わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第8歌など

 前回(2020/7/27)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第6歌など」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第8歌など」と題して、記します。あわせて第二の歌群の歌の総括をします。(上村 朋)

 

1.~7. 承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。既に、3-4-7歌までは、「恋の歌」であることが確認できた。(付記1.参照)

『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義している。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと 

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと)

 

8.再考第二の歌群 第8歌

① 今回は、「第二の歌群 逢わない相手を怨む歌群」(3-4-4歌~3-4-9歌)の3回目です。最初に3-4-8歌を、『新編国歌大観』から引用します。この歌の詞書のもとにある歌はこの1首だけです。

 3-4-8歌 はるの夜、月をまちけるに、山がくれにて心もとなかりければよめる 

   くらはしの山をたかみかよをこめていでくる月のひとりともしも

 ② 現代語訳として、「2020/6/15現在の現代語訳成果」である現代語訳(試案)を引用します(ブログ2018/3/26付け参照)。

 詞書: 「春の夜、昇ってくる月を待っているのだが、いまだに山に隠れているような状態なので、不安になって詠んだ(歌)」

 歌本文:「くらはしの山が高いからなのか、(2-1-1767歌のように)待ち遠しい状態になったが、それでも月(下弦の月)は(暁とならない)夜が深いうちに昇ってきてさやけく輝いている。それに比べて、私は、この宵は独りで乏しい(さびしい)思いをすることになるなあ。」 

 この歌は、男が来てくれないことを嘆く女の恋の歌と理解したところです。

 しかしながら、詞書には、「月を待つ」とあるものの、「男のもとに」と言う語句はありません。恋の歌で月を待つというならば月=男という先入観で、この現代語訳(試案)は理解しているところです。

③ 詞書から再検討します。

 出だしの「はるの夜」とは、陰暦1月~3月の夜、と理解しました。ところが、歌本文をみると、季節をなぜ限定しているのか、わかりにくいところです。同音意義の語句と疑うと、

 「春の夜」:季節が春である夜

 「張るの夜」:「こころをゆるみなくもって、がんばる、と言う状況の夜」

の2案がありました。

 上記の現代語訳(試案)は「春の夜」としたところであり、後者の検討が済んでいません。

④ 単に相手の来訪が遅いことに不安を感じるのは、「春の夜」でなくとも生じ得る不安です。

 作者(作中主体)が、アプローチできないでいる(時間待ちしているとか返事を待っているとか)、という状況で不安が募って詠んだ歌、即ち、(気持ちが)「張る今夜」であるから詠んだ歌であるのであれば、詞書の「張るの夜」が歌の理解を限定していることになります。

 また、詞書にある「心もとなし」とは、「ようすがはっきりしないで不安だ・心もとない」意のほかに「待ち遠しいくもどかしい・じれったい」とか「ようすなどをよく知らない・不案内だ」の意などがある(『例解古語辞典』)同音異義の語句です。

⑤ なお、詞書にある助動詞「けり」は、詠嘆の気持ちをこめて回想する意を表しますので、上記の詞書の現代語訳(試案)は現在進行中のこととしており、不適切でした。

 『猿丸集』の編纂者は、作者に、詠嘆的に回想させて歌を記している、とみることができます。月の出は、歌本文に「よをこめて」とあるので、(十五夜かもしれませんがとりあえず歌本文の現代語訳(試案)で想定している)十七夜以降の月であり、昇ってくる月を人々は満足気に迎えるのに対して、自分はそのようにならなかったことを回想している場面の歌と、あらためたい、と思います。

⑥ 次に、歌本文について検討します。

 歌本文にある「くらはしの山」は、「障害となる山」の意であり特定の山を指していません。また、「くらはしのやまをたかみか」という語句は、作者の時代には、『萬葉集』の解読も進んでいる時代ですので、類似歌(2-1-293歌と2-1-1767歌の2首)を想起させる語句であります。 

