わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第24歌 題詞の寧楽

 前回(2021/11/15)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第24歌 題詞の寧楽」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第24歌 題詞の寧楽その2」と題して、記します。(上村 朋)

1.~11.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行い、3-4-23歌まではすべて恋の歌であることを確認した。3-4-24歌については類似歌(『萬葉集』の歌)の検討のため『萬葉集』巻一と巻二の標目「寧楽宮」を検討している。なお、歌は『新編国歌大観』より引用する。)

12.再考 類似歌 その9 題詞の「寧楽」 その2 

① 類似歌2-1-439歌の重要な参考歌(2-1-228歌)の理解のため、『萬葉集』歌での「寧楽宮」表記の意を確認中です。

今回、題詞にある「寧楽+宮以外の語句」という表記での「寧楽」(訓は「なら」)の意の検討を、続けます。

 『萬葉集』における「寧楽宮」あるいは「寧楽+宮以外の語句」という表記の用例は、付記1.表D以下のようにあり、表記の区分別題詞・歌本文等別に整理すると、次の表のようになります。

「寧楽宮」、「寧楽山」、「寧楽宅」及び「寧楽(乃)家」検討が済み、「寧楽京」以下を今回検討します。

 表 『萬葉集』での「寧楽」と言う表記の用例一覧 (標目での用例を除く) (2021/11/8現在)

所在の区分

      表記の区分

寧楽宮

寧楽山

寧楽宅

寧楽(乃)

寧楽京

寧楽故郷

寧楽乃京師

その他の寧楽

計(例)

題詞

2-1-78

2-1-79~

2-1-303~

2-1-768~

2-1-1636~

2-1-974~

2-1-1048~

2-1-1051~

2-1-1608~

--

 --

 9

歌本文

--

 --

 --

2-1-80

2-1-334

 --

2-1-331

2-1-1048

2-1-1608

2-1-303

2-1-1553

 7

歌本文左注

--

--

2-1-1468

--

--

--

--

2-1-262

 2

計(例)

 2

 1

 3

 2

 2

 2

 3

 3

 18

注1)歌は、『新編国歌大観』の巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号で示す。

③ 題詞にある「寧楽京」は、1例あります。そして歌本文にも1例あります。

 巻六 雑歌 2-1-1048  傷惜寧楽京荒虚作歌三首  作者不詳

        紅尓 深染西 情可母 寧楽乃京師尓 年之歴去倍吉

        くれなゐに ふかくしみにし こころかも ならのみやこに 

        としのへぬべき

 この題詞のもとにある残りに2首は次の歌です。

2-1-1049歌  世間乎 常無物跡 今曽知 平城宮師之 移徙見者

      よのなかを つねなきものと いまぞしる ならのみやこの 

      うつろふみれば

2-1-1050歌  石綱乃 又変若反 青丹吉 奈良乃都乎 又将見鴨

      いはつなの またをちかへり あほによし ならのみやこを

      またもみむかも

 巻六は、年紀が明記されてその年次順に配列されている歌群と「田辺福麿之歌集中出也」と左注されている歌群にわかれ、この題詞は、前者の最後の題詞となっています。

④ 土屋氏は、2-1-1048歌の大意は次のように示しています。

「紅の色にしみるが如く、深くしみ入った心であらうか、古里となった奈良の都に、なほ年を経ることであらう。」

 氏は、「奈良の都を去り兼ねた時人の声を代表して、誰人かの手になったものであらう」と評しています。

 題詞に留意せずに、この3首を最初に検討します。

 2-1-1048歌の四句「寧楽乃京師尓」の「寧楽」という(漢文での)熟語には「古い」とか「さびれた」とかの意は当たりません。「安んじて楽しむ」の意であり、「平城京」の「平城」(なら)の音を書き留めるために、別の万葉仮名として「寧楽」を選んだとみるならば、「古い」とか「さびれた」という形容を「平城京」に冠して訳すのは、訳す者の思い入れであり、不要な形容であると思います。

 「寧楽」という熟語の意を掛けて四句を詠んでいるならば、そのように思い続けている平城京が年を経て再び都になるのだ、という思いの歌が2-1-1048歌である、と思います。

