わかたんかこれ  猿丸集の部立てと歌群の推測 その4 再びみぬ人

 前回(2020/6/8)、 「わかたんかこれ 猿丸集の部立てと歌群の推測 その3 はじめつかた」と題して記しました。

 今回 「わかたんかこれ 猿丸集の部立てと歌群の推測 その4 再びみぬ人」と題して歌集後半の検討を記します(上村 朋)。

 

1.~10.承前

(『猿丸集』の最初の2首と最後の2首の歌の現代語訳を再確認し比較検討の結果、可能性の高まった『猿丸集』編纂者が設定されたであろう歌群の想定を試み、2020/5/11現在の現代語訳の成果(付記1.①と②参照)を前提に、1案を得た(表1~表4)。3-4-1歌から3-4-44歌においては、現代語訳成果におけるいくつかの歌での誤りを正すと、想定した歌群は概ね妥当であったが、第九の歌群以降は想定歌群名の修正を要するかもしれない。検討は、『猿丸集』歌の部立て、詞書、歌意、前後の歌との関係及び作者の立場などより試みたものである。なお、これは、これまでの『猿丸集』各歌の現代語訳(試案)のチェックになる作業でもある。)

 

11.想定した歌群(案)の再掲

① 想定した歌群(案)を再掲します(付記1.③参照)。修正を要する歌群名を追加して記します。

 その想定にあたり、障害となる事柄(想定した歌群の視点から生じた当該歌の疑問点)がある場合は、その指摘にとどめ、それが解消するものとして想定したものです。3-4-44歌までの疑問点は、前回までの検討で解消したところです。

 第一 相手を礼讃する歌群:3-4-1歌~3-4-3歌 (3首 詞書2題) 

この歌群は歌集の序ともとれる内容の歌群である。

第二 逢わない相手を怨む歌群:3-4-4歌~3-4-9歌 (6首 詞書5題)

第三 訪れを待つ歌群:3-4-10歌~3-4-11歌 (2首 詞書2題)

第四 あうことがかなわぬ歌群:3-4-12歌~3-4-18歌 (7首 詞書4題)

第五 逆境の歌群:3-4-19歌~3-4-26歌 (8首 詞書3題)

第六 逆境深まる歌群:3-4-27歌~3-4-28歌 (2首 詞書2題)

第七 乗り越える歌群:3-4-29歌~3-4-32歌 (4首 詞書3題)

第八 もどかしい進展の歌群:3-4-33歌~3-4-36歌 (4首 詞書4題)

第九 破局覚悟の歌群:3-4-37歌~3-4-41歌 (5首 詞書2題)

     修正案は「破局再確認の歌群」

第十 再びチャレンジの歌群:3-4-42歌~3-4-46歌 (5首 詞書4題)

     修正案は3-4-42歌~3-4-44歌の3首からなる「懐かしんでいる歌群」あるいは「未練の歌群」

第十一 期待をつなぐ歌群:3-4-47歌~3-4-49歌 (3首 詞書2題)

      修正案は3-4-45歌と3-4-46歌をも含む歌群か

第十二 今後に期待する歌群:3-4-50歌~3-4-52歌 (3首 詞書2題)

       この歌群は、歌集編纂者の後記とも思わせる歌群である。

 

② 3-4-42歌以降の各歌の歌群想定を、付記2.に再掲します。

上記の障害となる事柄(疑念)のある歌は、次のように、『猿丸集』第44歌以降では1首あります。その解決案は下記に記します。

3-4-50歌 (疑念は)相手の性別や歌意など

 

12.詞書のつながり

① 3-4-50歌の検討の前に、3-4-27歌以降の詞書の特徴がどこまで続くか、確認します。

② 3-4-27歌から3-4-36歌までは、詞書が同じであれば作者が同じベクトルの歌(ケース1)となり、詞書が異なるものの共通の語句のある詞書の歌同士は、その共通の語句に関してベクトルが異なる歌(ケース2)となっています。

