わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第1歌総論

 前回(2020/6/15)、 「わかたんかこれ 猿丸集の部立てと歌群の推測 その4 再びみぬ人」と題して記しました。

今回 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第1歌総論」と題して、第1歌から再検討をします(上村 朋)。(付記1.に2020/7/13三代集を追加した。)

 

1.『猿丸集』の恋の歌集なのか

①『猿丸集』は、52首からなる、猿丸(大夫)という人物に仮託した歌集と言われ、異伝歌を集めた歌集ともいわれてきています。しかし、『人丸集』や『赤人集』と異なり全部の歌が新たな詞書を付けて集録されており、異伝歌を集めた歌集としては変な歌集です。

 その歌集の各歌について現代語訳を私は試みてきましたが、『猿丸集』の52首すべては、異伝歌ではなく、的確な表現の詞書を持つ新たな歌であり、恋の歌が大変多い歌集でした。

②次に、『猿丸集』の構成を検討するため、勅撰集の各巻の巻頭歌と掉尾の歌になぞらえ、最初と最後の詞書のもとにある歌各2首を比較検討すると、それらは編纂意図を示したかのような歌と受け取れました。

 それに従い、恋の歌の歌集と仮定して歌群を想定したところ、1案として12の歌群を得ました。歌群名が固定できていませんが、次のような歌群です。

 

第一 相手を礼讃する歌群:3-4-1歌~3-4-3歌 (3首 詞書2題) 

     この歌群は歌集の序ともとれる内容の歌群である。

第二 逢わない相手を怨む歌群:3-4-4歌~3-4-9歌 (6首 詞書5題)

第三 訪れを待つ歌群:3-4-10歌~3-4-11歌 (2首 詞書2題)

第四 あうことがかなわぬ歌群:3-4-12歌~3-4-18歌 (7首 詞書4題)

第五 逆境の歌群:3-4-19歌~3-4-26歌 (8首 詞書3題)

第六 逆境深まる歌群:3-4-27歌~3-4-28歌 (2首 詞書2題)

第七 乗り越える歌群:3-4-29歌~3-4-32歌 (4首 詞書3題)

第八 もどかしい進展の歌群:3-4-33歌~3-4-36歌 (4首 詞書4題)

第九 破局再確認の歌群:3-4-37歌~3-4-41歌 (5首 詞書2題)

      (当初案から名称変更)

第十 「懐かしんでいる歌群」あるいは「未練の歌群」:3-4-42歌~3-4-44歌 (3首 詞書2題)

      (当初案から名称変更と対象歌を減少)

第十一 「新たなチャレンジの歌群」:3-4-45歌~3-4-49歌 (5首 詞書4題)

      (当初案から対象歌を増加し名称変更)

第十二 今後に期待する歌群:3-4-50歌~3-4-52歌 (3首 詞書2題)

       この歌群は、歌集編纂者の後記とも思わせる歌群である。

③このようなネーミングの歌群構成から成る歌集というからには、『猿丸集』歌52首が、すべて「恋の歌」であるのが望ましいところです。恋の当事者の歌に限らなくとも、広く「恋の心によせる歌」であって欲しい。

 『古今和歌集』にある1-1-1014歌は、「七月六日たなばたの心をよみける」と題する藤原かねすけの朝臣の歌です。『拾遺和歌集』にある1-3-925歌は恋五の巻頭歌です。これらの歌は「恋の歌」の一例と考えています(付記1.参照)。

④フィルターは、あるものを取り除いたり弱めたりするので、別のあるものを強調してみせてくれます。同じように広く「恋の心によせる歌」であるはずと仮定して、『猿丸集』の歌を理解すると、どのような歌集が立ち現れるのか、それをこれから試みてみます。

 このフィルターを掛けた作業により、これまでの『猿丸集』各歌の現代語訳の成果がチェックできますので、『猿丸集』編纂の意図や方針検討の一助となると予想しています。

 

2.恋の歌確認の方法

①これまで通り、次のことが前提です。

 第一 言葉は、ある年代には共通の認識で使われるものであり、その年代をすぎると、それまでの認識のほかに新たな認識を加えたりして使われるものである、という考えを前提とします。もてはやされる用語(とその使い方)がある、ということを認めたものです。

