わかたんかこれ 猿丸集第37歌その3 千里集の配列その1

前回(2018/11/26)、 「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その2 類似歌のある千里集の序」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その3 千里集の配列その1」と題して、記します。

(上村 朋)

. 『猿丸集』の第37 3-4-37歌とその類似歌(再掲)

① 『猿丸集』の37番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌a  1-1-185a: 題しらず  よみ人知らず

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌b  3-40-38歌  秋来転覚此身衰

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、同じですが、詞書が、異なります。

③  類似歌aは、『古今和歌集巻第四秋歌上に、類似歌bは、『千里集』秋部にある歌です。これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う(と、仮説をたてたところです)。

 

2.~6.承前

「おほかたの」の意味を確認し、類似歌aの現代語訳を試みました2018/11/19付けのブログ「わかたんかこれ猿丸集第37歌類似歌aその1 古今集の類似歌」)。次いで類似歌bのある歌集千里集の序をみると、作者が、特別の思いでこの歌集を編み、献上したと思えました(2018/11/26付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その2 類似歌のある千里集の序」))

 

.類似歌bの検討 その1 配列

① 『千里集』の配列について検討したのち、類似歌bの現代語訳を試みたいと思います。類似歌bは、他の歌集と同様に、『新編国歌大観』記載の『千里集』に拠って検討します。

『千里集』は、部立をしており、類似歌bは、最初から三番目の「秋部」にあります。秋部は、3-40-36~3-40-56歌の21首ありますが、平野由紀子氏らが指摘する流布本系に「詞書がない」(詩句がない)歌5首は元々の歌集には無かったものとして『千里集』の構成・配列を検討することとします(『私家集全釈叢書36 千里集全釈』(平野由紀子・千里集輪読会 風間書房2007)参照)。

② 『千里集』の各歌の詞書の多くは、漢詩の一句に相当します。金子彦二郎氏によると、「自詠の歌」(「詠懐」と題する部の歌)を除いた歌の詞書には、白居易の『白氏文集』などからの詩句が74句(歌として74首)あり、そのほか出典未詳の詩句が27句(27首)あります。

③ 柳川順子氏が、「彼(大江千里)が生きた時間の中で、彼が思い描いた文脈に沿って捉えたい」として論じている「大江千里における「句題和歌」製作の意図」(『広島女子大学国際文化学部紀要』13号 2005)から、詞書と和歌との関係に関する指摘を、私なりにまとめると、つぎのようになります。氏は、『新編国歌大観』と同様に書陵部本を底本としています。

     詞書に用いた詩句は、一篇の詩から複数句採用している(7篇から15首作詠)。しかし、詩句は漢詩的世界をバランスよく網羅的に示していない。(二句一対で詞書としたものもない。)

     漢文訓読用語を用いた和歌をちりばめている。

     春と秋の部に原拠詩の枠をゆがめた歌が多い。例えば3-40-38歌は、原拠詩とはずいぶんと雰囲気が異なる(今検討している類似歌bであるので、後ほど改めて言及します)。原拠詩と歌との乖離は千里の満たされない境遇に対する鬱憤に発している。除目(付記1.参照)叙位のある春秋に拘っている証左である。

     千里は、訴えたいことを、詩句を用意しない和歌仕立てにしてこの歌集の最後の部立に置いた。詩句を用意した四季の部の歌は、自分の苦境を訴える以上は、その人を楽しませるだけの芸を伴うものにした。それは官人としての千里の羞恥心からである。

④ 氏の指摘については、類似歌bのある『千里集』の秋部の歌の配列とあわせて検討します。

古今和歌集』の四季の歌は、自然の推移を特定の事項で順次示していました。『古今和歌集』の四季の歌を現代の季語の有無等より検討したように、『千里集』の歌と原拠詩が、配列の基準に、秋を自然の推移を採っているか、を確認してみました(付記2.参照)。なお、参考までに秋部以外の歌も少々確認しています。

⑤ それから、次のことがわかりました。

第一 秋部の歌は、16首であり、現代の季語の有無からいうと、秋部の歌は、確かに秋の歌である。

第二 詞書(詩句)の拠る漢詩(原拠詩)がある場合は、その詩が秋を詠っているかどうか、詞書(詩句)の拠る漢詩(原拠詩)がない場合は、その詩句が秋をイメージしているかどうか、をみたが、確かに秋を詠った詩または詩句である。

