わかたんかこれ 猿丸集と同時代人の私家集その2 猿丸の歌

前回(2020/3/23)、 「わかたんかこれ 猿丸集と同時代編纂の私家集その1 三十六人撰から」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集と同時代編纂の私家集その2 猿丸の歌」と題して、記します。(上村 朋)

(関東などに生活拠点のある方々、新型コロナウイルス感染予防のため、いつもの時間に食事をし、体をこまめに動かすなどして、生活リズムを整えましょう。外出時の会話は離れてマスク、帰宅後の手洗い、など徹底しましょう。私も実行しています。)

 

1.~3.承前

(『三十六人撰』巻頭の人麻呂から13人の歌人の私家集を材料に、私家集編纂面からの比較検討を行った。参考とし得る私家集がありながら、『猿丸集』の編纂者は、それに倣っていないこと、元資料(類似歌)とは異なる趣旨の歌として収載していること、一人の人物を中心とした作品集とは思えないこと、にもかかわらず「猿丸の歌集」と名付けていること、編纂の終了時期の推測には幅があり『後撰和歌集』成立以後から『三十六人撰』直前までであること、などがわかった。そして推測した編纂の終了時期を左右する『三十六人撰』に、実在が疑われる猿丸が選ばれている疑問が沸いた。)

 

4.『三十六人撰』で作者が猿丸とされている歌 

①公任の『三十六人撰』には、作者を猿丸と明記した歌が3首あります(5-267-59歌~5-267-61歌)。

 ところが、この3首は、『三十六人撰』成立以前に成ったのが確実な歌集のいくつかに、よみ人しらずの歌として下表のように記載があります。さらに『猿丸集』にもありますが、初句が「おくやま」と変わるなどしているほか詞書からも作者の個人名は導き出せません。なお、この3首は、現存の『萬葉集』、『人丸集』、『赤人集』及び『家持集』にはありません。

 

表 成立が三十六人撰以前の歌集における三十六人撰の歌相当の歌(2020/3/30現在)

三十六人撰での歌番号等

寛平御時后宮歌合での歌番号等

新撰萬葉集での歌番号等

古今集での歌番号等

古今和歌六帖での歌番号等

猿丸集での歌番号等 

5-267-59 

無し

無し

1-1-29

2-4-4465

3-4-49

5-267-60 

無し

無し

1-1-204

2-4-4007

3-4-28

5-267-61

5-4-82

2-2-113

1-1-215

無し

3-4-39

歌集成立時点は1006~1009年頃

892年

菅原道真による撰で893年か

914年以前

兼明親王あるいは源順を編纂者に想定し976~982年頃

三十六人撰以前

  • 注1)歌番号等:『新編国歌大観』の巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号
  • 注2)3首の歌本文は各歌集で異同のある歌もある
  • 注3)歌集成立時点:原則『新編国歌大観』解題より
  • 注4)三十六人撰』は猿丸と小町を番えている。その小町の歌は次の3首である。

5-267-62歌  (詞書無し) 小町

    はなのいろはうつりにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに

5-267-63歌  (詞書無し) 小町  

    おもひつつぬればや人のみえつらむゆめとしりせばさめざらましを

5-267-64歌  (詞書無し) 小町  

     いろみえでうつろふものは世中の人の心のはなにざりける

 

③3首の一番目の歌とその歌相当の歌を、順に記します(『新編国歌大観』より。以下同じ)

〇 5-267-59歌 (詞書無し)   猿丸

      をちこちのたつきもしらぬ山中におぼつかなくもよぶこどりかな

 1-1-29歌 題しらず     よみ人しらず

をちこちのたづきもしらぬ山なかにおぼつかなくもよぶこどりかな

 2-4-4465歌   よぶこどり(4463~4465歌の詞書)  

      をちこちのたつきもしらぬ山中におぼつかなくもよぶこ鳥かな

   3-4-49歌 詞書なし(48歌の詞書と同じ:ふみやりける女のいとつれなかりけるもとに、はるころ)

をちこちのたづきもしらぬ山中におぼつかなくもよぶこどりかな

三十六人撰』の歌(5-267-59歌)は、『古今和歌集』の歌(1-1-29歌)の引用か、と見えます。猿丸集の歌(3-4-49歌)は、古今集の歌にわざわざ詞書を加えています。

