わかたんかこれ 猿丸集第34歌 こじま

前回(2018/10/22)、 「わかたんかこれ 猿丸集第33歌 にほへるいろも」と題して記しました。

今回、「猿丸集第34歌 こじま」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第34 3-4-34歌とその類似歌

① 『猿丸集』の34番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

  3-4-34歌 山吹の花を見て

   いまもかもさきにほふらんたちばなのこじまがさきのやまぶきのはな

3-4-34歌の類似歌: 1-1-121歌   題しらず     よみ人知らず 

    今もかもさきにほふらむ橘のこじまのさきの山吹の花

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句と四句で各1文字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、女が男を誘う歌であり、類似歌は、特定の土地の山吹を懐かしんでいる歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は、 『古今和歌集』巻第二春歌下にあります。巻第一春歌上と同様に、巻第二春歌下の歌の元資料の歌について、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第33歌 にほへるいろも」(2018/10/22)で検討した結果を、同ブログの付記1に示してあります。元資料が不明であった元資料歌は、詞書を省いて、歌本文のみの歌として原則検討しています。

古今和歌集』の編纂者は、巻第二春歌下にある歌の元資料の歌を、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分して歌群を五つ設け、歌群単位で時節の進行を示すよう、歌を並べていることを確認しました。

この類似歌は、その三番目の「藤と山吹による歌群 (1-1-119~1-1-125歌 )にあります。

② その歌群の中の配列の検討もすでに3-4-33歌を検討した前回(2018/10/22のブログ)に行い、

第一 愛でてきた春が通り過ぎてゆくのを、ふぢと山吹に寄せて詠う歌群である。

第二 詠われている山吹は、作者の眼前にはないヤマブキである可能性が高い。

という結果を得ました。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

「昔とかわらずただ今も咲き匂っていることであろうか、橘の小島が崎(地名)のあの山吹は。」(久曾神氏)

「かって楽しく遊んだ橘の小島の崎の山吹の花は、この好季節に恵まれ、今ごろはみごとに咲きほこっていることだろうか。」(『日本古典文学全集7 古今和歌集』)

② 初句「今もかも」に関して久曾神氏は、「「も」は添加の助詞。「か」は疑問の助詞。下の「も」は感動の助詞。「昔と同じようにいまもまあ」、の意」と指摘し、『日本古典文学全集7 古今和歌集』では、「二つの「も」は語気を強める機能をもつ。「か」は詠嘆的疑問。「も」と複合するのは古い語法。」と指摘しています。

③ 二句にある「にほふ」に関して、久曾神氏は、「「にほふ」には、色彩の場合もあるので、「美しく照り映える色彩」の意として、初句~二句は山吹の花にかけて見るべきである。「にほふ」を香りの意とすると橘の方(を修飾すると考えるの)が適しているので、三句の橘にかかる序詞とみることになる。この歌は、山吹の花の歌である。」としています。

④ 「橘のこじまのさき」について、久曽神氏は、「具体的にはどの地をさすかは不詳であり、宇治川の北岸で、平等院の東北、橘姫神社付近か。」といい、『日本古典文学全集7 古今和歌集』では「ひとつの地名であろう。奈良県高市郡明日香村橘であったとも、京都府宇治市付近の宇治川であったともいう。後者は源氏物語で有名。」といい、「真淵は語句が古風な歌だといい、契沖は奈良時代の人が藤原の古京を思って詠んだ歌かという。それほどでないとしても、『古今集』では古い歌であろう。」とも指摘しています。

⑤ この二つの現代語訳の例は、『古今和歌集』巻第二における配列からの条件(上記2.の②参照)を満足しているといえます。

また、これらの訳では、「橘」を地名とみて、山吹が咲いている場所を、「(橘の)小島が﨑」あるいは「(橘の)小島の﨑」と特定しています。

しかし、格助詞(橘)「の」は、連体修飾語をつくる連体格の助詞であり、「橘」を地名と理解しない解釈も可能です。例えば、「(植物の)橘で有名な」とか「あの花橘のある」と理解しても、「小島が﨑」あるいは「小島の﨑」を修飾している語句になり、山吹が咲いている場所を特定していることに変わりありません(歌にある「橘のこじま」の理解に無理がない、といえます。)

