わかたんかこれ   猿丸集の巻頭歌など その1いひたりける

 前回(2020/4/27)、「わかたんかこれ 猿丸集の理解のまとめ その1」と題して記しました。

 今回 「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌など その1いひたりける」と題して記します(上村 朋)。

 

1.猿丸集の詞書などの検討結果

①『猿丸集』は、詞書もある52首の和歌からなります。その歌集の編纂方針を推測する方法のひとつとして、巻頭歌と最後の歌(掉尾の歌)を一組の歌とみて、検討したい、と思います。

② 先に、『猿丸集』という歌集名を検討し、

「類似歌に関して、当時における新解釈をいくつかの歌について『猿丸集』編纂者は採用していることを、古人の説の理解によるものであるとして示しているのではないか」

と推測しました。(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の構成 歌集名から」(2020/1/6付け)) 

③『猿丸集』の詞書のみを対象に検討し、次の三点等を指摘しました。

第一 『猿丸集』の編纂者は、歌集の常として、巻頭歌と最後の歌(掉尾の歌)は特別視しているのではないか。少なくとも3-4-1歌の詞書の文言は、この歌集のなかで独特なものである。

第二 3-4-1歌は、恋の歌集を象徴する歌というよりもこの歌集の序の役割をも担っているのではないか。但し、最後の3-4-52歌の詞書は3-4-51歌と同じであり、巻頭歌と最後の歌(掉尾の歌)の関係の確認は、歌本文をみなければ断言はできない。

第三 詞書のみからの検討では、歌集名の検討で得た、『猿丸集』は類似歌に関する新しい理解を示した歌集、という推測を捨てられない。 (ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の詞書その3 部立て」(2020/4/13付け))

④ また、『猿丸集』記載のすべての歌にある類似歌について、その共通の役割の有無を検討し、 次の点等を指摘しました。

第一 『猿丸集』の各々の歌から想起できる類似歌は、その『猿丸集』の歌に用いている語句の意を限定する役割を持っている。『猿丸集』の歌が当該類似歌で用いている語句の意を限定しているという想定は、萬葉集歌が類似歌にあることからあり得ない。

第二 『猿丸集』の歌の理解に、当該類似歌以外の類似歌は関与していない。類似歌同士は互いに独立しているといえるし、『猿丸集』の歌の配列に影響を及ぼしていない。

(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の  理解その1」(2020/4/24付け))

⑤ 『猿丸集』歌の詞書と歌本文とそして類似歌でも同様に、多くの同音異義の語句が用いられていることを確かめてきました。上記②と④は、和歌の理解のためには、歌集編纂者と作者が用いている語句に細心の注意を向けよ、と言っていることになります。まさに「和歌の表現は伝えたい事柄に対して文字を費やすもの」ということです。

⑥ それに改めて留意し、『猿丸集』の巻頭歌と最後の歌(掉尾の歌)の関係を検討したい、と思います。

⑦ 和歌は、『新編国歌大観』より引用します。

 

2.巻頭歌と最後の歌(掉尾の歌)

①『猿丸集』にある52首の和歌の、最初と最後の和歌は次のとおりです。

3-4-1歌 

あひしりたりける人の、ものよりきてすげにふみをさしてこれはいかがみるといひたりけるによめる

   しらすげのまののはぎ原ゆくさくさきみこそ見えめまののはぎはら

3-4-52歌  

やまにはな見にまかりてよめる

   こむよにもはやなりななんめのまへにつれなき人をむかしと思はむ

② 3-4-1歌の現代語訳(試案)を、2018/1/29付けブログより引用します。(付記1.参照)

3-4-1歌  

交友のあった人が、地方より上京してきて、スゲに手紙を添えて、「これをどのようにご覧になりますか」と、私に、言い掛けてきたので、詠んだ(歌)

   しらすげも花を咲かせている真野の野原に、赤紫に咲く萩を、あなたは旅の行き来によく見るのではないでしょうか。萬葉集の歌の真野のはりはらではなく赤紫に咲く萩の野原を。(紫衣の三位への昇進も望めるようなご活躍にお祝い申し上げます。)

