前回(2018/8/6)、 「猿丸集第26歌 かねてさむしも」と題して記しました。
今回、「猿丸集22~26歌 詞書はひとつ」と題して、記します。(上村 朋)
1. 『猿丸集』の第22歌から26歌に関するこれまでのまとめ
① 『猿丸集』の第22歌から第26歌までは、同一の詞書の歌となっています。歌ごとの検討を終えましたので、この5首の関連などを確認し、詞書の現代語訳(試案)を今回再確認します。
② この歌5首を、改めて『新編国歌大観』より引用します。
3-4-22歌 おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめて
いみじういふとききけるに、よみてやる
ちりひぢのかずにもあらぬわれゆゑにおもひわぶらんいもがかなしさ
3-4-23歌
おほぶねのいづるとまりのたゆたひにものおもひわびぬ人のこゆゑに
3-4-24歌
人ごとのしげきこのごろたまならばてにまきつけてこひずぞあらまし
3-4-25歌
わぎもこがこひてあらずはあきぎりのさきてちりぬるはなをらましを
3-4-26歌
あしひきのやました風はふかねどもよなよなこひはかねてさむしも
③ 3-4-22歌に記されている詞書の現代語訳(試案)を、3-4-22歌のブログ(2018/7/9)から、再掲します。
「親や兄弟たちが私との交際を禁じてしまった女に、親の目を盗んで逢っていることをその親たちが知るところとなり、女を押し込め厳しく注意をしたというのを聞いたので、詠んで女に送った(歌)」
④ この5首の歌本文について、その現代語訳(試案)を、それぞれの歌に関するブログから、再掲します。
3-4-22歌 (詞書は上記③に記しました)
「塵や泥のように物の数にも入らない私が、懲りないであなたに近づく故に、あなたの親兄弟は、思い悲しむのであろう。それを承知して(あい続けてくれる)貴方のいとしさよ。」
3-4-23歌
「大きな船が出港する停泊地はゆらゆら波が揺れ止まりしていないようですが、思いがいろいろ浮かび辛いことです。親に注意をうけても慕っていただける貴方のことで。」
3-4-24歌
「自分達に関係ない(仲を裂こうとする)ことがごたごたしていて煩わしいこのごろで(逢えませんねえ。)、あなたが美しい宝石であるならば、手にまきつけることで(あなたとの一体となるので)、あなたをこれほど恋こがれることはないであろうに。」
3-4-25歌
「いとしいあなたが私を恋していないということならば、秋霧が、咲いてそして散ってしまっている花の茎を折るということがおこるでしょう。(風ではない秋霧には、あり得ないことです。そのように、あなたの私への愛の変らないことを信じています。)」
3-4-26歌
「山すそを長く引く山から冬に吹き下ろす激しい風は吹いてないけれども、毎夜逢いたいという私たちの願いは、以前と変りなくかなえられませんねえ。」
2.この5首に関する検討 その1 類似歌追加検討
① 3-4-22歌の検討が中途半端でしたので、ここで補います。ブログ(2018/7/9)では、類似歌が2首あるのに歌の本文が殆ど変わらないので1首を代表として検討しました。歌の検討を、これまで類似歌記載の歌集での配列や詞書のもとにおいて行って来たのに、それをしていませんでした。
② その省いた類似歌をここで検討し、3-4-22歌の理解に資することとします。その類似歌は、『拾遺和歌集』記載の1-3-872歌です。
3-4-22歌の類似歌b 1-3-872歌 題しらず
ちりひぢのかずにもあらぬ我ゆゑに思ひふわぶらんいもがかなしさ
③ この歌は、『拾遺和歌集』巻第十四 恋四にあります。最初に、配列等から検討します。
小池博明氏は、『拾遺和歌集』の構成を論じ、恋四は、恋の始まりから疎遠になり恋の別れまでの歌で構成する歌群を6つ重ねている、と指摘しています(『新典社研究叢書89 拾遺集の構成』)。
氏は、「(恋四の第二歌群(857~886)にある)871は「けっして(この女のもとには)来るまい」と誓っておいて、やはり逢いに行きたいと思い返した歌。つまり女に愛想をつかして関係の断絶を一度決意し、女にも伝えながら、翻意したのである。次の872では、男のためにつらい思いをする妻を、夫が愛しく思っており、男女が夫婦の関係にあることが知られる。復縁の意向を詠んだ871の後に位置して、夫の妻への表白(私に言う、逢瀬の詠歌)を詠む872からは、復縁が成就したことを読み取りえよう。この後は再び疎遠の段階の詠歌が続く。」と論じています。このような理解はこの歌集の歌として妥当であると思います。