⑦ 類似歌とこの歌について、歌本文同士を比較すると、三句と五句が異なります(類似歌の「よごもりに」が「よをこめて」、「ひかりともしき」あるいは「かたまちかたき」が「ひとりともしも」)。

 類似歌2首の三句の万葉仮名は、2-1-293歌が「夜隠」、2-1-1767歌が「夜窂」であり、漢字そのものの意が、「隠れる、隠す」など、あるいは「いけにえ、かこい」という字を借りてきています。だから三句「よごもりに」とは2-1-293歌では「夜の帳(とばり)がおりるなか」と私は現代語訳したところです。

⑧ これに対して、この歌の三句「よをこめて」には、(連語ではなく)句として「夜を籠めて」に「まだ夜が深いうちに」の意があります。この意は類似歌と同じく夜間の時間帯を指しています。この語句を同音意義の語句とみると、

 「よ」に、「世」や「夜」があります。「世」には、「(仏教思想の特に)現世」、「世の中・世間」、「人の一生・生涯・その運命」や「男女の仲」の意があります。

 下二段活用の動詞「籠む」に、「(かすみなどが)一面に広がる」、「中へいれる・とじこめる・こもらせる」、「胸におさめておく」や「混雑させる」の意があります。

「よをこめて」を、

 名詞「よ」+助詞「を」+下二段活用の動詞「籠む」の連用形+接続助詞「て」

とみると、現代語訳候補は、月を待っている時の歌なので素直に「夜を籠めて」がよい、と思います。句の意のままでよい、と思います。同音意義の語句とみなくともよいようです。

⑨ 五句の「ひとりともしも」は、「一人(あるいは独り)という状態は乏し」の意であり、誰が「乏し」なのか(作者か、作者が訪ねてゆくはずの相手か)は歌全体から決まるのではないか、と思います。

 詞書の「けり」の理解からは、作者が「ともし」という状態を指していると思います。上記の現代語訳(試案)では女性の作者としたところです。

⑩ 作者(作中主体)は、「はるの夜」という言い方から男ではないかと、推測しますが、情報が不足しており、歌の配列等からの検討が必要です。今、仮に作者を男として、詞書と歌本文の現代語訳を改めて試みると、次のとおり。

 詞書:「気が張っている夜、月の出を待っていたのだったが、いまだに山に隠れており、待ち遠しくもどかしかったので、詠んだ歌。」 (8歌詞書 新訳)

 歌本文:「くらはしの山が高いからだろうか、(それでも)まだ夜が深いうちに月は人々の前に昇ってくる。(友や訪れた人とともに月を待ち望んでいた人たちと異なり)それを独り見る私はさびしいね。」(8歌本文 新訳)

 月が待ち遠しかった作者は、過去に同じように月の出を待ったことを思い出し、詠ったという理解をしました。その時は月を一人で見上げたのでした。

 類似歌では、2-1-293歌が月明りを頼りに夜道を行く歌であり、2-1-1767歌が月の出にかこつけて開宴を促している歌でした。

⑪ この歌は、このように、恋の歌の要件の第一を満足しています。

 類似歌である2-1-1767歌は開宴を求める歌であり、もう一つの類似歌である2-1-293歌は初月の光を頼る羇旅の歌(ブログ2018/3/26付け参照)です。恋の歌であるこの歌とは、ともに趣の異なる歌です。

 このため、要件の第二を満足し、第四も満足しています。第三の確認は後程行います。

 

8.再考第二の歌群 第9歌

① 次に、3-4-9歌を、検討します。『新編国歌大観』から引用します。この歌の詞書のもとにある歌はこの1首だけです。

 3-4-9歌 いかなりけるをりにか有りけむ、女のもとに

   人まつをいふはたがことすがのねのこのひもとけてといふはたがこと

 

② 現代語訳として、「2020/6/15現在の現代語訳成果」である現代語訳(試案)を引用します(ブログ2018/4/2付け参照)。また、ブログ2020/5/25付けで、詞書にある「いかなるをり」を同音意義の語句として認め、別案を得ています。それも再検討します。