 同じ詞書のもとにある3-4-37歌と3-4-38歌は、同じベクトルの歌(ケース1)であり、かつこの両歌は、詞書の異なる3-4-36歌とベクトルが異なりました。そして3-4-39歌~3-4-41歌もケース1の歌でしたが、詞書の異なる3-4-37歌や3-4-42歌とは異なる歌意でした。

 3-4-42歌の詞書は、3-4-43歌と3-4-44歌にかかる詞書とは異なっていますが共通の語句「女のもとに」が詞書にありこの3首はケース2でした。

③ 3-4-45歌以降も各詞書からの関係は、次のように予想できます。

 3-4-45歌と3-4-46歌は、詞書がそれぞれ別であり、歌のベクトルが異なると予想できます。しかし、作者と相手の女性との関係は、現在は縁が切れているかに見えるのが共通です。ケース1相当の歌かもしれません。

 3-4-48歌と3-4-49歌、および3-4-51歌と3-4-52歌は、それぞれケース1の歌でしょう。

 詞書が異なる3-4-47歌に対する3-4-48歌と3-4-49歌は、歌をおくった相手の女性の立場が、相手の男につれなくされている女とつれなくしている女、という対比があります。

 そして、3-4-50歌の詞書と3-4-51歌(および3-4-52歌)の詞書には、「はな見にまかる」という共通の語句があり、ケース2ではないか、と予想できます。

 このように、詞書が2題ごとに組み合わされているのが3-4-52歌まで続いている、という予想できます。

④ なお、3-4-27歌以降の類似歌を確認すると、古今集歌が大部分であり、萬葉集歌は3-4-27歌と3-4-29歌と3-4-44歌と3-4-45歌、人丸集歌が3-4-30歌、2首目の類似歌として拾遺集歌などが3-4-30歌と3-4-37歌と3-4-39歌にあるだけです。

 3-4-26歌までは萬葉集歌が大部分であり、古今集歌などが、3-4-3歌と3-4-17歌、2首目の類似歌として拾遺集歌など2首などとなっています。

 3-4-27歌前後で『猿丸集』編纂に変化があったのか、今後確認したい、と思います。

 

13.歌群の検討 その5 3-4-50歌以前

① 前回、想定した歌群のネーミングの修正提案は、3-4-45歌以降で別の歌群を成すのではないか、ということからでした。念のため、「期待をつなぐ歌群」が「3-4-45歌~3-4-49歌 (5首 詞書4題)」から成るかどうかを検討しておきます。

② 3-4-45歌の詞書は、

「あひしれりける人の、なくなりにけるところを見て」

とあり、同音異義の語句である「ところ」は、「と言う場面、即ち、夫人一人の生活が落ち着いて」の意と理解した現代語訳(試案)を得ました。

 そのため、この歌の現代語訳(試案)は、「今は亡き友人の妻に語りかけた歌」であり、男女間の歌が多い『猿丸集』であることを考慮すると、作者にとり「チャンス」到来とみた挨拶歌ではないかと推測したところです。

 あるいは、作者と同じように、相手と別れざるを得なかった境遇にいる者へ送った歌であり、単に同情している歌であるかもしれません。ただ、上記の挨拶歌も同情からの歌でも、馴れ馴れしい、厚かましいという印象の歌とは紙一重の違いに見えます。なお、同音意義の語句の新たな発見はありませんでした。

③ 3-4-46歌の詞書は、

「人のいみじうあだなるとのみいひて、さらにこころいれぬけしきなりければ、我もなにかはとけひきてありければ、女のうらみたりける返事に」

とあります。

 3-4-45歌の次に配列されていることから3-4-45の詞書を前提に理解せよとの編纂者の指示とみれば、3-4-45歌をおくった相手の女性が、3-4-46歌の詞書にある「人の・・・いれぬけしきなりける」人、であるとの理解が生まれます。確かに「作者と相手の女性との関係は、現在は縁がまだない時点で詠っているこの両歌は、一組の歌であり、3-4-46歌の詞書のもとであるならば、この歌は、女への愛が変わらないと男性が詠う歌であると理解できます。

