わかたんかこれ 猿丸集第24歌 ひとごと

前回(2018/7/16)、 「猿丸集第23歌 ものおもひわびぬ」と題して記しました。

今回、「猿丸集第24歌 ひとごと」と題して、記します。

 

暑中お見舞い申し上げます。また、西日本豪雨で被災された再建・復興途上の皆さま、ボランティアの皆さま、関係機関の皆さま、暑さにご留意ください。夏休みとなった生徒さん、こまめに日陰に入り水分補給と休憩をしてください。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第24 3-4-24歌とその類似歌

① 『猿丸集』の24番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-24歌  <なし> (3-4-22歌の詞書をうける)

人ごとのしげきこのごろたまならばてにまきつけてこひずぞあらまし

 

3-4-24歌の類似歌  『萬葉集』  2-1-439歌 

和銅四年辛亥河辺宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首(437~440

      ひとごとの しげきこのころ  たまならば てにまきもちて こひずあらましを

(人言之 繁比日 玉有者 乎尓巻以而 不恋有益雄)

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、四句と五句にすこし違いがあり、また詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌といえます。

それぞれの詞書を信じれば、相聞歌と挽歌に別れます。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は 『萬葉集』巻第三の「挽歌」(418~486歌)にあります。全69首のうち、この歌の前後の詞書(題詞)をみてみます。

 

2-2-429歌  柿本朝臣人麿見香具山屍悲慟作歌一首

4-2-430歌  田口広麿死之時刑部垂麿作歌一首

2-4-431歌  土形娘子火葬泊瀬山時柿本朝臣人麿作歌一首

2-1-432歌  溺死出雲娘子火葬吉野時柿本朝臣人麿作歌二首

2-1-434歌~ 過勝鹿真間娘子墓時山部宿祢赤人作歌一首 幷短歌 東俗語云・・・

2-1-437歌~ 和銅四年辛亥河辺宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首

2-1-441歌~ 神亀五年戊辰太宰師大伴卿思恋故人歌三首

2-1-444歌  神亀六年己巳左大臣長屋王死之後倉橋部女王作歌一首

2-1-445歌  悲傷膳部王歌一首

2-1-446歌~ 天平元年己巳摂津国班田史生丈竜麿自経死之時判官大伴宿祢三中作歌一首幷短歌

2-1-449歌~ 天平二年庚午冬十二月大伴卿向京上道之時作歌五首

 

このように、死亡・葬儀等の対象者が同じ人という詞書はなく、詞書をまたがって他の歌と関連づけて理解しなければならない歌はないようです。

② なお、表現が似ている詞書があります。屍を見た、とする詞書です。

2-1-429歌   柿本朝臣人麿見香具山屍悲慟作歌一首

2-1-437歌~  和銅四年辛亥河辺宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首

前者が、「香具山(近くの路頭に横たわっている)屍」を「見た」、後者が、「姫嶋の松原にある美人の屍」を「見た」とあり、両者は「屍を見て歌を作った」としています(ただし、両者の作者は、前者が、『萬葉集』に多数記載のある人物の歌、後者は無名でしかも女性の歌)。

また、『萬葉集』には、2-1-418歌の詞書「上宮聖徳皇子・・・・見竜田山死人悲傷御作歌一首」、2-1-220歌の詞書「・・・視石中死人柿本朝臣人麿作歌一首 幷短歌」という例もあります。

③ この歌の詞書(題詞)のもとにある最後の歌(四首目)には、次の左注があります。

「右、案ふるに、年紀(とし)と所処また娘子(をとめ)の屍の歌を作る人の名はすでに上にみへたり。ただし、歌の辞(ことば)相違ひ、是非別き難し。因りて塁(かさ)ねてこの次(つぎて)に載す。」

