わかたんかこれ 猿丸集第46歌その2 誹諧歌の巻頭歌など 

前回(2019/5/27)、 「猿丸集第46歌その1 誹諧歌とは」と題して記しました。

今回、「猿丸集第46歌その2 誹諧歌の巻頭歌など」と題して、記します。(上村 朋)

 

1.~4.承前

 (猿丸集第46歌の類似歌を先に検討することとし、最初に類似歌がある古今集巻第十九にある誹諧歌という部立について検討した。その結果は次のとおり。

第一 『古今和歌集』は、当時の歌人が推薦してきた古歌及び歌人自選の和歌に関する秀歌集である。

第二 秀歌を漏らさないために最後の部立となっているのが誹諧歌という部立である。だから、「誹諧歌」とは、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある、和歌の秀歌であり、他の部立に馴染まない和歌(より厳密にいえば、短歌)を配列する部立の名」である。(このように理解した部立の名を、以後「部立の誹諧歌A」ということする。)

第三 巻第十九にある誹諧歌という部立は、「ひかいか」と読む。

第四 「部立の誹諧歌A」に配列されるであろう短歌は、「心におもふこと」のうちの「怒」や「独自性の強い喜怒哀楽」であり、一般的な詠い方の歌の理解からみれば、極端なものの捉え方などから滑稽ともみられる歌となりやすい傾向もあるだろう。)

 

5.古今集巻第十九にある誹諧歌の巻頭歌など

 誹諧歌の部に記載されている歌が、具体に「部立の誹諧歌A」に該当するかを確認してみます。

最初に置かれている歌2首から始めます。諸氏は、部立の最初の歌や最後の歌とその作者は、『古今和歌集』編纂者が特別な配慮をしている、と言っています。

1-1-1011歌  題しらず       よみ人しらず

     梅花見にこそきつれ鶯の人く人くといとひしもをる

1-1-1012歌  題しらず       素性法師

     山吹の花色衣ぬしやたれとへどこたへずくちなしにして

 

その現代語訳の例を示します。

1-1-1011歌  題しらず       よみ人しらず

「私は梅の花が見たくて、来ただけなのに、鶯が「ヒトク、ヒトク」と私を嫌って枝に止まってがんばっているのはなぜだろう。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

「私は梅の花を見に来ただけなのに、鴬がヒトクヒトク(人来、人来)と鳴いて、私をいやがりながら梅の枝にがんばっているよ。」(片桐洋一氏)

梅の花はほかでもない、こうして見にこそ来たのよ。それを、鴬が「ヒトク ヒトク」(人が来る、人が来る)と、そんなにもまあわしを忌み嫌っておるなんて!」(竹岡正夫氏)

 

1-1-1012歌  題しらず       素性法師

「その山吹色の着物の持ち主は誰かね。聞いてもくちなしとみえて、答えてくれないね。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

「山吹の花のような色の衣に、「持ち主はどなたですか」と質問するのだけれども、答えてくれない。その色を染めたくちなしの実と同様に口無しであって。」(片桐氏)

「山吹のこの美しい花色の衣、「持ち主は誰かい?」。問うても答えない。口無し(梔子色)であって。」(竹岡氏)

② この2首には滑稽味があります。

その滑稽味は、1-1-1011歌での鳥の鳴き声の見立て(人が来る)に、1-1-1012歌での「くちなし」(植物の山吹)を衣服に見立てているのにあると久曾神氏はじめ諸氏も指摘しています。また、この2首は春を詠う歌でもあるのは確かなことです。なお、この2首の歌の元資料(あるいは最初に披露された場所)については、資料がないのでどのような事情の元で披露されたかは不明です。