④ 現代語訳を試みると、つぎのとおり。
「塵や泥のように物の数にも入らない私の為に、復縁するまで辛い思いをしてきたであろう貴方が、いとしいことである。」
⑤ 既に検討した類似歌(萬葉集歌2-1-3749歌)は、無力の自分が原因で遣る瀬無い思いをさせている女を思いやっている歌ですが、この拾遺集歌1-3-872歌も、作者(男)のいたらない点(接する態度・相手への期待・自らの資金援助など)に起因して苦労を掛けた女を思いやっている歌です。これは萬葉集歌を知らなくとも小池氏の指摘するように『拾遺和歌集』の歌の配列から読み取れたのであり、そこに置くのにふさわしい(編纂者の意図する歌意となる)歌を、既知の歌から編纂者が見つけたということです。
作詠事情も作者名も伏せて「題しらず よみ人しらず」の歌に仕立るのは、『古今和歌集』以来の歌集編纂者の智慧です。(なお、『拾遺和歌集』編纂者がこの歌を『萬葉集』記載の歌として承知していいたかどうか、即ち『猿丸集』の編纂時点と『萬葉集』の古点の終了(歌を平仮名で読める)時点の前後関係は別途検討しなければらない課題です。)
このように、二つの類似歌は、作者との間に生じた問題で苦しむ女を思いやっている歌であり、これに対して3-4-22歌は、作者のために親どもとのいさかいに苦しむ女を思いやる歌です。
つまりふたつの類似歌と3-4-22歌とは、思いやる原因が異なります。この結果、3-4-22歌に関するブログの結論は変りませんでした。
3.この5首に関する検討 その2 シグナルの有無
① この5首は、みな相聞歌です。女の「おやども」が承知をしなければ悲恋に終わります。そのため、何らかの打開策を男(あるいは二人)は考えていたと思います。
そうすると、男のおくった歌には、その進捗を知らせる意味合いがあったかもしれません。その方法の一つとして二人の間で事前に約束した語句を、物名とか折句とすることが考えられます。それを確認します。
② 最初に、物名の歌の可能性をみてみます。当時の和歌は、清濁抜きの平仮名であったとして探しましたが、句またがりで、それらしき語句はありませんでした。
③ 次に折句の可能性をみてみます。各句の最初の文字の組み合わせは、次のとおりですが、意味を成す語句あるいは類推させる文字の並びが思い浮かびません。
3-4-22歌 ちかわおい
3-4-23歌 おいたもひ
3-4-24歌 ひしたてこ
3-4-25歌 わこあさは
3-4-26歌 あやふよか
④ このほか、あらかじめ特定の語句の使用を暗号文とする方法が考えられますが、解明する手掛かりがありません。
4.この5首に関する検討 その3 ことの成り行きと歌の順序
① 各歌と詞書の間に齟齬がないのは各歌のブログで確認した所ですが、この5首が、一連の歌であるか否かは未確認でした。
② この5首は、作者である男から一方的に女におくられており、返歌はこの歌集にありません。『猿丸集』の詞書を通覧してもこれらの歌の返歌を指すような詞書はありません。 「おやども」が厳しく監視することになった女のところに、この5首が本当に届けられたものであるならば、その返歌も同様な手づるで男のもとに届いたはずですが、『猿丸集』の編纂者は、記載を割愛しています。
そのため、この5首が一連の歌であると認めるためには、『猿丸集』の記載順と歌の内容から判断するほかありません。
③ この詞書は、「おやども」が密会を知ったことによって状況が変化したことを明らかにしています。たとえ禁止されても逢いたい(連れ添いたい)という目的にむかって、今後の方針と実行案を作者である男は、女に急ぎ伝える必要が生じます。既に話し合っていたとすれば、そのとおり実行しますよという情報(合図)をおくらなければなりません。密会がばれても情報チャンネルの遮断がなかったことは、この5首の「歌をおくった」という詞書の書き方により、明らかです。
④ 作者は、「おやども」が密会を知った後、どのような行動をとったのでしょうか。一般的な行動の段階を想定し追ってみると、次表のようになります。