この左注に対して阿蘇氏は、「ほぼ同じ題詞をもつ二首(2-1-228歌と2-1-229歌)が巻二にある。その2首は題詞と歌に詠まれた場所が一致する。しかし、2-1-437~2-1-440歌は、題詞と詠まれた場所が離れすぎたり(437歌)、男性を偲んだり(438歌)、恋の相聞歌(439&440歌)。巻二とこの四首の間に資料の段階で、誤認による混同があったのであろう。」、と指摘しています。

 この2点は検討を要します。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

     人の噂の激しいこのごろ、あなたが玉であったら、いつも手に巻いていて恋しく思うことはないでしょうに。」(阿蘇氏)

     世間の人の言ふことのうるさい此の頃であるが、若し君が玉であるならば、手につけて持って、戀ひ思ふこともせずにありたいものを。」(土屋氏)

② 土屋氏は、「民謡風の相聞。(題詞にいう)美人(おとめ)生前における有様を作ったとしてもそのあまりに一般的な作風のために、特定の作者や時處を感ずることすらできない。」、と評しています。

 両氏の訳は、相聞の歌としての理解になっています。

③ なお、「てにまきつけて」という表現は勅撰集に有りません。

 

4.類似歌の検討その3 詞書の現代語訳の試みと作者について

① 詞書に関して現代語訳の例を示すと、つぎのとおり。

     「川辺宮人が姫島の松原で美人(おとめ)の死骸を見て悲しんで作った歌四首」(阿蘇氏)

② 作者の河辺宮人は、伝未詳です。宮人とは律令制における後宮の職名(従事する者は当然女性)です(奈時代後半にいう女官)。

作者を宮人と職名で呼んでいるので、「河辺」とは、特定の天皇の宮が所在した場所の名と思われ、法隆寺金堂の薬師如来像光背銘に「川辺大宮治天下天皇大御身労賜時・・・」とあるそうです。

しかし、詞書にある和銅4年(711)のときの天皇元明天皇です。そして前年に平城京に遷都しています。臨時の宮であったかもしれませんが、河辺宮の所在地は不明です。

③ 姫島とは、淀川河口の三角州にある島の一つであり、記紀や『続日本紀』にも見える地名で、牧もあった島だそうです。2-1-228歌と2-1-229歌によれば「美人」は水死者です。多分自ら「入水」した者でしょう。

④ その姫島に、後宮を職場としている人が、実際に行った際に屍を「見」て歌を作った、というように詞書を理解するのは疑問があります。この疑問は、『萬葉集』巻第二にある、二首(2-1-228歌と2-1-229歌)の題詞についても「・・・姫島松原見嬢子屍悲嘆作歌」とあるので、該当します。

第一に、作者を、姫島に公務出張させる理由が見当たりません。第二に、宿泊所から公務外に、突発的に許可も受けずに外出できることが疑わしい。水死は突発的事件であったはずです。

また、第三に、2-1-229歌は、

なにはがた しほひなありそね しずみにし いもがすがたを みまくくるしも」

と、水死体(である屍)が水面に上がらないことを願っており、屍は、「目視」できない状態です。

このように、作者が「水死した乙女を見(目視し)た」というのは、不自然です。

作者が「見」るとすると、遺骸の一部など(遺髪とか、遺灰とか、形見とか)を、それも、平城京のどこかにそれが安置されていた場合です。後宮を職場としている作者にも忌引きや休暇を願うことはできますから。

⑤ これらのことから、2-1-429歌の詞書の「・・・見香具山屍悲慟作歌」を含めて、「見」という文字は、「見・・・屍」という表現においては、「仄聞」あるいは「文書によって知る」という意、あるいは下命による作詠を示唆する言葉とも理解した方がよいのではないか、と思います。目視しなければ追悼の歌が作れない訳ではありません。

少なくとも、ここにあげた三つの詞書の理解はこのほうが理に叶っています。

ついでに言えば、「作歌」という表現も、「その時あるいはその行事に披露された歌」あるいは「会合で話題となった際に披露された歌」を指す歌語とみなせます。前者は、朝廷が人々の死を悼む(あるいは遺族の生活を支えようと決意表明する)行事とか家族や一族が行う葬式の類です。