 現代語訳(試案)について、注記をします。

A 詞書にある「すげ」とは、3-4-1歌の類似歌に詠われている真野(現在の神戸市長田区付近)の当時の代表的景物でもありますが、特別な植物ではなくありふれた植物です。当時菅笠の材料などになっています。だから、交友のあった人自身は上京が栄転ではない(待命の辞令などか)と思っていることを示しています。「スゲ」の花の色はだいだい色などもあります。

B 詞書にある「ふみ」とは、手紙か書物か漢詩か学問の意のうち、ここでは手紙か漢詩であり、上京にあたっての感慨を記してあったのでしょうか。

C 歌にある「はぎ」の花は、紅紫で、長さ1~2cmあり、多数が穂に集まって咲き、美しい植物であり、秋の七草のひとつです。そして二句と五句で「はぎはら」を繰りかえし詠っています。衣服令の規定では、礼服の色が、一位は深紫、三位以上は浅紫。四位は深緋、五位は浅緋となっています。

D  この歌は、相手(あひしりたりける人)を称賛しているか励ましています。

③『猿丸集』には、これらの詞書のもとでの和歌が、それぞれもう1首づつありますので、引用しておきます。

3-4-2歌   (詞書は3-4-1歌に同じ)

    から人のころもそむてふむらさきのこころにしみておもほゆるかな

           (現代語訳(試案)は付記2.参照)

3-4-51歌  (詞書は3-4-52歌に同じ)

    をりとらばをしげなるかなさくらばないざやどかりてちるまでもみむ

           (現代語訳(試案)は次回に記す)

 

3.最初の歌3-4-1歌の再検討

① 以上のほか、詞書のみからの検討で、『古今和歌集』の部立てを『猿丸集』に当てはめると、3-4-1歌のみが雑部の歌ではないかと推測しました。歌本文にあたって部立てを確認してみると、付記3.に記すように、他の歌にも雑部と推測できる歌があり、3-4-1歌の部立ての特異性は無くなりました。

② 次に、3-4-1歌の詞書の「すげにふみさしていかがみるといひたりける」に「よめる」(返事した)というのは、直接問いかけられている場面を記述していることになりす。『猿丸集』の各歌の詞書を通覧すると、このような場面設定の詞書は、このほか3-4-35歌しかありません。この歌は、詞書に「ほととぎすのなきければ」とあり、歌に「ほととぎす」を詠っています。これと同様な状況を3-4-1歌に想定すれば、詞書に「これをいかがみる」とあるのに対して、「これをこのように見た」と歌に詠んでいるはず、ということになります。

③ 上記の現代語訳(試案)においては、代名詞「これ」を、差し出された「ふみに書かれている内容」より相手の境遇を「このように見た」と理解したものになっています。「ふみに書かれている内容」そのものを評価し詠ったという理解ではありません。

「ふみ」という語句には、書物の意などもあり、また、「これ」という代名詞は直前に話題になった事物を指しているので話題を確認して然るべきであり、いうなれば同音異議の語句のひとつとして「ふみ」を扱っていないままの(試案)と言えます。

④ また、3-4-2歌と詞書が同じということから、二つの歌の類似歌に役割をしっかり分担させていたか、上記「1.④」の第二の確認について、上記の(試案)では不安のあるところです。

⑤ このため、同音異議の疑いのある語句を再確認してから、改めて現代語訳を試みることとします。

第一 詞書にある「もの」とは、「出向いて行くべき所」の意のうち「地方」であると上記の(試案)では理解しました。事例に「ものへゆく(まかる)」とか「ものへこもる」があるものの、「ものより来」の事例は不明です。「もの」には、このほかに、「普通のもの。世間一般の事物。」や「ものの道理」の意もあります。

第二 詞書にある格助詞「より」とは、「動作・作用の、時間的・空間的な起点や出自などを示す。」や「移動する動作の経過するところを示す。」や「その動作・作用が行われるための手段・方法を示す(・・・によって)。」とか「動作・作用を比較する基準となる物ごとを示す。」の意などがあります(『例解古語辞典』)。

