わかたんかこれ  猿丸集は恋の歌集か 第19歌 男のたまたすき

 前回(2020/12/14)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 妻のたまたすき」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 男のたまたすき」と題して、記します。(上村 朋)

1.~15.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。ここまで、3-4-18歌までは、「恋の歌」であることが、確認でき、また、3-4-19歌の詞書の現代語訳の再検討を試みた後、初句にある「たまだすき」の萬葉集巻八にある用例まで検討してきた。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

16. 萬葉集巻九の「たまたすき」

① 『萬葉集』巻九にある「たまたすき」の用例を、検討します。『新編国歌大観』より引用します。

 2-1-1796歌  思娘子作歌一首 幷短歌

  白玉乃 人乃其名矣 中中二 辞緒不延 不遇日之 数多過者 恋日之累行者 思遣 田時乎白土 肝向 心摧而 珠手次 不懸時無 口不息 吾恋児矣 玉釧 手尓取持而 真十鏡 直目尓不視者 下檜山 下逝水乃 上丹不出 吾念情 安虚歟毛

 「しらたまの ひとのそのなを なかなかに ことをしたはへ あはぬひの まねくすぐれば こふるひの かさなりゆけば おもひやる たどきをしらに きもむかふ こころくだけて たまたすき かけぬときなく くちやまず あがこふるこを たまくしろ てにとりもちて まそかがみ ただめにみねば したひやま したゆくみづの うへにいでず あがおもふこころ やすきそらかも」

 

 この歌の題詞にある「短歌」とは、次の2首です。

 2-1-1797歌  反歌

  担保成 人乃横辞 繁香裳 不遭日数多 月乃経良武

  「かきほなす ひとのよここと しげみかも あはぬひまねく つきのへぬらむ」

 2-1-1798歌 (反歌

  立易 月重而 雖不遇 核不所忘 面影思天

 「たちかはり つきかさなりて あはねども さねわすらえず おもかげにして」

 左注に、「右三首田辺福麻呂之歌集出」とあります。だから作者の候補は田辺福麻呂が最有力です。

② この歌は、『萬葉集』巻九の相聞(1770歌~1798歌)にある最後の題詞のもとにある歌です。

 この相聞の部には、次のような題詞があります(諸氏の説明から歌の趣旨を付記します)。

2-1-1770歌 振田向宿祢退筑紫国時歌一首 :歌によれば、官人が我が妻を詠う

2-1-1771歌 抜気大首任筑紫時娶豊前娘子紐児作歌三首:歌によれば、相手の女性を詠う

2-1-1774歌 大神大夫任長門守時集三輪河辺宴歌二首 : 歌によっても、官人送別時の送る側の歌

2-1-1776歌 大神大夫任筑紫国時阿倍大夫作宴歌一首 :歌によっても、官人送別時の送る側の歌

2-1-1777歌 献弓削皇子歌一首:柿本人麻呂歌集にある歌で、恋の相手への歌

2-1-1778歌 献舎人皇子歌二首:柿本人麻呂歌集にある歌で、男女の贈答歌

2-1-1780歌 石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首:歌によれば、送別時の送る側の歌

2-1-1782歌 藤井連遷任上京時娘子贈歌一首:歌によれば、送別時の送る側の歌。2-1-1783歌と対。

2-1-1783歌 藤井連和歌一首 : 歌によれば、送別時の送られる側の歌。2-1-1782歌と対。

2-1-1784歌 鹿嶋郡苅野橋別大伴卿歌一首 幷短歌:歌によれば、送別時の送る側の歌。

2-1-1786歌 与妻歌一首:柿本人麻呂歌集にある歌で、妻に問う歌。2-1-1787歌と対。

2-1-1787歌 妻和歌一首:柿本人麻呂歌集にある歌で、妻が答えた歌2-1-1786歌と対。

2-1-1788歌 贈入唐使歌一首:歌によれば、送別時の送る側の歌。

2-1-1789歌 神亀五年戊辰秋八月歌一首:歌によれば、官人送別時の送る側の歌。

2-1-1791歌 天平元年己巳冬十二月歌一首:歌によれば、官人送別時の送られる側の歌。妻を詠う。

2-1-1794歌 天平五年癸酉遣唐使舶発難波入海之時親母贈子歌一首 幷短歌:歌によれば、送別時の送る側の歌。

2-1-1796歌 思娘子作歌一首 幷短歌:歌によれば、男性が女性に思いをかけている歌 検討対象の歌がある題詞。(「娘子」について付記1.参照)