第三 秋部の歌は、現代の季語を追った場合、三秋を挟んで、時節の推移の配列になっている。しかし、特定の事項(例えば、七夕、霜など)を用いた歌が飛び飛びにあるし、秋部の最初の歌は立秋の歌ではない。また、春の部であろう3-40-1歌も立春の歌ではなく、冬部の最初にある3-40-57歌は12月尽の歌である。

第四 詞書が、その原拠詩の句と全く一致する歌は、16首中7首である。その原拠詩の句と一字でも異なる歌は7首ある。また、その原拠詩が不明の歌が2首あるが、それは秋部の最初と最後の歌である。

第五 序にいう「古句」があるのは「古詩」だけであるとするならば、詞書に引用した『白氏文集』の詩を、「古詩」と称したことになってしまう(付記3.参照)。原拠詩が不明の句も序に言う「古句」の範疇ということになる。

第六 類似歌bの詞書は、その原拠詩の句と一致する。

⑥ 上記第一と第二は、柳川氏のいう「詩句を用意した四季の部の歌は、自分の苦境を訴える以上は、その人を楽しませるだけの芸を伴うもの」ためのいわずもがなの前提条件かもしれません。千里からみると設定した土俵に違和感を持たれないような配慮のひとつかもしれません。

上記第三は、三代集にはないことであり、部立をして四季春夏秋冬を立てている歌集ならば歌集編纂上理解に苦しむところであり、何らかの意図を感じます。

上記第四は、歌集を編纂した千里自身がわざわざ行っているとみなせます。錯誤などということであれば、千里に官人の素養がないことになるからです。

上記第五も、千里は確信犯として行っているようです。千里(生没年不詳、『古今和歌集』に10首入集している)の生存していた時代に、白居易(生歿は772~846)の詩を、しかも律詩として『白氏文集』にある詩を、古い時代の詩(「古詩」)などと天皇と官人が認識していたとは思えません。

漢和辞典に用例として、古詩、古字、古典、古文、古語はあげられていますが、「古句」はありませんので、謂われが特にない普通の語句である「古句」を「古詩」の一句と即断してここまで検討してきましたが、それは考察が足りないのかもしれません。

上記第六は、秋の部の一例です。秋部の歌のすべての詞書からは、柳川氏のいう「春と秋の部に原拠詩の枠をゆがめた歌が多い。」という指摘が妥当してます。

兎に角、献上するからには、官人の素養を疑われるような詞書では無意味です。正確な引用をしていないがそれに意味があり、歌も工夫をし、配列にも意を用いていると予想できます。

歌集の序を、「豈求駭解鶚顎 千里誠恐懼誠謹言」と結んだ歌集は、下命による和歌献上の歌集の出来上がりとして、官人としての体面を保ち、誇り得るものとなっているはずです。

だから、歌を、柳川氏と同様に「彼が生きた時間の中で、彼が思い描いた文脈に沿って捉え」てみることでわかってくるという仮説のもとで、検討を進めるものとします。

⑦ このように、歌の配列の根拠が『古今和歌集』と異なっているのはわかりましたが、その基準はつかめませんでした。部立で参考にしたと思われる、寛平御時后宮歌合の配列基準は未検討(宇多天皇行幸の際に催した詩宴や詩歌宴の出題方法も未検討)ですので、直接、個々の歌の内容から配列の基準に迫るほかありません。

 千里は、「古句」によって詠うと、序で言っていますので、千里が詠んだ歌とその詞書とした「古句」、即ち和歌と、原則として詞書の原拠詩での当該句との比較をも試みて配列の基準を検討します。

そのため、とりあえず、類似歌bの前後の歌を検討します。

⑧ ここまでの検討は、官人である千里が常識ある人物であるという暗黙の前提を置いてきました。柳川氏のいう、「千里は、訴えたいことを、詩句を用意しない和歌仕立てにしてこの歌集の最後の部立に置いた。詩句を用意した四季の部の歌は、自分の苦境を訴える以上は、その人を楽しませるだけの芸を伴うものにした。それは官人としての千里の羞恥心からである。」という人物像です。