表:3-4-22歌以下五首の作者(男)の認識と行動
行動のステップ(想定) |
作者(男)の認識 |
作者が伝えるべきこと |
それを伝えている歌(推測) |
歌を詠む出発点(現状認識) |
a密会がばれたと知った b更に厳しい親の折檻を予想 |
a現状を把握しこと b今後の予想をしたこと |
3-4-22歌(a)
|
対策案立案 |
現状打開策立案又は兼ねて打ち合わせていた案の提示 |
隠忍自重のみ |
3-4-22歌 |
対策案実行開始の連絡 |
当方も計画通り実行していることの伝達 |
動き出したこと |
3-4-23歌? |
情報交換 |
a当方の計画の進捗報告 b適宜はげまし |
a苦戦中 b1愛している b2あなたの愛を信じる |
3-4-24歌(a? b1) 3-4-25歌(a? b2) 3-4-26 歌(b2) |
対策案徹底と進捗の連絡 |
親どもの許すまで我慢 |
耐えよう |
3-4-26歌 |
並行して行う策の実行 |
親どもへの働きかけ(親族上司等への依頼、何らかの取引提案 など) |
進捗を知らせる? |
(3-4-22歌と?を付した歌か) |
⑤ このように、この5首の順番は、作者(男)の行動ステップ(想定)に沿っているとほぼみることができ、作者(男)が女を説得していると思える順番にもなっています。歌をおくられた女からみると、『猿丸集』記載の順番に受けとることにより、作者(男)が事態の認識をしたうえ変わらぬ愛を誓ってくれていると理解できると思います。但し並行して行う策を作者(男)が実行したかどうか、歌からは不透明です。
このため、この5首は、ある一つの問題が生じたとき当事者の希望を全うしようとする一連の歌である、ということができます。
また、この5首が一連の歌であってもこの詞書で矛盾はありません。情報チャンネルがしっかりしているので、5回にわけておくったとすれば女との信頼が崩れなかったと思われます。
この5首が古歌に似ていれば、「おやども」に見つかっても相手の男からの歌ではないと言い張ることもできます。但し書きつけている用紙によって誰からおくられた歌(および文)かは解明されてしまいますが。
⑥ 悲恋に終わらせないためには、作者(男)と作者の親は、「おやども」と別途積極的に接触して打開を図らなければなりませんが、歌では直接それに触れていません。3-4-26歌にいう「やましたかぜ」に、「仲介者」の意があるとすると、進捗は疑問にみえる歌の内容です。ともかく、この二人はその後どうなったかは、わかりません。
⑦ では、作者は、どのような人物か。「おやども」からきつく阻止されているので、高位の貴族の息子ではなく、受領層の豊かな家系の息子でもないと推測します。一族の繁栄をおやどもは第一に考えているに違いありません。
5.この5首と類似歌群との関係
① 次に、類似歌との関係を5首まとめて検討します。(類似歌は付記1.に記載)
この5首は、3-4-21歌までの歌と同じようにその各々の類似歌と共通のことばを多く用いていても、趣旨を違えていました。
これにより、『猿丸集』の歌に基づいて、その編纂時における各々の類似歌の理解が推理できる、ということの確率が高まりました。
② この5首の類似歌は、6首あり、『萬葉集』に5首、『拾遺和歌集』に1首です。
類似歌は、諸氏の訳例を当該ブログで示したうえ、当該歌集における歌の配列と語句の検討をすすめた結果、もう少し言葉を補う必要を感じた歌には、現代語訳を試みました。大方の諸氏の理解と異なる(試案)が2首に生じ、また3-4-24歌の類似歌2-1-439歌の(試案)は2案並記のままです。
③ 『萬葉集』歌も『猿丸集』歌も意味が大幅に変わっていった語句を用いているとは思えません。
ただ、3-4-24歌にある「たまならば」のように、そのように形容することが廃れているのに用いている語句がありましたし、3-4-25歌で「秋萩」を避けており、作詠時点と『猿丸集』編纂時点が萬葉集の時代以後を示唆していると思われます。
