わかたんかこれ  猿丸集第45歌その2 いまもしめゆふ

前回(2019/4/29)、 「猿丸集第45歌その1 しめゆふ」と題して記しました。

今回、「猿丸集第45歌その2 いまもしめゆふ」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第45 3-4-45歌とその類似歌

① 『猿丸集』の45番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-45歌  あひしれりける人の、なくなりにけるところを見て

さざなみやおほやまもりよたがためにいまもしめゆふきみもあらなくに

 

その類似歌  萬葉集にある類似歌 2-1-154歌  石川夫人歌一首

     ささなみのおほやまもりはたがためかやまにしめゆふきみもあらなくに

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、初句から三句まで各一文字と、四句の三文字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、今は亡き友人の妻に語りかけた歌であり、類似歌は、天智天皇の嬪(もがり)の際の歌です。

 

2.~5. 承前

 (類似歌を検討し、天智天皇の嬪の最中に詠まれた歌として、次のように現代語訳を試みました。

「ささなみのと形容される地の大山守は、(このように)誰のために山に標を結っているのか。もはや大君は、この世におられないのに(標をそのままにしてあるのを見るのは、悲しいことだ。無念である)。」)

 

3-4-45歌の詞書の検討

① 3-4-45歌を、まず詞書から検討します。

② 「あひしれりける人」とは、この『猿丸集』では、男を指すようです。「あひしれりける人(女)」という詞書はほかに2首あり、3-4-18歌では「人」で男、3-4-29歌は「女」とあり女でした。この歌の作者は官人ですので普通に考えれば、この歌の「あひしれりける人」である男も、官人となります。

③ 「なくなりにけるところ」の「ところ」には、『古典基礎語辞典』によれば、「周囲より高く平らになっていて周囲と区別される場所(祭祀場所・役所・邸宅)」とか「(そのように)区別された場所にいる貴人」の意のほか、「という場面」という動的な状況を含む意などもあります。

④ 動詞「見る」には、「視覚に入れる・見る」意のほか、「思う・解釈する」、「見定める・見計らう」、「(異性として)世話をする」などの意もあります。

この詞書では、「(あひしれりける人の、)なくなりける「ところ」」を、作者は「見」て行動を起こして(歌を詠み、かつ送って)いますが、この詞書の語句だけでは、なんとも限定しにくく、歌との照合が必要です。

⑤ 詞書の現代語訳を試みると、上記のように「ところ」と「見る」の意に従い、つぎの複数案があります。

詞書第1案 「よく知っている人が、亡くなられたその住まいを見て(詠んだ歌)」

   「ところ」は、「場所、即ち、住んでいる土地あるいは屋敷」の意、

「見る」は、「視覚に入れる・見る」の意、とした案です。

詞書第2案 「よく知っている人が、亡くなられ、一人となった夫人を思いやって(詠んだ歌)」

   「ところ」は、「という場面、即ち、知人の葬儀関係の一段落した時」の意、

   「見る」は、「思う・見定める」意、とした案です。

詞書第3案 「よく知っている人が、亡くなってその後の夫人の生活をみて(詠んだ歌)」

   「ところ」は、「と言う場面、即ち、夫人一人の生活が落ち着いて」の意、

「見る」は、「思う・見定める」意、とした案です。

 

7.3-4-45歌の現代語訳を試みると

① 初句「さざなみや」を最初に検討します。

「さざなみや」の用例をみると、『萬葉集』になく、勅撰集では『拾遺和歌集』が初出です(付記1.参照)。「さざなみの」と同様に「さざなみや」も枕詞とみると、掛かる地名(近江など)がこの歌にありません。

② 「さざなみや」は、接頭語「さざ(ささ)」+名詞「なみ」+疑問の係助詞か詠嘆の間投詞の「や」からなると、みると、

接頭語「ささ」(細・小)は、「体言について細かい・小さい・わずかなの意を表わし賞美していう意を添え」(『古典基礎語辞典』)ます。

「なみ」が「波」であるならば、その意には

水面に起こる起伏の動き

並のような起伏があるもの、あるいは起伏のある動きのあるもの

顔のしわ・波のように伝わっていくもの・世の騒乱のたとえ

があります。

③ 二句にある「おほやまもり」は、この歌3-4-45歌が天皇家に関わる歌でもないので「大山守」では不自然です。同音異義語を探すと、接頭語「おほ(大)」+名詞「屋・家」+動詞「守る」の名詞句「守り」があります。「おほ(大)」には、数・量・質の大きく優れている意があります。

