わかたんかこれ 猿丸集47歌その1 失意逆境の歌か

前回(2019/7/8)、 「猿丸集第46歌 その6 あしけくもなし」と題して記しました。

今回、「猿丸集第47歌 その1 失意逆境の歌か」と題して、記します。これまでのように、類似歌から検討を始めたいと思います。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第47 3-4-47歌とその類似歌

①『猿丸集』の47番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-47歌 あひしれりける女の、人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける

   たがみそぎゆふつけどりかからころもたつたのやまにをりはへてな

その類似歌は、古今集にある1-1-995歌です。

題しらず      よみ人しらず」

   たがみそぎゆふつけ鳥か韓衣たつたの山にをりはへてなく

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、まったく同じです。

③ それでもこれらの歌は、趣旨が違う歌です。この歌は、男が女を誘っている歌であり、類似歌は、ある人の逢いたいという思いは叶うだろと予測している歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列を検討する歌群

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、配列から検討します。

古今集にある類似歌1-1-995歌は、古今和歌集』巻第十八 雑歌下にあります。

② 古今和歌集』における類似歌(1-1-995歌)前後の歌の配列について、私は検討したことがあります。その論を基本に検討をすすめます。なお、その検討結果は次のブログに記してあります。

ブログ「わかたんかこれの日記  配列からみる古今集994歌」(2017/12/18

ブログ「わかたんかこれの日記  配列からみる古今集1000歌」(2017/12/25

(以降「ブログわかたんかこれ2017/12/18」等と略して引用します。)

③ 古今和歌集』の「巻第十八 雑歌下」は、巻頭の933歌から1000歌までの68首で構成され、1-1-995歌はその63番目の歌です。

この部立の名がなぜ「雑」であるのかは、論があるそうです。久曾神昇氏は、『古今和歌集』の雑歌の部は、和歌のうち有心体である短歌(31文字の歌)であって巻第十六までの部類に入らなかった秀歌の部であり、題材でいうと、人事題材を詠作動機により配列した短歌の部と捉え、巻第十七雑上が得意順境の歌群、巻第十八が失意逆境の歌群になる、と指摘しています。これを足掛かりに検討します。

諸氏は、1-1-990歌と1-1-991歌の間に小歌群の区切りがあると指摘しています。例えば、久曾神氏は、1-1-991~1-1-1000歌を離別・疎遠・詠歌に区分し、この3区分を「述懐」の歌群とくくっています。そのため、1-1-995歌の前後の歌として1-1-991歌以降の10首を検討します。

 

3.類似歌の検討その2 配列の特徴

① 1-1-991歌以降の歌を、『新編国歌大観』より引用します。

1-1-991歌 つくしに侍りける時にまかりかよひつつごうちける人のもとに、京にかへりまうできてつかはしける    きのとものり

ふるさとは見しごともあらずをののえのくちし所ぞこひしかりける

 

1-1-992歌 女ともだちと物がたりしてわかれてのちにつかはしける    みちのく

あかざりし袖のなかにやいりにけむわがたましひのなき心ちする

 

1-1-993歌 寛平御時にもろこしのはう官にめされて侍りける時に、東宮のさぶらひにてをのこどもさけたうべけるついでによみ侍りける     ふじはらのただふさ

なよ竹のよながきうへにはつしものおきゐて物を思ふころかな

 

1-1-994歌 題しらず         よみ人しらず

風ふけばおきつ白浪たつた山よはには君がひとりこゆらむ

   左注は後程記します。

1-1-995歌  (上記1.①に記す)

 

1-1-996歌   題しらず       よみ人しらず

わすられむ時しのべとぞ浜千鳥ゆくへもしらぬあとをとどむる

 

1-1-997歌   貞観御時、萬葉集はいつばかりつくれるぞととはせ給ひければ、よみてたてまつりける

文屋ありすゑ

神な月時雨ふりおけるならのはのなにおふ宮のふることぞこれ

 

