わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻三のたまたすき

 前回(2020/10/19)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次4」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻三のたまたすき」と題して、記します。(上村 朋)

1.~10.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。3-4-18歌までは、「恋の歌」であることが、確認できた。そして3-4-19歌の詞書の現代語訳の再検討を試みた後、初句にある「たまだすき」に関連して『萬葉集』巻二までにある用例を検討した。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

11. 萬葉集巻三にある「たまたすき」

① 初句「たまだすき」を、「玉襷」と仮定し、引き続き、『萬葉集』巻三以下の用例を検討します。

 『萬葉集』には、句頭に「たまたすき」と訓む歌が15首あり、巻三には長歌1首があります。

② 『新編国歌大観』より引用します(以下の各歌も同じ)。

2-1-369歌 角鹿津乗船時笠朝臣金村作歌一首 并短歌

 「越海之従 大舟尓 真梶貫下 勇魚取 海路尓出而 阿倍寸管 我榜行者 大夫乃 手結我浦尓 海未通女 塩焼炎 草枕 客之有者 独為而 見知師無美 綿津海乃 手二巻四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎」

 新訓(抄):「こしのうみの つのがのはまゆ ・・・ うみぢにいでて あへきつつ わがこぎゆけば ますらをの たゆひがうらに あまをとめ しほやくけぶり くさまくら たびにしあれば ひとりして みるしるしなみ わたつみの てにまかしたる たまたすき かけてしのひつ やまとしまねを」

③ 2-1-369歌について阿蘇氏は、次のように現代語訳し説明を加えています。

2-1-369歌   敦賀の港(角鹿津(つのがのつ))で船に乗る時に、笠朝臣金村の作る歌一首 短歌を含む

(抜粋)「・・・手結いの浦で、海人おとめたちの塩を焼く煙が見えるが、旅先なので、その心惹かれる光景も、一人では見る甲斐もなく、海の神が手に巻いておられる玉ではないが、玉だすきをかけるように心にかけてなつかしく思ったことだよ。故郷、大和国を。」 

 この長歌は、「海路の旅の難儀を詠む前半と、珍しい海の風物を一人見る空しさ、故郷大和の恋しさを吐露した後半から成る。旅の苦しさは、そのまま家郷恋しさを誘うものである。反歌は作者の心情が率直に表現されている。」と評しています。

 作詠時点については、「2-1-371歌の左注がこの歌にも及ぶとすると、石上乙麻呂(の下僚として)着任時の歌となり、石上乙麻呂天平4年(732)正月従五位上。同年9月丹波守(従五位下相当官)なので越前国守(従五位上相当官)はその後」、としています(聖武天皇9年目以降の時点となります)。

 また、

・角鹿津:福井県敦賀市敦賀港。(敦賀港を出港すれば)越前国国府武生へ向かう。16kmの海路。

・結浦:福井県敦賀市田結(たい)の海岸。敦賀湾の東岸にあたる。

・綿津海乃 手二巻四而有 <珠手次>(わたつみの てにまかしたる <たまたすき>):「たま」をおこす序詞。白玉は、海の神が手に巻いているという考え方があった。例)7巻 2-1-1305歌。

・大和島根:海からの陸地を指す。

と、説明しています。

④ 土屋氏は、大意を次のように示しています。(抜粋)

 「・・・そのものあはれさも旅のことであるから、自分一人のみが見ても見るかひもなく、大和の国のことを心にかけて恋ひしのんだことである。」

 氏は、「綿津海乃 手二巻四而有」を次の語句にある「珠」の序とみています。

 そして、つぎのように評しています。

 「末段(綿津海乃以下)の序なども海路の縁によるとは言へ、単なる言葉の上の技巧で、早くいへば、長歌がすでに金村等の手に負へなくなって、ただ言葉の上で平板に綴っていったにすぎないのではあるまいか。」

