前回(2018/10/29)、 「猿丸集第34歌 こじま」と題して記しました。
今回、「猿丸集第35歌 なをうとまれぬ」と題して、記します。(上村 朋)
1. 『猿丸集』の第35歌 3-4-35歌とその類似歌
① 『猿丸集』の35番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。
3-4-35歌 あだなりける女に物をいひそめて、たのもしげなき事をいふほどに、ほととぎすのなきければ
ほととぎすながなくさとのあまたあればなをうとまれぬおもふものから
3-4-35歌の類似歌 1-1-147歌 「題しらず よみ人知らず」 巻第三 秋
ほととぎすながなくさとのあまたあれば猶うとまれぬ思ふものから
② 清濁抜きの平仮名表記をすると、歌はまったく同じであり、詞書だけが、異なります。
③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、聞こえてきたほととぎすの鳴き声に寄せて愛していると詠い、類似歌は、ほととぎすの行動に寄せてそれでも愛していると詠っています。
2.類似歌の検討その1 配列から
① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。
類似歌は 『古今和歌集』巻第三夏歌34首のなかの一首です。
② 『古今和歌集』巻第三夏歌の配列を、検討します。
ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」(2018/9/3)」で述べた方法(ブログの2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法 )により、検討します。
即ち、醍醐天皇が、事前に多くの歌人に「歌集幷古来旧歌」を奉らせ(真名序)た歌(元資料の歌)と、『古今和歌集』歌を比較するため、(そのままの形で現存していない)元資料を確定あるいは推定し、その元資料歌における現代の季語(季題)と詠われた(披露された)場を確認し、その後『古今和歌集』の四季の部の巻の配列を検討します。
今、『古今和歌集』記載の作者名を冠する歌集や歌合で『古今和歌集』成立以前に成立していると思われるものや『萬葉集』などは元資料と見做します。また、『古今和歌集』記載の歌本文と元資料の歌本文とを、清濁抜きの平仮名表記しても異同がある歌もあります。その場合は、必要に応じて元資料の歌を、『新編国歌大観』により示すこととします。
その作業結果を、付記1.の各表(補注含む)に示しました。
視点2(披露の場所)の判定を、『猿丸集』の類似歌になっている2首は、保留しています。いま検討している3-4-35歌の元資料の歌は後ほど、また3-4-36歌の元資料の歌は別途確認します。
③ その結果、次のことがわかりました。
第一 『古今和歌集』の元資料の歌は、夏の歌と見做せる歌である。そして、『古今和歌集』の編纂者は、語句の一部を訂正して、必要に応じて詞書をつけて『古今和歌集』に用いている。
第二 『古今和歌集』の元資料の歌は、三夏の季語である郭公(ほととぎす)を詠む歌が28首あり夏歌の82%を占める。
第三 『古今和歌集』の編纂者は、元資料の歌を、詞書や歌の語句を適宜補い、初夏から、三夏をはさみながら仲夏、挽歌の順に並べている。
第四 『古今和歌集』に配列するにあたり、『古今和歌集』の編纂者は、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分した歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしている。
第五 その歌群は、つぎのとおり。巻第三の総歌数は少ない。
初夏の歌群 1-1-135歌~1-1-139歌
ほととぎすの初声の歌群 1-1-140歌~1-1-143歌
よく耳にするほととぎすの歌群 1-1-144歌~1-1-148歌
盛んに鳴くほととぎすの歌群 1-1-149歌~1-1-155歌
戻ってなくほととぎすの歌群 1-1-156歌~1-1-164歌