1-1-998歌   寛平御時歌たてまつりけるついでにたてまつりける   大江千里

     あしたづのひとりおくれてなくこゑは雲のうへまできこえつがなむ

1-1-999歌                              ふじはらのかちおむ

     ひとしれず思ふ心は春霞たちいでてきみがめにも見えなむ

1-1-1000歌   歌めしける時にたてまつるとてよみて、おくにかきつけてたてまつりける

                                               伊勢

     山河のおとにのみきくももしきを身をはやながら見るよしもがな

③ この10首について、『古今和歌集』の編纂者は、これまでの歌と同様に、元資料の歌を、編纂方針に基づき詞書を工夫し作者名を選び、ここに配列しています。

「ブログわかたんかこれ2017/12/18」等では、各歌の元資料の作詠時点を確認し、現代語訳を確かめあるいは試み、古今和歌集』における歌としての主題等を検討しました。誹諧歌(ひかいか)の部の歌と同様に、雑下の部に配列する理由がある歌のみが、ここにあるはずです。

その結果をまとめたのが次の表です。そのときに、1-1-995歌に関する予測しました。それを<>書きしています。

表 1-1-991歌~1-1-1000歌の特徴 (2017/12/22 pm現在)

歌番号等

作者

相手との関係(歌を送るなどする相手)

歌の主題

拠るべき説話

 

1-1-991

都に戻った作者から地方の友へ

事後の(一段落した後の)疎外感

有り。中国で斧にまつわる説話

 

1-1-992

 女

地方へ行く作者から都に残る友へ

事後の(一段落した後の)疎外感

有り。法華経五百弟子受記品の説話

 

1-1-993

渡海する作者(男)から都に残る上司同僚へ

事前の決意

有り。過去の度重なる遣唐使派遣

 

1-1-994

 女

作者(女)の独り言 あるいは寄り添っている作者(女)からちょっとしたきっかけで離れてゆく男へ

事の終る(たつたやまを越える)前、関係修復の良い展開を確信

有り。「風ふけば」というトラブルが過去にも二人の間にあった。

 

1-1-995

不明

<個人的な独り言>

<良い展開の予測>

<有り。相坂のゆふつけ鳥>

 

1-1-996a

古今和歌集』の撰者(男)

古今和歌集』の撰者から、次の時代の官人

事前に 良い展開を予測

有り。『萬葉集』の経緯。

 

 1-1-996b

男又は女

慕った人物から慕われた人物へ

事前に 良い展開を予測

有り。多くの人の遺言書

 

1-1-997

男と『古今和歌集』の撰者

部下から上司(清和天皇)へ

調査報告事項

有り。『萬葉集』成立時点に関する論争

 

1-1-998

散位の男と『古今和歌集』の撰者

部下から上司(宇多天皇宇多法皇)へ

任官陳情と『古今和歌集』(案)の奏呈

有り。有資格者数とポスト数との乖離、萬葉集の存在

 

1-1-999

男と『古今和歌集』の撰者

 

部下から上司(宇多天皇宇多法皇)へ

事前に 任官陳情と和歌の隆盛

有り。有資格者数とポスト数との乖離、萬葉集の経緯

 

1-1-1000

 女(歌の名手)と『古今和歌集』の撰者

部下から上司へ(今上天皇醍醐天皇

事前に 撰集の希望と和歌の隆盛

有り。今上天皇の下命と古今集の編纂

 

 

注1)資料は、「ブログわかたんかこれ2017/12/18と「同2017/12/25」による。この表は「同2017/12/25」の「6.巻末の配列の検討」より、引用した。

注2)1-1-995歌の<>書きは、他の歌の傾向からの2017/12/22 pm現在の予測である。

注3)歌番号等とは、『新編国歌大観』の「巻番号―その巻における歌集番号―当該歌集における歌番号」である。

④ 1-1-991歌を例として表の説明をします。

  「作者」欄は、この歌の元資料の確認でもあります。この歌は、「元資料の歌の作者は、紀友則であり、編纂者はそのまま作者名としその性別が男であったこと」という意です。

 「相手との関係」欄は、和歌は歌をおくる人(又は朗詠する場)があるのが普通であるので、その相手(又は朗詠・披露した場)を検討した結果を記しています。この歌は、「作者(作中人物)とこの歌を送る等をしている者と関係が、「都に戻った作者から地方の友へ」というものであったこと」という意です。