③ 竹岡氏は、1-1-1011歌について、次のように指摘しています。

A 「鴬の鳴き声を賞さないで、まことに無風流にも俗語(擬音語)で「ひとくひとく」と捉え、擬人化しておかしく非難しているところが「誹諧歌」の見本といえよう。

B 「「いとふ」とは、折角咲いている梅の花を人が取りにきたのかと忌み嫌う意。

C 「二句と五句の連体止めという、事柄だけを提示するような表現のしかたにも、わざと途方にくれている、とぼけたユーモアがかもしだされている。

氏のいう誹諧とは、「古今集に関する限り「ヒカイ」と読むのが正しく、その語義も、おどけて悪口を言ったり、叉大衆受けのするような卑俗な言語を用いたりする意と解すべきもの」を意味します。(『古今和歌集全評釈』 右文書院1983補訂版)。氏のいう誹諧を以後「誹諧(竹岡論)」と称することとします。

また、1-1-1012歌について、氏は次のように指摘しています。

A 一首全体が話し言葉の調子になっている。

B 風情ある山吹の花の色を「口無し」と俗っぽくいっている。

C 「とへどこたへず」と非難の気持ちで言っている。

D これらに、山吹の花に対して「誹諧」(「誹諧(竹岡論)」)の気持ちがうかがえる。

④ この2首が、『古今和歌集』巻第十九にある「誹諧歌の部」に相応しい歌であるかどうか、即ち「部立の誹諧歌A」に相当するかを確認します。

1-1-1011歌より検討します。初句にある「梅」、三句にある「鴬」は、よく題材にして和歌が詠まれています。『古今和歌集』でも清濁抜きの平仮名表記をして歌を比較すると、句頭に「うめ」を詠んだ歌だけでも18首あります(「うめかえに」が1首、「うめのか」が2首、「梅の花」が15首)。そのうち11首が梅の香を詠み、7首が梅の香を詠まない歌です。後者は次のような歌です。

1-1-5歌  題しらず     よみ人しらず

梅がえにきゐるうぐひすはるかけてなけどもいまだ雪はふりつつ

1-1-36歌  むめの花ををりてよめる     東三条の左のおほいまうちぎみ 

鴬の笠にぬふといふ梅花折りてかざさむおいやかくると 

1-1-45歌  家にありける梅花のちりけるをよめる     つらゆき

くるとあくとめかれぬものを梅花いつの人まにうつろひぬらむ

1-1-334歌  題しらず     よみ人しらず

梅花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべてふれれば

1-1-352歌  もとやすのみこの七十の賀のうしろの屏風によみてかきける

春くればやどにまづさく梅花君がちとせのかざしとぞ見る 

1-1-1011歌  上記5.の①に記載

1-1-1066歌  題しらず     よみ人しらず 

梅花さきてののちの身なればやすき物とのみ人のいふらむ

これらの歌のうち、春歌の、まだ咲いていない梅(1-1-5歌)、散る梅(1-1-45歌)は春への作者の感慨を詠い、冬歌の、待ち遠しい梅(1-1-334歌)と、賀歌の、かざしとする梅の花1-1-352歌)は喜びを詠っており、梅に対する普通の発想の歌とみることができます。そして春歌の、梅の枝を折る際の歌(1-1-36歌)も梅を目出度いものとして詠っています。誹諧歌の、1-1-1011歌と1-1-1066歌を除くと、このように、香りを詠む歌を含めて春の到来への喜びや華やぐその場を盛り上げる歌となっています。

⑤ これに対して1-1-1011歌には、花の咲く梅の枝に鴬が執着し、かつ作者の喜びの感情が詠われていません。五句にある「いとふ」という動詞は、「折角咲いている梅の花を人が取りにきたのかと忌み嫌う」意であり、五句「いとひしもをる」とは、作者にとり心外なこと、というニュアンスがあります。また、1-1-1066歌は、梅の実を題材にしてそれをすきもの(酸きものに好色者の意を掛ける)と表現しています(また「好色者」は当時においては俗語であり、公宴のような歌には用いられていないのではないか)。これは、梅に関して1-1-5歌などとはまったく異なるものの捉え方です。

なお、18首の句頭のほかに句の途中に「うめ」とある1-1-337歌があります。この歌は雪とのまぎれを詠い香りを詠っておらず梅の枝を折るのに苦労する、とうれしい戸惑いを詠っており、それとの比較でも1-1-1011歌の梅に寄せる作者の感慨は特異なものである、といえます。