 次にある歌2-1-1049歌の四句以下「平城宮師之 移徙見者」とは、都となり、一旦廃止され再び都となる「平城京」である、という思いから「寧楽京」という表記はあたらないとして避けているのではないか。

 三番目の歌2-1-1050歌の五句「又将見鴨」は、再び都となったことを喜んでいます。この歌においてのみ、「あをによし」と平城京を形容しているのは、元の平城京と変わらないことを強調しているのではないか。

⑤ このような3首を、題詞に留意して検討します。

 題詞の「傷惜」というのは漢文で熟語として辞典に記載があります。「いたみおしむ」の意とし、後漢書の例をあげています。「荒虚」も「あれはててむなしい」意とし、呉志の例をあげています。「寧楽」の漢文での意を考えると、題詞は、

 「「寧楽であるはずの都」があれはててむなしい状況を(目の当たりにして)いたみおしんで作る歌」という意味であり、作詠時点は、配列が時系列であるので直前の題詞にある天平16年春以降が作詠時点となります。そして題詞に留意しない歌の理解から平城京が都となる可能性が確実になった頃の歌を総称した題詞ではないか。題詞の作文は当該巻編纂時と推測します。

⑥ 3首の歌本文にいう「寧楽乃京師」(2-1-1048歌)、「平城宮師」(2-1-1049歌)及び「奈良乃都」(2-1-1050歌)は、「平城京」をいっています。題詞にいう「寧楽京」は「ならのみやこ」と訓み「平城京」を意味し、それに「寧楽」の熟語の意も加えられる「なら」の表記を選んで作文したのだ、と思います。

⑦ 歌本文にある「寧楽京」は、2-1-334歌の1首だけです。ここで検討しておきます。

 

 巻三 雑歌 2-1-334歌  帥大伴卿歌五首  (2-1-334歌~2-1-338歌)

    吾盛 復将変八方 殆 寧楽京乎 不見歟将成

    わがさかり またをちめやも ほとほとに ならのみやこを みずかなりなむ

 この題詞のもとにある5首の筆頭歌が2-1-334歌です。

 土屋氏は「吾が年の盛りは再びかへるであらうか。かへりはすまい。ほとんど奈良の都をも見ないことにならうか。」と大意を示しています。

 題詞の「帥大伴卿」より、歌の作詠時点は大伴旅人大宰府に居た時となります。神亀5年(728)頃妻の大伴郎女を伴って赴任しています。旅人の大宰帥時代の資料は『萬葉集』しかありません。

 巻三の配列をみると、2-1-331歌から2-1-354歌までの作者は、旅人が大宰帥のとき九州を任地としていたと思える人物であり、歌群を形成させて巻三編纂者は配列している、と言えます。旅人の讃酒歌もこの歌群にあります。

 旅人は、大宰師のとき妻を亡くしました。その間に都では、左大臣長屋王が自殺、大納言多治比池守が亡くなり、皇族ではない藤原光明子がはじめて皇后になり、藤原武智麻呂が大納言になりました。

⑧ 旅人は、帰任の途次失った妻を偲ぶ歌などを詠んでおり、夫婦の絆(というより妻を頼りにしていたの)が)強かったのでしょう。

 この題詞のもとに配列された5首の歌本文は、作者旅人の加齢と妻の死と都を遠く離れて勤務していることなどから、望郷の念というよりも老人の繰り言の歌です。

 歌に記す「寧楽京」とは自宅のある「平城京」のことであり、「なら」は掛詞であり「平城京」の「なら」のほかに熟語「寧楽」の意も利用し、「妻とともに過ごした平城京」を指しているのではないか、と思います。

 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「元気なころの私が再び戻ってくるだろうか。そうはならないだろうし、ひょっとして(妻と暮らした)安らぎのあった奈良の都をみないままになるのではないか。」