夏を惜しむ歌群 1-1-165歌~1-1-168歌
第六 この類似歌は、よく耳にするほととぎすの歌群(1-1-144歌~1-1-148歌)に置かれている。
④ 次に、よく耳にするほととぎすの歌群、での配列をみてみます。
1-1-144歌 ならのいそのかみでらにて郭公のなくをよめる よみ人しらず
いそのかみふるき宮この郭公声ばかりこそむかしなりけれ
1-1-145歌 題しらず よみ人しらず
夏山になく郭公心あらば物思ふ我に声なきかせそ
1-1-146歌 題しらず よみ人しらず
郭公なくこゑきけばわかれにしふるさとさへぞこひしかりける
1-1-147歌 題しらず よみ人しらず
ほととぎすながなくさとのあまたあれば猶うとまれぬ思ふものから
1-1-148歌 題しらず よみ人しらず
思ひいづるときはの山の郭公唐紅のふりいでてぞなく
(参考:次の歌群の最初の歌) 1-1-149歌 題しらず よみ人しらず
声はして涙は見えぬ郭公わが衣手のひつをからなむ
⑤ 『古今和歌集』歌の諸氏の現代語訳を参考にし、元資料の歌の視点2などを考慮すると、各歌は次のような歌であると理解できます。(視点2(元資料の歌が詠われた(披露された)場所の推定)は、付記1.の表1参照)
1-1-144歌 古い都にある石上寺で聞くほととぎすの声だけが昔とおなじだね
元資料の歌は挨拶歌と推定
1-1-145歌 夏になった山で鳴くほととぎすよ、思いやりがあるなら物思いしている私に声は聞かせないでくれ
元資料の歌は相聞歌と推定
1-1-146歌 ほととぎすの鳴き声はあの人と過ごしたあの土地(の暮らしまで)懐かしく思い出させるなあ
元資料の歌は相聞歌と推定
1-1-147歌 ほととぎすよお前の鳴く里は多くていやになってくる、愛しているのだが (仮訳)
元資料の歌は後ほど推定
1-1-148歌 私が思い出す時は、常盤山のほととぎすが血を吐くように鳴くのと同じ状況になっている
元資料の歌は民衆歌と推定
(参考:次の歌群の最初の歌) 1-1-149歌 声だけで涙がないほととぎす、それなら私の濡れている袖を借りてほしい
元資料の歌は宴席の歌と推定
⑥ この歌群の歌では、ほととぎすがよく鳴いています。そしてその鳴き声から作中の主人公は昔を思い出し感慨を述べています。
それは、芒種とか夏至のころの寝られぬ夜の出来事であったかもしれません。
1-1-145歌の四句の「物思ふ」は芳しくない過去の事がらに悩まされている意でしょう。
1-1-146歌の「わかれにしふるさと」とは、あの人と別れた場所であるあの土地の意であり、二人で過ごした昔を作者は思い出しています。
このように、『古今和歌集』巻第三夏歌に置かれた歌としては、昔を思い出させるほととぎすの鳴く時期となったなあ、という感慨を詠んでいる歌となっています。
⑦ それでは、他の歌群では、ほととぎすは何と結びついているでしょうか。
各歌群をみてみます。
初夏の歌群(1-1-135歌~1-1-139歌)でのほととぎすを詠う歌では、ほととぎすの来訪を作中の主人公が望んでいます。
ほととぎすの初声の歌群(1-1-140歌~1-1-143歌)では、ほととぎすの初声に感動しています。この歌群の最後の歌である1-1-143歌は、詞書を踏まえると、作中の主人公はうきうきしています。
盛んに鳴くほととぎすの歌群(1-1-149歌~1-1-155歌)では、ほととぎすの鳴き声で作中の主人公は昔のことを思い出していません。1-1-153歌の作者は、ほととぎすに関係なく現在のことで物思いを作者はしているところです。
戻ってなくほととぎすの歌群(1-1-156歌~1-1-164歌)では、ほととぎすが短夜や何かを憂いていますが作中の主人公は思い出にふけっていません。この歌群の1-1-162歌は1-1-143歌と同様、これからの展開をうきうきして待っています。また、1-1-163歌は「ほととぎすよ過去に拘っているか」と詠うが作中の主人公はあからさまに過去を懐かしがっていません。そして、1-1-164歌も作中の主人公は過去よりも現在の状況に拘っています。
