わかたんかこれ 猿丸集と三代集の詞書  付1-3-925歌

前回(2020/3/2)「わかたんかこれ 猿丸集と伊勢集の詞書」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集と三代集の詞書  付1-3-925歌」と題して、記します。(上村 朋)

 1.~14.承前 

(『猿丸集』という書名を検討し、「猿丸」という古の歌人名により、類似歌が新解釈であることを示唆している歌集か、と推測した。次に、『猿丸集』の編纂方針を詞書から検討するため、恋の歌が多い『猿丸集』に鑑み三代集の恋の部の詞書を検討した。『古今和歌集』巻第十五恋五では、題しらずという詞書を中立の詞書とみて推測した歌群は歌本文を含めて推測した歌群と歌群順に重なるところがあった。そして『後撰和歌集』巻第十三恋四と巻第十四恋五では、詞書のみからの検討と歌本文を含めての検討が重なったのは、歌群が恋の各段階を通じた挿話方式である、ということだけであり、題しらずという詞書が断然多い『拾遺和歌集』巻第十五恋五では、詞書だけからは歌群のいくつかを指摘できるだけであった。但し『拾遺和歌集』巻第十五恋五の巻頭歌については詞書と歌本文との突合途中である。また三代集の恋の部の詞書の書き方と比較すると、『猿丸集』の詞書は、「題しらず」と「返し」が無いことがわかった。)

 

15.拾遺集の歌本文よりの確認その2

① 巻第十五恋五の巻頭歌の検討を続けます。『新編国歌大観』より再度引用します(歌は以下同じ)。

  1-3-925歌  善祐法師ながされ侍りける時、母のいひつかはしける

      なく涙世はみな海となりななんおなじなぎさに流れよるべく

 小町谷照彦氏は次のように現代語訳を示しています(『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』) 詞書の訳はありません。

 「悲しみ泣く私の涙で、この世の中は皆海となってしまってほしいものだ、我が子と同じ渚に流れ寄るように。」

何を同じ渚に流れ寄せたいのかの説明は、ありませんでした。

② この巻の最初の歌群の冒頭歌は、巻頭歌でもある1-1-925歌です。

1-3-926歌以下1-3-929歌までの題しらずの歌は、歌本文にあたってみると、恋の歌として疎遠以降の段階の心情の歌であってもおかしくありません。配列からは、疎遠以降の段階の歌と予想できます。

 この歌の作者は、詞書より、善祐法師の母となります。二条后と密通をしたとして「配流伊豆講師」(896)となった男の母です。母は、二条后にも非があるように詠むことは避け、ひたすら「配流」で済んだ善祐法師を諭している調子が詞書から感じます。

 また、『猿丸集』の歌で同音異義の語句の例をたくさん見てきました。1-3-925歌でもその可能性を検討したいと思います。

③ 初句「なく涙」から検討します。

 平仮名の「なく」は、動詞として「泣く」と「鳴く」、形容詞として「無し」の連用形があります。「なくなみだ」と言う語句では動詞しか該当しません。

「なく涙」と詠う先例は、3首あります。

古今和歌集』巻第十六 哀傷歌の巻頭歌

1-1-829歌  いもうとの身まかりにける時よみける     小野たかむら朝臣

なく涙雨とふらなむわたり河水まさりなばかへりくるがに

後撰和歌集』巻第二十 慶賀 哀傷

1-2-1397歌  返し                        兼輔朝臣

      なく涙ふりにし年の衣手はあたらしきにもかはらざりけり 

当時の伝承歌のひとつとみなせる『赤人集』 にある歌

2-2-45歌  なくなみだこふるたもとにうつりてはくれなひふかきやどとこそあれ

 初句の「なく涙」は、歌の作者が嘆いて泣いた結果の涙です。河になれば嘆きを止めるような働きをするかもしれないが、結局涙は問題を解決してくれない、嘆きを訴える手段にすぎない、という認識の歌です。

 このほか『古今和歌集』には、「なみだかは・なみだのかは」と詠う歌が1-1-529歌ほか8首あり、「袖・たもと」と「なみだ・(白)玉」とを詠う歌が1-1-556歌ほか3首あります。このようなイメージを受けて、嘆いている状態を示し得る語句として初句のみの体言止めの文とみなすことが可能であり、それで一文となり得ます。