 「歌の主題」欄は、巻第十九雑下の配列される歌として「失意逆境」が要件であるとした場合、それが何か、ということを確認したものです。この歌は、それを「「事後の(一段落した後の)疎外感」であると推測した」、という意です。

 「拠るべき説話」欄は、和歌の理解に資する歌の背景になる共通の認識の有無をみたものです。この歌は、「歌のベースに相手と共有する説話の有ること、及びそれが中国における斧にまつわる説話であること」ということです。

歌に、二通りの趣旨が認められる歌(1-1-996歌)については、それぞれの趣旨ごとに、検討しました。

⑤ 歌の配列順に、傾向がある、と認められます。

久曾神氏の巻十八は失意逆境の歌群という立場を前提にして、まとめると、

・個人の疎外感・不協和音。 1-1-991歌から1-1-995歌までか

・今後の不安(あるいは失意逆境を越えるきっかけ)  1-1-994歌から1-1-996歌までか

天皇賛美と和歌の隆盛  1-1-997歌から1000歌

の順に配列されているとみえます。これには、意味があるはずです。

また、歌をおくる相手が、一個人から官人へ、そして天皇へとなり、『古今和歌集』に関係深い天皇、この巻の最後の歌では今上天皇醍醐天皇)となっています。上記の配列の傾向を考え合わせると、歌をおくる相手として個人と官人が重なることとなる1-1-996歌が配列上のターニングポイントにみえます。

これから1-1-995歌が配列上担うものを予測すると、2017/12/22現在、下表の1-1-995歌欄に<>で示したようになります。

⑥ さらに言えば、1-1-991歌以降は、久曾神氏の言う「失意逆境」も極みをすぎて「得意順境」へと変わる時点の歌を含んでいるかに見えます。それは『古今和歌集』の短歌のみで構成する部分の終りを意識した配列であるとも理解できます。

諸氏にも、その分岐点の歌は1-1-996歌である、との指摘があります。例えば、竹岡氏は、「前の歌との続きでは、旅にでも出る際に、自分の形見の書き物(歌など)を残しておく、という意の歌に解せる。次の歌の関連では、自分の和歌を残しておく意の歌と解せる。この両方の意味を持たせて、前を承けて、後の五首へ展開させている」、と指摘しています。

⑦ 久曾神氏は、1-1-996歌について、「自分の死後までも伝えたいと思って詠んだと作者は言う。・・・中国で黄帝の臣蒼頡が、鳥の跡を見て文字を発明したという故事をふまえて、自分の死後までも伝えたいと思って歌をよんだもの。この歌は、自分から離れた者の邪魔にならないよう、慕っていた者が(最近まで)いたということが記憶として残るように、そして気持ちよくこの歌を詠みあげ回想してほしいと願っている歌である。」、と指摘し、『古今和歌集』の構成(配列)において主題を渡してゆく歌と位置付けられていると見える歌の一つではないかと言い、「自然題材のうちの四季推移を主題とするところをはじめ、そのような主題の切り替えにあたる歌との共通的な配慮を、ここにも感じる」と指摘しています。

⑧ 次の歌1-1-997歌が、先行した勅撰集であると当時信じられていた『萬葉集』の成立時点を詠っていることを考えると、1-1-996歌で詠う「はまちどりのあと」とは『古今和歌集』そのものを喩えている、と私には思えます。

先例の『萬葉集』は、当時全ての歌を読み解けないでいました。『古今和歌集』にはそのようなことが生じない工夫をしています。

例えば、真名序を付けました。真名(漢文)であれば十分後世の者が判読できます。万葉仮名でなく平仮名の全面的使用です(歌に使用する文字の制限)。詞書の統一的書法、部立、配列での秩序もその一つであるとみられます。さらに仮名序を用意しています。

⑨ このため、1-1-996歌以降の歌は、古今和歌集』の巻第一から巻十八までの編纂過程を振り返っての歌群とくくることも可能な、失意逆境の歌とは理解しにくい歌になります。1-1-996歌以降の「作者」欄にいう「古今和歌集』の撰者」については付記1.参照。これは下記のような各歌の検討結果です。

 