 詞書:「どのような事情のあった時であったか、女のところに(おくった歌)」

 歌本文:2案あります。両案併記で1案に絞っていません。

 第1案: 「いふ」の内容、即ち、この歌を送った相手の女が何を言ったかというと、初句と四句を言った、となります。

 「通ってくる人を待つ」と、(男に)文を送ったのは、どなたがされる事でしょうか。すがのねのように長い紐が、自然にとけて乱れてしまってというのは、どのような方のことばでしょうか。」(二句は「誰が事」。

 五句は「誰が言」の意で反語であり女を指す。)詰問の歌です。この歌集では、ここまで睦言の歌はありませんでした。

 第2案:初句は相手の女の行為で、四句は女ではない別の人の行為とみると、

  「通ってくる人を待つと言われたのは、誰を待っているのですか。すがのねのようなひもが、とけて乱れてと(いうことがおこったよと)返事をくれたと貴方が言われる人は、誰のことですか。(二句は「誰が事」。五句も「誰が事」。)

 この理解でも詰問の歌となります。両案とも類似歌と同様に、二句と五句の「いふ」は同一人物(相手の女)の発言であり、「たがこと」と問うているのは作者であると理解したところです。

③ 別案は次のとおり。「いか」を、「五十日(いか)の祝い」の略称とみた試案です。

 詞書:「五十日の祝いをした折にであったか、女のもとに(おくった歌)」

 歌本文:「(この子はもう)人を待つ、と言われるのは誰のお言葉ですか、すがのねのように赤子の紐がほどけてきた(などと、)と言うのは、誰のお言葉ですか。(私は長く待てないのに。)」

 この別案は、三句「すがのね」が「乱る」にかかる枕詞でもあるので、作者は祖父と仮定したものです。しかしながら、恋の歌として男を祖父と限定するのが強引であり、『猿丸集』の前後の歌との整合を考えると、年齢を限定しているのは不都合です。また、祝いの儀式であるので、「五十日(の祝い)のをり」と言う方が「五十日なるをり」よりも素直な言い方であり、同音意義の語句としてとらえたら「形容動詞「いかなり」の連体形+名詞「をり」としての理解をまず検討すべきである、と思います。

④ 同音異義の語句については、そのほかには、みあたりませんでした。

⑤ 前後の歌(の詞書と歌本文)との比較等より、現代語訳を1つに絞りたい、と思います。

 詞書から検討します。「いかなりけるをりにか」とは、事情をぼかした言い方です。上記の現代語訳(試案)では、「裏切られた状況を、ぼかして言っている」と理解していました。

 しかし、助動詞「けむ」は、過去に実現した事がらについての推量を表します。これに注目すると、直前の歌3-4-8歌とともに過去を振り返って詠んでいる歌となります。3-4-8歌が、叶わなかった相手へおくった歌とみるならば、この歌も、同様な歌とみることができます。女を詰問した歌ですが、詞書にある「けむ」を踏まえると、くやしくて詰問したことを回想する歌、と言えます。そうであれば、その原因の追究をした、第2案の理解を採りたい、と思います。また、別案は、3-4-8歌との整合では第2案より劣ります。

⑥ この結果、この歌は、男である作者が、作者(作中主体)を選ばなかった女を、くやしくて詰問したことを回想した歌となり、類似歌は、言い寄る男を人妻が拒絶している歌と表面上はなっていますが、相聞往来歌の1首として巻第十二の相愛の歌の間に置かれているので、婉曲に男を受け入れようとしている歌であり恋の成就を期待している歌です。このため、この歌の趣旨とは異なります。

 このため、この歌は、恋の歌の要件の第一と第二と第四を満足し、第三のうち同一詞書のもとの歌としての整合もあります。歌群全体等の検討は後程することとします。

⑦ これにより、3-4-8歌の作者(作中人物)は、男である、と断定してよい、と思います。

 

