わかたんかこれ 猿丸集の構成 歌集名から

明けまして おめでとうございます。関東は良い天気で、白富士がよくみえる正月でした。

常日頃はブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき ありがとうございます。上村 朋です。

本年も よろしくご指導をお願いいたします。

『猿丸集』の歌ごとの検討が、『猿丸集』の52番目の歌(歌集の最後の歌)の検討で、前回(2019/11/4)で一応、すべて終わりました。しかし、『猿丸集』全体の配列・構成などについてはこれからです。

 その検討を今年行うこととし、その第1回目が、今日となります。

1.歌集名から

① 歌集『猿丸集』全体の検討を、その歌集名から始めたいと思います。

② 『猿丸集』は、『萬葉集』や『古今和歌集』からの異伝歌の歌集、その内容は全て後人の手による雑纂古歌集である、と世に紹介されています。少なくとも『古今和歌集』成立以後に成立した歌集が『猿丸集』であり、『古今和歌集』成立以前の人物と信じられる歌人の私家集に似せたのが『猿丸集』といわれています。

しかし、昨年までの検討で、『猿丸集』にある歌は、古歌を利用した新たな意を詠った歌を編纂した歌集である、ということがわかりました(「わかたんかこれ 猿丸集 ・・・」と題する一連のブログに検討結果を記してあります。)

古歌を利用したアイデアあふれる当時では斬新な遊び心のある「歌集」ともとれるものでした。

③ 「猿丸」という名は、「古」に歌にすぐれた「猿丸大夫」がいたという認識は、すくなくとも『古今和歌集』が撰ばれた頃にはあったと見られます。

和歌にかかわる人名として、『古今和歌集』の真名序(漢文の序)の六歌仙を述べる文中に、六歌仙のひとりである大友黒主について、「大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり」と述べています。『古今和歌集』の仮名序の大友黒主を述べる文には、そのような表現はありません。

古今和歌集』とそれ以前に成立したと推定されている歌集に「猿丸・・・」が作者と明記されている歌は今日まで残っていません。

④ 『貫之集』が、「紀貫之」として知られる人の歌集の意と理解すると、「猿丸」と知られる人の歌集、というのが『猿丸集』である、ということになります。あるいは「伝猿丸作」と言われている歌を集めた歌集が『猿丸集』である、ということになります。

⑤ 『猿丸集』のように、多くの歌に詞書があり、題しらずの歌が無い歌集は、『古今和歌集』成立時点までに成ったと思われる歌集は、有りません。『古今和歌集』成立後に成った『貫之集』もそのようになっていません。また、勅撰集の成立に並んで歌物語が発生しているとの指摘がありますし、平安時代までは『萬葉集』も解読途中の歌が多数ある頃という指摘があります。

⑥ これまでの『猿丸集』歌の検討で、類似歌の理解で、通例の理解が腑に落ちないで別の理解になった歌が多々ありました。

⑦ これらから、「猿丸」という語句には、『猿丸集』の歌よりも、その類似歌(諸氏のいう異伝歌)に対する留意を込めているのではないか、と私は思います。

類似歌に関して、当時における新解釈をいくつかの歌について『猿丸集』編纂者は採用していることを、古人の説の理解によるものであるとして示しているのではないか、と思います。

⑧ 自説は、古人某がすでに述べている、という論理構成をとっている文がよくあります。

『猿丸集』の歌は、いわゆる「恋歌」の部類が多く、『古今和歌集』の歌が類似歌としてあることから、明らかに『古今和歌集』時代以降の律令官人の歌である、可能性が高い、言い換えると、800~1000年代に詠まれた歌ではないと完全否定するのは困難である、と言えます。

 ⑨ 猿丸集』の編纂者がその時代の人(複数かもしれません)であるなら、『萬葉集』にしても『古今和歌集』にしても理解が深められている時代であり、新解釈を試みる歌人がいたはずです。

 ⑩ 次回は、詞書の比較をしてみたい、と思います。

ご覧いただき、ありがとうございます。(2020/1/6 上村 朋)