2-4-4465歌が記載されている『古今和歌六帖』は、この歌集の編纂方針から題別に収載しており、その題名が動物名の「よぶこどり」ということです(付記1.参照)。

③二番目の歌とその歌相当の歌を、順に記します。

〇 5-267-60歌    (詞書無し)   猿丸

     ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬとみしは山のかげにざりける

1-1-204歌  題しらず         よみ人知らず

ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬと思ふは山のかげにぞありける 

2-4-4007歌  ひぐらし(4002~4010歌の詞書)    

     ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬとみえしは山のかげにぞ有りける

 3-4-28歌  物へゆきけるみちに、ひぐらしのなきけるをききて

ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬとおもへばやまのかげにぞありける

三十六人撰』の歌は、『古今和歌集』の歌(1-1-204歌)をベースに四句の動詞を替えている、と見えます。『猿丸集』の歌(3-4-28歌)は、四句の助詞「は」を「ば」に替えるなどするほか『古今和歌集』の歌にわざわざ詞書を加えています。

④3番目の歌とその歌相当の歌を、順に記します。

〇 5-267-61歌 (詞書無し)   猿丸 

おくやまのもみぢふみわけなくしかのこゑきく時ぞ秋はかなしき

5-4-82歌  秋歌二十番    (無記)

おく山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき

2-2-113歌  秋歌三十六首    よみ人しらず

奥山丹 黄葉蹈別 鳴麋之 音聴時曾 秋者金敷

     (おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき)

 なお、対とされている漢詩は次のとおり。

2-2-114歌  秋山寂寂葉零零 麋鹿鳴声数処聆 勝地尋来遊宴処 無朋無酒意猶冷

     (しうざんせきせき はれいれい びろくのなくこゑ あまたのところにきこゆ しょうちにたづねきたりて いうえんするところ ともなくさけなくして こころなほつめたし)

 

1-1-215歌  これさだのみこの家の歌合のうた(214~215)  よみ人知らず

     おく山に紅葉ふみわけなく鹿のこゑきく時ぞ秋は悲しき

3-4-39歌 しかのなくをききて

     あきやまのもみぢふみわけなくしかのこゑきく時ぞ物はかなしき

三十六人撰』の歌は、『古今和歌集』の歌(1-1-215歌)をベースに初句の助詞を替えている、と見えます。『猿丸集』の歌(3-4-28歌)は、初句を「あき山」へ、五句を「物はかなしき」へと『古今和歌集』の歌から替え、さらにわざわざ詞書を加えています。『新撰萬葉集』の歌(2-2-113歌)は、『古今和歌集』の歌の元資料です。

 

⑤この3首に関しては、『三十六人撰』と『猿丸集』も共通の資料(多分『古今和歌集』)からそれぞれ独自に編纂している、といえます。

そして、『三十六人撰』のみが、この3首の作者を「猿丸」であると断定しています。現存の『猿丸集』においては、この3首のみならず各歌に作者名は詞書にも記されていません。

⑥『猿丸集』の歌については、昨年までに、全52首の現代語訳を試みが終わりました(付記2.参照)。その結果は、元資料(これまでの私の用語でいうならば類似歌)の歌とはその趣旨がすべて異なりました。

『猿丸集』の編纂者は、意図的に詞書を新たにして歌の趣旨を替えているのに対して、『三十六人撰』の編纂者は、この3首について、『古今和歌集』における理解に沿ってしている、と思えます。

⑦『古今和歌集』にあるこの3首の作者は、その配列からも作者名はよみ人しらずと諸氏も断定しています。よみ人しらずとは、『古今和歌集』編纂者が作者像を隠している疑いがあるかもしれません。少なくとも三番目の歌は、『古今和歌集』での詞書に「これさだのみこの家の歌合のうた」とあり、作者は歌合の主催側の天皇家の者か上級の官人か、あるいは紀貫之などのような主催者に召された専門歌人です。そのような人物が、『古今和歌集』の編纂者からみて名を秘さなければならないような身分の低い人物であるとは認めがたいところです。

⑧このような状況にあって、公任はこの3首について「猿丸」を作者であるとして明記しました。そのように認めたヒントは、この歌集が秀歌撰ということ、上下に記すなど歌人を番える形にしているスタイルであること、にあるのではないでしょうか。

 

5.公任の思い

①公任は、秀歌撰として萬葉歌人から最近故人となった歌人までから36人を『三十六人撰』に撰んでいます。10首撰歌の歌人と3首しか撰歌しない歌人がいるのですから、撰歌の基準に、秀歌を詠んだ歌人というのはあるのでしょうが、それ以外が、はっきりわかりません。

