わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第21歌 かぜをいたみ

 前回(2021/6/14)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌第20歌 かけねばくるし」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第21歌 かぜをいたみ」と題して、記します。(上村 朋)

1.経緯

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。これまで、3-4-20歌まではすべて恋の歌であることを確認した。

なお、『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義している。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと 

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと )

2.再考 第五の歌群 第21歌の課題

① 「第五の歌群 逆境の歌群」(3-4-19歌~3-4-26歌)の歌と想定した3-4-21歌を検討します。 

 『新編国歌大観』から引用します。

3-4-21歌 物へゆくにうみのほとりを見れば、風のいたうふくに、あさりするものどものあるを見て

    風をいたみよせくるなみにあさりするあまをとめごがものすそぬれぬ

 

 類似歌  2-1-3683歌   海辺望月作歌九首(3681~3689)  よみ人しらず  

    かぜのむた よせくるなみに いざりする あまをとめらが ものすそぬれぬ 

(可是能牟多 与世久流奈美尓 伊射里須流 安麻乎等女良我 毛能須素奴礼奴)

 一伝、あまのをとめが ものすそぬれぬ  

② 以前検討した際(ブログ2018/7/2付け)の結論は次のとおりでした。

第一 3-4-21歌 詞書の現代語訳試案

「任国へゆく途中、海辺近くを見みると、風が大層吹いている中で何かをさがしている者たちがいるかにみえる光景を見て(詠んだ歌) 」

第二 3-4-21歌本文の現代語訳試案

「強い風があるので、寄せてはかえす波で、海辺で何か探し物をしている天女たちの裳の裾が濡れてしまっているよ。」

第三 岩場か海に臨む崖に、強い風にあおられた大波が砕け散る様子を、天女の裳裾に見立てたのか。

第四 四句の意が類似歌と異なる。この歌の「あまをとめごが」は「天女が」、の意であり、類似歌の「あまをとめらが」は、「海人(の)少女達が」、の意。

第五 この結果、この歌は、強い風による自然の営みを天女の動きに例えて詠い、類似歌2-1-3683歌は、風のなかであっても働いている海人の少女を詠う。

第六 この歌の作者は、天女を指す「あまをとめ」の先例である2-1-869歌と類似歌2-1-3683歌を承知している、と断言できる。

第七 類似歌の現代語訳試案 (題詞は現代語訳しませんでした)

「風と共に寄せて来る波によって、浜で玉藻を採取している海人の娘達の衣の裾は濡れてしまったよ。」

③ 今確認すると、恋の歌としての理解になっていないなど次のような問題があります。

第一 恋の歌と理解できるか

第二 「かぜをいたみ」、「よせくるなみ」など、広く同音異義の語句の再確認

第三 類似歌の理解の再確認

 このため、類似歌の再確認より検討します。

3.再考 類似歌 2-1-3683歌

① 類似歌に、3-4-21歌の理解のヒントがあるか再確認します。2-1-3683歌が配列されている(『新編国歌大観』記載の)『萬葉集』巻十五は、次の二つの歌群からなり、その前者に2-1-3683歌はあります。

 その歌群の題詞として、

 「遣新羅使人等悲別贈答及海路慟情陳思幷当所誦詠之古歌」 

とあります。

 西本願寺本の目録には、「天平八年(736)丙子夏六月の遣新羅使」であること、「悲別贈答」部分を「(使人等)各悲別贈答」、及び「海路慟情陳思」部分を「海路之上慟旅陳思作歌」、と表記し、注して「一百四十五首」

などとあります。

② 両者を比較し、以下の145首を通覧すると、目録は、

遣新羅使人等」の範囲を特定の遣新羅使に限定している

それに伴い「陳思の歌」は「限定した遣新羅使という使節団団員が作る歌」と限定している

という解釈を示している、と言えます。

 しかし、編纂者は、一般に隣国に使節団が派遣された旅行で朗詠されたであろう歌を、ここに集録すべく、編纂時に近い遣新羅使の資料を中核として歌群を編纂したのではないか、と思います。「陳思の歌」は、必ずしも編纂時に近い遣新羅使の団員のみの歌ではない、という理解です。冒頭の13首には、作者に個人名を記している歌がありますが、すべて出立にあたっての贈答の歌です。

