わかたんかこれ 猿丸集第40歌 いなおほせどり

前回(2019/1/28)、 「猿丸集第39歌その3 ものはかなしき」と題して記しました。

今回、「猿丸集第40歌 いなおほせどり」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第40 3-4-40歌とその類似歌

① 『猿丸集』の40番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌とを、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-40歌  なし(詞書は3-4-39歌に同じ。「しかのなくをききて」)

わがやどにいなおほせどりのなくなへにけさふくかぜにかりはきにけり

 その類似歌は、古今集にあり、

1-1-208歌  題しらず            よみ人しらず」 

わがかどにいなおほせどりのなくなへにけさ吹く風にかりはきにけり

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、初句一字と詞書が、異ります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌と理解できます。

この歌は、秋になり恋が期待はずれに終わったことを詠う恋の歌であり、類似歌は、晩秋に辛いなかにも喜びの一瞬もあることを詠う秋の歌です。

 

2.古今集にある類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

古今集にある類似歌1-1-208歌は、古今和歌集』巻第四 秋歌上にあり、「かりといなおほせとりに寄せる歌群 (1-1-206歌~1-1-213歌))の三番目に置かれている歌です。

第四 秋歌上の歌の配列の検討は、3-4-28歌の検討の際行い、古今和歌集』の編纂者は、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分した歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしていることを知りました。秋歌上では、11歌群あります。(付記1.参照)

② 次に、かりといなおほせとりに寄せる歌群 (1-1-206歌~1-1-213歌))での配列をみてみます。この歌群は、「きりぎりす等虫に寄せる歌群(1-1-196歌~1-1-205歌)」と「鹿と萩に寄せる歌群 (1-1-214歌~1-1-218歌))とに挟まれています。

この歌群の歌は、つぎのとおりです。

1-1-206歌  はつかりをよめる     在原元方

     まつ人にあらぬものからはつかりのけさなくこゑのめづらしきかな

1-1-207歌  これさだのみこの家の歌合のうた     とものり

     秋風にはつかりがねぞきこゆなるたがたまづさをかけてきつらむ

1-1-208歌  (上記1.参照)

 

1-1-209歌  題しらず          よみ人しらず

     いとはやもなきぬるかりか白露のいろどる木木ももみぢあへなくに

1-1-210歌  題しらず          よみ人しらず

     春霞かすみていにしかりがねは今ぞなくなる秋ぎりのうへに

1-1-211歌  題しらず          よみ人しらず

     夜をさむみ衣かりがねなくなへに萩のしたばもうつろひにけり

          このうたは、ある人のいはく、柿本の人まろがなりと

1-1-212歌  寛平御時きさいの宮の歌合のうた     藤原菅根朝臣

     秋風にこゑをほにあげてくる舟はあまのとわたるかりにぞありける

1-1-213歌  かりのなきけるをききてよめる        みつね

     うき事を思ひつらねてかりがねのなきこそわたれ秋のよなよな

 

③ 古今和歌集』歌の諸氏の現代語訳を参考にし、元資料の歌の視点2などを考慮すると、各歌は次のような歌であると理解できます。(視点2とは、元資料の歌が詠われた(披露された)場所の推定場所であり、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」2018/9/3)」の付記1.の表3参照)

1-1-206歌  初めてきた雁を詠んだ(歌)     在原元方

     「雁は私の待っているものではないが、今朝初めて聞いた雁の声は願いが適ったような喜びを感じる。」

     元資料の歌は、宴席の歌と推定。それは私的な秋の会合での歌であり、賀や送別の宴会での披露はふさわしくない。また、相聞の歌として女が男におくるという立場の歌にもなり得る。

 

1-1-207歌  是貞親王家の歌合に番(つが)われた歌     とものり

     「秋風に乗って初雁の鳴き声が聞こえてくる。北の国から誰の消息をたずざえてきたのであろうか。」

     元資料の歌は、歌合での歌と推定。

 

