前回(2020/1/6)、「わかたんかこれ 猿丸集の構成 歌集名から」と題して記しました。
今回、「わかたんかこれ 猿丸集の詞書その1」と題して、記します。(上村 朋)
1.承前
(『猿丸集』という書名を検討し、「猿丸」という古の歌人名により、類似歌が新解釈であることを示唆している歌集か、と推測した。)
2.『猿丸集』の詞書はひとつの方針のもとに記述されているか
① 『猿丸集』の歌52首には詞書が明記されている歌が、35首(67%)あります。(これは歌集において同一の詞書における歌を連記する場合の平安時代における通例の書き表し方ですが。) しかも詞書に「題しらず」と明記してある歌はありません。下表にみるように、その歌を詠むに至った事情を簡潔に述べているスタイルの詞書ばかりです。
『人丸集』や『家持集』と比べると、明記された詞書が多くの歌にあり、歌集のスタイルが異なります。他薦集である『小町集』や『業平集』と比べると明記された歌の数は少ないうえ、「返し」と明記される歌が『猿丸集』には全然ありません。
『貫之集』や『躬恒集』と比べると明記された詞書が多く、いわゆる恋の歌にこの歌集は特化し、かつ屏風歌と明記した歌がありません。『猿丸集』は、独自の編纂方針のもとに成った歌集であると、詞書だけの比較から推測できます。
② 勅撰集である三代集について、詞書の比較検討を諸氏がしています。詞書の書式に関して紹介しますと、『古今和歌集』は「撰者は書式を一人称として統一しようとしている」が、先行する歌集・物語が元資料となった歌については「その元資料の書式にひかれている」との指摘(『古今集・後撰集の諸問題』(奥村恒哉 風間書房)172p以下)があります。『後撰和歌集』の詞書は一定していないそうです。なお、一人称の書式とは、その歌の作者が直接発言している、というスタイルを指します。
③ また、『猿丸集』には、明確な部立がないので、その歌の理解は、その詞書と、その歌の類似歌と、配列(に代表される歌集全体の構造)に矛盾がないのが正解である、という仮説に従いこれまで検討してきました。いうなれば、類似歌も(記述は省略されているものの)詞書の一部、という理解とも言えます。
しかし、今まで行ってきた『猿丸集』の歌全52首の理解は、隣り合う詞書との関係に触れないままの歌の配列上の矛盾の有無の確認という限定的なものでした。
④ そのため、52首の検討が終わったので、改めて歌集全体の理解のため編纂方針を検討し、各歌の理解を深めたいと思います。
最初に、明記されている詞書に注目し、その並び順等を検討します。その結果によっては『猿丸集』のこれまでの各歌の理解の再検討を要することも有り得るところです。
表 『猿丸集』記載の歌で明記した詞書がある歌とその詞書 (2020/1/13 現在)
詞書明記の歌番号等 |
『猿丸集』の詞書 |
詞書からの部立 |
詞書と歌からの部立 |
3-4-1 |
あひしりたるける人の、ものよりきてすげにふみをさしてこれはいかがみるといひたりけるによめる |
雑歌等 |
雑歌等 |
3-4-3 |
あだなりける人の、さすがにたのめつつつれなくのみありければ、うらみてよめる |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-4 |
ものおもひけるをり、ほととぎすのいたくなくをききてよめる |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-5 |
あひしりたるける女の家のまへわたるとて、くさをむすびていれたりける |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-6 |
なたちける女のもとに |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-8 |
はるの夜、月をまちけるに、山がくれにて心もとなかりければよめる |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-9 |
いかなりけるをりにか有りけむ、女のもとに |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-10 |
家にをみなへしをうゑてよめる |
恋歌か |
恋歌 |
3-4-11 |
しかのなくをききて |
恋歌か |
恋歌 |
3-4-12 |
女のもとに |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-13 |
おもひかけたる人のもとに |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-15 |
かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-18 |
あひしれりける人の、さすがにわざとしもなくてとしごろになりにけるによめる |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-19 |
おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを |
雑歌等 |
雑歌等 |
3-4-21 |
物へゆくにうみのほとりを見れば、風のいたうふくに、あさりするものどものあるを見て |
雑歌等 |
雑歌等 |
3-4-22 |
おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやりける |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-27 |
ものへゆきけるみちに、きりのたちわたりけるに |
雑歌等 |
雑歌等 |
3-4-28 |
物へゆきけるみちに、ひぐらしのなきけるをききて |
雑歌等 |
雑歌等 |
3-4-29 |
あひしれりける女、ひさしくなかたえておとづれたりけるによみてやりける |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-31 |
まへちかき梅の花のさきたりけるを見て |
雑歌等 |
恋歌 |
3-4-32 |
やまでらにまかりけるに、さくらのさきけるを見てよめる |
雑歌等 |
雑歌等 |
3-4-33 |
あめのふりける日、やへやまぶきををりて人のがりやるとてよめる |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-34 |
山吹の花を見て |
雑歌等 |
恋歌 |
3-4-35 |
あだなりける女に物をいひそめて、たのもしげなき事をいふほどに、ほととぎすのなきければ |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-36 |
卯月のつごもりに郭公をまつとてよめる |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-37 |
あきのはじめつかた、物思ひけるによめる |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-39 |
しかのなくをききて |
恋歌か |
雑歌等* |
3-4-42 |