題詞は、作詠とは別に、巻六編纂時点の作文と思います。

⑨ なお、5首目の歌は次のとおり。

  2-1-338歌  吾行者 久者不有 夢乃和太 湍者不成而 淵有毛

        わがゆきは ひさにはあらじ いめのわだ せにはならずて

        ふちにもありこそ

 三句「夢乃和太」とは、吉野川一勝地だそうです。

 筆頭歌3-3-334歌では、「寧楽京乎 不見歟将成(ならのみやこを みずかなりなむ)と詠った作者旅人がこの歌では「吾行者 久者不有」(わがゆきは ひさにはあらじ)と帰任を心待ちしている歌を詠ったと、諸氏の多くが理解しています。

 しかし、大宰府のトップである作者旅人が、自らの帰任が間近であるかのような歌(あるいは近く帰任があってほしいと願う歌)を、部下の前で詠うでしょうか。

 初句にある「吾行」(わがゆき)とは、動詞「ゆく」を名詞化した語句です。動詞「ゆく」の意は(『例解古語辞典』)、

A 前方へ進む・行く。目的地に向かって進む。

B 立ち去る。(雪や水が)流れていく・流れ去る。(年月日時などが)過ぎ去る。逝く・(人が)死ぬ

C 物事がはかどる。ある年齢に達する・年をとる。気が進む・愉快に思う・満足する。

と説明があります。

 二句にある「不有」(あらじ)の「じ」は打消しの推量の助動詞です。

 「吾行者 久者不有」とは、Cの意で、自分の寿命は長くはない、と推測しており(ほとんど断定の気持ちでしょう)、だから、吉野川の勝地も見たいものだがどうであろうか、という思いを詠った歌ではないか。このように、筆頭歌に添う理解をしてよい、と思います。

 この5首が披露された時期・場所は不明であっても、一つの歌群として編纂者が配列していることに留意して、理解すべきであると思います。

⑩ 次に、題詞にある「寧楽故郷」の用例2例を検討します。歌本文や左注には用例がありません。

 最初に2-1-1051歌を検討します。この歌は巻六にあり、「田辺福麻呂之歌集中出也」と左注のある歌群の筆頭歌です。編纂者は、配列について時系列をリスタートさせています。

 巻六 雑歌 2-1-1051  悲寧楽故郷作歌一首 幷短歌

     八隅知之 吾大王乃 ・・・天下 所知座跡 八百万 千年矣兼而 定家牟 平城京師者  炎乃 春尓之成者 ・・・大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事迩之有者・・・

    大宮人能 踏平之 通之道者 馬裳不行 人裳徃莫者 荒尓異類香聞

やすみしし わがおほきみの・・・あめのした しらしまさむと やほよろづ ちとせをかねて さだめけむ ならのみやこは かぎろひの はるにしなれば・・・おほみやすらを たのめりし ならのみやこを あらたよの ことにしあれば・・・おほみやひとの ふみならし かよひしみちは うまもゆかず ひともゆかねば あれにけるかも

  反歌 二首

  2-1-1052歌   立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生尓異利

      たちかはり ふるきみやこと なりぬれば みちのしばくさ ながくおひにけり

  2-1-1053     名付西 奈良乃京之 荒行者 出立毎尓 嘆思益

    なつきにし ならのみやこの あれゆけば いでたつごとに なげきしまさる

⑪ 土屋氏は、2-1-1051歌について、「奈良の都の荒廃して行く状を叙し」「多分天平十三年頃の作か」と指摘しています。

 官人が恭仁京に移り住み、この長歌のような景に平城京がなるのは、平城京在住禁止令が出た以降でしょう。平城宮とその周辺の景であれば、遷都1,2年でこのようになるでしょう。

 2-1-1053歌は「いでたつごとに」と詠っているので、作者はまだ平城京に住居を構えている時点かもしれません。それは城京在住禁止令により官人の屋敷が次々の空き家になる(あるいは解体されてゆく)状況の実感か想像ではないでしょうか。作者の屋敷は平城京にまだある頃の作詠か、と思えます。

 巻六における題詞はこの題詞以後に次の4題があり、そして福麻呂歌集の歌は終わります(巻六も終わります)。

2-1-1054歌 讃久迩新京歌二首幷短歌 (長歌が2首と短歌は反歌と題して7首)