 下命という形式に従い、和歌を献上することは、それは天皇のみを読者にしていることです。結果として、役柄として知り得たりする者のほか心ある官人も共有することになりますが、「その人を楽しませるだけの芸を伴うもの」の「その人」にとってこの歌集がそうなっていたのか、評価・評判を知りたいところですが今日までそれは残っていないようです。前回指摘したように、急ぎ詠んだばかりの歌のみを千里は献上し、『古今和歌集』に入集したすべての歌を『千里集』におさめていません。常識ある千里は、なぜ既に披露した歌で自信のある歌を省いたのか、解せません。そうしてまで訴えることに執心しているのは常識外です。よほどの「芸」をこの歌集に仕掛けていると予想をしているところですので、その前提となる当時の事情を再確認してよいと思います。

⑨ 千里自身の「古今和歌多少献上」については、「某参議から伝えらる」とする序の語句のほか、『古今和歌集』の千里の歌1-1-998歌の詞書が傍証となりますが、この歌集の形で献上した傍証はありません。1-1-998歌のいう「ついでに奉りける」の語は、1-1-998歌一首のみに言及していると理解する以外の解釈はありません。

また、「彼が生きた時間の中」(彼の活躍した時代)の人物による、日記風、事項別に書き連ねた歌集ではない歌集は、ほかに伝わっていません。また、下命献上にあたって歌集全体を一つの作品としてみてもらいたい、という発想が、他の官人にあるのか、確認を要すると思います。また、このような内容の歌集の献上を許される可能性も、上記のようにこの歌集の献上そのものも、改めて確認を要すると思います。

しかしながら、今は、『猿丸集』にある3-40-37歌に理解のため『千里集』の検討をしているので、これらのことは横におき、詞書の文を確信犯的に記している(あるいは確信犯を装っている)者の和歌として、以下検討を進めたい、と思います。

 

8.秋部の歌の検討 その1

① 秋部の歌より、類似歌b 3-40-38歌の前後の歌4首ずつを引用すると、つぎのような歌です。

3-40-34歌  夏景  但能心静即身涼

     我が心しづけきときはふく風の身にはあらねど涼しかりけり

3-40-35歌  夏景  〇(サンズイに閒)路甚清涼

     山たかみ谷を分けつつゆくみちはふきくる風ぞすずしかりける

3-40-36歌  秋部  天漢迢迢不可期

     あまの川ほどのはるかに成りぬればあひみることのかたくもあるかな

3-40-37歌  秋部  秋霜似鬢年空長

     秋の夜の霜にたとへつ我がかみはとしのむなしくおいのつもれば

3-40-38歌  秋部  秋来転覚此身衰

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-40-39歌  秋部  霜草欲枯虫怨苦

     おく霜に草のかれゆく時よりぞむしの鳴くねもたかくきこゆる

3-40-40歌  秋部  今宵織女渡天河

     一とせにただこよひこそ七夕のあまのかはらもわたるてふなれ

3-40-41歌  秋部  心緒逢秋一似灰

     ものを思ふ心の秋にあひぬればひとつはひとぞみえわたりける

3-40-42歌  秋部  秋悲不至貴人心

     大かたの秋くることのかなしきはあだなる人はしらずぞありける

 また、秋部の最後の歌は次の歌です。

3-40-56歌  秋部  寒鳴声静客愁重

     鳴くかりの声だに絶えてきこえねば旅なる人はおもひまさりぬ

 

② 諸氏の訳などを参考に理解を試みると、つぎのとおり。

3-40-34歌  夏景  但だ心を静かに保つことができさえすれば、それがそのまま身もまた涼しくなるのである。

     わが心が静まり、落ち着いた時にはわが身は風ではないのに涼やかであったよ。

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻十五・0852「苦熱題恒寂師禪室」であり、詞書はその中の一句です。その詩における表現そのままを、千里は詞書にしています。和訳を、『新釈漢文大系 白氏文集』(岡村繁 明治書院)より引用しました。

歌の現代語訳は、平野氏らの訳の引用です。

 この歌は、初句にある「心」と四句にある「身」を対比して詠っています。原拠詩の句と同じ趣旨を詠っています。

五句「涼しかりけり」の「けり」は、助動詞であり、ここでは、「今まで気づかなかったり見すごしたりしていた眼前の事実や、現在の事態から受ける感慨などに、はじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちを表わす」意です。回想しているのではなく、ある事がらが、過去に実現していたことに気が付いた驚きや詠嘆の気持ちをあらわすのでもありません。