⑤ 題詞にある「幷短歌」が、「反歌」と題してあります。あわせて検討します。

2-1-370歌 反歌

 越海乃 手結之浦矣 客為而 見者乏見 日本思樻

 新訓:「こしのうみの てゆひがうらを たびにして みればともしみ やまとしのひつ」

 阿蘇氏は、次のように現代語訳をしています。

 「越の海の、手結いの浦を旅先で見ると 心惹かれるにつけても 大和がなつかしく思われたよ。」

 「見者乏見」の「乏(ともし)」は、心惹かれる意、としています。

⑥ いつものように、前後の配列等を検討し、巻三編纂者の意図を探り、そのうえで上記の2首を検討し、2-1-369歌における「珠手次」を理解したい、と思います。

 その結果は、「珠手次」の「珠」は素材を示す意として作者が用いており、その素材から作られている「たすき」と続け、「たすきを懸ける」から「心に掛ける」意を導いており、「たまたすき」という一語から、「心に掛ける」意を導いていない、ということになりました。

 以下に説明します。 

⑦ この2首は『萬葉集』巻三の雑の部にあり、前後の題詞をみると次のとおり。諸氏の現代語訳を参考に歌の詠われている地名と景を、併せて記します。

 2-1-357歌 日置少老歌一首    

 現兵庫県相生市の浜(縄の浦=那波の浜)での夕方製塩の煙の景

2-1-358歌 生石村主真人歌一首  

 大汝(おほなむぢ)・少彦名(すくなひこな)の岩屋はどのくらい古いのかと問う(岩屋は現島根県内ほかが現代では想定されている)

2-1-359歌 上古麻呂歌一首  

 現奈良県飛鳥川の夕方のカエルの鳴く景に思いをはせた歌

2-1-360歌 山部宿祢赤人歌六首  

 現兵庫県の瀬戸内海(縄(なほ)の浦の沖つ島)近くを、漕ぎまわる小舟は釣りするかと詠う

 現兵庫県の瀬戸内海(武庫の浦)で、粟島を背にする小舟を(さびしげあるいはうらやむと)詠う

 鵜の棲む磯(場所不詳)に絶え間なく波が寄せる景を詠う(繰り返し大和を作者は思う)

 刈藻(場所不詳)での作業の身、浜の土産はほかにないと嘆く歌

 場所不詳の丘を秋の朝越える夫の寒さを詠う(遊行女婦の歌か)

 みさごのいる磯(場所不詳)に寄せて親が知ることは覚悟で「なのりそ」と呼び掛ける歌

2-1-366歌 或本歌曰 

 みさごのいる磯(場所不詳)に寄せて親が知ることは覚悟で「なのりそ」と呼び掛ける歌

2-1-367歌 笠朝臣金村塩津山作歌二首  

 越前へ向かう峠における旅の儀礼での情景の歌(2首)

2-1-369歌 角鹿津乗船時笠朝臣金村作歌一首 并短歌  (検討対象の歌2首)

 海路越前に向かう時(現敦賀湾内)の景を詠う             

 2-1-371歌 石上大夫歌一首

 乗船(位置不詳)し磯見する景を詠う (付記1.参照)

2-1-372歌 和歌一首

 官人の建前と決意を詠う(景無し) (付記1.参照)

2-1-373歌 阿倍広庭卿歌一首

 雨の降らない曇り空の景に恋する気持ちを詠う(場所不詳。主賓の到着を待っている歌とも)

2-1-374歌 出雲守門部王思京歌一首

 意宇の海(現島根県)の河原の千鳥に、都(現奈良県)の佐保川を思う歌

2-1-375歌 山部宿祢赤人登春日野作歌一首幷短歌

   都(現奈良県の春日野(春日山山麓)の雲と鳥を詠う(片思いを鳥に寄せた歌)

      笠の山(現奈良県(大和)の三笠山か)よ、 笠は貸すなと詠う

⑧ その配列にあたり、詠っている景は基準のひとつではないようです。夕方の製塩の煙が、恋の思いの比喩ではないかと推測できる歌(2-1-357歌)や都を恋の相手に見立てていると理解できる歌もあります。

 また、「山辺赤人歌六首」という題詞のもとの歌をみると、赤人が作者というよりも赤人がこれらの歌を書き留めたのだ、という思いを強くします。「阿倍広庭卿歌一首」等も書き留めた人(『萬葉集』の元資料を提供した人)、と理解できる一方、「某・・・作歌〇首」タイプの題詞の某は、作者である、と思います。

