わかたんかこれ 猿丸集第28歌その2 やまのかげ

前回(2018/9/3)、 「猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」と題して記しました。

今回、「猿丸集第28歌その2 やまのかげ」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第28 3-4-28歌とその類似歌

① 『猿丸集』の28番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-28歌  物へゆきけるみちに、ひぐらしのなきけるをききて

ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬとおもへばやまのかげにぞありける

 

3-4-28の類似歌  1-1-204歌   題しらず         よみ人知らず 

ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬと思ふは山のかげにぞありける   

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、四句の一部と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、夕方の外出時の出来事の歌であり、類似歌は、夕方近くの建物内の出来事の歌です。

 

2.~5.承前

6.類似歌の検討その5 前後の歌から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌から、検討します。

類似歌は 『古今和歌集』巻第四秋歌上にあるので、巻記載の歌とその元資料とを前回(2018/9/3)検討しました。

その結果、つぎのようなことがわかりました。

     古今和歌集』の巻第四秋歌上にある歌の元資料の各歌は、現代の俳句の季語の区分でいうと初秋の歌と雁を含めた三秋の歌となり、80首すべてを初秋の歌として配列し得る歌である。

     古今和歌集』の巻第四秋歌上は、元資料の歌を、現代の俳句の季語相当の秋の景物を選び、それに寄せて新たな詞書のもとに元資料の歌を順に配列している。

・ その景物ごとの歌の集りを歌群と称すると、歌群ごとに歌の内容は独立している。最初の歌群は立秋の歌であり巻第一春歌上に倣っている。

・ 類似歌を含む歌群(きりぎりす等虫に寄せる歌:1-1-196歌~1-1-205歌)の最初の一首には「・・・きりぎりすのなきけるをききてよめる」とあり、その後に題しらずの歌が8首続く。ひぐらしに寄せる歌は2首だけで最後に並んで記載されている。類似歌とその前後の歌とのつながりは、各歌の内容でみなければならない。

今回、それをまず検討します。

② 類似歌を含む歌群の前後の歌群での配列をみると、一つ前の歌群(月に寄せる歌:1-1-189歌~1-1-195歌)は、月を見ての感興を詠う5首のあとに、月そのものへの推測1首と月の光の恩恵の歌1首の順になっています。

 次の歌群(かりといなおほせとりに寄せる歌:1-1-206歌~1-1-213歌)では、初雁の鳴き声自体への感興、いなおほせどりが鳴き寄せた雁への感興、雁の到来の早いことへの感興の歌となり、最後の歌は雁の鳴き声を自分の身に重ねての感興の歌です。いずれも、歌群の最初と最後の歌では、だいぶ内容が異なっています。この巻の最初の歌群(立秋の歌)でも、最後の一首のみ二時点を比較しているおり、又、七夕伝説に寄り添う歌群でも、最後の2首は後朝の歌となり、歌群のはじめと終わりの歌は趣を異にしています。

③ この類似歌を含む歌群(「きりぎりす等虫に寄せる歌:1-1-196歌~1-1-205歌)の歌は、すべて虫が鳴いている景の歌です。鳴く虫が順次変わります。歌にある現代の季語( 『平井照敏NHK出版季寄せ』(2001)による。前回(2019/9/3)のブログ付記1.参照。)を『新編国歌大観』記載の歌より示すと、つぎのとおり。

1-1-196歌 蟋蟀(きりぎりす)  秋の夜

1-1-197歌  むし   秋の夜   

1-1-198歌  きりぎりす  あき萩        

1-1-199歌  むし  秋の夜、つゆ、   

1-1-200歌  松虫      

1-1-201歌  松虫   秋のの  

1-1-202歌  松虫  あきのの  

1-1-203歌  松虫  もみぢ   

1-1-204歌  ひぐらし

1-1-205歌  ひぐらし

④ 単に「虫」とある歌は前歌の虫(きりぎりす)と理解できます。(元資料の歌をそのようにとれるように編纂者が並べている、と判断してよい)。

 これをみると、最初の歌1-1-196歌から、2首ずつ対となる歌を並べているかに見えます。

 即ち、最初の2首は、きりぎりす(現在のこおろぎ)が一晩中鳴くのと自分の思いの長いことを重ねて詠っています。この2首のそれぞれの元資料は、共に知的遊戯の強い歌です(前回(2019/9/3)のブログ付記3.の表2参照。以下同じ)。