②『萬葉集』に作者名として明記のある人丸・赤人・家持の『三十六人撰』の歌を、現存の『萬葉集』などと対比すると下表が得られます。

③表をみると、人丸作とした歌10首のうち、三代集にもある歌9首は、既に三代集の編纂者により作者名が付されていますが、「人丸」とあるのは5首のみです。そしてその10首は、現存の『萬葉集』では4首が「よみ人しらず」の歌であり、4首が『萬葉集』に無い歌なのですが、公任は『三十六人撰』で10首すべてを「人丸」作と認めています。

三十六人撰』で赤人作または家持作とした計6首のうち、三代集では家持作が1首、「よみ人しらず」も1首であり、残りの4首は三代集にありません。それらを公任は改めて赤人作または家持作と認めています。ただ、赤人作と認めた3首は『赤人集』にあります。

そして、秀歌と公任が認め猿丸の歌として撰歌した3首は、『萬葉集』や『人丸集』などに記載がない『古今和歌集』のよみ人しらずの歌です。

 

表 三十六人撰が人丸・赤人・家持の作としている歌と萬葉集等との対比(2020/3/30 現在)

三十六人撰

人丸集

赤人集

家持集

萬葉集

三代集

5-267-1

 

3-2-141

3-3-2

2-1-1847よみ人しらず

1-3-3赤人作

5-267-2

3-1-169

 

 

2-1-1431赤人作

1-3-18人丸作

5-267-3

3-1-170

 

 

なし

 

1-1-334よみ人しらず*

5-267-4

3-1-173

3-2-260

 

2-1-1985よみ人しらず

1-3-125よみ人しらず

5-267-5

 

 

3-3-127

2-1-2214よみ人しらず

1-1-284人丸作& 1-3-219人丸作*

5-267-6

3-1-217

 

 

なし

1-1-409よみ人しらす

5-267-7

3-1-208

 

 

なし

1-3-848人丸作

5-267-8

3-1-212

 

 

2-1-2813よみ人しらず

1-3-778人丸作

5-267-9

3-1-221

 

 

なし

1-3-128人丸作

5-267-10

3-1-21

 

 

2-1-266人丸作

なし

5-267-41

 

 

 

2-1-4514家持作

なし

5-267-42

3-1-149

 

 

2-1-1602家持作

なし

5-267-43

 

3-2-116

 

2-1-1450家持作

1-3-21家持作

5-267-44

 

3-2-2&

3-2-354

 

2-1-1431赤人作

なし

5-267-45

 

3-2-3

3-3-11

2-1-1430赤人作

1-2-22よみ人しらず

5-267-46

 

3-2-115 &

3-2-352

 

2-1-924赤人作

なし*

  • 注1)番号は『新編国歌大観』の巻数―当該巻での歌番号―当該歌集での歌番号
  • 注2)「*」印は注記有りの意。下記のとおり

1-1-284歌&1-3-219歌:下句が異なるが古今集では人丸作としている

1-1-334歌:古今集の左注に「ある人曰く人麿が歌也」とある

1-1-409歌:古今集の左注に「ある人曰く人麿が歌也」とある

なし(5-267-46歌の三代集欄):古今集序の古注に引用がある

注3)「三十六人撰が人丸・赤人・家持の作としている歌」の歌本文は付記3.参照

④この表より次のことが言えます。

第一 公任は,『三十六人撰』の撰歌にあたり、三代集のほか現存の『萬葉集』で当時解読できていた歌のみならず、それまで官人が蒐集していた人丸歌など(編纂が終われば現在の『人丸集』などになる素材)も参考にできる状況であった。

第二 公任は、自分が撰んだ『前十五番歌合』や六条宮具平親王撰の『三十人撰』より古の秀歌を重視して『三十六人撰』を編んだのではないか。『前十五番歌合』と比べると、人丸と赤人のほかに家持と猿丸とが加わっている。さらに、小町と番う歌人を求めていたのではないか。

第三 『三十六人撰』で人丸の歌として撰歌した歌は、先人(三代集の編纂者たち)が古歌より既に撰んでいる秀歌から撰んだ9首と公任独自の1首である。そのすべてを、第一人者である人丸の歌と追認整理している。六条宮具平親王撰の『三十人撰』の人丸歌10首とは7首が一致するだけであり、公任独自の撰歌である。