 そのタイプの歌が2-1-367歌と2-1-369歌の題詞です。越前国に向かう途中を共通に詠い、作者も同一人であり、作詠時点(披露された時点)がほぼ同時期の一連の歌と捉えることができます。そのため、この二つの題詞のもとの歌4首は、整合のとれた理解をする必要がある、と思われます。

⑨ 順に4首を検討します。題詞「笠朝臣金村塩津山作歌二首」のもとにある2首は、次のとおり。

2-1-367歌 

  大夫之 弓上振起 射都流矢乎 後将見人者 語継金

  「ますらをの ゆずゑふりおこし いつるやを のちみむひとは かたりつぐがね」

2-1-368歌 

  塩津山 打越去者 我乗有 馬曽爪突 家恋良霜

  (いほつやま うちこえゆけば わがのれる うまそつまづく いへこふらしも)

 この2首は、題詞の「塩津山」(琵琶湖北岸から敦賀市へ通じる路がある。)という語句により、陸路越前に向かう国境の峠における旅の無事を祈願する儀礼の場面の歌と諸氏が指摘しています。峠で小休止か大休止して儀礼をおこなった際の出来事を詠っていると思います。

 しかしながら、儀礼を素直に詠って歌ではなく、儀礼で行った強弓振りの自慢と(あるいは射た人を褒め)馬を御せなかった歌(付記2.参照)であり、単なる旅中のエピソードに近い歌です。

 また、この2首は、どこで披露されたのでしょうか。儀礼をおこなった、その峠の小休止か大休止で2-1-367歌は披露され、出発の準備中の作者本人か誰かの行為を繕うべく作者が即興で詠ったのが2-1-368歌ではないか。

 題詞に従い理解しようとすれば、任国に赴く途中の歌であり、着任後(在の)官人らが聞いても納得する歌を赴任する作者笠金村は詠うと思います。萬葉集巻三の編纂者にしても、この題詞における歌に相応しい歌と認めて配列している、と思います。

⑩ 次に、「たまたすき」の用例のある長歌(2-1-369歌)の検討です。

 この歌の作者は、題詞「某・・・作歌」という表現から、笠金村とみなせます。

阿蘇氏の言う「海路の旅の難儀を詠む前半」をまず検討します。

 初句は、「越海之」です。乗船した「角鹿乃浜」(つのがのはま・現敦賀市)は越前国内ですので、任地である越前の国の一部を遠望しつつの旅となります。作者は、「阿倍寸管 我榜行者」(あへきつつ わがこぎゆけば)と、船頭や漕ぎ手と一体感をだして詠っています。勿論国府から出迎えの者も同船しての船旅です。

 敦賀湾内の「手結我浦」の景は製塩作業の遠望であり、瀬戸内海でもよく見られる光景です。だから、その地の具体の浦の名前「角鹿乃浜」を示して、都近くの浜と変わらない景のあることを訴えています。越前国の人々の生活が摂津や河内や紀の国と変わらないことを印象付けています。

 旅の難儀を詠むのではなく、船頭をはじめ、まじめにかつ律儀に働く人々のいる国であることを強調しています。

⑪ 阿蘇氏の言われる歌本文の後段を検討します。その構文をみると、つぎの1案があります。

文A 草枕 客之有者 (くさまくら たびにしあれば )

  (以下の文(B&C&D)の前提条件)

文B 独為而 見知師無美 (ひとりして みるしるしなみ )  

  (前の文の条件における当然といえる結果のひとつ。)

文C 綿津海乃 手二巻四而有 珠(わたつみの てにまかしたる たま )  

         (その感慨を言うため、船上にいるので順に海に縁のある「たま」を詠う)

文D 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎((たまたすき) かけてしのひつ やまとしまねを)

  (その「たま」と同音を持つ「たま」を冠する「たすき」が掛かる語句「かけて」によって「日本嶋根」を偲んだことだ)

 一言でいうと、文A~Dの文意は、「今船上に居り、「日本嶋根」を偲んだ」ということになります。そして文Cは、「(心に)懸ける」の修飾文ですから、その歌本文後段の趣旨を伝えるのに省かれても構わない文です。

 なお、「之努櫃」の動詞「しのふ」(偲ぶ(ふ))とは、「思い慕う・なつかしむ」意と「賞美する。」意があり、後者の例として額田王の詠う2-1-16歌を『例解古語辞典』は挙げています。(万葉仮名「師」を『新編国歌大観』は名詞として訓んでいませんので、今はそれに従います。)

