わかたんかこれ  猿丸集は恋の歌集か 第4歌など

 (2020/7/13)、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第1歌など」と題して記しました。今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第4歌など」と題して、記します。(下記3.の集約の誤りを2022/1/15訂正した )(上村 朋)

(上村 朋)

 

1.再考第二の歌群 第4歌

① 前々回(2020/7/6)より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中です。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行ったうえ、歌群ごとにすすめています。第一の歌群は、3首すべてが「恋の歌」であることを、これまでに確認できました。

 今回は、「第二の歌群 逢わない相手を怨む歌群」(3-4-4歌~3-4-9歌)の1回目です。 

② 『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義しています。(付記1.参照)。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと 

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと③ 第二の歌群 逢わない相手を怨む歌群」から、最初の詞書2題のもとにある歌計2首を『新編国歌大観』より引用します。

3-4-4歌   ものおもひけるをり、ほととぎすのいたくなくをききてよめる 

        ほととぎす啼くらむさとにいできしがしかなくこゑをきけばくるしも 

3-4-5歌  あひしりたりける女の家のまへわたるとて、くさをむすびていれたりける

    いもがかどゆきすぎかねて草むすぶかぜふきとくなあはん日までに  

④ 3-4-4歌の詞書にある「ほととぎす」が男を示唆するとみれば、一見女性が作中主体(多分この歌の作者でもあります)か、と思わせます。作中主体の性別も検討することとします。

 現代語訳として、「2020/6/15現在の現代語訳成果」である現代語訳(試案)を引用します(ブログ2018/2/26付け参照)。

 詞書:「もの思いにふけっている折に、ホトトギスがたいそう鳴くのを聞いたので詠んだ(歌)(お元気だという噂だけ聞こえてきて姿を見せないあなたを詠んだ歌)」

 歌本文:「ホトトギスが鳴くのをよく聞くという里にきて、そこで妻を呼ぶ鹿の鳴き声を聴くのは、つらいことではないですか。」   

 この訳は、3-4-4歌の詞書にある「ものおもふ」は連語と理解したものであり、詞書から、作中主体にとって男の訪れが遠のいていたと推測し、この歌は、女である作中主体のところへの訪れが途絶えた男へのいやみの歌、と理解したところです。

⑤ ホトトギスについては、恋の歌であれば、『猿丸集』の編纂時点に近い『古今和歌集』の恋の部を参考にしてよい、と思います(付記2.参照)。未確認でしたのでここで検討します。

 『古今和歌集』の恋の部には「(やま)ほととぎす」と言う語句を用いた歌が7首あり、ホトトギスが鳴くのは恋焦がれている象徴となっています。作中主体が恋い焦がれている場合のほかに相手が恋い焦がれている場合(1-1-710歌、1-1-719歌)があります。

 いずれにしても、作者が聴覚で得た情報に基づく歌です。(付記2.参照)。それは、夏歌でも哀傷歌でも同じであり、しかも鳴いたか鳴かなかったという二者択一であり、鳴き方を詠んでいる歌は皆無です。鳴き方については、この歌の類似歌(2-1-1471歌)を検討した土屋文明氏に、なぜ多くの者に「待たれるのか」と不思議に思うような「(聞くに堪えぬまで苦しく感じる)あの鋭い声」という指摘があります。

 『古今和歌集』に詠われているホトトギスは、鳴くのを聴いて喚起するものにいくつかのパターンがありました。「待たれているもの」、「恋い焦がれているもの」、「昔を思い出させるもの」と「冥途にゆききするもの」のイメージです。

 『猿丸集』が『古今和歌集』以後の編纂であるのは確実なので、『古今和歌集』の恋部に登場するホトトギスを第一に予想して検討します。このため、恋焦がれているのが、作中主体なのか、その相手なのかを確認します。

⑥ 詞書を、最初に検討します。詞書には、作者(あるいは作中主体)の性別の決め手がありません。上記の現代語訳での()書きは作者を女性と決め込んでおり、再検討が必要です。

⑦ また、「なくをききてよめる」と、歌を詠むきっかけを記しています。しかし、ホトトギスが鳴いて作中主体が連想したのが、作中主体が待ち望んでいる(恋い焦がれるている)のか、またはその相手が待ち望んでいる(恋い焦がれるている)のか、はっきりしていない詞書の文です。