 第二 字数や律などに決まりのあるのが、詩歌であり、和歌はその詩歌の一つです。だから、和歌の表現は伝えたい事柄に対して文字を費やすものです。

 第三 和歌は、歌集として今日まで伝わっています。その歌集の撰者・編纂者は、自らの意図で歌を取捨選択し歌集を作っています。だから、歌集の撰者・編纂者の意図と個々の作品(各歌)の作者の意図とは別です。歌集そのものとそれに記載の歌とは別の作品、ということです。

②『猿丸集』の成立は、今のところ公任の「三十六人撰」成立以前と仮定しています。どこまで遡れるかというと、『古今和歌集』歌を前提とした歌が多くあるので、『古今和歌集』成立以後までです(直後の時期は除外できると予想しています)。言葉の意味の時代的限定がある、ということです(付記2.参照)。

③『猿丸集』の歌を、改めて「恋の歌」と仮定して検討し、「恋の歌」に必要な改訳・補足をします。その前提となる理解を「2020/6/15付けのブログまでの成果である現代語訳」と総称して「2020/6/15現在の現代語訳成果」ということにします。具体には付記.3を参照ください。なお、歌は『新編国歌大観』より引用します。

④『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義しておきます。

 第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

 第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

 第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと

 第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと

⑤検討の結果、「2020/6/15現在の現代語訳成果」及び上記の歌群の名と並びとの修正・提案をするものとします。

 

3.再考第一の歌群と詞書

①上記の歌群ごとに検討をすすめます。第一の歌群・相手を礼讃する歌群の歌3首を、『新編国歌大観』より引用します。

  3-4-1歌  あひしりたりける人の、ものよりきてすげにふみをさしてこれはいかがみるといひたりけるによめる 

    しらすげのまののはぎ原ゆくさくさきみこそ見えめまののはぎはら 

 

  3-4-2歌   (詞書は3-4-1歌に同じ)

    から人のころもそむてふむらさきのこころにしみておもほゆるかな

 

3-4-3歌  あだなりける人の、さすがにたのめつつつれなくのみありければ、うらみてよめる

    いでひとはことのみぞよき月くさのうつしごころはいろことにして

②歌群の名を「相手を礼讃する歌群」としたのは、『猿丸集』の最初にある歌3首が、3-4-1歌の詞書にある語句「ふみ」を「ものの道理より説いた書き付け」と理解した結果です。

 3-4-1歌の詞書にある語句「ふみ」の意をこのように理解しても、「恋の歌」を詠めないわけではありません。詠むのは不可能である、と証明するのは不可能です。

 さらに、「ふみ」を「恋のふみ」と推測すれば、この詞書のもとにある3-4-1歌と3-4-2歌は、「恋の歌」の可能性は格段に高まります。そして、『猿丸集』における二つ目の詞書である3-4-3歌の詞書は「男女間に生じている事柄を述べている」と私は現在のところ理解しているので、この歌群にある3首すべてが恋の歌となる可能性は、それにより高まります。

 とりあえず、恋の歌と理解できる可能性のある場合すべてを追求します。即ち、「ふみ」を、ここまでの理解による「ものの道理より説いた書き付け」という仮定、あるいは新たに「恋のふみ」という仮定をしたら、第一の歌群の3首がすべて「恋の歌」となるかどうか、の検討です

③はじめに、詞書と歌本文について、文の構成を確認します。『猿丸集』の詞書の記述タイプは、3つほど認められます。

  作者側の経緯を記すタイプ:例 3-4-11歌 しかのなくをきいて

  おくる相手を簡単に紹介するタイプ:例 3-4-6歌 なたちける女のもとに

  おくる相手をもう少し丁寧に紹介するタイプ:例 3-4-1歌

 どのタイプも固有の地名・人名を含んでいません。

 『猿丸集』の最初の詞書と二つ目の詞書は、その3番目のタイプになります。44文字と35文字用いた文です。(なお、最後の詞書とその前の詞書は、作者側の経緯を記すタイプになっています。)

④最初の詞書は文字数が和歌の31文字より多く、かつ歌とともにいくつかの文の組合せの文であるので、詞書と歌本文とについて、文としての出だしなどを比較すると次の表が得られます。

表 猿丸集最初の詞書とそのもとにある歌の文の比較  (2020/7/6 現在)

文の区分

出だし

次の語句

最後

詞書

あひ…人の

ものよりきて・・・いかがみる

よめる

第1歌 歌本文

しらすげの

まののはぎはら (ゆくさくさ)