夏を惜しむ歌(1-1-165歌~1-1-168歌)では、ほととぎすは去っており、歌に現れていません。
このように、ほととぎすが過去を思い出させる歌は、この歌群のみに集められています。
⑧ 検討対象である類似歌も、この歌群にあるので、同様であろうという推測は確実です。
3.類似歌の検討その2 現代語訳について
① 諸氏の現代語訳の例を示します。
「ほととぎすよ、お前の鳴く里があちらこちらにたくさんあるので、私にはやはり、なんとなくうとましく思われる、お前を愛してはいるのであるが。」(久曾神氏)
「ほととぎすよ。何しろおまえが鳴く里が多いものだから、私はおまえを愛してはいるのだが、やはり自然にいやになるよ。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)
② 久曾神氏は、「(夏歌として記載されているが)この歌は、男女関係における多情な愛人を連想させる。『伊勢物語』43段では、賀陽親王(かやのみこ)が、女のもとに送った歌となっている。」と、また『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』は、「男女のどちらが詠んだとしても、相手の浮気を風刺した歌である。(ホトトギスが相手を寓意している)」、と指摘しています。
③ このように、男女関係の歌である、と諸氏は指摘しています。夏の歌として理解せよと示唆しているのは、『古今和歌集』の詞書です。この歌と同様に、『古今和歌集』には、四季の歌として記載しているが元々は恋の歌と推計される歌が、多数あります。1-1-62歌や1-1-63歌のほか、付記1.の表に示したように巻第三の歌にもあります。
どちらの訳例でも、作者はやきもきさせられる相手であるものの、愛していると詠っていると言えます。
この歌は、ほととぎすの行動が作者に相手のこれまでの行動を思い出させて批判しており、この歌群の条件をどちらの訳例も満足しています。
④ 三句「あまたあれば」の「ば」は、どちらの訳例でも、接続助詞「ば」であって、已然形の活用語に付いているので、「あとに述べる事がらの起こる原因・理由を表わしている」(a)、と理解しています。
このほか、已然形の活用語に付く「ば」には、「あとに述べる事がらに気が付いた場合を表わす(・・・ところが)」(b)とか、「その事柄があると、いつもあとに述べる事がらが起こる、という事がらを示す」(c)場合もありますが、作者が「疎(うと)む」ということなので、上記aが妥当であると、思います。
⑤ このため、『古今和歌集』の歌としての現代語訳は、『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』の訳で十分ですので、この訳を採ることとします。
⑥ また、五句にある「ものから」は、接続助詞であり、確定の逆接であり、「・・・ものの、・・・けれども」の意です。
⑦ さて保留にしていた元資料の歌の視点2です。1-1-147歌の元資料は不明であるので、元資料の歌としては諸氏が相聞歌として訳している1-1-147歌を、それとみなすものとします。視点2は、相聞歌あるいは何か送られてきたときの返歌という挨拶歌になると思います。
4.3-4-35歌の詞書の検討
① 3-4-35歌を、まず詞書から検討します。
② 詞書にある「あだなり(ける女)」の「あだ」という表現がある詞書がこの『猿丸集』に3首あります。3-4-3歌と3-4-46歌とこの歌3-4-35歌です。
3-4-3歌では、「あだなりけるひと」を、「はかなくこころもとないと思っていた男」、の意と理解し、現代語訳の試みでは、「心許ないと思っていた人」と訳しました。(「人」という語句は、この『猿丸集』の詞書には、9首にありますが、男の意です。)
形容詞「あだなり」には、人の心や命などに関する「移ろいやすく頼みがたい、はかなく心もとない」、という意のほかに、「粗略である。無益である。」の意もあります。後者のような女であれば、「いひそめ」て政略結婚もしない、と思います。
