わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 「の」も同音意義語 

 前回(2021/3/29)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 ことならば」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 「の」も同音意義語」と題して、記します。(上村 朋)

1.~25.経緯

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。3-4-18歌までは、「恋の歌」であることを確認し、3-4-19歌の初句にある「たまだすき」の理解のため、『萬葉集』の用例に続き、三代集で唯一の用例1-1-1037歌を検討中である。この歌は二つの文あるいは三つの文からなる可能性があり、同音意義の語句の確認も要することがわかった。

 なお、『萬葉集』では「たまたすき」と訓み、巻十三の用例では、「たまたすき」は「袖の動きを制止する紐」の意になっている。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

       たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

1-1-1037歌  題しらず       よみ人しらず

        ことならば思はずとやはいひはてぬなぞ世中のたまだすきなる

 また、歌は、『新編国歌大観』より引用する。

 

26.三代集のたまたすきその2

① 1-1-1037歌は、『古今和歌集』巻十九雑体 の誹諧歌(ひかいか)の部にあります。この部の意義を私は「部立ての誹諧歌A」であると思っています(付記1.参照)。

 この歌は、「部立ての誹諧歌A」にある歌なので、二つの文あるいは三つの文からなる可能性がある、と前回推測しました。歌の三句が、初句~二句とともに一文となるのか、三句が独立した文なのかの違いです。整理して表に示すと、次のとおり。

表 1-1-1037歌の構成の推測(2案)

(案)

第一の文

第二の文

第三の文

注記

二つの文

ことならば思はずとやはいひはてぬ (文A)

 

なぞ世中のたまだすきなる (文B)

「やは」は係助詞が重なる連語。

久曾神氏や竹岡氏が理解する歌となる。

三つの文

ことならば思はずとやは(文C)

いひはてぬ (文D)

なぞ世中のたまだすきなる (文B)

「やは」は終助詞が重なる連語。

現代語訳例

(二つの文)*1

同じことなら 「思はず」と貴方は言いきれ(a)

 

非aに言及が無い。aの状況が「世の中は玉だすき」の一例(久曾神)・「たすきの使い方」と同じ(竹岡)

なぞ・・・なる:反語

上位の分類である範疇(世中)でも「玉だすきか」と作者が嘆く(久曾神)・一般社会での「玉だすき」と同じように扱われては作者が困る(竹岡)

現代語訳予想

(三つの文)*2

作中人物が文C1か文C2のように恋の相手の発言を聞き(又は推理し)*3

作中人物が唖然として文Dをつぶやき、

作中人物が文Bの思いに至る

口語調で勢いに任せて詠った(又は推理した)とみる

注1)歌番号等:『新編国歌大観』の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)注記*1 前回ブログ(2021/3/29付け)に引用した久曾神氏と竹岡氏の現代語訳を上村が整理したもので、前回ブログ記載の「25.⑨の表」をもとに作成。

注3)注記*2 前回ブログ(2021/3/29付け)の「25.⑪」をもとに作成。

注4)注記*3 文C1:ことならば「思はず」とやは (「やは」は終助詞の連語)

        文C2:「ことならば思はず」とやは (「やは」は終助詞の連語)

② 1-1-1037歌を、二つの文(表の文A+文B)からなる歌を基本に、初句から順に検討をすすめます。必要に応じて三つの文(表の文C+文D+文B)からなる歌のケースに触れることとします。

 初句「ことならば」は、二つの文からなる歌の場合は連語と理解されていますが、少なくとも三つの文からなる歌の場合はそうとも限らないので、前回、以下の句から振り返って検討を要するということになり、保留しています。

③ 二句と三句「思はずとやはいひはてぬ」を、検討します。

 「思はず」の「ず」は、打消しの助動詞「ず」の連用形または終止形です。

 「と」には、ここでは、一文相当の語句につく格助詞「と」、または、助動詞「ず」の終止形についた接続助詞「と」が予想できます。

 「やは」には、係助詞が重なる連語(係助詞「や」+係助詞「は」(「や」の意を強める)と終助詞が重なる連語(終助詞「や」+終助詞「は」(感動・詠嘆の気持ち))が、あります。