 だから、この両歌は、(急ぐことなく時間をかけて)新たなチャレンジをしている男の歌の2首、と言えます。

④ 次に、3-4-47歌の詞書は、次のとおりです。

 「あひしれりける女の、人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける」

 この歌は、男が昔知っていた女を表面上励ましている歌であり、作者である男が(横恋慕かもしれませんが)新たなチャレンジをしている歌ともとれます。そうであれば、3-4-45歌の「あひしれりける女」とこの歌の詞書にある「あひしれりける女」は同一人物とみることができます。前者は、外見上わかることで女の状況を説明し、後者は、3-4-45歌をおくられて以後の女の内面的なことに踏み込んで記して、作詠動機の推移をうかがわせています。

⑤ 3-4-48歌の詞書は次のとおりです。

 「ふみやりける女のいとつれなかりけるもとに、はるころ」

 この歌を、現代語訳(試案)では、相手の女の気を引いている歌と理解しました。しかし、同じ詞書のもとにある3-4-49歌からこの歌を振り返ると、「すきかへして」ごらんなさい、と勧めているかにもとれます。または、女の周囲の人々に決断を促しているかにも見えます。

⑥ 3-4-49歌も、3-4-48歌と同じ詞書のもとにあります。現代語訳(試案)は、五句にある「よぶこどり」を、「大声をあげている小憎らしい貴方の周りの人達の意。具体には、親兄弟・女を指導等する役割で仕えている人たちを、暗喩している」とみて、「次のステップに進みましょうと誘っている恋の歌」と理解しました。歌のベクトルは、両歌とも同じあり、相手の女の周囲の人々を二人の間の障壁になっているかに詠んでいます。上記12.③での予想通りです。

 一つ前の歌3-4-47歌の詞書と比較すると、3-4-47歌の「あひしれりける女」に再度おくった歌が3-4-49歌であり、「あひしれりける女」を「ふみやりける女」と言い換えている、という理解も可能です。

 このように、3-4-45歌から3-4-49歌までは、ある女性に新たなチャレンジをしている男の歌が連続している、とみることができます。

 このため、この5首を一つの歌群とみることは妥当です。男の相手が、3-4-44歌以前とは違う女なので、「期待をつなぐ歌群」というネーミングより「新たなチャレンジの歌群」としてはどうか、と思います。

⑦ 次の歌3-4-50歌の詞書は、3-4-49歌までの詞書と異なり、おくる相手の情報を直接記しておらず、自然の景のみ記しています。

 ただ、同一の詞書のもとにある3-4-48歌と3-4-49歌が、共に作者と相手の二人の間の障壁になっているかのような周囲の人々を詠んでいるのに注目すると、この歌の詞書にある「(はなの)せかれたる」と言う語句は、「はな」が障壁にぶつかっていることを指し、「はな(かつ相手の女)」と作者の間の障害を詠もうとしているかにみえ、それは3-4-48歌等との共通点といえます。

 しかし、詞書のみの比較からいえば、3-4-50歌の詞書と3-4-51歌(および3-4-52歌)の詞書には「はな見にまかる」という共通の語句があり、この2題3首でベクトルが異なる歌の組合せという別の歌群ともなり得ます。

14.歌群の検討 その5 3-4-50歌

① 最初に、3-4-50歌は、誰におくった歌であるか、を歌のこれまでの配列などから推測したい、と思います。

② 『猿丸集』の詞書を追ってくると、作者が歌をおくった相手の女は、3-4-45歌から3-4-49歌まで同一人物であり、作者と相手の女のやりとりの順で言い方が変わっているだけ、と上記13.①~⑥で指摘しました。