4.1-1-953歌までの3

① 1-1-991歌から1-1-954歌までの現代語訳(試案)などは、次のようになりました。

1-1-991歌  筑紫(九州)の役所に勤務していた時に、しばしば出掛けて行っては碁を打っていた相手のもとに、都に帰任してから贈った(歌)     紀友則

「ひさびさに戻った私の故郷である都には、かっての面影は少しもありません。斧の柄が朽ちるまで長い間滞在していたあなたのところが恋しくてたまりません。」

これは『新編日本古典文学全集11』を参考にした、私の現代語訳(試案)です。

失意逆境とは、作者の疎外感にあると思います。しかし、その逆境は個人的な馴れ・慣れの範疇に見えますので、越えられる可能性が高いものと思われます。

② 1-1-992歌  女友だちと色々なことを話し込んでしまって、別れて帰ってきてから贈った(歌)」  みちのく

「ずいぶん親しく語り合いましたが、まだ満ち足りない気持ちがたくさん残っていて、その思いがあなたの袖の中にはいってしまったのでしょうか、私は魂が体から抜け出してしまったような気持ちです。」

これは、『新編日本古典文学全集11』の現代語訳です。

作者が話し込むきっかけは、一方の親の地方への赴任かもしれません。この歌は、昨日を振り返って(事の生じた後)詠っている歌です

単純に、話足りなかったことを悔やんでいる歌とみると、悔やんでいるのですから、失意逆境のひとつと思います。しかし、また心行くまで語りあうチャンスはこの二人に確実に訪れます。

作者みちのくは、石見権守橘葛直の娘です。都から地方のトップクラスに任官する階層の官人の娘にとり、法華経が教養の一部となっている例です。官人として地方赴任は得意順境に相当するでしょう。しかし、家族にとっては、京を離れるという失意逆境のひとつかもしれません。官人には京への帰任が既定路線なので、順境になることが確実視されているものです。

③ 1-1-993歌  久曽神氏の訳を引用します。

宇多天皇の御世に、遣唐使の判官に任命せられたときに、東宮御所の侍臣の間で、侍臣たちが酒を賜って飲んだ際によんだ歌         藤原忠房

「(なよ竹の長い節(よ)の上に初霜がおくように)私はこのごろ夜もねむらず起きていて、長い夜すがら、あれやこれやと物思いをしていることであるよ。」

この歌は、詠んだ場面が、侍臣が東宮より酒を賜っての宴席という朝廷内の場であることから、「上司を補佐し使命をいかにして果たすかと日夜考えています」という決意を述べた歌として理解してしかるべき歌です。

生死にかかわる現実の心配事は「往復の船旅の危険」ですが、それのみに拘って一心に考えていますと詠む(公に発表する)場とは考えられません。現実の心配事も宴席の話題ともなったでしょうから、歌には「物をおもふ」という表現を作者はわざわざ選んだのだと思います。

そして、『古今和歌集編纂時から振り返ると、唐と日本とが疎遠になる時点の歌です。『古今和歌集』の詞書が道真の建議前であることを作詠時点として明記しているのは、『古今和歌集』の編集者がその作詠時点の歌として理解せよと示唆している歌である、と考えてよいと思います。渡海にあたっての歌であるので、事の生じる前の時点で詠っている歌です。

この歌において何が「失意逆境」に相当するのかというと、『古今和歌集』編纂時点から振り返ってみて遣唐使派遣中止により準備が無駄になったことを言うのではないか、と思います。

1-1-991歌と1-1-992歌が、事の生じた後を詠っているのに対して、この1-1-993歌は事の生じる前の時点の歌となっており、次におかれている1-1-994歌も事の生じる前の時点(男が、立田山を越え終わっていない時点)の歌であり、同じです。

編集方針は、このような配列を許容していることかと前回の検討時には思いましたが、今思うに、1-1-991歌と1-1-992歌に関する事が終わって次の事が始まるあるいは進行中のことを1-1-993歌と1-1-994歌は詠っている、即ち『萬葉集』と『古今和歌集』を念頭に置いた配列と見ることができます。

 

5.1-1-994歌の「たつた山」

① 1-1-994歌は、類似歌1-1-995歌とともに「たつた(の)山」を詠んでいます。配列と同様に、「たつた(の)山」も一度検討しました。「たつた」という仮名表記できる歌の検討結果を次のブログに記しています。それを基に記します。

