わかたんかこれ 猿丸集第21歌 あまをとめ

前回(2018/6/25)、 「猿丸集第1920歌 たまだすき」と題して記しました。

今回、「猿丸集第21歌 あまをとめ」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第21 3-4-21歌とその類似歌

① 『猿丸集』の21番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-21歌    物へゆくにうみのほとりを見れば、風のいたうふくに、あさりするものどものあるを見て

    風をいたみよせくるなみにあさりするあまをとめごがものすそぬれぬ

 

 3-4-21歌の類似歌  2-1-3683歌   海辺望月作歌九首(3681~3689)  よみ人しらず  

    かぜのむた よせくるなみに いざりする あまをとめらが ものすそぬれぬ 

(可是能牟多 与世久流奈美尓 伊射里須流 安麻乎等女良我 毛能須素奴礼奴) 

 一伝、あまのをとめが ものすそぬれぬ    

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、初句 三句 四句 に違う表記があり、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。 この歌3-4-21は、風の強い日に海に臨む崖の景を詠い、類似歌は、漁師の乙女を詠っている歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌2-1-3683歌は 『萬葉集』巻第十五にあります。この巻は、天平八年の遣新羅使人等の歌145首と中臣宅守と狭野茅上娘子との間の贈答歌(63首)の二群だけで構成されており、その前者にこの歌はあります。西本願寺本の目録には、前者について「天平八年(736)丙子夏六月、遣使新羅之時、使人等各悲別贈答、及海路之上慟旅陳思作歌、幷當所誦詠古歌 一百四十五首」とあります。

② 一百四十五首は、出発にあたって留守居する者との贈答歌から始まり、ほぼ旅程の順に配列されています。

この歌の前後の詞書(題詞)は、つぎのとおりです。

至筑紫館遥望本郷悽愴作歌四首 (3674~3677)

七夕仰観天漢各陳所思作歌三首 (3678~3680)

海辺望月作歌九首(3681~3689

筑前国志麻郡之韓亭舶泊経三日、於時夜月之光皎皎流照・・・聊以裁歌六首 (3690~3695)

引津亭舶泊之作歌七首 (3696~3702)

このように詞書(題詞)は、筑紫館で詠んだ歌が3つの詞書(題詞)に分かれているが、後は船を泊めた(宿泊した地)であろう港単位になっています。

③ このため、各詞書単位に、その歌群で整合が取れている歌であればそれでよい、と理解できます。

 なお、筑紫館とは、外来の客や朝廷の公使専用に大宰府が管理している宿泊所兼接待所です。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

     「風と共に寄せてくる波に、魚を捕っている海人娘人たちの裳の裾が濡れてしまった。」(阿蘇氏)

     「風と共に寄せて来る波に、漁をする海人をとめ達の、裳の裾がぬれた。」(土屋氏)

② 阿蘇氏は、「この歌は、安易に海人娘人と裳の裾を結びつけて海浜の旅の歌としたのであろう。観念的につくられた歌である。地名も読み込まれていない。」と指摘しています。

③ 土屋氏は、「天平八年の遣新羅使人等の歌145首のうち作者を注で示していない103首は、145首をまとめて後記した者の作か」と指摘し、作者名の記載方法からみて「小判官(という役職)以下の録事程度の(職にいる)者か」と推測しています。その作風は「概して極めて拙劣なること、枕詞などほとんど乱用とみられるものがある」と評しています(『萬葉集私注』巻十五冒頭部分)。

遣新羅使のトップは、大使です。以下、副使、大判官、小判官の職にいる者は作者名としてその役職名の記載となっています。103首の作者を、仮に「未詳の作者」と呼ぶこととします。なお、「未詳の作者」は複数であるとする諸氏もいます。

 

4.類似歌の検討その3 現代語訳を試みると

① 各句単位に、検討を始めます。

初句「かぜのむた」という語句は、『萬葉集』に、いくつかあります(付記1.①参照)。「むた」は、「と共に」の意です。

② 三句「いざりする」の「いざり」とは、「漁り(平安時代以後「いさり」と読む)、漁をすること」を指す(『例解古語辞典』)とありますが、 『萬葉集』での用例より、類似歌における意味を確認します。