③ 詞書にある「物を言ひ初(そ)め(て)」とは、求愛作法として最初の懸想文を贈る意でもあります(倉田実氏の「平安貴族の求婚事情 懸想文の「言ひ初め」という儀礼作法」(『王朝びとの生活誌 『源氏物語』の時代と心性』(森話社 小嶋菜温子・倉田実・服藤早苗編2013/3))による)。
倉田氏は、「言ひ初(そ)む」の用例は次の三点ほどに分けられると指摘しています。
a 初めて言い出す。言い始める。言いかける。
b 言い染める。言い続ける。染料で色がつくように、言う行為を継続したり、強めたりする。色にかかわる語彙が(その歌や文中に)ある場合は「言ひ染む」意を汲み取ったほうがよい。
c 初めて懸想文を贈る。
和歌でも、それぞれ(場合によっては意を重ねた)用例があります。
古語辞典には、「そむ」に、動詞「染む」と補助動詞「初む」(・・・し始める)の説明があります。
ここでは、色にかかわる語句がないので、上記cの意で検討します。
④ 詞書は、「いひそめた」後に、「・・・ことをいふほどに」とあります。この「ほど」は、「言うその時・言う折に」の意であり、女と会話をしているその時、ということになります。順調に文の往復をして顔をあわせるようになったことが推測できる表現です。ですから、女に向ってこの歌を披露したことになります。
⑤ 詞書の現代語訳を試みると、次のとおり。
「はかなく心許ない女に初めて懸想文をおくり、(順調に、言葉を交わし逢うようになってから、)たよりにできそうもないなどと女が口にした丁度その折、ほととぎすが鳴いたので(詠んだ歌)」
5.3-4-35歌の現代語訳を試みると
① この歌は、詞書によれば、男が女とともに居て、ほととぎすの鳴き声を聞いた直後に詠った歌です。これはこの歌の理解のポイントになります。
② 男である作者は、ほととぎすの鳴き声を聞き、ほととぎすがあちこちで鳴くのを浮気の例によく喩えられていることを思い出したのだと思われます。
二句~三句の「ながなくさとのあまたあれば」とは、男にとって、通い婚の相手があちこちに居る状況を表現している語句です。これは普通の状態ですが、女にとっては浮気をしているともとれる、ということであることを再確認した、という立場にたって詠み始めたと思われます。
③ そうであるので、下句の前提条件(上句)である「・・・あれば」の「ば」には、上記3.⑤に記したように同音異義があるので、検討を要します。
④ 三句「あまたあれば」の「ば」が、類似歌と異なれば、この歌の意も異なることになるでしょう。「あれば」は、
「あとに述べる事がらに気が付いた場合を表わす(・・・ところが)」(b)か、あるいは
「その事柄があると、いつもあとに述べる事がらが起こる、という事がらを示す」(c)場合、
の意が、候補になります。
前者ですと、三句は、浮気の例にたとえられていることに気が付き、「(ほととぎすの鳴く里が)沢山ある、ということから、それで(ほととぎすはうとまれるという)」推測をした意になると思われます。
後者ですと、「(ほととぎすの鳴く里が)沢山ある、ということから、必然的に(ほととぎすはうとまれるという)推測をした意になると思われます。
⑤ この理解は、四区にある「うとまれぬ」が、類似歌のように、相手を作者が「うとむ」ではなく、作者自身が「うとまれる」と理解できれば可能です。
「うとまれぬ」は、
動詞「うとむ」の未然形+受け身の助動詞「る」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の終止形
とも理解できるので、可能です。(ちなみに、類似歌では、「る」が自発の助動詞です。)
⑥ そのため、作者が再確認したという事柄が、あらためて気が付いた、という程度のことであれば、前者の意でしょう。作者が再確認したという事柄が、これが女の性か。と思ったのであれば、後者の意でしょう。
⑦ 四区にある「なを」は副詞であり、前者であれば、「やはり。依然として。」と、後者であれば「さらに。ますます。」の意になります。
⑧ 次に、五句「おもふものから」の「ものから」は、接続助詞であり、類似歌は確定の逆接でしたが、確定の順接の意(・・・ので。・・・だから)もあります。