(きみこそ)みえめ

第2歌 歌本文

から人の

ころもそむてふ

おもほるゆかな

⑤出だしを比較します。詞書の「あひ・・・人の」の「の」は、主語であることを示す主格の助詞である、と理解して現代語訳を試みてきました。第2歌歌本文の「の」も主格の助詞と迷わずここまでの検討で理解してきました。
 これに対して第1歌本文の「の」は、ここまでの検討で主格の助詞や同格の助詞などを試みてきました。

 しかしながら、『猿丸集』の編纂者は歌集冒頭の2首をひとつの詞書のもとに配列しており、編纂の一端をしっかりみせているはずです。

 この『猿丸集』の最初にある詞書のもとにある2首、という配列を重視すれば、第1歌の歌本文初句(出だし)の「の」も、主格の助詞が最有力である、と今は思います。

⑥詞書と2首の歌本文において、次の語句もこの3つの文は似ています。表の「出だし」の欄の人物が主語となり、「次の語句」の欄の語句が述語とみなせます。「最後」の欄の語句は、次の語句までの文の示した条件下における誰かの行為を示している。とみなせます。

⑦最後の語句は、主語である人物の行為を明確にしています。第1歌の歌本文の「(きみこそ)みえめ」は、係り結びとなっており、その意は、「(あなたこそ)しっかりとそうみえるのが当然だ、適当だ。」です。なお、動詞「みゆ」には、また「妻になる、嫁ぐ」意もあります。

⑧この歌群のもうひとつの詞書とそのもとにある歌について、上記と同様に比較すると、次のようになります。

表 猿丸集の二つ目の詞書とそのもとにある歌の文の比較  (2020/7/6 現在)

文の区分

出だし

次の語句

最後

詞書

あだなりける人の

(さすがに・・・)つれなくのみありけれ(ば)

よめる

歌本文

いでひとは

ことのみぞよき

(いろことに)して

 詞書の出だしにある「の」は、主格の助詞であり、次の語句が主格の行為を述べています。

 歌本文の出だしにある「は」は、係助詞であり、付いた語句を主語・題目として明示しており、次の語句が「は」が付いた語句の述語部となっています。

⑨この歌群にある3首の詞書と歌本文は、みな、出だしの語句で示された人物が、次の語句にある行為をしている、という共通点があります。文の構成を共通にしている、とみえます。

⑩3-4-3歌は、詞書にある「つれなしのみありけ(り)」と「うらみ(る)」が対比されており、それは歌本文の二句にある「こと」が五句の「こと」が対比されていることに対応している、と推理できます。

⑪このようなことを確認し、詞書等を改めて現代語訳してみようと思います。

 なお、助詞「の」には、主格の助詞の意のほかに、連体修飾語をつくる連体格の助詞やその前後の語句が同一の物(あるいは人物)であることを示す同格の助詞の意もあります。

 

4.再考第一の歌群 第1歌詞書

①では、3-4-1歌の詞書を検討します。「ふみ」を「ものの道理より説いた書き付け」と仮定した場合は、「2020/6/15現在の現代語訳成果」で、次の現代語訳を得ています。

 「旧知であった人が、ものの道理より説いた書き付けを、菅笠に載せて差し出し、「これはどのようにご覧になりますか」と(言いつつ)、一節を吟じたので、詠んだ(歌)」 (「巻頭歌詞書の新訳」)

 この訳は、「これはいかがみるといひたりける(によめる)」の「いふ」を「一節を吟じる」(詩歌を吟ずる・くちづさむ)と理解しました。動詞「いふ」には、このほか「ことばを口にする」、「うわさする」などの意があります(『例解古語辞典』)。

②次に、詞書にある「ふみ」が「恋のふみ」であると仮定した場合を、検討します。

 この詞書において、この仮定が成り立つのは、「ふみ」をみせて、「これはいかがみるといひたりける(によめる)」という景が、当時実際に有り得るかどうかにかかります。

 「恋のふみ」を、今、「男女の間で贈答した書き付け」とし、さらに「男女の結び付きの、きっかけから死に別れあるいは別れが確定したと当事者が認識するまでの間に当該男女のやりとりした書き物」をとくに指す、と定義しておきます。