⑥ 次に、鴬を詠んだ歌を検討します。『古今和歌集』には27首あります。清濁抜きの平仮名表記をして歌を比較すると、句頭に「うくひす」とある歌23首と「きゐるうくひす」などと句の途中にある歌3首と詞書にのみ「うくひす」とある歌1首という内訳になります(付記1.参照)。

巻第一と第二の春歌では、19首が「鴬がなく」という表現であり、ただ1首(1-1-36歌)のみが「鴬が笠を縫う」とあり、これは巻第二十の大歌所御歌1-1-1081歌も同じ表現です。いずれの歌も鳴き方まで表現していません。

巻第十の物名の2首も、巻第十一恋一の1首も、巻第十八の1首も、「鴬がなく」という表現で鳴き方まで表現していません。

これに対して、巻第十九の2首は「鴬がなく」という表現ではなく、1-1-1046歌は、鴬の「こぞのやどり」と表現し、1-1-1011歌は、鴬の鳴き方を表現しています。鴬を詠んだ歌が27首のうち鳴き方を表現している唯一の歌が1-1-1011歌となっています。

どのように作者に聞こえたかと言うと「ひとくひとく」だそうですが、今日鴬を聞いてそのように見立てる人は少ないと思います。それは兎も角、その鳴き声を作者は「人来、人来」とも聞きなして鴬に自分が嫌われたと、思い込み立腹しているかに、あるいはおかしがっているかに詠んでいます。

⑦ このように、この歌は、梅に対するアプローチが他の歌とは全然異なり鴬と梅との関係に関心を集中し、鴬を題材にした歌の中で唯一鳴き方に注目し、特異な聞き成しをして口語の「人来、人来」と形容しており、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現」があり、鴬に嫌われてしまったと意表をつく捉え方は、春の歌としては異質であり、巻第一などには馴染まない短歌である、と言えます。秀歌という判断は編纂者の意見を尊重します。

⑧ このため、この歌は、「部立の誹諧歌A」に相当する歌となっています。この歌と対の歌と思われる歌が『古今和歌集』にあります。上記④に記した1-1-36歌です。

鴬が「いとふ」のは手折ってしまう人が梅に近づくことであり、梅の花がなくなれば鴬はまた咲いている梅の花を見付けにゆかなければなりません。しかし1-1-1011歌の作者は、手折る気はありませんので、心外なことだ、と鴬に訴えているのがこの歌です。「梅の枝を折る」という情景に関して1-1-1011歌と1-1-36歌は対の歌となっています。(後者の現代語訳を試みたいのですが、割愛します。)

⑨ 次に、1-1-1012歌の検討です。

古今和歌集』には、山吹(の花)を詠んだ歌が6首あります。巻第二春下に5首、巻第十九の誹諧歌に1首です。清濁抜きの平仮名表記をして歌を比較すると、句頭に「やまふき」とある歌4首と「ゐてのやまふき」などと句の途中にある歌1首(1-1-125歌)と詞書にのみ「やまふき」とある歌1首(1-1-124歌)です(付記2.参照)。

 巻第二にある歌は、みな、山吹の花を愛で、散るのを惜しんでいますが、この歌(1-1-1012歌)のみ色の名前とも捉えて表現しています。「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想」と言えます。

その色の衣を擬人化して問いかけ、同音異義の語句「くちなし」(植物の山吹と口無し)により初句にある「やまぶき」も同音異義の語句(色の名と植物の名)であることに気づかせるという詠い方になり、意表を突いた表現です。

このように、この歌は、同音異義の語句を2語句(やまぶき、くちなし)用い、色を表現するという山吹を詠む歌としては異端の発想の歌となっており、巻第二にある山吹を愛でている歌と同列に配するには違和感のある内容の歌です。また、秀歌という判断は編纂者の意見を尊重します。このため、「部立の誹諧歌A」に相当する歌となっています。

⑩ この歌と同じように「ぬしやたれ」というフレーズの歌が『古今和歌集』巻第十七 雑歌上 にあります。

 