⑨ 詞書に従い、以上の検討を踏まえて、現代語訳を試みると、つぎのとおり。初句は、「ほととぎす」に呼び掛けて、二句と三句にかかりますが、五句にも響かせているようにみえます。
「ほととぎすよ、お前が鳴く里が沢山あるように私にも寄るところがいくつかある。それで貴方に、自然といやな感じを持たれ(、今日までき)てしまった。それでも鳴き続けるほととぎすのように、貴方を私は愛しているのだからね。」
⑩ 作者からみると、文の返事をしなかったり、逢わなければ、仲は自然と遠くなるのにそうしていないのですから、この女は妻にしたい相手なのです。だから、今鳴いたほととぎすは私なのだと、信頼をつなぎ止めるべく、機会を逃さず詠んだ歌がこの歌です。
五句にある「ものから」は、順接の接続助詞の理解が妥当です。
6.この歌と類似歌とのちがい
① 詞書の内容が違います。この歌3-4-35歌では、具体に詠むきっかけを述べているのに対して、類似歌1-1-147歌では、何も記していません。
② ほととぎすが含意する人が違います。この歌3-4-35歌では、この歌を詠う作者を指しており、類似歌1-1-147歌では、この類似歌を突きつける相手(一人)を指しています。
③ 四句の「うとまれぬ」の意が異なります。この歌は、作者を相手の女がうとんでいますが、類似歌は、作者が相手をうとんでいます。
⑤ この歌の作者は、男に限りますが、類似歌の作者は男でも女でも可能です。
⑥ この結果、この歌は、聞こえてきたほととぎすの鳴き声に寄せて相手の女を誰よりも愛していると詠う歌であり、類似歌は、ほととぎすに寄せてやきもきさせられる相手だが、愛していると詠う歌です。
⑦ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。
3-4-36歌 卯月のつごもりに郭公をまつとてよめる
さ月まつやまほととぎすうちはぶきいまもなかなむこぞのふるごゑ
3-4-36歌の類似歌 1-1-137歌 題しらず よみ人知らず (『古今和歌集』巻第三夏歌)
さ月まつ山郭公うちはぶき今もなかなむこぞのふるごゑ
この二つの歌も、趣旨が違う歌です。
⑤ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。
次回は、上記の歌を中心に記します。
(2018/11/5 上村 朋)
付記1.『古今和歌集』巻第三夏歌の元資料の歌について <2018/11/5 22h現在>
① 古今集巻第三夏歌に記載されている歌の元資料の歌について、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」(2018/9/3)の本文の「2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法」に準じて判定を行った結果を、便宜上2表に分けて示す。
② 表の注記を記す。
注1)歌番号等とは、「『新編国歌大観』記載の巻の番号―その巻での歌集番号―その歌集での歌番号」である。『古今和歌集』の当該歌の元資料の歌の表示として便宜上用いている。
注2)歌番号等欄の*印は、題しらずよみ人しらずの歌である。
注3)季語については、『平井照敏編NHK出版季寄せ』(2001)による。(付記2.参照)
注4)視点1(時節)は、原則として元資料の歌にある季語により、初夏、仲夏、晩夏、三夏に区分した。
注5)視点3(部立)は『古今和歌集』の部立による。
注6)()書きに、補足の語を記している。
注7)《》印は、補注有りの意。補注は表2の下段に記した。
注8)元資料不明の歌には、業平集、友則集、素性集及び遍照集の歌を含む。元資料の歌も『新編国歌大観』による。
表1 古今集巻第三夏歌の各歌の元資料の歌の推定その1 (2018/11/5 22h 現在)
歌番号等(元資料の歌を指す) |
歌での(現代の)季語 |
ほととぎすの状況 |
視点1(時節) |
元資料と 視点2(詠われた場) |
視点3(部立) |
視点4 (作詠態度) |
1-1-135* |
藤(波) 山郭公 |
来ていない |