 これらの題詞は、官人が任務のため都を離れる際の送別の歌が多い。そして特定の任命時期に集中していない詞書です。そのもとの歌は、相手(側)と互いに挨拶或いは贈答している歌の題詞であり、例外に見えるのは、返歌の期待が少なそうな題詞、即ち、

2-1-1777歌の題詞

2-1-1796歌の題詞

です。前者の題詞のもとには歌が1首だけです。柿本人麻呂歌集にある歌なので、人麻呂が作者であるとすると、公の行事(宴を含む)か何かの折の下命の歌の可能性があります。臣下の立場から詠った歌ではありません。誰かがこの歌の返歌を同時に披露したはずであり、宴席で披露される普通の相聞の歌といえるでしょう。または人麻呂が蒐集記録した女性の立場の歌であるとすると、相手からの返歌を期待している普通の相聞の歌ということになります。

 後者の題詞のもとには、長歌と短歌があります。この上ない悲恋の歌であり、宴席で披露された歌であったら、これらの歌が返歌であった可能性があります。ともかく、相聞の歌ではあります。

 いずれにしても、相聞の部にある歌は、対の題詞が原則でありそれに外れる題詞は、ほかの題詞との関連を考慮せず、その題詞と、その題詞のもとにある複数の歌との整合がとれていればよい、と思います。

③ この歌(2-1-1796歌)を、阿蘇瑞枝氏は、次のように現代語訳しています。(『萬葉集全歌講義』(笠間書院)) 歌にある「辞」字を、「あの人の名」と理解している訳です。

 「白玉のように美しいあの人の名をなまじ心に抱いて、逢わない日が長く続いて、恋しく思う日が重なったので、胸の思いを晴らす方法も知らず、心は千々に砕けて、玉だすきをかけるように心にかけない時はなく、絶えず声を出してわたしが恋しているあの子を、玉釧を手に持つように持つこともなく、まそ鏡を見るように直接見る機会も得られないので、木々の葉の赤く色づいた山の木の葉隠れに流れて行く水のように、表には出さず思っている心は安らかでないことよ。」

 土屋文明氏は、次のような大意を示しています(『萬葉集私注』)。

 「白玉の如き人の其の名を、中途半端に、又其の噂を心の中に思ひつづけ、会わない日が多く過ぎれば、恋ひ思ふ日の重なって行けば、思をはらす術を知らずに、心がくじけて、心に懸け思はぬ時なく、口を休めず吾が恋ひ思ふ子を、手に取って、直接見ないから、表にあらはざず吾が思ふ心は、安らかでないことである。」

 そして、「口不息(くちやまず)」とは、「常に口にして」の意として訳出したものの、「あるいは「くちやまず」という成語で、単に休まず、という意かもしれぬ」と指摘しています。「辞」字は、反歌を考慮して「其の噂」と理解しています。

④ 反歌の2首について、阿蘇氏の現代語訳は、つぎのとおり。

 2-1-1797歌:「垣をめぐらしたように人の中傷がはげしいので、逢えない日が多く月が経ってしまったのであろうか。」

 2-1-1798歌:「新しい月が来ては過ぎ来ては過ぎして、いく月も逢わない日々が重なったけれども、私は全く忘れることはない。いつも面影に浮かんだ状態で。」

 左注によれば、この三首は、田辺福麻呂の歌集にある歌です。

⑤ これらの現代語訳の、「中中二 辞緒不延」や「玉釧 手尓取持而」などに検討の余地があります。用いられている語句を検討し、現代語訳を試みたい、と思います。

 阿蘇氏は、「長歌に女性の装身具を枕詞にたくさん用いているのは特に意識しているのであろう。用いられている枕詞に統一性があるが多用しているのが一首の流れを悪くしてるのは否めない。」と指摘しています。

 諸氏は、枕詞として、肝向、珠手次、玉釧、真十鏡という語句を、また、「下檜山 下逝水乃」という序を用いている、と指摘しています。

⑥ その枕詞の確認から始めます。

 「肝向かふ」を、阿蘇氏は「内臓が腹の中で向き合っているところから起こったのであろう(体系の説)というが、『萬葉集』の「心」の用例からは「心」が心臓を指しているとみられる例はないように思う」。つまり、氏は、心の枕詞と位置付けているものの、枕詞となった理由が説明できない、と言っています。

 『例解古語辞典』では、「肝向かふ」とは、「肝に向きあっている心臓の意で「心」にかかる枕詞」と説明しています。また、「肝」とは、「肝臓、また、主要な内臓。生命の根幹となるもの」の意と「心」の意があり、「向ふ」とは、「むきあう。対座して話すなどをする。」の意と説明しています。