上記の(試案)では、「空間的な起点」の意としましたが、動詞「来」は「来る」のほか、「行く。目的地に自分がいる立場でいう。」があり、ほかの意の理解も可能です。

第三 詞書にある「ふみ」とは、上記の(試案)では「手紙」か「漢詩」とし、「あひ知る人の所感が記されているのではないか」と理解しました。しかし「書物」の意もあり「歌の解釈を説明した書き付け」という理解も可能です。つまり、旧い和歌などについて正解にたどり着く経緯なども記したいくつかの歌に関する書き付け」という理解です。

第四 詞書にある「これ」とは、「ふみを書いた人の感慨を読み取って推量したこと」の意、と上記の(試案)では理解しましたが、内容を問わず「書き付けた書類の内容そのもの」ともとれます。「あひ知りたりける人」が来て作者との間で話題としたのには、2案あることになります。

第五 詞書にある「みる」とは、上記の(試案)では「思う。解釈する」意としました。このほか「見定める」等の意もあります。

第六 詞書にある「いふ」とは、「言ふ」であり、上記の(試案)では「ことばを口にする」と理解しましたが、このほか、「詩歌を吟ずる。口ずさむ。」とか「(・・・だとして)区別する。わきまえる。」の意もあります。

第七 歌本文にある「しらすげ」とは、植物の「シラスゲ」と上記の(試案)で理解しています。このほか、動詞「領る」+尊敬の助動詞「す」+名詞「偈」とみる語句「知らす偈」(お治めになる偈)という理解があり得ます。((動詞「知る」+使役の助動詞「す」+名詞「偈」にも理解できます。))

「偈」とは短い韻文(詩歌・詩句)を言い、仏教では、経典や論書のなかに現れる韻文の部分をさし「仏の徳をたたえ、また教理を述べた、短い韻文を言います。例えば、

 七仏通誡偈:諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 是諸佛教

  諸行無常偈:諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽

 親鸞が書かれた正信偈(しょうしんげ):帰命無量寿如来・南無不可思議光・法蔵菩薩因位時・在世自在王仏所・覩見諸仏浄土因・国土人天之善悪・建立無上殊勝願

第八 歌本文にある「きみ」について、上記の(試案)では、「代名詞(対称・あなた。)」の意としましたが、このほか「君(自分の仕える人・主人・主君)」とか「気味(香りや味)。けはい・趣・味わい。」とか「気味(気持ち・心持)」の意もあります。

第九 歌本文にある「見ゆ」とは、「物が目にうつる・見える。」の意としました。このほか、「人が姿を見せる」とか「人に見えるようにする・見せる」の意もあります。

第十 歌にある「はぎはら」とは、「一面にハギの茂っている平地」の意であり、歌語です(『例解古語辞典』)。

⑥ このように、同音異義の語句が詞書にも歌本文にも多くあるのが確認できました。そのため、現代語訳の別案を試みるため語句の意を整理すると、次のような表が得られます。あわせて類似歌(2-1-284歌)での意も記します。

表1. 3-4-1歌での同音異義語の組合せ(案)   (2020/5/11 現在)

語句の例

上記の(試案)での意

別の意の案1

別の意の案2

類似歌での意

詞書)ものよりきて

地方より上京して来て

ものの道理より説いて

世間一般の事物

――

詞書)ふみ

手紙か漢詩に示された著者の感慨

歌に関した書き付け

 

――

詞書)さす

添える

差し出す

 

――

詞書)これ

ふみの著者が記した感慨

ふみに記した(客観的)内容

 

――

詞書)(いかが)みる

思う、解釈する

見定める(評価する)

見せる(説明する)

――

詞書)いひたり

ことばを口にした(私に話しかけた)

詩歌を吟じた

「(・・・だとして)区別した」

――

歌)しらす

「白スゲ」

「領らす偈」お治めになる偈(所説を述べた偈)

