わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 古今集のたまだすき 

 前回(2021/4/19)、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 たすきがけ」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 古今集のたまだすき」と題して、記します。(上村 朋)

1.~30.承前

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。現在3-4-19歌の初句にある「たまだすき」の理解のため、三代集唯一の用例1-1-1037歌を検討している。この歌は二つの文あるいは三つの文からなる可能性がある。同時代の「たまだすき」の用例が少ないので、「たすき」の用例も検討してきた。

 なお、『萬葉集』では「たまたすき」と訓み、巻十三の用例では、「袖の動きを制止する紐」の意になっている。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも 

1-1-1037歌  題しらず       よみ人しらず

     ことならば思はずとやはいひはてぬなぞ世中のたまだすきなる

 また、歌は、『新編国歌大観』より引用する。

31.絵巻にみる「たすき」

① 前回ブログ(2021/4/19付け)で、10世紀初め~11世紀初め頃に成立した物語などにあるいくつかの「たすき」の用例を検討しました。

 そして、当時「たすき」は歌語ではなく、日常的には、衣服着用の際の紐状の補助具(あるいはその補助具の役割をも担った使い方をしている衣服の一部)を指す用語であり、またそれを使用した際に紐がつくる十字の形の意の名詞でもあった、と確認したところです。

 14世紀での用例(『徒然草』)でも同じであったので、その間の12世紀の「たすき」の用例をやむを得ず絵巻物に求めると、5例ほどありました。

 『日本絵巻大成』(中央公論社)の7巻と8巻にあります。両巻記載の絵巻は、12世紀後半の作品といわれています。

② 第一に『餓鬼草紙』です。(『日本絵巻大成 7 餓鬼草紙地獄草紙病草紙九相詩絵巻』(小松茂美編 中央公論社1977)22p)

 餓鬼が水を求めている場面で、阿弥陀三尊像を描いた塔婆の元に水を注いでいる右側の男が、袖をまくっており、背中で両袖を結んでいるかにみえます。何で結んでいるかはわかりません。

 第二に『餓鬼草紙』に、もう一つあります。(『同 7 』(35p)

 餓鬼に満腹感を与えるという儀式の場面で、床几に腰かけている導師である老僧の右横に描かれている食物を盛った器を持つ寺男二人が、袖をまくって何かで背中で結んでいるかにみえます。

 第三に『病草紙』です。(『同 7 』(85p)

 「霍乱(かくらん)の女」の場面で、すり鉢をつかう女が、両袖を背中で結んでいます。これも何で結んでいるかはわかりません。「霍乱」とは急性胃腸炎だそうです。

 第四に『年中行事絵巻』です。(『同 8 年中行事絵巻』(17p上段の図)

 明神の祠の前の広場における闘鶏の場面で、闘っている鶏に一番近い位置で中央下端にしゃがんでいる青い衣服の庶民とみえる男の背中に、十字が見えます。

 第五に『年中行事絵巻』にもう一つの場面があります。(『同 8 』(19p)

蹴鞠の場面で、赤い服を着た桜木の下で腰をかがめながら蹴鞠のほうを見上げている官人が、背中で十字に紐をかけています。

 蹴鞠をしている人物ではこの人物だけ十字の紐を用いています。蹴鞠の初心者なのでしょうか。

③ 『日本絵巻大成 7及び8 』の絵巻には、児が袴に襷という姿はありませんでした。

 蹴鞠の官人をはじめ、この5例は、上記①で定義した「たすき」を使用している、と思います。

 この定義では十字の形は付随するもの、という位置付けですが、14世紀の『徒然草』まで、「たすき」は十字の形をつくるものでもある、という認識が続いている、と判断できます。

④ また、服飾の文様に、襷文というのが平安時代にあります。『王朝文学文化歴史事典』(小町谷照彦・倉田実編著 笠間書院2011/11)によれば、「斜めの線を交叉させたもの」が襷文です。竹岡氏の指摘する延喜五年の資材帳でも服装の説明に「たすき形」とあり、10世紀以降は、日常目にするものに「たすき」とか「たすき形」があったと言えます。