句頭に「いざり(する)」あるいは句頭に「あまのいざり」とある『萬葉集』歌は、15首ありました(付記1.②参照)。それらの歌における「いざり(する)」の意を整理すると、次の表になります。歌番号が赤色は、巻十五の遣新羅使群の歌(3600~3744)中の歌です。

 

表 句頭に「いざり(する)」あるいは句頭に「あまのいざり」とある『萬葉集』歌における「いざり(する)」

の意味区分(対象歌数計15首 2018/7/2  現在)

意味区分

 歌番号

計(首)

A あま(海人)が舟に乗り 「いざりする」

 258  944  3188  3629 3631  3645  3675  3686  4384

  9

B 舟に乗り 「いざりする」あま(海人)を 貧弱な衣服の者に例える

 253イ 

  1

C 「いざり」は夜の漁における集魚灯

3694 3918

  2

D あまをとめ(海人の少女)が 舟に乗り「いざりする」

3649

  1

E あまをとめ(海人の少女)が 「いざりする」

3683 3683イ

  2

注1)歌番号は、『新編国歌大観』第2巻記載の『萬葉集』の歌に付されている歌番号

注2)赤色の歌番号は、巻十五の遣新羅使群の歌(3600~3744)中の歌

③ この表から、「あまをとめ」の作業であると限定する意味区分DEを除くと、「いざり(する)」とは、「海に出て(舟に乗って)漁をする。集魚灯を用いた夜間の漁もある。」意である、と言えます。さらに、夜間の漁における集魚用の灯り即ち「漁り火」の略か、とも言えます。

意味区分DEは、巻十五の遣新羅使群の歌(3600~3744)中の歌の用例しかありません。この類似歌(2-1-3683)も該当します。「あまをとめ」が「いざりする」と詠う歌は、2-1-3683歌の四句と五句の異伝歌が、2-1-3683歌イであるので、実質は、『萬葉集』において2例のみです。

また、巻十五の遣新羅使群の歌(3600~3744)中の歌が用例中の過半を占めていますが、いずれも土屋氏が作風について一言している「未詳の作者」の詠です。

④ 「あま(の)をとめ」の用例も『萬葉集』に多数ありますので、「あま(の)をとめ」がどのような意味(仕事)をしていると詠われているかを確認し、表の意味区分DEの意味するところを推測してみたい、と思います。

萬葉集』で句頭に、「あま(の)をとめ・・」とある歌は、22首あります(付記2.参照)。その歌の現代語訳を試み、「あま(の)をとめ」はどのような作業(仕事)をして(しようとして)いるかを、作業区分とその作業の行われる場所別に見ると、次の表のようになります。歌番号が赤色は、巻十五の遣新羅使群の歌(3600~3744)中の歌です。

表 『萬葉集』で句頭に、「あま(の)をとめ・・」とある歌の分類  (2018/7/2  現在)

作業区分

歌番号

作業例数

作業場所

イ)もしほやく

5   369   940① 

  3

ロ)浜で(玉)藻かる  

又は940② 又は941 1730  

  3

ハ)舟に乗り(玉)藻かる

又は940② 又は941  1156  3660  3912 

  5

海上

ニ)舟に乗り 集魚灯の番をする

3918

  1

海上

ホ)舟に乗り 玉を求める

1008

  1

海上

ヘ)上記以外で船にのる(作業不明)

935  1067  3663

  3

海上

ト)浜で 浜菜を摘む

3257

  1

チ)海中で 貝をとる

3098

  1

 海上

リ)舟に乗り 「いざりする」

3649

  1

 海上

ヌ)「いざりする」

3683 3683イ

  2

保留

ル)「あさりする」

1190

  1

ヲ) (作業に関係なく)天つをとめ

 869

  1

対象外

ワ)作業不明

1206  

  1

岩場(浜)

カ)作業不明

3619

  1

 海上

合計

(該当歌数は22首)

 

