わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻七のたまたすき

 前回(2020/11/2)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻四のたまたすき」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻七のたまたすき」と題して、記します。(上村 朋)

  (追記 現代語訳に誤りがあったので訂正します。接尾語「み」に一言触れておきます。また、「表 巻七譬喩歌の寄物の検討 (2020/11/6 15h現在)」は「寄山」に関しては今後の作業で修正の可能性があります。2020/11/16  上村 朋)

1.~11.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。3-4-18歌までは、「恋の歌」であることが、確認できた。そして3-4-19歌の詞書の現代語訳の再検討を試みた後、初句にある「たまだすき」に関連して『萬葉集』巻四までにある用例を検討した。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

12.萬葉集巻七にある「たまたすき」

① 初句「たまだすき」を、「玉襷」と仮定し、引き続き、『萬葉集』巻四以下の用例を検討します。

萬葉集』には、句頭に「たまたすき」と訓む歌が15首ありますが巻五と六にはありません。巻七にあります。

『新編国歌大観』より引用します。巻七の譬喩歌の部にあります。

2-1-1339歌 寄山  

  思賸 痛文為便無 玉手次 雲飛山仁 吾印結

  おもひあまり いたもすべなみ たまたすき うねびのやまに われしめゆひつ

② この歌は、「たまたすき」と「うねびやま」の関係を検討した、2020/10/19付けブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次4」の「10.萬葉集巻二の「たまたすき」 その3」の⑬で、一度検討しました。

その時の結論は、次のようなものでした。

第一 「寄山」と題する歌5首は、すべて、「山」は恋の邪魔をする者たちを例えている。

第二 4首までの「山」はおそろしいとか近づきにくいという山であり、恋の進展がない厳しかった状況の歌であり、5首目の「山」は「雲が飛んでいるかの山」と評価が変わっている。これは恋の進展があったことを示して編纂者は「寄山」をくくっていると理解できる。

第三 この歌の四句にある「雲飛山」を、特定の山名(「うねびのやま」)に訓んでいるが解せない。

第四 この歌の五句にある「印」を、「しめ」と訓む理由の検討は割愛する。

また、この2020/10/19付けブログは、(2-1-29歌における)「たまたすき」と「うねび(の)やま」の関係を検討したものであり、「この世からあの世に行く妻が満足して向うようにと祈って葬列に加わった、という行為を略して「たまたすき」の一語で言ったと理解し、「うねび(の)やま」に冠する語句ではない、というのが結論でした。即ち、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている「たまたすき」の用例でした。

③ しかしながら、諸氏の多くが「山」を(恋の相手として選んでしまった)高貴な女性の比喩としています。それが不適切である根拠をまだはっきり示していませんでした。

それについて、以下記します。

譬喩歌における寄物の配列をみてみます。巻七の編纂者は、人麻呂歌集にある、と左注した歌15首を先に配列し、次に、それ以外の歌(短歌と旋頭歌)を配列しています。それぞれの寄物の順をみると、

最初の15首:衣 玉 木 花 川 海

それ以外の短歌:衣 糸 玉 日本琴 弓 山 草 稲 木 花 鳥 獣 雲 雷 雨 月 赤土 神 河 埋木 海 浦の沙 藻 船 

旋頭歌:(寄物の記載無し。また1首のみ)

それ以外の歌の寄物の順は、最初の15首の寄物の順を守り、その間に新たな寄物を連想をしているかのように配列しています。「寄物」の配列の方針の大本は、譬喩歌で共通のように見えます。

④ 次に、譬喩歌ですから、寄物の「物」は、何かを示唆していると思うので、編纂にあたって方針があるのかを、確認してみます。

 最初の歌は、次の歌です。『新編国歌大観』より引用します(以下同じ)

2-1-1300歌  寄衣

今造 斑衣服 面影 吾尓所念 未服友

新訓:「いまつくる まだらのころも おもかげに われにおもほゆ いまだきねども」

 阿蘇氏は、「いま作っている新しい色模様の衣は面影に浮かんで、私には慕わしく思われる。まだ着てはいないけれども。」と現代語訳しています。

 阿蘇氏は、「今造 斑衣服」という文の主語が女性であり、「斑衣」に男のイメージを託したと思いたい、としています。この理解によれば、作中人物の恋の相手を「斑衣」に重ね、「未服友」(即ち、私たちはまだ結ばれていないが)と詠っていることになります。「寄物」と題して、「斑衣」が恋の相手を示唆しています。