④ 『猿丸集』の歌が、類似歌の異伝歌である、とする意見があります。その意見は、3-4-22歌以下の5首をそれぞれの類似歌に置き換えても一連の歌として3-4-22歌にある詞書のもとの歌として理解できる可能性がある、という主張に同じです。そのため、「3-4-22歌の詞書のかかる歌として、当事者の希望を全うしようとする一連の歌といえるかどうか」を、確認します。
⑤ 類似歌の現代語訳が各歌に関するブログ記載(付記1.②参照)のようのままであるとすると(詞書は類似歌と詞書にさらに『猿丸集』の詞書に従っていると仮定すると)、各歌ごとには次のように判断できます。
3-4-22歌の類似歌2-1-3749歌は、「無力の自分が原因で遣る瀬無い思いをさせている女を思いやっている歌」ですので、詞書にいう「おやどもにおしこめられている女」からみて、3-4-22歌と比べれば男の状況把握に不安がありますが、別れようという申し出でもなく、3-4-22歌の詞書に反する歌とまでは、言い切れません。もうひとつの類似歌1-3-872歌でも同じです。
3-4-23歌の類似歌2-1-122歌は、「恋の進展のないことにより外見が変わったと訴えた歌」であり、相手を慰めていません。だから、上記表の行動ステップ欄のどこにも該当しない、3-4-22歌の詞書に相反している歌と言えます。
3-4-24歌の類似歌2-1-439歌は、現代語訳が2案あります。
類似歌が439挽歌(案)の場合は、「死んだ女性を哀悼した歌」であり、3-4-22歌の詞書に反している歌です。
類似歌が439相聞歌(案)の場合は、「普通の状態における男女の相聞歌」です。2-1-3749歌と同じく、別れようという申し出でもなく、3-4-22歌の詞書に反する歌とまでは、言い切れません。
3-4-25歌の類似歌2-1-120歌は、「相手にされていない女に、作者自身がまだ訴えている歌」であり、3-4-22歌の詞書に反している歌です。
3-4-26歌の類似歌2-1-2354歌は、「来てくれない恋人に冬の寒さにことよせてさびしさを訴える歌」であり、「きみ」という表現の句があり、少なくとも男からおくる歌ではありませんし、3-4-22歌の詞書に反している歌です。
⑥ このような類似歌を、5首の替わりにならべても、当事者の希望を全うしようとする一連の歌として女に理解してもらえる構成になっているとは思えません。
即ち、この5首が、類似歌を参考にしつつも全く別の一連の歌である、ということになります。
⑦ 更に、類似歌を3-4-22歌の詞書のもとのみの歌として現代語訳を試みた場合を検討します。
3-4-22歌の類似歌2-1-3749歌は、ブログ記載の現代語訳のままで3-4-22歌の詞書に反していません。もうひとつの類似歌1-3-872歌でも同じです。
3-4-23歌の類似歌2-1-122歌は、相手を慰める歌に、やはり理解できません。3-4-22歌の詞書と違和感が大です。
3-4-24歌の類似歌2-1-439歌は、439相聞歌(案)の場合と同じ理解で3-4-22歌の詞書に反していません。
3-4-25歌の類似歌2-1-120歌は、相手を慰める歌に、やはり理解できません。3-4-22歌の詞書と違和感が大です。
3-4-26歌の類似歌2-1-2354歌は、男からおくる歌と理解しなおせませんので、3-4-22歌の詞書と違和感があります。
このように、3-4-22歌の詞書のもとにこの順序で並べた歌としての理解が困難です。そのため、類似歌そのものを『猿丸集』の歌22歌~26歌に替えることができません。
⑧ 『猿丸集』と『萬葉集』との関連については、第27歌以降にも類似歌に萬葉集歌があるので、それらの検討後に改めて検討することとします。
⑨ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。詞書が新たになります。
3-4-27歌 ものへゆきけるみちに、きりのたちわたりけるに
しながどりゐなのをゆけばありま山ゆふぎりたちぬともなしにして
類似歌は2-1-1144歌。「摂津にして作りき よみ人しらず」 巻第七の雑歌にあります。
しながとり ゐなのをくれば ありまやま ゆふぎりたちぬ やどりはなくて
(志長鳥 居名野乎来者 有馬山 夕霧立 宿者無而)
この二つの歌も、趣旨が違う歌です。
ブログ「わかたんかこれ」を、ご覧いただきありがとうございます。
次回は、上記の歌を中心に記します。
(2018/8/20 上村 朋)