 25

浜と岩場 9例

海上 13例

対象外 1例

保留 2例

注1)歌番号は、『新編国歌大観』第2巻『萬葉集』に付されている歌番号。

注2)歌番号のあとの①,②は、その歌において作業が二つ詠われていることによる。

注3)「又は+歌番号」は、その作業の可能性があり、浜(あるいは岩場)か、海上に絞れない作業を詠う歌、の意である。

注4)赤色の歌番号は、『萬葉集』巻十五の遣新羅使一行の歌(3600~3744)である。

注5)作業場所は、浜(あるいは岩場)、海上、対象外、保留の4区分とした。対象外とは、海人の少女の意ではない「あまをとめ」という表現の歌を指す。保留は、本文で検討を別途加える予定。

⑤ 作業は14種に別けざるを得ませんでした。そのうち、表のイ)~ホ)及びト)とチ)の7種の作業(仕事)が「あま(の)をとめ」の主たる作業(仕事)ということがはっきりしました。このほかチ)の作業から類推すると、岩場などでの貝とり。海苔とりなどが考えられます。

舟に乗り作業(仕事)をしているのは、ハ)(舟に乗り(玉)藻かる)か、ニ)(舟に乗り集魚灯の番をする)、ホ)(舟に乗り 玉を求める)、チ)海中で 貝をとる)です。

⑥ その他の作業(仕事)について、その主たる作業(仕事)に該当するかどうかを検討します。

 最初に、ヘ)の作業である3例を、その作業(仕事)をほかの作業(仕事)とも比べてみると、

  935歌は、「あまをとめ たななしをぶね こぎづらし」と詠い(付記2.参照)、舟に乗って漕いでいるのは「あまをとめ」だけらしい。

  1067歌は、1073歌と比較すると、「玉藻かる」らしい。

  3663歌は、「かぢのおとするは あまをとめかも」と詠い、935歌と同じようである。

 このことから、舟に乗る作業(仕事)で一番可能性が高いのはハ)の作業となります。

⑦ 次にリ)の作業は、7種の作業(仕事)より選べば、海人とともにする作業ではない舟に乗った作業で且つ昼間であるハ)となります。ホ)やヘ)の可能性もあります。

次にヌ)の作業は、その該当歌によれば、浜に寄せ来る波と強い風のなかでの作業なので、舟に乗っていない可能性が強いので、7種の作業(仕事)より選べば、ロ)(浜で(玉)藻かる)となります。風の強い中で出航したら海人も「あま(の)をとめ」も衣を濡らしているはずであり、「あま(の)をとめ」だけ注目するならば、浜で(海人の作業ではないと思われる)作業に従事してして者と推定するのが自然に思えます。さらに、ト)や岩場での貝とりもあり得ます。

⑧ 次にル)の作業は、「あさりする」意が、句頭に「あさりする」とある『萬葉集』歌(付記1.③参照 但し2-1-1190歌を除く)と、三代集の歌(4首ある。付記3.①参照)によれば、

     魚や貝や海草を捜し求めている。

     鶴などが餌をさがして歩いている。

     漁を生業とする者(の家)は貧しいので、貧民を形容する語。

     浜で貝を拾い集めている。

という意で用いられているので、ル)の作業をしている2-1-1190歌では、ロ)又は岩場での貝とりか、と思われます。

⑨ 次にヲ)の作業は、今検討している「海人の少女」とは別の概念の「あまをとめ(天女)」です。

⑩ 次にワ)の作業は、チ)に近い作業を岩場で行っているのではないか。ル)の作業と重なると思われる。又、カ)の作業は、昼間の海上での作業であるので、ハ)の作業ではないか、と推測できます。

以上の検討より、上記の意味区分D(あまをとめ(海人の少女)が 舟に乗り「いざりする」)は、海人とともにする作業ではない舟に乗った作業であるハ)が有力です。「未詳の作者」が安易に海上の「あまをとめ」を描写するならば、ハ)ではないでしょうか。藻をとる場面は浜と海上を通じて一番ん多く詠まれています。

⑪ また、上記の意味区分E(あまをとめ(海人の少女)が 「いざりする」)は、ロ)(浜で(玉)藻かる)やト)や岩場での貝とりの類の作業ということになります。

つまり、この類似歌の三句「いざりする」という語句を、「未詳の作者」は、海で魚類を釣る意という理解ではなく、海草や貝類などを採取する行為に対して拡大適用したのではないか、と思われます。