④ 二句「世はみな海と」の「世」については、多くの意があります(『例解古語辞典』)。

第一 (仏教思想で)過去・現在・未来の三世。特に、現世。

第二 時代・時世・時

第三 世の中・世間

第四 俗世間・浮き世

第五 世間の風潮・時流

第六 国政・国

第七 人の一生・生涯・運命

第八 境遇・状態

第九 渡世・生活・家業

第十 男女の仲・「よのなか」

また、「世」を、「よ」と表記している伝本があります。

 平仮名の「よ」は名詞として「世」、「夜」、「余」(そのほか・それ以外)、「節」「予」(自称)の意があります。

⑤ 「世は」の「は」は、「体言が中核となる、主語や連用修飾語などに付いて、その語句を主題・題目としてとり立てる意を表します。また他と対比して限定する気持ちを加えてとりたてることがあります」(『例解古語辞典』)。

「みな」には、名詞「皆」と副詞「みな」(すっかり・ことごとく)の意があります。(同上)

 この二句には述語に相当する語句がありませんので、動詞を含む三句「なりななん」とともに一文となっているとみなせます。

 三句「なりななん」は、四段活用の動詞「なる」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の未然形+助詞「なむ(なん)」と分解できます。

活用語の未然形につく「なむ(なん)」は終助詞であり、「他または相手に対して、・・・してほしいと望む気持ちを表し」ます。(同上)

 「なむ(なん)」は、この歌の作者の気持ちですので、二句~三句は、

 「私(作者自身)は、(「世はみな」という)他または相手に対して、「海となりぬ」という状態になることを望んでいる」

という文となります。「(世はみな」という)他または相手が「海となりぬ」」という文が入れ子になっているのがこの二句~三句ということになります。

 その理由が、助動詞「べし」の連用形で終わっている四句以下の文ではないか。

 なお、一句~三句で一文となっている可能性もありますが、とりあえず二句~三句で一文とみるケースから検討します。

⑥ 入れ子の文を検討します。

 入れ子の文の、主語となり得る候補が、名詞としての「世」と「みな」です。

 「海となりぬ」の「と」(格助詞)の意は、次の二つが想定できます。

 「移り変わり変化していった結果を示す」

 「たとえていうのに用いられている。・・・ように」

 前者の意であれば、「海」は、琵琶湖や紀伊半島沖の海などという広い水域という実際にある空間を指すことになり、「海となりぬ」とは、今動詞「なる」を仮に「成る」とすれば「広い水域に変化し終わる」意となります。その空間は、初句にある涙が最後にたどり着くところであるとも言えます。

 その海に、「世」あるいは「みな」が「成る」ということは、それが水域を構成する物質あるいは溶け込みうるもの(例えば氷山、屍骸など)とみなせなければあり得ませんので、通常では不自然です。

 なお、「成る」の意は、「できあがる」、「変化して、ある状態になる」及び「できる・かなう」があります(同上)。

後者の意であれば、「海」は、広い水域を何かのたとえとしていることになり、「海となりぬ」とは、「広い水域が持つイメージにあうものに他または相手が変化し終わる」意となります。

 『古今和歌集』で、海あるいは海辺を詠う歌の先例(付記1.参照)をみると、「海」に関してはおだやかな大海原・寄せる白波が詠われています。(1-1-994歌(かぜふけば おきつしらなみ たつたやま)のような例外的な歌や浦(恨む)や松(待つ)をいいだし、海の状況に触れていない歌もあります。)

 これから、当時の「海」のイメージは、「広い水域」であり、それは「おだやかなもの」であり、「すべてを受け入れるもので泰然としているイメージ」で歌に多く詠われ、そうではない嵐の海など困難を予想するイメージではほとんど詠まれていない、と言えます。