2-1-1063歌 春日悲傷三香原荒墟作歌一首幷短歌 (短歌は反歌と題詞して2首)

2-1-1066歌 難波宮作歌一首幷短歌 (短歌は反歌として題詞して2首)

2-1-1069歌 過敏馬浦時作歌一首幷短歌 (短歌は反歌として題詞して2首)

(題詞にある「敏馬浦」及び歌にある「三犬乃浦」(みぬめのうら)は神戸側にあり、淡路島内ではありません。)

  これらがが時系列による配列であるならば、検討している題詞のもとの2-1-1051歌などは、遷都が決まりそうなときに平城京の荒廃を想像した歌であり、恭仁京遷都が決まったので2-1-1054などの長短歌を詠い、難波宮への遷都が決まって2-1-1066歌以下の長短歌を詠ったことになります。そうすると、その次の2-1-1069歌以下の長短歌は、次に遷都すべき土地(すなわち平城京)への期待の歌ではないか。

⑫ 福麻呂歌集からの最後の題詞にある、漢字「過」は、

すぎる:a通る・通過する bゆきすぎるc度を超すdあまる、など

すごす:aくらす

あやまつ:aまちがえるbしくじる

あやまち:aまちがいbしくじりcとが・つみ

などの意があります。

 題詞は、「みぬめのうら」をすぎるとき、と時点を限定しています。

 長歌と最初の反歌は、「みぬめのうら」を「百船」がゆきすぎる、と褒め、2首目の反歌は「おほわだのはま」を「千船」が泊つると褒めています。

 題詞は、難波の宮を都とする誤りをおかしたと非難している意を含んでいるのではないか。

 選んだのは過ちであったが難波宮は素晴らしい、しかし平城京はもっと素晴らしい、と詠っています。

 聖武天皇平城京に戻ろう、と訴えている歌であり、作詠時点(披露した時点)は、難波宮が都であると聖武天皇が言っていた時期に知人や上司に訴えた(同意を求めた)歌ではないか。そうすると、題詞もその時作文されている可能性があります。

 天平17年(745)五月太政官が諸司の官人にどこを都とすべきか計ったところ、全員が平城京を推しています。

⑬ では、1-1-1051歌は、実際どこで披露されたのでしょうか。「過敏馬浦時作歌」と題する歌と同じように、恭仁京への遷都をいやがり、歌本文は天平12年頃上司に訴えた歌ではないか。今上天皇聖武天皇)に直接訴えることはなかったでしょう。

 聖武天皇はその後、難波京、紫香楽京を経て天平17年(745)に平城京に都を戻しました。官人も平城京に改めて屋敷を持ったわけです。

 2-1-1051歌本文では、「故郷」の都城を「平城京師」(ならのみやこ)と表記しており、「寧楽京師」と表記していません。題詞にある「寧楽故郷」とは、2-1-1051歌本文の「平城京師」を、2-1-1052歌本文の「古京」(ふるきみやこ)を、2-1-1053歌本文の「奈良乃京」(ならのみやこ)を指していると思います。

 題詞にある「寧楽故郷」の「寧楽」は、「故郷」と同格の名詞であると同時に、「故郷」の形容詞ではないか。

 題詞の現代語訳を試みるならば、

「「なら」と呼ぶ「ふるさと」そして「安んじて楽しむ」と評価できる「ふるさと」を悲しんで作る歌一首・・・」

となります。

 題詞にある「寧楽故郷」の「故郷」とは、歌本文でいう「古京」である平城京と言う都城を、歌を詠む時点から振り返り、作者が以前住んでいたところを指す表現である、と思います。

 この歌の披露は、恭仁京遷都直前に上司や知人へ情報交換の際に示した歌ではないか。

⑭ 2-1-1051歌~2-1-1053歌の内容から題詞が作詠時に必要であったか疑問であり、巻六編纂時点の可能性が高いと思います。

⑮ 題詞に「寧楽故郷」とあるもう1例が、あります。

巻八 秋雑歌 2-1-1608歌 大原真人今城傷惜寧楽故郷歌一首

   秋去者 春日山之 黄葉見流 寧楽乃京師乃 荒良久惜毛

   あきされば かすがのやまの もみちみる ならのみやこの あるらくをしも

 土屋氏は、「秋になれば春日の山の紅葉を見る、奈良の都が荒れるのは惜しい。」と理解し、「歌は記述的すぎるであらう」「奈良をも故郷と呼んだとみえる」と指摘しています。

