わかたんかこれ 猿丸集の詞書その3 部立て

前回(2020/4/6)、 「わかたんかこれ 猿丸集の詞書その2 類似歌の詞書」と題して記しました。

今回 「わかたんかこれ 猿丸集の詞書その3 部立て」と題し、詞書からの検討をします。

 

4月7日、新型コロナウイルス対策に関して(新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき)緊急事態宣言が発令されました。東京都などが対象です。

自らの感染予防のため、あるいは、知らずに人に感染させてしまうのを避けるため、

いつもの時間に食事をし、体をこまめに動かすなどして、体調を常に整えましょう。

外出時の会話は十分距離をとりマスクをして、帰宅後は十分手洗いを、などなど徹底しましょう。

日々検温をしてメモしておくなど、過去数日間のデータを残すようにしましょう。

宣言の対象地域に私の生活拠点がありますので、実行しています。(上村 朋)

 

1.~2.承前 

 (『猿丸集』全体の配列・構成などについて「詞書」を材料に検討を始めた。『猿丸集』の歌52首には詞書が35あり、類似歌計62首には詞書が62ある。「題しらず」または「返し」という詞書は『猿丸集』にない。類似歌の詞書をみると類似歌のみの配列方針はないようにみえ、類似歌の並びは『猿丸集』の歌の配列に従っていると理解してよい。『猿丸集』の歌にある詞書は、『猿丸集』の歌同士の関係及び歌本文との関係から記述されているものと推測でき、各歌の詞書は、類似歌とともに歌本文の理解を限定しているようである。なお、歌集名の検討で得た、『猿丸集』は類似歌に関する新しい理解を示した歌集、という推測を捨てることにはなっていない。)

 

3.詞書のみからの部立ての想定

①『猿丸集』には52首あるので部立ての可能性を再度検討しておきます。恋の歌の詞書が多いので恋の歌(詞書)の細分をもしてみます。作者と歌を贈った相手の性別と恋の段階を、三代集の恋部で行ったように詞書のみから、判定してみます。

恋の段階は、小池博明氏の整理に従い、「恋部の段階的推移は、無縁・忍恋→求愛→逢瀬→疎遠→離別(復縁迫る)→絶縁と推移する。(一つの恋での時間軸での推移)」という分類をもとに、次の区分を設けました。

A:求愛以前の段階:詞書より無縁・忍恋あるいは求愛の段階の歌のみを想定できる段階

B:逢瀬:詞書より逢瀬の段階のみを詠う歌を想定できる詞書段階

C:逢瀬以降の段階:詞書より逢瀬あるいは疎遠以降をも詠う歌が想定できる段階

D:疎遠以降の段階:詞書より疎遠あるいは離別以降をも詠う歌が想定できる段階

E:離別以降の段階:詞書より離別あるいは絶縁をも詠う歌が想定できる段階

② その結果が次の表2です。この表は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の構成 歌集名から」(2020/1/13付け)の表を再検討したものです。

 

表2 猿丸集の詞書のみから三代集にならった部立ての想定 (2020/4/1現在 )

詞書のある歌番号等

作者と歌を送った相手

推定した歌の部立と恋歌の段階

備 考

3-4-1

男→男

雑 (注3)

人は男を指す語句

3-4-3

女→男

恋D

うらむのは関係が遠のいている段階

3-4-4

女か→男か

恋か

「ほととぎす」は、訪れる男をイメージさせるが断定しにくい。また、前後の歌の詞書との連続性を重視すると「恋か」

3-4-5

男→女

恋E

 

3-4-6

男→女

恋C

男は今逢えていないが別れる気もないとみる

3-4-8

女→男

恋B

月とともに訪れるはずの男を待つ

3-4-9

男→女

恋C

 

3-4-10

?→?

恋か

前後の詞書よりみて恋か 

3-4-11

?→?

恋か

鳴く「しか」は牡であり、男を連想させる。

3-4-12

男→女

恋C

3-4-42と同じ段階とみる

3-4-13

女→男

恋C

「ひと」は男。男へ女が文を出しているので、恋Aではなく恋Cか

3-4-15

女→男

恋C

既に地方と京と住むところが離れている

3-4-18

女→男

恋CまたはD

 

3-4-19

女→男か

恋か (注3)

女を「おやどもがせいする」となれば恋の件とみて「恋か」

3-4-21

男→?

雑 (注3)

「物へゆく」とは京を離れること

3-4-22

男→女

恋B

 

3-4-27

男→?

四季か・雑か(注3)

 

3-4-28

男→?

四季か・雑か(注3)

 

3-4-29

女→男

恋B

また逢えたので、恋Cから恋Bに戻った仲

3-4-31

?→?

四季か (注3)

梅の花」が人を暗喩するかが不明、「四季か」

3-4-32

男→?

四季か (注3)

「やまでらにまかる」のは男か。女なら寺というか。恋ではない。

3-4-33

女→男

恋B

「人」は男。逃がす手伝いをするのだから恋B

3-4-34

?→?