この二つの訳のように、初句と二句は五句にのみにかかるとするならば、素直に次のように詠んでも良いところです。

   1-1-121a  橘のこじまのさきに(「の」を変更)今もかもさきにほふらむ山吹の花

このような語順でも、「橘のこじま」という語句における「橘」は地名か「橘で有名な」などの意か、の選択が残りますが、「今もかもさきにほふらむ」は確実に山吹のみに関して述べており、「橘」にかかる語句ではありません。

しかるに、類似歌は倒置法で述べています。このため、歌に登場する花すべてを積極的に、初句と二句で形容しようとしているのではないかという疑問が生まれます。

⑥ 植物の「たちばな」は、ただ一つの日本原産とされる柑橘類で古代は柑橘類の総称でした。そのうちのニッポンタチバナが「橘(たちばな)」です。常緑小高木で初夏に白色五弁の花を咲かせ芳香があり、実は小さくて酸味が強く当時食用にしていないそうです。

 植物の「たちばな」は、現代の季語では晩秋であり、花橘(橘の花を見る頃)は、仲夏です。太陽暦では5月~7月に花を楽しめ、静岡県以南なら自生しています。

 また、「山吹」は、現代の季語では晩春であり、その花を見るころは太陽暦では4月~5月です。花橘と山吹の花を同時に楽しめる時期があり、また山吹に続き花橘を楽しめる時期が連続しているとも言えます。

 二句にある「さきにほふ」が、歌に登場する花すべてを対象に用いていることができる時期があるということです。

 「橘の」の意を再確認する必要がある、と思います。

⑦ さらに「橘」に寄せた有名な歌が『古今和歌集』に既にあるので、その歌を前提とした「橘」の理解の可能性も確認し、類似歌の現代語訳を試みたい、と思います。

 

4.類似歌の検討その3 「橘(たちばな)」について

① 「たちばな」には、およそ3種の意味があります。即ち、植物の「たちばな(柑橘類の1種である橘)」と、地名の「たちばな」と、氏族名の「橘氏」です。「こじま」は小さい「しま」であり、「しま」には島以外の意味がありますが当面「島」と限定して検討します。

② 詞書は「題しらず」ですので、特別の情報は得られません。

 この歌の語彙での特徴は、格助詞「の」が4回用いられていることです。格助詞「の」は、連体格の助詞のほか、同格の助詞や主格の助詞などの意があります。

 先にあげた訳例では、連体格の助詞として、「の」に続く体言(または準ずる語句)にかかってその意味内容を限定している、と理解した例です。「山吹の花」の所在地を、下句は地理的に順に限定していると理解しています。

 また、この歌の動詞は「さきにほふ」の一個所であり、この個所の動詞は、連語とみなした一語あるいは連続する「さく」と「にほふ」の二語だけです。

③ 植物の「たちばな」に関しては、有名な歌があります。『猿丸集』の編纂者もよく知っているはずの歌です。

 1-1-139歌  題しらず     よみ人しらず

    さつきまつはなたちばなのかをかげば昔の人のそでのかぞする

 この歌以降(つまり『古今和歌集』編纂後)、植物の橘は懐旧の情、とくに昔の恋人への心情と結びついて詠まれることが多いとの指摘があります。この歌を前提として理解しようとすると、植物の「たちばな」は昔の恋人のいる小島(地名)という理解が可能となります。

④ 植物の「たちばな」の花の時期などは、上記3.⑥に述べました。 

この歌で、三句の「橘」という語句が植物の「たちばな」を指しているとすると、植物の「たちばな」がある「こじま」という地名あるいは普通名詞の「小島」という理解が可能です(「の」は連体格の助詞)。また、植物の「たちばな」が合せて何かを指す代名詞・略称でもあると理解すれば、植物の「たちばな」とともに「たちばな」とも呼ばれる場所である「こじま」という地名をも修飾しているという理解も可能です(「の」は連体格の助詞の意)。