 このように、示唆するものは、いくつかのパターンが考えられるのでそれを用意し、譬喩歌の部の歌すべてを確認しました。

⑤ 『萬葉集全歌講義』に阿蘇氏が示した理解により、次のようなことがわかりました。歌ごとについては付記1.を御覧ください。

 第一 譬喩歌の部にある歌は、すべて恋の歌である。

 第二 寄物は、多くが恋に関することを指している。大別すれば、恋の当事者と進捗に関わることがらである。譬喩歌ではないと編纂者が左注している歌以外にも、非譬喩歌があった。

 第三 人麻呂歌集にあったと左注でいう15首で確認すると、「衣」など寄物には、恋の相手のほか自分(作中人物)、及び恋の進展を妨げるものか恋続ける象徴というパターンがあった。恋の相手と理解した歌は8首(15首の約1/2)、恋の進展を妨げるものと理解した歌は、5首であった(15首の1/3)。

 第四 それ以外の歌93首で確認すると、上記15首でのパターンのほかに、第三者(自分の娘や女性一般)、序詞(中に物の記述がある)、非譬喩歌のパターンがあった。恋の相手と理解した歌は54首(93首の約1/1.7)、恋の進展を妨げるものと理解した歌は、6首あった(93首の約1/15)。

 第五 寄物の「物」が「恋の進展をさえぎることがら」というパターンは結局108首のうち、11首あり、6首が「寄海」にある。

⑥ 巻七の編纂者は、人麻呂歌集の歌より「寄物」の種類を、それ以外の歌の場合増加させている。また、パターンの二大別でみると、恋の進展をさえぎることがらの比率が、人麻呂歌集の歌より下がっている。も少しバランスに配慮してもよいのではないか。

 それが「寄山」にある恐ろしい山のイメージの歌となったのか、と思います。

⑦ このような配列からの推測のほかに、「寄山」にある5首の歌本文も「恋の進展をさえぎることがら」というパターンの歌に無理なく、該当しているかにみえます。

 具体にみると、つぎのとおり。

2-1-1335歌  寄山

  磐疊 恐山常 知菅毛 吾者恋香 同等不有尓

  「いはたたみ かしこきやまと しりつつも あれはこふるか なみにあらなくに」

 この歌を、阿蘇氏は、次のように現代語訳し、作中人物は男女いずれでも可、と理解しています。

 「岩の重なり合った恐ろしい山だとしりつつも、私は恋しく思うことだよ。普通の山ではないのに。」

 五句「同等不有尓」とは、「吾者恋」という状況が、ほかの人の恋とは異なる、という作中人物の主張です。

 諸氏は、身分違いの激しさがほかの人と違う、と理解していますが、相手へのアプローチの難しさがだいぶ異なる、とも理解できます。身分違いもその一つであり、違うと認識する範囲をもっと広くとって差し支えない歌です。

 また、五句にある「同等」を、漢字の熟語「同等」としての意をみると、「同じ等級。地位身分の等しい者(『礼記』にある語句)」とか、「おなじであること。等しい」とあります。当時の天皇の例でいえば、身分の違う女性は待遇を換えて迎え入れています。身分違いが妨げになるとは少なくとも男の立場では考えにくい時代です。この歌で前者に理解するより、後者に理解するのが妥当である、と思います。

⑧ この歌は、作者不詳の歌なので、伝承されてきた歌(土屋氏のいう民謡)の可能性が高く、多くの人がこの歌を用いて恋のアプローチをしたのであろうと思います。即ち、ガードが固い家の娘、要求の高い人が相手であってもそれでも思いを強く持っている、と主張できる歌が、この歌ではないでしょうか。

 「磐疊 恐山」とはそれを示唆する語句であろう、と思います。また、「知菅毛 吾者恋香」は、「も・・・か」の形で感動を訴えています。

 また、接続助詞「つつ」が三句にあり、三句までの前提条件のもとで四句~五句の感慨・感動が生じた、ということになります。

現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「(あの人の居るのは)岩畳の重なる恐ろしい山だと知ってはいても、自分はそれでも恋いしているのだなあ。人並の思いではないのだからね。」