 文Aでは、係助詞が重なる連語が第一候補となりますので、疑問・反語の助詞「や」に対応して三句の「いいはてぬ」の「ぬ」は連体形ですので打消しの助動詞「ず」となります(係り結び)。(三つの文からなる歌であれば、三句で一文ですから、完了の助動詞「ぬ」の終止形、となります。)

④ 文Aにおいて、人の行為が3種類ありますが、その行為の主体を直接示す表記がありません。

 最後の行為「いいはてぬ」における補助動詞「はつ」に、「言ふ」ことの評価があるので、その評価者は作中人物と推測できます。そして、「言ふ」人物は、二つ目の行為「思はず」の主語となる人物であり、(誹諧歌の部の配列から推測すると)作中人物の恋の相手です。

 最初の行為「ことならば」は、連語であろうとなかろうと、動詞の未然形につく助詞「ば」によって、「思はず」と発言する(あるいは予測する)前提条件であることに変わりありません。その仮定をした人物を推測すると、「と」が一文相当の語句につく格助詞であれば、「と」の前にある語句すべてに、引用文の資格があるので、2案あります。

 即ち、次の文の「」部分が引用文です。

 引用文第1案:「ことならば思はず」とやは(いひはてぬ):引用文すべては作中人物の恋の相手が発言者。

 引用文第2案:ことならば、「思はず」とやは(いひはてぬ):「ことならば」は作中人物が推理などしている。この場合作中人物自身中心の推理か、相手中心の推理かは不明です。

 「と」が接続助詞であれば、引用文第2案に同じです。

⑤ 改めて、「と」を重視して二つの文からなる歌の文Aの現代語訳を試みると、次のとおり。(「ことならば」は保留中です。)

 引用文第1案:「「ことならば」という状況であるならば、(貴方を)思はず」と、あの人は言い切らないだろうか、いや言い切ってほしい。」  

 引用文第2案その1:「ことならば」という状況であるとあの人が思っているとしたら、あの人は「(私を)思はず」と、言い切らないだろうか、いや言い切ってほしい。」 

 引用文第2案その2:「ことならば」と私が推測する状況であれば(そう仮定できるならば)、あの人は「(私を)思はず」と、言い切らないだろうか、いや言い切ってほしい。」

 どの案でも、論理的に可能であり、「部立ての誹諧歌A」にある歌としても可能性があり、一案に直ちに絞れません。1-1-1037歌は男女の仲が順調に推移しているとは思えない状況の歌といえます。保留している「ことならば」の意からこの3案が生じているわけではありません。

 また、久曽神氏と竹岡氏の理解は、「引用文第2案その2」でした。(上の表の「現代語訳例(二つの文)」欄参照)

⑥ 三つの文からなる歌と理解した場合、文A相当が二つの文(文C+文D)となります。

 上記の引用文第1案相当:「「ことならば」という状況であれば、「(貴方を)思はず」」とあなたが言うとは。そう、言い切ったのだ。」  (文Cは文C2となる)

 上記の引用文第2案その1相当:「ことならば」という状況であるとあの人が思っているとしたら、あの人が「(私を)思はず」と言うとは。そう、言い切ったのだ。」   (文Cは文C1となる)

 上記の引用文第2案その2相当:「ことならば」と私が推測する状況であれば(そう仮定できるならば)、あの人が「(私を)思はず」と言うとは。そう、言い切ったのだ。」  (文Cは文C1となる)

 これらの理解には、「ことならば」の意によっては無理が生じる場合があるでしょう。

⑦ 次に、二つの文からなる歌における文Bを検討します。

 「なぞ」という作中人物の問いかけで始まっています。「なぞ」は、連語であって不明の事物や不明の事態の理由を問うときの語句、または副詞であって疑問または反語を表します。