 また、「心」にかかる枕詞として「群肝の」があります。「群がり集まった肝、すなわち内臓の意。そこに心が宿ると考えたところから、かかる」、という説明があります(『例解古語辞典』)。『萬葉集』では、2-1-5歌、2-1-723歌などで用いられていますが、「肝向」とあるのはこの1首のほか2-1-135歌に「肝向 心乎痛」とあるだけです。

 そのため、「肝向」とは、「こころ」にかかる枕詞であり、「主要な内臓が向きあっているところにあるという(心)」と理解したいと思います。

 「珠手次」は今検討対象にしているので最後に検討します。

⑦ 「玉釧」を、「手に取り持ち」にかかる枕詞である、と氏は指摘しています。「釧」を『例解古語辞典』は立項せず『角川新版古語辞典』には、「上代の装身具。腕輪。貝・石・玉・金属などでつくる。てまき・ひじまきともいう。」とあります。「玉釧」は腕(それもひじ)に着けるもののようですが、この歌では「てにまく」ではなく、「手に持つ」と表現しています。

 「玉釧」を「手に取りもつ」、ということは日常的にあるとしても、それは腕に着けるための準備の行為であろう、と思います。(付記2.参照)

 この歌の「玉釧」は、「手」にかかる枕詞という理解以外も有り得る、と思います。

⑧「真十鏡」は、「ますみのかがみ」と同じ意であり、鏡の状態や形態(蓋が必須など)などから、「清し」、「影」、「ふた」、「見る」などにかかると『例解古語辞典』にあります。

 「ますかがみ」については、一度検討したことがあります。『猿丸集』の歌3-4-15歌の類似歌(2首)の詞書のもとにあるある歌5首を検討した際です。

 その5首では、「まそかがみ てにとりもちて」と「まそかがみ ただにしいもを あひみずは」という語句などでしたが、「どの歌も作中人物のその相手との距離が近いことは、貴方と貴方が現に(あるいは私と私が現に)手にしている鏡との関係と同じである、と言っている」というのが結論でした。また、鏡は境目にある出入り口であり、(神や)祖霊や人から遊離可能な人の霊魂などは鏡を通じて両方の世界を行き来できる、とも信じられ、日本の古代では、境目にある出入り口は、通常閉ざしておくため、鏡面を覆っておくものと認識されています。銅合金製の鏡は、放置すると鏡面が曇るので、日常的に磨き布で包み、鏡筥に入れて保管していました。(ブログ「わかたんかこれ  猿丸集第15歌 いまきみはこず」(2018/5/21付け)参照)。

 ここでは、「真十鏡 直目尓不視者(まそかがみ ただめにみねば)」ということなので、「見る」にかかる枕詞であってもなくても、その5首と同じように、相手との距離が近いことを、示唆しているのではないか、と思います。

 これらが、すべて装身具の範疇のものとは思えませんが、官人であれば日常身の回りに見ることができるものです。   

⑨ 珠手次も、同じように身近なものであるならば、たすきの美称であって「神事の際、供物などに触れないよう、袖をたくしあげるために肩に掛ける紐」(『例解古語辞典』が示す意のひとつ)とか、神事が家庭でもよく行われていたら、その紐で「神事そのもの」を意味し得ることになります。

 これまでの検討では、「玉手次」とは、2-1-29歌以降において、みそぎと同様に「たすきをかける」という表現は「祭主として祈願する」姿を指しており、「たすき」が祈願の儀式全体の代名詞・略語とみることができました(2020/9/28付けブログ参照)。

 それを歌本文において確認したい、と思います。  

⑩ この歌は、阿蘇氏の訳などを参考にすると、次のような文から成る、と思います。

 文A  白玉乃 人乃其名矣 中中二 辞緒不延:ある人の名が、心をとりこにしている (発端)

  文B 不遇日之 数多過者:逢えない日が続き(経過その1) 

 文C 恋日之累行者:(それに伴い)恋する日々が重なり(経過その2)

 文D 思遣 田時乎白土:その思いを晴らす方法をしらないまま(時がたつた。 経過その3) 

 文E 肝向 心摧而 珠手次 不懸時無 口不息 吾恋児矣:(心が砕け、でも心にかけており・・・、)

 文F 釧 手尓取持而 真十鏡 直目尓不視者:ひじまきは手に取るだけで、ますかがみでもみることもできない(でも、例えば、・・・という状況で) 

 文G 下檜山 下逝水乃 上丹不出 吾念情 安虚歟毛:・・・のように吾思いは安らかではない(結論) 