⑨ 次に、

 2-1-1336歌  (寄山)

  石金之 凝木敷山尓 入始而 山名付染 出不勝鴨

  「いはがねの こごしきやまに いりそめて やまなつかしみ いでかてぬかも」

  阿蘇氏の現代語訳は、次のとおり。

 「岩のごつごつした山ではあるが、入りはじめてみたら、山に心が惹かれてしまって、もう出ることができないなあ。」

 阿蘇氏は、「石金之 凝敷山」は近づきがたい人の意としており、そのうえでこの現代語訳をみると、作者は既に思いを遂げていることになります。この歌を作者は誰に披露したかといえば、その近づきがたい人か、自慢するつもりで仲間に披露したかどちらかでしょう。

 前者であれば、「石金之 凝敷山」と歌をおくる相手をストレートにこのように言うでしょうか。好ましく思っていた所があったから言い寄ったのだと思います。自分の感性に響いたところが既にあったというニュアンスを込めて、それまでが大変であったけどその通りであった、と改めて相手に打ち明けるのではないでしょうか。五句「出不勝(鴨)」を阿蘇氏の「もう出ることができない」という表現は、例えば「虜になった」という表現と比べると恋の歌としてどんなものでしょうか。

 後者であっても、「(山)名付染」(なつかしみ)と言える経験があって「石金之 凝敷山」と相手を言うのは、譬喩としておかしい、と思います。

 一般に、「石金之 凝敷山」とわかっていたならば、躊躇することが普通であるので、「石金之 凝敷山」は周囲の環境をいうのではないか。

⑩ それを検討します。

この歌には、山が二つ登場します。初句から二句の「石金之 凝敷山」と四句にある「山」です。四句の「山」は、形容が省かれており、初句から二句の山を指すとも初句とは違う新たな別の「山」を言い出しているともみることが可能です。後者は、伝承歌であるので、歌を披露する相手にはわかったものを指している使い方の一例とみる、ということです。

三句にある「入始」の動詞「入」(いる)とは、「空間移動をいう」意と「特定の環境・範囲・状態への移動をいう」意があります。

 また、「山名付染」(やまなつかしみ)」とは、「石金之 凝敷山」を「名付染」と言っているのだから、以前好感を感じていたか、チャレンジしたことのある山である、ということです。五句「出不勝鴨」の動詞「出」(いづ)には、「空間での移動をいう」意と、「事物の新たな発生にいう。現れる」意などがあります。

阿蘇氏は、「名付染(なつかし」とは、「近寄っていたい、相手のそばにいたい感情をいう」、と説明していますが、形容詞「なつかし」は、「心にひかれる。慕わしい。いとしい」のほか、「昔のことがしのばれて慕わしい。なつかしい」意もあります。

⑪ 「入始」という作者の行為のあとに「山名付染」という行為が続いており、それをつなぐのが万葉仮名「而」です。この歌では、ここまでが前提条件であり、そのうえで作者は四句以下の気持ちを詠っている、とみることができます。

「而」(て)は接続助詞であり、この歌では、接続語をつくる場合の意であろうと、思います。即ち、「それで、そのため、という気持ちであとに述べる事柄の原因・理由などを述べる」意と、「それでいて、そのくせ、という気持ちで、あとに述べる事がらに対して、一応の断わりを述べる」意が、あります。上記の阿蘇氏は、後者の意と理解しています。

「而」字は、漢文では助辞の一つとして用いられている漢字です。その意は、

「しかうして。しかも。しかるに。しかるを。」(而の前の語にテ・シテ・ドモなどの送り仮名を付けて読むこともある)

「すなはち」(乃に同じ(・・・であって、はじめて・・・)。あるいは則に同じ(・・・であれば・・・))

等の意があります(『角川大字源』の「助辞解説」より)

漢字「而」には、日本語の「て」の上記の2意がある、といえます(上記の2意のうちのどちらかに漢字「而」のみでは限定できていません)。(付記2.参照)