 文Bにおける「世中」と「たまだすき」は、格助詞「の」で結ばれています。

連体格の助詞「の」であれば、「世中」なる語句は、「たまだすき」という体言の意味・内容を限定しています。

 同格の助詞「の」であれば、「世中」なる語句は、「たまだすき」の言い換えであることになります。

 主格の助詞「の」であれば、後続の述語(ここでは「たまだすきなる」)にかかり、その動作・作用・、性質・状態などの主体であることになります。

 助詞「の」には、そのほかに、連用修飾語や接続語をつくる助詞に通じる特殊な用法もあります。

⑧ 現代語訳の例とした久曾神氏訳は、文Bを「どうしてこの世の中というものは、襷のようにかけちがってばかりいるのであろうか」となっています。 「世中」の常態は、「襷のようにかけちがってばかりいる」との論理で理解しており、「の」は、同格の助詞「の」と思えます。 

 この場合、作中人物の恋の進捗も、同一視しているかにみえますので、「世中のたまだすき」とは引用文である可能性があります。   

 この引用文のいわんとすることは、世間の人々(少なくとも男女の仲の進捗に気をもむ人々)の共通の思いであり、今に始まったことではありません。だから、それをさす言葉として「世中のたまだすき」という慣用句があったのではないか、という推測です。

 文Aでも文Bでも引用文を用いているとすれば、それは「部立ての誹諧歌A」の要素の一つとみなせます。  

⑨ また、竹岡氏は、「たまだすき」という語句を検討し、歌語ではなく俗語の「たすき」の意に美称の「たま」をつけた語句である、と認めています。

 俗語の「たすき」とは、「(現在の)たすき掛けでできる十字に交差する形」を言う語句とし、「たすきは方違いにかけるところから、行きちがいになる意」に賛同しています。ここでは、「自分の思うことと相手がそれに応じてくれる態度とが、行きちがっているのを言っている」と指摘しています。そして、『古今和歌集』の誹諧歌であることから、文Bを

「なんだい、世の中の、たすきのさまでこんなに行き違ってばかりいるなんて」

と訳しています。

「世の中によくあることだが、「たすきを使ったときの形」のように」の意であり、「世中」を「たまだすき」の修飾語とみているようです。歌語ではない、ということを示している「の」であり、連体格の助詞「の」と思えます。 

 連体格の助詞「の」の場合、「たまだすき」と呼ぶものにいくつか種類があり、「歌語のたまだすき 」(当時、歌語であれば、『萬葉集』以来の「たまたすき」と推測できる)のほかに少なくとも「別の意のたまだすき」があるという認識である、ということになります。この歌の作中人物及び作者が、「たまだすき」の区別をするのに「世中のたまだすき」という用語を撰んでいることになります。  

⑩ このように、「別の意のたまだすき」が竹岡氏の指摘するような俗語の「たすき」の意であれば、単に「たすき」の3文字に美称の「たま」をつけさらに「世中の」を加えて『世中のたまだすき」と(31文字中の)10文字も費やして歌に用いていることになります。この歌が「部立ての誹諧歌A」にある理由のひとつにも数えられますが、 「たすき掛け」という5文字の表現も違和感がないところです。

 ただ、竹岡氏は、「世の中」を「たまだすきと悪く言っている」ところに(氏の定義による)誹諧(付記2.参照)を認めています。これからは、連体格の助詞「の」のほか同格の助詞「の」あるいは主格の「の」を重ねて理解している、と思えます。

 また、五句「たまだすきなる」の「なる」は、体言に付いており断定の助動詞「なり」の連体形です。「なり」の意は、「状態・性質・資格がどうであるかについて、はっきりした判断を下す」意と、「ある事物と他の事物とが、同一であることを認定する」意があり、助詞「の」の意を限定できません。