⑧ このため、作者の性を固定しないよう、詞書は、上記の現代語訳(試案)より()で補った部分を省くべきだと思います。

⑨ なお、詞書における同音意義の語句を確認すると、一つありました。

 文の初めの「ものおもひけるをり」の「ものおもふ」には連語のほかに、「もの」を「思ふ」という理解があります。ここでの「もの」は、「個別の事物を、直接に明示しないで、一般化していう」場合の「もの」と理解すると、何に思いがいっているのか、詞書の文では不明です。

 そして、その不明部分について、3-4-9歌までの再検討からヒントを得ました。「ものおもひける(をり)」とは、「作中主体が待ち望んでいる(恋い焦がれるている)」とする場合等のほかに、恋が破れたかもしれないという場合も含んだ表現である可能性です。詞書の文は、作中人物の性別のほかにも恋の進捗段階についても、直接には触れていない、ということです。

 恋の歌と仮定して今検討していますので、歌集の4番目の歌であってもう後者の場合というのは予想していなかったのですが、今のところ否定しきれません。

 また、助動詞「けり」の意は「詠嘆の気持ちをこめて回想する意がありますが、上記の現代語訳(試案)は十分に表現していません。

 そのため、詞書の現代語(試案)から()を省き、助動詞「けり」に留意し、修正したい、と思います。

 「もの思いにふけってしまっていた折に、ホトトギスがたいそう鳴くのを聞いたので詠んだ(歌)」(4歌詞書 現代語訳(修正試案)

⑩ 次に、歌本文を検討します。同音意義の語句を確認します。候補は、つぎの三つです。上記の現代語訳(試案)を得たときは、十分検討していませんでした。 

 この歌と類似歌の二句は異なり、「なかるくに」から、推理した場所である「啼くらむさと」に替わっています。その「啼くらむ」の「らむ」。

 この歌と類似歌の四句も異なり、「そのなくこゑ」から、「しかなくこゑ」に替わっています。その「しかなくこゑ」。

 五句にある「くるし」。

⑪ 「らむ」には、現在推量の助動詞「らむ」と連語「らむ」(完了の助動詞「り」の未然形+推量の助動詞「む」)の意があります。

 助動詞「らむ」の「推量の対象は、もっぱら、過去や未来と対比してとらえられる現在の物ごと」(『例解古語辞典』)となります。だから、ホトトギスがよく鳴くというのは、この歌の場合過去にあったことであり、それに引き換え今はそのような状態ではない、ということを初句と二句は表現していると理解できます。上記の現代語訳(試案)はこの意にとらえ「ホトトギスが鳴くのをよく聞くという里」とし、そのような里は今作者の近くにない(のでその里に向かった)、という意を含意しているとしています。

 連語「らむ」は「・・・ているだろう」の意です。推量の助動詞「む」のおおもとの意は、「きまっていないことについての推量です。連体形を用いてそうなることを仮定して婉曲にいう場合にも用いられています。だから、初句から二句の「ほととぎす啼くらむさと(に)」とは、「ホトトギスが鳴いているだろう里」となり、単純な想定をしている、ということになります。

⑫ 「しかなくこゑ」は、「鹿鳴く声」のほかに、「然鳴く声」(そのように鳴く声)とも理解できます。それは、「ほととぎす(の鳴き声)」が「待たれる鳥の声」(恋い焦がれるている相手の声とかふみ)と聞こえた、ということになります。作中主体かその相手かは、歌本文などの情報でわかる歌なのでしょう。

⑬ 「くるし」には、3意あり、(a)「(精神的・肉体的に)苦痛である。つらい。」と、(b)「気にかかる・気苦労である。」と、(c)「不都合である・さしつかえがある。」です。

⑭ 上記の現代語訳(試案)は、これらについて、現在推量の助動詞の「らむ」+「鹿鳴く声」+(a)の「くるし」の組合せの訳です。今から考えると、この訳であっても類似歌とは異なる意であることから、そのほかの可能性を確認しないまま恋の歌への思い込みで、詞書に()を補うなどしたことになります。