萬葉集』巻七の編纂者(あるいはこの歌を記録した官人)は、漢文の素養がある人なので、「て」の発音に、「而」の漢字を選び取っているはずです。

⑫ そうすると、「て」について上記の前者の意の場合も確認をする必要があることになります。「石金之 凝敷山」に「入始」て素直に思えば、今までと同じ苦労が待っている、と詠っているという理解になります。その延長上で今回のチャレンジもやめよう、ということです。そして、四句「山名付染」の「山」は、それとは違うものを指して(今までの歌の贈答なので用いていた)「山」(即ち、貴方)の意で用いていると理解し、「染」(み)は原因・理由を表す形容詞につく接尾語なので、(少し意訳を加わえて)現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「ごつごつした岩がたちはだかる山に、(改めて)入りはじめるつもりできてみて、貴方がなつかしいのに、やはり出むくことができないなあ(あまりに無理なことはやめましょうよ)。」 

 作中人物は、相手に以前よりアプローチして良い関係になっているが、何か差支えがある状況にあり、この歌を詠んで相手に送った、という状況を想定できます。「石金之 凝敷山」には相手と共に共通の認識がある、と思います。

 このように理解できるこの歌も、恋の成就前の歌であり、障害となっているものが何とかなる手立てが見つからず、やはり慎重な行動になる、と相手に訴えている歌と思います。

 

2-1-1337歌以降は次回に記します。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

(2020/11/9     上村 朋)

付記1.萬葉集巻七の譬喩歌の「寄物」の示唆するものの検討

① 阿蘇瑞枝氏が『萬葉集全歌講義』に示された歌の理解により、「寄物」の「物」と恋との関わりを検討した。具体には、当該歌における下記の表の「検討対象」欄の「物」である。

 その結果、

第一 阿蘇氏の理解に基けば検討対象が歌において示唆しているものが下表のa~gに分類でき、さらに譬喩歌になっていない歌もあった。

第二 阿蘇氏の理解に基いても検討対象が歌においてさらに示唆しているものがあった。それを下表では、例えばaa、と分類欄に追記した。具体には次のとおり。

1333歌は、検討対象1個 分類は「序詞e」とされているが、「相手a」の意でもあった。

1362歌は、検討対象1個 分類は「自分b」とされているが、「娘g」の意でもあった。

1380歌は、検討対象1個 分類は「序詞e」とされているが、「相手a」の意でもあった。

1395歌は、「物」が二つ認められる。「白波」の分類は「相手a」の意、「朝凪」は「さえぎるものc」の意であった。

② 次に、私見を加え、氏の理解に反する分類となったものがあったので、例えばza, zbのように分類欄に追記した。

③ 人麻呂歌集の歌と左注にあるのは、1300歌から1314歌までの15首である。なお、歌番号は『新編国歌大観』による。

④ 表 巻七譬喩歌の寄物の検討 (2020/11/6 15h現在)

    分類区分:a 相手。b 自分(作中人物)。c さえぎるもの・妨げるもの。

         d 継続・恋続ける。e 序詞。f 女。g 娘。h 譬喩歌ではない。

歌番号

題されている寄物

検討対象(詠われている「物」)

左記の「」の分類

歌番号

題されている寄物

検討対象(詠われている「物」)