どこかで誰かによって披露されて人々は文字に残し、それが『萬葉集』の編纂者の手元に集まったのです。この歌の場合、同一の案件に対して二人の記録者がいた、ということになります。

⑥ このため、この詞書は、後宮を職場としている作者(女性)が、同性の若い人が自ら命を絶ったことを聞いて哀悼の歌を詠んだ、という趣旨のものである、となります。姫島に作者の同僚も行くのは不可能なので、命を絶った者は地縁あるいは血縁の者であるか、または、土屋氏がいうように当時のニュースとなった人ではないか、と思われます。

⑦ さらに、無名の女性の死を悼んだ歌で、作者が女性、というのは、1~4巻では、河辺宮人の一連の歌だけです。溺死した女性(氏名の記載無し)の追悼の歌(2-4-432)は、柿本人麿を作者にしています。

女性が、同性の女性の死に哀悼の歌を作っているので、この二人の共通点を探すと、姫島に近い地名に津国の河辺郡(現在の猪名川町周辺)があるので、その出身者同士かという推測ができます。そうすると河辺宮人とは、河辺郡出身の宮人という意となります。作者の名を隠すための方策が「河辺宮人」という名となったのかもしれません。

とにかく、女性が同性に哀悼の歌を作っている例を、巻第二の編纂者は記載したかったようで、それは巻第三の編纂者にも引き継がれている、と判断できます。

⑧ 『萬葉集』の各巻の編纂者のところには、官人が見聞し記録した歌が集まったと思います。この歌の作者とされる「河辺宮人」も、後宮で現に奉仕している女性に仮託した官人の作ということも考えられるところです。

⑨ このような検討の結果、詞書の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「和銅四年辛亥の年に、河辺宮で奉仕する宮人が、(難波の)姫島の松原での乙女の入水を聞き、悲しんで作った歌四首」

 この(試案)と阿蘇氏の訳とでは、「見」という文字の理解が異なります。 「見」は、いわば歌語です。

 

5.この詞書の歌4首の現代語訳を試みると

① 詞書(題詞)を重視して『猿丸集』を今検討している立場からは、類似歌も詞書に従った理解による追悼歌として4首の検討を試みます。さらに諸氏のいうように2-1-439歌などは相聞歌としても検討したいと思います。

② この詞書のもとにある四首は、次のとおり。

2-1-437歌 かざはやの みほのうらみの しらつつじ みれどもさぶし なきひとおもへば

2-1-438歌 みつみつし くめのわくごが いふれけむ いそのくさねの かれまくをしも

2-1-439歌(類似歌) ひとごとの しげきこのころ  たまならば てにまきもちて こひずあらましを

2-1-440歌 いももわれも きよみのかはの かはぎしの いもがくゆべき こころはもたじ

 

③ 上記の現代語訳(試案)の詞書に従い、すべてを挽歌としての解釈を試みると、つぎのとおり。

すべて女性が、女性を追悼している歌としての解釈をしました。

 

2-1-437歌 

「風早の美保の浦回の海岸に咲く恨めしくおもえる白つつじは、見ても楽しくない。亡き人を思うと」

弓のように曲がって入り込んでいる海岸に対して「浦回」(うらみ)という歌語があります。三句「しらつつじ」は、相手の男性の比喩であり、作者も間近に接することができる職にいるような男性でしょうか。

 

2-1-438歌 

「勢いの盛んな伝説の久米の若子のように勇壮な若者が触れたのであろうか、そのために磯に咲く草が(時期を待たず)枯れてゆくのが惜しい。」(若者が戯れかけたのが原因でそれを信じた美人が死んだ。惜しいことではないか。)

土屋氏は、「詞書にいう歌とするには「くめのわくご」を普通名詞とみなければならない」、と評しています。

初句「みつみつし」は、久米にかかる枕詞であり、三句「いふれけむ」の「い」は歌語をつくる上代の接頭語です。四句にある「くさね」は「草根」であり、「根」は接尾語で特に意味はない、ともされていますが、ここでは、死にかかわる言葉と理解して、「草が根こそぎ(来年芽が出ないほど)」という意とします。