⑪ 「世中」という語句は、いろいろの意があります。すなわち、世間・社会、この世、国家・天皇の治世、世間なみであること・世の常、男女間の情、身の運命・人生、(よのなかの・よのなかにの形で)あとに続く語の意を強める・この上ない、などの意で用いられています。

 「世」の一字の語句も、(仏教思想で)過去・現在・未来の三世特に現世、時代・時世、世の中・世間、人の一生・運命などのほかに男女の仲・よのなかの意で用いられている語句です。「世の・・・」とか「世を・・・」などという連語が古語辞典に多数立項されています。

 ここでは、「世中のたまだすき」という語句なので、助詞「の」の役割により「世中」の意は限定されます。

 例えば、連体格の助詞「の」であれば、「たまだすき」の言い換えが「世中」ですので、「世の常・男女の情・身の運命」などが候補になるでしょう。また、「世中の」の意があとに続く語を強調するのみという意も、この歌では候補になるでしょう。いづれにしても「たまだすき」の意が明確にならなければなりません。

⑫ 次に、「たまだすき」を検討します。

 竹岡氏の指摘する「たすき」と「たまだすき」は上記⑨と⑩で紹介しました。『古今和歌集』の撰者の時代、神事に用いる際の「たすき」の用とは別の用途の「たすき」の利用があり、「たすき」は方違いにかけるところから、行きちがいになる意に用いられていたことになります。

 美称の「たま」をつけた場合「たすき」が「だすき」と1-1-1037歌ではなっています。

⑬ しかしながら、 『萬葉集』では、「たまたすき」という場合の「たすき」の「た」の万葉仮名は、「手・田」であり、清音です。そして、「たまたすき かけぬときなく(かけず・・)の用例が多くありました。「たすき」と称する紐を身に「かく」という行為に注目している表現です。竹岡氏が指摘するような、たすきを「掛けた状態」における形状に注目した表現ではありませんでした。 

 たすきをかけたときのその紐に注目した歌は、『萬葉集』における「たまたすき」の用例にはないものであり、『古今和歌集』の歌における「たまだすき」と『萬葉集』の歌における「たまたすき」とは、イメージが異なるように思います。

 この検討では、『古今和歌集』成立時どのように「たまたすき」という仮名文字が発音されたかの検討は省いて検討しています。

 『新編国歌大観』記載の歌により検討しているのですが、「たまだすき」と詠う歌は『古今和歌集』においては1-1-1037歌一首です。「部立ての誹諧歌A」の歌であるので、『萬葉集』の歌における「たまたすき」とイメージが異なることを強調して、「たすき」を濁音化した「たまだすき」と言う表現を『古今和歌集』の編纂者はしているのかもしれません。  

⑭ また、「たすき」は神事において掛けるもの(という萬葉集以来の理解を推し進めて、)だから必要な時にのみ用いるものなのであるから、1-1-1037歌では「なぞ」により反語となり、必要でなくなった意を持つ、という理解も「部立ての誹諧歌A」の歌だからこそ有り得るかもしれません。 

 いづれにしても、三代集の時代の「たまだすき」の用例が、1-1-1037歌の1首だけでは心細いので、三代集の時代に活躍した歌人の私家集や、その頃成立の物語での用例をもみて、作中人物が思い描いている「たまだすき」という語句のイメージを検討してみます。

 

27.三代集成立ころのたまだすきの用例その1

① 三代集成立ころまでの用例を、『新編国歌大観』の第三巻所載の私家集の歌集番号1~80の歌で探すと、句頭に「たすき」、「たまたすき」あるいは「たまだすき」とある歌はなく、「ゆふだすき」の用例のみ『貫之集』の5首を含めて7首ありました(付記3.参照)。

 その「ゆふだすき」の意は、6首が「神事に用いる紐」であり、「かく」の枕詞として用いられ、1首が神事の略称でした。

② 三代集成立ころまでの『新編国歌大観』の「第五巻 歌合・歌学書・物語・日記等収録歌編」の「物語」で探すと、句頭に「たすき」あるいは「たまたすき」あるいは「たまだすき」とある歌はなく、「ゆふだすき」の用例のみ4首ありました(付記4.参照)。