⑫ 類似歌の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「風と共に寄せて来る波によって、浜で玉藻を採取している海人の娘達の衣の裾は濡れてしまったよ。」  

⑬ この(試案)は、一つの詞書のもとにおける9首のうちの一首として独自性がなければなりません。

海辺望月作歌九首(3681~3689)は、次のとおりです。

各歌について、「海辺」と「望月」との関連を判断し、該当すれば◯、否であれば×を、歌の次の()に、記しました。

2-1-3681歌  あきかぜは ひにけにふきぬ わぎもこは いつとかわれを いはひまつらむ

      大使之第二男   (海× 月◯:歳月)

2-1-3682歌  かむさぶる あらつのさきに よするなみ まなくやいもに こひわたるなむ 

土師稲生      (海◯:地名 月◯:歳月)

2-1-3683歌  かぜのむた ・・・(類似歌)   以下左注無しなので作者は、「未詳の作者」

       (海◯:裾濡れる 月◯:明け方の月)

2-1-3684歌  あまのはら ふりさけみれば よぞふけにける よしゑやよし ひとりぬるよは あけばあけぬとも  旋頭歌   (海× 月◯:ふりあおぐ

2-1-3685歌  わたつみの おきつなはのり くるときと いもがまつらむ つきはへにつつ

       (海◯:おきつなはのり 月◯:歳月)

2-1-3686歌 歌は割愛 (海◯:梶の音 月◯:明け方の月)

2-1-3687歌 歌は割愛 (海◯:雁がね 月◯:明け方の月)

2-1-3688歌 歌は割愛 (海× 月◯:歳月)

2-1-3689歌 歌は割愛 (海× 月◯:歳月)

9首は、妻を思うものが多く、望月は、月そのものか月の満ち引きから歳月も含まれるものとしてみれば詞書(海辺望月作歌)を満しているかにみえます。そのなかで、類似歌は、この9首のなかで独自性がある、といえます。上記の(試案)は妥当です。

 

5.3-4-21歌の詞書の検討

① 3-4-21歌を、まず詞書から検討します。

 「ものよりきて」という表現が3-4-1歌(ブログ2018/1/29)の詞書にありました。ここではその反対で、「ものへゆく」であります。「任務地へ行く・京を離れ地方に行く」、の意です。

③ 詞書にある「あさりするもの」は、「あさりするをとめ(少女)」という表現ではないので、「あさりする何物か」という意であり、「海人の少女」に限らず大人や子供やツルやその他もあり得る表現です。「もの」とは、個別の事情を直接明示しないで一般化して言う語(『例解古語辞典』)です。

④ 「あさりする」とは、『萬葉集』の用例では、採る意より、探す意が強い。「海浜か岩場で何かを求め作業している」意となります。また、三代集での用例(付記3.参照)は、4首しかありませんが、『萬葉集』の用例と同じ意です。

⑤ 「あさりするものどものあるをみて」における「ある」とは、「生る」(生まれる、出現する)、の意です。

 即ち、「(何かが)あさりするという状態にみえるところのもの(が出現したの)を、作者は認識したので、」という意となります。

⑥ 詞書の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「任国へゆく途中、海辺近くを見みると、風が大層吹いている中で何かをさがしている者たちがいるかにみえる光景を見て(詠んだ歌) 」

6.3-4-21歌の現代語訳を試みると

① 初句「風をいたみ」とは、名詞「風」+格助詞「を」+形容詞「甚し」の語幹+接尾語「み」であり、「風がはなはだしいので」、という意となります、

② 三句「あさりする」は、詞書にある「あさりする」と同じ意です。ここでは、四句の意に沿い理解する必要があります。

③ 四句「あまをとめごが」は、「天つをとめ児が」であり、2-1-869歌にある「とこよのくにの あまをとめ」に接尾語の「子・児」を添えた形です。歌語の「天つ少女」です。

2-1-869歌   和松浦仙媛歌一首      吉田宜

   きみをまつ まつらのうらの をとめらは とこよのくにの あまをとめかも

    (伎弥乎麻都 麻都良乃于良能  越等米良波 等己与能久尓能 阿麻越等売可忘)