1-1-208歌 (仮訳) 題しらず     よみ人しらず

     「わが家の門口でいなおおせ鳥が鳴くのと時を同じくして今朝の涼しい風にのって雁はやってきた。」

    元資料の歌は、屏風歌bと推定。

 

1-1-209歌  題しらず     よみ人しらず

     「なんともはやばやと鳴き始めた雁だ。白露が染めるはずの木々もまだなのに。」

   元資料の歌は、宴席の歌かまたは屏風歌と推定。

 

1-1-210歌  題しらず     よみ人しらず

     「春霞の中に飛び去った雁が、今はもう秋霧の上で鳴いている。」

    よみ人しらずと記されているが、元資料の歌は、屏風歌bと推定。『公忠集』に集録されている。

 

1-1-211歌  題しらず     よみ人しらず

     「夜寒となり衣を借りたいくらいだ。だから寒さで雁が鳴き萩の下葉も枯れてしまっている。」

          この歌は、ある人の言によると、柿本人麻呂の歌であると。

    元資料の歌は、宴席の歌(愛唱歌)と推定。この歌は、『忠岑集』に集録されている。

1-1-212歌  寛平御時后宮歌合に番われた歌     藤原菅根朝臣

     「秋風に乗って目立つ声が聞こえるが、それは帆にいっぱい風を受けた船団のように大空の海峡を渡る雁の群れであったよ。」

(二句の「こゑをほにあげ」は、「ほ」を「秀」と解して「声をとりわけ目だつほど鳴いて風をおこし(同音の)帆に風をあて」と理解する。)

    元資料の歌は、歌合の歌。

 

1-1-213歌  雁が鳴いているのを聞いて詠んだ(歌)     みつね

     「様々なつらいことを思いださせるように雁は鳴きたて、秋の夜ごとよごとの空を連なって渡っている。」

    元資料は、宴席の歌又は外出時・挨拶歌と推定。 この歌は『躬恒集』に無く『伊勢集』にある。

古今和歌集』の撰者である「みつね」の作としていることを信じると、元資料の歌は、官位のあがらぬことを上司に嘆いた歌か。個人的にあるいは宴席で訴えた歌か。

 

④ この歌群のすべての歌には、雁が登場します。1-1-208歌を後ほどの検討として除くと、雁信の故事と結びつけた雁が飛来する歌から始まり、夜空に雁が飛び回る歌で終っています。即ち、雁には、便りを運んできてくれる、というイメージの歌(1-1-206歌、1-1-207歌)と、秋を連れ来るもの、というイメージの歌(1-1-209歌、1-1-210歌)と冷涼を越えた寒さをもたらす、というイメージの歌(1-1-211歌、)の後に、明るい月夜の素晴らしい光景を詠う歌(1-1-212歌)を置き、最後に辛い思いを思い出させるような鳴き立てる雁を詠う歌(1-1-213歌)が置かれています。

これは、雁がいろいろのものをもたらし、その代表的なものは、雁信の故事による便りがある(かもしれない)ということと冷涼とか辛い思いとか悲しいことである、ということである、という流れでこの歌群が構成されている、と理解できます。

類似歌(1-1-208歌)もその流れの中にあり、1-1-212歌も、秋風の飛んでくる雁は作者のところにくる雁ではないのであり、雁が便りを運んできてくれたとすると、不幸な結果に終わるという理解でこの流れに置かれている、と思われます。

⑤ 雁信の故事に関して、『歌ことば歌枕大辞典』(久保田淳・馬場あき子編 角川書店 1999)は見出し語に「雁の使ひ」を立項し、「かりの玉章(たまずさ)」とも(詠い)、『漢書』の雁信の故事による表現であり、その意は、故事が蘇武が死んだと偽る対抗手段の謀智であるが、和歌では単に雁が手紙を運ぶものとしての表現である」、と説明し、さらに「雁の群行」が文字にたとえられることがある。・・・雁は文字とのつながりが大きい」と解説しています。