 

32.末摘花への源氏の思い 

① 三代集の時代に成立した『源氏物語』にある「たまだすき」に関する宿題を検討します。

 前々回のブログ(2021/4/12付け)で、「たまだすき」の意は、1-1-1037歌でのそれと共通点のあることを指摘しましたが、それがどのような行為・事態を指すのかは不明のままの現代語訳(試案)で終わっていました。

② 「たすき」の意が、上記「31.①」のように定まり、前回のブログ(2021/4/19付け)では、

 第一 「たすき」と称する紐自体、あるいは紐が並行ではなく交差しているという形に注目した表現

 第二 「たすき」と称する紐の機能から、紐とそれを使う対象物との関係を重視し、動きを押さえている(あるいは強制的に物を整えている)状況に注目した表現

が生じていた、と指摘しました。

 「たま」が美称であるので、「たまだすき」については、つぎのような有力なイメージが浮かびます。

 第一からは、

 紐が十字の形に結ばれていれば、一体感のイメージ、

 そうでなければ、感情の行き違いなどのイメージ

 第二からは、対象物の動きを押えているのですから、

 「たすき」が強制しているイメージ

 対象物が自由を制限されているイメージ 

 源氏は、このどれかのイメージを持って「たまだすき苦し」と、相手(末摘花)に言ったのです。

③ 『源氏物語』での用例部分を、『新編日本古典文学全集20』より引用します。

「・・・ゐざり寄りたまへるけはひしのびやかに、えひの香いとなつかしう薫り出でて、・・・いとよくのたまひつづくれど、まして近い御答(いら)へは絶えてなし。わりなのわざやとうち嘆きたまふ。

「いくそたび君がしじまに負けぬらんものな言ひそといはぬたのみに

のたまひも棄ててよかし。玉だすき苦し。」とのたまふ。・・・」

 

④ 当時の一般的な恋愛作法を前提に源氏の心の動きを確認しつつ、現代語訳も試みたところです(2021/4/12付けブログ「29.⑦参照)。

 まず、歌の直後なので、「のたまひ」とは、歌にいう「ものないひそ」という(姫君が発したと歌で位置付けた)語句を指しているはずです。

 歌にある「ものないひそ」という語句は、「室内に招じ入れられ、障子を隔てるだけの関係になってから、これ以上のアプローチをするな、時期を待て、と言われた」、ということもこの時点では意味することになります。

 「のたまひも棄ててよかし」とは、源氏にとり、何がさし障りなのかわからないまま無理やり自重させられ、問いかけもできないという不自由さだけでも、止めてください。声を聞かせてください。」という姫君への嘆願です。あるいは、「のたまひ」を、「声にだしての返歌」と採り、「わざわざ歌をお聞かせ頂かなくとも、構いません(つまり、だまって障子を取り除いていただいても)。」という申し入れと理解されてもよい、と源氏は考えています。

⑤ 現代語訳(試案)は次のようなものでした。(同ブログ「29.⑫参照」)

「こちらにいざりよって来られる姫君の気配は、物静かであり・・・(しかし文の時とおなじく、語りかけても返事は無く)これは道理に合わない(これまでの経験と違いすぎている)と、ため息をおつきになりました。そして歌をくちずさみました。

 「いくそたび・・・(いったい何度あなたの沈黙にわたしは負けたことでしょう。あなたがものを言うなとおっしゃらないのを頼みにしてお訴え申してきたのですが)」

「あなたの「のたまひ」は、もう不用なもの、とお考えにはなりませんか。お願いします。(しばし無言の後)「玉だすき苦し」、という状況です」

とおっしゃいました。・・・」

⑥ 「たまだすき」という語句は、当時の教養の一つである『古今和歌集』歌(1-1-1037歌)を相手の末摘花も承知している前提の発言ではないか。日常の用語を用い「たすき苦しも」でも意が通じるかもしれないところですが、1-1-1037歌を引用したほうが確実に伝わると考えたのでしょう。