 この歌は、大宰府大伴旅人から「梅花歌三十二首と松浦の河に遊ぶの序及び歌」を贈られた京に居る吉田宜の、返書中にある歌のひとつであり、松浦の浦に待つ少女らは、常世の国の天女かも、と詠う歌です。

④ 詞書と初句から、この日の天候は、「海人の少女」たちが浜や海中で作業(仕事)に適していない状況が推察できます。

⑤ 詞書に留意して、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「強い風があるので、寄せてはかえす波で、海辺で何か探し物をしている天女たちの裳の裾が濡れてしまっているよ。」

岩場か海に臨む崖に、強い風にあおられた大波が砕け散る様子を、天女の裳裾に見立てたのではないでしょうか。

7.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-21歌は、具体に詠うきっかけの状況を説明し、類似歌2-1-3683歌は題詠の題を示しています。

② 初句が異なります。この歌は、二句以下の原因を示し、類似歌は、二句以下と同時並行の現象を指しています。

③ 三句の語句が異なります。この歌は、「あさりする」、類似歌は、「いざりする」です。しかしながら、類似歌は、「いざりする」意を拡張して用い、「あさりする」意で用いていますので、実質は同じ意です。

④ 四句の意が異なります。この歌の「あまをとめごが」は「天女が」、の意であり、類似歌の「あまをとめらが」は、「海人(の)少女達が」、の意です。

⑤ この結果、この歌は、強い風による自然の営みを天女の動きに例えて詠い、類似歌2-1-3683歌は、風のなかであっても働いている海人の少女を詠っています。

⑥ この歌の作者は、天女を指す「あまをとめ」の先例である2-1-869歌と類似歌2-1-3683歌を承知している、と断言できます。

⑦ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-22歌  おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやる

       ちりひじのかずにもあらぬわれゆゑにおもひわぶらんいもがかなしさ

3-4-22歌の類似歌 類似歌は2-1-3749:右四首中臣朝臣宅守上道作歌(3749~3752)

ちりひじの かずにもあらぬ われゆゑに おもひふわぶらむ いもがかなしさ

 この二つの歌も、趣旨が違う歌です。 

⑤ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/7/2   上村 朋)

付記1.『萬葉集』において、句頭に「かぜのむた」、「いざり(する)」、「あまのいざり」、「あさり(する)」とある歌 

① 「かぜのむた」と表現する歌は、4首あり、次のとおり。

 2-1-199歌 2-1-1842歌 2-1-3192歌 2-1-3683歌(この類似歌)

② 句頭に「いざり(する)」、「あまのいざり」とある歌は、すべてで15首あり、次のとおり。

下線部分は、「いざりする」という語句と「いざりする者」を示す語句である。歌の次の()内は私のその現代語訳(試案)以下同じ。歌番号が赤の歌は、巻十五の類似歌と同じ詞書中にある歌であり、15首中9首ある。

 

2-1-253イ 歌  しろたへの ふじえのうらに いざりする あまとかみらむ たびゆくわれを  雑歌

           ((くたびれた衣服を着ている官人の我を、藤江の浦の海で)ちょうどいま漁をしている

最中であるそれを生業とする者と)

2-1-258歌  むこのうみ ふなにはならし いざりする あまのつりぶね なみのうへみゆ

         ((昼間か夜か分からないが)それを生業とする者が乗り漁をしている最中である釣り船)

2-1-944歌   おきつなみ へなみしづけみ いざりすと ふじえのうらに ふねぞさわける

            ((それを生業とする者とその家族が、舟をだして)漁をするのだと)

2-1-3188歌  いざりする あまのかぢおと ゆくらかに いもはこころに のりにしものを

            ((昼間か夜か分からないが)舟で漁をしている最中であるそれを生業とする者)

2-1-3629  しろたへの ふじえのうらに いざりする あまとやみらむ たびゆくわれを

           (それを生業とする者が漁をしている最中である  2-1-253またはそのイの引用歌)

2-1-3631  むこのうみ にはよくあらし いざりする あまのつりぶね なみのうへみゆ 

          ((昼間か夜か分からないが)それを生業とする者が漁をしている最中であるところの(乗っている釣舟)      2-1-257歌の改作)

2-1-3645  やまのはに つきかたぶけば いざりする あまのともしび おきになづさふ

            ((月が西空にかかる夜明けに)それを生業とする者が漁をしている最中(の漁火))

