前回(2020/3/30)、 「わかたんかこれ 猿丸集と同時代編纂の私家集その2 猿丸の歌」と題して記し、また、今年初め(2020/1/13) 「わかたんかこれ 猿丸集の詞書その1」と題して記しました。
今回 「わかたんかこれ 猿丸集の詞書その2 類似歌の詞書」と題し、詞書よりの検討をします(上村 朋)。
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1.今年初めのブログのまとめ
①『猿丸集』全体の配列・構成などについて「詞書」の検討から始めました。『猿丸集』の歌52首には詞書が35あります。ほかの歌もそれらの詞書のもとにあり、「題しらず」及び「返し」という詞書が『猿丸集』にはありません。また類似歌も(『猿丸集』に記述は省略されているものの)詞書の一部、ともみることができました。
② そのような詞書の並び順(歌の配列)については、一見すると勅撰集のような整然としたものではなく、恋と雑歌等が雑多に並んでいる印象です。
③ 歌集名の検討で得た、『猿丸集』は類似歌に関する新しい理解を示した歌集、という推測を捨てることにはなりませんでした。
2.類似歌の詞書との比較
① 詞書のみの比較をします。『猿丸集』の各歌の詞書とその類似歌の詞書(相当)の部分を、『新編国歌大観』より引用すると、つぎの表1のようになります。『猿丸集』の詞書は35あります。『猿丸集』の歌1首に類似歌が2首以上あると認めた歌もあり、類似歌の詞書は歌の数だけ、合計62あります(題しらずも詞書としてカウントしています。また集計もれが1首あり訂正しました。)(付記1.参照)。
②『猿丸集』の歌52首にかかる詞書は、その歌を詠むに至った事情を簡潔に述べているスタイルの詞書ばかりです。作者の立場に触れている詞書もありますが、作者の固有名詞もそれを推測させる語句もありません。
③ 類似歌のうち、『古今和歌集』にある類似歌の詞書24がみな「題しらず・よみ人しらず」なのに対して、『萬葉集』にある類似歌の詞書(相当)の部分は、「題しらず」が11あるものの、半数近くの詞書では作者名を明らかにしています。『神楽歌』や『拾遺和歌集』・『寛平御時后宮歌合』・『新撰萬葉集』・『人丸集』にある類似歌の詞書は、みな「題しらず・よみ人しらず」です。しかし『千里集』にある類似歌は題詠です。
『萬葉集』歌の場合、「題しらず」(と整理した)歌とは、類似歌の詞書(相当)の部分で作者名を明らかにしているので、誰が詠ったかわからない歌、という意にとれます。
④ 類似歌の62の詞書には、「題しらず」が、結局42あります。三代集の恋の部は、詞書に「題しらず」が多いと歌の配列等の考察ができませんでした(付記2.参照)ので、類似歌の配列等の情報が得られないのはやむをえません。
類似歌の現代語訳の試みも一昨年来行ってきましたが、諸氏の現代語訳と異なることになった例があります(付記3.参照)。そして、類似歌の前後の歌の配列や当時の官人の行動慣行等を踏まえると、詞書は歌の理解に欠かせないものであることを痛感しました。そして、『猿丸集』の歌が、その類似歌がそれとわかる語句を用いた歌としていることは、その理解に類似歌の理解が欠かせないことを示唆していると強く感じたところです。
だから、類似歌については、類似歌のみの配列方針はなく、『猿丸集』の歌の配列に従っていると理解してよく、『猿丸集』の歌にある詞書は、『猿丸集』の歌同士の関係及び歌本文との関係から記述されているものであり、各歌の詞書は、類似歌とともに歌本文の理解を限定している、と推測できます。
表1 『猿丸集』の詞書と類似歌等の詞書(題詞)との対比 (2020/4/6現在)
歌番号等 |
『猿丸集』の詞書 |
類似歌の詞書(相当)の部分 |
3-4-1 |
あひしりたるける人の、ものよりきてすげにふみをさしてこれはいかがみるといひたりけるによめる |
萬284: 黒人妻答歌一首 (雑歌) |
3-4-2 |
(同上) |
萬572: 大宰師大伴卿(だざいのそちおほとものまへつきみ)、大納言に任(まけ)らへ、京に入らんとする時に、府の官人(つかさびと)ら、卿を筑前国(つくしのみちのくに)の蘆城(あしき)の駅家(うまや)に餞(うまのはなむけ)する歌四首(571~574 ) (左注に「右二首大典麻田連陽春) |
3-4-3 |
あだなりける人の、さすがにたのめつつつれなくのみありければ、うらみてよめる |