 その「ゆふだすき」の意は、神事の際の「たすき」の紐で「かく」の枕詞であり、「心に掛けて・神に約束して」の意を含んでいました。

③ しかし、「ゆふだすき」の用例である『好忠集』にある3-58-38歌や『平中物語』にある5-417-118歌では、枕詞の役割が強く、「ゆふだすき」を『萬葉集』にある「たまたすき」に置き換えられると思えます。

 にもかかわらず、三代集の時代には、『萬葉集』で用いられていた「たまたすき」は歌から消え、「かく」の枕詞に「ゆふだすき」が定着しています。  

 古語辞典では、主要な枕詞として「玉襷」をあげ、「かく」と「うね」にかかる、としていますが、三代集の時代には、「かく」の枕詞の役割を「ゆふだすき」が担っています。

 そのため、三代集の時代、美称の「たま」をつけた「たすき」は、「たまだすき」と発音されて新たな意を盛り込んで用いることが、「部立の誹諧歌A」に配列されていなくとも可能であった、ともいえます。

 「たまたすき」と言う語句とは異なる「たまだすき」は別の役割を担える語句となっています。

④ さらに、三代集成立ころまでの物語における地の文において、「たまだすき」とか「たすき」の用例がありましたので、次回、確認したいと思います。

 ブロブ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただき、ありがとうございます。

 (2021/4/5   上村 朋)

付記1.『古今和歌集』巻十九雑体 の誹諧歌について 

① 「誹諧歌」とは「ひかいか」と読む。前回のブログに引用した(「25.①)ように、『古今和歌集』巻十九雑体 の誹諧歌を、私は「部立ての誹諧歌A」ではないか、と理解して検討をしている。

② 『古今和歌集』とは、

第一 『古今和歌集』は、当時の歌人が推薦してきた古歌及び歌人自選の和歌に関する秀歌集である。 

第二 秀歌を漏らさないために最後の部立となっているのが誹諧歌という部立である。だから、「誹諧歌」とは、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある、和歌の秀歌であり、他の部立に馴染まない和歌(より厳密にいえば、短歌)を配列する部立の名」である。(このように理解した部立の名を、以後「部立の誹諧歌A」ということする。)

③ そのため、つぎのような点を指摘できる。

第三 巻第十九にある誹諧歌という部立は、「ひかいか」と読む。誹とは「そしる」意、諧とは「あふ、かなふ、やはらぐ、たぐふ、たひらにする、たはむれ・じやうだん」など多義の字(『大漢和辞典』(諸橋徹次))である。 

第四 「部立の誹諧歌A」に配列されている短歌は、「心におもふこと」のうちの「怒」や「独自性の強い喜怒哀楽」であり、一般的な詠い方の歌の理解からみれば、極端なものの捉え方などから滑稽ともみられる歌となりやすい傾向がある。  

第五 「部立の誹諧歌A」に配列されている短歌の用語は、雅語に拘らず、俗語や擬声語などを含む傾向、及び『古今和歌集』のなかで誹諧歌の部の歌と題材を共通にした歌のある傾向がある。また、恋の歌はその進捗順の可能性が高い。    

④ 検討経緯は、『猿丸集』第46歌の類似歌(1-1-1052歌)を検討する際の、5回のブログ(2019/5/27付け~2019/7/1付け)に記載している。

付記2.竹岡正夫氏の誹諧の定義

①『古今和歌集古今和歌集全評釈(下)』(右文書院1981/2 補丁))で、次のように言う。

②「誹諧」(ひかい)とは、おどけて悪口を言ったり、又は大衆受けするような卑俗な言辞を用いたりする意。「滑稽」などを旨とする「雑戯」の類と同じではない。

③ 誹諧歌の部には、そのような「誹諧」を主旨とした歌を集めている。

④ 『古今和歌集』にある一般の和歌は、文学としての表現の型(貫之のいう「さま」)をとっているが、その「さま」に型破りなのが誹諧歌。対象の捉え方と表現する用語において、一般の和歌と異なる。