次の1-1-198歌と1-1-199歌は、虫のほか、もう一つの季語とあわせ、きりぎりすが一晩中鳴く理由を推測しており、最初の2首とは異なる趣旨の歌となっています。元資料は、それぞれよみ人しらずの歌なので、官人である歌人が記録した歌ですから、記録した官人が連なることができる宴席で朗詠する価値のある歌であったということです。元々は集団の場の民衆歌であり、一方が他方に謡いかけた歌ではないかと推測します。1-1-198歌は、『猿丸集』第38歌の類似歌でもありますので、検討して下記12.に記しているように、「あき萩は鹿の妻となったがこおろぎ同様私は妻に(なるべき人に)行き合えていないで今年の秋は悲しい」の意を含み、この歌を承けた1-1-199歌は、「露はこおろぎにとり辛いだろう(私にも涙流れる秋の夜はつらい)」と1-1-198歌の作者に同調しています。この2首が並んでいるのでこのような理解もできるところです。

次の2首(1-1-200歌と1-1-201歌)は、松虫の「松」に人を「待つ」の意を掛け、待っている人の立場と来訪者の立場の歌を並べかつ悲しさを催させる鳴き声と人を暖かく呼ぶ鳴き声との対比をさせています。ともに元資料は相聞歌です。

最後の2首(1-1-204歌と1-1-205歌)は、下記7.以下のような検討をしたところ、季語のひぐらしの鳴くのを聞く作者の居る場所は同じで夕方に寄せた歌ですが、詠っている作者の感興が異なります。前者の元資料は知的遊戯の強い歌であり、後者のそれは相聞歌にもなり得る歌です。

⑤ また、1-1-196歌から1-1-203歌までは夜の景ですが、最後の2首は、夜の景ではない歌です。これからも、1-1-204歌と1-1-205歌は松虫の景の歌と同様に、対の歌としてここに編纂者はおいている、と理解できます。

⑥ なお、ヒグラシは、セミの一種であり、『世界大百科事典』によれば、「平地~1500mくらいの山地に広くみられ、薄暗い林中にすみ、特にスギ・ヒノキ植林地域に多い。おもに明け方と夕方に鳴くが、日中でも降雨前やガスが濃くかかったときにはよく鳴く。鳴き声は、高音でキキキ・・・、あるいはカナカナ・・・と聞こえ、カナカナなる別名がある」セミです。

 

7.類似歌の検討その6 現代語訳の例

① ひぐらしを詠う2首に関する諸氏の現代語訳の例を示します。

② 2-1-204

     ひぐらしが鳴きはじめるとともに、暗くなって日が暮れたな、と思ったのは、そうではなくて実は山かげに入ったのであった。」(久曾神氏

     「蜩が鳴きはじめたのと同じくして、日が暮れたな、と思ったのは、その時私がいたのが山陰だったからなのだ。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

③ 久曾神氏は、二句を「なきつるなべに」として訳注し、「なべに」は「同時に、とともに」の意とし、「鳴いたちょうどその折」としています。さらに、氏は「歩いているうちに、ひぐらしが鳴きはじめ・・・」と説明しています。

『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』では、四句にある「思へば」に校注を施し、古写本には「見しは」、「見れば」、「思ふは」とあるものもあるが、どれもだいたい同意義である。としています。そして、「山でも斜面の南側なら、ヒグラシが鳴きはじめても急に暗くならない。そういう細かな観察ができたのは、山中かその近くで暮らしていた人であろう。この歌では、私が山陰にいるのだとも、蝉が鳴いている場所が山陰だったも解せる。」と説明しています。

この訳例の注釈には疑問がありますので、さらに検討します。

④ ひぐらしを詠うもう1首の歌は次の歌です。その現代語訳の例を示します。

1-1-205     題しらず    よみ人しらず

     ひぐらしのなく山里のゆふぐれは風よりほかにとふ人もなし

     「蜩が鳴きしきる山里の夕暮時には、風以外にはただ一人の人さえ私を訪ねてくれない。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