 歌の配列を確認します。

 巻八の部立て「秋雑歌」(2-1-1515歌~2-1-1609歌)の配列は、鹿を詠む天皇御製から始まります。諸氏はおおむね年代順の配列であると指摘しています。それに従えば、この歌は2-1-1606歌、2-1-1607歌の左注に天平15年8月とありますので、それ以降の作詠時点となります。

 「秋雑歌」に配列されている2-1-1585歌~2-1-1595歌は「もみち」などを詠んでいますが、左注に10月17日(旧暦なので冬の月)の宴席の歌とあります。作詠時点より歌の内容で秋と判断して編纂者は配列しているとみられます。これにならえば2-1-1608歌の作詠時点は(月は限定不能であり)天平15年としか言えません。

 天平15年は都が「恭仁京」であったので、都のうちでの「故郷」といえば「平城京」を指していると当時は認識されていた、ということが指摘できます。それは、歌本文の「寧楽乃京師」という万葉仮名でも明らかです。

 また、「故郷」は「みやこ」と訓まれていません。「ふるさと」と訓んでいます。その「故郷」(普通名詞)を修飾しているのが「寧楽」です。歌本文に具体の都城名を詠み込んでいるのですから、「寧楽」という漢文の熟語の意味で「故郷」を修飾していて十分です。

 この題詞では、「寧楽故郷」とあり、歌本文には「寧楽乃京師」とあります。「なら」と訓む表記は同じ「寧楽」です。現代語訳すれば、題詞は「安んじて楽しむことができるふるさと」、歌本文は「ならのみやこ(平城京)」となります。

 さて、この歌の前後の歌が宴席で披露されている歌ばかりであので、この歌も同じでしょう。そうすると、題詞が作文された時点は巻八編纂時となります。

⑯ 以上の題詞にある「寧楽」の用例9例を整理すると、次のようになります。

 「寧楽」字は、いつから用いられたかを最初にみてみます。

 題詞の作文時点と歌本文の作詠時点について、題詞に留意して歌を理解した場合の理解で、整理すると、次のとおり。

 これをみると、題詞の作文時点は、ほぼ当該巻の編纂時点となりました。

歌本文は題詞に「寧楽宮」とある歌が一番早い用例であり和銅3年(710)、「寧楽山」が2番目であり遅くても神亀元年(724)、「寧楽(乃)家」が三番目であり天平3年(731) 、そして「寧楽宅」「寧楽京」「寧楽故郷」が天平12年~同16年以降と分かれています。

表 「寧楽」とある題詞の作文時点及びその歌の作詠時点の推定

(題詞に留意して歌を理解した場合 2021/11/22 現在)

歌番号

題詞での用例

題詞の作文時点

左の題詞のもとの歌本文の作詠時点

検討した主要なブログ

2-1-78

寧楽宮

歌本文と同時又は巻一編纂時又は萬葉集公表時が

和銅3年(710)2月(遷都前)

2021/10/18付け「6.⑬」 &2021/11 /8付け

2-1-79~

寧楽宮

巻一編纂時又は萬葉集公表時

79歌 和銅3年(710)2月以前

80歌 同上又は巻一編纂時又は萬葉集公表時

2021/11/1付け「9.」 &2021/11 /8付け

2-1-303~

寧楽山

巻三編纂時

303歌 和銅3年(710)~天平元年(729長屋王没年)以前

304歌 同上

2021/11/15付け

2-1-768~

寧楽宅

巻四編纂時

天平12年(740)12月~同15年12月

2021/11/15付け

2-1-974~

寧楽(乃)家

巻六編纂時

天平3年(731)