詞書(題詞)より女性一人が悲嘆にくれて水死したのを悼む、という理解をしました。女性の作者も同じような(高位の者の息子に遊ばれた)境遇にいるとみられます。

 

2-1-439歌 

「噂が飛び交う(なかなか逢うことも叶わなかった)ころ、あなたが玉となったならば、(貴方のお相手の方は)手に巻いて持ち、(恋で仕事が手に付かないことも)恋しく思うこともなかったであろうに。」(この現代語訳(試案)を439挽歌(案)ということにします。)

相手の男が誠意ある男であったらば、このように思うであろう、と作者が詠ったと理解しました。

初句の「ひとごと」とは、万葉仮名で「人言」であり、「人のいうこと。うわさ。」の意です。

 土屋氏は、2-1-732歌に関して、「玉を愛人に比するのは当時の社会的表現」と説明しています。(付記1.参照) 

 

2-1-440歌 

「貴方(美人)も私も清らかな明日香川の両岸のような関係です。(明日香川は両岸がしっかりしていてこそ田畑は守られています。) その岸が崩れるような、貴方を裏切るような気持ちはもつまい(、と言ってくれていたら・・・)。」

初句から三句は、「悔ゆ」を起こす序詞です。

「いももわれも」は、普通、親しい間の男女を男性側からいう語句です。女性の挽歌として理解すると、2-1-439歌と同じように、相手の男が誠意ある男であったらば、このように思うであろう、と作者が詠ったと理解しました。

きよみのかは(清之河)とは、単に清い川の意で、土屋氏は、明日香浄御原宮、巻第十三にある2-1-3237歌の初句「清三田屋乃」の訓に準ずれば、明日香川の局地的呼称か、と推測しています。早く『萬葉集代匠記』に見える説です。

 

④ このように理解すれば、詞書にいう「水死の美人」を弔う歌とみなせます。

 土屋氏は、「当時の普通の習慣に従って変死者の霊を慰めるために作歌したのであらう」と評しています。又、この4首を「世に伝えられる民謡を河辺宮人に託して組み上げたもの」という見方をしていますが、題詞に沿って組みあげた、とまでは言っていませんので、合点するのに躊躇します。

⑤ 次に、現代語訳を、詞書は無視して、すべてをよみ人しらずの相聞歌として試みると、つぎのとおり。作者を女性に限定しません。

 

2-1-437歌 

「風早の美保の浦回の海岸に咲く恨めしくおもえる白つつじは、見ても楽しくない。かけがえのない人を思うと」

五句の万葉仮名は「無人念者」です。「なきひと」とは、「(比べる人が)無いも同然の人、すなわち、自分にとりかけがえのない人」、の意と推測しました。「亡き人」では相聞歌という理解が困難です。

「白つつじ」とは、かけがえのない人の病気とか、地方勤務とかが想定できます。

 

2-1-438

 「意気盛んな久米の若者が触れたであろうこの磯にある草が枯れる。それは惜しいことよ(草に咲く花には見頃があるのに見過ごしてしまって。私もおなじですよ。)」

  「久米の若子」とは、久米歌のある久米氏と関係があるかどうかわかりません。

 

2-1-439

「人の噂が激しいこの頃なので(逢えないで時が過ぎてゆきます)。貴方が玉であったらいつも手に巻いて持ち歩き(肌も触れ合い)いたずらに貴方を恋しく思うこともないでしょうに。」(この現代語訳(試案)を以後439相聞歌(案)ということにします。)

 

2-1-440

「貴方(美人)も私も清らかな明日香川の両岸のような関係です。(明日香川は両岸がしっかりしていてこそ田畑は守られています。)その岸が崩れるような、貴方を裏切るような気持ちはもつまい(約束を必ず守りますよ)。」