 

3-40-35歌  夏景  谷間の道も甚だ清らかで涼しい。

     山が高いので、本川に流れ落ちる幾多の谷を横断しつつ行く道は、吹き上げてくる風が涼しいことだ。

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻六十四・3132「早夏遊平原迴」であり、詞書はその中の一句です。その詩における表現そのままを、千里は詞書にしています。岡村繁氏の訳に、「甚だ」を補いました。

「サンズイに閒」の字は、「たにがは」の意です(『大漢和辞典』)

 歌の現代語訳は、平野氏らの訳を参考にした私の試案です。

 この歌は、原拠詩の句と同じ趣旨を詠っています。

 以上の2首は、夏部の歌です。

この2首には、水無月の祓を詠うような、季末の行事を詠うものではありあません。3-40-34歌は、気持ち次第で涼しく感じるものだ、3-40-35歌は、そうは言っても、そのような場所に行けば、体も涼しい、と詠っています。3-40-34歌と3-40-35歌は、現代の季語の「すずし」も共に用いており、対の歌である、と理解できます。

ちなみに、この2首の前の歌をみますと、3-40-32歌の詞書は、「鳥思残花枝」((風は新葉の影をさわやかに吹きわたり、)鳥は枝に散り残る花を慕って囀っている。)とあり、3-40-33歌の詞書は、「月照平砂夏夜霜」(月に照らされた一面の川砂は夏の夜の霜のように白く光っている。)とあり、現代の季語も「すずし」を用いていません。

 

3-40-36歌  秋部  天の川の逢う瀬は、はるか遠くのことであり、あてにできない。

     天の川で逢ったばかりなので次に逢う瀬は遠い頃合いとなってしまった。(七夕が過ぎたので)、再び逢い見るというのは(はやく逢いたいのに)難しいことだなあ。

 

詞書の原拠詩が不明です。詞書の訳は、私の試案です。

「天漢」と詠いだした七夕伝説に関わる詞書の詩句ですので、一年に一度しかあうことがないことがキーポイントの詩句ではないかと思います。

「迢迢」とは、高いさま、はるかなさま・遠いさまのほか、恨などのながく絶えないさま・夜ふける形容の意があるそうです(『大漢和辞典』)。

「期す」とは、「日時を決める。ちぎる・約束する。決心する。ねがう・あてにする。」等の意があります。天の川の逢う瀬は七夕伝説では約束されたことであり、「不可期」は反語なのでしょうか。

和歌も、私の試案となりました。七夕直後の、後朝の歌という位置づけで理解しました。しかし、序で千里は恋の歌を省いていると言っているので、男女の逢う瀬についてではなく、何かに出会うのが年に一度であることを前提に詠んでいると思われます。

二句にある「はるか」には、a距離が遠く隔たっている。b年月が長く隔たっている。c心理的な距離感を表わして)気がすすまない。疎遠である。の意があります。

七夕伝説において、織姫は天の川が距離的に遠いと感じてはいないでしょう。年に一度しかないという逢う間隔が長いと織姫は思っているのではないでしょうか。

この歌は、千里が、秋部の筆頭に置いた歌です。立夏の歌でなく、七夕の翌日以降の日時を詠む歌となっています。

古今和歌集』など後代の勅撰集であれば、巻頭歌として重きをなす位置の歌が、この歌です。

詞書と歌は、同じ趣旨を詠んでいます。

 

3-40-37歌  秋部  君は空しく老いて鬢毛(耳ぎわの髪の毛)が秋霜のように白くなった

     秋の夜におりる霜に例えられることになってしまった。私の髪の毛は、私が無為に年を重ねて老いたものだから

 

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻十三・0617 「和談校書秋夜感懐呈朝中親友」であり、その中の一句を、そのまま詞書に千里はしています。談校書は白居易の親友であり、宮中の勤務についています。原拠詩は、この句に続けて、「官服はまだ春草のように青いままで、一向に出世しない。君の文名が天下に鳴り響いていてそれ以来もう久しいが・・・」と詠っています。