1-1-873歌  五せちのあしたにかむざしのたまのおちたりけるを見て、たがならむととぶらひてよめる

                     河原の左のおほいまうちぎみ

     ぬしやたれとへどしら玉いはなくにさらばなべてやあはれとおもはむ

二句にある「しら玉」は、「真珠」と「(知らないと)しらをきるごせちの舞を舞った娘達」とを掛けている語句です。この1-1-873歌は、竹岡氏のいうように、落ちていた真珠の持ち主を問うのにかこつけて、舞を舞った娘達の主人が不明であるならば、と作者は下句で無遠慮な要求を娘達にしています。五せちの舞は規定により未婚の女性達が勤めます。真珠を落とした人だけではなく舞を舞った娘達全員を「あはれ」と思うからね、とからかっている歌であり、俗語は用いず、がさつなところのない、落ちていた真珠を宿所にとどけさせた際の挨拶歌です。

「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある」歌であっても、その場の雰囲気をしらけさせるような詠い方ではありませんし、秀歌であったら「部立の誹諧歌A」でなくともよい歌です。現にこの歌は「雑」の部に、五せちのまひひめを詠う歌(1-1-872歌)のつぎに配列され、后宮へ酒のおねだりを断られた際に送った歌がつづいてあります。

なお、この二首は、鴬あるいは山吹により春の歌群の歌となっています。

 

6.古今集巻第十九にある誹諧歌の最後にある歌など

① 巻第十九の誹諧歌の最後は、次の2首となっています。

1-1-1067歌  法皇、にし河におはしましたりける日、さる、山のかひにさけぶといふことを題にて、よませたもうける        みつね

     わびしらにましらななきそあしひきの山のかひあるけふにはやあらぬ

 

 1-1-1068歌  題しらず      よみ人しらず

      世をいとひこのもとごとにたちよりてうつぶしぞめのあさのきぬなり

その現代語訳を例示します。

 1-1-1067歌  宇多法皇大堰川行幸なさった日に、「猿叫峡」という題を出してお詠ませになった時の歌         凡河内躬恒  『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

 「猿よ、そんなに心細そうに鳴いてくれるなよ。山の峡(かひ)にいるお前たちには、法皇様をお迎えしたこの日こそいい声で鳴いて鳴きがいのある今日(峡)ではないか。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

 「そんなにわびしそうに、猿よ鳴くな。法皇の御幸をお迎えして、まことに鳴くかいのある今日ではないか。」(久曾神氏)

 「いかにもしょんぼりした声で、エテ公よ、そんなに鳴いてくれるな。この山のかい(峡=効験)のある今日=峡ではないかよ。」(竹岡氏)

 

 1-1-1068歌  題しらず    よみ人しらず

 「私は世を捨てた行雲流水の身の上、木陰があれば今夜の宿とうつぶしますが、そんなに(着古して)着ている衣をうつぶし染めの麻の衣というのです。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

 「この衣は、現世をいとって世をすて、行方定めず行脚し、あちらこちらの木蔭に立ち寄って、うつ伏し宿るが、そのうつぶし(空五倍子)で染めたそまつな麻の着物(粗末な僧衣)である。」(久曾神氏)

 「世を厭い、樹の下ごとに立ち寄ってうつぶす、そのうつぶし染めの麻の衣である。」(竹岡氏)

 