⑥ また、雁に関する情報は、1-1-206歌以下各歌とも鳴き声が共通です。例外は、今の検討で除外している1-1-208歌だけが雁の鳴き声は無視されています。この歌では「いなおほせ鳥」が鳴いています。

⑦ 次に、この歌群の前後の歌群と比較すると、この歌群の前の歌群(きりぎりす等虫に寄せる歌群(1-1-196歌~1-1-205歌))は、身近にいる虫に寄せた対の歌の歌群(付記2.参照)であり、鳴く声は作者自身の思いに重ねられ、歌意が違います。次の歌群(鹿と萩に寄せる歌群(1-1-214歌~1-1-218歌))は、聴覚と視覚がとらえたものに、秋の冷涼な気候を感じるとともに作者の気持ちを詠っており、やはり、この歌群とは違います。

⑨ この歌と直前の歌(1-1-207歌)とを比較すると、共に秋風を詠い、1-1-207歌は、便りがあるかと詠い、この歌は、雁が到着したと詠っています。また(上記⑦でいうように)1-1-207歌は雁が鳴き、この歌はいなおほせどりが鳴いています。

この歌の直後の歌(1-1-209歌)とを比較すると、共に詠っているものはありません。

この歌は、直前の歌と結びつきが強い、と言えます。

以上のことを踏まえて現代語訳を試みてよい、と思います。

 

3.古今集にある類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

わが家の門口でいなおおせ鳥が鳴くと同時に、今朝の涼しい風に乗って雁はやって来たことであるよ。」(久曾神氏)

「わが家の門前で、いなおおせ鳥が鳴くのと時を同じくして、今朝の秋風に導かれて、雁が初めて訪れてきたことよ。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

②久曾神氏は、「いなおほせ鳥」について、いなおほせどり(稲負鳥)は、秋来る渡り鳥と言われているが、実体は不明。古今伝授では呼子鳥、百千鳥(ももちどり)とともに三鳥の秘伝となっていた」と説明しています。

③ 『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』では、「いなおほせ鳥」について、「雀のようにあまり歓迎されぬ鳥らしい」と説明し、初句の「わがかどに」とは、「わが家の門のあたりに」、の意。「わがやどに」と違い、門の外にあるものをさす。」とし、さらに「歌の内容から言えば、「初雁」と言う語が詠み込まれていないが雁の歌の最初に置かれても良い歌」としています。

 

4.古今集にある類似歌の検討その3 現代語訳を試みると

① 古今集にある類似歌1-1-208歌は、上記2.の検討結果に従い、かりといなおほせとりに寄せる歌群 (1-1-206歌~1-1-213歌))、即ち、この類似歌は、雁はいろいろのものをもたらし、雁が手紙を運ぶものであり、雁は総じて悲しいことにつながってしまっている、ということを、共有している歌であると仮定します。

② 二句「いなおほせどり」とは、実体はともかく、和歌においては、秋の田の景物となっている鳥です。この鳥が居れば秋は秋でも秋の収穫の時期を意味します。

「いなおほせどり」を漢字交じりの表現にすると、普通は「稲負せ鳥」です。

『歌ことば歌枕大辞典』(久保田淳・馬場あき子編 角川書店 1999)には、見出し語に「稲負鳥」があり、「諸説あり、実体は明らかではなく、秋に鳴く鳥としかわからない」、と説明し、さらに、次のような解説があります。

     「秋」、「田」「刈り穂」などが詠み込まれることが多いこと

     『俊頼髄脳』では「わが門に」(今検討している類似歌)の歌をあげて「・・・庭たたきといへる鳥なめりといへる人あり。推しはかりごとなめり」などとあること

     「収税使」の意の「稲課(いなおほ)せ取り」と掛けての使用例あり(『兼盛集』189歌 付記3.参照)

     「いな(否)」を掛ける場合もある(『新続古今和歌集1125歌) 付記3.参照)