⑮ その思い込みを払拭し、詞書での「ものおもひけるをり」の理解を再確認し、「然鳴く声」(そのように鳴く声)で、現代語訳を試みます。

 「ものおもひけるをり」だけでは、恋の進捗段階も不明です。恋の歌として仮定しており、歌集の4番目の歌であるけれど破局寸前の歌も、今のところ否定しきれません。また、詞書に「なくをききてよめる」とあり、歌本文の「ほととぎす啼くらむさと」とは、実際に「なくを聞」いた作詠時点に作者(作中主体)が居た場所を指しているのか、と理解が可能です。そうすると、「らむ」の理解と恋の進捗段階によりいくつかの現代語訳が有り得ることになります。

⑯ 最初に、現在推量の助動詞の「らむ」の場合で、恋の段階が破局寸前ではないとすると、

 「ホトトギスが鳴いていると聞いてきた里にきて、そこであの恋い焦がれている声を聴くのは、(それだけでは)つらいではないですか。薄情ですよ。」(4歌本文第1案)

 次に、連語の「らむ」の場合で、恋の段階が破局寸前ではないとすると、

 「ホトトギスが鳴くだろうという里にきて、そこで恋い焦がれている声(それだけ)を聴くのは、薄情ではないですか。」(4歌本文第2案)

 次に、現在推量の助動詞の「らむ」の場合で、恋の段階が破局寸前であるとすると、

 「ホトトギスが鳴いていると聞いてきた里にきて、あの恋い焦がれている(他人の)声を聴くのは(聞かされる)のは、不都合である」(4歌本文第3案)」

 次に、連語の「らむ」の場合で、恋の段階が破局寸前であるとすると、

ホトトギスが鳴くだろうという里にきて、あの恋い焦がれている(他人の)声を聴く(聞かされる)のは、不都合である」(4歌本文第4案)」

⑰ 歌は、詞書を前提に理解しなければなりません。ホトトギスの鳴き声を聞いたのは、「さと」に来たからだ、と作者は見立てて、この歌を詠んでいます。しかしながら、歌本文五句では「きけばくるしも」と詠っています。恋い焦がれるている鳴き声であっても、自分が関わらないことだから聞くのは「くるし」ではないでしょうか。そうすると、ホトトギスの鳴き声とは、相手の女と文を交わしたり逢ったりすることに重ねて、作者はこの歌を詠んでいるものの、そのように過去に自分が経験したことを今他人がしている(自分が今は無関係)のはつらいことだ(あるいは薄情な仕打ちだ)、と詠ったのではないか。この歌は、客観的には、袖にされた男の歌、となります。

⑱ そのような「ほととぎす啼くらむさと」とは、過去と対比してとらえている「さと」であり、現在推量の助動詞の「らむ」が妥当する、と思います。歌群の配列としてなじみが増すのであれば、上記の「4歌本文第3案」が一番妥当な訳である、と思います。

⑲ この歌の作中主体は、出向いているのですから、男の立場の歌です。これらの訳と、上記の現代語訳(試案)とを比較すると、暗喩可能は生物を1種にしているこれらの訳のほうが素直な詠いぶりです。

 このため、3-4-4歌は、「4歌本文第3案」に改訳します。

⑳ 改訳案は、ともに類似歌2-1-1471歌の、「あの鋭い声」が、なぜ多くの者に「待たれるのか」ということを揶揄している歌と異なる歌意の歌であり、恋の歌の要件第一と第二を満足しています。第四も満足していますが、第三は今後の検討になります。

 

2.再考第二の歌群 第5歌

① 3-4-5歌の現代語訳として、「2020/6/15現在の現代語訳成果」である現代語訳(試案)を引用します(ブログ2018/3/5付け参照)。

 詞書: 「以前交際していたことのある、あの女の家の前を通り過ぎる、ということになり、草を、結んで投げ入れたり、(地面に生えている)草を蹴る(その時の気持ちを詠った歌)」