 次に、この歌で「たちばな」が地名である(植物の「たちばな」の意を持っていない)とすると、詠われた頃の地名の「たちばな」は、諸氏によると当時由緒ある地の名でなかったようです。奈良文化財研究所の「古代地名検索システム」で検索すると、大和国に登録されている郷名が210山城国には112ありますが、「橘」、「立花」の郷名はありませんでした。ただ、武蔵国に「橘樹」の郷名が一つあり、その郡名も「橘樹」でした。また常陸国に「橘樹」の郷名が一つあり、郡名にはありません。下総国に郷名「橘川」が一つ、常陸に「立花」の郷名がひとつ各一郡にあり、伊予国に「立花」の郷名が三郡にありましたが郡名にはありませんでした。また、「小島」という郷名も山城国大和国にありませんでしたが、「埼」という字がある郷名は、山城国の山埼や但馬国の城埼を初めとしていくつもあり、丹波国には木前(きさき)という郷名もありました。(2018/10/29現在)。

山背国や大和国に、ごく小さなエリアの地名(郷のなかの集落名)として「橘」がある可能性はあります。

その「橘」という集落の中をさらに細分して「こじま」という地名(小集落)がある、ということを歌が示唆しているとすると、随分と作者にとり大事な思い出のある場所のようであり、それを詠い込んだ歌を『古今和歌集』の編纂者がここに採っているので、編纂者はその拘りを承知しているのではないかと、推測しますが、それにしては伝説などが伝わっていません。それよりも、「こじま」は普通名詞であって「ちいさい島(小島)」と理解したほうが素直であると思います。

⑥ 「小島」と呼べるようなものに、川の中州がありますが、池や沼の中に生じる島もそう呼ぶことが出来ます。「橘」という集落が池や沼や川に接していたと想定すれば、「橘のこじま」とは、「橘という集落近くを流れる川にある小さな中州(あるいは近くにある池や沼の中の小さな島)の意となります。「さき」を、先頭とか前方の意と理解すると、当該地に立った作者からみて遠くに位置するその島の先端・岸の意ではないか。突き出した陸地(岬)の意となるのは、「こじま」が地名の場合です。

山間部を出た川は、現在のような人工の堤防が無いので自然堤防自体を変化させながら色々な派川を生じさせます。当時の人々は、派川とその間の微高地や湿地帯や旧派川のところに出来た沼などのエリア(流水が現にある部分と耕作できない草原や荒れ地)を川と認識していたのではないでしょうか。ときに瀬となり淵となるとは、突然の流水により流れが変わるなど(派川の数が増減する)ことから生じます。また、川を表現するのに、特定の地名が用いられたり、同じ水系の川が通過する地の名をもったいくつもの通称名を用いたりしているのは今もあります。

⑦ 三句と四句に「橘のこじま」と表現されている「橘」という集落を平安京からも平城京からも近いところで探すならば、山城国では木津川と巨椋池周辺、及び大和国では大和川佐保川飛鳥川などが合流する周辺が候補地になるでしょう。

山背国や大和国以外に「橘」という集落を比定することも不自然ではありません。その場合は、官人として勤務した国にある地名として「橘」を歌に詠んでいることになり、この歌(1-1-121歌)が野の花としての山吹を懐かしんでいることから、この歌は離任にあたりあるいは帰京の途次においてその国を誉めている挨拶歌となります。さらに、よみ人しらずの挨拶歌であるので、入替可能な集落名の代表として『古今和歌集』編纂者が採用したのが「橘」であると推測すると、元資料の歌は、「橘」という地名に拘ることがなくなり、その勤務地にある地名に色々置き換えられて披露されていた歌ということになります。

⑧ 現在、立花が町名である市は愛媛県松山市や福岡県八女市などいくつかあります。

 「こじま」は、集落名として現在(町の名として)残っているところがあります(東京都調布市小島町や長崎県佐世保市小島町など)。ただ、「大字橘子字小島」があるかどうかはわかりませんでした。また、「さき」に「﨑・埼」の字があてられる地名は、茅ケ崎(市、旧町村名でもある)、龍ヶ崎(市、市内に龍ヶ崎町無し)、鎌倉市稲村ケ崎)などありますが、「○○の﨑」という地名は知りません。○○の鼻という地名は海に面して全国にいくつもあります。

⑨ 次に、この歌で、橘が氏族名の「橘氏」であるとすると、「こじま」は橘一族の誰かを指している、と理解することができますが、誰を指すのかわかりませんでした。詠うのであれば略称か通称かあだ名かとなっている可能性はありますが、「こじまのさき」という表現の意味がつかめないでいます。