2-1-3649 ・・・わたつみの おきへをみれば いざりする あまのをとめは をぶねのり

 つららにうけり ・・・

 (漁を生業とする者の子女は、今漁をしている最中であるが(、各々小舟に乗って連なり

浮かぶ) 

2-1-3675   しかのうらに いざりするあま いへびとの まちこふらむに あかしつるうを

            (夜を徹して灯火を用いての漁をしている最中であるそれを生業とする者)

2-1-3683 (この類似歌)  かぜのむた よせくるなみに いざりする あまをとめらが ものすそぬれぬ 

            (保留  本文参照)

2-1-3683歌イ  かぜのむた よせくるなみに いざりする あまのをとめが ものすそぬれぬ

            (三句に異同がない3683歌の異伝歌である)

2-1-3686   しかのうらに いざりするあま あけくれば うらみこぐらし かじのおときこゆ

            (夜明け前に灯火を用いて漁をしている最中であるそれを生業とする者)

2-1-3694   ひさかたの つきはてりたり いとまなく あまのいざりは ともしあへりみゆ 

 (舟に乗って漁をする(それを生業とする)人々の漁り火は海上にちらちら瞬き

あっている)

2-1-3918歌   あまをとめ いざりたくひの おぼほしく つののまつばら おもほゆるかも

            (漁を生業とする者の少女が漁のため(集魚用に)舟のなかで焚く火)

2-1-4384歌   ・・・ あまをぶね はららにうきて おほみけに つかへまつると をちこちに 

いざりつりけり ・・・   

  (漁を生業とする者の使う舟(に乗り、漕ぎだし)、(それが海上のあちこちで)

集魚用の火を舟のなかで焚いて魚を釣っている)

 

③句頭に「あさり(する)」とある歌の例を示す。下線部分は、「あさりする」という語句と「あさりする者」を示す語句である。歌番号が赤の歌は、巻十五の類似歌と同じ詞書中にある歌(すべてを示した)。

2-1-857歌   あさりする あまのこどもと ひとはいへど みるにしらえぬ うまひとのこと

            (魚介類などを探し求めているような魚とりを生業とする者の子供(ではなく貴人

の子と知っている)< 旅人の創作。「遊於松浦河序」のある歌のひとつ>)

2-1-1169歌   ゆふなぎに あさりするたづ しほみてば おきなみたかみ おのづまよばふ

            (餌をあさっている鶴)

2-1-1171歌   あさりすと いそにわがみし なのりそを いづれのしまの あまかかりけむ

            (採ろうと思って磯で見た海草ホンダワラを 漁を生業とする者が)

2-1-1190歌   あさりする あまをとめらが そでとほり ぬれにしころも ほせどかわかず

            ((魚を釣るのではなく)海草などを採っている最中の漁を生業とする者の少女たちが)

2-1-1208歌   くろうしのうみ くれなひにほふ ももしきの おほみやひとし あさりすらしも

            (行幸先の和歌山の黒江湾の浜にでて、装った女官が貝拾いをしているらしい)

2-1-1217歌   あさりすと いそにすむたづ あけされば はまかぜさむみ おのづまよぶも

            (餌をあさっては磯に住んでいる鶴)

2-1-1731歌   あさりする ひととをみませ くさまくら たびゆくひとに わがなはのらじ

            (魚介類などを探し求めているような魚とりを生業とする者即ち賤しい身分の者

と(私をみなしてください))

2-1-3105歌   かもすらも おのがつまどち あさりして おくるるあひだに こふといふものを

            (鴨が餌を求めて)

2-1-3620   ぬばたまの よはあけぬらし たまのうらに あさりするたづ なきわたるなり

(餌をあさっている鶴)

2-1-4058歌   なごのうみに しほのはやひば あさりしに いでむとたづは いまぞなくなる

            (餌を採りに鶴が)

2-1-4384歌   ・・・ あまをぶね はららにうきて おほみけに つかへまつると  をちこちに 

いざりつりけり そきだくも ・・・  (上記②に記載)

付記2.『萬葉集』における、句頭に「あま(の)をとめ」とある歌(全部で22首)