 この歌は、文Aを詠いだした人物が、文B~文Fのように相手に逢えない状況なので、文Gに述べる心境だ、と詠っています。

⑪ 文ごとに検討します。文Aの最初の、「白玉乃 人乃其名矣」にある漢字「矣」は、漢文であれば句末の助字として、断定や決定の意を表したり、疑問・反問の意を表したり、動作やできごとの既に完了した気分を表すほか、句の中間に置いたり他の助字と連用して詠嘆の意を表します(『角川新字源』)。文B以降の叙述から推測すると、ここでは「詠嘆」の意を添えているのか、と思います。

 漢文の助字にあたる漢字が、この歌では、「矣」が二か所、「而」、「歟」があります。その字義を作者は意識して作詠かつ記録しているのではないか、と思います。

 次に、「中中二 辞緒不延」の「中中二」とは、上代の用法であれば副詞であり(『例解古語辞典』)、「ずいぶん」とか「とても、簡単には」の意となります。『日本古典文学大系』では、補注して、(この副詞は)「現在の状況が満足すべきものとは思われないので、ここに至った次第を悔いたり、将来、この状態から抜け出たいと思ったりする時に使う」とし、「辞緒不延」は「辞緒下延」とし、「ことばを心のうちに抱いていて」の意としています。

⑫「辞緒不延」について、『新編国歌大観』の原本である西本願寺本の訓は「ことのをのべず」となっています。ここでは、『新編国歌大観』による訓によって検討をしているので、「辞緒不延」は「ことをしたはへ」と訓み、検討します。

 『萬葉集』には「辞」字を用いて記されている歌が9首ありますが、ほとんどが「ことば(を発する)」の意です(付記5.②参照)。だからこの歌での「辞」もそのようなものであり、恋を打ち明ける言葉とか慕っている言葉の意が第一候補となると思います。

 契沖は、『萬葉代匠記』で、「辞緒不延」を「ことのをしたばへ」と訓み、次のように説明しています。

 (「白玉乃 人乃其名矣 中中二 辞緒不延とは)「しのぶ故に名をも中々えいはぬを云ふなり。不延は、集中の例に依りてはへずと読むべし。思ふことを云はぬを緒をはへずして宛ねておける如くなれば、たとへて辞緒不延とは云へり。」

 「延」(はふ)とは、他動詞で縄などを長くのばす意と、転じて「言葉や心を届かせる・思いを寄せる」意とがあります(『古典基礎語辞典』)。

 「したはへ」の「した」は「下燃ゆ」の「した」に近い意で、「人に知られない内心」とか「ひそかなこと」の意であろう、と思います。

 だから、「辞緒不延(ことをしたはへ)」とは、言いたいことばは、機会を逸している、心の中に留まっている、という状態を言っているのではないか。「中中二」に関する『日本古典文学大系』の補注の指摘に従った同書の「ことばを心のうちに抱いていて」の意に近いと思います。(「辞緒不延」の別訓での検討は付記5.参照)。

 

 文Aの現代語訳を試みると、つぎのとおり。 

 「白玉が尊ばれるように美しく大切なその人の名を、(無念にも)ああ。なかなか口にだせぬまま心の中で反芻したり、」

 次いで、文Bは、「逢えない日が次々と過ぎてゆけば」、

 文Cは、「(そしてそれは)しきりに逢いたいと思う日が、次々と重なってゆくことであり」、

 そして、文Dは、「私の思いを遂げる方法をしらないで(今日に至っている)。」

と現代語訳できます。

⑬ 文Eにおいて、検討対象の「珠手次」を用いています。「肝向」とは、上記⑥で検討した「主要な内臓が向きあっているところにあるという(心)」という理解をし、「心摧」という熟語はないようなので、「こころくだけるあるいはくだく)」の意とします。それは文Dまでの経緯の結果です。

 「たまたすき」については、上記⑨で記した「たすきをかける」という表現で「祭主として祈願する」姿を指す場合と、諸氏が指摘しているように「かける」という動詞の対象に紐である「たすき」と体の一部位である「こころ」がある場合(「懸ける」にかかるいわゆる枕詞)との2案を、検討することとします。

 文Eは、さらに文が分けられます。すなわち、

 「肝向 心摧」(a)、 而して(b) 、「珠手次 不懸時無」(c)かつ(あるいは、だから)「口不息 吾恋児矣」(d)、と理解できます。(c)と(d)は対句となっており、(a)が、(c)と(d)をもたらしたかあるいは、(a)は(c)をもたらしそれは(d)をもたらした、という理解です。