 その延長上の歌として、3-4-50歌本文をみると、五句にある「みぬ人」が、3-4-49歌までの相手の女に重なってきます。

 そして、つれなかった理由の一つに、「よぶこどり」と詠んだ障害となっていると作者が信じる「女の周囲の人々」がいることを思うと、3-4-50歌本文にある「いしばしるたき」も二人の間の障害となっているものを暗喩するものとして詠まれているのではないか、と推測ができます。

 そうすると、手折ってこようとする「はな」は、「せかれ」ているので、3-4-45歌以来の相手の女である「あひしれりける女」、そして、歌本文五句にある「みぬ人」でもある、と推測でき、この歌をおくった相手となります。

③ 3-4-50歌を『新編国歌大観』より引用します。

3-4-50歌  はな見にまかりけるに、山がはのいしにはなのせかれたるを見て

いしばしるたきなくもがなさくらばなたをりてもこんみぬ人のため

 現代語訳(試案)をブログ「わかたんか猿丸集第50歌 みぬひとのため」(2019/9/30付け)より引用します。2案併記でした。

3-4-48歌と3-4-49歌の続きの歌とみた第1案は、つぎのようなものであり、「はな見」の「はな」は特定の女性を暗喩か」と予測しました。

3-4-50歌 「花見に(都から)来たところ、川の山側でいくつもの石に堰かれている桜木を見て(詠んだ歌)」

「石や岩の上を勢いよく水が流れていないならばよいのに。桜の花よ。折ってこようものを、その桜木を。連れ添うことにならないあの人のために。」

3-4-50歌を、これまでの一連の歌の続きとみるならば、作者は、桜ではなく山の葉もない雑木の枝などにこの歌を添えて、相手の女におくったことになります。その場合、五句にある「みぬ人」の現代語訳(試案)は、「みる」が同音異義の語句「みる」を「視覚に入れる」意とするような修正が必要です。即ち、

「石や岩の上を勢いよく水が流れていないならばよいのに。桜の花よ。折ってこようものを、その桜木を。まだ見ないでいる人のために。」

 この現代語訳を、第50歌本文別訳、ということにします。

④ 3-4-50歌とそれ以後の歌との関連をみてみます。

次の詞書の歌3-4-51歌と3-4-52歌については、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌などその2 むかしと思はむ」(2020/5/18付け)で検討しました。そして、

「はな」を「女性」とみなした3-4-51歌の現代語訳(試案)と3-4-52歌の現代語訳(試案)

「はな」を『猿丸集』とみなした「掉尾前51歌の新解釈」と「掉尾52歌の新解釈」

の2案の現代語訳を示しました。

「はな」を「女性」とみなした場合の3首は次のようなものでした。

3-4-51歌 「(みている今、)折りとるならば、はたからみるならば手放すのには忍びないものにも思われるよ、桜の花は。だから、さあ、ここに宿をかりて、散るまで(近付きを得るまで)じっと見定めよう。(貴方との仲をじっくりと育てよう。)」」

3-4-52歌 「(花を見て思うのは)行きたい夜(訪ねる夜)にも早くなりきってほしい、すぐにでも。

(そうなったら)私につれない素振りの今の貴方を、昔そんなこともした人だ、と思えよう。」

3-4-50歌以下3首の大意は、

3-4-50歌 (上記の第50歌別訳)急流がなければ、桜の花を折ってこようものを

3-4-51歌 花は折り取らないで散るまでを見定めよう

3-4-52歌 (花をみて思うのは、)行きたい夜(訪ねる夜)にも早くなりきってほしい

となります。

 3-4-50歌は、花を積極的に手折る意思があるものの障害が花のそばにある、と訴え、次の2首は、花を手折る意思があり、我慢強く待っていると詠っており、この順に歌を受け取れば、ボールが相手の女に投げ返されて、『猿丸集』は終わっています。そして、相手の女におくっても感情を害するような語句はありません