第四 そして古歌の次善の秀歌9首を公任撰として新たに撰歌した(付記4.参照)。それを3人の歌人の作と整理している。赤人・家持の歌として撰歌した6首の歌は、現存の『萬葉集』にあたると当人の作であるので、当人の歌から撰んだと思える。家持作とした3首は、六条宮具平親王撰の『三十人撰』の家持歌と一致している。

第五 古の歌の秀歌重視のため、古の次善の秀歌9首の3人目の歌人として、『萬葉集』に登場しない人物であってかつ三代集にも詠作が一首もない歌人を創作した。

なお、この推測は、公任の撰歌基準の推測と36人の歌のそれから評価、および公任の歌論との関係など歌人としての活動の中での位置づけが未検討の状況です。

⑤「猿丸」という名は、既に古の人物として『古今和歌集』の真名序に名のある「猿丸大夫」がヒントになったとみます。歌風が異なる小町と同時代の古の歌人として、また詮索を受けても「猿丸大夫」に直結しないよう「猿丸」としたのではないでしょうか。「猿丸」とは、公任にとってよみ人しらずとくくられている複数の作者をグループ化して仮に名付けた、あくまでも記号に変わらないものであったと思います。結果として「猿丸」という人物の発見者に、公任はさせられてしまいました。

⑥『三十六人撰』で猿丸作とある3首のうち2首が、(『三十六人撰』が編纂終了以前の、)976~982年頃編纂された『古今和歌六帖』に、あります。しかし、『古今和歌六帖』編纂者は共に「よみ人しらず」の歌としています。少なくとも976~982年頃には、この3首が「猿丸」という一人の人物の詠作と歌人たちに認めてもらっていないと言えます。だから、たとえ976~982年頃までにこの3首の記載がある『猿丸集』が歌人たちに知られていたとしても、その歌の作者が「猿丸」なる人物である、とは歌人たちは認めていなかった、ということになります。

⑦「猿丸」という人物の詠作した歌が、公任の時代まで『三十六人撰』にある歌以外になく、また官人としての履歴も不明なのは、このような事情で生まれた人物なので、やむを得ないことなのです。

 

6.現存の『猿丸集』と『三十六人撰』との関係

①さて、現存の『猿丸集』と現存の『三十六人撰』との関係です。現存の『猿丸集』の編纂の終了時期の推測には幅があり最早は『後撰和歌集』成立以後、最遅は『三十六人撰』直前、と確認しました(前回のブログ(2020/3/23付け)参照)。既に『猿丸集』という名になっていたと思われるその歌集にある公任が「猿丸」の歌と認めた歌3首のうち1首(3-4-39歌)は、初句と五句の語句が異なります。これだけからも編纂方針(とそれに基づいた撰歌)が、『猿丸集』と『三十六人撰』とでは違うといえます。

②詞書を新たに作る作業をしている『猿丸集』編纂者も『古今和歌集』の真名序に名のある「猿丸大夫」にあやかって歌集名に「猿丸」の名を頂戴したと思われます。『猿丸集』の編纂者は、「猿丸」という語句に、『猿丸集』の歌よりも、その類似歌(諸氏のいう異伝歌)に対する留意を込めているのではないか、と私は推測しているところです(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の構成 歌集名から」(2020/1/6付け)参照)。

『猿丸集』と『三十六人撰』は、元資料を単に共通にしている、ということであろう、と思います。たまたま公任が撰んだ歌を含めて『猿丸集』が成立したことになります。『猿丸集』において、この3首は、歌集の筆頭に置かれているわけではなくバラバラの配列であり、『猿丸集』を参考に公任が『三十六人撰』の3首を撰んだとは思えません。この論はしかし、『猿丸集』の成立時点を、上記①からさらに狭めるものではありません。

③上記②とは別の推理も可能です。『三十六人撰』に「猿丸」が登場してから、同音異議の語句を利用した歌をいくつか集めていた歌集群を、現在の『猿丸集』という形にした、という推理です。

同音異議の語句を利用した歌は世の中に多数あるのですから、元資料を古今集歌にとった歌集も別に存在していて(萬葉集歌や後撰集歌を元資料とした歌集も当然つくられ)、古の歌人として「猿丸」を得て、「猿丸」編纂というスタイルの歌集を改めて誰かが編纂したのが現存の『猿丸集』である、という推理です。編纂にあたり補った歌もあったことでしょう。