 「口不息」とは「口は止まない(しゃべり続ける)」意であり、「吾恋児矣」での「矣」は助字として用いられ、詠嘆の意を表している、とみることができます。「吾恋児」の名前が口をついてでてきてしまう、つまり、文Aの「辞緒不延」ではなくなった、という状況を指しています。(付記3.参照)

 だから、「心摧」の結果、心に「不懸時無」、また(あるいはそれが引き起こす)「口不息」という有様というのは、理性を失った状態である、と思えます。

 文Eの現代語訳を試みると、つぎのとおり。「珠手次 不懸時無」の理解に2案あります。

第1案 「たすき」が祈願の儀式全体の代名詞あるいは略語。

「主要な内臓が向きあっているところにあるという心はくだけてしまい、(私の行動は制御が利かなくなり、) 神に祈る時には常にたすきをかけないことがないように、貴方を心に懸けない時は無く、だから、(貴方のことしか考えられなくなり)ため息ばかりだ、ああ、吾が恋する君よ。」

第2案 「たすき」はかけるものであり、そのように、あなたを私は「心」にかけている意。

「主要な内臓が向きあっているところにあるという心はくだけてしまい、(私の行動は制御が利かなくなり、)たまたすきを使うときは肩に掛けないことがないように、貴方を心に懸けない時は無いし、嘆息ばかりである、ああ、吾が恋する君よ。」

 両案を比較すると、(d)と(e)が否定した言い方なので、思いを強調しています。第2案の「たすきという紐は肩にかけるもの」という常識的な使い方を前提とするより、たすきを使う特別な状況を前提とした第1案のほうが比喩として優れていると思います。またこの歌が作られた時代は、官人の送別時の歌にみられるように、種々の祈願はよく行われています。

 「珠手次 不懸時無」の「珠手次」は、「祈願の儀式全体の代名詞」あるいは祈願の略語であってこそ、祈願そのものが特別な行為なので、心に「不懸時無」く、ということの必死さの比喩になっています。

⑭ 次の文Fも、いわゆる枕詞を用いている文です。

 「玉釧」については、上記⑦に記したように、「手に持つ」という行動との関係から、「手」の枕詞と理解しないほうが、文Eの文意につながります。

 「真十鏡」とは、上記⑧に記したように、「相手との距離が近い」ことを、日常的に用いている鏡で示唆したものです。

 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「ひじまきをひじに着けるのではなく自分の手に取るだけであり(貴方は遠い存在であり)、ますかがみで見るようにと期待しても 直接逢うことができないので」

⑮ 次に文Gの現代語訳を試みます。

 作者は、斬新な表現を、ここでもしています。「下檜山」という表記は、『萬葉集』にこの歌以外にありません。また、「下逝水乃」も「安虚歟毛」も萬葉集ではこの1首のみです。

 「下檜山(したひやま)」に関して、文字に拘ると、漢字で「檜山」あるいは「桧山」とあるのは、長歌2-1-3246歌に「斧取而 丹生桧山 木折来而 筏尓作」(をのとりて にふのひやまの きこりきて いかだにつくり)とあるだけです。

 「檜」字あるいは「桧」字を用いて記録されている歌は、地名「巻向の桧原の山」や「足桧木乃」などが多くあります。ここでの「檜」字は、音を表すのみのようです。そうすると、「下檜」は「山」を形容しているのか、と思います。

 音に拘ると、「山」の形容で「したひ」と言っていることになり、動詞「したふ」があります。「赤く照り映える」意と「慕ふ」(aなつかしく思う」 b「(関心や愛着の気持ちを抱いてあとを)追う」意の動詞です。前者には二首用例があります。

 2-1-217歌は、「吉備津釆女死時柿本朝臣人麿作歌一首 并短歌」と題する歌で、その冒頭に、「秋山 下部留妹 奈用竹乃 騰遠依子等者・・・」(あきやまの したへるいも なよたけの とをよるこらは・・・)とあり、諸氏は「秋山」を枕詞として扱ったとき「美しく照り映える妹。・・・」等と理解しています。

 1-2-2243歌は、「秋相聞」と題して、「金山 舌日下 鳴鳥 音谷聞 何嘆」(あきやまの したひがしたに なくとりの こゑだにきかば なにかなげかむ)とあり、例えば「秋の山の紅葉している葉の陰で・・・」と理解しています。