作者は男であり、挽歌と理解するよりも素直な歌です。現代語訳(試案)の文言は作者が女性である挽歌とほとんどかわりません。

 

⑥ このように、4首は、相聞歌として現代語訳(試案)が出来ました。

今、詞書を重視して『猿丸集』を検討しており、挽歌の歌意を理由なく無視するのは方法論として矛盾してしまいます。しかし、諸氏が採用している相聞の歌という理解は有力です。

 『萬葉集』歌の理解は、『猿丸集』編纂時の歌人たちの類似歌についての理解が前提ですので、この2-1-439歌をどちらの理解をしたのか判断材料が見つかりません。

このため、類似歌の現代語訳(試案)を1案に固定せず、この歌(3-4-24歌)の現代語訳を試みます その(試案)や前後の歌などを再考する機会まで、類似歌の現代語訳(試案)は複数のままとします

 

6.3-4-24歌の詞書の検討

① 3-4-24歌は、3-4-22歌の詞書と同じであり、その詞書を再掲します。

おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやる

② 現代語訳(試案)を、3-4-22歌に関するブログ2018/7/9より引用すると、つぎのとおり。

「親や兄弟たちが私との交際を禁じてしまった女に、親の目を盗んで逢っていることをその親たちが知るところとなり、女を押し込め厳しく注意をしたというのを聞いたので、詠んで女に送った(歌)」

 

7.3-4-24歌の現代語訳を試みると

① 初句にある「人ごと」は、「人事」であり「自分または自分たちに関係ない、よそのこと。」の意です。

② 二句にある「しげき」」とは、「多い」とか「頻繁にあり絶え間がない」、という意より「ごたごたして煩わしい」意を採ります 五句「こひずぞあらまし」は、上二段活用の動詞「恋ふ」の未然形+打消しの助動詞「ず」の連用形+係助詞「ぞ」+連語「有らまし」です。

 打消しの助動詞「ず」は活用語の未然形に付くので、「こひ」は動詞の未然形となります。連語「有らまし」は、事実とは異なる状態を想像して、そうあったらよいのに、という気持をあらわします。(動詞「乞ふ」は四段活用であり、その未然形は「乞は」)

④ 詞書に従い、現代語訳をこころみると、つぎのとおり。

「自分達に関係ない(仲を裂こうとする)ことがごたごたしていて煩わしいこのごろで(逢えませんねえ。)、あなたが美しい宝石であるならば、手にまきつけることで(あなたとの一体となるので)、あなたをこれほど恋こがれることはないであろうに。」(付記2.参照)

 

8.この歌と類似歌とのちがい 

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-24歌は、詠む事情を述べており作者(男)と相手の女性との関係を明かにしています。

これに対して類似歌2-1-439歌が439挽歌(案)であれば、詠む事情を述べていますが、作者(女)と相手(水死した女性)との関係は不透明です。類似歌2-1-439歌が439相聞歌(案)であれば、「題しらず」と同じであり、詠む事情は不明です。

② 初句「ひとごとの」の意が異なります。この歌3-4-24歌は、「人事(が)」であり「自分たちの仲を裂こうとする家族・一族の行動」、の意です。類似歌2-1-439歌は、439挽歌(案)や439相聞歌(案)のどちらであっても万葉仮名が「人言之」であるので、「噂(が)」、の意です。

③ 二句の副詞の意が違います。この歌は、「このごろ」と表現し、この歌を詠っている今日この頃、という意です。類似歌が439挽歌(案)であれば、「このころ」は、必然的にこの歌を詠っている時点より遡った「噂になったあのころ」を意味します。類似歌が439相聞歌(案)であれば、この歌と同じく歌を詠っている時点の頃」となり、違いはありません。

④ この結果、この歌は、親たちが監視する状況がつづいている女と作者との変わらぬ愛を男の立場で表現した歌ですが、これに対して類似歌は、439挽歌(案)であれば、死んだ女性を哀悼した歌です。