また、弘仁13年(822年)に橘常主(奈良麻呂孫)が約70年ぶりの橘氏公卿となっています。さらに嵯峨天皇の皇后・国母壇林皇后となった橘氏の嘉智子に遠慮して、承和年間(834~848)ころ他系統の橘一族は椿氏とか二字の氏名としたり、地名も立花とか橘樹と二字化しています(『苗字の歴史』(豊田武)。また、大同4年(809)~嘉祥2(849)ころの天皇は、嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇(父は嵯峨天皇、母は橘嘉智子)です。

このように、一旦地位を高めた氏族名が「橘」です。

この歌が、『古今和歌集』のよみ人しらずの時代の歌であるとすると、大同4年(809)~嘉祥2(849)ころの作詠時点となり、地位が高まった頃の歌となりますが、『古今和歌集』など三代集が編纂された頃ならば橘氏への遠慮はなくなっていたかもしれません。

当時、和歌が、清濁抜きの平仮名で書き記されていたというので、『古今和歌集』では「たちはな」という表記であったとしても氏族名でこの表記に該当するのは「橘氏」しかないものの、「橘氏」という理解は「こじまのさき」で行き詰まってしまいました。

⑩ 以上の検討をまとめると、この歌で、「橘のこじま」の意は、

第一 植物の「たちばな」がある普通名詞の「小島」というよぶことができる場所

第二 植物の「たちばな」とあわせて「たちばな」と冠して呼ばれる「こじま」という地名あるいは普通名詞の「小島」

第三 昔の恋人のいる「こじま」という地名の場所。(この場合は初句と二句が三句の序詞と理解します。)

第四 郷名より小さい範囲を指す地名である「たちばな」の近くにある川の中州や池どの中の島

が候補となります。 

 ただし、これらの案は「こじま」の「しま」は島と仮定した検討結果です。

⑪ この4案を、作者が詠む場面は、第一と第二と第四の場合、上記⑦で検討した離任にあたりその国を誉めている挨拶歌を披露する宴席がまず浮かびます。また、単に山吹の花などが咲いている故郷を、詠った歌とすると、喜寿を機に集まった同窓会のような会合に可能性があります。そのような宴席が当時設けられたとすると、平城京(又は藤原京)に戻りたい天皇家の誰かが主催者の可能性があります。しかし、『古今和歌集』の歌としては、今の御代を賛歌するという観点から編纂されるでしょうから、このような経緯を皆が承知している歌は相応しくないでしょう。

第三の場合、恋歌として、おくる相手はどのような人になるのでしょうか。受け取ってもらえる人はどんな人でしょうか。詞書に事情を示唆してほしいところです。

このため、この歌は、上記⑦で検討した離任にあたりその国を誉めている挨拶歌、穏やかに地方が治まっているのを寿ぐ宴席で披露した歌ではないでしょうか。しかし、元資料の歌に関してはそうであっても、『古今和歌集』巻第二におく春歌としては、山吹に寄せた春の歌として第一に理解すべきであり、古今和歌集』巻第二における配列からの条件(上記2.の②参照)を満足するような理解で十分のはずです。

倒置法が一つの技巧であることに留意して現代語訳を試みたほうがよい、と思います。

 

5.類似歌の検討その4 現代語訳を試みると

① 先の現代語訳例は、初句「今もかも」の、「か」は疑問の助詞とし、二つ目の「も」は感動の助詞とか語気を強める機能を持つと理解しています。「か」には、そのほかに、「香」の意もあります。「今もかも」とは、「今も(あの)香も」、の意という理解です。

 春の歌として、花橘も山吹も意識した初句であってよい、と思います。

② この歌で、動詞は、二句にある「さきにほふ」の一個所(動詞句)しかありません。連語としては「美しく咲く」意ですが、「咲く」と「にほふ」の二語からなると理解すると、二語動詞があることになり、「咲く」ことと「匂う」ことの二つを「らむ」と推量している、という意になります。

 この動詞句の主語は、五句にある「(山吹の)花」と三句にある「橘」と初句にある「か」の3つがあることになります。主語はその一つであると限定しない理解が倒置法の語順により可能です。