付記1.類似歌について
① それぞれの歌の類似歌を、『新編国歌大観』より引用する。
3-4-22歌の類似歌a 2-1-3749歌 中臣朝臣宅守与狭野弟上娘子贈答歌(3745~3807)
ちりひぢの かずにもあらぬ われゆゑに おもひふわぶらむ いもがかなしさ
(・・・於毛比和夫良牟 伊母我可奈思佐)
3-4-22歌の類似歌b 1-3-872歌 題しらず
ちりひぢのかずにもあらぬ我ゆゑに思ひふわぶらんいもがかなしさ
3-4-23歌の類似歌 2-1-122歌 弓削皇子思紀皇女御歌四首(119~122)
おほぶねの はつるとまりの たゆたひに ものもひやせぬ ひとのこゆゑに
(・・・物念痩奴 人能児故尓)
3-4-24歌の類似歌 2-1-439歌
和銅四年辛亥河辺宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首(437~440)
ひとごとの しげきこのころ たまならば てにまきもちて こひずあらましを
(人言之 繁比日 玉有者 乎尓巻以而 不恋有益雄)
3-4-25歌の類似歌 萬葉集 2-1-120歌 弓削皇子思紀皇女御歌四首(119^122)」
わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを
(吾妹児尓 恋乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾)
3-4-26歌の類似歌 2-1-2354歌 寄夜 よみ人しらず
あしひきの やまのあらしは ふかねども きみなきよひは かねてさむしも
なお、2-1-2354歌は、『猿丸集』編纂時点頃は、「あしひきの やましたかぜは ふかねども きみなきよひは かねてさむしも」と訓まれていた可能性が高い。
② 類似歌の現代語訳(試案)を各ブログから再掲する。
3-4-22歌の類似歌a 2-1-3749歌 「夫である中臣朝臣宅守(やかもり)が妻の蔵部女嬬(くらのにょじゅ)狭野弟上娘子(さののおとがみのをとめ)におくった歌」
「塵か泥土の如く、物の数でもない私の為に、思ひわびしがるであらう妹が、可愛いそうなことである。」(土屋氏の訳) (大方の諸氏の理解と同じ)
3-4-22歌の類似歌b 2-3-872歌 本文5.④に記載 (大方の諸氏の理解と同じ)
3-4-23歌の類似歌 2-1-122歌 「弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首」
「大船が、(例えば住之江の津のような)波の静かな港に停泊している時も、揺れ動き続けている。そのように、私はずっと捕らわれたままで、物思ひに痩せてしまった。この乙女のために」 (大方の諸氏の理解と同じ)
3-4-24歌の類似歌2-1-439歌 「河辺宮で奉仕する宮人が、(難波の)姫島の松原での乙女の入水を聞き、悲しんで作った歌四首」 (ブログ2018/8/23の「7.」に記したように2案ある。)
A 439挽歌(案):「噂が飛び交う(なかなか逢うことも叶わなかった)ころ、あなたが玉となったならば、(貴方のお相手の方は)手に巻いて持ち、(恋で仕事が手に付かないことも)恋しく思うこともなかったであろうに(死んで霊となっても遅いです。)」 (大方の諸氏の理解と異なる)
B 439相聞歌(案):「人の噂が激しいこの頃なので(逢えないで時が過ぎてゆきます)。貴方が玉であったらいつも手に巻いて持ち歩き(肌も触れ合い)いたずらに貴方を恋しく思うこともないでしょうに。」
(大方の諸氏の理解と同じ)
3-4-25歌の類似歌 2-1-120歌 「弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首(119~122)」
「あの人にいくら恋しても詮無い状態になってきたが、それでも、あの人が、(私の愛でる)秋萩のように咲いたら散るという花であってくれたらなあ」 (大方の諸氏の理解と異なる)
3-4-26歌の類似歌 2-1-2354歌 寄夜 よみ人しらず
「長く裾をひいた山を下りて来る強い風はないけれども、貴方のいない宵というものは、それだけで寒いものですねえ。」 (大方の諸氏の理解と同じ)>
(付記終り 2018/8/20 上村 朋)