   ブログわかたんかこれ2017/5/25~同2017/6/26 (計8回) (付記2.参照)

この歌は、作者がよみ人しらずであり、作詠時点は、『古今和歌集』のよみ人しらずの時代の歌という整理になり、(799年とも848年とも限定できない)849年以前となります。

② 前回の検討で、「たつた(の)山」と詠う15首の『萬葉集』の歌は作詠時点がみな700年代であり、その「たつた(の)山」(の実景)は、

「「遠望した時、河内と大和の国堺にある山地、即ち生駒山地。難波からみれば、大和以東を隠している山々の意。」あるいはたつた道から見上げた時、並行する大和川の両岸にみえる尾根尾根。生駒山地の南端(大和川に接する地域)と大和川の対岸の尾根。この道を略して、「たつたのやま」ともいう。」の意があり、歌によって文脈からこの違いを、くみ取らねばならない。」

と解明しました。

大和にある都と副都としての難波宮があった700年代、その難波勤務の官人にとり天皇や妻子がいる地を隔てる山地が、筑紫等から大和に帰任する官人が上陸後越えるべき山々が、それが「たつた(の)の山」でした。どの官道でも(迂回でも直登でも)超えなければならないのが現在でいう生駒山地と南端にある大和川両岸の山々でした。だからそこを通る官道も「たつた(の)山(の道)」でした。

比高が400~600m以上ある生駒山地は難波から望めば急傾斜です。その景が「たつた(の)山」の原イメージかもしれません。「いこまの山」と詠う万葉歌もあり大和と難波を隔てる山々が東西で違う名で歌に詠まれているのかもしれません。

「たつた(の)山」という表現は、阻む壁の意を強調し、また、既に700年代に「たつ」に「発つ」「起つ」を掛けて用いられています。

③ 前回の検討の際あまり触れなかった掛詞の実例を、今回、ひとつ加えたいと思います。

萬葉集』に作詠時点を748以前と推計した歌があります。1-1-994歌や1-1-995歌から最大でも100年遡るだけです。

2-1-3953歌  平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首(3953~3964)   平群氏女郎

きみにより わがなはすでに たつたやま たちたるこひの しげきころかも

吉美尓餘里 吾名波須泥尓 多都多山 絶多流孤悲乃 之氣吉許呂可母

この歌は、万葉仮名で判断すると、「・・・既に噂が起ってしまい、その同音のあるたつた山のように、仲を絶たれた恋となって、・・・」と理解してもよい歌です。それは、「あふさか」(相坂)との対比が意識されています。

この歌は、その「たつ」に既に二人の仲を断つ(切り離す・隔てる)意をこめています。「たつた(の)山」という実際の山地の名から離れて抽象的な・実際の所在地を問わない「たつたの山」となって用いられています。

④ 「たつた(の)山」は、「(逢うことを予想できる)相坂()ではないところの代表地名として万葉集時代に選びとられていたと思われます。

 『古今和歌集』のよみ人知らずの時代もそれを受け継ぎ、1-1-536歌の例のように抽象化してきている「あふさかやま」と対を成して、たつたの山も抽象化されて実景を離れてきています。

⑤ 「たつた(の)山」は、寝殿造りという居住空間(兼儀礼空間)における屏風(歌)の需要に応え、作詠時点が824年以前である1-1-283歌で(紅葉の)「たつた(の)かは」が創出され、「都(平安京)から遠く離れた(それも紅葉の)山並み」を「たつたのやま」とも称しはじめ、所在地不定の「紅葉の山」の意も加わっており、この歌の作詠時点のころには、その意で用いられている「たつた(の)山」もありまです(ブログわかたんかこれ2017/06/12参照)。

⑥ この1-1-994歌での「たつた山」は、前者であり、「作者である女」と「たつた山を越える君」の間の障害物という意味と二人の仲を切り離す方策・路をも指しています。

 

6.1-1-994歌の現代語訳を試みると

① 「題しらず」という詞書は、『古今和歌集』の編集方針に従って理解することを編纂者が求めていることになります。左注は、詞書ではありません。

② 初句と二句「かぜふけば おきつしらなみ」に関して『萬葉集』をみると、同文の歌が2首あり、このほか「かぜふけば」と詠う歌4首のうち3首に「(しら)なみ」の語句があります。それらの検討からは「かぜふけば おきつしらなみ」という表現は(その後)特別なことが生じていることを予告している言い方でした。(ブログわかたんかこれ2017/12/18参照)