 このため、入れ子の文は、「「世」あるいは「みな」が、海のように穏やかなものに変化し終わる」、という意になり、二句~三句からなる文は、

「私(作者自身)は、「「世」あるいは「みな」が海のように穏やかなものに変化し終わる」ということを望んでいる」

という意になります。

⑦ ここまでは、動詞「なる」は「成る」と仮定してきましたが、同音異義の「業る」(生業とする)と「鳴る」もあります。しかし、格助詞「と」との関係で意味が通じそうなのは格助詞「と」が後者の意の場合のみであり、「海となりぬ」は、「広い水域全体に響き渡りきる・音が鳴り終わる」となる意となり、なんとなく通じるものの、動詞「なる」は、「成る」を第一候補に以降検討します。

 また「海」の平仮名表記である「うみ」には動詞を名詞化した「産(生)み」、「倦み」(いやになる・飽きる意)及び「績み」(麻などの繊維を細く裂き長くよりあわせる・紡ぐ)があり得ますが、文として意味をもつのは「海」が一番です。さらに、名詞「膿」もありますが和歌に詠まれにくい意である、と思います。

⑧ ここまでの二句~三句の検討における、同音異義の語句を表にすると、次のようになります。

表 二句と三句からなる文における同音異義の語句検討表(「◎」のみを以下検討)

意味区分

世は(イ)

みな(ロ)

海と(ハ)

なりななん(ニ)

意味A

世は(主語)*◎

皆(名詞)◎

海と(2案あり)◎

成りななん◎*

意味B

世は(とりたて)*◎

 

 

 

意味C

夜は(2案あり) ◎

みな(副詞)◎

産(生)みと

業りななん

意味D

余は(2案あり) ◎

 

倦みと

鳴りななん

意味E

節は(2案あり)

 

績みと

 

意味F

予(自称)は

 

 

 

注1:「*」はさらに案が多数あることを示す。

注2:「は」の意は、上記⑤に記したように2案ある。

 

⑨ 次に、二句~三句にある入れ子の文の主語、具体には「世」と「みな」と表記されている語句について、検討します。

 作者である善祐法師の母が、他または相手が「海のように穏やかなものに変化し終わる」ことを期待等しているのは、それが子の善祐法師の身分・生活に影響するからである、と思います。

 母の心配には、我が子が、配流となった自分を冷静にみて配流地で過ごすことができるか、あるいは配流となった我が子の周辺の状況がこれ以上の悪化がなく好転してくれるか、の2点がある、と思います。

 前者の場合「世」の意は、子の善祐法師自身に関することなので、上記のうち、第七「人の一生・生涯・運命」あるいは第八「(子の)境遇・状態」ではないか、と思います。

 後者の場合「世」の意は、上記のうち、第二「時代・時世・時」あるいは第三「世の中・世間」あるいは第五「世間の風潮・時流」ではないか、と思います。我が子は伊豆国にいるのだから第六「国政・国」ではない、と思います。

 どちらの場合でも、「みな」は副詞(すっかり・ことごとく)がふさわしい、と思います。

 そうすると、入れ子の文は、例えば

「子の善祐法師の伊豆国における(精神)状態が海のように穏やかなものに変化し終わる」

「子の善祐法師の伊豆国における周囲の反応(世間の風潮など)が海のように穏やかなものに変化し終わる」

となるでしょう。

⑩ 次に、主語「世」が、夜等の意の場合(上表の意味C~F)を確認しますと、副詞「みな」との関係で、「余」だけが候補として残ります。即ち、二句~三句は、

「私(作者自身)は、「そのほかのものはすべて海のように穏やかなものに変化し終わる」ということを望んでいる」

 「余」とは、朝廷の御意思以外のもの(例えば、現地の国分寺の僧・国守等の官人の温情など)、の意と理解が可能です。

⑪ 次に、「世は」が副詞句であって、「みな」を名詞として主語とみると、その「みな」とは、母の後者の心配(我が子の周辺の状況がこれ以上の悪化がなく好転してくれるか)に関わるものすべてを指し、とりわけ官人(とりわけ国守等)の子に対する態度が、該当すると思います。