このため、今は、「いなおほせどり」とは、常識的な「稲負せ鳥」とし、田に関係深い鳥、秋の田の景物として検討します。

③ 初句にある「かど」には、「才」、「角」、「門」の意があります。

「角」とは、『例解古語辞典』には、「a物のとがって突き出た部分・曲がり角。b方向・方角。」とあり、『古典基礎語辞典』には、「aとがって突き出ている部分、b刀剣のしのぎ。または切っ先。c曲がり目。曲がり角。d才覚。才気。」とあります。

同じく「門」とは、「a門・門のあたり。b一族・一門」とあり、また「門」とは、「a家の外構えに設けた出入り口。b門限の時刻。門を閉める時刻」とあります。

「いなおほせどり」が、秋の田の景物なので、「わがかど」とは、「わが屋敷の門」の意ではなく、「我が田地の隅」とか「我が田の仮屋の敷地への出入り口」とかという理解が素直である、と思います。

この歌の作中人物を、田の管理人(農作業の現場指揮者で秋には作業詰所兼臨時宿泊所に詰めている人物)とすると、「わがかど」とは、「雀や他家の者から田を守るべく、私が泊まっている田小屋の出入り口」の意、となります。

「庭たたき鳥」では、渡り鳥のイメージが無くなりこの歌群の歌にそぐわない、と思います。

④ この歌の上句にいう「いなおほせ鳥が鳴くのを聞く、即ち田に到来したと同時に」、雁が来たのですから、初雁でもなくだいぶ遅れた雁、という理解も可能です。何度目かの雁が来たことを、詠んでいます。

田小屋に泊まり込み単身で働く者(たち)には待ち望んでいる便りがあると思います。「いなおほせ鳥」が、「わがかど」に来て鳴くのは、食料などが届いたということであり、一緒に雁が来て鳴いたのは、雁が、手紙を運ぶものとして詠まれているのだから、この時期離れて暮らす妻からの便りがあったことを象徴しているのではないかと、とれます。

⑤ 現代語訳を試みると、次のとおり。

「田を守る我が田小屋に来ていなおおせ鳥が鳴くと同時に、今朝の涼しい風に乗って雁はやって来たことであるよ(妻が便りをくれた。つらいなかの一時のうれしいことだ)。」

⑥ この訳(試案)は、先の仮定に添うものであり、この歌群のほかの歌の方向とは一致していると言えます。

⑦ 1-1-208歌だけが雁の鳴き声を無視しているのは、妻と離れているという辛いなでで他の歌と違いささやかな作者の喜びがあったことの象徴なのでしょうか。

⑦ この類似歌は、よみ人しらずの歌です。その作者名を信じるならば、その元資料の歌は、民衆に詠い継がれてきた歌であり、それを官人が記録していることから、宴席で披露できる(合唱できる)歌であろう、と推測します。民衆の歌は農作業に従事する者の歌であっても、官人は別の意をも汲み取っていた歌であるかもしれません。例えば、「いなおほせどり」のように(良くも悪くも)時期に適いかつ「雁」がもたらすものを作中人物が得た者に見立てて、ほめるとか囃すとか、が想像できます。

⑧ 民衆に詠い継がれてきた歌元資料の歌は、「秋を迎えていなおほせ鳥が来るほどたわわに稲は稔り、忙しくなる夫や兄弟にはげましの便りが田小屋に届いた」と詠った歌、と推測します。編纂者は、『古今和歌集』の秋部にある「かりといなおほせとりに寄せる歌群」の歌として、雁がいろいろのものをもたらすという歌群の中におき、元資料の歌とは少しユアンスが違う歌となりました。

 

5.3-4-40歌の詞書の検討

① 3-4-40歌を、まず詞書から検討します。詞書が特段記されていないので3-4-39歌の詞書「しかのなくをききて」と同じです。

 3-4-39歌の詞書の現代語訳(試案)を引用します。

「鹿が鳴くのを聞いて(詠んだ歌)」

③ 同じ詞書の歌である3-4-41歌の検討後、この詞書を再度確認します。

 