古711: 題しらず よみ人しらず (恋四) |
3-4-4 |
ものおもひけるをり、ほととぎすのいたくなくをききてよめる |
萬1471: 弓削皇子御歌一首 (夏雑歌) |
3-4-5 |
あひしりたるける女の家のまへわたるとて、くさをむすびていれたりける |
萬 3070ノ一傳: 題しらず (古今相聞往来歌・四茂野陳氏) |
3-4-6 |
なたちける女のもとに |
萬 2717の一伝: 題しらず (古今相聞往来歌・寄物陳思) |
3-4-7 |
(同上) |
① 拾遺586:詞書なし (神楽歌) ② 神楽歌41: 伊奈野(41~43) 本 (神楽歌 大前張(おおさいばり)) |
3-4-8 |
はるの夜、月をまちけるに、山がくれにて心もとなかりければよめる |
① 萬293: 間人宿祢大浦初月歌二首(292,293)(雑歌) ② 萬 1767: 沙弥女王歌一首 (雑歌) |
3-4-9 |
いかなりけるをりにか有りけむ、女のもとに |
萬2878: 題しらず (古今相聞往来歌・正述心緒) |
3-4-10 |
家にをみなへしをうゑてよめる |
萬1538: 石川朝臣老夫歌一首 (秋雑歌) |
3-4-11 |
しかのなくをききて |
萬1613: 丹比真人歌一首 (秋相聞) |
3-4-12 |
女のもとに |
萬1697: 紀伊国作歌二首(1696,1697) (雑歌) |
3-4-13 |
おもひかけたる人のもとに |
萬2998: 一本歌曰<2997の異伝>(古今相聞往来歌・寄物陳思) |
3-4-14 |
(同上) |
萬498: 田部忌寸櫟子任大宰時作歌四首(495~498) |
3-4-15 |
かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに |
① 萬2642: (右一首上見柿本朝臣人麿之歌中也、但以句句相換故載於茲)(古今相聞往来歌・寄物陳思) ② 萬 2506; 題しらず(古今相聞往来歌・寄物陳思) |
3-4-16 |
(同上) |
① 萬1934: 問答(1930~1940) ③ 萬1283: 旋頭歌 |
3-4-17 |
(同上) |
古760: 題しらず よみ人しらず(恋五) |
3-4-18 |
あひしれりける人の、さすがにわざとしもなくてとしごろになりにけるによめる |
① 萬786: 大伴宿祢家持贈娘子歌三首(786~788) (相聞) ② 萬1905: 寄花(1903~1911) (春の相聞) |
3-4-19 |
おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを |
萬3005: 題しらず (古今相聞往来歌・寄物陳思) |
3-4-20 |
(同上) |
古490: 題しらず よみ人しらず (恋一) |
3-4-21 |
物へゆくにうみのほとりを見れば、風のいたうふくに、あさりするものどものあるを見て |
萬3683: 海辺望月作歌九首(3681~89)(風待ちの遣新羅使一行の歌の一歌群) |
3-4-22 |
おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやりける |
① 萬3749:(右四首中臣朝臣宅守上道作歌(3749~3752))(相聞) ② 拾遺集 872: 題しらず よみ人しらず (恋四) |
3-4-23 |
(同上) |
萬122: 弓削皇子思紀皇女御歌四首(119~122) |
3-4-24 |
(同上) |
萬 439: 和銅四年辛亥河辺宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首(437~440) (挽歌) |
3-4-25 |
(同上) |
萬120: 弓削皇子思紀皇女御歌四首(119^122) |
3-4-26 |
(同上) |
萬2354: 寄夜 (よみ人しらず 冬相聞) |
3-4-27 |
ものへゆきけるみちに、きりのたちわたりけるに |
萬1144: 摂津作 (雑歌) |
3-4-28 |
物へゆきけるみちに、ひぐらしのなきけるをききて |
古204: 題しらず よみ人しらず (秋上) |
3-4-29 |
あひしれりける女、ひさしくなかたえておとづれたりけるによみてやりける |
萬2841: 左注右一首、寄弓喩思 (古今相聞往来歌・譬喩) |
3-4-30 |
(同上) |