 先の現代語訳例では、五句の「(山吹の)花」のみを「さきにほふ」と表現していると理解している例です。

 この歌は、『古今和歌集』の配列からは、山吹を題材にしている歌ですが、春の歌ですので、それに差し支えない限りは、この動詞句の主語がいくつあってもよい歌です。

③ 二句にある「さきにほふ」のは香りもある花橘であり、美しく咲くのは山吹である、と作者が認識していて春の歌として不自然ではありません。そのような花橘と同音の土地があれば、春の歌にとりいれて困ることはないでしょう。

④ 和歌には、山吹を「にほふ」と形容している歌が、三代集においてはこの類似歌(1-1-121歌)のほか1首(1-3-1059歌)あります。春風とともに詠んでおり香りを詠んでいるかに見えますがどうでしょうか。『貫之集』では句頭に「やまぶき」とある3首のうち2首が「にほふ」と詠んでいます。

⑤ 三句と四句にある「橘」と「こじま」は、上記4.で検討したように、4案ありますが、「第二 植物の「たちばな」とあわせて「たちばな」と冠して呼ばれる「こじま」という地名あるいは普通名詞の「小島」をベースにして、「第四にいうように 「こじま」は川の中州や池などの中の島」と理解したいと思います。

⑥ 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「今も昔と変わらずに咲きそして香っているだろうなあ。あの花橘も。その橘と同音の地の近くを流れるあの川の小さな中州の先のところに繁茂している山吹の花も、勿論美しく咲いているだろうなあ。」(三句「橘」は植物と小集落の名をも指す)

 先の現代語訳の例とは、地名の比定地が朝廷の支配地全域に広がっている点も違うところです。

⑦ 三句の「橘」が諸氏のいうように地名であるならば、『古今和歌集』の編纂者が代表的地名として「たちばな」の地名を用いた歌にしたのではないか、と想像します。官人として地方勤務の官人の離任の際の歓送の宴席での挨拶歌が元資料の歌ではなかったか、という推測です。

例えば、伊予国を例にすると、

   1-1-121b  (現在の道後温泉周辺を念頭に)

温泉(ゆ)の郡こじまのさきに(「の」を変更)今もかもさきにほふらむ山吹の花

   1-1-121c  伊予国国分寺のある現在の今治周辺を念頭に)

桜井のこじまのさきに(「の」を変更)今もかもさきにほふらむ山吹の花

 

挨拶歌であれば、作者がなぜ懐かしんでいるのか、の理由がわかります。勤務した国の礼賛であり、在地の官人たちへの感謝の気持ちの表現です。

そして、橘という地名は、承和年間(834~848)ころ地名も立花とか橘樹と二字化しているとのことなので、古今和歌集』の編纂者の時代には旧名が「橘」の郷名や集落名があったのは知られていたことでしょう。当時、和歌は平仮名表記されている文学であったのですから、「橘」という文字の地名を探すのは不適切であったかもしれません。

⑨ 四句の「こじま」の「しま」を「島」と仮定して検討してきましたが、誤解ではないようです。

⑩ さて、類似歌の元資料の歌が詠われた(披露された)場所についてここまで保留してきましたが、上記現代語訳であるならば、挨拶歌・宴席の歌、となります。

 

6.3-4-34歌の詞書の検討

① 3-4-34歌を、まず詞書から検討します。

 この歌の直前の歌3-4-33歌の詞書にも山吹が登場しています。「やへやまぶき」と明記し、歌では「やまぶきのはな」と詠んでいますが、結局植物ではなく、山吹襲であり男が着用している下襲でした。そして、作者が植物の山吹の花を眼前にしている必然性がない歌でした。

この歌3-4-34歌では、詞書に「山吹の花(を見て)」と明記し、歌でも「やまぶきのはな」と詠んでいます。

 そして「(山吹の花を)見て」と詠むきっかけが眼前にある「やまぶきのはな」であることも明記しています。それが実際の花なのか又は描かれた花であるかはわかりませんが、目の前にある山吹の花が詠むきっかけであることをこの詞書は示しています。

③ 3-4-34歌の詞書の現代語訳を試みると、次のとおり。

「山吹の花を見て(詠んだ歌)」

 