⑤ 3-4-52歌は、『古今和歌集』の恋の部立の最後の歌(1-1-828歌)と違い、長く続いている夫婦の歌ではない、男女の恋は繰り返すもの、ということを示唆する歌です。

⑥ それはともかくも、3-4-27歌以来の編纂方針ともみることができる共通の語句のある詞書同士2題による違いは、(現状の)報告と(現状打破の方策が作者側に無いことの)通告ということになるでしょう。

 このように、3-4-52歌まで、その編纂方針は貫かれている、と言えます。

⑦ 次に、「はな」を『猿丸集』の暗喩とみた場合を検討します。「掉尾前51歌の新解釈」と「掉尾52歌の新解釈」に対応する3-4-50歌の現代語訳があるかどうか、です。

2020/5/18付けブログより3-4-51歌などを同じように引用します。

3-4-51歌と3-4-52歌の詞書:「建物と建物の間のところにゆき、桜の花を見て、(その後に)詠んだ(歌)」あるいは「山にゆき、桜の花を見て、(その後に)詠んだ(歌)」(詞書の「やまにはな見にまかる」とは、「数々の歌集があるがこの『猿丸集』に親しみ」、と理解できる文となります。)

 3-4-51歌の「掉尾前51歌の新解釈」:「誰か曲解したならば、『猿丸集』は、それを惜しいと思う様子を示すと私は考える。『猿丸集』よ、さあ、私は何とかとどまるところを借用して(後世に『猿丸集』を伝える努力をして)、『猿丸集』が正しく理解されるところまでをみたい。」

3-4-52歌の「掉尾52歌の新解釈」:「来るだろうそのような時代にも、早くなりきってほしい、すぐにでも。(そうなったら)『猿丸集』になんの反応もみせない歌人たちを昔そんなこともあったのだ、と思えよう。」

⑧ 3-4-50歌から以降の3首は「はな見にまかる」という共通の語句が詞書にあります。

 3-4-50歌にだけ「いしばしるたき」という語句があります。次歌とのつながりを考えると、和歌の王道をゆくような『萬葉集』や『古今和歌集』を「いしばしるたき」は指しており、そのたきの向こう側にあって手が届かない桜(理解が進んでいない『猿丸集』)と対比しているのではないか。

 3-4-50歌の現代語訳(試案)の第2案(上記の2019/9/30付けブログ参照)より引用すると、

3-4-50歌

詞書:「花見に(都から)来たところ、川の山側でいくつもの石に堰かれている桜木を見て(詠んだ歌)」

第2案:「石や岩の上を勢いよく水が流れていないならばよいのに。桜の花よ。折ってこようものを、その桜木を。(私が未だ)見定めていないあの人のために。」

 これより現代語訳を試みると、

「『萬葉集』や『古今和歌集』の読解がよどみなく進んでいないならばまだよいのだが。桜の花よ(『猿丸集』よ)。いろいろ試みようものを、この『猿丸集』に。異伝歌の類ではなく新しい歌の歌集とみていない人のために。」

 この現代語訳を、「第50歌の新解釈」ということにします。

 五句にある「みぬ人」の動詞「みる」(上一段活用)には、つぎのような意があります(『例解古語辞典』)。 

「視覚に入れる。見る。ながめる。」

「思う。解釈する。」

「(異性として)世話をする。連れ添う。」

「(・・・の)思いをする。(・・・な目に)あう。経験する。」

「見定める。見計らう。」

 ここでは、「思う。解釈する。」の意と理解し、「みぬ人」とは「『猿丸集』を新たな歌から成る歌集と認めていない人」と意訳しました。

 編纂者は、当時読解が終わっているとされている『萬葉集』歌でも異論のまだあること、および『古今和歌集』の配列が解明されていなければ歌の理解は不十分であることなどを、言外に言っている、と思います。そのような歌がいくつもあることは、類似歌として検討した『萬葉集』歌や『古今和歌集』歌において、私も感じたところです。