このため、「おほやまもり」とは、「大事な建物(であるが今は主のいない家屋)の管理人」つまりこの歌では「夫を失った後の女性」を指すことができます。

④ 四句にある「しめゆふ」の「しめ」は名詞「標」のほかに、動詞「しむ」が下二段活用した場合の連用形(動詞「ゆふ」につくので連用形でなければならない)でもあり、いくつか同音異義があります。『古典基礎語辞典』によれば、

染む:他動詞。A色を浸透させる。B香りを浸透させる。C趣などを深く身に着ける。などなど

占む:他動詞。A占有のしるしをつける。B土地を占有する。C自分の物とする・身に備える。

締む:他動詞。A紐などを固く結ぶ。縛りつける。B何かに締める。C愛する人の手をしっかりと握る・ぐっと抱く・契りを結ぶ。D圧搾する。などなど。

などの語があります。

⑤ 四句にある「しめゆふ」の「ゆふ」には、類似歌のような「標を結う」意のみではなく他の意もあります(2019/4/29付けブログ「わかたんかこれ 猿丸集第45歌その1 しめゆふ」の3.⑤など参照)。

この歌のように、女性に詠いかけているのであれば、「ゆふ」とは、

ほどいてはいけないと思いながら、貞操を守るしるしの下紐を結ぶ。縛る。

髪を結び整える(接触・立ち入り・開放の禁止の意が薄れて生じた用法)

などの意で用いているかもしれません。

⑥ このため、四句「いまもしめゆふ」とは、二句にある「おほやまもり」の意を踏まえると、

第一 今もまだ、(内面に)立ち入るなと標を自分のまわりに結いまわしている。(標結ふという理解)

第二 今もまだ、(亡き夫との)契りを大事にして下紐を結ぶ。(染めつつ結うという理解その1)

第三 今もまだ、(亡き夫への)思いを抱きしめ髪を結び整える。(染めつつ結うという理解その2)の理解が可能です。

⑦ 五句にある「きみ」は、代名詞の「きみ」(君・公)です。平安時代には(奈良時代の夫婦や恋人の間だけでなく)親子や同僚など敬意を込めて親しい相手を呼ぶのに使われることが一般的になり、平安時代の和歌は作者の性別の指標になりえない(『古典基礎語辞典』)そうなので、ここでの「きみ」は、「友人であった貴方のご主人」の意とも「亡くなった友人の妻」とも解することが可能です。しかし。「きみもあらなくに」と詠んでいるので、前者の意と思います。

⑧ 以上の検討を、句ごとに、まとめて整理すると、次のとおり。

初句「さざなみや」の意は、「わずかに顔のしわが増してきた君」という呼びかけ。

二句「おほやまもりよ」の意は、思い出が多々ある屋敷を守る人よ(亡き友人の奥様よ)」。

三句「たがために」の意は、「誰のために」。

四句「いまもしめゆふ」の意は、上記⑥の3案があります。

五句「きみもあらなくに」の意は、「友人も今はいないのに」。

このように、四句以外は1案と見てよいようです。

⑨ 詞書の3案と、四句の3案のなかのベストな組み合わせを検討します。

1案 詞書第1案「よく知っている人が、亡くなられたその住まいを見て(詠んだ歌)」のもとの歌であれば、夫婦で住んでいた住まいに一人で居続けているのを見て、という趣旨ととり、住いを変えてはどうか(夫の菩提の弔うための出家)と問うた歌として、四句は第三の案がよい。即ち

「わずかに顔のしわが増えてしまった、大切な思い出が詰まった屋敷を守る人よ。誰のために今もまだ、(亡き夫への)思いを抱きしめ髪を結び整えているのか、貴方のご主人も今はいないのに(ご主人を弔うための出家はなさらないのですか。)」

 

2案 詞書第2案「よく知っている人が、亡くなられ、一人となった夫人を思いやって(詠んだ歌)」のもとの歌であれば、四句は第一又は第三の案がよい。前を向いてと励ましている歌である。即ち、四句を第一の案で例示すると、

