口氏曰く「詩人64人はいずれも高位高官、知識人。古代の豪族を征服し、天皇家を中心とした律令国家をつくりあげた後の、その周辺の人々。現在の栄華は天皇の下にあってですから、天皇は神のごとく、ひたすら讃迎しています。讃迎のかげにみえるわが身の得意満面、これが若々しくも創業への思いをにじみ出させているものです。」

③7首での 「柘枝伝」に触れた句は次のとおり。()内は江口氏の訳。番号は江口氏の付した漢詩の番号。

31番 中臣朝臣人足「遊吉野」:柘媛接魚通 (柘枝姫(つげひめ)は魚と化し男に近づき情を通じた)

45番 中臣朝臣人足「遊吉野宮」:一朝逢柘民 (はからずも美稲が柘姫にあったところ)

72番 大宰大弐朝臣男人(681~738)「遊吉野川」:留連美稲逢槎洲 (美稲が仙女に逢った中洲に思いをつなぐ)

98番 藤原万里「遊吉野川」:梁前柘吟古 (梁の前で柘姫が歌ったのは昔のこと)

99番 丹墀(たじひ)真人広成(?~739)「遊吉野山」:尋問美稲津 (美稲が梁を仕掛けた場所を尋ねてみた)

100番 丹墀真人広成「吉野之作」:美稲逢仙人同洛洲 (美稲と仙女 それは曹植と神女と同じ趣だ)

102番 高向朝臣諸足(生没年未詳):「従駕吉野宮」:在昔釣魚士 ・・・ 柘歌泛寒渚 (昔は魚釣る男の子がいたが、・・・ 柘姫の詠み交わした歌は寂しく川辺に響き)

④柘媛について、氏は次のように解説している。

「大和の国に伝わる伝説で、漁師美稲(うましね)のかけた梁に柘(つげ)の枝がかかり、美稲が拾い上げると柘の枝はたちまち仙女にかわり、契りを結んだものの女は仙境に消えていったという話」

(付記終わり。 2022/8/1   上村 朋 )