わかたんかこれ 猿丸集第18歌 こぞもことしも

前回(2018/6/11)、 「猿丸集第17歌その2 おもひそめけむ」と題して記しました。

今回、「猿丸集第18歌 こぞもことしも」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第18 3-4-18歌とその類似歌

① 『猿丸集』の18番目の歌と、その類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-18歌    あひしれりける人の、さすがにわざとしもなくてとしごろになりにけるによめる

 をととしもこぞもことしもはふくずのしたゆたひつつありわたるころ

 

3-4-18歌の類似歌は2首あります。

 a 上句に関して2-1-786:「大伴宿祢家持贈娘子歌三首(786~788)」  巻第四相聞にある。

       をととしの さきつとしより ことしまで こふれどなぞも いもにあひかたき

 b 三句以下に関して2-1-1905歌   巻第十 春の相聞   寄花(1903~1911

       ふぢなみの さくはるののに はふくずの したよしこひば ひさしくもあらむ

 

② 諸氏は類似歌を指摘していません。幾つかの語句が共通していることから類似歌と認めたのがこの2首です。

③ これらの歌も、詞書が異なるとともに、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。歌番号順に検討します。

2-1-786歌は、 『萬葉集』巻第四 相聞にあるです。

この歌とその前後の歌の詞書(題詞)は、次のとおりです。

紀女郎褁物贈友歌三首

大伴宿祢家持贈娘子歌三首 (この類似歌の詞書)

大伴宿祢家持報藤原朝臣久須麻呂歌三首

一つ前の紀女郎の歌の詞書は、土産物に添えた歌と、いわれています。

互いに関係の薄い詞書ですので、2-1-786歌は、他の詞書との関係を意識せず理解してよい歌であると思います。

② 次に、2-1-1905歌は、 『萬葉集巻第十 春の相聞にあるです

この歌とその前後の歌の詞書(題詞)は、次のとおりです。

寄鳥

寄花 (この類似歌の詞書)

寄霜

互いに関係の薄い詞書ですので、2-1-786歌は、他の詞書との関係を意識せず理解してよい歌です。その「寄花」という詞書のもとに9首あり、花の順番をみてみると、卯の花梅の花、藤(波)、花一般、あしび、梅の花、をみなへし、梅の花、山吹の順であり、春以外の花もあったりしており、この9首のなかで対となっている歌もなく、前後の歌とは独立している歌としてこの歌を理解してよい、と思います。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

2-1-786

・ 「一昨年のその前の年から今年まで恋い続けているのに、どうしてあなたに逢えないのでしょう。(わたしは逢いたいと思っていますのに)」(阿蘇氏)

・ 「をと年の其の先の年から今年まで恋ふて居るのに、どうしたことか妹に会ひがたい。」(土屋氏)

土屋氏は、「(作者の家持が)如何なる娘に贈ったか分からない。ただ言葉の上の遊びの如き作である」と指摘しています。

 

2-1-1905

・ 「藤の花が咲いている春の野に蔓(つる)を這わせている葛のように、心の中でのみ恋い募っていたら、思いを遂げるのは久しい先のことであろうなあ。」(阿蘇氏)

阿蘇氏は、初句~三句は、四句にある「したよし」にかかる序詞であり、斬新な表現である、と言っています。萬葉集には「下ゆ恋ふ」「下に恋ふ」等の表現が7例ありますが、枕詞として「隠り沼の」を冠するものが5例、「埋もれ木の」が1例、「下紐の」が1例です。

また、氏は、四句「したよしこひば」を「した」+格助詞「よ」(~から・~を通って、の意。格助詞「ゆ」に同じ)+強意の助詞「し」+動詞「恋ふ」の未然形+仮定条件をあらわす助詞「ば」とし、「下よし恋ひば」としています。

     「藤の花の咲いて居る春の野に、延びて居る蔓の如くに、心の内から恋ひ思って居れば、時久しいことであろう。 」(土屋氏)

土屋氏は、二句と三句を「さけるはるぬに はふつらの」として、訳しています。「花が咲く頃の野生の藤の新生の蔓は低く地上に延びひろがって居るので、シタにつづけたと見える」と言い、藤の蔓とみないで葛花のクズという解釈では、「いかにもうるさい歌になってしまう」と指摘しています。また、氏は、2-1-2493歌の解説においてムロの木を例に(萬葉集では)「草木の呼称用字のルーズなことは例が多かった。」とも評しています。

② 2-1-1905歌は、初句から三句が序詞なので、この歌の趣意は四句と五句にあります。

③ 二句にある「(はるの)の」は、「野」であり、藤波が咲いている野であるので、そのほかに中低木もある原野であるはずです。奈良盆地にある川が蛇行を繰り返す氾濫地域の荒地を指していると推定できます。