また類似歌が439相聞歌(案)であれば、普通の状態における男女の相聞歌です。親の監視の度合いが違い、この歌が、いわば、逆境にいる者へ送った歌とすれば、類似歌439相聞歌(案)は土屋氏のいう民謡がベースの歌で順境にいる者へおくった歌です。

⑤ 『猿丸集』のこれまでの各歌とその類似歌との関係がこの3-4-24歌にも当てはまるとすると、この歌が相聞歌であるので、類似歌は、439挽歌(案)である可能性が高い。

しかし、これは、それぞれの詞書(題詞)にも合致する、とは即断できないし、『萬葉集』にあるこの歌を含む4首に対する左注との整合性が問題となります。『猿丸集』の編纂者が2-1-439歌だけに注目したとすれば、妥当な結論といえます。

 これに対して類似歌を439相聞歌()とすると、共に相聞歌でありその違いは、二人の置かれている環境(女の親どもとの緊張の度合い)の違いであり、その厳しい環境でも愛しあう者へ送った歌と、恋愛遊びの対象者へも送れる程度の軽い気持ちの歌にもなり得る歌との違いとなります。『萬葉集』にあるこの歌を含む4首に対する左注の指摘を正しいとすることになります。

『猿丸集』の編纂者の時代に、類似歌の理解が439挽歌(案)か439相聞歌(案)どちらの案であったか今のところなんとも言えません。どちらの案であっても、この歌の理解が変わるわけではありませんので、

1案に絞るのは暫く保留し、2-1-439歌の理解も複数の案のままで検討を続けることとします。

 『猿丸集』の歌は、まだ24首目の検討であり、まだ半数にも至っていません。

 

⑥ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-25歌  <詞書なし>

       わぎもこがこひてあらずはあきぎりのさきてちりぬるはなをらましを

3-4-25歌の類似歌 2-1-120  弓削皇子思紀皇女御歌四首(119^122)

          わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを

 (吾妹児尓 恋乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾)

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/7/23   上村 朋)

付記1.『萬葉集』における「たまならば(玉有者)」の用例

① 「たまならば(玉有者)」の用例は3首ある。みな、「手に巻き」と続く。

2-1-150 巻三挽歌:天皇崩時婦人作歌 姓氏未詳

   うつせみし ・・・ さかりゐて あがこふるきみ たまならば てにまきもちて(玉有者 手尓巻以而) きぬならば ぬくときもなく ・・・

2-1-439  この類似歌(本文1.参照)

2-1-732 巻四 相聞:大伴坂上嬢贈大伴宿祢家持歌三首(732~734)

たまならば てにもまかむを(玉有者 手二母将巻乎) うつせみの よのひとなれば てにまきかたし 

 

付記2.「しげきこのころ」について

① 『萬葉集』『新編国歌大観』記載の『萬葉集』には、「このころ」と訓む歌はあるが、「このごろ」と訓む歌はない。

② 上記『萬葉集』で、「このころ」と訓む万葉仮名を例示すると、つぎのとおり。

     句頭に「しげきこのころ」とあるのは、2-1-2370歌に「繁比者」、2-1-439歌に「繁比日」。西本願寺本の訓では2-1-2863歌に「繁時」(『萬葉集』の訓では「しげきときには」)

     「このころは」と訓む「比日者」(2-1-651歌)、「比者」(2-1-689歌)、「比来者」(2-1-770歌)、「頃者(名付)」(2-1-3069歌)

     「このころは」と訓む「己能許呂波」(2-1-3748歌、2-1-3790歌)

     「このころの」と訓む「比日之」(2-1-1609歌、2-1-2186歌)、「比者之」(2-1-2217歌、2-1-2530)、「比来之」(2-1-3880歌)

③ 『新編国歌大観』記載の三代集には、句頭に「このころ」とある歌はないが、句頭に「このごろ」とある歌は2首ある(1-3-1037歌と1-3-1118歌)。そして句頭に「しげきこのごろ」とある歌が1首ある(1-3-566歌)。

(付記終り 2018/7/26  上村 朋)