 この場合、「世は」の意は、「第五の世間の風潮・時流として」、とか「第三の世の中・世間にあって」ということが該当するのではないか。

 二句~三句は、例えば

「私(作者自身)は、「伊豆国の官人その他の人々にあっては、皆が海のように穏やかなものに変化し終わる」ということを望んでいる」

となります。

⑫ つぎに、四句~五句(おなじなぎさに流れよるべく)を検討します。この一文は、条件文であり、本文が二句~三句になるのでしょうか。

 同音異義の語句に、「ながれよる」及び「べし」があります。

 複合動詞「ながれよる」の意は、「なぎさ」が「渚」と表現される「川や海や湖などの波打ち際」の意しかありませんので、

 第十一 流れて近寄る

 第十二 しだいに移って行きなびき寄る・しだいに移って行き集まりあう

の意であろう、と思います。

 助動詞「べし」は、つぎのような意があります(同上)

 第二十一 確実な推理・予想を表す。・・・にちがいない

 第二十二 意思・決意を表す。・・・つもりだ

 第二十三 当然だ、適当だと判断する意を表す。・・・はずだ

 第二十四 勧誘・命令の意をあらわす。・・・なさい

 第二十五 可能の意を表す。・・・ことができる

二句~三句の意を優先させれば、第二十五の「可能の意を表す。・・・ことができる」が妥当であろうと思います。

 また、同音意義の語ではありませんが、「おなじなぎさに」の「おなじ」は、この歌で該当しそうなものがいくつかあります。

 第三十一 作者が近寄ることができる鴨川の渚と同じ(作者の子が配流となっている伊豆国の渚に)。

 第三十二 出家しているほかの僧侶とおなじように(煩悩を超越した悟りの境地を意味する彼岸に作者の子至る)。

 第三十三 朝廷との子との関係が今までどおりであるように。ひいては朝廷の特別の配慮を頂ける(配流期間の短縮等)ように。

 二句~三句の意を優先させれば、第三十三あるいはそれを象徴する場合の第三十一が有力ではないか、と思います。

⑬ ここまで、この歌(1-3-925歌)を三つの文からなる、として検討してきました。

 文A なく涙

 文B 世はみな海となりななん

 文C おなじなぎさに流れよるべく

 そして文Cは、文Bの条件文と予想しています。 

 各文のこれまでの検討結果を、上記⑤なお書きに記した一句~三句で一文という可能性を含めて整理すると、つぎの3つの表が得られます。

表 1-3-925歌の文A(なく涙)の現代語訳の素案

案の区分

文A:なく涙

初句が一文

A1:私が泣いて生まれた涙があります。

初句が二句の主語を修飾

A2:嘆いて泣いた涙(にくれる私)

 

表 1-3-925歌の文B(世はみな海となりななん)の現代語訳の素案

案の区分

文B:世はみな海となりななん

世=名詞:第二案または第三案または第五案

&みな=副詞

B1:「子の善祐法師の伊豆国における周囲の反応(世間の風潮など)が海のように穏やかなものに変化し終わる」ことを私は望んでいる

世=名詞:第七案または第八案 

&みな=副詞

B2:「子の善祐法師の伊豆国における(精神)状態が海のように穏やかなものに変化し終わる」

ことを私は望んでいる

世=名詞:(実は)余 

&みな=副詞

B3: 「私(作者自身)は、「そのほかのものはすべて海のように穏やかなものに変化し終わる」ということを望んでいる」

 「余」とは、朝廷の御意思以外のもの(例えば、現地の国分寺の僧・国守等の官人の温情など)

世=名詞世と余の掛詞

B4掛詞:B1*B3の案など

みな=名詞

&世は=副詞句

B5:「私(作者自身)は、「伊豆国の官人その他の人々にあっては、皆が海のように穏やかなものに変化し終わる」ということを望んでいる」

 

表 1-3-925歌の文C(おなじなぎさに流れよるべく)の現代語訳の素案

案の区分

文C:おなじなぎさに流れよるべく

おなじなぎさ:第三十一案

 

C1: 作者がよく行く鴨川の渚のように子が配流となっている伊豆国の渚に流れて近寄よってゆけるように

おなじなぎさ:第三十二案

 

C2: 同僚・弟子の僧侶と同じように煩悩を超越した悟りの境地にしだいに移ってゆけるように

おなじなぎさ:第三十三案

C3: 朝廷との子との関係が今までどおりであるように。ひいては朝廷の特別の配慮を頂ける(配流期間の短縮等)ように。

 