 

「白スゲ」

歌)真野

地名

真の野原

 

地名

歌)きみこそみえめ

「君こそ見えめ」あなたこそ見るのではないか

「気味こそみえめ」

「趣・味わい」こそみせてくれる(または見ることができる)

「君こそ見えめ」あなたこそ姿を現すのではないか

「君こそみらめ」あなたこそ見ることが出来るでしょう

歌)はぎはら(原)

ハギが咲く野原(その色より、上位の礼服の色である紫)

ハギが咲く野原(人々がハギ同様に愛するはずの所説)

 

――

 

⑦ 各語句の意を、表1の「別の意の案1」にして、改めて詞書の現代語訳を試みると、

「旧知であった人が、ものの道理より説いた書き付けを、菅笠に載せて差し出し、「これはどのようにご覧になりますか」と(言いつつ)、一節を吟じたので、詠んだ(歌)」

この試案を、「巻頭歌詞書の新訳」ということとします。

⑧ 同様に、表1の「別の意の案1」によって、改めて歌本文の現代語訳を試みると、

「(ふみに記された所説を)知らしめる偈となっていますね、「真野のはぎはら」は。真の野原と言えるすばらしい萩が一面に咲く原を行きつ戻りつして楽しむように、(これにより)和歌のすばらしさを味わえます。」

「まののはりはら」と「まののはぎはら」は一文字の違いだけで示唆するところが全く違います。類似歌の2-1-284歌と異なる歌意にもなっています。

この訳を、「巻頭歌本文の新訳」ということとします。

⑨ 「しらすげ」が、「領らす偈」であれば、「あひしりたりける人」が「いひたりける」一節は、「まののはぎはら」であり、そしてこのように3-4-1歌の作者が称賛する事柄を示してくれた「あひしりたるける人」とは、歌集名にその名を冠した「猿丸」という人物を指しているのではないでしょうか。

「猿丸」とは、『古今和歌集』の真名序に登場する猿丸大夫とは別の、『猿丸集』編纂者が昔の歌人として仮想した人物です。

⑩ 同音異議の語句に関して、この「巻頭歌詞書の新訳」と「巻頭歌本文の新訳」は、3-4-1歌の類似歌にある語句とは異なる意で用いており、また3-4-2歌の類似歌にある語句「むらさき」あるいは「むらさきの」の意に無関係な現代語訳です。

 

4.同じ詞書のもとの歌3-4-2歌の再検討

① 上記3.のように3-4-1歌を理解すると、同一の詞書のもとにある3-4-2歌も現代語訳をあらためて試みる必要があります。

② 3-4-1歌と同じように、同音異議の語句の確認から始めます。

第一 歌にある「から人」とは、これまでの現代語訳(試案)(付記2.参照)においては、『萬葉集』の時代よりの先祖が朝鮮出身の染色職人の意としましたが、外国からきた人、あるいは遠来の人、と素直な理解もあります。この場合、「から人」は詞書にある(「もの」を地方と理解したら)「あひしりたる人」を指す語句であるということになります。

第二 歌にある「そむ」とは、これまでの現代語訳(試案)では、四段活用の「染む」であり、「色がつく・染まる」とか「(心に)深くしみる」という意があります。

第三 歌にある「しむ」とは、これまでの現代語訳(試案)では、「しむ」は、四段活用の「染む」であり、「深く感じる・身にしみる」の意としていますが「うるおう・ひたる」の意もあります。このほか、下二段活用の「染む」ならば「(「こころにしむ」などの形で)深くうちこむ・強い関心をいだく」の意がありますし、「占む」の意もあります。(『例解古語辞典』)。

第四 歌にある「むらさきの」とは、これまでの現代語訳(試案)において、「むらさき」を色名としさらに「紫の色と同じ(色の礼服を着用されている)貴方」の意としました。このほか、(ムラサキグサの名高いところから)「匂ふ」や「濃(こ)」にかかる枕詞となっている「むらさきの」とか、紫草が多く生えている場所をいう名詞「紫草野」(むらさきの)の意もあります。