⑦ 源氏の発言にある「たまだすき苦し」とは、また、相手の末花が無言を決め込んでいるのが、「私にとりたすきになっている」、の意を込めていると理解できます。

 そのたすきは、上記②の「対象物が自由を制限されているイメージ」の「たすき」となっており、歌の直後の言葉「のたまひも棄ててよかし」と平仄があいます。

 末摘花との会話が成り立っていないのを「わりなのわざ」と源氏は既に嘆いており、この現状を打破すべく、詠いかつ発言している場面と理解してよい、と思います(現に、次の源氏の行動は、相手からみて思いもよらないものでした。

 このため、上記④の現代語訳試案には、諸氏の言うように1-1-1037歌を踏まえた発言であるとして、作者(紫式部)の言葉を、()で付け加えたい、と思います。

 「・・・ あなたの「のたまひ」は、もう不用なもの、とお考えにはなりませんか。お願いします。(しばし無言の後)「玉だすき苦し」、という状況です」(このように、古今集の、あのよみ人しらずの歌に触れて、源氏はh為し続けたのです。)」

 

33.『古今和歌集』誹諧歌(ひかいか)の部のたまだすき その1

① 次に、源氏が念頭においていたと思われる歌を、検討します。

1-1-1037歌  題しらず       よみ人しらず

   ことならば思はずとやはいひはてぬなぞ世中のたまだすきなる

 この歌は、初句「ことならば」の意が、連語のほかに「事成らば」や「異ならば」の可能性が二句以下から生じ得るとして保留して(ブログ2021/3/29付け)きました(付記1.参照)。

 五句にある「たまだすき」については、源氏の「たまだすき」に抱いた思いと同じとすれば、源氏の用いた意(「対象物が自由を制限されているイメージ」)が、第一候補になります。

 第二候補は、大方の諸氏がいう「たすき形」からくる「感情の行き違いなどのイメージ」です。

② この歌は、『古今和歌集』巻十九にある「誹諧歌(ひかいか)」の部にある歌です。「誹諧歌」とは、「部立ての誹諧歌A」(付記2.参照)の意であり、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある」歌です。詠う論理が常識的ではなく、語句も歌語らしからぬものも用いている可能性が高い歌といえます。

 また、誹諧歌(ひかいか)」の部の歌の配列からは、前後の歌も男女の仲に問題が生じている段階の歌ということがわかります。しかし、題しらず・よみ人しらずの歌であり、作詠時点の情報が特にありません。

 そして、初句「ことならば」の『古今和歌集』での用例4首の比較から、前段で作中人物が第三者にお願いするのは同じでも、後段で、それが否定されたらと条件を明記せず、作中人物が思いを述べているのがこの歌だけでした。これは、詠う論理が独特である可能性があります。

③ また、口語調の歌ならば、「特別に凝縮した表現がある」可能性もあり、この歌が二つの文のほか三つの文からなる可能性も指摘してきました。

三句が独り言として独立すれば、三つの文からこの歌は構成されています。二句「思はずとやは」の「やは」の理解が異なります。

 この歌が二つの文より成る場合、それを文A+文Bで表し

 文A ことならば思はずとやはいひはてぬ (「やは」は係助詞が重なる連語。)

 文B なぞ世中のたまだすきなる

とします(以下文AB案といいます)。

 三つの文より成る場合、それを文C+文D+文Bで表し

 文C ことならば思はずとやは (「やは」は終助詞が重なる連語。)

 文D いひはてぬ  (「ぬ」は、完了の助動詞の終止形。)

 文B なぞ世中のたまだすきなる

とします(以下文CDB案といいます)。

 これまで、初句「ことならば」の意が、二句以下の理解により定まる、として検討をすすめてきました。「たまだすき」の語句を含む、文Bから検討し、順次初句に戻ることとします。

④ 「たまだすき」について、源氏の用いた意(「対象物が自由を制限されているイメージ」)である第一候補から検討します。「たすき」には歌だから美称の「たま」を冠したと割り切りました。