9.歌群の確認

① ここまで、3-4-4歌~3-4-9歌の6首は、恋の歌として一つの歌群(第二の歌群 逢わない相手を怨む歌群)にある歌と仮定して検討をすすめてきました。

 そして、同一の傾向を持つ歌として、作者(作中主体)の立場の共通性に注目して、現代語訳の確認をしたところです。この6首の作者の立場と詞書とを整理すると、つぎの表のとおりです。なお、参考として、次の第三の歌群の冒頭2首の「現代語訳(試案)」での作者(作中主体)のイメージも例示します。

表 第二の歌群における歌の比較(3-4-4歌~3-4-9歌 

付:現代語訳(試案)での3-4-10歌、3-4-11歌)     (2020/8/3現在)

歌番号等

詞書

作者 (作中主体)

歌本文の現代語訳

3-4-4

ものおもひけるをり、ほととぎすのいたくなくをききてよめる

相手に袖にされていた男

4歌本文 3案

3-4-5

あひしりたりける女の家のまへわたるとて、くさをむすびていれたりける

あきらめきれない女々しい男

5歌本文 現代語訳(修正試案)

3-4-6

なたちける女のもとに

自嘲した男

6歌本文 現代語訳(修正試案)

3-4-7

なたちける女のもとに

無念の思いの男

7歌本文 新訳

3-4-8

はるの夜、月をまちけるに、山がくれにて心もとなかりければよめる

月を一人で見上げことを回想している男

8歌本文 新訳

3-4-9

いかなりけるをりにか有りけむ、女のもとに

くやしくて詰問したことを回想している男

9歌本文 第2案

(参考)

3-4-10

家にをみなへしをうゑてよめる

(参考)子の父親によびかける母となった女

10歌本文 現代語訳(試案)

(参考)

3-4-11

しかのなくをききて

(参考)親の説教でも愛は変わらないと訴える男

11歌本文 現代語訳(試案)

注1)歌番号等:『新編国歌大観』の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番注2)歌本文の現代語訳欄:この表作成時点での現代語訳の略称。3-4-4歌~3-4-9歌は恋の歌としての検討結果、3-4-10歌と3-4-11歌は、その検討以前の現代語訳。

 

② 6首すべてが恋の歌として理解が無理なくできました。

 作者(作中主体)からみると、3-4-4歌から3-4-9歌は、みな男からみて女との仲が破綻している状況の歌に統一されていると見えます。これから恋の歌として検討予定の3-4-10歌が子の父親を詠っている恋の歌とか、3-4-11歌が親の意見でも変わらないと詠う歌という理解であれば、3-4-9歌までとは相手の認識が異なり、3-4-10歌などは別の歌群の歌かと思えます。

③ この歌群の歌は、作者が詠む時点で、女との仲が破綻している相手にその女が選んだ男がすでにいることを示唆する歌があります(3-4-9歌)。この歌が歌群の最後の歌とすると、それまでの歌の作中主体を同一人に見立てることが可能です。各歌をみると、

3-4-4歌は、詞書で助動詞「けり」を用いています。回想の歌です。相手の女は別の男と共に、この月を待っているであろう、と想像している歌と、理解できます。女との仲は破綻直後(十分癒しの期間を経ていない頃)と推測できます。

3-4-5歌は、詞書で助動詞「けり」を用いています。そして「下紐」を結べず「草を結ぶ」というのは、再チャレンジが出来ない(女は誰かと結ばれた)時点の歌か、と理解可能です。

3-4-6歌と3-4-7歌の詞書の「な」は、相手の女が某という男と結ばれた噂と推定できます。「女」に、それでも思いを訴えた歌なのでしょう。

3-4-8歌は、歌で「ひとり」と詠い、相手は結ばれた男と今夜の月を見上げているだろう、と想像しています。十七夜以降と推測していますが、行事で月待ちをする第一は八月十五夜ですので、この歌を詠った夜は十七夜以降ではないかもしれません。2020年9月3日(月齢15.0)の月の出は京都では19時14分であり(日没は18時21分)、同年9月5日(月齢17.0)のそれは20時08分であり、「山が高ければさらに遅い時刻になります。この歌も破綻直後と推測可能です。