第五 歌にある「おもほゆ」とは、一意であり、「(ひとりでに)思われる」です。

第六 歌にある「はぎはら」とは、「一面にハギの茂っている平地」をさす歌語です(『例解古語辞典』) 

③ このように、同音異義の語句がいくつか歌本文に確認できました。そのうえ詞書が改まっています。

 そのため、現代語訳の別案を試みるため語句の意を整理すると、次のような表が得られます。あわせて類似歌(2-1-572歌)での意も記します。

表2. 3-4-2歌での同音異義語の組合せ(案)   (2020/5/11 現在)

語句の例

上記の(試案)での意

別の意の案

類似歌での意

歌)から人

遠来の人

同左

韓からきた人(を祖先とする染色職人)

歌)そむ

四段「染む」

同左

同左

歌)むらさきの

「紫(色)の」

名詞「紫草野」(ハギが咲く野原)

「紫(色)の」

歌)しむ

四段「染む」 深く感じる

下二段「染む」 強い関心をいだく

四段「染む」 深く感じる

 

 

④ 「むらさきの」を名詞「紫草野」とするなどとし、表2.の「別の意の案」により、あらためて現代語訳を試みると、

「から人が衣を染める材料という紫草に覆われた野原。その野原は、強い関心をいだくものだと、自然に思われてくるなあ。」

この試案を「巻頭第2歌の新訳」と称することとします。

⑤ 「巻頭第2歌の新訳」は、三句にいう「むらさきの」という野原(詞書にいう「ふみ」をさします)を注目する、と詠います。類似歌(2-1-572歌)においては、三句にいう「むらさき」は色彩(と紫衣の礼服を着用できる大伴旅人)を意味しており、今までの上司である大伴旅人が、空間的に遠方となることからの述懐を詠っています。詞書も類似歌と異なり、このように、歌においても、「ふみ」に示された所説に対する述懐と官人の述懐という違いが鮮明です。

⑥ これまでの現代語訳(試案)と類似歌は、述懐内容が異なるものの官人として上司に対する述懐であるのは共通しており、詞書が類似歌と異なる割には、歌の違いが少ないところでした。

『猿丸集』歌と当該類似歌は、歌の意がこれまでの検討ではどの歌においても異なっており、3-4-2歌では「巻頭第2歌の新訳」のほうが、その差異がよりはっきりしており、良い現代語訳である、と思います。

⑦ また、この歌の類似歌は、この3-4-2歌にある語句の理解に関わっていますが、3-4-1歌にある語句の理解に影響を及ぼしていません。これまでの現代語訳(試案)では「むらさき」の意に色名として3-4-1歌と共通であると理解していました。

⑧ 「巻頭第2歌の新訳」は、衣服令に関係ない歌となりました。「ふみ」を、3-4-1歌と同じように「あひしりたりける人の持ってきた「書き付け」と理解して詠っています。「あひしりたけるひと」の1つの行動を詠い、その人物全体の評価を詠っていません。

 

5.同じ詞書の歌2首を比較して

① 3-4-1歌と3-4-2歌は、「巻頭歌詞書の新訳」のもとにおける「巻頭歌本文の新訳」と「巻頭第2歌の新訳」のもとで、詞書にある「ふみ」(書き付け)を話題とした歌であり、ペアの歌として理解できます。

② 両歌とも、その類似歌とともに同音異義の特定の語句を用いていても歌の内容が変わっています。これは、『猿丸集』のほかの歌と同じ傾向の歌です。

③ 両歌は、詞書にある「ふみ」(書き付け)により、詞書とあわせて、歌集の特色を示唆し、歌集の編纂の意図を示す「この歌集の序」になり得る内容である、と思います。

④ 次回は、『猿丸集』の最後の歌を再検討し、『猿丸集』の巻頭歌と最後の歌(掉尾の歌)の関係をみてみたい、と思います。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただき、ありがとうございます。

(2020/5/11  上村 朋)

 