 (『萬葉集』巻十四は、東歌のみの巻でした。全て短歌です。元の資料は1種類とは思えません。巻十六は、「有由縁幷雑歌」 と題する(目録は「有由縁雑歌」)巻であり、由縁の伝わり方を思えば一つの由縁に対して元資料が1種類かどうか不明です。巻十五の前後は、編纂者の意図が十分反映されている、と見ることができる巻です。)

③ 出立にあたり、公宴があります。詠んだであろう大使の歌が、ここには集録されていません。

 天平8年(736)丙子夏6月都を出立した遣新羅使使節団は、目的を果たせず帰国しました。

 九州では疫瘡(天然痘か)が天平7年より流行り、天平9年には都で藤原四兄弟薨去したころの公務旅行における歌です。天平8年のこの使節団は、大宰府との往復などでも頻繁に利用されている海路で、逆風にあい豊前国下毛郡まで漂流したり、復路に大使阿倍朝臣継麻呂が対馬で卒する(挽歌はありません)など、苦しい旅行となりました。

 天平8年使節団の大使が対馬における宴で詠った歌があることが、目録を記した者に影響を与えたのではないか。

④ 歌群内の配列は、瀬戸内海経由の海路で対馬に至る往路の行程を追って細分した歌群と一応みることができ、最後に、帰路の播磨国家島での歌五首で終わっています。最後の五首は、都に居る妻子を思う歌であり、大宰府から帰任する際のそれと何ら変わりません。使節団の行程のみを振り返って詠んだ歌はありません。

 細分した歌群を、題詞と左注によって設定すると、付記1.のようになります。「古歌・伝承歌・その言い換えの歌」からなる、都から乗船までの期間の歌群から始まります。そして、類似歌2-1-3683歌を含む歌群の前後の配列はその基本通りです。歌群を越えた歌のつながりはほとんど見られませんでした。このため類似歌の理解を、当該歌群における整合を条件とする以前(ブログ2018/7/2付け)の検討スタンスは妥当なものでした。

⑤ この歌を含む(細分した)歌群にある9首の各々歌の独自性も改めて検討しました(付記2.参照)が、題詞のもとで、それぞれ単独の歌という結論は変わりませんでした。また類似歌の同音異義の語句の意や歌意も変わりませんでしたが、何時誰が詠んだ歌か、という点は、保留します。

⑥ 以前の成果である類似歌の現代語訳を上記「2.②第七」に引用しました(ブログ2018/7/2付け「4.⑫」)。

 「玉藻」とは、美称の「玉」+藻(海藻)です。海人の娘達の作業は、題詞より明け方の実景であるかどうかは、わかりません。

4.再考 第五の歌群 第21歌 詞書

① 次に、『猿丸集』の3-4-21歌を再考します。同音異義の語句と現代語訳を検討します。

 詞書の最初の語句「物へゆくに」の「もの」の意は、「個別の事物を、直接に明示しないで、一般化していう。特に物語などで飲食物・衣服・調度の類をばくぜんと遠回しに示していることが多い」のほか「出向いて行くべき所」もあります。また、「超人間的なもの。恐れや畏怖の対象となる、鬼神・怨霊の類」の意もあります。(『例解古語辞典』)。

 次の語句「うみのほとり」の「ほとり」に、「そば近辺」と「果。際限」の意があります。後者を以前(2018/7/2付けブログ)は見落としていました。

② 「あさりするものどものある」の「あさりする」について、『萬葉集』の用例では、採る意より、探す意が強い、と以前指摘し、「海浜か岩場で何かを求め作業している」意と理解しました。

 名詞「あさり」(漁り)には、「餌を捜すこと」と「魚をとること」の意があります。動詞「あさりする」には「餌を捜す」と「魚をとる」意があります。

 動詞「あさる」(漁る)には、「動物が餌を捜して歩く」「人が魚・貝・海草などを捜し求める」及び「尋ね捜す」意があります(『例解古語辞典』)。

 また「ものども」とは、「もの」が複数いる、という意ととれば、「超人間的なもの。恐れや畏怖の対象となる、鬼神・怨霊の類」を指している語句でしょうか。代名詞「者ども」であるならば、複数の目下の人達の意があります。

 「ある」は「生る」(生まれる、出現する)、の意のほかの、「荒る」(「風や波などが荒れる・荒れ狂う」、「荒れ果てる」)という意を見落としていました。

③ そのなかで、現代語訳(試案)は、次のようなものでした。

「任国へゆく途中、海辺近くを見みると、風が大層吹いている中で何かをさがしている者たちがいるかにみえる光景を見て(詠んだ歌) 」(詞書20180702案)