⑫ 文Aは、作者(作中人物)の立ち位置を示しています。歌本文の前段を受けているので、越前国海上にいる、ということになります。

 文Bは、作者の自負心を詠っています。当時の官人は、今日のように妻子を連れて遊覧する慣例はなく、同僚・友人と集っての遊覧が主体です。だから歌本文前段のような景に接して(越前国に赴任し)一人これに向かうのであって、語り合うあるいは相談する友は側にいない、という思いを詠ったのではないか。それが「独為而 見知師無美」(ひとりして みるしるしなみ)の意であろう、と思います。

⑬ 文Cにおいて、作者は、船上で展望しつつ、越前国のレクチャーを受けていることを意識し、そこで生じた感慨であることを強調したいと見えます。つまり、文Dを直接続けてよいところなのに文Cを挟んでいます。

 「海神」と「玉」・「白玉」と結びつけて詠んだ歌は柿本人麻呂歌集にあることが当時既に知られています(付記3.参照)。

 文Cにおける「珠」は、海の神が手にしており、漢字の「珠」の第一義である「貝の中にできるまるい玉・真珠」を意味します。

 その縁で、海神が現にコントロールしている「たま」にはいろいろあるが、「真珠」もある、と詠み出し(、その「珠」でできているたすき)と詠ったのが、「綿津海乃 手二巻四而有 珠(手次)」ではないか。

 「祭主」がかける「たすき」であれば、海神が持つ「たま」という必要はないのに海神との縁を語ろうとしています。

 だから、諸氏と同じく、「綿津海乃 手二巻四而有」は、「珠」の序であり、海の神は「たまたすき」と称する「襷」を「手にまきもつ」という理解にはなりません。「たすきを懸ける」という表現は、単に動作の描写と作者は捉えている、といえます。海神と「たすき」は無関係です。

 この理解は、陸路を離れて船上の人となった作者が、海にちなむ語を連ね、海路の旅にあって越前喰いに対して生じた感慨であることを強調していることになります。

 しかし、土屋氏が指摘しているように、「末段(綿津海乃以下)の序なども海路の縁によるとは言へ、単なる言葉の上の技巧」が目立つ歌となってしまいました。

⑭ 文Dの「珠手次」の「珠」とは素材を示しているだけあり、「たすき(手次)」が動詞「懸く」を導きだしています。

 また、文Dの「珠手次」の「珠」とは美称の語句と重なっているとしても、「たすき(手次)」あるいは「たまたすき」が動詞「懸く」を導きだしています。

 前者であれば、海との縁を「たま」が担っています。後者であれば、「たまたすき」が海との縁を担っているかに見えますが前例はありません。後世からみれば結果として海とたまたすきの縁を認めた新例になったのではないかと思います。繰り返しますが、単純に「たすきに懸ける」ということが「心に掛ける」に通じる、として作者は用いている、と思えます。

⑮ 阿蘇氏は、上記③に記したように、望郷(都の生活が恋しい)の歌と評しています。多くの諸氏も同じ理解です。

 しかし、越前国の要職に、都から赴任する官人が、任地へ向かう途中、詠んだ歌が任地の官人たちに知れ渡ることを承知で、望郷の歌を詠わない、と思います。船上には国府から迎えの使者も側に控えているのです。

 「偲ふ」には、上代語として「賞美する。」意があります。結句の「日本嶋根乎」は、大和国をいうのではなく、朝廷の支配の及ぶ範囲の陸地(作者は海上にいます)のうちの眼前にしている越前国を賞美しているのではないか。と思います。「根」は接尾語です。

 文Dにある「懸而之努櫃 日本嶋根乎 」(かけてしのひつ やまとしまねを)とは、任地の越前国の来し方を讃嘆した(かつ、前任者たちを讃嘆した)ことばである、と思います。