恋か (注3)

「山吹」に人の暗喩があるか不明であるが、前後の歌の詞書との連続性から「恋か」

3-4-35

男→女

恋C

 

3-4-36

女→男

恋か

「卯月つごもり」のほととぎすなので男の暗喩か。

3-4-37

?→?

恋か

作者の性別は不明だが、「あき」が同音異義の語句なので「恋か」

3-4-39

?→?

恋か

「しか」の暗喩が不明だが、同じ「しか」を詞書でいう3-4-11歌と同じく四季よりも「恋か」

3-4-42

男→女

恋C

3-4-12と同じ段階とみる

3-4-43

男→女

恋B

 

3-4-45

?→?

恋か (注3)

「あひしれるける人」は男と思う。その男が亡くなっての弔問歌か。それより、前後の歌の詞書との連続性から「恋か」

3-4-46

男→女

恋C

 

3-4-47

男→女

恋A

これから交渉の段階

3-4-48

男→女

恋A

ふみの交換の段階

3-4-50

男→?

四季 (注3)

さくらは春

3-4-51

男→?

四季 (注3)

さくらは春

詞書の数の計

 35

恋     18

恋か      9

その他   8

 

注1)「歌番号等」欄の数字は、『新編国歌大観』の巻数-当該巻での歌集番号―当該歌集の番号

注2)「恋歌の段階」は、恋を小池博明氏の整理に従い、「恋部の段階的推移は、無縁・忍恋→求愛→逢瀬→疎遠→離別(復縁迫る)→絶縁と推移する。(一つの恋での時間軸での推移)」という分類をもとに、次の区分を設けた。

A:求愛以前の段階:詞書より無縁・忍恋あるいは求愛の段階の歌のみを想定できる段階

B:逢瀬:詞書より逢瀬の段階のみを詠う歌を想定できる段階

C:逢瀬以降の段階:詞書より逢瀬あるいは疎遠以降をも詠う歌が想定できる段階

D:疎遠以降の段階:詞書より疎遠あるいは離別以降をも詠う歌が想定できる段階

E:離別以降の段階:詞書より離別あるいは絶縁をも詠う歌が想定できる段階

注 3)「推定した歌の部立と恋歌の段階」欄の「注3」(計11首)は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の構成 歌集名から」(2020/1/13付け)の表作成時に詞書のみからの判定で「雑歌等」と判定した詞書である。

 

③ 詞書より判定した部立ては、「恋」と「恋か」をくくった恋関係、雑及び四季の3種だけであり、恋関係の詞書が27となりました。そして、歌集の始まりと終わりの詞書は、恋の部立てではありませんでした。

④ 恋関係以外の残りの8首の詞書の概略はつぎのように理解できます(歌本文による検証は後日行います。以下同じ)。

 3-4-1歌 男から男へ  地方(あるいは田舎)から京に戻ってきた男が持ってきた文の感想を述べる歌か

 3-4-21歌 男から?へ  地方(あるいは田舎)へゆくとき珍しい景をみた歌か

 3-4-27歌 男から?へ  地方(あるいは田舎)へ行く途中天候不順となった時の歌か

3-4-28歌 男から?へ  地方(あるいは田舎)へ行く途中蝉の声を聞いた時の歌か

3-4-31歌 ?から?へ  建物近くの梅が咲いたのに気がついたときの歌か

3-4-32歌 ?から?へ  山寺に行ったとき 桜が咲いているをみての歌か

3-4-50歌 男から?へ  花を見に言ったとき山側の「いし」にせかれたはなをみての歌か

3-4-51歌 男から?へ  山に花を見にいったときの歌か

これらの8首は、歌をおくる相手の情報が詞書にありません。

⑤ 上記④での「?」は、男女の判定が詞書の文からはできない、という意です。各歌の詞書を検討します。

『猿丸集』の最初にある3-4-1歌の詞書は、部立てを「雑」と推定しました。文の感想を述べるのだから官人の男が作者であり、歌をおくった相手(京へ戻ってきた人物)も男である、と推測しました。この詞書のように、京に戻ってきたときの歌は、ほかの7首にも、恋関係の歌27首の詞書にもありません。

京から離れようとしているときと思われる詞書は、恋関係以外の部立てでは6つあり、3-4-21歌、3-4-27歌、3-4-28歌、3-4-32歌、3-4-50歌および3-4-51歌の詞書、また恋関係の詞書で1つ、3-4-5歌の詞書だけです。

⑥ 3-4-21歌の詞書の「物へゆくに」の「もの」が、任国などではなく相手の屋敷をぼかしていっているならば、この歌をおくる相手が女という恋の歌であるかもしれません。