6.3-4-40歌の現代語訳を試みると

① 詞書に従い、歌の現代語訳(試案)を試みます。

② 初句の「わがやどに」とは、「我が屋敷の出入り口に」、の意です。類似歌の初句「わがかど」とは語句が違うので意が異なるはずです。鹿が鳴く(詞書)のを聞ける屋敷のようであるので、山里近くの別荘なのでしょうか。

③ 二句にある「いなおほせどり」は、実体はともかく、和歌においては、秋の田の景物となっている鳥です。その鳥が田に降りないで、屋敷の門(出入り口)に現れて鳴いている、という状況は、異常な景です。通常ではない何かを含意している、と考えられます。

五句にある「かり」が、『漢書』の雁信を類推させてくれますので、同じ鳥である「いなおほせどり」には上記4.②の記述の延長上に「異な仰せ(を伝える)鳥」という意味も含ませられます。

④ そうすると、作中人物は、農作業に関わる者ではなく、官人となります。

⑤ 和歌においては、詞書にある「鹿が鳴く」とは、妻恋を連想させます。

⑥ このため、詞書に従い、現代語訳をすると、次の通り。

「(妻恋をしきりにしている鹿の鳴き声が聞こえ、)わが屋敷の門に、田に行くはずの「いなおほせ鳥」が来て鳴いていて、同時に今朝の風にのり雁がきた。「異な仰せ(を伝える)鳥」と一緒で届いた便りは、やはり秋(飽き(られた)の便りだった。」

③ 悲恋となる便りが届くかという予想のとおりであったと愚痴っているのが、この歌ではないでしょうか。

前回、これまでの『猿丸集』の歌の延長であれば、2-2-39歌~2-2-41歌も、恋あるいは生き様を詠っていると予測しましたが、この歌はその予測の範囲の歌です。

 

7.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-40歌は、歌を詠むきっかけの聴覚の情報をはっきり記しています。類似歌1-1-215歌は、題しらずと記し、何の情報も与えてくれず、歌の配列から推測する以外ありません。類似歌を承知していてこの歌の作者は利用しているのだと思いますが、詠う情景を限定することにより歌の意味を類似歌と異なることを示唆しているのが、この歌の詞書である、と思います。

② 初句の語句が、異なります。この歌は、「わがやどに」であり、類似歌は、「わがかどに」です。

この歌は、「屋敷の門前に」の意であり、類似歌は、「わが守る田の田小屋に」の意です。いなおほせどりが来た場所がはっきりと異なります。

③ 二句の「いなおほせどり」の意が異なります。この歌は、歌語の「いなおほせ鳥」に「異な仰せ(を伝える)鳥」を掛けています。これに対して類似歌は、歌語のとおり「稲負せ鳥」の意だけです。

④ 作中人物が、異なります。この歌は、官人です。これに対して類似歌は、田の管理人(農事作業の現場指揮者)です。

 

⑤ この結果、この歌は、秋になり恋が期待はずれに終わったことを2種類の鳥で詠う恋の歌であり、これに対して、類似歌は、晩秋に辛いなかにも喜びの一瞬もあることを2種類の鳥で詠う秋の歌です。

⑥ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-41歌  なし(詞書は3-4-39歌に同じ。「しかのなくをききて」)

秋はきぬもみぢはやどにふりしきぬみちふみわけてとふ人はなし

3-4-41歌の、古今集にある類似歌 1-1-287歌  題しらず     よみ人しらず」

      あきはきぬ紅葉はやどにふりしきぬ道ふみわけてとふ人はなし

 

『猿丸集』の歌は、類似歌と、趣旨が違う歌です。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2019/2/4   上村 朋)

付記1.『古今和歌集』巻第四秋歌上 の歌群について

① その歌群は、つぎのとおり。

     立秋の歌群 (1-1-169歌~1-1-172歌)。

     七夕伝説に寄り添う歌群 (1-1-173歌~1-1-183歌)

     「秋くる」と改めて詠む歌群 (1-1-184歌~1-1-189歌)

     月に寄せる歌群 (1-1-189歌~1-1-195歌)

     きりぎりす等虫に寄せる歌群 (1-1-196歌~1-1-205歌)