この二つの推理の優劣は今のところ決めかねるので、現存の『猿丸集』の最終的な編纂時期は、『三十六人撰』の編纂時期からの推測では不定である、ということが指摘できるだけです。

 

7.わかったこと

①『三十六人撰』に実在が疑われる猿丸を選んだのは、公任が、古の秀歌を重視した結果であり、必要となった歌人名を創作した、と思われます。もちろんほかの視点からの検討事項も残っています。

②『猿丸集』は、『三十六人撰』とは関係なく編纂が進められた、「猿丸」という人物名には共通に「古の優れた歌人」というイメージが込められています。 

しかし期待している人物像は違います。『猿丸集』編纂者は言葉のテクニシャンとして、『三十六人撰』編纂者(公任)は「古に秀歌を詠った人々」として。

③前回のブログで指摘した現存の『猿丸集』の最遅編纂終了時点(『三十六人撰』直前)は、再検討を要します。『猿丸集』の歌本文や詞書に推測のヒントがあるかもしれません。

④ご覧いただき ありがとうございます。

次回からは、『猿丸集』の詞書を検討したい、と思います。

(2020/3/30 上村 朋)

付記1. 『古今和歌六帖』における作者名記載の例

①『古今和歌六帖』((宮内庁書陵部桂宮旧蔵本(510・34)))の成立時期は、兼明親王あるいは源順を編纂者に想定し貞元~元元(976~982)頃が有力(『新編国歌大観』の解題)。『三十六人撰』にある3首の「猿丸」歌のうちの2首がある。ともに「よみ人しらず」の歌。

②『古今和歌六帖』で、「よぶこどり」と題する歌の作者名は次の通り。

 4463歌  無記

 4464歌  おほとものさかの上郎女

 4465歌  無記

③また、「ひぐらし」と題する歌の作者名は次の通り。

 4002歌 無記

 4003歌 へんぜう

 4004歌 つらゆき二首

 4006歌と4007歌 無記

 4008歌 つらゆき

 4009歌と4010歌 無記

 

付記2.『猿丸集』記載の歌とその元資料などについての現代語訳の試みは、次のブログに記した。

①序論として、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集その1」(2018/1/15付け)及びブログ「わかたんかこれの日記 猿丸集の特徴」(2017/11/9付け)

②各論として、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第1歌とその類似歌」(2018/1/29付け)~ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第52歌その4 はな見」(2019/11/4付け)の 約80のブログに分載している。

③『人丸集』にある歌を『猿丸集』の元資料(類似歌)としたのは1首ある。3-4-30歌の元資料である3-1-216歌であり、『拾遺和歌集』にある1-3-954歌も元資料である。3-1-216歌以外にも『人丸集』等にある歌が元資料となり得る歌が5首あるが、これらは上記のブログでは元資料から割愛して検討した。『古今和歌集』あるいは『萬葉集』にある歌が元資料となっていたからである(古今集歌でよみ人しらずの歌3首(3-4-34歌の3-3-305歌、3-4-37歌の3-2-61歌、3-4-50歌の3-2-308歌)と萬葉集歌の2首(3-4-16歌の3-2-211歌、3-4-26歌の3-1-168歌))

 

付記3.『三十六人撰』の歌抜粋(同相当歌を注記する)

〇5-267-1歌 昨日こそ年はくれしか春霞かすがの山にはや立ちにけり

   (3-2-141歌と3-3-2歌と1-3-3歌は平仮名表記で同じ 2-1-1847歌二句「としはたてしか」)

〇5-267-2歌 あすからは若菜つまむと片岡の朝の原はけふぞやくめる

   (3-1-169歌は初句「あすよりは」 2-1-4431歌初句「あすよりははるなつまむとしめののにきのふもけふもあかしかねつも」 1—3-18歌は平仮名表記で同じ)

〇5-267-3歌 梅花其とも見えず久方のあまぎる雪のなべてふれれば

   (3-1-170歌四句「あまぎるきりの」 萬葉集に無し 1-1-334歌四句平仮名表記で同じ

〇5-267-4歌 郭公鳴くやさ月の短夜を独りしぬればあかしかねつも

   (3-1-173歌と3-2-260歌と1-3-125歌は平仮名表記で同じ 2-1-1985歌二句三句「きなくさ月のみじかよも」)