女のもとにやりける |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-43 |
しのびたる女のもとに、あきのころほひ |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-45 |
あひしれりける人の、なくなりにけるところを見て |
雑歌等 |
雑歌等* |
3-4-46 |
人のいみじうあだなるとのみいひて、さらにこころいれぬけしきなりければ、我もなにかはとけひきてありければ、女のうらみたりける返事に |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-47 |
あひしれりける女の、人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける |
恋歌か |
恋歌 |
3-4-48 |
ふみやりける女のいとつれなかりけるもとに、はるころ |
恋歌 |
恋歌 |
3-4-50 |
はな見にまかりけるに、山がはのいしにはなのせかれたるを見て |
雑歌等 |
恋歌 |
3-4-51 |
やまにはな見にまかりてよめる |
雑歌等 |
恋歌 |
計 |
詞書明記の歌:35首 |
恋歌:20 恋歌か:4 雑歌等:11 |
恋歌:27 恋歌か:0 雑歌等: 8 |
注1)歌番号等:『新編国歌大観』における巻番号―その巻における歌集番号―その歌集における歌番号。
注2)当該詞書と歌本文の理解は、例えば付記1.参照
注3)「詞書からの部立」欄:詞書から推測した部立を記入。部立は、古今集を念頭に「恋歌」と「恋歌か」とそれ以外をまとめた「雑歌等」の3区分。
注4)「詞書と歌とからの部立」:詞書とその歌とから推測した部立を記入。部立は、「恋歌」と「恋歌か」とそれ以外をまとめた「雑歌等」の3区分。
注5)3-4-39歌と3-4-45歌の「詞書と歌からの部立」欄の*印:歌の理解の再検討を要すると思われる。恋歌の可能性あり。
⑤ 『猿丸集』の編纂方針を検討するため、古今集を念頭に部立を、詞書のみから各歌を推測すると、表の「詞書からの部立」欄に記すように、圧倒的に恋歌(20首)が多い。このほか、詞書にある「をみなへし」、または「しか」または「けしきをみて」という語句より恋歌かと推測する歌が他に4首あります。仮に「恋歌か」という部立をこの4首にすると、その他の部立(雑歌等)と推測する歌は11首のみです。
⑥ 『猿丸集』の歌全52首については、昨年までに一応検討を済ませているので詞書が明記されている歌本文の検討結果(例えば付記1.参照)をも踏まえて部立を推測すると、表の「詞書と歌からの部立」欄に記すように、
恋歌 27首 (35首の77% すなわち35種類の詞書の77%が恋歌という部立の歌)
恋歌か 無し
雑歌等 8首
となります。
⑦ 雑歌等8首のうち、3-4-39歌は同一の詞書のもとの歌が計3首あるので、3首が一つの部立にあるのが望ましいとすれば恋歌になり、また3-4-45歌も慰めにとどまっていないかもしれず、恋歌ともとれるところなので、恋歌という部立に整理できる歌は29首(83%)になります。(なお、この2首は、歌本文の理解の再検討候補とし、後ほど検討し直すこととします。)
残りの雑歌6首は、挨拶歌(3-4-1歌)、博打好きと詠う歌(3-4-19歌)、自然詠(3-4-21歌)、葬送の歌(3-4-27歌)、外出中の錯覚を詠う歌(3-4-28歌)、酔っ払った同僚を詠う歌(3-4-32歌)であり、前後にある恋の歌との関連は、それらの詞書に表現されていない、とみざるを得ません。
⑧ また、恋歌という部立と推測した29首の詞書の配列基準もはっきりしません。『猿丸集』の全52首をみると、最後の歌3-4-52歌はいわゆる「不逢」の段階の歌とも理解でき、恋の進行順と断言できません。
しかし、歌集の比較をすればヒントが得られるかもしれません。『猿丸集』に先行して、一つの構想のもとに成立している『古今和歌集』などと詞書に関して比較すれば特徴が明確になるかもしれません。
⑨ つまり、ここまでの検討では、『猿丸集』は詞書だけからは、編纂方針や配列の基準がわからなった、ということになります。
前回の歌集名の検討で得た、『猿丸集』は類似歌に関する新しい理解を示した歌集、という推測を捨てることにはなりませんでした。
かならず類似歌がある歌ばかりから成る歌集であるので、『猿丸集』の構成・配列の究明には、さらに類似歌の選択事情を確認する必要があるでしょう。
次回は、『古今和歌集』などの詞書をみてみます。
ブログ「わかたんか 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。
(2020/1/13 上村 朋)
付記1.猿丸集の各歌を検討したブログは、例えば次のとおり。
①猿丸集の明記した詞書がある歌において、詞書のみでは恋歌と推測しきれなかった歌を検討した結果恋歌と判明した歌に関わるブログ。
3-4-10歌:ブログ「わかたんかこれ猿丸集 第10歌 オミナエシ好き」(2018/4/9付け)
3-4-11歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第11歌 凌ぐのは何」(2018/4/23付け)
3-4-31歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第31歌その2 まつ人」(2018/10/9付け)
②猿丸集で明記の詞書を持たない歌で、詞書と歌とを検討した結果恋歌と判明した歌に関わるブログ
3-4-40歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第40歌 いなおほせどり」(2019/2/3付け)
3-4-41歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第41歌その4 同じ詞書の歌3首」(2019/3/3付け)
3-4-52歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第52歌その4 はな見」(2019/11/4付け)
③猿丸集で明記した詞書がある歌において、詞書と歌とを検討した結果恋歌ともとれる歌と判明した歌に関わるブログ
3-4-45歌:第一 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第45歌その1 しめゆふ」(2019/4/29付け)
第二 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第45歌その2 いまもしめゆふ」(2019/5/6付け)>
④猿丸集歌再検討候補に関わるブログ
3-4-39歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第39歌その3 ものはかなしき」(2019/1/28 付け)
(3-4-39歌~3-4-41歌は同一の詞書)
3-4-45歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第45歌その2 いまもしめゆふ」(2019/5/16付け)
(付記終わり 2020/1/13 上村 朋)