付記3.『新編国歌大観』の「第三巻 私家集編」における句頭に「たすき」、「たまた(だ)すき」と「ゆふた(だ)すき」とある用例

①『新編国歌大観』の「第三巻」の歌集番号が、およそ1~80の歌集を対象に、即ち 10世紀前半ころまでに没した歌人の歌集において、句頭に「たすき」、「(たま・ゆふ)たすき」及び「(たま・ゆふ)だすき」という歌を順不同で確認した。紀貫之(没は天慶8年(945))、好忠(生没不詳 後撰集拾遺集時代の異色の歌人)、清正(没は天徳2年(958))の歌集に、句頭にある「ゆふだすき」があった。「たすき」と「(たま・ゆふ)たすき」はなかった。

②『貫之集』の用例は、すべて、「れうのうた」(屏風歌)であり、「ゆふだすき」は肯定的な表現「かく」に続く。賀茂の祭りの場面に応じている歌なので、「たまたすき」より祭事に用いる意をはっきり込められる「ゆふだすき」を、貫之は選択していると思える。

 現代語訳の例として、『新潮日本古典集成80回 土佐日記 貫之集』(木村正中1988)より引用する。

3-19-21歌 臨時のまつり

   宮人のすれる衣にゆふだすきかけて心をたれによすらん

   「神に奉仕する人たちの小忌衣(おみごろも)に木綿襷をかけた姿は、だれにとくに心を寄せているのだろうか。」(「かけて」に「襷を掛けて」と「心を掛けて」の両意を表す。「すれる衣」とは、白布に春草・小鳥などの模様を山藍で青く摺った衣で、神事に携わる官人・祭官などが着用する衣。私が思うに、「襷を掛けて」は神事に携わる祭官が、「心を掛けて」は屏風に描かれている人物が、となる。)

3-19-337歌 十一月臨時の祭

   ゆふだすきかけても人をおもはねどうづきもけふもまだあかぬかな

   「人に思いをかけることはないけれども、四月の賀茂祭も今日の臨時の祭も、いくら見てもまだまだあきないなあ。」(行列を楽しむ観衆の心を詠んだもの。木村氏は「ゆふだすき」を「かく」の枕詞として訳している。)

3-19-401歌 四月かもまうで

   ゆふだすきかけたるけふのたよりには人に心をかけつぞおもふ

   「祭官が木綿襷をかけた賀茂祭の今日の縁で、逢う瀬をたのみ恋人のことを心にかけて思う。」( 「ゆふだすき」を「かく」から「心をかく」を導く。木村氏は「ゆふだすき」を祭官が使用している紐の意として訳している。)

3-19-409歌 十一月臨時のまつり

   ゆふだすき千年をかけて足曳の山ゐの色はかはらざりけり

   「木綿襷をかけた山藍摺りの衣の色は、千年かけて変わらないのだなあ。」(「ゆふだすき」と「千年」を「かく」がうける。 木村氏は「ゆふだすき」を祭官が使用している紐の意として訳している。)

3-19-504歌 同五年亨子院御屏風のれうにうた廿首

   ちはやぶる神のたよりにゆふだすきかけてや人も我を恋ふらん

   「神を祭る折とて、木綿襷をかけるが、そのように人も私を心にかけて、恋してくれるだろうか。」( 「ゆふだすきをかける」に「思ひをかける」意を掛けた。木村氏は「ゆふだすき」を祭官が使用している紐の意として訳している。) 

③『好忠集』

3-58-38歌 中のはる、二月はじめ(33~42歌)

   ゆふだすきはなにこころをかけたればはるはやなぎのいとまなみこそ

(「ゆふだすき」は「かける」ものとして「こころをかく」を導いている。この歌は「ゆふだすき」を「かく」の枕詞として用いているか。)