④ 2-1-1905歌に関する土屋氏の説を検討します。藤も葛も、つるが延びる植物です。また、詞書(題詞)は「寄花」であるので、この歌の作者は、藤の花に寄せて詠っている前提で、歌を理解して然るべきです。ですから、序詞の意は、藤がつるを延ばす努力をして花を咲かすように、ということであろうと思います。

つるを延ばす植物として当時典型的なものとして藤や葛が知られていたそうです。大伴旅人が太宰師であったころ築後守であった「葛井広成」は「ふぢいひろなり」と読みます。大阪府藤井寺市にある奈良時代には創建されたという葛井寺は「ふぢいでら」と読みます。このように藤や葛も「ふぢ」と読まれており、この時代つる性の植物を細かく別けていないようです。このようなことから、「寄花」の歌でもあり、土屋氏のいう「いかにもうるさい歌になってしまう」のを避けた理解がよい、と思います。

 詞書に留意し、藤とはつる性の植物の総称として土屋氏の説を採り、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「つるを伸ばしている藤などの花が咲いている野原をみると、しっかりつるを伸ばしてきて(今花を咲かせて)いる。それと同じように、ずっと心のうちで思い続けている、私の恋の花が咲くのは先のことであろうなあ。」

この歌で詠っている花は、つる草一般の花のことです。植物の種類を問うことをしていません。

この歌を、『萬葉集』のこの巻の編纂者は、春相聞に配しています。よみ人しらずの歌でもあるので、土屋氏のいう民謡の可能性があります。どのような使い方だったのでしょうか。大勢の女性あるいは男性のいる会場で、心のうちで思っている人に聞こえるように謡ったとして、この歌をまた謡い返す人がいたら恋は少し前に進んだのでしょうか。返歌があったらつぎにはどんな歌を謡ったのでしょうか。

 

4.3-4-18歌の詞書の検討

① 3-4-18歌を、まず詞書から検討します。

 「あひしれりける人」は、作者の知り合いであり、ともに官人です。

③ 「わざとしもなくて」とは、ことさらの仕事もなくて、の意。無官でいたが「除目(ぢもく)に司得ぬ」まま年を経て、の意です。

 除目とは、新しい官職に就任する人名を書き連ねた目録を指すが、当時、大臣以外の諸官職を任命する朝廷の儀式を指してもいい、定例は春秋にあります。「除目に司得る」とは、新たな役職に就く(所得を得る)ということです。『枕草子』第二十五段に、「すさまじきもの」として、「除目に司得ぬ人の家」があげられています。

④ 「としごろ」とは、「年頃」で、ここでは、これまで何年かの間・何年も、の意となります。

⑤ 詞書の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「よく知っている人が、待っていたものの除目にあうこともなくて、何年もたったので詠んだ(その歌)」 

 

5.3-4-18歌の現代語訳を試みると

① 初句の「をととしの」の用例は、『萬葉集』では類似歌の2-1-7861首のみです。

② 三句「はふくずの」の「くず」は、つる性の植物一般を指す普通名詞です。

「はふくず」という表現の先行例は、『萬葉集』に、2-1-426歌の長歌2-1-1905歌など何首かあります。三代集においては「はふくずの」の例はなく、「はふくずも」が一例ある(1-1-262歌)だけです。

③ 四句にある「したゆたふ」とは、準備がゆるむ。すなわち、上位の人の支配や恩恵を受けるための努力が足りない、の意。「した」とは、相対的な位置を上下の関係にとらえて下方、上位の人の支配や恩恵を受けることこと、前もって行うこと・準備、などの意があります(『例解古語辞典』)。

④ 五句にある「ありわたる」とは、そのままの状態で過ごす、の意です。

⑤ 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-18歌の現代語訳を試みます。

 「一昨年も、去年も、今年も、葛のつるが地をゆるゆる伸びてゆくように、期待が先延ばしになるこの頃であるなあ(頼みにしている上流貴族にもお願いしているが、なかなか難しいものであるのだなあ)。

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-18歌は、作者の作詠の直接のきっかけに触れていますが、二つの類似歌は、そうではありません。

 歌の趣旨が違います。時間のかかることに関する感興というのは共通ですが、この歌は、今年も除目のなかったことを嘆いている歌であり、類似歌は、思っていることが相手に届くのには時間がかかるが成就は楽観視している恋の歌です。

 つまりこの歌は、現状が変わらないことから諦観を抱き、類似歌は、現状が打破できるだろうと楽天的です。  

 さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

   たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かな

 

3-4-19歌の類似歌 2-1-3005歌。 寄物陳思 よみ人しらず (『萬葉集』巻第十二にある)

たまたすき かけねばくるし かけたれば つぎて見まくの ほしききみかも 

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

④ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/6/18  上村 朋)