③官人において、男女の結びつきは、個人同士の結び付きだけではなく、家長が承認し、家同士が社会的な関係を結んだことを公けにするものです((だから、個人優先の男女の仲として秘す事例も生じています)。資産については(性を問わず)個人が所有しているという通念が当時ありますので、家長がほかの人々を経済面で一方的に従属させているという家族関係ではありません。 

 家の繁栄は、男女の関係・親子関係、特に今上天皇や次期天皇候補との関係が重要な役割を担っているのが、三代集とこの『猿丸集』の編纂者の時代です。男女の結びつきは、情報収集から始まり、男からみると「恋のふみ」を贈ったら受け取ってもらえるかどうかの瀬踏みを経て、受け取ってもらえる感触を得たら一歩前進です。

④「恋のふみ」は、和歌のみの場合や贈り物に添えた手紙の場合もあり、「ふみ」を書いた用紙類や事前事後に蒐集した情報とともに「恋のふみ」をよこした人物を評価する情報のひとつとなります。通常の「恋のふみ」は相手本人のほか周囲の者が当然見ることができ、家族(一族)の長を中心として判断をすることになります。3-4-15歌~3-4-17歌、3-4-22歌~3-4-26歌あるいは3-4-48歌~3-4-49歌などにそれが垣間見えます。  

⑤そのため、詞書にある「すげにふみをさしてこれをいかがみる」という文は、おくられてきた「恋のふみ」を、家族・親族が評価しようとしている場面、ととらえることが可能です。

 この詞書では、さらに情報が記されています。

⑥「すげにふみをさして」の語句にある格助詞「に」は、多義の語です。「ひろく、物事が存在し、動作し、作用する場を示す」(a)、「動作のゆきつくところを示す」(b)及び「動作・作用が行われるための方法・手段を示す」(c)など(『例解古語辞典』)の意があります。

 そのうちの(c)と理解すると、上記の文は、

「すげという草の葉で「ふみ」を指して、これをどのようにみるか」

というように理解できます。

 単に「ふみ」を置いて「いかがみる」と言ってもその意は作者に伝わります。だまって「恋のふみ」を目の前に並べただけでも伝わるかもしれません。

 それなのに普段は使わない(「ものより」来る途中調達できるような)「すげ」(とか菅笠)という小道具を手にして人に会い、そしてそれで指し示すのは、誰に対してもできる作法ではありません。

⑦また、詞書にある「ものよりきて」の「もの」も同音異義の語句のひとつであり、「個別の事物を直接に明示しないで一般化していう場合」のほかに、さらに「出向いてゆくべき所」という意もあります。「あひしりたりける人」(官人と推測できる人物です)は、本来作者が出向くべき人の意ではないでしょうか。(付記4.参照)

 「すげ」で「ふみ」を指したのは、上位の人に対してできる作法ではありませんので、「あひしりたりける人」より作者の身分が低いことを示唆しています。

⑧そうすると、詞書にある「あひしりたりける人」が「ものよりきて」とは、その家族のうちの主だった者の一人が、「ふみ」が関係する事柄について何らかの了解を得る等のためにわざわざ3-4-1歌の作者のもとを訪れたことを指している、と理解できます。作者は、例えば「あひしりたりける人」の従妹とか同居していない夫人とか子供、が候補となります。 

 このため、この詞書の文は、「恋のふみ」を関係者が持ってきて相談している状況を記しており、(恋の当事者のところに集まっていないので例外的なことかもしれませんが)当時有り得る景の一つである、と言えます。

⑨そして、詞書にある「・・・といひたりけるに」を、例えば「・・・と言ったので」と理解すれば、3-4-1歌の詞書は、次のように現代語訳ができます。

 「よく存じ上げている人が、あるところから(わざわざ)きて、すげの葉で「ふみ」(恋のふみ)を指して、これをどのようにみるか」と言われたので、詠んだ(歌)」 

 これを「1歌詞書第1案」ということとします。   

⑩また、「いふ」を、「巻頭歌詞書の新訳」とおなじように、「吟じる」と理解することもできます。即ち、

 「よく存じ上げている人が、あるところから(わざわざ)きて、すげの葉で「ふみ」(恋のふみ)を指して、これをどのようにみるか」と(言いつつ、詩歌の)一節を吟じたので、詠んだ(歌)」

 これを「1歌詞書第2案」ということとします。   

 3-4-1歌の詞書は、恋の歌の詞書と仮定して、このように3つの現代語訳を得ました。それぞれの場合において、歌本文が「恋の歌」として理解できるかを、次に確認します。