⑭ 文Bは、条件文が文Cとみて、文Cの検討後とします。

作者が、配流されている者の母親ということに留意すれば、母の願いの第一はC3ではないでしょうか。

配流の理由が理不尽とも思えることであっても、それをあからさまに詠まないと思いますし、配流は転出・転勤であり、出世はともかくも帰京はかないますから、二条后との関係断絶は当然のことであり、朝廷との関係をこれ以上悪くしないように、子に行動を慎む(あるいは僧侶として務めに励む)よう「いひつかはす」のが普通であろうと思います。それは、廃后とされた二条后と朝廷との関係好転をも願っていることになります。

このため、この歌は、二文からなる歌の理解が有力となります。

(A2+B1)+C3

(A2+B2)+C3

(A2+B3)+C3

(A2+B5)+C3

⑮ ただ、それを「いひつかはす」のに、ストレートに和歌に当時は表現しないと思いますので、表面上の歌意を、別に用意してある歌となります。

そうすると、この歌は、配流の子を追ってゆくのは憚れるので、「作者の泣いた涙だけでも、子のいる伊豆国の渚にながれよることができるように、世の中に私の涙の通り道としての海が出来上がってほしい、と訴えている歌と理解してもよい、と思います。文Bは新たなB3’となります。

即ち、この歌は、二句の「世」に「余」を掛け、二つの意を詠み込んだ歌であり、

表の意は、文A1+文B3’(入れ子の文の主語余は、作者の涙以外の物)+文C1 (三つの文からなる歌)

裏の意の有力案は、(文A2+文B2(入れ子の文の主語世は善祐法師の伊豆での精神状況))+文C3 (二つの文からなる歌)

となります。(この両案の現代語訳の試みは、割愛します)

⑯ 1-3-925歌の詞書については、2020/2/24付けブログで、詞書のみから巻第十五に関して、次の点を指摘しました。

第一 この詞書にある事実は、寛平8年(896)当時54歳前後である清和天皇の后(二条后)と東光寺善祐法師の密通が露見したとして、二条后は「廃后」、善祐法師は「配流伊豆講師」となったこと(『扶桑略記』寛平8年(896)9月22日条)

第二 「廃后」も「配流伊豆講師」も左遷。「配流伊豆講師」とは伊豆国国分寺の役職である「講師」に(都の寺に所属し后と謁見ができる僧職から)転出させたということ。

第三 この詞書は、配流という理由で京を離れるという特殊性に注意を促している記述。

第四 この歌は、作者である善祐法師の母が、配流あるいは伊豆の国へ出発の日が決まった子を思う心情を詠う歌であり、詞書に「いひつかはす」とあるので、善祐法師本人に伝えたいことを込めた歌。その心情は、僧の身分をはく奪されなかった子に

「密通までした高貴なお方への思いをしっかり絶ったと誓約したことを忘れずに」 

と諭したかったのか。

第五 この巻頭の歌は、恋が終わっていることを(『拾遺和歌集集』をみる人に)示唆する歌としてここに歌集編纂者は置いたか。

第六 この詞書のある1-3-925歌は巻頭歌でかつ最初の歌群の冒頭歌であり、詞書のみから推測すれば、1-3-940歌までで一つの歌群を成す。

第七 作者は、恋の当事者ではないので、恋の歌という整理が可能かどうか歌本文に当たらない限り疑問が残る。

⑰ 歌本文との突合をした結果、上記⑯に記した、 

 第三は、歌本文に反映しています。配流の理由が密通をとがめた処分であり、恋の強制的な絶縁ということを詞書が示しています。作者である一方の当事者の母は、その絶縁を前提に歌を詠み、一見非現実的なことを願っているかのような表の意の歌となっています。また、歌本文の理解にあう詞書である、といえます。

 第四も、歌本文からも同じように推測できました。表の意では、子を思う母の思いだけを詠ったと理解できる歌という可能性が大きく残っている歌ですが、配流の理由を忘れるなと子を諭す歌であることを否定していません。

 第五も、歌本文からも同じように推測できました。裏の意がこの歌(1-3-925歌)に生じていることを認めて『拾遺和歌集』編纂者はこの歌を恋の断絶の状態の歌と認めています。配流となり、京から遠く離され、かつ、本人の意思により元の仲に戻れないことがはっきりしているので、恋の歌としては絶縁の状態以外に理解されない歌として恋五の巻頭歌に配置したと思われます。のではないか。

