わかたんかこれ 猿丸集第16歌 いもにあはぬかも

前回(2018/5/21)、 「猿丸集第15歌 いまきみはこず」と題して記しました。

今回、「猿丸集第16歌 いもにあはぬかも」と題して、記します。(上村 朋)

. 『猿丸集』の第歌 3-4-16歌とその類似歌

① 『猿丸集』の16番目の歌と、類似歌として諸氏が指摘する歌その他を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-16歌  (詞書の記載なし)

あづさ弓ひきつのはなかなのりそのはなさくまでといもにあはぬかも

 

3-4-16歌の類似歌  類似歌は、『萬葉集』の短歌と旋頭歌各1首です。短歌は、この短歌の異伝歌が3-4-16歌であると諸氏が指摘する歌であり、旋頭歌は、その短歌に初句~三句の表現が近い等の理由から私が類似歌として検討することとした歌です。

 2-1-1934歌   問答(1930~1940  

      あづさゆみ ひきつのへなる なのりその はなさくまでに あはぬきみかも 

 

 2-1-1283歌    旋頭歌

        あづさゆみ ひきつのへなる なのりそのはな つむまでに あはずあらめやも なのりそのはな 

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、3-4-16歌は、二句、四句および五句の文字などと、詞書が、類似歌と異なります。

③ 3-4-16歌と類似歌とは、趣旨が違う歌です。

 なお、2-1-1934歌が問答という部立の歌なので参考までに、対となる歌を示します。

2-1-1935  かはのへの いつものはなの いつもいつも きませわがせこ ときじけめやも

 また、このほかの類似歌の有無については、後ほど改めて検討します。

 

2.類似歌の検討その1 配列から 

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。『萬葉集』の歌番号順に検討します。

類似歌2-1-1283歌は、『萬葉集』巻第七にある全350首のうち 雑歌の部の詞書(題詞)が「旋頭歌」とある歌の一首です。

「旋頭歌」には、24首あり、『萬葉集』にある注記によれば、その最後の一首を除き、柿本朝臣人麿の歌集から採録した歌です。

この歌の前後の歌をみてみます。

② 旋頭歌は、歌謡性に富む歌(阿蘇氏)、民謡(土屋氏)と評されており、場合によっては上句と下句が掛け合いになっていたり、左右に分かれたグループあるいは男女、地域別などのグループ同士が旋頭歌を互いに謡いかけ楽しんだ歌である、と諸氏が指摘しています。

 旋頭歌は、同一の地名、物、状況が同様の歌であって、かつ連続して配列されていれば、その関連性を考慮して理解したほうがよいが、そうでなければ、単独の歌として理解してよい、と思われます。

③ 類似歌2-1-1934歌は 『萬葉集』巻第十の、春相聞にある歌です。春相聞は、「寄+名詞」の形の詞書が8つ続いたのち「贈蘰」、「悲別」及び「問答」で終ります。「問答」は五組の男女間の問答の歌であると、諸氏は指摘しています。問答の部立の最初に記載している一組の左注に「右一首不有春歌、而猶以和、故載於茲次」とあり、問答という表現様式への関心が『萬葉集』のこの巻の編纂者に高く、対となった歌同士で一つの世界をつくっている歌(と見做せる歌)の類に仕立てることを第一に編纂しているといえます。

 類似歌2-1-1934歌の前後の配列からは、問答歌として、対応する歌とあわせて理解する必要がありますが、前後の問答歌とは独立している、と言えます。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 歌にある「ひきつ」と「なのりそ」について、確認しておきます。

 二句にある「ひきつ」が地名であるとすると、筑前国志麻郡にある、壱岐や朝鮮へ渡航する港である「引津亭(とまり)」があった、現在の福岡県糸島郡志摩町の岐志から船越にかけての入海が、候補となります。

 三句~四句にある「なのりそのはな」とは、褐色の海草のホンダワラの、気胞がにぎやかに付いているのを花と見立てている表現です。ホンダワラの古名が「なのりそ」です。ホンダワラは、長いもので8m以上になる海藻であり、群生すると海中林を形成する(いわゆる藻場)もののひとつであり、魚類や海中の小動物にとって格好の生育場を提供します。当時は、干して食用にしたり、製塩時の海水濃縮時の材料に用いたりしています。

実際には花が咲かないので、「なのりそのはな」は無限に長い期間をさしている歌語にもなっています。また、「なのりそ」は「名告りそ」と掛けてよく用いられる表現です。

② 諸氏の現代語訳の例を、『萬葉集』の歌番号順に示します。2-1-1934歌は問答形式で対の歌が2-1-1935歌になりますので、その歌の訳例も記します。

2-1-1283

     梓弓を引く、その引くではないが、引津あたりのなのりその花よ。その花を摘むようになるまであなたに逢わないということがあろうか。人に告げないでください。なのりその花よ。」(阿蘇氏)

 

     「引津のほとりにある、なのりその花よ。其の花を採む時までに、君に会はないで居らうか。居りはせぬよ。なのりその花よ。」(土屋氏)