 後者は 1-2-798歌や1-2-800歌や1-2-4432歌などに用例があります(付記4.参照)。

 この歌の作中人物は、ここまで恋を諦めきれずにきています。ここでは、実際の山の形容が相手を褒めていることにつながり後者(慕う意)をも掛けたて用いているのではないか。すなわち、

 「赤く照り映えている山のような人」と表現するように、まだ「愛着の気持ちを抱いてあとを追う」意を十分持っている作中人物と理解できます。「まだ諦めきれないあの人」という理解です。 

⑯ 次に「下逝水乃 上丹不出(したゆくみづの うへにいでず)」を検討します。何の下をゆくのか、というと「山」の下ということになるので、谷川の流水を指すのでしょう。「うへにいでず」とは急流であり、絶対逆流しない、ということか。「山」が相手の人の比喩であるので、「諦めない」意を示唆しています。

 従って、「心は安らかでないことよ。」と詠嘆調でこの歌が終わるのは、文Fまでの詠いぶりからみると、拍子抜けします。心の葛藤が簡単に消えている印象となってしまいます。

 だから、「下檜山 下逝水乃 上丹不出」とは、次のように現代語訳できます。

 「赤く照り映える山に流れている谷川は、私のあの人への思いであり、それは絶対逆流しない」(諦めない」

 次に、「吾念情(わがおもふこころ)」とは、文Fまで述べてきた解決手段が見当たらない恋の思いを指し、それが「安虚歟毛(やすきそらかも)」と作中人物は口にしました。「安虚歟毛」も萬葉集ではこの1首のみです。 

 形容詞「安し(やすし)」とは、「心が穏やかだ・のどかだ・平穏だ」と「価が安い」の意があります(『例解古語辞典』) 用いられている漢字「安」は、助字でもあります。疑問反語の意を表します。

 「空・虚(そら)」とは、名詞ならば「大空・天。そら」、「空模様。あたり一帯の雰囲気」、「方向・場所・境遇」や「気持ち」などの意があります(同上)。形容詞としては「何もない からっぽ むなしい」「うわべだけで実がない うそ」「欲がない すなお(例:虚心)」などの意があります。  

 「歟毛」とは、終助詞「かも」であり、体言あるいは体言に準ずる語句に付いているので、ここでは、詠嘆を込めた疑問文をつくっているのではないか。  

 なお、「か」の音の万葉仮名に「歟」字を充てているのは『萬葉集』においては大変珍しい。『国史大辞典』(吉川弘文館)に示されている「実用万葉仮名一覧」では、  

萬葉集』での「か」音には「加 可 賀 香」、「も」音には「毛 聞 母」、『古事記』においては「加 迦 訶」、「母 木」があげられています  漢文では、「歟」字は助字であり、「疑問・反語・詠嘆」の意をもっています。古訓には「いかぞ」「いずくぞ」、「なんぞ」とあるそうです。

 これらから推測すると、「安虚(やすきそら」とは、「のどかな大空」の意で、「歟毛」は疑問であり、「吾念情 安虚歟毛」とは、反語であって、作中人物の、やるすべのない「落胆、無念」を表現しているのではないか。

 なお、阿蘇氏は、歌の最後の句「安虚歟毛」は、「旧訓が「ヤスキソラカモ」であり、「やすからぬかも」と訓む人もいるが、『萬葉集』には「思ふそらやすからなくに」・「なげくそらやすからなくに」はあるが、「やすきそら」の例はない」と指摘し、「そら」とは地上から離れた広い空間で、不安定さや心のよりどころのない状態をいう表現であろう、述べています。 

⑰ 文Gの現代語訳を試みると、次のとおり。

 「赤く照り映えている山に流れている谷川が、絶対逆流しないように、私の今の心のうちがのどかな大空であろうか、そのような状況ではないのだ。」

 文Gは、精神錯乱状態になっていても、恋に執着していることを述べているのではないか。

⑱ このように、この歌は、相聞の部にあって、(「思処女」でも「思娘」でもない)題詞「思娘子作歌」に矛盾することなく、またこの題詞のもとにある反歌とも矛盾がない、悲恋の歌と理解できましたが、大変大袈裟な表現であり、宴席での座興・出し物として披露された創作ではないか、と思います。

 作者が、いわゆる枕詞を連発し、漢文の助字を音仮名として積極的に用いて文を飾っている方針を尊重すれば、「たまたすき」にも作者の時代まで残っていた意味合いを重ねて創作していると思えるところです。

 「珠手次(たまたすき)」は、この歌でも、一巻の2首と同様に、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている、と言えます。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌か・・・」をご覧いただきありがとうございます。

(2020/12/21    上村 朋)

 