下線部分は、「あま(の)をとめ」という語句を示す。歌の次の()内は私のその現代語訳(試案)。歌番号が赤の歌は、巻十五の類似歌と同じ詞書中にある歌。

なお、 現代語訳(試案)における「海人」とは、漁をするのを生業とする者、の意である。

 

2-1-5歌 ・・・ たづきをしらに あみのうらの あまをとめらが やくしほの おもひぞやくる あがしたごころ

            (網の浦の海人の少女たちが焼く塩(のように))

2-1-369歌 ・・・ ますらをの たゆひがうらに あまをとめ しほやくけぶり ・・・ 

            (勇猛な男子が手に結う、手結いではないが 手結いの浦で、海人少女たちの塩を

焼く煙が(みえる))

2-1-869歌   和松浦仙媛歌一首      吉田宜

   きみをまつ まつらのうらの をとめらは とこよのくにの あまをとめかも

    (伎弥乎麻都 麻都良乃于良能  越等米良波 等己与能久尓能 阿麻越等売可忘)

             (旅人の「梅花歌三十二首と松浦の河に遊ぶの序及び歌を贈られた吉田宜の返書

中にある歌のひとつ。 松浦の浦に待つ少女らは、常世の国の天女かも)

2-1-935歌 あまをとめ たななしをぶね こぎづらし たびのやどりに かぢのおときこゆ

             (海人の少女が棚なし小舟を漕ぎだしたらしい)

2-1-940歌 三年丙寅秋九月十五日、幸二播摩国印南野一時、笠朝臣金村作歌一首 幷短歌

・・・ まつほのうらに あさなぎに たまもかりつつ ゆふなぎに もしほやきつつ あまをとめ 

ありとはきけど ・・・

             (淡路島の松帆の浦では、朝凪には(浜か海中で)玉藻を刈り、夕凪には藻塩を焼く

のを習いとしている、海人の少女がいると聞いているが)

2-1-941歌  たまもかる あまをとめども みにゆかむ ふねかぢもがも なみたかくとも

            (940歌の反歌であり、淡路島の松帆の浦で玉藻(海中にある藻か)を刈っている海

人の少女たち )  

2-1-1008歌  築後守外従五位下葛井連大成遥見海人釣船作歌一首

   あまをとめ たまもとむらし おきつなみ かしこきうみに ふなでせりみゆ

                 (海人の少女は、真珠を求めるらしく 危険な海に船出した)

2-1-1067歌 ありがよふ なにはのみやは うみちかみ あまをとめらが のれるふねみゆ

            (海人の少女が乗っている舟)

2-1-1156歌  かぢのおとぞ ほのかにすなる あまをとめ おきつもかりに 舟だすらしも

            (海人の少女は、昼間に舟に乗って海草を刈りにゆく)

2-1-1190  あさりする あまをとめらが そでとほり ぬれにしころも ほせどかわかず

(上記の付記1.③より転載「(魚を釣るのではなく)海草などを採っている最中の漁を生

業とする者の少女たちが」)

2-1-1206歌   しほみたば いかにせむとか わたつみの かみがてわたる あまをとめども

            (岩場を渡りあるき作業している海人の少女たち)

2-1-1730歌   なにはがた しほひにいでて たまもかる あまをとめども ながなのらさね

            (干潮のとき(徒歩で)玉藻を刈る海人の少女)

2-1-3098歌 あまをとめ かづきとるといふ わすれがひ よにもわすれじ いもがすがたは

            (海人の少女が海に潜って採るという忘れ貝 忘れ貝は通常二枚貝をいう。潜って

採るとすると一枚貝のアワビを言うか)

2-1-3257歌 ・・・ あごのうみの ありそのうへに はまなつむ あまをとめらが うなげるひれも てるがに てにまける ・・・ 

            (海浜に生えている菜を(食料にと)摘む海人の少女ら  

◯海草は「刈る」 ◯砂地の野菜に、ハマダイコン ハマノボウ ツルナ アシタバ 

ハマエンドウ 岩場の野菜に、ホソバワダン(沖縄で言うニガナ)など有り)