 今回、次のような(試案)を追加します。

 「出向いてゆくべき所への途中、海のあたりを見れば、風がはなはだしく吹いている中に、捜し物をする人々が居るのを見て(詠んだ歌)」(詞書20210621第1案)

 「ある所へ行く途中で、海の果て(はるか海上)を見れば、風がはなはだしく吹いている状況であって、餌を捜しているものども(鬼神・怨霊)が荒れくるっているのを見て(詠んだ歌)」 (詞書20210621第2案)

 歌本文を再確認してから一案へ絞り込みたい、と思います。

 

5.再考 第五の歌群 第21歌 歌本文

① 初句より順に検討します。類似歌が「かぜのむた」とあるのに対して、この歌は「風をいたみ」とあります。「いたみ」には、同音異義の語句がありました。

 以前は、形容詞「甚し」の語幹+接尾語「み」と理解しました。このほか、

 「痛む・傷む」の連用形があります。

 四段活用の動詞「いたむ」とは、「苦痛に感じる・悲しむ」意です。

 類似歌との違いは後者のほうが大きいので、初句「風をいたみ」とは、

 「風を苦痛に感じて(あるいは悲しんで)」の意に理解したい、と思います。

② 二句「よせくるなみ」は、「寄せ来る波」のほかに、「寄せ来る並」の理解が可能です。

 名詞「なみ」(並)とは、「同類・同等」、「共通する性質」の意です。

 詞書では、「風のいたうふくに」とあり、波への言及はありません。風が強ければ沖でも波が大きくな白波も立っているでしょうからわざわざ記すこともないでしょう。

 しかし、白波と言えば風が強いことも十分示唆するのに、「風」に言及するだけの詞書ですので、白波の立つ状況とは異なっている景、という可能性もあります。そうすると、「なみ」=「並」の理解は検討対象となり得ます。

③ 三句「あさりする」は、詞書にある「あさりする」と同じ意ではないか。ここでは、四句の意に沿い理解する必要があります。

④ 四句「あまをとめごが」は、以前は歌語の「天つ少女が」と理解しました。「天つをとめ児が」であり、2-1-869歌にある「とこよのくにの あまをとめ」に接尾語の「子・児」を添えた形です。

 「あまをとめご」には同音異義の語句があります。

第一 天つ少女 (一人または二人以上)

第二 尼+をとめ(歌語であって成年に達したころの未婚の女性)+ご(接尾語)

 接尾語「子・児」は、「人の意を添える」場合や「人を,親愛の情をこめて呼ぶときに用いる」場合があります。そのため、「あまをとめご」とは、「尼になった未婚の女性であって、作者が親しくしていた女性」を指している語句となりますが、当時の物語類の例を知りません。 

 第三 海人+をとめご(上代語の歌語であって、おとめ・未婚の女性)

 「漁師の未婚の娘」の意となります。

⑤ 五句にある「ものすそ」の意には次のものが考えられます。

 第一 裳の裾

 第二 喪の数衣(死者を悼むため死後のある期間近親者が家にこもり交際をさける際に着る、いくつかのお召し物)

「数」は、接頭語で概数を表します。「そ(衣)」とは「おんぞ。貴人の衣服。おめしもの。」の意です。

⑥ これらより、あらためて現代語訳を試みます。

 詞書にある「物へゆく」という人物(作者であり作中人物でもある)は、公務出張途中の官人が有力候補です。

 その仮定にたつと、詞書にある「ものども」とは、庶民一般の人々を指し、二句にある「なみ」とは「同類」と理解が可能です。しかし、二句にある格助詞「に」は体言などについて連用修飾語を作るので、五句にある「ぬれぬ」の原因・理由を指しており、「同類」では、意味を成さない、と思います。

 「なみ」は、詞書にある「風のいたうふくに」により、白波や高波もある状況が当然ですので、「波」の理解も十分可能です。そして作中人物の仮定(出張途中の官人)が視認することも自然です。