 この歌は、恋の歌であって、作中人物の思いが叶っていないと理解できる文のあとにあるので、「世中」の意も多々ありますが、次のような理解が有力です。

 第一 相手が応じてくれないのは、相手が世間の強いしがらみの中にいる、と作中人物が推測したと仮定した場合、

「どうして「世間・世間の評判」が「たすき」となるのか(そのようなことはないでしょうに)」 

「なぞ」は反語の副詞、「たまだすき」の語句直前の助詞「の」は主格の助詞「の」です。

 第二 自分を中心に考えると、相手の言葉がつぎの自分の行動を押さえている、と推測したと仮定した場合、

「どうして男女の仲の「たすき」となるのか(そのようなことはなにもないはずですよ)」

 これは、「なぞ」を反語の副詞、助詞「の」は連体格の助詞「の」です。自分中心ですから悲観と楽観の2案があるでしょう。

⑤ 次に、「たまだすき」の第二候補(たすきの十字の形から、感情の行き違いなどのイメージ)では、二人の思いが掛けちがっている、という認識となるので、

 第三 思いが叶っていないと感じているのは、自分も相手も同じ(はずだから悩みも同じで)、と仮定した場合、

 「どうして世間でいう「たすき」の十字みたいに(私たちは)すれちがっているのでしょう(或いは、ちがったのでしょう)。」

「なぞ」は、疑問の副詞、助詞「の」は連体格の助詞「の」です。作中人物は嘆息しています。

 第四 自分の思いだけが叶わないのだ(嫌われてしまった)、と作者は悟った、と仮定した場合、

 「どうして(いつから)男女の仲であった私たちは、かけちがうたすきのような関係になったのでしょう」

「なぞ」は、疑問の副詞、助詞「の」は主格の助詞「の」です。作中人物は嘆息しています。

⑥ 諸氏の文Bの現代語訳例を引用します。

  竹岡氏:「なんだい、世の中の、たすきのさまでこんなに行き違ってばかりいるなんて!」

  久曽神氏:「どうしてこの世の中というものは、襷のようにかけちがってばかりいるのであろうか」

 『例解古語辞典』:「どうして二人の仲は、たすきのようにひっかかっているのでしょうか」(立項している「たまだすき(玉襷)」を、「紐や線を斜めに交えることの意である「たすき」の美称」と説明した際の、用例)

 この3例は、第二候補のたまだすきの理解だと思います。

⑦ この歌が、文Bだけで、「部立ての誹諧歌A」の歌となっているかを確認します。

 恋の歌で、世間の評判を相手が気にかけても、気にすることはないではないか、と相手に迫るのは当時の恋の歌では常套手段です。

 しかし、慣用句ともみられる「世中のたまだすきなる」をはっきり持ち出し詠うのは直截に過ぎ、型破りです。これに対して気持ちや行動のすれちがい・掛け違いを嘆くのは常識的であり、か弱さで相手の気を引くのは恋の歌として消極的でかつありふれた詠い方です。

 また、語句をみると、日常の用語である「たすき」に美称の「たま」を用いて詠うのは異例です。慣用句であればそのまま引用せざるを得ませんが、気持ち・感情の比喩はほかの語句でも表現できたはずです。

 このように、文Bの部分だけから判断すると、上記の第三と第四より、第一と第二が「部立ての誹諧歌A」の歌にふさわしい。そして、「たすき」は『萬葉集』での「たまたすき」、三代集での「ゆふだすき」など動詞「かく」に冠するのが主流となっているのに、この歌ではそれに従っていません。

 このため、『古今和歌集』の編纂者にとり、この歌は、「恋の部」には配列しにくい歌であった、と思います。

 「末摘花」での源氏が、1-1-1037歌の「たまだすき」の意で発言したのであれば、上記の第二が源氏の気持ちに最もあうものです。

⑧ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、文AB案の文A、文CDB案の文Cと文Dとあわせて、文Bを検討したい、と思います。