 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か・・・」を御覧いただき、ありがとうございます。

(2020/7/6  上村 朋)

付記1.三代集での恋の歌について

①三代集で、次の②から⑥のような歌は、本文でいう「恋の歌」の要件第一(「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること)に該当する、といえる。

②詞書に「心をよみける」とあり、部立てに関わらず「恋の歌」とみなせる歌(元資料は恋の歌といえる歌)

古今和歌集』巻十九 雑体 

 誹諧歌 1-1-1014歌 七月六日たなばたの心をよみける 藤原かねすけ朝臣

いつしかとまたぐ心をはぎにあげてあまのかはらをけふやわたらむ

 この歌は、作者が彦星の代作をしている歌である。

③『拾遺和歌集』の恋の部立てにあり、詞書では、恋の歌と即断しかねる歌

 恋二 1-3-757歌 万葉集和し侍りけるに   源 順

おもふらむ心の内をしらぬ身はしぬばかりにもあらじとぞ思ふ

 恋三 1-3-781歌 たびの思ひをしのぶといふことを    石上乙麿

あしひきの山こえくれてやどからばいもたちまちていねざらむかも

 恋五 1-3-925歌 善祐法師ながされ侍りける時、母のいひつかはしける

さもこそはあひ見むことのかたからめわすれずとだにいふ人のなき

(この歌は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集と拾遺集の詞書」(2020/2/24付け)で触れた。小池博明氏が論じる恋部の構成(私のいう配列)(『新典社研究叢書 拾遺集の構成』(1996))を参考にした。私見では、詞書のみからは、恋が終わっていることを(『拾遺和歌集集』をみる人に)示唆する歌としてここに歌集編纂者は置いたか、とも見える。)

 雑恋 1-3-1216歌 ながされ侍りける時    贈太政大臣

        あめのしたのがるる人のなければやきてしぬれぎぬひるよしもなき

④詞書に「たなばたをよめる」とある歌が『後撰和歌集』秋上 1-2-239歌~1-2-247歌にある。

 例えば よみ人しらずの歌1-2-239歌は、「天河とほき渡はなけれども君がふなでは年にこそまて」と第三者の立場で織姫を説得あるいは織姫の代作をしている。 

 例えば1-2-247歌は、凡河内躬恒が「秋の夜のあかぬ別をたなばたはたてぬきにこそ思ふべらなれ」と「たなばた」(彦星)を第三者の立場で思いやっている。

⑤『古今和歌集』のよみ人しらずの歌でその元資料が恋の歌と推測可能な歌の例

 春歌上 1-1-17歌  かすがのはけふはなやきそわか草のつまもこもれり我もこもれり

 春歌上 1-1-64歌  ちりぬればこふれどしるしなきものをけふこそさくらをらばをりてめ

 春歌下 1-1-100歌 まつ人もこぬものゆゑにうぐひすのなきつる花ををりてけるかな

 秋歌上 1-1-173歌 秋風の吹きにし日より久方のあまのかはらにたたぬ日はなし

 秋歌上 1-1-224歌 萩が花ちるらむをののつゆじもにぬれてをゆかむさ夜はふくとも

(3-4-42歌の類似歌であり、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第42歌 はぎのはな」(2019/3/11付け)で検討した歌)

 雑歌下 1-1-973歌 我を君なにはの浦に有りしかばうきめをみつのあまとなりにき

 雑歌下 1-1-975歌 いまさらにとふべき人もおもほへずやへむぐらしてかどさせりてへ

 雑歌下 1-1-982歌 わがいほはみわの山もとこひしくはとぶらひきませすぎたてるかど

⑥『後撰和歌集』のよみ人しらずの歌でその元資料が恋の歌と推測可能な歌の例

春上 1-2-31歌 梅花かをふきかくる春風に心をそめば人やとがめむ

春上 1-2-37歌 君がため山田のさはにゑぐつむとぬれにし袖は今もかわかず

夏 1-2-192歌 うちはへてねをなきくらす空蝉のむなしきこひも我はするかな

夏 1-2-201歌 常夏に思ひそめては人しれぬ心の程は色に見えなん

 (返しと題して1-2-202歌がよみ人しらずで並ぶ)