 また、四句にある「あまをとめご」も作中人物が視認しているので、「ものども」と作中人物が表現できる、庶民である海女が有力です。

⑦ このため、現代語訳をあらためて試みると、次のとおり。

 「風の吹くのを悲しみながら、寄せてくる波のなかを 捜しまわっている 海女の裳の裾は濡れてしまっている。」

 風が特に強い時に藻を採取するのは、普段しない行為である、と思います。にも拘わらず、多くの人々が「あさりする」理由は、藻以外の何かが対象ではないか。

 恋の歌として考えると、入水した者を捜しているのではないか。

⑧ 詞書と突き合わせると、上記⑦の(試案)は、詞書20210621第1案の理解のもとにある歌となっています。

 詞書の頭書にある「もの」の第一義が「個別の事物を、直接に明示しないで、一般化していう」でありました。都ではなく地方での見聞の一つの意で、「物へゆくに」と編纂者は用いているのかもしれません。

⑨ この歌に関する以前の理解(2018/7/2付けブログ「5」及び「6」)は、誤っていました。撤回します。

 6.再考 類似歌との違い

① 共通する景として、海女が登場する歌であること、浜に風があること、の二つがあります。

② 異なる点がいくつもあります。

第一 詞書が、景を、類似歌は抽象的に記し、この歌は具体的に記しています。

第二 初句にある3文字。類似歌は「(かぜ)のむた」、この歌は「(かぜ)をいたみ」であり、この両語句は同義ではありません。

第三 類似歌がおだやかな風のある叙景の歌であり、この歌は、強い風が吹く悲恋の状況を詠う恋の歌です。

第四 海女の日常の仕事の景に対し、異常時の海女の役割をこの歌は詠っています。

 

③ この歌は、類似歌とは異なる意の歌であり、恋の歌集という仮説をたてた『猿丸集』の歌となり、かつ第五の歌群の歌となりました。

④ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、3-4-22歌を検討します。

(2021/6/21  上村 朋)

付記1. 

1.巻十五の遣新羅使に関する歌群の検討

① 遣新羅使に関する歌群全体の配列を再確認する。(細分した)歌群の設定を試み、配列の特徴をみる。歌群を、各歌の題詞を第一として次いで左注によりに設定すると下表のとおり。その各歌群は、巻頭の題詞に従い、西本願寺本の目録の表記によって3分できる(下記A~C)。下表の「同左による分類」欄にその分類を示す。なお、分類Bは、題詞が「・・・作歌」及び題詞がなくて左注で作者名記載の歌の歌群と定義している。

A 各悲別贈答、

B 海路之上慟旅陳思作歌、

C 當所誦詠古歌

② さらに、歌本文についてその歌の内容から、「古歌・伝承歌・その言い換えの歌」か否かをおおよそ判定し、歌群ごとにそのような歌の有無を検討した(「古歌・伝承歌・その言い換え」欄)。有る場合はDと記している。

③ 配列から検討すると、類似歌の理解の前提として、前回(ブログ2018/7/2付け)での「題詞のもとで、それぞれ単独の歌」という理解は妥当であった。なお、題詞に関する考察を本文(「3.①~③」)に記す。

 

表 遣新羅使にかかる歌群の配列と(細分した)歌群の整理 (2021/6/15  21h 現在)

歌群となる歌番号

題詞

同左による分類

古歌・伝承歌・その言い換え

同左の理由・その他

3600~

3610

無し。左注に右十一首贈答

A

一部はDか

 

3611

無し。左注に右一首秦間満

B

すべてD

生駒山経由は既に古道 3722歌は竜田越えを詠む

3612

無し。左注に右一首暫還私家陳思

A

すべてD

生駒山経由は既に古道

3613~

  3615

無し。左注に右三首臨発之時作歌

B

すべてD

3613歌の「ころもでさむし」は季節が異なる。

3616~

  3623

無し。左注に右八首乗船入海路上作歌

B

一部はDか

3619歌で白波立つところに作者は居る

3624~

  3627

当所誦詠古歌 左注に詠雲または恋歌

C

すべてD

 

3628~

  3632

(当所誦詠古歌) 左注に人麻呂歌曰・・・とある

C

すべてD

 

3633

七夕歌一首 左注に人麻呂歌

C

すべてD

いつの使節団でも七夕時は人麻呂歌を朗詠するか

3634~

  3636

備後国・・・舶泊之夜作歌三首

B

一部はDか

旋頭歌は既に古風

3637~

  3638

風速浦舶泊之夜作歌二首

B

すべてD

3602歌などに両歌が呼応

3639~

  3643

安芸国・・・舶泊磯辺作歌五首

B

 

 

3644~

  3646

長門浦・・・仰観月光作歌三首

B

 

 