     かりといなおほせとりに寄せる歌群 (1-1-206歌~1-1-213歌)

     鹿と萩に寄せる歌群 (1-1-214歌~1-1-218歌)

     萩と露に寄せる歌群 (1-1-219歌~1-1-225)

     をみなへしに寄せる歌群 (1-1-226歌~1-1-238)

     藤袴その他秋の花に寄せる歌群 (1-1-239歌~1-1-247歌)

     秋の野に寄せる歌群 (1-1-248)

② 巻第四 秋歌上の歌の配列については、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」2018/9/3)」で述べた方法(ブログの2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法 )により、検討した。『古今和歌集』の編纂者は、語句の一部を訂正して、必要に応じて詞書をつけて『古今和歌集』に用いている。

 

付記2.前後の歌群の検討について

① 前の歌群(きりぎりす等虫に寄せる歌群(1-1-196歌~1-1-205歌))については、ブログ「わかたんかこれ  猿丸集第28歌その2 やまのかげ(2018/9/10)において、論じた。2首ずつ対となる歌を配列し、歌群全体は、寄せる虫が共通である。

② 次の歌群(鹿と萩に寄せる歌群(1-1-214歌~1-1-218歌))については、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第39歌その1 もみぢふみわけ」2019/1/14)で論じた。各歌ともに、聴覚と視覚がとらえたものに、秋の冷涼な気候を感じるとともに作者の気持ちを詠った歌群である。

付記3.いなおほせどりを詠む歌(801~1000年頃及び宝治百首より)

① 屏風歌に詠まれたり、歌合に詠まれている。

② 『兼盛集』  作者平兼盛は天暦4年(950)臣籍に下り、正歴元年(99080歳過ぎの高齢で没した。後撰集以下の勅撰集に85首あまり入集。

3-32-189歌  九月田刈るところにおきなあり

     からくしていそぎかりつる山田かないなおほせどりのうしろべたさよ

3-32-190歌  九月田刈るところにおきなあり

     足引きの山田のこすげあすまでといなおほせどりのおふもてたゆし

③ 『新続古今和歌集』  この和歌集は、永享10(1438)四季部だけ奏覧、全20巻は永享11年なる。

1-21-1125歌  宝治百首歌に、寄鳥恋

     あふことはいなおほせ鳥のなきしより秋風つらき夕暮の空

④ 『忠岑集』  生歿未詳。古今集の撰者の一人。

3-13-28歌  あきのたのいほりといふことを、これさだのみこのいへのうたあはせに

     やまだもるあきのかりほにおくつゆはいなおほせどりのなみだなりけり

⑤ 『能宣集』  作者大中臣能宣は、延喜21年(921)に生まれ正歴2年(991)歿。後撰集の撰進と万葉集の訓訳の業に従った梨壺の5人の1人。

3-33-90歌  あるところの月なみの屏風歌(82~93) 九月、山ざとのいへゐに女どもあつまりゐたる、いねなどほせり、こたかがりの人人消息などいひいるるに

     かりにとてわがやどのへにくる人はいなおほせどりのあはむとやおもふ

⑥ 『千穎集』  作者名「別田千穎」はペンネーム。歌集の成立は永祚2年(990)は信じてよいであろう。

3-59-31歌  秋十五首(23~37

     あきのたにいなおほせどりのおとすればうちつけにはたかりぞさわたる

⑦ 『輔親集』  大中臣輔親は、天暦8(954)生れ、長歴2年(1038)歿。能宣の子。

3-79-160歌  などいふに、れいのかくいふ

     すもりなるかひと見つるはかりてほすいなおほせどりのたねにぞありける

⑧ 『宝治百首』  続後撰和歌集の選歌資料に充当するため後嵯峨院が宝治元年(1248)詠進させた百首。

4-35-2942歌  寄鳥恋(2918~2957)         寂西

     あふ事をいなおほせどりにおほせてぞ人のつらさの音をも鳴きける

(付記終り 2019/2/4   上村 朋)