付記1.娘子の用例

① 「をとめ」と訓む「娘子」表記に関しては、2020/11/2付けブログ(「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌か 巻四のたまたすき」)で検討した。同ブログの「12.⑥~⑬」と「付記2.」に記す。

 巻一~巻四では、「若い女官」と「遊行女婦」が多く、そのほか、妻、家柄の低い女官、処女、土地の娘であった。

② 巻九で「娘子」表記の例は、題詞から例をひくと、つぎのとおり。「遊行女婦」とみられる題詞もある。

2-1-1742歌 詠上総末珠名娘子一首 并短歌

2-1-1746歌 見河内大橋独去娘子歌一首 并短歌

2-1-1771歌 抜気大首任筑紫時娶豊前娘子紐児作歌三首  

2-1-1780歌 石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首

2-1-1782歌 藤井連遷任上京時娘子贈歌一首

2-1-1805歌 過葦屋処女墓時作歌一首 并短歌

2-1-1811歌 詠勝鹿真間娘子歌一首 并短歌

2-1-1813歌 見菟処女墓歌一首 并短歌

③ 「をとめ」と訓む表記は、『萬葉集』に「娘子」のほか「娘」、「処女」、「未通女」、「𡢳嬬」、「妻〇〇娘子」などがある。

 

付記2.釧(くしろ)の用例

① 「くしろ」と訓む歌が『萬葉集』に5例ある。うち3例が「たまくしろ」。『新編国歌大観』より引用する。

2-1-41歌  幸于伊勢国時留京柿本朝臣人麻呂作歌 (巻一 雑歌 2-1-40歌~2-1-42歌の題詞)

釼著 手節乃埼二 今毛可母 大宮人之 玉藻苅良武

「くしろつく たふしのさきに けふもかも おほみやひとの たまもかるらむ」

(「くしろつく」(腕輪を着ける意)は「手節」の枕詞。「手節乃埼」は、三重県鳥羽市の答志島の岬の名。「著」字の意は「つく・つける・ひっつく」が第一義。「衣服などを体につける」が第二義(『角川新字源』)。歌を記録する際一字一音の万葉仮名ではないを漢字を用いていれば、その漢字の意に留意すべきではないか。釼然り、節、大宮なども然り。)

2-1-1770歌 振田向宿祢退筑紫國時歌一首  (巻第九 相聞の部の1首目の歌)

吾妹兒者 久志呂尓有奈武 左手乃吾奥手尓 纒而去麻師乎

わぎもこは くしろにあらなむ ひだりての わがおくのてに まきていなましを」

(左は右寄り上位のもの。手首あたりに付ける物「くしろ」を奥の手(腕)にすると詠うのは大事にする意。)

2-1-1796歌 検討歌であり、長歌全文は本文に記載。 

・・・ 玉釧 手尓取持而 ・・・

「・・・ たまくしろ てにとりもちて ・・・」

2-1-2877歌  正述心緒  (巻第十二)

玉釼 巻宿妹母 有者許増 夜之長毛 歓有倍吉 

「たまくしろ まきぬるいもも あらばこそ よのながけくも うれしくあるべき」

2-1-3162歌  羇旅発思   (巻第十二)

玉釼 巻寝志妹乎 月毛不経 置而八将越 此山岫

「たまくしろ まきねしいもを つきもへず おきてやこえむ このやまのさき」

② 「くしろ」と訓む万葉仮名は「釼」字が3首、「釧」字が1首(検討対象歌)及び「久志呂」字が1首。

 字体はともかく、各歌で、「くしろ」というものは、「まく」ものというのが3首(2-1-2177歌、2-1-2877歌、2-1-3162歌)、「つく」(衣服などを体につける)が1首であり、「てにもつ」というのはこの4首の場合とは異質である。そして「てにもつ」ところの「くしろ」の漢字も、ほかの4首と異なる。

③ 『國史大辭典』によれば、「くしろ(釧)」は、装身具の一つで、「腕に直接まき、あるいは嵌めて飾りとしたものであり、腕輪(腕飾)と解してよい」としている。「貝輪の類が縄文時代からあ」り、「丸玉連条」のものなど材質が色々ある。

④ 「玉」は美称のようである。2-1-2877歌や2-1-3162歌は、「たまくしろ」が「巻き寝」を修飾している。「てにとる」とは違う状況である。上記③からも、「手尓取持(てにとりもつ)」という行為は、つけるべき位置に「くしろ」を装着していないことを示唆している。2-1-1796歌で、「巻く」と表現していないことに留意してよい。

   「手」の枕詞とみるのには疑念が強い。

      