3647~

  3648

古挽歌一首 幷短歌

C

すべてD

 

3649~

  3651

属物発思歌一首 幷短歌

C

すべてD

船中で速やかに詠えたか

3652~

  3659

周防国・・・行之時作歌八首

B

一部はDか

全て舶泊しない島を詠う

3660~

3661

過大嶋鳴門・・・後追作歌二首

B

 

 

3662~

3665

熊毛浦舶泊之夜作歌四首

B

 

 

3666~

  3673

佐婆海中・・・是追怛艱難悽惆作歌八首

B

 

 

3674~

  3677

至筑紫館遥望本郷悽愴作歌四首

B

 

 

3678~

3680

七夕仰観天漢各陳所思作歌三首

B

 

人麻呂歌という七夕歌は行程にあわさないで別途記載

3681~

  3689

海辺望月作歌九首

B

 

 

3690~

  3695

筑前国・・・各陳心緒聊以裁歌六

B

 

 

3696~

  3702

引津亭舶泊之作歌七首

B

 

 

3703~

  3709

肥前国・・・遥望海浪各慟旅心作歌七首

B

一部はDか

娘子が詠う3682歌は土地の伝承歌

3710~

 3712

壱岐嶋・・・死去之時作歌一首 幷短歌

B

 

使節団員一人死去

3713~

  3715

無し。左注に右三首葛井連子老作挽歌

B

 

使節団員一人死去

3716~

  3718

無し。左注に右三首六鯖作挽歌

B

 

使節団員一人死去

3719~

3721

対馬・・・瞻望物華各陳慟心作歌三首

B

 

 

3722~

  3739

竹敷浦舶泊之時各陳心緒作歌十八首

B

 

 

3740~

  3744

廻来筑紫・・・到播磨国家嶋之時作歌五首

B

全てDか

 

A

2歌群

 

 

 

B

23歌群

 

 

 

C

5歌群

 

 

 

④ 一百四十五首は、分類Aの歌群から始まる。都を出発あるいは乗船前の家族・同僚の見送りとその返歌であり長歌はない。出発地は詠みこまれていない。目的地は最初から10首目に詠まれているだけである。

⑤ 分類Bの歌群の最初は、2-1-3611歌(作者は秦間満)であり乗船前の歌である。遣新羅使を送り出す公宴があり、送り出す側、派遣される側それぞれの歌の応酬があったはずであるが大使などの歌は記載されていない。親族のみの私的な送別宴の際の歌は、A分類の2-1-3600歌以下の十一首で構成される歌群に含まれているか。

⑥ 分類Bの歌群の三番目は、乗船後の最初の歌群であるが、すべて作者名の記載はない。天平8年遣新羅使では3613歌の「ころもでさむし」が季節違いであり、出港地が御津という表記の港かどうかも不明。

⑦ 分類Bの歌群で、大使の歌があるのは3歌群で5首のみ、副使の歌は1歌群で2首のみ、大判官の歌は4歌群で5首のみ、小判官の歌は1歌群で1首のみである。

 大使の歌がある歌群はつぎのとおり。

 2-1-3678~2-1-3680歌よりなる歌群:七夕仰観天漢各陳所思作歌三首  (1首:この歌群の最初の歌)

 2-1-3690~2-1-3695歌よりなる歌群:到筑前国志摩郡之韓亭舶泊経三日於時夜月之光高皎皎流照奄対此華旅情悽噎各陳心緒聊以裁歌六首  (1首:この歌群の最初の歌)

 2-1-3740~2-1-3744歌よりなる歌群:竹敷浦舶泊之時各陳心緒作歌十八首  (3首:この歌群の最初の歌ほか)

⑧ 分類Bの歌群で、2-1-3666~2-1-3673歌よりなる歌群「佐婆海中・・・是追怛艱難悽惆作歌八首」以降、「悽惆」、「旅情悽噎」、「慟心」と題詞にある歌群が増加する。B分類の歌群にはさらに2、3のグループがあるか。

⑨ 一百四十五首の配列は、歌群を単位として、最初に「古歌・伝承歌・その言い換えの歌」による都から乗船までの期間の歌群を置き、以後行程を追って歌群を配列するのが基本とみえる。

 そして安芸国長門の歌群の次からの3歌群、即ち、「古挽歌一首 幷短歌」と「属物発思歌一首 幷短歌」と(題詞だけからは行程順だが、歌にある地名・島は比定地が不確かな)「周防国玖河郡麻里布浦行之時作歌八首」が異質で行程順から外れているかにみえる。