1-1-994歌の「おきつ白波が立つ」も、「なにか異常なことが生じた」意を含んでいることになります。

五句にある「こゆらむ」の助動詞「らむ」は、現在実現している物ごとについて推量している意を表わします(『例解古語辞典』)。

③ そして、次のような現代語訳(試案)を先のブログでは示しました。

風が吹けばいつでも沖には白波が立ちます。そのようなはっきりした原因があって私との間に「たつた山」ほどの障害ができてしまいました。今は二人の間は暗闇のなかと変りない状況ですが、あなたはひとりで乗り越えてゆくのでしょうか」

④ しかし、この(試案)では、四句にある「よは」の理解において「暁」と十分対比していないことに気が付きました。

また、「たつたの山」が「障害物の例」であること、及び助動詞「らむ」が対象とする「現在実現している物ごと」に関して考察が不十分でした。

そのため、ここで、改訳したいと思います。

⑤ 四句にある「よは」とは、後朝の別れの時間帯である暁ではなく、その前の時間帯を指している語句です。そのような時間帯に例えば男が女の家を出たのは、二人のトラブルが原因であり、火急のことで外出したのではないでしょう。

また、「たつたの山」が「障害物の例」であるならば、「よは」は後朝の別れの時刻に至っていない時間帯です。何かの前の段階を象徴できる語句です。

⑥ 助動詞「らむ」は、誰かが山路にかかる頃合いに、推測を始め以外に、「一人で越えてゆく」と宣言し出発する準備を始めている状態を眺めながら推測していても、用いることができます。

さらに、「たつたの山」が、現に作者が感じている具体の「障害物」の代名詞として用いられているならば、夜中に詠みだす必然性はありません。

⑦ 即ち、作者は、既に別の場所にいる人に、「たつた山を越えるのはまだ早いでしょう(また意見が食い違ったが一線を越えるなどはどんなものでしょう)」と、詠いかけたこの歌を届けさせたのではないでしょうか。

作者は、「たつたのやま」で象徴される道の状況(山の急峻さや道を悪さや夜道であることなど)を気にしているのではなく、白波が立ったことに起因して「たつたのやま」を越えようと決心している者がどのように気持ちを整理するかを気にしているのです。

⑧ 改めて現代語訳を試みると、次のとおり。

「風が吹けば、それは沖には白波が立ちます。同じようなことが私たちの間に生じました。たつたの山のような隔たりを感じているのですか。あなたは、こんな暁にもならないうちに(相坂ではなく)あの「たつた山」をたった一人で越えてゆくのだと、しているのですね。」

この歌は恋の歌です。三句にある「たつ」は掛け言葉であるので、歌の前半は、「今日は、またも思いがけないことになってしまいました」の意と理解でき、後半は、問題を解消するのに「あふ坂」経由でもなく時期も選ばず「たつた山の道」を選ぶあなただから、うまくゆかないでしょうに、と作者は嘆息しています。

この歌を届けられた人は、「かぜふけば」と「たつたのやま」の意を理解できたら、「よはにひとりこゆ」という非常手段に疑問を投げかけている歌に、また逢おう、と返歌をしたと思います。

この歌の「たつたの山」には、紅葉の山である必然性は全然ありません。

⑨ 作者を推測すると、当時は通い婚なので、男ではなく、女でしょう。

⑩ 「たつたの山」は喩えであるので、作者の居る場所は、都(またはその近く)の自宅が最有力です。

⑪ この歌は、今後の彼との関係の修復に自信を持っている女の歌です。二人で乗り越えましょうと期待している歌です。事が起こり収まるまでの間の歌となります。

また、この歌は、「たつたの山」という語句の比定できる山(を通る路)が、都に居る女からみて無数にある、つまり、比喩的にしか「たつたの山」を認識していない例となります。

⑫ さて、この歌が『古今和歌集』編纂と関わりがあるとすると、共同で事にあたったことにあるのでしょうか。るいは、完成前に亡くなった紀友則を偲んでいるのでしょうか。私は前者であり「「ひとりこゆ」はその意は反語であろう、と思います。