「わずかに顔のしわが増えてしまった、大切な思い出が詰まった屋敷を守る人よ。誰のために、今もまだ、ご自分の周りに標を張っておられるのですか。十分菩提を弔った貴方のご主人も今はいないのに。」(気晴らしのお相手もしますよ、伺いましょうか。)

 

3案 詞書第1案「よく知っている人が、亡くなってその後の夫人の生活をみて(詠んだ歌)」のもとの歌であれば、夫人は長く部屋に閉じこもっているかの印象が強いので、四句は第一の案がよい。

「わずかに顔のしわが増えてしまった、大切な思い出が詰まった屋敷をじっと守り続けている方よ。誰のために、今もまだ、かたくなに、門を閉ざしておられるのですか。十分菩提を弔った貴方のご主人も今はいないのに。」

  前を向いてゆきましょう、と励ましているし、後ろ盾になってもよい気がある言い方になります。

⑩ 詞書によれば、夫を亡くした女性に対して、時期を見計らっての挨拶歌がこの歌であるので、四句の第二の案は、スマートな挨拶ではないと思います。

また、初句が顔のしわを例にあげて問いかけているので、女性の身だしなみに関する「(髪を)染め」と「ゆふ」という語句を用いたかと推測すると、四句は第三の案が良いかもしれません。

さらに、男女間の歌が多い『猿丸集』歌であることを考慮すると、作者にとり「チャンス」到来とみた挨拶歌ではないかと推測します。このため、3-4-45歌の現代語訳(試案)としては、上記の3案を比較すると、第2案で四句が第三の案が妥当ではないかと思います。それをベースに改訳すると、次のとおり。

 詞書:「よく知っている人が、亡くなられ、一人となった夫人を思いやって(詠んだ歌)

 歌本文:「わずかに顔のしわが増えてしまった、大切な思い出が詰まった屋敷を守る人よ。誰のために、今もまだ、かたくなに閉じこもっているのですか、(十分菩提を弔ってもらった)貴方のご主人も今はこの世に未練を残しておられないのに」(気晴らしのお相手もしますよ、お伺いましょうか。)

 

8.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌は、男の詠むに至る状況を説明しており、類似歌は、いわゆる「題しらず」であり、その歌群の配列より、挽歌と推測できるところです。

② 初句にある「さざなみ」の意が異なります。この歌は、「顔のしわ」を喩えています。類似歌は、「楽浪」の意です。

③ 二句の「おほやまもり」の意が異なります。この歌は、「建物の管理人」、の意であり、そこに住む亡くなった知人の夫人を喩えています。これに対して、類似歌は、「大山守」(役職名)、の意です。

④ 四句の「しめゆふ」の意が異なります。この歌は、「染めて髪を結い上げる」、の意であり、類似歌は、「標を結う」、の意です。

⑤ この結果、この歌は、今は亡き友人の妻に語りかけた歌であり、類似歌は、天智天皇の嬪(もがり)の際に朗詠(奏上)された歌です。

⑥ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

 3-4-46歌 人のいみじうあだなるとのみいひて、さらにこころいれぬけしきなりければ、我もなにかはとけひきてありければ、女のうらみたりける返事に

   まめなれどなにかはよけてかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

類似歌は、古今集にある1-1-1052歌 題しらず    よみ人しらず

   まめなれどなにぞはよけくかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑦ その検討の前に、類似歌2-1-154歌のある巻第二の挽歌の部について、次回にもう一言、記したいと思います。

ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

2019/5/6   上村 朋)

付記1.勅撰集で句頭に「ささなみや(さざなみや)」とある歌の初出の歌について

① 『拾遺和歌集』が初出であり、2首ある。「ささなみや(さざなみや)」は、ともに、枕詞とも、直後にある地名にかかる「さざ波の寄せる」意の修飾語ともとれる。猿丸集3-4-45歌も同時代に詠われたのか。

② 『拾遺和歌集』 巻第八 雑上

1-3-483歌  大津の宮のあれて侍りけるを見て     人麿

   さざなみや 近江の宮は 名のみして かすみたなびき 宮木もりなし

③ 『拾遺和歌集』 巻第二十 哀傷

1-3-1336歌  少納言藤原統理に年頃契ること侍けるを、志賀にて出家し侍とききて、言ひつかはしける             右衛門督公任

   さざなみや滋賀の浦風いかばかりこころの内の涼しかるらん

(付記終り 2019/5/6   上村 朋)