 歌本文:「貴方の家の前を通り過ぎることとなったので、予て思っていたように草を、結びましたよ。対面できる日までは結んだ草をほどかないで、風よ。」

② 詞書にある「くさをむすぶ」とは、類似歌(2-1-3070歌の一伝)の検討において、諸氏は俗信かと推測しています。

 動詞「むすぶ」とは、一つになった状態にする行為なので、「むすぶ」に俗信があり、お互いが身近の何かを結びあって俗信となるのでしょう。結ぶのに下紐といえば二人の関係は相愛に近く、「草」ではもう一方結ぶかどうかも疑われ、二人の関係は遠いように思えます(2018/3/5付けブログ参照)。

③ 次に、詞書にある「いれたりける」は、同音異義の語句であり、「いれたりける」は、「投げ入れたり、蹴る」、の意と理解した訳です。詞書と歌本文における同音異義の語句の確認をしましたが、このほかありません。それにしても、「いれたりける」という行動は、よほど悔しい思いが女にあるのではないか、と想像させます。この歌も3-4-9歌までの再検討からヒントを得ました。3-4-7歌から3-4-9の作者は、断られてもあきらめきれない男であろう、という推測です。

④ この歌の作者は、約束を果たせ、といやみを言っているかにみえます。さらに、「結んだ草を投げ入れる」ことに俗信があるならば、いやがらせに当たります。この歌は、女々しい男の述懐の歌と理解したのが上記の現代語訳(試案)です。

⑤ この訳は、しかしながら、恋の段階を明確にした方がよい、と思います。そのため歌本文を、その語順で素直な現代語訳に改めます。

 「貴方の家の前はただ通り過ぎることができず、草を結びましたよ。風よ、ほどくなよ、会うことができる日までは。」(5歌本文 現代語訳(修正試案))

 この歌は、恋の最終段階であってもあきらめきれない女々しい男の歌である、と理解したところです。

⑥ この歌は恋の歌の第一は満足しています。この歌の類似歌(2-1-3070歌の一伝)は、片思いの最中の歌であり恋の段階が異なりますので、恋の歌の要件の第二を満足します。第一と第四は満足していますが、第三の要件を保留します。

 

3.第一と第二の歌群の区分

① 第一の歌群のあとの詞書2題の歌計2首の再検討が終わりました。『猿丸集』の3-4-1歌から3-4-5歌までの配列を確認します。3-4-4歌から第二の歌群となるかどうかの確認です。

② 3-4-1歌から3-4-3歌は、「あひしりたりける人」への返歌であり、その人を礼讃・見直ししている歌でした。3-4-4歌と3-4-5歌は、返歌ではなく、ともに女が意に従っていないのが前提の歌でした。歌の内容の傾向が全く違います。

③ また、3-4-4歌と3-4-5歌が「恋の歌」以外の別の意の歌となっている可能性は無いのではないか。

④ このため、3-4-3歌までの歌群に3-4-4歌と3-4-5歌は入らず、新たな歌群をスタートさせている2首である、と言えます(この2首だけではまだどのような歌群かはわかりませんが)。

⑤ 今回の2題2首の再検討結果をまとめると、次のようになります。

3-4-4歌は、改まり、詞書については検討の前提である現代語訳(試案)を修正し、歌本文は新訳となりました。3-4-5歌は、詞書の現代語訳(試案)のままですが、歌本文は同(試案)を修正し、改まりました。詞書は、2題とも検討前提の現代語訳です。

3-4-5歌の詞書以外の現代語訳が、今回改まったことになります。

表 3-4-4歌~3-4-5歌の現代語訳の結果  (2020/7/15 現在)

歌群

歌番号等

恋の歌として

別の歌(序の歌)として

詞書

歌本文

詞書

歌本文

歌群第二

逢わない相手を怨む歌群

3-4-4

4歌詞書 現代語訳(修正試案)

4歌本文 第3案

なし

なし

3-4-5

5歌詞書 現代語訳(試案)

5歌本文 現代語訳(修正試案)

なし

 なし

 ⑥ 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

(2020/7/20  上村 朋)

付記1.「恋の歌」の要件について

① 要件は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か第1歌総論」(2020/7/6付け)の2.④に記す。

② 恋の歌として検討する前提となる『猿丸集』検討の成果は、「2020/6/15現在の現代語訳成果」と総称しており、3-4-1歌から3-4-11歌を例示すれば、次のとおり。

表 「2020/6/15現在の現代語訳成果」の歌別詞書・歌本文別略称例 (2020/7/20現在)