 「古挽歌一首 幷短歌」は、望郷の心情の代弁としてこの長歌と短歌が朗詠された、とすれば、「(朗詠にあたって)どの位改変されて居るかも知りがたく、また原作も極めて拙劣な作」(土屋氏の評)をよく記憶していた、と思う。よく用いられる葬送の歌として知られていたのか。また、天平8年遣新羅使の行程では鶴はいない時節である。

 「属物発思歌一首 幷短歌」は、出港した御津から詠いだしている。事前に用意してきた歌を、宴の席で披露した歌か。

⑩ 作者が未詳の歌の作者について、諸氏に論がある。阿蘇氏は複数の団員とする論を支持し、土屋氏は下級の使節団団員の録事程度の者を想定し、このほか副使大伴三中とする論、及び一部の歌は団員外の大伴家持とする論がある。

 類似歌が含まれる歌群(2-1-3681歌以下の海辺望月作歌九首)の作者は、大使の次男1首、土師稲足1首、残りの7首は作者未詳歌である。そのうちの1首は古歌の2-1-2810歌を下敷きにしたため旋頭歌となっている。

⑪ 遣新羅使の大使の歌にはすべて題詞があり、その最初に配列されている。しかし、詠む機会のあるはずであるのに記載を優遇していない。大使の歌の最後の題詞である「竹敷浦舶泊之時各陳心緒作歌十八首」の歌の内容をみると、宿泊した筑紫館などで公宴が当然あったと想定できるが、大使や副使という主賓となる人物の歌(歓迎の答歌)はこれ以外の歌群にない。

⑫ このように、元資料は、遣新羅使という使節団の(歌に多少の心得のある)誰かのメモであって、大使などが記録を指示したとは思えないものである。朗詠した古歌は、初句程度の記録であったのではないか。

⑬ このため、行程のその都度朗詠された歌を、『萬葉集』巻十五の編纂者が歌群にまとめた感があり、以前のブログ(2018/7/2付け)での結論「各題詞単位に、その歌群で整合が取れている歌であればそれでよい」は、妥当である。

 

付記2.題詞「海辺望月作歌」のもとにある9首について

① 歌をみると、次のような歌の集合である。 

 浪に都の妻に思いをはせた歌  2-1-3682歌 

 秋風に都の妻を詠う歌  2-1-3681歌 2-1-3688歌

 鄙の海辺の地の生業を詠う歌 2-1-3683歌 2-1-3686歌 

 独り寝る自分を詠う歌  2-1-3684歌 2-1-3687歌 

 長旅に都の妻を詠う歌 2-1-3685歌 

 衣に都の妻を詠う歌 2-1-3689歌 

② 類似歌は、「鄙の海辺の地の生業を詠う歌」2首は、男と女をそれぞれ詠う歌である。類似歌は三句「いざりする」という語句の意味拡大をして用いるなどしたうえの机上の歌となっており、その意味で9首の中で独自性のある歌である。以前の結論は妥当である。

③ 9首についての『新編国歌大観』の『萬葉集』の訓はつぎのとおり。

 

 2-1-3681歌  あきかぜは ひにけにふきぬ わぎもこは いつとかわれを いはひまつらむ

      大使之第二男   

 2-1-3682歌  かむさぶる あらつのさきに よするなみ まなくやいもに こひわたるなむ 

      土師稲生      

 2-1-3683歌  かぜのむた よせくるなみに いざりする あまをとめらが ものすそねれぬ・・・(類似歌)   以下左注無しなので作者は、「未詳の作者」

 2-1-3684歌  あまのはら ふりさけみれば よぞふけにける よしゑやし ひとりぬるよは あけばあけぬとも  旋頭歌   

 2-1-3685歌  わたつみの おきつなはのり くるときと いもがまつらむ つきはへにつつ

 2-1-3686歌 しがのうらに いざりするあま あけくれば うらみこぐらし かじのおときこゆ 

 2-1-3687歌 いもをおもひ いのねらえぬに あかときの あさぎりごもり かりがねぞなく 

 2-1-3688歌 ゆふされば あきかぜさむし わぎもこが ときあらひごろも ゆきてはやきむ 

 2-1-3689歌 わがたびは ひさしくあらし このあがける いもがころもの あかつくみれば 

(付記終わり 2021/6/21  上村 朋)