秋中 1-2-290歌 秋の夜をいたづらにのみおきあかす露はわが身のうへにぞ有りける  

秋中 1-2-304歌 秋はぎの枝もとををになり行くは白露おもくおけばなりけり

冬 1-2-481歌 思ひつつねなくにあくる冬の夜の袖の氷はとけずもあるかな

冬 1-2-489歌 おしなべて雪のふれればわがやどのすぎを尋ねて問ふ人もなし

雑三 1-2-1210歌 浪かずにあらぬ身なれば住吉の岸にもよらずなりやはてな

⑦なお、恋の歌とみなせないが、詞書に「春の心を」とある歌が『後撰和歌集』にある。

 春歌上 1-2-58歌 春の心を    伊勢

   あをやぎをのいとよりはへておるはたをいづれの山の鶯かきる

 

 付記2.『猿丸集』の成立時点の上限について

①『猿丸集』の成立時点を類似歌記載の歌集で推測すると、勅撰集では、『古今和歌集』記載の歌がある。『後撰和歌集』記載の歌はない。『拾遺和歌集』記載の歌はあるが、その歌は『神楽歌』でもあったり(3-4-7歌)、『人丸集』にもあったり(3-4-30歌)する。

②言葉の意味の時代的限定としては、このため、いまのところ『古今和歌集』の成立後を上限として検討を行う。

 

付記3.恋の歌として検討する前提となる『猿丸集』の理解について

①本文でいう「2020/6/15現在の現代語訳成果」とは、2020/6/15付けのブログまでの成果をさし、各歌についての現代語訳を以下のように略称した総体である。これらの歌の理解(現代語訳成果)を前提に再度語句・配列等を確認し、恋の歌どうかの検討を今回している。

②現代語訳は歌ごとに原則1案であるが、複数の意があるとしている状況の歌もあり、それぞれの訳を含む。また、判定未定のままにしてある歌もあり、それらの訳である場合もある。

③3-4-1歌から3-4-11歌までの現代語訳成果を、具体に記すと、次のような略称の現代語訳であり、それを示している主たるブログの年月日をあわせて記す。

表 「2020/6/15現在の現代語訳成果」の歌別詞書・歌本文別略称 (2020/7/1現在)

歌番号等

現代語訳成果の略称

記載のブログ

3-4-1

巻頭歌詞書の新訳 &

巻頭歌本文の新訳

2020/5/11付け

3-4-2

巻頭歌詞書の新訳 &

巻頭第2歌の新訳

2020/5/11付け

3-4-3

3-4-3歌の現代語訳(試案)の細部変更案

2020/5/25付け及び2018/2/19付け

3-4-4~

 3-4-5

3-4-**歌の現代語訳(試案)

2018/2/26付けまたは2018/3/5付け

3-4-6~

3-4-7

3-4-**歌の現代語訳(試案)の少々訂正案

2020/5/25付け(訂正案) 及び

2018/3/12付け*1と2018/3/19付け*2

3-4-8

3-4-8歌の現代語訳(試案)

2018/3/26付け

3-4-9

2020/5/25付けブログの例示訳(試案)

2020/5/25付け

3-4-10~

3-4-11

3-4-**歌の現代語訳(試案)

2018/4/9付けほか当該関係ブログ

注1)歌番号等欄:『新編国歌大観』の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)記載のブログ欄 日付はその日付のブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を指す。

 

 付記4.「もの」の用例

①「ものへゆく」:出向いてゆくべき所の意の場合

『猿丸集』3-4-21歌の詞書:「物へゆくに うみのほとりをみれば・・・」

 同 3-4-27歌の詞書:「物へゆきけるみちに・・・」

枕草子』「僧都の御乳母の」:「あからさまにものにまかりたりしほどに・・・」(ほんのちょっと出向いて行くべきところに行ったとき・・・)

②「もの」:個別の事物を直接に明示しないで一般化していう場合

 『猿丸集』3-4-4歌の詞書:「ものおもひけるをり・・・」

 『蜻蛉日記』「天暦八年」:「いと心細く悲しきことものに非ず」

 『後撰和歌集』1-2-1028歌の詞書:「かひに人のものいふとききて」

③「ものよりきて」:三代集の詞書にはない。

 『猿丸集』3-4-1歌の詞書:「あひしりたりける人の、ものよりきて・・・」

④連語:物に付く:からだにより付く。身辺に乗り移る。

(付記終わり 2020/7/6  上村 朋)

 

*1:試案

*2:試案