④『清正集』

3-21-71歌 さい院の女従の、その院の院しををとこにてあるときくに

   ちはやぶる神もしりにきゆふだすきしめのほどかくはなれざらなん(又はかげなはなれそ)

(現代語訳を試みると、京都の賀茂神社の祭神に奉仕する斎院(未婚の内親王または王女)の居られるお住まいの諸事を担当する院司と言う職に男が務めていると聞いたので、と題して、「神は知る。神事を行い神域としての標識をたてても、(男と女は)このように離れないのだなあ」。この歌の「ゆふだすき」は神事を意味する。)

⑤上記『貫之集』の5首と『好忠集』の1首での「ゆふだすき」は、「かく」に続く用い方をされている。「かく」の枕詞であり、「心にかける」を導き出している。「ゆふだすき」は神事において使用する紐の意である。『清正集』の1首は神事の略語とみなせる。

 付記4.『新編国歌大観』の「第五巻 歌合編、歌学書・物語・日記等収録歌編」における句頭に「たすき」、「(たま・ゆふ)たすき」及び「(たま・ゆふ)だすき」とある用例 

①『新編国歌大観』の「第五巻 歌合・歌学書・物語・日記等収録歌編」に、句頭に「ゆふだすき」とある歌が4首ある。下記③以下に示す。「たまだすき」、「(たま・ゆふ)たすき」及び「たすき」の用例はなかった。なお、『新編国歌大観』第四巻にも用例はなかった。『大和物語』 は『新編国歌大観』により村上天皇(967まで在位)の時代に成立している147段までを対象として検討した。

②「ゆふだすき」の用例3首が神事の際の「たすき」の紐で肯定の「かく」に続き、1首が「木綿襷かな」となっている。

③『平中物語』 (『新編国歌大観』によれば、成立は天徳4年(960)以降の20~30年間)

5-417-118歌 第三十一段にある男の歌

  ゆふだすきかけてはつねにおもへどもとふこといみのしめはいはぬを

(直前の女の歌(5-417-117歌)は、「はふりべのしめやかきわけいひてけんことの葉をさへ我にいまゐる」  「ゆふだすき」とは神官が祭りのとき、(また)神事の時に身に掛ける木綿(ゆふ)でつくった襷の意。「ゆふだすき」は「かく」の枕詞(こころに掛ける意)とする現代語訳がほとんど。)

   5-417-129歌 第三十四段にある男の歌

     いつはりをただすのもりのゆふだすきかけてちかへよわれをおもはば

   (直前の女の歌(5-417-128歌)は、「あふさかはせきといふことにかけたればきみもるやまと人をいさめよ」 「ただすのもり」は京都の下賀茂神社の森。「ゆふだすき」は「かく」の枕詞(こころに掛ける意)。「かけてが掛詞であり木綿襷を「掛けて」と神に「かけて」(約束して)の意。)

④『源氏物語』 (同、成立は10世紀末~11世紀初め) 

5-421-152歌 「十帖 賢木」にある歌  (光源氏が斎院の御前(朝顔の姫君。この時賀茂の斎院)へ)

   かけまくはかしこけれどもそのかみの秋思ほゆる木綿襷かな

    (「ゆふだすき」とは、「こころに掛けた」意を持たせ、文の相手である(今は神に奉仕することとなった身としてつねに「たすき」を身に着ける立場になっている)「斎院の御前」を指す。)

5-421-153歌  「十帖 賢木」にある歌 (斎院の御前が光源氏へ) 

そのかみやいかがはありし木綿襷心にかけて忍ぶらんゆゑ

(「ゆふだすき」とは、文の相手を「ゆふだすき」と言ってきたのにならい、返歌なので同じように文の相手である)光源氏を「ゆふたすき」は指す。また「かく」に続く枕詞。この歌は、事実無根だと切り返す歌。)

(付記終わり  2021/4/5   上村 朋)