3-4-27歌の詞書と3-4-28歌の詞書では「ものへゆきける“みち”に」とあり同様の推測が成り立ちます。しかし3-4-21歌の詞書にある「あさりするものどものある」の「あさり」が餌をさがすこと、魚をとることの意であるので、「あさりする」が何を象徴しているのかが問題であり歌本文にあたることが条件になりますが、とりあえず3-4-21歌の詞書にも可能性があると指摘できます。

3-4-31歌以下の詞書にある、「梅の花」と「さくら(のはな)」に女性の暗喩があるならば、各歌は男から女へおくった歌という可能性が生じます。

そうすると、3-4-21歌以下の7首は、詞書を吟味すると作者が男で女におくった歌の詞書ではないかという仮説が成り立ちます。3-4-1歌以外は、すべて、ある男の恋にまつわる歌、という一つの整理(一つの仮説)が詞書からできます。

3-4-1歌の詞書にある「ものよりきた」という男と上記の「ある男」の関係も歌本文で確認を要すると思います。

⑦ 次に、恋関係の歌27の詞書にもどり検討します。「恋か」と判定した詞書を除き恋の段階を整理できた18の詞書に注目し、疎遠以降の段階である恋D(または離別以降の段階であるE)で、恋の挿話が終わる等とすると、歌群は次のようなものが想定できます。

3-4-1歌の詞書~3-4-5歌の詞書 (恋Eまでの挿話 歌数は5首)

3-4-6歌の詞書~3-4-18歌または3-4-19歌の詞書 (恋Dまでの挿話 歌数は13~15首)

3-4-19歌または3-4-21歌の詞書~3-4-37歌の詞書(恋Cのあとの「恋か」までの挿話 歌数19~16首) あるいは恋関係以外の8首のいずれかで分割しているかもしれない。

3-4-39歌の詞書~3-4-46歌(恋Cまでの挿話 歌数は8首)

3-4-47歌の詞書~1-3-51歌の詞書 (恋Aのままか 歌数は6首)。

⑧ また、詞書の文言を通覧すると、3-4-1歌の詞書の「すげにふみさしていかがみるといひたりける」に「よめる」(返事した)というのは、直接問いかけられている場面を記述していることであり、このような詞書は、3-4-1歌と3-4-35歌しかありません。前者は、恋の歌の詞書とはストレートにはわかりませんが、後者の3-4-35歌は恋関係の歌というのがはっきりわかる詞書となっています。

⑨ 表2で想定した部立てで、「雑」と想定したのは、3-4-1歌の詞書と3-4-21歌の詞書の2つとなりました。この二つの詞書は、四季の景に言及せず、人の動きに触れており、それが「雑」の部立ての理由でもあるのですが、前者は作者に働きかけている動きであり、後者は、作者が注目した動きという違いがあります。

3-4-1歌の作者について表2の想定を捨て女性とすれば、「ふみ」の内容によっては、男女の間の歌のひとつにこの3-4-1歌もなるかもしれませんが、それは歌本文の確認を要します。

⑩ このように理解すると、3-4-1歌の詞書は、

第一 ほかの歌の詞書が恋関係ばかりであるのに、恋関係の歌としてはなはだ理解しにくい詞書であること

第二、対面してその場で歌を詠んでいるかのような詞書であり、歌でいうならばいわゆる「返し」に相当する歌を示唆する詞書となっており、そのような詞書はほかにないこと

第三 「もの」から京に戻った際と明確に言っているのはこの歌だけであること

という特徴を指摘できます。

 

3.詞書のみを対象とした検討結果のまとめ 

① 『猿丸集』の詞書を材料として検討してきて、指摘できることがいくつかある、とわかりました。

第一 『猿丸集』の編纂者は、歌集の常として、巻頭歌と最後の歌(掉尾の歌)は特別視しているのではないか。少なくとも3-4-1歌の詞書の文言は、この歌集のなかで独特なものである。

第二 3-4-1歌は、恋の歌集を象徴する歌というよりもこの歌集の序の役割をも担っているのではないか。但し、最後の3-4-52歌の詞書は3-4-51歌と同じであり、巻頭歌と最後の歌(掉尾の歌)の関係の確認は、歌本文をみなければ断言はできない。

第三 『猿丸集』の編纂者は、恋に関する歌集を目指しているのではないか。ただし、「返し」という詞書がないのだから、2首で一対となる歌双方を記載するのは避けているとみえる。

第四 『猿丸集』は52首もあるので、部立てあるいはいくつかの歌群からなる歌集ではないか。

第五 『猿丸集』のすべての歌は、それぞれの類似歌の詞書とで異なる詞書を編纂者が用意しているので、『猿丸集』の歌は、類似歌と異なる歌になっている、と推測できる。

第六 詞書のみからの検討では、歌集名の検討で得た、『猿丸集』は類似歌に関する新しい理解を示した歌集、という推測を捨てられない。

 

② これらは、もちろん歌本文による推測と同じであるとは今のところ限りません。次回からは、歌本文も対象に検討することとし、上記の第一を最初に検討したい、と思います。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき ありがとうございます。

(2030/4/13  上村 朋)