(2021/4/26   上村 朋)

付記1.古今集歌1-1-1037歌の検討経緯

① 3-4-19歌にある「たまだすき」の用例として検討してきている歌が1-1-1037歌である。また、同歌の類似歌2-1-3005歌の「たまたすき」の意の確認でもある。

② 1-1-1037歌は2021/3/29付けブログから検討を始めた。1-1-1037歌の初句「ことならば」の古今集での用例4首の検討から始めた。

③ 五句にある「たまだすき」については、三代集の歌にはこの1-1-1037歌の用例しかないので「たすき」の用例をも検討し(2021/4/5付け&2021/4/12付けブログ)、源氏物語における地の文の「たまだすき(苦し)」も検討(2021/4/19付けブログ)と本文31.)してきた。

④ 歌に引用文がある可能性を指摘した。

相手の発言:「ことならば思はず」、あるいは(「ことならば」と仮定ならば)「思はず」 (2021/3/29付けブログ「25.⑪」)

世の慣用句」:「世の中のたまだすき」 (2021/4/5付けブログ「26.⑧」)

⑤ この歌は、『古今和歌集』巻十九雑体 の誹諧歌(ひかいか)の部にある歌であり、私のいう「部立ての誹諧歌A」の歌である。

 

付記2.古今集巻十九にある部立て「誹諧歌(ひかいか)」の検討

① 『猿丸集』第46歌の類似歌(1-1-1052歌)を検討する際、『古今和歌集』の部立て「誹諧歌」を検討した。5回のブログ(2019/5/27付け~2019/7/1付け)に記載している。 

② 検討結果は次のとおり。

第一 『古今和歌集』は、当時の歌人が推薦してきた古歌及び歌人自選の和歌に関する秀歌集である。

第二 秀歌を漏らさないために最後の部立となっているのが誹諧歌という部立である。だから、「誹諧歌」とは、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある、和歌の秀歌であり、他の部立に馴染まない和歌(より厳密にいえば、短歌)を配列する部立の名」である。(このように理解した部立の名を、以後「部立の誹諧歌A」ということする。)

第三 巻第十九にある誹諧歌という部立は、「ひかいか」と読む。誹とは「そしる」意、諧とは「あふ、かなふ、やはらぐ、たぐふ、たひらにする、たはむれ・じやうだん」など多義の字(『大漢和辞典』(諸橋徹次))である。

第四 「部立の誹諧歌A」に配列されている短歌は、「心におもふこと」のうちの「怒」や「独自性の強い喜怒哀楽」であり、一般的な詠い方の歌の理解からみれば、極端なものの捉え方などから滑稽ともみられる歌となりやすい傾向がある。

第五 「部立の誹諧歌A」に配列されている短歌の用語は、雅語に拘らず、俗語や擬声語などを含む傾向、及び『古今和歌集』のなかで誹諧歌の部の歌と題材を共通にした歌のある傾向がある。また、恋の歌はその進捗順の可能性が高い。

第六 「誹諧歌」の部に配列されている歌には寛平御時きさいの宮歌合で詠まれた歌(1-1-20歌と1-1-1031歌)や大堰川御幸和歌会で詠んだ歌(1-1-1067歌)も配列されている。これらの歌は、文学としての型をとっており「雅」の世界に属する歌である(竹岡氏)。これらの歌を「誹諧歌」として容認するのが「部立ての誹諧歌A」という定義である。

③ また、久曾神氏は、誹諧(はいかい)歌と読み、「誹諧は古くは俳諧と同じで滑稽の意。この種の歌は他にもすくなからず混存在している」と指摘している。「他にも」とは、「ほかの部立てにも」、の意と理解できる。このように、この「誹諧歌」の部立てと四季や雑歌という部立ての仕分けの理由が「滑稽」だけでは理路整然とならない。

④ なお、「誹諧歌」の部に配列されている全ての歌は、改めて検討することとする。

(付記終わり  2021/4/26    上村 朋)