左記の「」の分類

1300

斑衣

a

1358

榛原

a

1301

衣を染める

 c

1359

真木

 g

1302

衣を織る

 d

1360

桃の木

a

1303

白玉

b

1361

母が育てている桑

 b

1304

白玉

a

1362

毛桃

 b  gg

1305

a

1363

向岳のかつら

a

1306

白玉

a

1364

山チサ

a

1307

a

1365

かきつばた

a

1308

木の葉

a

1366

唐藍の花

a *

1309

木の葉

a

1367

a

1310

a

1368

秋萩

a

1311

 c

1369

秋萩

a *

1312

港の異変

 c

1370

 b

1313

風吹く海

 c

1371

むささび

 b

1314

小島の神

 c

1372

 d

1315

橡の衣

a

1373

 e

1316

なれにし衣

a *

1374

小雨による水たまり

a

1317

紅の衣

a

1375

――

 h *

1318

橡の衣

a

1376

a

1319

吾下衣

a *

1377

a

1320

 d

1378

a

1321

沈く白玉

a

1379

――

  h *

1322

沈く玉

a

1380

赤土

赤土

za  e

1323

沈く玉

a

1381

祭る三諸

a

1324

沈く白玉

a

1382

齋此神社

a

1325

白玉の緒

 d

1383

明日香川

 e

1326

鮑玉

a

1384

しがらみ

 c

1327

沖つ白玉

a

1385

広瀬河

a

1328

玉の緒

 d

1386

泊瀬川の泡

 d *

1329

白玉

b

1387

山川

 d *

1330

a

1388

早川の瀬

 d

1331

沖なる玉

a

1389

埋木

埋木

 d *

1332

日本琴

日本琴

 cc  e*

1390

沖深けむ

 d

1333

あだたら真弓

 aa  e

1391

波数

 c

1334

まゆみ

A

1392

 d *

1335

恐き山

a  c

1393

白波

 d *

1336

こごしき山

a  c

1394

近江の海の波

 c

1337

佐保山

a  c

1395

白波&a朝凪

a 白波

c 朝凪

1338

奥山

a  c

1396

浦の沙

愛子地

a

1339

雲飛山

a  c

1397

浦の沙

愛子地

a

1340

野焼き

 d

1398

a

1341

高間の草野

a *

1399

名告藻(なのりそ)

a

1342

土針

 f

1400

名告藻(なのりそ)

a

1343

ツユクサ

 b

1401

玉藻

a

1344

橘の実

a

1402

a

1345

菅原

a *

1403

a

1346

a

1404

足速の小舟

a

1347

下草

 c

1405

 b

1348

すがのね

 c

1406

 b

1349

かきつばた

a *

1407

旋頭歌

斎杉原

a

1350

くず *

a

 

 

 

 

1351

野山の浅茅

a

 

 

 

 

1352

a

 

 

 

 

1353

大荒野のしの

 b

 

 

 

 

1354

矢にする篠

d*

 

 

 

 

1355

月草

 d*

 

 

 

 

1356

うきぬなは(じゅんさい

b

 

 

 

 

1357

早稲田(の稲)

 g

 

 

 

 

合計

108

a ~h の計109 *

a62  b11  c11  d15  e5  f1   g2  h2

人麻呂歌集の計

a ~h の計15

a8  b1  c5  d1

それ以外の計

a ~h の計94*

aa ~hhの計 3首

za ~zhの計 6首

a54  b10  c6  d14  e5  f1  g2  h2

aa1  cc1  gg1

za1  zc5

注1)歌番号:『新編国歌大観』記載の『萬葉集』での歌番号
注2)「*」印の注記

1316歌:昔の相手

1319歌:女性の歌

1332歌:譬喩無し

1341歌&1345歌&1366歌:取られた相手

1349歌:人妻

1350歌:をみなへしは佐紀にかかる枕詞

1354歌:矢にしない訳がない

1355歌 何度も染める染料

1369歌:妻

1375歌&1379歌:譬喩歌ではない

1386歌:絶えない泡

1387歌:瀧(はげしい流れ)

1389歌:秘密の交際継続

1391歌:(濡れてしまった)

1392歌:繰り返し近づく

1393歌:逡巡している

合計及びそれ以外の歌の計:1395歌に「物」を二つ認めたため、歌数より一つ増えた

 

付記2.万葉仮名について

①『大辞林』(松村保編 三省堂)2305pの「万葉仮名」の項より引用する。

② 日本語が漢字によって書き表されるようになり、漢字本来の意味とは関わりなく漢字を用いて日本語を書き表す用法の漢字を萬葉集に多く見えるところから「万葉仮名」と呼ばれている。

用法上漢字の意味を捨てているのだが、表意文字である漢字はそれ自体常に意味を投げかけて止まない。「孤悲」は、「コヒ」(恋)の音節表記であると同時に「孤り悲しむ」という語の解説としても機能している。(「十六」と表記するなど)文字の技巧は特に萬葉集において顕著である。

③ 一字一音の万葉仮名には音仮名と訓仮名がある。

例)「テ」の音仮名:氐 提 天 諦 など

  「テ」の訓仮名:手 代 価 直 など 

④ ネットでの『萬葉散歩フォトギャラリー』(管理人植芝宏氏)の「試作 万葉仮名一覧」より引用すると、

「テ」と発音されている漢字は、萬葉集には2148例あり、「而」が一番多く1218例、次いで「弖」が500例ある。

⑤ 今行っている『猿丸集』の検討では、萬葉集歌の訓は、『新編国歌大観』による。2-1-1336歌における漢字「而」の意は参考とするがその訓み方には立ち入らない。

(付記終わり  2020/11/9    上村 朋)