② 1-1-1067歌について、久曾神氏は次のように指摘しています。

 A大堰川行幸の際の和歌会で詠んだ歌であり、俳諧歌として詠んだ歌ではあるまい。

 B 「あしびきの」を峡ある意で「かひある」にかけた序詞も俳諧と言うべきではあるまい。

 C 強いて考えれば「わびしらに・・・ななきそ」という所を注意したのであろうか。

 氏は、『古今和歌集』編纂者が、この歌を「部立の誹諧歌A」に配列しているのに戸惑っているようです。

③ 1-1-1067歌について、竹岡氏は次のように指摘しています。

 A 題にある「猿」の語は当時一般に用いられていた呼称。悲しい声と聴きなすのは、漢詩で既に多数ある。これに対して(「まし」や)「ましら」は動物の猿をいう俗語。

 B 「まし」だけで猿をいうのに「ら」(うぬとかきゃつに付く接尾語でののしる気持ちを強める)をつけているところに「誹」が認められる。

C 俗語に押韻している(わびしらとましら)。

D 同音異義の語句の「かひ」(峡と効験)はともかく、「けふ」(今日と音読みの峡)がある

E 「わびしらに」鳴く「ましら」を承けている三句以下はちぐはぐでつり合いがとれておらず、そこにおどけた軽口が見られる。

F 作者の気持ちは猿をなじっている。

G 法皇の御命令、ものものしい題「猿叫峡」、二重尊敬語の詞書とこの歌の詠み方は全くそぐわない。

 H このように、この歌は誹諧歌(「誹諧(竹岡論)」の歌)の見本である。

④ 宇多法皇は、この行幸のこの日漢字三文字で九題だしており、「鶴立洲」の題の歌が巻第十七雑歌上にあります。

 1-1-919歌  法皇 西川におはしましたりける日、つるすにたてりといふことを題にてよませ給ひける

     あしたづのたてる河べをふく風によせてかへらぬ浪かとぞ見る

 

 この歌の作者を、諸氏は貫之としていますが、『古今和歌集』には作者名が記されていません。『貫之集』にもありません。

 竹岡氏は、この歌について、「「たてる」→「ふく」→「よせて」→「かへ(る)」ところを「かへらぬ」で時間の流れをとめている。」、「「河べ」は、「吹く風」のほか「浪かとぞみる」にも続いている」及び「一瞬そう見えたという気持がうかがえる」等を指摘し、「まことに玄妙な作になっている。」と評しています。

⑤ この歌(1-1-919歌)は、「鶴立洲」の「洲」に立っている「鶴」を、浪にみたてた歌です。冷静に考えてみると、鶴と見立てる白い浪の波高は、鶴の背丈を思うとさざ波の波高の比ではありません。

鶴の足元をも詠んでいるかにみえる初句から四句の「よせてかへ(る)」までの描写は、作者から鶴のいる洲までの近さを感じさせます。そして「よせてかへ(る)」以下の描写は、鶴の大きさと白波の大きさを同等と見、かつ即座にそれは一瞬の錯覚であった、と詠っています。

鶴の大きさと白波の大きさの常識はずれの比較をしたことにはっと気が付くまでの作者の心理の経過を詠っており、それは、羽をひろげた鶴の瞬間を接写した写真の引き伸ばしを見せられて大きな白波の印象を受けたかのような歌になっています。

遠景の水際線にたち並ぶ一列の鶴を白波に見立てるのでは、鶴が主語である「鶴立洲」という題にそぐわない歌となります。

この見立ては意表を突いています。表現は心の動きを忠実に追い、「あしたづ」と歌語を用い、語彙に俗語を加えていません。異様な言葉遣いとは遠い存在の歌となっており、誹諧歌(「部立の誹諧歌A」)には該当しない、と思います。

このように、『古今和歌集』編纂者は、1-1-919歌と1-1-1067歌を意識しており、雑歌と誹諧歌(「部立の誹諧歌A」)の違いの例にしているかのようにみえます。

⑥ 1-1-919歌と違い1-1-1067歌は、竹岡氏の指摘のように俗語を用い、音読みの峡を「けふ」に掛けるなどにより、語彙の統一をわざと壊し、なだめすかすかのような、なじるかのような猿への呼びかけという詠み方で、人を対象に詠っておらず、雅に近い詠い方とは思えません。この歌は誹諧歌(「部立の誹諧歌A」)にふさわしく、1-1-919歌のように雑歌に配列しにくい歌です(付記3.参照)。