2-1-3619   わたつみの おきつしらなみ たちくらし あまをとめども しまがくるみゆ

            ((仕事で浜か岩場にきていたか舟に乗っていたかわからないが)海女の少女が

島に退避した(海又は浜から見えなくなっしまった。

◯しまがくるとは、「歌語であり、島の陰に隠れて見えなくなる」意。)

2-1-3649   わたつみの おきへをみれば いざりする あまのをとめは をぶねのり

 つららにうけり ・・・

      (上記の付記1.③より転載「漁を生業とする者の子女は、今漁をしている最中であるが、

各々小舟に乗って連なり浮かぶ」)   

2-1-3660 これやこの なにおふなるとの うづしほに たまもかるとふ あまをとめども

             (渦潮を恐れもぜず渦の近くで海草を刈るという海人の少女)

2-1-3663 あかときの いへごひしきに うらみより かぢのおとするは あまをとめかも

             (舟に乗っている海人の少女かも)

2-1-3683 (この類似歌) かぜのむた よせくるなみに いざりする あまをとめらが ものすそぬれぬ  (保留、本文参照)

2-1-3683イ歌 海辺望月作歌九首(3681~3689)  よみ人しらず 

    かぜのむた よせくるなみに いざりする あまのをとめが ものすそぬれぬ 

                (同上)

2-1-3912歌 わがせこを あがまつばらよ みわたせば あまをとめども たまもかるみゆ

             (松原から見ると海人の少女が(海にでて)玉藻を刈っている)

 

2-1-3918歌   あまをとめ いざりたくひの おぼほしく つののまつばら おもほゆるかも

(上記付記1.②より転載「漁を生業とする者の少女が漁のため(集魚用に)舟のなかで焚く火)

  

⑤ 参考歌(漁として網引きを詠う歌)

2-1-1191歌   あびきする(万葉仮名「網引為」) あまとがみらむ あくのうらで きよきありそを みいこしあれを

付記3.三代集における、表現「いさり(する)」、「あさり(する)」の例歌

下線部分は、「いざりする」という語句と「あさり」を示す語句である。歌の次の()内は私のその現代語訳(試案)。

①句頭に「あさり(する等)」と表現している歌

1-2-941歌 いとしのびてまうできたりけるをとこを、せいしける人ありけり、ののしりければ、かへりまかりてつかはしける     よみ人しらず

   あさりする時ぞわびしき人しらずなにはの浦にすまふわが身は

      (漁を生業とする者の行う漁をする(時))→古今雑下「われをきみ・・・」を踏まえる歌

1-2-758歌 心さしありていひかはしける女のもとより、人かずならぬやうにいひて侍りければ 

はせをの朝臣

   しほのまにあさりするあまもおのが世世かひ有りとこそ思ふべらなれ

      ((干満を利用し)貝などを採ることを生業とする者も)

1-3-21歌 題しらず   大伴家持

   春ののにあさるきぎすのつまごひにおのがありかを人にしれつつ

      (餌を探し求めている雉)

1-3-1020歌 ひとに物いふとききてとはざりけるをとこのもとに   中宮内侍

   かすがののをぎのやけはらあさるとも見えぬなきなをおほすなるかな

      (餌などを探すように探し回っても)

②句頭に「いさり(する等)」と表現している歌

1-1-961歌 おきのくににながされて侍りける時よめる    たかむらの朝臣

   思ひきやひなのわかれにおとろへてあまのなはたきいさりせむとは

      (漁師の釣縄を手繰り、魚を獲ろうとは)

1-3-400歌 そやしまめ   高岳相如   (巻七 物名にある)

   いさりせしあまのをしへしいづくぞやしまめぐるとてありといひしは

      (漁を(そのとき)していたという海人)

1-3-752歌 題しらず    よみ人しらず

   しかのあまのつりにともせるいさり火のほのかにいもを見るよしもがな

      (筑前の志賀にいる海人が舟で釣をするとき(集魚用に)ともす漁火)

1-3-968歌 題しらず    坂上郎女

   しかのあまのつりにともせるいさり火のほのかに人を見るよしもがな

      (1-3-752に同じ)

1-2-681歌 しのびてあひわたり侍りける人に    藤原忠国

   いさり火のよるはほのかにかくしつつ有りへばこひのしたにけぬべし

      (漁火が)

付記終り 2018/7/2  上村 朋)