⑤ 風が擬人化されています。風の訪れを楽しんでいるかにも理解できる歌です。1-1-204歌との共通点はひぐらしと夕暮の2項目ありますが、同一の感興を詠った歌ではありません。ヒグラシに寄せて、1-1-204歌はある瞬間の出来事を詠い、1-1-205歌は時間単位というよりも日数で数えるほどの長い時間に渡る出来事を詠っています。この訳例は、妥当なものである、と思います。

 

8.類似歌の検討その7 現代語訳を試みると

① 類似歌1-1-204歌の訳例は、作者の居るところに関して違和感があります。巻第四秋歌には外出中の歌も無いわけではありませんが、その歌の詞書で、外出時の歌であるのを明らかにしています。この類似歌の詞書は、「題しらず」であり、『古今和歌集』編纂者は作詠事情を伏せてしまっています。この歌は、巻第四秋歌上に配列されているのですから、何も作詠事情を語らないのは羈旅(外出中)の歌ではない、という編纂者の意図がみえます。

また、室外に作者が居たのならば、空模様や近くの山に関する視覚の情報が、なぜ忘られたのか、なぜ遅れたのかの理由がこれらの訳例と説明ではわかりません。

作者は、建物内にいて詠みました。あるいは庭に居て詠んだのではないでしょうか。(なお、外出中の歌と仮定した検討は後で行います)。

② 夕暮という状況は、ひぐらしの鳴き声で招き寄せられるものではありません。夕暮になればひぐらしは鳴きだしやすい、というだけです。ひぐらし日中でも降雨前やガスが濃くかかったときにはよく鳴くそうなので、夕方と判断するのに、ひぐらし鳴き声を聞いた者は、当然の如く夕暮かどうかの確認の情報を更に得ようとすることになります。それが出来る位置に作者は居るはずです。外出中であればひぐらし鳴き声と同時に(さらにその前から)周囲に関する視覚情報を得ており、それを忘れて夕方かと判断するのは腑に落ちません。

③ 作者の判断を、時間を追って推理すると、眼をつむっていなければ、何かのきっかけでヒグラシの鳴き声と周囲の暗くなったのを同時に認識し、そして夕方になったと一旦判断し、その次に、居る場所が室内なので(あるいは直接室外を直ちに確かめられない姿勢なので)、夕方である確実な情報を室外に求めたところ、そうではない情報を得て、夕方ではないと改めて判断した、という順になります。

 眼をつむっていたとすると、ヒグラシの鳴き声で眠りから覚め(覚醒し)つつ、夕方になったかと推理し、周囲の暗さの程度を判断して納得し、その次に、居る場所が室内なので、さらに確実な情報を室外に求め、視覚情報に接して後にそうではなかったと判断し、はっきりと目が覚めた、という順になります。

 しかし、後者はあり得ることですが、前者のように、何かに集中していた感のある場面での歌という理解が妥当であると思います。当時の官人の執務体制からいうと、午後は私的な時間帯です。

④ もう一つ、この歌には居場所に関する情報があります。「やまかげ」が居場所に近い、ということです。

官人の生活する寝殿造りは南面した造りになっています。官人(とその家族)の通常居る場所は、その建物(寝殿)で廂の内側にある御簾で仕切られたなかであり、場合によってはさらに屏風や几帳などで囲った空間です。そこに居て視覚に入る山蔭は庭の築山の蔭くらいです。築山は作者が居る建物を覆う蔭はつくれません。しかし、『猿丸集』の類似歌がある三代集でも庭の築山の「蔭」を詠った歌を知りません。作者が視覚情報により判断している「やまかげ」が建物の近くに生じるのは、建物そのものが実際の山に近い山寺とか山荘とかに限られます。元上司や親しくさせていただいている上流貴族を作者が訪ねたか、自ら参籠したかの際の出来事がこの歌であった可能性が高くなります。