〇5-267-5歌 飛鳥河もみぢば流る葛木の山の秋風吹きぞしくらし

   (3-3-127歌は下句「山のこのははいまかちるらむ」

    2-2-2214歌は五句「いましちるらし」

1-1-284歌は「たつたかは(あるいはあすかがは)もみぢばながる神なびのみむろの山にしぐれふるらし」  1-3-219歌は「竜田河もみぢ葉ながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし」(人丸))

〇5-267-6歌 ほのぼのと明石の浦の朝ぎりに島がくれ行く舟をしぞ思ふ

   (3-1-217歌は平仮名表記で同じ 1-1-409歌の左注に人丸の歌とある)

〇5-267-7歌 たのめつつこぬ夜あまたに成りぬればまたじと思ふはまつにまされる

   (3-1-208歌は平仮名表記で同じ 1-3-848歌四句「・・・ぞ」)

〇5-267-8歌 葦引の山鳥の尾のしだりをのながながし夜をひとりかもねむ

   (3-1-212歌・2-1-2813歌と1-3-778歌は平仮名表記で同じ)

〇5-267-9歌 わぎもこがねくたれがみをさるさはの池の玉もと見るぞかなしき

   (3-1-221歌と1-3-1289歌は平仮名表記で同じ 大和物語150段にある歌)

〇5-267-10歌 物のふのやそ宇治河のあじろ木にただよふ浪のゆくへしらずも

   (3-1-21歌四句は「いざよふ波の」 2-1-266歌四句は「いざよふなみの」)

〇5-267-41歌 あらたまのとしゆきがへり春たたばまづわがやどにうぐひすのなけ

   (2-1-4514歌は「あらたまのとしゆきかへる春たたばまづわがやどにうぐひすはなけ」 参考歌1-3-5歌「あらたまの年立帰朝より待たるる物は鶯の声」(延喜御時月次御屏風に 素性法師) )

〇5-267-42歌 さをしかのあさたつをのの秋はぎにたまとみるまでおけるしらつゆ

   (2-1-1602歌の二句は「あさたつのへの」五句が「おけるしらなみ」 3-1-149歌「さをしかのあさふすをののくさわかみかくれかねてか人にしられぬる)

〇5-267-43歌 春ののにあさるきぎすのつまごひにおのがありかを人にしれつつ

   (3-2-116歌は五句が「人にしられつつ」 2-1-1450歌は二句が「あさるきぎしの」四句が「おのがあたりを」 1-3-21歌は平仮名表記で同じ )

〇5-267-44歌 あすからはわかなつまむとしめしのに昨日もけふもゆきはふりつつ

   (3-2-2歌と3-2-354歌の初句は「はるたたば」 2-1-1431歌は「あすよりははるなつまむと・・・」)

〇5-267-45歌 わがせこにみせむとおもひしむめのはなそれともみえずゆきのふれれば

   (3-2-3歌と3-3-11歌と1-2-22歌は平仮名表記で同じ )

〇5-267-46歌 わかのうらにしほみちくればかたをなみあしべをさしてたづなきわたる

   (3-2-115&3-2-352歌と2-1-924歌は平仮名表記で同じ )

 

付記4.公任について

藤原公任(きんとう)の生没は、康保3年(966)~長久2年(1041)。万寿元年(1024)に59歳で致仕し、2年後出家。『拾遺抄』、『和歌朗詠集』、『金玉集』、『前十五番歌合』、『三十人撰』(現存しない)、『三十六人撰』の編纂者。歌論書『新撰髄脳』と『和歌九品』、儀式典礼書の『北山抄』の著者。 

②公任は、『三十六人撰』の前に、 『前十五番歌合』を撰んでいる(1007,1008頃)。その時の歌人はつぎのとおり。『三十六人撰』と比べると、家持および猿丸は入っていない。古今集に作者名を明記された歌がある敏行や興風も入っていない。

紀貫之・躬恒 素性・伊勢 在五中将・遍昭僧正 忠岑・能宣 公忠・忠見 

堤中納言・土御門中納言 友則・清正 小野小町・元輔 是則・元真 仲文・輔昭 

斎宮女御小大君 傳殿母上・帥殿母上 重之・順 兼盛・中務 人丸・赤人 

③『前十五番歌合』の人丸歌は5-267-6歌と、赤人歌は5-267-46歌と同じである。

(付記終わり  2020/3/30   上村 朋)