① 人丸集216: 題しらず ② 拾遺集954: 題しらず (人まろ 恋五) |
3-4-31 |
まへちかき梅の花のさきたりけるを見て |
古34: 題しらず よみ人しらず (春上) |
3-4-32 |
やまでらにまかりけるに、さくらのさきけるを見てよめる |
古50: 題しらず よみ人しらず (春上) |
3-4-33 |
あめのふりける日、やへやまぶきををりて人のがりやるとてよめる |
古122: 題しらず よみ人しらず (春下) |
3-4-34 |
山吹の花を見て |
古121: 題しらず よみ人しらず (春下) |
3-4-35 |
あだなりける女に物をいひそめて、たのもしげなき事をいふほどに、ほととぎすのなきければ |
古147: 題しらず よみ人しらず (春下) |
3-4-36 |
卯月のつごもりに郭公をまつとてよめる |
古137: 題しらず よみ人しらず (春下) |
3-4-37 |
あきのはじめつかた、物思ひけるによめる |
① 古185: 題しらず よみ人しらず (秋上) ② 千里集38:秋来転覚此身衰 ちさと |
3-4-38 |
(同上) |
古198: 題しらず よみ人しらず (秋上) |
3-4-39 |
しかのなくをききて |
① 古215:これさだのみこの家の歌合のうた よみ人知らず(秋上) ② 新撰萬葉集113:<詞書無し>(秋歌三十六首) ③ 寛平御時后宮歌合82:<詞書無し>(秋歌二十番) |
3-4-40 |
(同上) |
古208: 題しらず よみ人しらず(秋上) |
3-4-41 |
(同上) |
古287: 題しらず よみ人しらず(秋下) |
3-4-42 |
女のもとにやりける |
古224: 題しらず よみ人しらず(秋上) |
3-4-43 |
しのびたる女のもとに、あきのころほひ |
古307: 題しらず よみ人しらず(秋下) |
3-4-44 |
(同上) |
萬2672: 題しらず よみ人しらず (古今相聞往来歌類之上 寄物陳思) |
3-4-45 |
あひしれりける人の、なくなりにけるところを見て |
萬154:石川夫人歌一首(挽歌) |
3-4-46 |
人のいみじうあだなるとのみいひて、さらにこころいれぬけしきなりければ、我もなにかはとけひきてありければ、女のうらみたりける返事に |
古1052: 題しらず よみ人しらず(誹諧歌) |
3-4-47 |
あひしれりける女の、人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける |
古995: 題しらず よみ人しらず(雑歌下) |
3-4-48 |
ふみやりける女のいとつれなかりけるもとに、はるころ |
古817: 題しらず よみ人しらず(恋五) |
3-4-49 |
(同上) |
古29: 題しらず よみ人しらず(春上) |
3-4-50 |
はな見にまかりけるに、山がはのいしにはなのせかれたるを見て |
古54: 題しらず よみ人しらず(春上) |
3-4-51 |
やまにはな見にまかりてよめる |
古65: 題しらず よみ人しらず(春上) |
3-4-52 |
(同上) |
古520: 題しらず よみ人しらず (恋一) |
計 |
同種の詞書を除くと35 |
62 (同種の詞書なし) |
- 注1)歌番号等:『新編国歌大観』における巻番号―その巻における歌集番号―その歌集における歌番号 但し、3-4-7歌の類似歌の神楽歌は『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』における歌番号
- 注2)「題しらず」とは、詞書のない歌(無記)をも含む。古今集歌には作者(「よみ人しらず」)を付記した。
- 注3)「類似歌の詞書(相当)の部分」欄の()内は類似歌の記載された歌集の部立て。ただし3-4-21歌の類似歌の場合は詠う時点を記した
- 注4)3-4-37歌に類似歌を2020/4/6追記した(3-40-38歌)。この表の作成漏れであった。
- ⑤次回は、『猿丸集』の詞書のみから、部立て・歌群を改めて想定したい、と思います。「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただき ありがとうございます。(2020/4/6 上村 朋)
付記1.猿丸集の歌とその各類似歌の詞書(相当部分)について
① 本文の表1より、集計すると以下のとおり。