元上司などを訪ねた場合は、庭に背を向けて伺候している立場の者(当然廂の外側に座を占める)が作者となり得ます。夕方になったかと発言し、指示を受け振り返って庭をみた時の経験を詠った歌がこの類似歌であると思います。類似歌の元資料の歌はあるいはそのような設定のもとに詠った歌であると思います。題しらずとされているので、経験か設定かの一方に決めることができません。

 参籠の場合も、同様に庭に背を向けていた者が作者となります。

⑤ 四句「とおもふは」は、「副詞「と」+動詞「おもふ」の終止形+係助詞「は」です。(日が暮れた)と作者が思ったのは、の意です。

⑥ 四句と五句にまたがる「やまのかげに」は、庭に接している山に太陽が隠れた結果直射日光が射さなくなった状況、という意となります。

⑦ 官人の生活の中にこの歌を詠む機会があることが確認できました。部立が秋歌である歌の詞書のもとで現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「ヒグラシが鳴くのだから同時に日が暮れたのだと判断したことは、誤りで、(庭に目に移すと、)日が山の陰に入ったからであった。」 

 1-1-204歌と1-1-205歌は、夕方になる前の時間帯と夕方の歌ですが、同一の感興を詠った歌ではありません。『古今和歌集編纂者は、類似歌を含む歌群(きりぎりす等虫に寄せる歌:1-1-196歌~1-1-205歌)の最後に、共通点として「ひぐらし」(「日暗し」の時間帯であり当然「夜ではない」)を詠う歌を、ここに並べておいたのだと思います。

⑧ 念のため、外出中の歌と仮定した検討を行います。

秋歌として置かれていることを重視しなければ、巻第四秋歌には外出中の歌も無いわけではありませんので、外出時の歌としての理解を編纂者が排除していないかもしれません。最初に、そのような事例があり得るかを検討します。

外出時、作者が目をつむっていなければ、周囲の明るさに関する視覚情報は常に得ているはずです。その上でひぐらしが鳴き出したという聴覚情報を得るのですから、一瞬その視覚情報を失ったとしたらこの歌のようなことは有り得ます。「一瞬その視覚情報を失う」ことが恥ずべきことで無ければ歌に詠み披露するでしょう。だから作者が騎馬で外出中であるならば、山蔭を移動中であった時ひぐらしの鳴き声を聞き、暫くして山蔭を出た、という場合が有り得ます(例えば左右の山が迫る谷筋の曲がりくねった道で日向に出たという場合あるいは空をふと見上げた場合)。

牛車で外出していたならば周囲の明るさに関する視覚情報が間接的になるので有り得ます。

だから、外出中での歌が元資料であったのかもしれません。

現代語訳を試みると、騎馬の場合を想定すると、つぎのとおり。

 「ヒグラシが鳴くのだから同時に日が暮れたのだと判断したことは、(道を曲がると日があたったので気が付いたのだが)山の陰に私が居たからであった。」 

また、この歌は、披露された場合その経緯も話題にされるような知的遊戯性の強い歌ですので、室内か室外は話題のひとつであります。元資料の作詠事情を伏せたのにも一理あります。

いづれにしても、ここまでの『猿丸集』の歌が類似歌と異なる設定で詠まれていることに注目すると、作者の居る場所に関しては3-4-28歌の検討後に結論を得ても良い、と思います。

 

3-4-28歌の詞書の検討

① 3-4-28歌を、まず詞書から検討します。

 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「ある所へ行く途中で、ヒグラシが鳴いたのを聞いて(詠んだ歌)」

③ 類似歌と違い、外出中の歌、と詞書に明記しています。

 

10.3-4-28歌の現代語訳を試みると

① 作者のいるところを考察します。この歌の作者も、ひぐらしの鳴き声(聴覚で得た情報)で「日が暮れた」と判断し、次に視覚で得た情報でその判断を確認したところ誤りであったと認識しています。

詞書によれば、外出中ですので、聴覚情報と視覚情報にタイムラグが生じ得るのは、空を直接見ることができる乗馬や徒歩での外出ではなく、覆いのある乗り物である牛車(ぎっしゃ、うしぐるま)に乗っての外出となります。(付記1.参照)