原拠詩の句の岡村氏の和訳を、詞書の訳としました。千里は、詞書としては「君は」を、省いて、独り言として用いているつもりかもしれません。

和歌は、私の試案です。

この歌は、原拠詩の句の主人公を、君から作者自身に替えて、年寄りの白髪を詠っています。

 

3-40-38歌  秋部  秋になるとひとしお我が身の衰えを覚える

     皆にも同じ(悲しい)秋がくるのだが、わが身こそまこと悲しいものであるとつくづく思った(仮訳)

 

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻十九・1243・「新秋早起、元少伊を懐ふ有り」であり、詞書はその中の一句です。そのまま詞書にしています。岡村氏の和訳を引用しました。歌は私の仮訳です。

この歌は、原拠詩の句と同様に、作者の「身(体)の衰え」を指して悲しいものと言ったようにもとれるし、もっと一般化して「現在の身の上」を指しているのか、一方に限定するような詠いかたではありません。

類似歌bでありますので、秋の部の配列の検討後に、改めて、検討します。

 

3-40-39歌  秋部  霜にあたった草は枯れはじめ、虫は、怨み苦しむ 

     霜が降りて草の葉も枯れゆこうとする頃から、虫の鳴く声も高くきこえる

 

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻六十六・3287 「夢得、秋庭に独り坐し、贈らるるに答ふ」であり、詞書はその中の一句です。詩句では最後の二文字が異なり、「霜草欲枯蟲思急」とあり、岡村氏は、「霜に当たった草は枯れはじめ、虫の声も慌ただしく」、と和訳しています。詞書は私の試案です。歌は、平野氏らの訳を参考にした私の試案です。

原拠詩は、この句の後に、「我が容貌も衰えたが健康で酒が楽しい。きっとお天道さまが、私たちに配慮して年をとってから閑職に就かせてくれたにちがいない」と続けています。

原拠詩では、「霜草欲枯」と「蟲思急」が対句となっていますので、何かが、霜を介して草を枯らし、かつ虫を慌ただしくさせている、意となります。

詞書も、同様に、「霜草欲枯」と「虫怨苦」が対句となっていますので、何かが、草と虫に作用を及ぼしていることになります。

そして、歌でも、何かによって、「草が枯れゆく」と「虫の音がたかい」が生じていると詠っています。

この3つを比較すると、草はみな「枯れる」としか表現されていませんが、虫は、「思」から「怨苦」へ、そして「たかく(なく)」と替わっていっています。心の動きの表現の詞書から、歌では身体の行動の表現となっています。

千里が、意識的に字句を替えているとみると、その意図を試しに推し量ってみたくなります。

また、「怨」字の用例をみると、怨愛(恨むこととしたうこと)、怨咽(うらんでむせびなく)、怨嗟(うらみなげく)、怨心(うらむこころ)、怨望(うらんで不平を抱く)。怨言(うらみことば)などがありますが、怨苦の用例は辞書にありません。

ここでは、草も枯れてゆくとき、虫も「秋仕舞い・冬支度」をするのに間に合わないと悲鳴をあげていると類推したとして、足早に去る秋を怨んでいる点で詞書とつながる、と理解しました。

その現代語訳(試案)が上記のものです。

だから、この歌は原拠詩の句の意に通じるところがありますが、外面的な表現へと替わっています。

 

3-40-40歌  秋部  今宵、織女は天の河を渡る

     一年でただ一度今晩こそ織姫が天の河原を渡るというのだ。

 

詞書の原拠詩は、不明です。詞書の訳は、私の試案です。(1135年以前成立の『新撰朗詠集』194・上・七夕に、この句があるそうですが、後年の書物であり、原拠詩になり得ません(付記2.の作業では、金子氏の指摘に従い白居易の詩が原拠詩として整理してあります。)

歌の現代語訳は、平野氏らの訳です。

この歌は、七夕伝説を詠っています。一年に一度を強調しています。

五句にある「なり」は、「(こよひ)こそ」を受け「已然形」です。ここでは断定の助動詞です。

詞書は、織女は、今夜渡る、と確信をもって言っています。歌は、織姫は渡る、と断言しています。

どちらも渡ることを強調している歌です。

天の川が、秋の部で詠われているのは二度目になります。これ以後はありません。

③この二首を一連の歌として考察すると、最初の歌3-40-36歌は、七夕に逢った織姫は次回の逢う瀬を待つと詠っています。この歌3-40-40歌は、七夕とは織姫が天の川を渡る日のことだと詠っています。この二つの歌が同時に詠われたとすると、同一の事柄に関する思いを詠っている、と思われます。それは、七夕に象徴される特別の日に関する思いであろうと、思います。