3-4-9歌は、回想の歌であり、誰と結ばれたのか、とその時に問いただしたという歌です。相手が誰だか(わかっているものの女に)やはり確認したい思いが募ってきた破綻直後と推測できます。

⑥ この歌群は、回想の歌から始まり回想の歌で終わる一つのグループを作っているのではないか、と推測できます。このように恋の歌の第三の条件を6首が一組となってすべて満足しています。

 さて、歌群のネーミングですが、第二の歌群は 「逢わない相手を怨む歌群」と仮称してきました。しかしながら、6首は、みな、(女の選択基準に達しなかったというよりも)女を決定的に自分から離れさせた男がいたという歌が並んでいます。このため、ネーミングは、「別の男がいた女への歌群」としてはどうか、と思います。

⑦ この歌群の歌の検討結果をまとめると、次のようになります。すべて恋の歌であり、作者はすべて一人の男となりました。

 

表 3-4-4歌~3-4-9歌(別の男がいた女への歌群の歌)の現代語訳の結果 

 (2020/8/3現在)

歌群

歌番号等

恋の歌として

別の歌として

詞書

歌本文

詞書

歌本文

歌群第二

別の男がいた女への歌群

 

3-4-4

4歌詞書 現代語訳(修正試案)

4歌本文 第3案

 

なし

なし

3-4-5

5歌詞書 現代語訳(試案)

5歌本文 現代語訳(修正試案)

なし

なし

3-4-6

6歌詞書新訳

6歌本文 現代語訳(修正試案)

なし

なし

3-4-7

同上

7歌本文 新訳

なし

なし

3-4-8

8歌詞書 新訳

8歌本文 新訳

なし

なし

3-4-9

9歌詞書 現代語訳(試案)

9歌本文第2案

なし

なし

 

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か・・・」を御覧しただき、ありがとうございます。

 次回は、次の歌群の歌を検討します。

 (2020/8/3  上村 朋)

付記1.恋の歌確認方法について

① 恋の歌確認方法は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌か第1歌総論」(2020/7/6付け)の2.①第二に記すように「字数や律などに決まりのあるのが、詩歌であり、和歌はその詩歌の一つです。だから、和歌の表現は伝えたい事柄に対して文字を費やすものです。」ということを前提にしている。

② 要件は、本文に記した。(同上のブログの2.④参照)

③ 恋の歌として検討する前提となる『猿丸集』検討の成果は、「2020/6/15現在の現代語訳成果」と総称しており、3-4-4歌から3-4-11歌を例示すれば、次のとおり。

 

表 「2020/6/15現在の現代語訳成果」の歌別詞書・歌本文別略称例 (2020/7/6現在)

歌番号等

現代語訳成果の略称

記載のブログ(わかたんかこれ・・・)

3-4-4~

 3-4-5

3-4-**歌の現代語訳(試案)

2018/2/26付けまたは2018/3/5付け

3-4-6~

3-4-7

3-4-**歌の現代語訳(試案)の少々訂正案

2020/5/25付け(訂正案) 及び

2018/3/12付け*1と2018/3/19付け*2

3-4-8

3-4-8歌の現代語訳(試案)

2018/3/26付け

3-4-9

3-4-9歌の現代語訳(試案)及び2020/5/25付けブログの例示訳(試案)

2018/4/2付け*3 及び

2020/5/25付け(例示訳(試案))

3-4-10~

3-4-11

3-4-**歌の現代語訳(試案)

2018/4/9付けまたは2018/4/23付け

注1)歌番号等欄 『新編国歌大観』の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)記載のブログ欄 日付はその日付のブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を指す

(付記終わり 2020/8/3  上村 朋)

 

 

 

  

 

  

 

*1:試案

*2:試案

*3:試案