歌番号等

現代語訳成果の略称

記載のブログ(わかたんかこれ・・・)

3-4-1

巻頭歌詞書の新訳 &

巻頭歌本文の新訳

2020/5/11付け

3-4-2

巻頭歌詞書の新訳 &

巻頭第2歌の新訳

2020/5/11付け

3-4-3

3-4-3歌の現代語訳(試案)の細部変更案

2020/5/25付け及び2018/2/19付け

3-4-4~

 3-4-5

3-4-**歌の現代語訳(試案)

2018/2/26付けまたは2018/3/5付け

3-4-6~

3-4-7

3-4-**歌の現代語訳(試案)の少々訂正案

2020/5/25付け(訂正案) 及び

2018/3/12付け*1と2018/3/19付け*2

3-4-8

3-4-8歌の現代語訳(試案)

2018/3/26付け

3-4-9

2020/5/25付けブログの例示訳(試案)

2020/5/25付け

3-4-10~

3-4-11

3-4-**歌の現代語訳(試案)

2018/4/9付けほか当該関係ブログ

注1)歌番号等欄 『新編国歌大観』の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)記載のブログ欄 日付はその日付のブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を指す

 

付記2. 古今集ホトトギスを詠む歌は、次のとおり。

① 恋歌でホトトギスを詠む歌:7首:聴覚の情報から詠を詠んであり。視覚情報から詠んだ歌はない。

1-1-469歌:恋一巻頭歌:題しらず:ホトトギスはなき、作中主体(性別不明)は悲恋になく。

1-1-499歌:恋一:題しらず:ホトトギスはなき、作中主体(性別不明)は恋焦がれている。

1-1-578歌:恋二:題しらず:ホトトギスは夜通しなき、作中主体(性別不明)も同じように物悲しい(作者は男)。

1-1-579歌:恋二:題しらず:ホトトギスは空近く梢でなき、作中主体(性別不明)の心はそらになる恋をする(作者は男)。

1-1-641歌:恋三:題しらず:ホトトギスが暁に鳴き、作中主体(男)は後朝の別れに放心状態。

1-1-710歌:恋四:題しらず:ホトトギスは近くにいるが、誰かはどこの里でなくか。作中主体は女。

1-1-719歌:恋四:題しらず:ホトトギスは秋になり消える、作中主体(性別不明)も秋(飽き)と気付いて消える。

② 夏歌は34首あり、うち28首がホトトギスを詠み、すべてホトトギスを聴覚で捉えた景である。鳴き声のほかにホトトギスが移動するのを聴覚で捉えている歌がある(1-1-151歌~1-1-154歌)。ホトトギス(の鳴き声)は待たれるものであるか、昔を思い出させるもの(8首)と詠われている。

③ 夏歌で詞書に「(やま)ほととぎす」の語句がある歌が8首ある。1首だけホトトギスは昔を思いださせるものと詠う(1-1-163歌)

 「・・・ほととぎすのなくをききてよめる」:1-1-142歌、1-1-160歌  (2首) 

「ほととぎすの(・・・)なきけるをききてよめる」:1-1-143歌、1-1-162歌~1-1-164歌 (4首)

「ほととぎすのなくをよめる」:1-1-144歌 (1首)

下命の歌(ほととぎすまつうたよめ):1-1-161歌 (1首)  

詞書に「(やま)ほととぎす」の語句がない歌:計20首

題しらずの歌:1-1-135歌(巻頭歌)、1-1-137歌、1-1-138歌、1-1-140歌、1-1-141歌、1-1-145歌~1-1-152歌、1-1-159歌 (14首)

歌合せの歌:1-1-153歌~1-1-158歌 (6首)

④ 哀傷歌:2首:1-1-849歌(ホトトギスは昔を思い出させる鳥)、1-1-855歌(ホトトギスは冥途に通う鳥)

⑤ 雑体・誹諧歌:1首:1-1-1013歌:(ホトトギス死出の田長)

⑥ 春歌と雑歌には、ホトトギスを詠う歌はない。そのほかの部立ての歌は未確認。

(付記終り 2020/7/20   上村 朋)

 

 

 

 

 

 

 

*1:試案

*2:試案