7.3-4-34歌の現代語訳を試みると

① この歌は、類似歌とは、清濁抜きでほぼ同じです。同音異義の語句があるはずです。ここまでの『猿丸集』の歌は、男女の間の歌が大変多い。また、橘い関する有名な歌がありますのでそれらをヒントに検討すると、同音異義の語句の候補として、一文字が類似歌と異なる「たちばなのこじまがさき」が浮かんできます。

 「橘のこじまがさき」は、

 名詞で有名な歌を踏まえた「たちばな」+格助詞「の」+動詞「来」の未然形+打消し推量の助動詞「じ」の連体形+名詞「間」+格助詞「が」+名詞「先・前」

である、と思います。

② 名詞「先・前」は、「a先頭・先端 b前方 c以前・まえ d前駆(貴人の通行の際、前方の通行人などを追い払うこと また追い払う人)」(『例解古語辞典』)の意があります。

 1-1-139歌を前提にして「橘のこじま」は、凡そ、

 「(昔の恋人まがいになった)貴方が来ないであろう日々(間)の前駆(山吹の花が咲いた)」

という意ではないか、と思います。

③ 初句「いまもかも」は、「今も香も」の意であり、「さきにほふ」のは三句の「たちばな」です。初句と二句は三句の序詞とも理解できるところです。

 詞書にあるように「山吹の花を見て」詠んでいるので、山吹の花に関して「さきにほふらん」と推測することは無いでしょう。

 二句「さきにほふらむ」とは、「今も、香も(かぐわしいだろう)」、の意で、「たちばな」とともに1-1-139歌を想起させてくれます。

④ この歌は、春の歌ではなく、恋の歌の類なので、花が咲いているか香り豊かかは二の次であっても止むを得ません。

⑤ 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「今もその香りが花色に合わせて立ち昇っているだろう橘に喩えたい貴方が、来ないであろう日々が続く前駆として山吹の花が咲きはじめたのでしょうか。」

⑥ この歌を付けて山吹の花を、作者は届けさせたのだと思います。女から誘いをかけた歌です。

 

8.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-34歌は、詠むきっかけが、目の前にある(実際の花か描かれた花である)山吹の花にあることを示しています。これに対して類似歌1-1-121歌は、「題しらず」という詞書からは詠むきっかけが不明です。

② 四句の語句が異なります。助詞が異なっており、この歌3-4-33歌は「こじまがさきの」であり、「来ないであろう日々が続く前駆として」、の意です。これに対して類似歌1-1-121歌は「こじまのさきの」であり、「小さな中州の先のところに」、の意です。

③ この結果、この歌は、1-1-138歌を踏まえて男にお出でを乞う歌であり、類似歌は、特定の土地の山吹を懐かしんでいる歌です。

 

9.和歌の理解のありかた

① このブログでは、『新編国歌大観』記載の表現で歌の検討することを原則としてきましたが、この歌の類似歌(1-1-121歌)では、その『新編国歌大観』記載の表現の三句にある「橘」という表現に拘りすぎました。

② 和歌において、三代集で「立花」と表現している歌は『新編国歌大観』にありません。和歌における「たちばな」はいつ頃から「橘」と表現するのが慣例になったのかは解明すべき事柄の一つと思います。 

和歌は、本来清濁抜きの平仮名表記されたものである、という原則に戻り、「平仮名」表記が地名を意味していると思われる歌の場合、その比定地は当時の地名表記の実際にあたって検討すべきであり、さらに念のために地名以外の可能性をも確認する手順は欠かせないと思いました。

③ この歌も類似歌も、同音異義の語句がいくつかありました。 これまでの歌でもそうでしたが、詞書を含めてその利用は、本来清濁抜きの平仮名表記でこそのものです。この点からも、清濁抜きの平仮名表記の歌として理解すべきことをこの歌で痛感したところです。

 さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような仮名書きの歌です。

 3-4-35歌 あだなりける女に物をいひそめて、たのもしげなき事をいふほどに、ほととぎすのなきければ

    ほととぎすながなくさとのあまたあればなをうとまれぬおもふものから 

 

 3-4-35歌の類似歌:1-1-147歌 題しらず     よみ人知らず」  (『古今和歌集』巻第三 夏歌)

    ほととぎすながなくさとのあまたあれば猶うとまれぬ思ふものから

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/10/29   上村 朋)