付記3. 助字「矣」について 

① 2-1-1796歌において、「口不息 吾恋児矣」は、「珠手次 不懸時無」と対句を成す。

② 『角川新字源』によれば、「矣」と句末の助字。その意は、「a断定・決定の意。a限定の意  c疑問反問 d句の中間においたり、他の助字と連用して、詠嘆を表す。」また、「(漢文の)訓読ではよまない」と説明している。

 

付記4.したふ(慕ふ)の用例(抄:2首)  『新編国歌大観』による。

① 2-1-798歌  日本挽歌一首 (巻第五 雑歌 盖聞四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於双林 無免泥洹之苦 故知 ・・・泉門一掩 無由再見 嗚呼哀哉(2-1-797歌~2-1-803歌)

大王能 等保乃朝廷等 斯良農比 筑紫国尓 泣子那須 斯多比枳摩斯提 伊企陀尓母 伊摩陁 夜周米受 年月母 ・・・

「おほきみの とほのみかどと しらぬひ つくしのくにに なくこなす したひきまして いきだにも いまだやすめず としつきも ・・・」(・・・不知火・築紫の国に泣く子のように慕って来られて、息も休めることなく 年月も・・・)

② 2-1-4432歌  陳防人悲別之情歌一首 并短歌  (巻二十 天平勝宝七歳乙未二月相替遣筑紫諸国防人等歌)

・・・之路多倍乃 蘇泥奈伎奴良之 多豆佐波里 和可礼加弖尓等 比伎等騰米 之多比之毛能乎 天皇乃 ・・・

「・・・しろたへの そでなきぬらし たづさはり わかれかてにと ひきとどめ したひしものを おほきみの みことかしこみ・・・」(白妙の袖を泣いて濡らし手を取って別れるのがつらいと引き留めて自分を慕っていたものであるが、大君のご命令を・・・)

 

付記5.「辞緒不延」の別訓について

① 本文では、『新編国歌大観』の訓によったが、この歌の4句目「辞緒不延」は、「不」という万葉仮名を重視すると、別の訓が有り得る。それを試みてみる。

② 「辞」は、「ことば」であり、本文では人の名(を口に出すこと)としたが、ほかに「便り」とか「挨拶」も考えられる。

 なお『萬葉集』では、「辞の表記は2-1-538歌はじめ9首あるが7首が「言」の意である(残りの2首は2-1-4198歌と2-1-751歌)。

③ 『萬葉集』において、「いきのを」と訓む歌が15首ある。

「気乃緒」と表記する歌は4首(2-1-647、2-1-3059、2-1-3269、2-1-3286歌)

「伊吉能乎」と表記する歌は2首(2-1-4149、2-1-4305歌)

「生緒」と「息緒」は各1首(2-1-2798歌と2-1-2363歌) 

「気緒」は7首(2-1-684歌、2-1-1364、2-1-1457、2-1-1511、2-1-2541、2-1-3129、2-1-3208歌)

 助詞「の」が表記されている歌とそうでない歌が半々である。

萬葉集』において、「ことのを」と訓む歌はない。しかし、「気(乃)緒」と同様に「辞緒」を「ことのを」と訓ますことは可能であろう。

④ 「延」が、「のぶ(伸ぶ・延ぶ)」の場合、

 上二段活用であれば、「長くなる・のびる」、「予定よりおくれる」、「のびのびさせる・くつろがせる」の意がり、下二段活用であれば、「長くする・のばす」、「期間を長くする・延長する」、「期日を延ばす」、「のびのびさせる・のんびりする」の意があります。

⑤ 「延」は、「はふ」の場合、「言葉や心を届かせる。思いを寄せる」意(『古典基礎語辞典』)。だから「辞緒不延」は、「文を渡すことも伝言もできない(でいる)」の意となる。

 西本願寺本は、本文に記したように「辞緒不延」を「ことのをのへず」と訓んでいる。

⑥ この歌は、いわゆる枕詞を多用し、漢文での助字を音仮名に多く用い、対句を何組も用いている、という特徴がある。「辞緒」を「言の緒」と理解し、相手との言葉の遣り取りの意とすれば、「不延」は「ながくつづかない」とか「のびのびとならない」という意も可能となります。

 本文にいう文Aの現代語訳を試みると、次のとおり。

「白玉が尊ばれるように美しく大切な人の名は(ああ、よく知っているのだが)、簡単には便りも受け取ってもらえないよ。」

⑦ このように訓んでも、文B以下の理解が変わらない。

 (2020/12/21  付記終わり。 上村 朋)