② 猿丸集の歌52首には同一の詞書のもとの歌があるので、詞書は計35ある。
③ 類似歌は62首を認めたので、題しらずも詞書としてカウントして全ての歌にあり62となる。62首の内訳は、『古今和歌集』にある類似歌24と『萬葉集』にある類似歌30首とその他にある類似歌8首となる。2首の類似歌があるのは、3-4-7歌、3-4-8歌、3-4-15歌、3-4-16歌、3-4-18歌、3-4-22歌、3-4-30歌および3-4-47歌、3首あるのは3-4-39歌である。
④ 類似歌のうち『古今和歌集』にある類似歌24首は、すべて題しらず・よみ人しらずの歌である。
⑤ 類似歌のうち『萬葉集』にある類似歌30首のうち11首の詞書は題しらず・よみ人しらずの歌(無記の歌を含む)であり、14首の詞書は、作者を明らかにしており、1首(3-4-21歌の類似歌)は、作者のその属性を明らかにしている(風待ちしている遣新羅使一行の歌の1首)。残りの4首は作者もその属性もわからないが寄花・寄夜・摂津作・寄弓喩思と詠む趣旨の一端を記した詞書となっている。
⑥ 類似歌のうち『拾遺和歌集』にある類似歌2首は、題しらず・よみ人しらずの歌である。
⑦ 類似歌のうち『人丸集』、『神楽歌』、『新撰萬葉集』、『寛平御時后宮歌合』にある類似歌5首は、すべて題しらず・よみ人しらず(無記の歌)である。また、類似歌のうち『千里集』にある類似歌1首は、題詠であり千里作である。
付記2.三代集の恋の部の詞書の検討は次のブログに記す。
ブログ「わかたんかこれ 猿丸集と古今集の詞書その1」(2020/1/20付け)
~
ブログ「わかたんかこれ 猿丸集と三代集の詞書 付1-3-925歌」(2020/3/16)
付記3.類似歌の現代語訳(試案)が、諸氏の現代語訳と異なることになった例
① 3-4-1歌の萬葉集にある類似歌 2-1-284歌:諸氏の言う様に黒人と妻が一緒に旅行しているのではなく、妻は都で留守番をし、相手(作者の夫と一行)の無事を祈っている
(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第1歌とその類似歌」(2018/1/29付け)参照)
② 3-4-12歌の萬葉集にある類似歌 2-1-1697歌:妻の袖を離れてではなく、声を掛けた女性が応じてくれないで一人寝ると詠う。官人の、紀伊国に拘らない旅中の宴の席での応酬歌。
(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第12歌 あけまくをしき」(2018/4/30付け)参照)
③ 3-4-37歌の古今集にある類似歌 1-1-185歌:秋という季節ではなく自分自身が悲しみの根源というよりも、自分に特別な秋が来た(例えば秋が「飽き」に通じるようなことが自分に起きてしまった)と詠う。
(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その4 千里集の配列その2ほか」(2018/11/19付け)参照)
④ 同上の千里集にある類似歌3-40-38歌:1-1-185歌と違い、七夕が除目を暗喩しているグループの歌であり、老いを感じる秋に除目にあえないとさらに辛いと詠っている歌
(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その4 千里集の配列その2ほか」(2018/11/19付け)参照)
⑤ 3-4-47歌の古今集にある類似歌 1-1-995歌:「ゆふつけとり」とは「あふさかのゆふつけとり」の略であり、「たつたのやま」とは、『古今和歌集』編纂者の時代でも壁の意を強調し、実際の所在地を問わない(「あふさかやま」と対を成した)「たつたのやま」である。恋の成就を詠い和歌の隆盛ひいては天皇を中心とした律令の世界の隆盛を暗喩している歌
(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第47歌その3 からころもは着用者も」(2019/8/5付け)参照)
⑥ 3-4-49歌の古今集にある類似歌 1-1-28歌:春の除目を重ねた理解が可能
(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第49歌その3 別の配列」(2019/9/23付け)参照)
(付記終わり 2020/4/6 上村 朋)