晩春(藤による) |
元資料不明 屏風歌b &相聞歌 《》 |
夏&恋 |
民衆歌 |
1-1-136 |
春(におくれて) |
―― |
初夏 |
元資料不明 宴席の歌 |
夏&雑体 |
知的遊戯強い |
1-1-137* |
さ月(まつ) 山郭公 |
来ていない |
初夏 《》 |
元資料不明 視点2保留(当該猿丸集歌と一緒に検討) |
夏 |
猿丸集歌の類似歌 (視点4保留) |
1-1-138 |
五月(こば)郭公 |
来ていない |
初夏 《》 |
伊勢集(第374歌) 《》 下命の歌 |
夏&雑歌 |
知的遊戯強い |
1-1-139* |
さつき(まつ)花橘 |
―― |
初夏 《》 |
元資料不明 屏風歌b 宴席の歌《》 |
夏&雑歌 |
知的遊戯強い |
1-1-140* |
さ月(きぬ)山郭公 |
聞きはじめ |
仲夏 |
元資料不明 挨拶歌 宴席の歌 下命の歌 |
夏&雑歌 |
知的遊戯強い |
1-1-141* |
花たちばな 郭公 |
聞きはじめ |
仲夏 |
元資料不明 下命の歌 宴席の歌《》 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-142 |
郭公 |
聞きはじめ |
三夏 |
元資料不明(友則集第8歌)《》 屏風歌b 外出歌 |
夏&羈旅 |
知的遊戯強い |
1-1-143 |
郭公 |
聞きはじめ |
三夏 |
元資料不明(素性集第18歌《》 挨拶歌 《》 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-144 |
郭公 |
よく耳にする |
三夏 |
元資料不明(素性集第19歌) 挨拶歌 《》 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-145* |
夏(山) 郭公 |
よく耳にする |
三夏 |
元資料不明 相聞歌 《》 |
夏&恋 |
民衆歌 |
1-1-146* |
郭公 |
よく耳にする |
三夏 |
元資料不明 相聞歌《》 |
夏&恋 |
民衆歌 |
1-1-147* |
ほととぎす |
よく耳にする |
三夏 |
元資料不明 視点2保留(本文4.で検討予定) |
夏 |
猿丸集の類似歌 (視点4保留) |
1-1-148* |
郭公 |
よく耳にする |
三夏 |
元資料不明 相聞歌 《》 |
夏&雑歌 |
民衆歌 |
1-1-149* |
郭公 |
共になく |
三夏 |
元資料不明 宴席の歌 《》 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-150* |
山郭公 |
共になく |
三夏 |
元資料不明 宴席の歌 《》 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-151* |
郭公 |
共になく |
三夏 |
元資料不明 相聞歌 |
夏&恋 |
民衆歌 |
1-1-152 |
山郭公 |
共になく |
三夏 |
元資料不明(小町集第7歌) 下命の歌 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-153 |
五月雨 郭公 |
共になく |
仲夏 |
寛平御時后宮歌合第54歌(友則集第10歌) 歌合 題は夏歌 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-154 |
ほととぎす |
共になく |
三夏 |
寛平御時后宮歌合第65歌(友則集第11歌) 歌合 題は夏歌 《》 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-155 |
花橘 ほととぎす |
共にできず |
仲夏 |
元資料不明(寛平御時后宮歌合と千里集に無し《》 歌合 題は夏歌 |
夏 |
知的遊戯強い |
表2 古今集巻第三夏歌の各歌の元資料の歌の推定その2 (2018/11/5 22h 現在)
歌番号等(元資料の歌を指す) |