なお、1-1-1067歌の現代語訳は、竹岡氏の訳が良い、と思います。

⑦ 次に1-1-1068歌について、竹岡氏はつぎのように指摘しています。

 A 「うつぶす」という動詞は、『国歌大観』(正・続)に「うつぶし染め」以外にはない。当時の俗語か。また、うつむきに寝る場合は「うつぶせにふす」というから動詞「うつぶす」だけであれば寝る意まで含まない。

 B 同音異義の語句は「うつぶし」。黒色の染料で染めだす「うつぶし染め」と動詞「うつぶす」。出家者の着る衣は墨染めの衣とも言われる。(「うつぶし染め(空五倍子染)」とは、五倍子で薄墨色に染めること。)

 C 樹木ごとに厭世遁世の振りをしてきたというのは、かっこよすぎる行動。雅になり損ねている。これが誹諧(竹岡論)にあたる点か。

 D 西国三十三カ所巡りなどの遍路では満願の最後の寺に、それまで着用していた衣などを一切脱いで納めて置く風習がある(但し当時あったかどうかは不明)。この歌(1-1-1068)も四季、恋・・・雑、誹諧と遍歴してきた個人詠を締めくくるにふさわしい歌。全巻の幕がおろされた。(巻第二十は、大歌所御歌) 

『新編国歌大観』の1巻~5巻を調べたところ、動詞「うつふす」の用例はなく「うつぶしぞめ」と詠う歌のみです。僧衣は、「うつぶしぞめのあさのきぬ」というよりも「すみぞめのころも」というほうが当時は一般的でしょう。

なお、久曾神氏のいう和歌は、巻第一から巻第十九までの歌になります。竹岡氏の上記Dは、別途検討します。

⑧ 出家者の生活規律に「住は樹下座」というものがあるそうです。四依のひとつです(付記4.参照)。また、「うつぶす」には(竹岡氏が指摘しているように)臥す意はありません。俗語「うつぶす」は「座(す)」とは意が少々異なるものであり、木を見付けたら「その都度」うつぶすのは「住は樹下座」という規律の順守の行為ではなく、「このもとごとにうつ伏す」行為は規律違反に問われかねません。

序詞を俗語「うつぶす」につけて用いた上、誤解等を押し通して説明しようという詠い方は、ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想であり、かつ、秀歌と編纂者は認めたようであり、誹諧歌(「部立の誹諧歌A」)に馴染みます。

⑨ この歌は、僧衣を題材にした歌ですが、「すみぞめの」と詠う歌が『古今和歌集』にあります。

1-1-843歌  おもひに侍りける人をとぶらひにまかりてよめる     ただみね

    すみぞめの君がたもとは雲なれやたえず涙の雨とのみふる

1-1-844歌  女のおやのおもひにて山でらに侍りけるを、ある人のとぶらひつかはせりければ、返事によめる            よみ人しらず

    あしひきの山べに今はすみぞめの衣の袖はひる時もなし

ともに僧衣と涙が詠われています。出家した人を「日常の常住坐臥に涙しがちな人」と詠い、この歌1-1-1068歌の「このもとごとにたちよりてうつぶす人」を対比している、とみることができます。

これらの歌と誹諧歌にある1-1-1068歌は対の歌として配列されているのではないでしょうか。

⑩ このように、巻頭の2首及び最後の2首は、『古今和歌集』の部立では誹諧歌(「部立の誹諧歌A」)にしか置けない歌でありました。つまり、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある」歌であり、普通の語彙を逸脱し、和歌の詠い方も異端であったので巻第一から巻第十八の部立に馴染まなかったが、紹介すべき歌であると編纂者が主張している歌群の部立が誹諧歌(「部立の誹諧歌A」)である、と言うことになります。賀や哀傷にも該当する歌があったと思いますが、さすがにそれは秀歌と認めなかったのであろうと思います。

⑪ 検討してきた4首の語彙や題材の捉え方をみると、上記「1~4承前」の検討結果の第四で推測したように滑稽味のある歌でありましたが、「部立の誹諧歌A」と確認した4首に共通する次の点を、第五と第六として付け加えたい、と思います。