 この歌は、どのような時に披露された歌でしょうか(巻三の編纂者はどのようにしてこの歌を知ったのでしょうか)。着任時の宴などで披露された、挨拶歌ではないでしょうか。宴は主催者が日替わりで何度かあります。いくつもの挨拶歌の用意が主賓級の官人には必要です。笠金村は都に居るとき天皇行幸従駕しており、地方にゆけばそれなりの要職に就く官人であったと思いますが、笠村がトップの官人(国守)であるとは題詞にありません。長歌は、トップの官人が詠まない限りほかの人は遠慮するのではないか。このため、この歌は、そのとき越前に赴任するトップの者から依頼された代作の歌であったと思います。

 なお、歌の配列からも、都へ帰任にあたり、このような思いであったよ、と披露した歌とは思えません。旅人や家持の挨拶歌と比較してください。

⑯ 次に、反歌2-1-370歌を検討します。反歌と題されている短歌であり、長歌と一体で理解を求められています。五句「やまとしのひつ」の「やまと」とは、長歌で詠んだ「日本嶋根」を敷衍し、朝廷の支配の及ぶ範囲の陸地、即ち、越前国を筆頭とした国々と都を指している、と思います。

 動詞「しのふ」の意も長歌と同じ意であり、賞美する意です。

 このように、長歌反歌は詠むベクトルは同じです。

⑰ 仮名書き表示で、「たまたすき」となる語句の巻三にある用例は1例であり、その意は「素材に玉を使ったたすき」でありました。

 巻一や巻二の「玉手次」の用例には、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っていましたが、それがありませんでした。

巻三までの「たまたすき」の用例を整理すると、次のようになります。

表 「たまたすき」の表記別一覧 (巻一~巻三)  (2020/10/26現在)

表記

次の語句

該当歌番号

詠っている場面

 

珠手次

か(懸)けのよろしく(・・・うれしい風が)

  5

希望・期待の例示(例示のようにうれしい風がふいた)

 

玉手次

畝火之山の (橿原乃日知 )

 29

神武天皇の名を詠いだす

 

玉手次

か(懸)けてしのはむ

199

殯宮での行事で高市皇子をこれからも偲ぶと詠う

 

玉手次

うねびのやまに(なくとりの こゑもきこえず)

207

妻が無事に出立する葬列を詠う

 

珠手次

かけてしのひつ

369

任地に入り、船上で任地を寿ぐ

 

注)該当歌番号:『新編国歌大観』記載の『萬葉集』における歌番号

 

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、巻四にある「たまたすき」の用例を検討します。

(上村 朋  2020/10/zz    <2020/10/25   16h>)

 

付記1.2-1-367歌以下の配列について

① 2-1-367歌と2-1-368歌は、越前国に入国直前の歌である。国守の交代であるならば、国府より出迎えの者がいるはずである。2-1-369歌と2-1-370歌は敦賀より国府に向かう海路の歌であり、2-1-371歌が国府到着後の公式の宴での挨拶歌、2-1-372歌はそれへの応答歌とみることができる。2-1-373歌は、新たな国守などの到着を待ち望んでいた、と詠う先任している者らの歓迎の歌ではないか。

② なお、2-1-374歌も官人の歌であり、先任している者らの歓迎の辞に接し、赴任した官人の返歌とも理解ができるが、題詞にある「思京歌」に留意すると、着任後しばらくするとこのような気持ちとなる、と他国に赴任した官人が口にしたと示し、都の景の歌と続く配列へのつなぎにしているかに見える。この歌も「某・・・作歌」タイプの題詞ではないので、既に伝承されてきた歌である、と思います。

③ 2-1-371歌 石上大夫歌一首

  大船二 真梶繁貫 大王之 御命恐 磯廻為鴨

     右今案、石上朝臣乙麻呂任越前国守、盖此大夫歟

 「おほぶねに まかぢしじぬき おほきみの みことかしこみ いそみするかも」 

 題詞は、「・・・作歌一首」ではなく「某歌一首」であり、某が披露した歌の意。

 この歌は、「磯見」を国守の国内巡視に見立てているようであり、既に任務を行いつつ着任した、という挨拶歌と理解できる。また、海路着任するとすれば、必ず「磯見」するのであり、挨拶歌の代表的なものだが、それを石上大夫なる者が披露した歌としている。