② 四句にある(日はくれぬ)「とおもへば」は、「副詞「と」+動詞「思ふ」の已然形+接続助詞「ば」」であり、「ば」は以下に述べる事がらに気がついた意であり、ここでは、(日が暮れた)とそのように思ったが、そうではなく以下の判断が正しいようだ、ということです。

③ 牛車に乗っていた作者は、聴覚情報の次に得た視覚情報により「やまのかげにぞありける」という結論をどうやって得たのでしょうか。

 四句と五句にまたがる「やまのかげ」とは、(牛車の車の)「輻(や)の間にみえる鹿毛(馬)(と騎乗の人物)によってできた蔭」、の意です。「輻(や)」とは、「轂(こしき)」とまわりの輪をつなぐ棒で放射状に並んでいはるものをいいます。

 鹿毛とは、馬の毛色の名前であり馬を指す代名詞でもあります。茶褐色で、たてがみ・尾・四肢の下部などが黒い馬のことです。

 夕方に近づけば、ヒグラシは鳴き出す可能性が増しますし、人の影も長くなります。その時間帯の外出で、牛車を追い越してゆく騎乗の人物がいた光景の歌です。多分、作者が牛車に乗っていたところヒグラシが鳴きだしたとき騎乗の人物が何人も通りすぎる影が牛車の窓をよぎった、という光景における歌であると思います。

実景は、交差点を曲がるとき築地等による影もあって連続して陽射しが遮られたのかと思いますが、類似歌を承知している『猿丸集』編纂者がアレンジしてみたのがこの歌である、と思います。

④ 詞書に従い、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「ヒグラシの鳴き声とともに、日が暮れたと思っていたら、それは私の乗っている牛車の輻(や)の間にみえる鹿毛(馬)の人馬一体の陰が(窓を通じて)私のところに伸びてきたものであった。

⑤ このような現代語訳(試案)に比較すると、類似歌は、秋歌としてわざわざ詞書を「題しらず」としているので室内に居ても詠むことができる歌となっている理解の方が知的遊戯が発揮されておりすぐれている、と思います。

 

11.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-28歌は、外出中の歌であることを明記し、類似歌1-1-204歌は、詠う事情に全く触れていません。

③ 四句と五句にまたがる「やまのかげ」の意が異なります。この歌は、(牛車の車の)「輻(や)の間にみえる鹿毛(と騎乗の人物)の影」、の意であり、類似歌は、「太陽光が山に遮られたための明るさの変化」、の意です。

④ 結果として、この歌は、夕方の牛車での出来事を詠い、類似歌は、夕方に至る前の時間帯の建物にいた者が出会った出来事を詠います。

⑤ この歌とその類似歌とは歌意が異なる、というのは、これまでの『猿丸集』歌とその類似歌の関係がつづいていることになります。

 

12.同じ歌群の1-1-198歌の検討

① 1-1-198歌は、この類似歌(1-1-204歌)を含む歌群(「きりぎりす等虫に寄せる歌(1-1-196歌~1-1-205歌 )にあり、『猿丸集』第38歌の類似歌です。この類似歌の配列からの考察に資するため、ここで、この歌群の歌としての検討をしておきます。(第38歌との対比等は別途行います。)

 1-1-198歌 「題しらず  よみ人しらず」    巻第四  秋歌上

     あき萩も色づきぬればきりぎりすわがねぬごとやよるはかなしき

 

② 現代語訳の例を示します。

  • ・ 「秋萩も色づいて秋も深くなったので、こおろぎも、私が悲しくて夜も眠れないように、夜は悲しいのであろうか、こんなに鳴きしきっているが。」(久曾神氏)
  • ・ 「秋は深くなり、萩の葉も色づいてきたので、そこに鳴くこおろぎは私が寝られないのと同様に、やはり夜が悲しくて一晩じゅう鳴き明かしているのだろうよ。(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