「第五 「部立の誹諧歌A」に配列されるであろう短歌は、特別に凝縮した表現のため、用語は雅語に拘らず、俗語や擬声語などを含む傾向がある。

第六 「部立の誹諧歌A」に配列されるであろう短歌は、『古今和歌集』のなかで誹諧歌の部の歌と題材を共通にした歌のある傾向がある。」

⑫ 次に、類似歌の前後の歌が「部立の誹諧歌A」であるかどうか、また配列の特徴の有無を、確認したいと思います。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただきありがとうございます。

2019/6/3  上村 朋)

付記1.古今集で鴬を詠っている歌(計27首)

① 巻第一 春上:11

1-1-4歌~1-1-6歌、1-1-10歌、1-1-11歌、1-1-13歌~1-1-16歌および1-1-32歌は「鳴く」と詠む。

ただ一首1-1-36歌のみ、「鴬が笠を縫う」と詠む。これは 大歌所御歌1-1-1081歌と同じ。

1-1-36歌 むめの花ををりてよめる    東三条の左のおほいまうちぎみ

鶯の笠にぬふといふ梅花折りてかざさむおいかくるやと

② 巻第二 春下:9首 すべて「なく」と詠む。

1-1-100,1-1-105歌~1-1-110歌および1-1-128歌および1-1-131

1-1-109 うぐひすのなくをよめる  そせい

    こづたへばおのがはかぜにちる花をたれにおほせてここらなくらむ

1-1-131歌は「なけやうぐひす」と詠む。

③ 巻第十 物名:2首  ともに鳴き方を表現していない。

この部立にある歌は、物の名を詠み込んでいること(歌を平仮名表記すると物の名がある歌)が条件になっている。この部立は、表現様式に基づくものと推定されている。

1-1-422歌は「鴬」と「憂く、干ず」を掛けた同音異義の語句。部立「物名」の巻頭歌である。

1-1-422歌 うぐひす   藤原としゆきの朝臣

    心から花のしづくにそほちつつうくひずとのみ鳥のなくらむ,

1-1-428歌 すもものはな      つらゆき

    今いくか春しなければうぐひすもものはながめて思ふべらなり

竹岡氏は、次のような現代語訳を示している。

1-1-422歌 「自分の意志から花のしずくにしとどにぬれてはそのたびに、どうして、「いやなことに、乾かないわ」とばかりひたすらに鳥が鳴いているのだろう。」

1-1-428歌 「もう、あと何日?春といって無いものだから、このぶんではうぐいすも、物をばじっとうち沈んで思い悩んでいそうなあんばいだ。」

 

④ 巻第十一 恋一:1首 「なく」と詠む

1-1-498歌 

⑤ 巻第十八 雑歌下:1首 「なく」と詠む

1-1-958歌  題しらず      よみ人しらず

    世にふれば事のはしげきくれ竹のうきふしごとに鴬ぞなく

⑥ 巻第十九 雑体 誹諧歌:2首 鳴声を「うくひず」と詠む歌1首と「こぞのやどり」と詠む歌1首。

1-1-1011歌  本文の1.参照

1-1-1046歌  題しらず     よみ人しらず

    鶯のこぞのやどりのふるすとや我には人のつれなかるらむ

⑦ 巻第二十 大歌所御歌:1首 「鴬が笠を縫う」と詠む。

1-1-1081歌  神あそびのうた  かへしもののうた

    あをやぎをかたいとによりて鴬のぬふてふ笠は梅の花

 

付記2.古今集で山吹をよむ歌(計6首)

① 巻第二 春下:1-1-121歌~1-1-125

② 巻第十九 雑体 誹諧歌:1-1-1012

 

付記3.誹諧歌の元資料が歌合の歌などの例

① 1-1-919歌と1-1-1067歌は、宇多法皇の出題に応えた歌であった。宇多法皇は両歌とも嘉納されている。秀歌と編纂者が認めた巻第十九の誹諧歌も礼を失する歌でないないことの例証である。