④ 2-1-372歌 和歌一首

  物部乃 臣之壮士者 大王之 任乃随意 聞跡云物曽

     右作者未審、但笠朝臣金村之歌中出也

 「もののべの おみのをとこは おほきみの まけのまにまに きくといふものぞ」

 この歌も、着任時の代表的な挨拶歌であったのではないか。着任時の2例を『萬葉集』巻三の編纂者はここに配列したのであろう、と思う。

⑤ だから、2-1-367歌以降は越前国守の赴任時の時系列に配列しているが、特定の人物の時の歌ではなく、2-1-369歌や2-1-370歌と、この前後の歌は、相互に関係なく詠まれた歌であろう。

付記2.2-1-368歌にある「馬曽爪突 家恋良霜」の例  

① 2-1-1195歌  (2-1-1161歌の題詞「羇旅」のもとにあるか)

 妹門 出入乃川之 瀬速見 吾馬爪衝  家思良下

「いもがかど いでいりのかはの せをはやみ あがうまつまづく いへおもふらしも」

② 2-1-1196歌  (2-1-1161歌の題詞「羇旅」のもとにあるか)      

 白栲尓 丹保布信士之 山川尓 吾馬難 家恋良下

 「しろたへに にほうまつちの やまがはに あがうまなづむ  いへこふらしも」

③ 2-1-2425歌 寄物陳思

 縿路者 石蹈山 無鴨 吾待公 馬爪尽

「くるみちは いはふむやまは なくもがも わがまつきみが うまつまづくに」

④ 2-1-3290歌  相聞

 百不足 山田路乎 浪雲乃 愛妻跡 不語 別之来者 速川之 往文不知 衣袂笑 反裳不知 馬自物 立而爪衝 為須部乃 田付乎白粉 物部乃 ・・・

「ももたらず やまだのみちを なみくもの うつくしづまと かたらはず わかれしくれば はやかはの ゆきもしらず ころもでの かへりもしらず うまじもの たちてつまづき せむすべの たづきをしらに もののふの ・・・」

⑤ 上記4首は、愛しく思う相手を念頭に詠っている。

 2-1-368歌は、作者笠金村が、越前に向かう途中であるので、上記③の例に倣い、越前国府にいる前任者たちが私を待っている、と詠ったと理解できる。諸氏に多い「家のもの(即ち妻などが思っている)と言う理解は、入国直前の峠であり、都に近い峠ではないので、当たらない、と思う。

 

付記3.海神と玉の関係

① 「海神」と「玉」を詠う歌が『萬葉集』巻七の譬喩歌の部にある。2-1-1314歌の左注に「右十五首柿本朝臣人麻呂之歌集出」とあるグループ内にある「寄玉」と題するグループの歌であり、その左注を信じれば、2-1-369歌の笠金村が詠んだ時より以前の歌となるであろう。そのグループには、「海」と関係あると思われる「白玉」を詠んだ歌も3首ある。これらの歌に、海神と「たすき」の関係を詠んだ歌はない。

② 題詞「寄玉」の歌はつぎのとおり。

2-1-1303歌 寄玉

安治村 十依海 船浮 白玉採 人所知勿

「あぢむらの とをよるうみに ふねうけて しらたまとると ひとにしらゆな」

 「安治村」とはあじ鴨を言う。「白玉」は女性の意。

2-1-1304歌 寄玉

遠近 礒中在 白玉 人不知 見依鴨

「をちこちの いそのなかになる しらたまを ひとにしらえず みむよしもがも」 

 「白玉」は作中人物の恋の相手。

2-1-1305歌  寄玉

海神 手纒持在 玉故 石浦廻 潜為鴨
「わたつみの てにまきもてる たまゆゑに いそのうらみに かづきするかも」

「玉」は海神(親)が大事にしている娘。

2-1-1306歌 寄玉

海神 持在白玉 見欲 千遍告 潜為海子
「わたつみの もてるしらたま みまくほり ちたびぞのりし かづきするあま」

 「玉」は海神(親)が大事にしている娘。
2-1-1307歌 寄玉

潜為 海子雖告 海神 心不得  所見不去

「かづきする あまはのれども わたつみの こころしえねば みゆといはなく」

 「海子」に、娘は親の許しがなければ何も働きかけられない。

③ 「寄玉」と言う題詞のもとの5首の「玉」あるいは「白玉」には、このように若い娘の意が込められている。海神はその両親を指して詠われている。

(付記終わり  2020/10/26   上村 朋)