③ 語句について、検討します。

初句「あき萩も」の「萩」は、1-1-216歌などにも、鹿とあわせて詠まれているように、「あき萩」とは花が咲いている時期の萩の意であり、萩の花とは雄鹿の花妻を指す言葉であることをこの歌でも連想させます。「も」は、元資料の歌では、「秋萩やその他の草も」、の意で、色づくものが多くあることを作者が認識していることを示しています。観賞用に鉢植えしている萩ではなく、秋の野原にある萩に言及したのであり、野原では諸々の花が同時に咲き、それぞれ散ってゆく景が、「も」によって浮かび上がります。

古今和歌集』の巻第四におかれている歌としても、それで良い、と思います。

二句に「いろづきぬれば」とは、動詞「いろづく」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の已然形+助詞「ば」です。「ば」は、順接の確定条件を表わします。

④ 元資料の歌としてこの歌は、多くのものが生じているものを、順に三つ言い出しています。最初に、色づいてる萩その他の秋の花が咲きその時期が終ること、だから「きりぎりす」が沢山鳴きだしていること、そして作者には寝られない夜が続いていること、の3点です。

 言い換えると、萩は既に鹿の妻となり、そのほかの花も結ばれて実となっていったのであり、思い定めていた女性もそのほかの女性もそれぞれ結ばれてしまったこと、それが叶わず失敗した男が多く居てみな泣いていること、(泣くだけでなく)皆も私と同様寝るに寝られない夜をこの秋過ごしていること、の3点を暗示しています。そして五句で失敗した男は皆「悲しい」と詠っています。

 よみ人しらずの伝承歌は、相聞の歌が多いが、それにもう一つ意を重ねることができた歌が官人の愛唱歌となったのではないかと、推定します。

 『古今和歌集』には、見立ての歌が多いと諸氏が指摘しています。知的な関心と情緒的な関心から見立てている、といわれています。

⑤ この歌は 一見、四季の花の一つを例にして官人としての秋の感慨を詠っていますが、元資料の歌では、男同士慰め合った歌であり、集団の場では相手方の集団(女)に、可愛そうとおもったら何とかしてくれ、と謡いかけた歌と想像します。1-1-220歌も相聞歌であることを想起してください。

⑥ 『古今和歌集』の元資料としての歌は、相聞歌であったが、古今集の作者の時代、1-1-188歌のように「秋の思ひ」は、すべての物の運命を思うことに通じる「思ひ」であるなどという認識から、選ばれて愛唱されたのがこの歌ではないか、と思います。

 

⑦ 現代語訳を試みると、次のとおり。

「(鹿の妻である)秋萩もほかの花も色づいて秋も深くなってしまったので、こおろぎも、私が悲しくて夜も眠れないように、(相手のいない)夜は悲しいので一晩じゅう鳴き明かしているのだろうよ。」

 

 

 

 

⑧ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-29歌 あひしれりける女、ひさしくなかたえておとづれたりけるによみてやりける

     あづさゆみゆづかあらためなかひさしひかずもひきもきみがまにまに

 

類似歌 2-1-2841歌。巻十一のうちの 「譬喩(2839~) 」 

左注に「右一首、弓に寄せて思ひを譬へたるなり」とある。

     あづさゆみ ゆづかまきかへ なかみさし さらにひくとも きみがまにまに

 (梓弓 弓束巻易 中見刺 更雖引 君之随意)

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

  ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

 (2018/9/10  上村 朋)

付記1.牛車(ぎっしゃ・うしぐるま)について

① 『王朝文学文化歴史辞典』の「交通」の項によれば、牛車とは、人が座る台に轅(ながえ)と呼ばれる二本の棒を渡し、車をとりつけ、それを牛に引かせるようにした乗り物。牛車の種類は乗り手の身分や用途によって多岐にわたる。前後には簾がかかり、後ろから乗り、前から降りる。左右は窓(物見という)以外ふさがれている。定員は4人までで向かい合って座る。

② 『年中行事絵巻』によると、行幸の行列を牛車に乗って見てもよい。窓の高さにまで車が描かれている(「朝行幸」の巻)。行列には騎馬の者がいる。高貴の方の公式行事に使用する牛車には窓(物見という)がない(「関白賀茂詣」の巻)。

(付記終り 2018/9/10   上村 朋)