表の意でも、二人の信頼関係を断つという朝廷の立場に立ち、非現実的なことを願い、後戻りは客観的に不可能なことをしっかり示唆しています。 

 第六は、小池氏の指摘する「題しらず」の歌が冒頭歌に成り得るということの検討を要します。

 第七は、杞憂でした。「廃后・配流伊豆講師」の事件とは、二人の信頼関係は(恋に関わりがあろうとなかろうと)強制的に断絶・離別・絶縁となった事件です。元資料の歌としては、単に子を思う歌と人々が理解したかもしれませんが、以上検討してきたように、『拾遺和歌集』の恋五の歌として、作者の行動だけを記すのみの詞書のもとにある歌本文からは、恋の歌の疎遠よりも絶縁の段階の歌と位置づけることが可能です。

 巻四の最後の歌からの関連以外にそのように主張できる歌の内容であることがわかりました。

⑱ このため、詞書に関する推測と歌意の検討結果は齟齬をきたしていない、と判断できます。わざわざ巻頭歌にこのような歌を置いている理由に二条后の廃后と復位に関係があるのでしょうか。いづれにしても、『拾遺和歌集』巻第十五の巻頭歌の詞書は、編集方針に従っていると推測できます。

 

16.三代集の恋の部の詞書検討のまとめ

① 三代集の恋の部より計5巻をとりあげ、その詞書を検討してきました。詞書が「題しらず」タイプや歌合などと披露した場所などのみの「詠んだ場所・理由」を記すのみのタイプでもない、「歌を詠んだ動機につながる情景」を記述するタイプに注目すると、一巻にある複数の歌群の推測が可能でした。

しかし、恋の部では歌本文にあたると、「題しらず」の歌を冒頭歌とする歌群が認められ、「題しらず」の歌も多く、「歌を詠んだ動機につながる情景」を記述するタイプの詞書のみから歌群とその構成(編纂方針)を推測するのは、不正確に終わることがわかりました。

 また、詠う情景の記述の多少(直接には題しらずの多少)と文の表現に、その歌集の編纂方針の違いが明確でありました。『猿丸集』にも独自の編纂方針があるはず、と確信します。

② 恋の歌群の推測は、四季の歌(付記2.参照)と違い、他律的に適用してみようとする基準は恋の進捗の度合いを示すものしかありません。しかし、『古今和歌集』はその最初の段階のステップに2巻をあてている、と諸氏が指摘しています。恋の歌の編纂は各歌集それぞれ異なる編纂方針によっていることがわかりました。

③ 恋の歌の多い歌集『猿丸集』の編纂方針にも、時代の風潮が反映しているとみると、三代集のうちでは「題しらず」の歌が大変少ない『後撰和歌集』の影響下にあるか、と思われます。

そして、『後撰和歌集』編纂と並行して行われていた『萬葉集』の訓読で提案された色々の意見が、『猿丸集』の類似歌である萬葉集歌に反映されているとすれば、同音異義を用いた古今集歌の別の理解にも思いが至ったかもしれません。

そのため、『猿丸集』が一度の編纂で成ったという仮定を置けば、成立は、『後撰和歌集』成立時点以降の遠くない頃、と推測します。

この推測は、3-4-47歌の検討において、「ゆふつけ鳥」の意に追加があり、3-4-47歌はそれを利用しているので、1-10-821歌の作詠時点以降(943年以降)に3-4-47歌が成立したと推測した(付記3.参照)ことと、矛盾しません。

④ 「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただきありがとうございます。

 次回は、『猿丸集』編纂時ころの他の私歌集との比較を試みたい、と思います。

(2020/3/16 上村 朋)

付記1.古今集で海あるいは海辺を詠う歌の例   (2020/3/16 現在)

語句

歌番号等

歌抜粋(平仮名表記)