 そうすると、3-40-36歌~3-40-40歌は、一連の歌である可能性があります。次の3-40-41歌は、次に検討しますが、老いを嘆いた歌となっています。

④ 春の部の歌2首と秋部の歌いくつかの現代語訳を試みてきましたが、ここで一区切りとし、次回以降に、以下の歌の現代語訳の試みと配列の検討と類似歌bの現代語訳を試みたい、と思います。

 「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

2018/12/3   上村 朋)

付記1.除目(じもく)について

① 日本の律令制度の政務は、法制度を越えた存在として(古代の)天皇の意志と、議政官組織の代表である公卿との機能分担にある(太政官制度)。太政官の最高の官である大臣(太政大臣左大臣、右大臣各一名。後に内大臣一名)は宣命によって任ぜられるが、それ以外の諸司諸国の官人を任命する儀式を除目という。(「除」は旧官を除いて新官を授ける意)

 本来は任命の辞令あるいは任官目録を指す語であるが平安時代に入って、任官を決定する儀式をさすようになった。

② 大別すると、外官除目と京官除目(司召と県召(あがためし)となる。関心の高いのは、春除目と秋除目。春除目を「除目」と称することもある。臨時の除目もある。

③ 外官除目は、三夜にわたる。第一夜は所定の書類に基づき、諸国の掾・目(じょう・さかん)を任ずる。第二夜は、任国任官者の交代、親王などの兼官、次に外記以下の事務官の任命。第三夜は、京官・受領、公卿や勅任官の任命。

④ 散位とは、位階(三位、五位など)があっても官職に就いていないものをさす。

⑤ 『枕草子』の「すさまじきもの」の段に、「除目に司得ぬ人の家」をあげている。官人の家族からみれば一家一族の浮沈がかかった行事、といえる。

付記2.『千里集』秋部等の歌での現代の季語の有無と拠るべき詩句と詞書の比較等について

① 『千里集』秋部の歌を中心に、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」(2018/9/3)の本文の「2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法」に準じて判定を行った結果を、下記の表に示す。

② 表の注記を記す。

1)歌番号等とは、「『新編国歌大観』記載の巻の番号―その巻での歌集番号―その歌集での歌番号」である。

注2)現代の季語については、『平井照敏NHK出版季寄せ』(2001)による。

注3)視点1(時節)は詞書(句題)ではなく、歌にある季語により、初秋、仲秋、晩秋、三秋に区分した。

注4)「句題の拠った詩句との異同」欄には、「詞書に記された詩句」と「句題の拠った詩句」間において何字異なっているかを記した。当該文字とそのいわゆる旧字とは同じ(異なっていない)として整理した。

注5)句題の拠った詩句の時節」欄には、詩とその題より、初秋・仲秋・晩秋・三秋、等の区分で推定した。詩の作詠時点に関する諸氏の指摘を参考としている。

注6) ()書きに、補足の語を記している。

注7) 《》印は、補注有りの意。補注は表の下段に記した。

表 千里集秋部等の歌での現代の季語と詞書の詩句と拠った詩句との異同の状況 (2018/12/6現在)

歌番号等

歌での(現代の)季語

視点1(時節)

句題の拠った詩句との異同

句題の拠った詩の時節

備考

3-40-1歌

霧 鶯

三春(鶯による)《》

二字異なる

初春 《》

『千里集』の

第1歌

3-40-31歌

(おつる)花

晩春

拠った詩が不明

判定できない

夏部の歌

3-40-32歌

(のこれる)花

晩春

一字異なる

初夏

夏部の歌

3-40-33歌

月(影) なつ(の夜) 霜

三秋または三夏または三冬

一致

三夏

夏部の歌

3-40-34歌

涼し

三夏

一致

初夏または仲夏

夏部の歌

3-40-35歌

すずし

三夏

一致

初夏

夏部最後の歌

3-40-36歌

あまの川

初秋

拠った詩が不明

初秋

秋部の第1歌

3-40-37歌

秋(の夜) 霜

三秋または三冬

一致

三秋

 