この歌の表面的な「失意逆境」の要素は、「ひとりこゆ」という点であろうと思います。

⑬ 念のため、諸氏の現代語訳の一例を示しておきます。

「(風が吹けばいつでも沖の白波が立つが)その立田山を、寂しいま夜中に、いとしい夫はただ一人越えて行かれるのであろうか。」(久曾神氏)

氏は、『萬葉集』の2-1-83歌に拠ってできた歌か、と指摘しています。

この訳でも、個人的な「失意逆境」の歌のひとつと理解できますが、恋の部の歌としなかったはなぜでしょう。それは巻第十八の配列が優先したのであろう、と思います。

 

7.その他配列にみえること

 次に、1-1-991歌以下の配列におけるそのほかの特徴を、検討します。

表の「相手との関係」欄にみるように、作者が歌を贈った人は、1-1-991歌の友から、1-1-996歌以降作者の上司になります。私的な場から公の場に関わる歌に移行させてきている、と理解できます。

1-1-998歌などは元資料(『千里集』)では陳情ベースの内容の歌ですが、『古今和歌集』の歌としてはその配列から『古今和歌集』の嘉納を願っている歌とされているとみなせます。

② 四季の歌では、奇数番号の歌と次の偶数番号の歌には、歌う素材(あるいは語句)などに共通のものがありました。1-1-991歌以降ではどうなっているかを、確認します。

1-1-991歌は、昔から伝わる説話を下敷きにしているのが1-1-992歌と共通です。また、作者の居た場所(空間)をふり返って共通に詠んでいます(「くちし所」、「あかざりし袖」)。そしてその場所(空間)を作者は歌をおくった相手とずっと共有していたかったと願っていることも1-1-991歌と1-1-992歌は共通です。

1-1-992歌には、1-1-993歌との共通点はなさそうです。

1-1-993歌は、自然の摂理より詠いだしている点が1-1-994歌と共通です(「なよ竹のよ」、「かぜふけば、おきつしらなみ たつ」)。また「ま夜中」を指す語句を共通に用いています(「よながの」、「よは」)、

1-1-994歌は、「たつたのやま」を詠み込む点で1-1-995歌と共通です。

1-1-995歌は、鳥を詠っている点で1-1-996歌と共通です。また、「ながい」趣旨の語句が共通にあります(「をりはへて」、「(あとを)とどむる」)。

1-1-996歌は、ふるくより伝わる「ことのは」を詠っている点で1-1-997歌と共通です。

1-1-997歌は、大宮(「宮」、「雲のうへ」)を詠っている点で1-1-998歌と共通です。

1-1-998歌は、越えるべきもののある(「雲」、「春霞」)ことを詠っている点で1-1-999歌と共通です。

1-1-999歌は、目に留まるべきものを詠っている点で1-1-1000歌と共通です。(「(ひとしれず」思ふ心」、「ももしき(の成果品)」

1-1-1000歌:(1-1-1001歌との検討保留)

③ これから、歌番号が奇数番号の歌とその次の歌には、共通の素材(または語句)があり、偶数番号の歌とその次の歌には、それは徹底していない、と言えます。

その共通の素材等には、「永遠性、永久性」という属性があるように見受けられます。そして、期待している事がらであって、保障がないことを理由に失意逆境の範疇の歌、といえるのは、1-1-996歌までであり、1-1-997歌以降は現に実現している「永遠性、永久性」を詠っており、失意逆境の歌とは言えません。

そうすると、1-1-995歌も、期待・希望をしている歌と位置付けることができそうです。

④ このような検討の結果、『古今和歌集』巻第十八における歌群の整理として、次のような三つの歌群となります。

1-1-991歌と1-1-992歌は、親愛の場所(空間)を共有できない「疎外感」を詠う、失意逆境の歌群

1-1-993歌~1-1-996歌(未検討の1-1-995歌は保留する)は、執着の姿勢あるいは希望を詠う、失意逆境脱出の歌群

1-1-997歌以下の4首は、『古今和歌集』の成立に深くかかわった天皇賛歌の歌群

陰陽の循環律(陰極まれば、無極を経て陽に転化し、陽極まれば、無極を経て陰に転化する)をこの配列に適用すれば、古今和歌集』の成立を画期的なこととして得意順境の歌群を導くような配列となっていることになります。