歌での(現代の)季語 |
ほととぎすの状況 |
視点1(時節) |
元資料と 視点2(詠われた場) |
視点3(部立) |
視点4 (作詠態度) |
1-1-156 |
郭公 |
明け方にきく |
三夏 |
寛平御時中宮歌合第9歌(貫之集に無し) 歌合 題は夏歌 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-157 |
夏の夜 山郭公 |
明け方にきく |
三夏 |
寛平御時后宮歌合第73歌(忠岑集第22歌) 歌合 題は夏歌 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-158 |
夏山 郭公 |
うるさくなく |
三夏 |
寛平御時后宮歌合第56歌 歌合 題は夏歌 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-159* |
夏 郭公 |
うるさくなく |
三夏 |
寛平御時后宮歌合第62歌 歌合 題は夏歌 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-160 |
五月雨 郭公 |
うるさくなく |
仲夏 |
元資料不明(貫之集に無し) 下命の歌 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-161 |
ほととぎす |
なきやむ |
三夏 |
元資料不明(躬恒集に無し) 下命の歌&宴席の歌 《》 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-162 |
郭公 |
戻ってきてなく |
三夏 |
貫之集第643歌 《》 下命の歌 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-163 |
郭公 |
戻ってきてなく |
三夏 |
忠岑集第1歌 《》 相聞歌&挨拶歌 |
夏&恋 |
知的遊戯強い |
1-1-164 |
郭公 |
よく耳にする 《》 |
初夏 《》 |
元資料不明(躬恒集に無し) 挨拶歌&下命の歌 《》 |
夏&雑歌 |
知的遊戯強い |
1-1-165 |
はちすば つゆ |
―― |
晩夏 |
元資料不明(遍照集第34歌) 挨拶歌 《》 |
夏&雑歌 |
知的遊戯強い |
1-1-166 |
夏の夜 月 |
―― |
三夏 |
元資料不明(深養父集第11歌) 《》 宴席の歌&挨拶歌 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-167 |
とこ夏の花(なでしこ) |
―― |
初秋 |
元資料不明(躬恒集に無し) 挨拶歌 《》 |
夏 |
知的遊戯強い |
1-1-168 |
夏 秋 |
―― |
晩夏 |
躬恒集第446歌 《》 下命の歌 |
夏 |
知的遊戯強い |
補注
《1-1-135歌:男女の集団が唄い掛け合う際の相聞歌。民衆歌。》
《1-1-137歌:①初句は「五月を待つ」意。つまりこの歌の時点はさ月以前なので初夏。②二句と四句で切れ、当時は古い調べ。》
《1-1-138歌:初句の意は、まだ四月。だから、初夏。『伊勢集』において、屏風歌や歌合の歌の後にあるが、古歌が並ぶ前にこの歌は位置する。》
《1-1-139歌:①初句は「五月を待つ」意。つまりこの歌の時点はさ月以前なので初夏。花橘たまたま早咲き。②思い出しており、相聞ではない。宴席の戯れ歌か。しかし、月次の屏風絵にもふさわしい歌。》
《1-1-141歌:庭にある橘が咲いているのに寄せた歌ではないか。女官による下命の歌か宴席の歌。》
《1-1-142歌:『友則集』の成立は『古今和歌集』成立後であるため、元資料は不明とした。素性集なども同じ。》
《1-1-143歌:①二句が素性集は「なくこゑきけば」、古今集は「はつこゑきけば」。②二句が「なくこゑきけば」となるので、毎晩「恋せらる」状態。「はた」は当惑。即ち「友と語らん」という誘いの歌。》
《1-1-144歌:旧交を温めた席での挨拶歌。》