⑨ 3-4-50歌以下3首の大意は、

3-4-50歌 (上記の「第50歌の新解釈」)萬葉集なみにこの歌集も読解を試みてほしい

3-4-51歌 曲解されたら惜しいのでわたしは努力しよう。

3-4-52歌 (花をみて思うのは、)賞翫される日が『猿丸集』に来ることを願っている

となります。

⑩ このような暗喩があるとすれば、「はな見にまかる」歌3首は、3-4-49歌までの歌と違って編纂者の感慨を詠っている歌にもなっており、二種類の現代語訳を要する歌として3-4-50歌以下の3首で一つの歌群と成している、と思います。想定した歌群は、妥当なものでした。 

⑪ このように、想定した歌群よりみた障害となる事柄(疑念)は、現代語訳(試案)の一部の歌で理解を正した結果、想定した歌群を否定しないで解消しました。

 想定した歌群は、一応、矛盾の少ない歌群の連続である、とみなせます。

 しかしながら、歌群は、部立てが恋と仮定したものでした。『猿丸集』の52歌すべてがここまでの検討・確認では「恋の歌」という理解になっていません。また幾組かの恋のグループから構成されている可能性を後半の歌から感じられます。次回は、これらを中心に検討したい、と思います。

「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

(2020/6/15   上村 朋)

付記1.歌群想定作業とその前提である『猿丸集』の理解について

①『猿丸集』の理解は、「2020/5/11現在の理解、即ち巻頭歌の新訳などを含む現代語訳(試案)」である。

② 具体には、次のブログに当該歌の現代語訳(試案)を記している。

  3-4-1歌~3-4-2歌:最終的に、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌などその1 いひたりける」(2020/5/11付け)及びブログ「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌などその2 むかしと思はむ」(2020/5/18付け)に記す現代語訳(案)。

即ち「巻頭歌詞書の新訳」、「巻頭歌本文の新訳」及び「巻頭第2歌の新訳」という現代語訳(案)。

  3-4-3歌~3-4-50歌:2018/2/19付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第3歌 仮名書きでは同じでも」から、2019/9/30付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第50歌 ひとのため」に記す現代語訳(案)。 (3-4-**歌の現代語訳(試案))。

例えば、3-4-48歌の現代語訳(試案)は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第48歌 その2 あら あら」(2019/9/2付け)に記す。

  3-4-51歌~3-4-52歌:最終的に、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌などその2 むかしと思はむ」(2020/5/18付け)に記す現代語訳(案)。

即ち「3-4-51歌の現代語訳(試案)」と「掉尾前51歌の新解釈」及び「3-4-52歌の現代語訳(試案)」と「掉尾52歌の新解釈」という現代語訳(案)。

③ 歌群の想定の方法は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の部立てと歌群の推測 その1 最初は3首」(2020/5/25付け)に記してある。

付記2.2020/5/11 現在の現代語訳(試案)に対する『猿丸集』各歌の歌群想定(案)より

表 2020/5/11 現在の現代語訳(試案)に対する『猿丸集』各歌の歌群想定(案)の表4の抜粋    (42歌~52歌)            (2020/5/11  現在)

歌番号等

作者と相手の性別と歌区分

類似歌の歌番号等

『猿丸集』の歌の趣旨

ポイントの語句

詞書

同左歌本文

 

想定した歌群(案)

共通の語句・景

3-4-42

男→女

往歌

1-1-224

襲を贈ってくれた頃にもどれないかと女に問う歌

やりける*

はぎ(のはな)&

 

再びチャレンジ

はぎ

3-4-43

男→女

 返歌

1-1-307

逢う機会が少ないと訴える女性に私も辛いと慰めた歌(あきらめた歌か?)