⑤ なお、上記のうち、奇数番号の歌とその次の歌の共通性を言うには、少なくとも雑下にある歌全てに通じての確認を要するでしょう。また、雑下の部全体の配列・構成については巻頭歌(1-1-933歌)と対となる歌の検討も要することです。

⑥ ここまで、類似歌の前後の歌の配列を検討しました。次回は、このような配列にある歌として、類似歌を検討したい、と思います。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集 ・・・」を御覧いただきありがとうございます。

(2019/7/22    上村 朋)

付記1.実質の作者を古今和歌集』の撰者」とした理由

① 本文の表の作者欄で、古今和歌集』の撰者」(編纂者)を加えている理由の一端を「わかたんかブログ2017/12/18」と「同2017/12/25」より引用する。

② 1-1-996歌:『古今和歌集』のよみ人しらずの歌であるにもかかわらず、恋の歌でも、民謡(伝承歌)風の歌でもない。そして、よみ人しらずの歌であって「逢う」ことよりも「文字」を大事と詠っており、大変特殊である。

③ 1-1-997歌:天皇にお答えした歌の作者(ありすゑ)が不分明過ぎる。幼い天皇の教育の一環での場面でご下問があったかと想像するが、歌で答えよと詞書にはないのに歌を用いて答えている。

④ 1-1-998歌:詞書にいう「ついでに」は、『古今和歌集』の撰者がこの歌の理解を促すために選んだ言葉。天皇に歌を奉呈する機会があった「ついでに」奉った歌である、ということを強調している。元資料である『千里集』(別名『句題和歌』)の3-40-121歌を、撰者らの気持ちの代弁としている。

⑤ 1-1-999歌:詞書は、1-1-998歌に同じ。この歌は、寛平御時に「ついでに」たてまつった歌として理解すべしと、撰者らは言っている。宇多法皇への勅撰集の完成を報告している歌。

⑥ 1-1-1000歌:「ももしきの」は、「ももしきで行われている何か」を略した言い方。天皇の命じた『古今和歌集』編纂を意味する。巻十八の最後の歌であり、『古今和歌集』の短歌の最後の歌。編纂した『古今和歌集』が確かに頼りになる物としてできあがったことを前提にして、作者伊勢が見せてほしいと前向きに詠っていると理解させてくれる歌。

 

付記2.清濁抜きの平仮名表記で句頭に「たつた」とある歌について

① 「たつた」が「竜田(山・河・姫)」の表記である歌を、本文で記したように2017年に検討した(ブログわかたんか2017/5/25以下、同2017/6/26までの8回のブログ)。ことばには、その時代時代の意味がある、として作詠時点を50年毎に区切り検討したものである。

② 『新編国歌大観』に依拠して1050年ころまでの用例を萬葉集』と三代集(『拾遺抄』を含む)に求めたところ、清濁抜きの平仮名表記で句頭に「たつた」とある歌で「たつた」が「竜田(山・河・姫)の「たつた」表記である歌が、『萬葉集』に15首、三代集に重複を許して35首あった。なお、句頭にたたない「たつた」が1首(「にしきたつたの やま・・」と詠む1-2-382歌)ある。萬葉集』では実質「たつたやま」を詠む歌も参考とした。

③ 各歌の作詠時点は、古今和歌集』のよみ人しらずの歌は原則849年以前とし、詞書(題詞)あるいは歌集成立時点、場合によっては左注によって推計した。

④ 三代集の「たつた(の)やま」表記の16首は、勅撰集別にみると、

古今和歌集』では、秋の紅葉と「たつた(の)やま」表記は無関係。

二番目の『後撰和歌集』では、秋の紅葉と「たつた(の)やま」表記は縁語関係となってしまっている。

三番目の『拾遺和歌集』では、歌数が激減し、かみゑに書かれた歌がある。

⑤ 三代集にのみにある「たつたかは」表記の13首のうち11首は秋の紅葉をも詠み残りの2首も関係があり得る。

(付記終り。2019/7/22  上村 朋)