② 巻第十九の誹諧歌に、詞書に歌合の歌であると明記した歌がある。1-1-1020歌は元資料歌が5-4-94歌であり、1-1-1031歌は元資料歌が5-4-10歌である。詞書を信じれば、巻第十九の誹諧歌に配列した2首も、礼を失する歌でないないことの例証である。

また、元資料の歌が、歌合の歌であれば、滑稽味を競う歌ではあり得ない。

③ 巻第十九の誹諧歌に配列したということは、元資料の歌を、視点を替えて歌を鑑賞すれば秀歌である、という編纂者の意志であるかもしれない。よみ人しらずの元資料の歌と同様に、元資料は素材である、ということの表明であるかもしれない。例をあげる。

巻第十九の誹諧歌にある、よみ人しらずの1-1-1022歌は、後の『拾遺和歌集』巻第十四恋四に、作者名が別名で選ばれている。

巻第十九の誹諧歌にある、おきかぜ作での1-1-1064歌は、紀貫之撰の『新撰和歌』の「恋幷雑百六十首」の部128番目の歌2-3-329歌としてある。新撰和歌』では、古今集巻第十五恋五にある1-1-813歌(2-2-328歌でもある)と番にされている。なお、『新撰和歌』に古今集巻十九の歌を採っているのはこの歌1首であり、『新撰和歌』の「雑」という分類は、古今和歌集の「雑」という部立とは異なる仕分けをされていると思われる。

 

付記4. 樹下座について

① ブッダは、在世時、「私の弟子になろうとするものは家を捨て世間を捨て財をすてなければならない。教えのためにこれらすべてを捨てたものは私の相続者であり、出家とよばれる。」というブッダの弟子(出家者)は、四つの条件を生活の基礎としなければならない、と言ったとパーリ律大品にある。

② 「出家の弟子は次の四つの条件を生活の基礎としなければならない。一つには古布をつづり合わせた衣を用いなければならない。二つには托鉢によって食を得なければならない。三つには木の下、石の上を住みかとしなければならない。四つには糞尿薬のみを薬として用いなければならない。」(パーリ 律蔵大品 1-30  『和英対照仏教聖典』(仏教伝道協会)387頁)

③ 後年の経典編纂編述時点に、これらを総称する四依(しえ)という言葉が生まれた。そして、受戒のとき唱えるべきであるとされ、例えば「出家生活は樹下座による。ここにおいてないし命終まで勤めるべし。余得は僧院・平覆屋・殿楼・楼房・地窟である。」(『パーリ律』「大品」(vol. p058)と具体的になる。

ブッダは、四依という言葉を用いていない。その後に、中国経由で日本に伝わった言葉である。四依とは、食は乞食、衣は糞掃衣、住は樹下座、薬は陳棄薬に依るべきであるという意であり、漢訳された『五分律』(大正22 p.112 下)は「若授具足戒時應先爲説四依。依糞掃衣依乞食依樹下坐依殘棄藥」とするのみであり、また『四分律』(大正22 p.811 中)は単に「四依」というのみである。

④ 南都の仏教でも当時の新来の天台系、密教系の仏教においても四依を厳格に実行している者は日本に当時どのくらいいたであろうか。帰依者である天皇や有力貴族は、僧に田畑を付けて寺院を与えている。

⑤ Web版新纂浄土宗大辞典』によれば、今日の「四依(しえ)」とは、「仏教をたもつための四つの依り所」の意であり、法・人・行の三種があるという(『四分律行事鈔資持記』正蔵四〇・一六一中)。法四依は修行者の判断基準。人四依は『涅槃経』四依品(正蔵一二・六三七上)の正法を護持し世間の拠り所となる人物の種別。行四依は、また四聖種ともいい、出家者の障害を取り除く要素。糞掃衣乞食樹下坐腐爛薬(陳棄薬)をいう。良忠は『伝通記』(浄全二・二九五下)において用欽『白蓮記』を引き、『無量寿経』に法四依が明されているとする。また、これらとは別に真諦訳(梁訳)『摂大乗論』(正蔵三一・一二一中)では仏の説相に隠れた意図を四依(秘密とし、これを説四依という

(付記終り 2019/6/3   上村 朋)