付記1.『猿丸集』の歌の現代語訳(試案)は、次のブログから引用して検討した。

3-4-1歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第1歌とその類似歌」(2018/1/29付け)

    (これは、一部補綴を2020/5/11にした後の記述である)

3-4-2歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第2歌とその類似歌は」(2018/2/5付け)

    (これは、改訳を2020/5/11にした後の記述である)

3-4-21歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第21歌 あまをとめ」(2018/7/1付け)

3-4-27歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第27歌  ともなしにして」(2018/8/27付け)

3-4-28歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その2 やまのかげ」(2018/9/10付け)

3-4-31歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第31歌その2 まつ人」(2018/10/9付け)

3-4-32歌:ブログ「わかたんかこれ 「猿丸集第32歌 さくらばな」(2018/10/15付け)

3-4-50歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第50歌 みぬひとのため」(2019/9/30付け)

3-4-51歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第51歌 をしげなるかな」(2019/10/7付け)

    (詞書を4案に、歌本文を2案にまでしぼりこんだ)

3-4-52歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第52歌その4 はな見」(2019/11/4付け)

    (詞書と3-4-51歌と3-4-52歌の現代語訳(試案)がそれぞれ1案となった)

付記2.巻頭歌と詞書を同じくする3-4-2歌の(今回検討する前の)現代語訳(試案)はつぎのとおり。

① 詞書は割愛する。「遠方からおいでになった人(貴方)の衣が染まるという紫の色に、(官人が)強い関心をいだくように貴方には自然とそのように思うようになるのですね。(今までのようなご交際がお願いできないと思うものの。)」

② この歌は、相手(あひしりたりける人)の帰京を祝うもののこれから疎遠になることを残念に思っている詠嘆の歌として理解した。

③「からひと」というという表現のある歌は、三代集に見えない。

④ 3-4-1歌と3-4-2歌は、「むらさき」が詠み込まれている。礼服が紫衣である相手(あひしる人)を称賛する歌と疎遠になることを残念に思っている歌の組み合わせとなっており、再会の歌と疎遠の歌との組み合わせでもある。

付記3.歌本文からの部立ての推測

① 詞書のみより行った部立ての推測で恋以外の部立てとなった歌8首について、その歌本文からの部立ての推測を、2020/4/30現在の歌の理解で行った。

② その8首の推測は、以下のように雑部の歌が5首となった。

③ 3-4-1歌は ハギの花が見えるでしょう、と詠い、花の美しさを愛でるより花を直視できるかどうかを詠っており、部立てはやはり雑となる。

④ 3-4-21歌は、強い風による自然の営みを天女の動きに例えて詠い、部立てはやはり雑となる。

⑤ 3-4-27歌の詞書にある「ものへゆきけるみち」は、火葬を行おうと(例えば鳥辺野の特定の地点へ)行く途中」と理解でき、「違な野」の景を詠う。このため、部立ては雑となる。

⑥ 3-4-28歌は、夕方の牛車での出来事を詠う。季節を問わない。このため、部立ては雑となり得る。

⑦ 3-4-31歌の四句にある「まつ人」とは、「魔つ人」の意で、「私の恋の邪魔をする(仏教の第六天魔王のような)人」の意。この歌は、待ち人との間にたち邪魔しようとする人をきらった女の歌。このため、部立ては恋に変わり得る。

⑧ 3-4-32歌は、「さくらばな」とは「鼻まで赤くしている人」の意。この歌は、山寺での花見における飲食の席で酔っ払った男をはげましている歌。このため、部立ては雑となる。

⑨ 3-4-50歌での「みぬ人」の動詞「みゆ」は、「視覚に入れる。見る。ながめる。」ではなく、「(異性として)世話をする。連れ添う。」の意。この歌は、思いを寄せる人へのきっかけを求めている歌であり、この歌の部立ては恋に変わり得る。

⑩ 3-4-51歌は、作者の感慨が二句に表現されている、女性への思いを詠った歌であり、部立ては恋に変わり得る。

(付記終わり 2020/5/11  上村 朋)