2021/11/15付け

2-1-1048

寧楽京

巻六編纂時

天平16年(744)春以降

2021/11/22付け

2-1-1051

寧楽故郷

巻六最終編纂時

天平12年(740)頃

2021/11/22付け

2-1-1608

寧楽故郷

巻八編纂時

天平15年(743)以降

2021/11/22付け

2-1-1636

寧楽宅

巻八編纂時

天平12年(740)12月~同15年12月

2021/11/15付け

 

⑰ 次に、題詞でのその意味を、その題詞のもとにある歌の作詠時点順に整理すると、次のとおり。

 第一 作詠が和銅3年2月時点の「寧楽宮」(2-1-78歌)は、

「遷都のため造営中に「平城京」あるいは「平城宮」を指す。」(ブログ2021/10/18付け「7.⑱」)

さらに、「2-1-78歌~2-1-80歌」を一つの歌群と理解すれば、

「「平城京平城宮」を意味するとともに、「(将来において)安んじ楽しめる宮」の意も編纂者は含ませている」(ブログ2021/11/8付け「10.⑲」) この場合、題詞の作文時点は、『萬葉集』の公表が天智系の天皇となってからなので巻一の編纂をし直した時点以降になるのではないか。

 第二 作詠が和銅3年2月以前の可能性もある「寧楽宮」(2-1-79歌~)は、

「「新しく造営している都城」である「平城京」」の意に、「寧楽」字に評語の意を加えた平城京の「平城宮」を指し、将来の(「寧楽」である)宮をも意味している。(ブログ2021/11/1付け「9.⑪」)

さらに、「2-1-78歌~2-1-80歌」を一つの歌群と理解すれば、第一と同じことを指摘できる。

 第三 作詠が、作者長屋王の没年(729)以前である「寧楽山」(2-1-303歌、2-1-304歌)は、

 「現代の奈良山丘陵」を指す。人麻呂の時代でも天平の頃でも『萬葉集』では「平山」と表記されている例がある丘陵である。(ブログ2021/11/15付け「11.④」) 

  第四 作詠が天平3年である「寧楽(乃)家」(2-1-974歌)は、

「(作者旅人が帰任してきた)平城京」(ブログ2021/11/15付け「11.⑬」)の自宅を指す。

  第五 作詠が天平12年頃である「寧楽故郷」(2-1-1051歌)は、

「安んじて楽しむと評価できる故郷、即ち平城京」(このブログ(2021/11/zz付け)「12.⑩」) すなわち聖武天皇平城京によりつかず遷都を繰り返していたころの平城京を指す

  第六 作詠が天平15年以降である「寧楽故郷」(2-1-1608歌)は、

「「寧楽」という漢文の熟語の意味で「故郷」を修飾していて十分。故郷は普通名詞」である。(このブログ(2021/11/zz付け)「12.⑮」))

第七 作詠が、平城京より都が一旦離れていた時である「寧楽宅」(2-1-768歌、2-1-1636歌)は、

 「歌を贈った相手である坂上大嬢が現に暮らしている平城京の彼女の屋敷」である。(ブログ2021/11/15付け「11.⑨」及び同「11.⑩」) 相聞歌であり、題詞の作文は当該巻編纂時となる。

 第八 作詠が天平16年春以降であり、平城京が(再び)都となる可能性が確実になった頃である「寧楽京」(2-1-1048)は、

「寧楽京」は「ならのみやこ」と訓み「平城京」を意味し、それに「寧楽」の熟語の意を加えた文字使い。だと思います。「寧楽」という熟語の意を掛けて四句を詠んでいるならば、そのように思い続けている平城京が年を経て再び都になるのだ、という思いの歌が2-1-1048歌である。(ブログ2021/11/15付け「11.④」)

第九 また、「寧楽」とある題詞のもとである歌が、平城京が都でない期間に作詠された歌であれば、「故郷」とは、平城京を指している。当時の官人はそのように認識している。(このブログ(2021/11/zz付け)「12.⑮」))