《1-1-145歌:遠くから聞こえるだけでは不満。近くで顔を見たい意。相聞歌。》
《1-1-146歌:①「ふるさと」は、1-1-42歌と同様に昔馴染みの土地、の意。「わかれにし」は、「あの人と別れてしまったところの場所である」、の意。②今は独りでほととぎすが鳴くのを聞いたが、昔は二人で聞いたのに、と再会を乞う相聞の歌。》
《1-1-148歌:よみ人しらずの歌で、緑(ときはぎ)紅を対比させている民衆歌。》
《1-1-149歌:声だけ聞こえるほととぎすに作者は袖を貸す手段がない。袖を貸せるところの近くにいる同席の女または男をほととぎすにたとえる。》
《1-1-150歌:下手な朗詠をする同僚をからかう。宴席の歌。》
《1-1-152歌:古今集の作者名を信じる。》
《1-1-154歌:五句が寛平御時后宮歌合では「すぎがてにする」、古今集は「すぎがてになく」。》
《1-1-155歌:千里集に無い。寛平御時后宮歌合にも無い。》
《1-1-160歌&1-1-161歌:古今集の詞書を信じる。》
《1-1-162歌:①古今集の詞書を信じる。②三句が貫之集は「なく時は」、古今集は「鳴くなれば」。③「まつ山」が、当時の名所であるならば、屏風歌bの可能性がある。古今集ではその詞書より作中の主人公は、ようやく聞いた鳴き声が、成就した恋と重なり、うれしさがこみあげてきたと詠う。》
《1-1-163歌:①初句が忠岑集は「いにしへや」、古今集は「むかしへや」。②初句が「いにしへや」なので相聞の歌。ふるさと即ち我がもとにという歌。③古今集は、その詞書により「ふるさと」は昔馴染みの土地、の意であり、1-1-146歌とともに巻第三での「ふるさと」という語句の意は一種に統一されている。》
《1-1-164歌:①卯の花は、「憂」の枕詞。五句「なきわたる」により、卯の花の四月もホトトギスは鳴くので、元資料集の歌としては初夏としたが、卯の花を枕詞として重視しなければ晩夏の季節となる。②ほととぎすは「なきわたる」ので「よく耳にする」状況と思われる。③古今集の作者名を信じる。述懐の歌とすればだれかへの挨拶歌か。 またはほととぎすを題とした下命の歌か。》
《1-1-165歌:①上句は法華経湧出品の「世間の法に染まざるは蓮花の水に在るが如し」によるという。現代で言えば法話の席で披露したか。挨拶歌ととりあえず分類する。②初句の「はちす」により晩夏。》
《1-1-166歌:初句「夏の夜」により三夏。四句が深養父集は「雲のいづこに」、古今集は「雲のいづくに」。》
《1-1-167歌:古今集歌の詞書に「をしみて」と明記し、花の咲いている時期に注意を向けさせている。》
《1-1-168歌:三句が躬恒集は「かよひぢに」、古今集は「かよひぢは」。古今集の作者名を信じる。》
(補注終り)
付記2.付記2.俳句での夏の季語(季題)について
① 『平井照敏編NHK出版季寄せ』(2001)は、夏の季語を夏(立夏から立秋の前日まで)の全体にわたる季題(三秋)と、季の移り変わりにより初仲晩に分かれる季題に分類している。
② 夏の季語の例を示す。
三夏:夏、夏の月、夏木立、短夜、ほととぎす、青葉、滝、涼し、(岩)清水
初夏:夏立つ、卯月、ときはぎおちば、葉桜、緑、新緑、若葉、葉柳、卯の花、
仲夏:さ月、五月雨、あじさい、菖蒲(又はあやめ草)、花菖蒲、花橘(又は橘の花)、かきつばた、柿の花
晩夏:水無月、蓮(又ははちす、帚木(ははきぎ)、夏萩、(空)蝉、百日紅、秋近し、夜の秋、涼む、納涼
③ そのほかの季節の例を示す。
晩春:藤(波)、草(山)藤、(葉)山吹、花、花の陰、月の花、(山・八重・里)桜、花の雪、若草、(青)柳、松のみどり、緑立つ、つつじ、花見
三秋:露、霧、月、朝の月、月夜、月渡る、初月
初秋:とこなつのはな(又はなでしこの花)、蓮の実、萩
晩秋:橘(の実)、紅葉、露寒
④ これは、現代(正確には約20年前の(西暦)2000年頃)における認識である。
季題をまとめた歳時記は、太陽暦を使う現在の季節感や実生活を反映し定着したしたものを加え、重要でないものは削るなどして、各種編集出版されている。
(付記終り 上村 朋)