海の状況

いせのうみに

1-1-509

・・・つりするあまの

おだやか・うらら

いせのうみの

1-1-510

・・・あまのつりなは

触れていない

わたのはら

1-1-407

・・・やそしまかけて こぎいでぬと 

おだやか・うらら

わたのはら

1-1-912

・・・よせくるなみの しばしばも

おだやか・うらら

しらなみに

1-1-301

・・・あきのこのはの うかべるを

おだやか・うらら

しらなみの

1-1-472

・・・あとなきかたに ゆくふねも

おだやか・うらら

おきつなみ

1-1-915

・・・たかしのはまの はままつの

(地名の高師の浜)触れていない

おきつしらなみ

1-1-360

こゑうちそふるおきつしらなみ

(賀にある屏風歌)おだやか・うらら

かぜふけば

1-1-671

・・・なみうつきしの まつなれや

(待つ)緊張・荒れる

かぜふけば

1-1-994

・・・おきつしらなみ たつたやま

(波立つ)緊張・荒れる

するがなる

1-1-489

・・・たごのうらなみ たたぬひは あれどもきみを

(波立つ)緊張・荒れる

なにはがた

1-1-913

・・・しほみちくらし

おだやか・うらら

なにはがた

1-1-916

・・・たおふるたまもを

おだやか・うらら

なにはがた

1-1-974

・・・うらむべきまも おもほへず

浦(恨む)触れていない

なにはのうらに

1-1-973

・・・ありしかば うきめをみつの

浦(恨む)触れていない

あかしのうらの

1-1-409

ほのぼのと・・・あさぎりに

おだやか・うらら

すみのえの

1-1-559

きしによるなみ よるさへや

(寄るなみ)おだやか・うらら

すみのえの

1-1-779

・・・まつはくるしき ものにぞありける

(待つ)触れていない

すみのえの

1-1-905

・・・ひめまつ いくよへぬらむ

触れていない

おきつのはまに

1-1-914

・・・なくたづの

触れていない

おほふねの

1-1-508

・・・ゆたのたゆたに ものおもふころぞ

おだやか・うらら

注1:「海あるいは海辺」を詠う歌とは、「わたのはら・波・江・浦・潟・浜・かぜふけば・おほふね」を詠う歌から抜粋している。

注2:「海の状況」とは、歌において海の表現が「おだやか・うらら」か「緊張」か触れていないかあるいは判定保留の四者からの択一である。

 

付記2.『拾遺和歌集』の巻第一の詞書から配列の推測

① 三代集の四季の巻は、下記の『拾遺和歌集』巻第一春を含めて総じて季節の運行順に歌が配列されている。

② 『拾遺和歌集』巻第一春には、78首が配列されている。うち、季節の景を詞書に記してあるのは、屏風の絵という説明の詞書をも含めて12首しかない。この12首の順番は季節の運行順である。

③ その12首は次のとおり。

1-3-3歌  霞を詠み侍ける

1-3-11歌  鶯を詠み侍ける

1-3-15歌  冷泉院御屏風の絵に、梅花ある家に客人来たる所

1-3-20歌  若菜を御覧じて

1-3-22歌  大后の宮に宮内といふ人の童なりける時、」醍醐の帝の御前に候ひけるほどに、御前なる五葉に鶯の鳴きければ、正月初子の日仕うまつりける

1-3-24歌  入道式部卿の親王の子日し侍ける所に

1-3-25歌  延喜御時、御屏風に、水のほとりに梅花見たるところ

1-3-49歌  斎院屏風に、山道を行く人ある所

1-3-54歌  権中納言義懐家の桜の花惜しむ歌詠み侍けるに

1-3-62歌  荒れはてて人も侍らざりける家に桜の咲き乱れて侍りけるを見て

1-3-69歌  井出といふ所に、山吹の花のおもしろく咲きたるを見て

1-3-78歌  閏三月侍けるつごもりに

  

付記3.「ゆふつけ鳥」の意味の追加について

① ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第47歌その4 暁のゆふつけ鳥」(2019/8/12付け)参照。

② 『新編国歌大観』にある歌では、1-10-821歌が、「暁という後朝の朝に鳴く鶏」で「ゆふつけ鳥」を(年代的には)詠った最初の歌である。それまで、「ゆふつけ鳥」とは、夕方に鳴いてかつ「逢う」意を含む「あふさかのゆふつけ鳥」の略称であった。

(付記終わり 2020/3/16 上村 朋)