その期間の平城京を、官人は「寧楽+京等みやこと訓む万葉仮名」でよく表現していたのではないか。

⑱ 題詞における「寧楽」の用例をこのように比較してみると、歌の作詠時点に題詞が作文された可能性があるのは、巻一にある2-1-78歌の題詞だけとなりました。

  しかし、2-1-78歌~2-1-80歌は、平城京の造営を詠う一つの歌群を成しているので、同時の作文であり、それは2-1-79歌と2-1-80歌の題詞で推測した、最早では当該巻の編纂時と同時、最遅では『萬葉集』公表時ということになると思います。

 そうすると、当該巻の編纂時に題詞を作文しているので、共通の認識がある人物が各巻を編纂していれば、「平城京」にかかわる「なら」という発音を書き留めるのに、表記できる万葉仮名として「平」字、「奈良」字、「寧楽」字は、意識して選んでいるのではないか、思います。それは歌本文を書き留めるのにも広く官人は意識していたことを推測させます。

 題詞とあわせていくつか検討した歌本文での「寧楽」用例でも、それが伺えました。

 題詞における「寧楽宮」について、付記2.に示すようなこれまでの考えを変更する必要は認められませんでした。

 歌本文で「なら」の万葉仮名の選択はどうなっているのかを、次に確認し、標目の「寧楽宮」の意を検討したい、と思います。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集 ・・・」をご覧いただきありがとうございます。

(2021/11/22 上村 朋)」

付記1.『萬葉集』における「寧楽」表記の用例と歌における「なら」と訓む歌について

①『萬葉集』における表記の「寧楽宮」関連の用例と訓について、『新編国歌大観』により確認した。

②『萬葉集』における表記の「寧楽宮」の用例を表D(巻別)に、「寧楽宮」以外の「寧楽」の用例を表E(巻別歌の作者別)に示す。

表D 『萬葉集』における「寧楽宮」とある例  (2021/9/20  21h現在)

調査対象区分

巻一と巻二

巻三と巻四

巻五以降

部立ての名で

無し

無し

無し

標目で

巻一と巻二

無し

無し

題詞で

2-1-78歌(割注し「一書云太上天皇御製」)

2-1-79~80歌(左注し「右歌作主未詳」)

無し

無し

題詞の割注で

無し

巻四 2-1-533歌(割注して「寧楽宮即位天皇也)

無し

歌本文で

無し

無し

無し

歌本文の左注で

無し

無し

無し

注1)歌は、『新編国歌大観』による。「巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での番号」で示す。

 

表E 『萬葉集』における表記の「寧楽」の用例で「寧楽宮」以外の用例 

 (2021/9/20  21h現在)

調査対象区分

巻一と巻二

巻三と巻四

巻五以下の巻

部立ての名で

無し

無し

無し

標目で

無し

無し

無し

題詞で

 

2-1-303~304寧楽山(長屋王作)

 

2-1-768寧楽宅(家持作)

2—1-974~975寧楽家(大伴卿作)

2-1-1048~1050寧楽京(割注し「作者不審」)

2-1-1051~1053寧楽故郷(田辺福麻呂)

2-1-1608寧楽故郷(大原真人作)

2-1-1636寧楽宅(家持作)

題詞の割注で

無し

無し

無し

歌本文で*

1首有り

3首有り

3首有り

歌本文の左注で

 

2-1-262遷都寧楽(作者未詳 題詞は「或本歌云」)

2-1-1468寧楽宅 (家持作)

注1)歌は『新編国歌大観』による。「巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での番号」で示す。

注2)巻五、巻七及び巻九以下には例がない。

注3)表中の*:歌本文の用例は、(次回の付記に示す予定の)表F参照。

 

付記2.題詞にある「寧楽宮」についての検討結果

① 題詞にある「寧楽宮」の用例では、

A 「寧楽宮」は、「平城京平城宮」を意味するとともに、「(将来において)安んじ楽しめる宮」の意も編纂者は含ませている。

Bこの用例での「寧楽宮」の意味するところは、巻一と巻二の標目「寧楽宮」に反映しているのではないか。

ということを指摘できた。

② 2021/11/1付けブログの「10.⑲」にそのほかの検討結果も記してある。

(付記終わり 2021/11/22   上村 朋)