3-40-38歌

秋(くる)

初秋

一致

初秋

類似歌bの句題

3-40-39歌

霜 むし

三冬または三秋

二字異なる

晩秋

 

3-40-40歌

七夕 

あまのかはら

初秋

一致 《》

初秋

 

3-40-41歌

(心の)秋

三秋

一致

三秋

 

3-40-42歌

秋(くる)

三秋

二字異なる

三秋

 

3-40-43歌

三冬

一致

三秋

 

3-40-44歌

秋(の夜)

三秋

一字異なる

三秋

 

3-40-45歌

(すぎてゆく)秋

三秋

二字異なる

三秋

 

3-40-46歌

もみぢ(つつ) せみ

晩秋または晩夏

一致

仲秋

 

3-40-47歌

秋(の夜) むし

三秋

一致

三秋

 

3-40-48歌

つゆ

三秋

句題がない歌《》

三秋

考察の対象外

3-40-49歌

(行く)かり 秋(すぎがたに)

晩秋(かりによる)

句題がない歌《》

晩秋

考察の対象外

3-40-50歌

しぐる 霜

三冬

句題がない歌《》

晩秋 《》

考察の対象外

3-40-51歌

あき(の夜) 雁 霜

晩秋(かりによる)

句題がない歌《》

晩秋

考察の対象外

3-40-52歌

秋 露 せみ

三秋(おくつゆによる)

句題がない歌《》

三秋

考察の対象外

3-40-53歌

秋(すぎ) 紅葉ば

晩秋

一字異なる

晩秋

 

3-40-54歌

秋(の夜) 雁

晩秋

一字異なる

晩秋

 

3-40-55歌

(ゆく)雁 あき

晩秋

二字異なる

晩秋9月尽

 

3-40-56歌

(鳴く)かり

晩秋

拠った詩が不明

晩秋

秋部の最後の歌

3-40-57歌

春(をむかふる)

三春

一致

晩冬 12月尽

冬部の第1歌

3-40-58歌

春風(・・・おもほゆ)

三春

拠った詩が不明

晩冬 《》

冬部の歌

3-40-59歌

ふゆ(くる)

三冬

一致

冬至

冬部の歌

3-40-60歌

――

――

一字異なる

晩冬歳暮

冬部の歌

3-40-61歌

おき(埋火とみる)

仲冬

一致

冬至

冬部の歌

補注)

《3-40-1歌:①現代の季語で、霧は秋である。和歌では霧を秋の現象として捉えるが、漢詩では春の現象として捉えるのが普通である。ここでは和歌の考えに拠って整理した。千里は、句題にある霧を霞などに読み替えることをしないで作詠している、といえる。②歌より「まだ山で鶯がなく頃」なので、初春とした。》

《3-40-40歌:白氏文集にはなく、和漢朗詠集に白氏作、とある。この表では白居易詩からの引用とした。》

《3-40-50歌:詞書の「樹紅霜更置」は落葉しないで紅葉している木という意を含むので、晩秋とみる。》

《3-40-48歌~3-40-52歌:詩句そのものが流布本系に無いなどから、後人の書写の際増補された歌との指摘がある。》

《3-40-58歌:「はる風のふきくるか」と詠い、詩句は「春風至りて有るに似る」と詠っており、はる風が吹く前の季節を詠っている。》

付記3.古詩と称する詩

① 白居易は、『白氏文集』に、詩を、格詩と律詩と雑体と歌行に分類して記している。岡村繁氏は『新釈漢文大系 白氏文集』(岡村繁 明治書院)の巻六十三等の解題で、格詩という表現は「雑体と歌行以外の五言、七言の古詩。律詩に対していう。」とし、律詩という表現は「近体詩を言う。唐代に完成して五言・七言の絶句・律詩・排律詩など。」と説明している。

② 白居易は、『白氏文集』の巻名などに「古詩」という表現を使用していない。

③ 「古詩」は、中国,古典詩の名称として用いられている。古い時代による詩を意味して、もと六朝時代に魏,晋以前の詩を,唐に入って近体詩が成立してからは,その成立以前の詩をさしていった。

また、 詩体の名称として、近体詩の成立以後,韻律その他に関する近体詩の規則に従わない,比較的自由な形式の詩をいうのだそうである。

(付記終り 2018/12/3   上村 朋)