あき(のころほひ)

いなば&からころも

 

同上

つゆ

3-4-44

男→女

返歌

2-1-2672

相手の女性の気持ちをつなぎ止めようと訴えた歌

あき(のころほひ)

こひのしげきに*

 

同上

あさかげ

3-4-45

男→女

 往歌

2-1-154

今は亡き友人の妻に語りかけた挨拶歌

ところ

さざなみや&しめゆふ

 

同上

??

3-4-46

男→女

 返歌

1-1-1052

縁がきれたと思っていた女への返事に、今でも女への愛が変わらないと詠う歌

と(のみいひて)&(なにかは)とけ*

まめなれど&・・・

 

同上

 

かるかや

3-4-47

男→女

 往歌

1-1-995

ため息をついているという、昔知っていた女を表面上励ます歌。

あひしれりける(女)&いひ(ける)

ゆふつけどり*&たつたのやま*

 

今後に期待をつなぐ

ゆふつけどり

3-4-48

男→女

 往歌

1-1-817

女の対応をやんわり非難している歌

はるころ

あら&まめ人の (こころを)

 

同上

あらをだ*

3-4-49

男→女

 往歌

1-1-29

女の周りの人を揶揄している歌

はるころ

たづき&よぶこどり*

 

同上

山&よぶこどり

3-4-50

男→不明

往歌

1-1-54

山側にあって桜木を折りとってこれないと嘆いている歌(思いを寄せる人へのきっかけを求めている歌?)

はな*&山がは

いしばしるたき

 

今後に期待する歌&編纂者の後記

山&はな見

3-4-51

男→不定

1-1-65

近づくことが叶わない女性への思いを詠った歌&後代に猿丸集を伝えたいと詠う歌

はな*

をしげ(なるかな)*

 

同上

山&はな見

3-4-52

男→不定

1-1-520

いつか女を訪ねられるようにと粘り強く願っている歌&後代に猿丸集の理解を期待する歌

はな*

こむよ&思はむ

 

同上

山&はな見

注1)『猿丸集』の歌番号等:『新編国歌大観』の「巻数―その巻の歌集番号―その歌集での番号」

注2)作者と相手の性別と歌区分:立場(性別)は詞書と歌からの推計。歌区分は発信(往歌)と返事(返歌)の区分。

注3)類似歌の歌番号等:類似歌の『新編国歌大観』による歌番号等。

注4)「(・・・?)」:想定した歌群を前提としての当該現代語訳(試案)への疑問。

注5)「*」:語句の注記。以下の通り。

    3-4-42歌:「やりける」は、「直前に逢った事に起因して歌を詠みその人に歌を送って」。

    3-4-44歌:「こひのしげきに」は、『古今和歌集』恋一の最後の歌(1-1-551歌)が有名。

     3-4-46歌:「なにかはとけ」は、「なにかはとけ」そして「ひきて」そして「ありければ」と理解。私も、どうして結ばれているものがほどけるのか(と、それを引きずってそのままにしておいたらば)

3-4-47歌:「ゆふつけどり」は、この歌では暁に鳴く鶏。

      「たつたのやま」は、女性にも喩えることができる紅葉がきれいな山

     3-4-48歌:「あらをだ」は、同音意義の語句で、「あれまあ。田(を、)」の意

3-4-49歌:「よぶこどり」は、同音意義の語句で、この歌では「呼ぶ+小+(集まりさわぐ)鳥」。

その意は、「(大声で声をかける)・呼び掛ける・囀る」+接頭語で「軽蔑したり、憎んだりする気持ち」を添える」+「相手の周りの人々」の意で、おおよそ「大声をあげている小憎らしい貴方の周りの人達」の意。具体には、親兄弟・女を指導等する役割で仕えている人たちを、暗喩している。類似歌1-1-29歌では、「あちこちから聞こえてくる「囀っている鳥たち」の意。

3-4-51歌:「をしげなるかな」は、「作者の思い」

3-4-51歌と3-4-52歌:「はな」には、『猿丸集』の意もある。

(付記終わり 2020/6/15  上村 朋)