 氏は、四句を「会はざらめやも」と訓んで訳し、初句の「あづさゆみ」は枕詞だからとして訳から省いています。そして「旋頭歌は意味よりも謡い物としての形式が主なものであるが、この歌などは2-1-1934歌と内容を同じくしながら、まったく謡ひ物化したもので、旋頭歌の何であるかを知るによい例である。意味だけからすれば、第六句の七音を除き去って、普通の短歌として十分成立つのである。」、と指摘しています。

なお、「ひきつのへ」に生育している「なのりそ」と、いう表現に関して、両氏は触れていません。

 

2-1-1934

     梓弓を引く、その引津のあたりに生えているなのりそ(ほんだわら)の花が咲くまで、逢うことのできないあなたですね。」(阿蘇氏)

 氏は、「なのりそ」は海藻の一種で花は咲かないので、無限に長い期間をさしている(ことになる)。人に知られてはならない恋である意を(ここでは)含めている。」、と指摘しています。

     「引津のほとりの、ナノリソの花の咲くまでも、会はない君かな。」(土屋氏)

氏は、「問答(の部にある)歌だが、実際の問と答へではなく、誦詠の一形式と思はれる。2-1-1283歌といづれが原形かはっきり言へない。」、と指摘しています。

 

2-1-1935

     川面に咲くいつ藻の花のイツというように、いつもいつもいらしてください。あなた。いらしていけない時などないです。」(阿蘇氏)

 氏は、五句「ときじけめやも」は形容詞「時じ」の未然形+推量の助動詞「む」の已然形+係助詞「や」+詠嘆の意の助動詞「も」であり、反語となり「その時期でないという時があろうか。ありはしない。」の意であるとしています。逢えぬ嘆きを詠った前歌(2-1-1934歌)に対して「いつ藻」の花を序詞に用いて「いつでも」と応じてはぐらかしていると評しています。(問答歌の問の歌)2-1-1934歌は、歌意からは女性の立場の歌であり、答えの歌2-1-1935歌では「吾背子」と呼び掛けていることからすると男性の立場の歌です。実際はどちらの立場でも謡われたものと推定し、かつ2-1-1935歌は吹芡刀自の歌とある2-1-494歌を利用したかとも指摘しています。

     「川のほとりの、いつ藻の花の如く、何時も何時も、来たまへよ、吾背子よ、時がわるいといふことはありますまい。」(土屋氏)

 氏は、「いつも」は、茂った藻の意と言い、「この歌は巻四(2-1-494歌)に吹黄刀自の歌として既に見えた。問の歌(2-1-1934歌)が藻の歌であるから、同じ藻の歌を以って答歌に当てた(のだ)」、と指摘しています。

③ なお、2-1-494歌は、次のとおり。

  かはのせの いつものはなの いつもいつも みませわがせこ ときじめけやも

 「いつも」の「いつ」は「いつ柴」と同じ使い方であり、「いつも」は「いつ」+「藻」であるので、諸氏の指摘しているように「よく茂った藻」、の意です。

現代語訳の例を示すとつぎのとおり。

     「川面に茂っている、そのいつ藻の花のように、いつもいつもお出で下さい。あなた。おいでになってはいけない時などありはしないのです。」(阿蘇氏)

     「川のほとりの、いつ藻の花のごとく、何時にても何時にても、来たまへよ、吾背子よ、時が宜しからぬといふことがあらうか。」(土屋氏)

 

4.類似歌の検討3 1283歌と1934

① この二つの歌における「なのりそ」は、産地を限定しています。その地である「引津」と「なのりそ」の関係はどのようなものなのでしょうか。

② 『萬葉集』には、句頭において「なのりそ」と訓む歌が、13首あります。そのうち「ひきつ(のへ)」を冠した「なのりそ」の歌はこの2(2-1-1283歌と2-1-1934)だけです。「なのりそ」に、敏馬浦、いへのしま、なかたのうら、すみのえのしまのうら、しか(のいそ)を冠する歌が各一首ありますがそのほかの7首は、ありそ、いそ、わたのそこなど地名ではなく地形を言い表しています。(付記1.参照)

 これらの歌をみると、海藻のなのりそは、実際にどこでも育っていて、引津を用いたのは、特別な地縁によって「ひきつ」を詠ったのではないようです。

③ あらためて「なのりそ」の生態(生育環境や生態等)をどのように詠っているかをみると、「ありそにおふる」、「いそになび(く」」、「いそにかりほす」など、近づくことが容易な岩場(磯)に生育して採取しやすい、長い藻であると詠っています。(付記1.参照)

つまり、干すのに引きずって広げる藻であるので、「引く」と「なのりそ」は縁のある言葉と認識して用いたのかと推測します。その「引く」の音のある地名として「引津(の辺)」と詠ったかと思います。

④ 次に、初句「あづさゆみ」は、無意の枕詞として上記の現代語訳では省かれていました。「あづさゆみ」は引くものであり。その同音で、引きずり拡げる場所「引津の辺」にかかったのかと思われます。

⑤ 「なのりそ」は長いという形態に寄せたいることを重視した現代語訳も考えられるので、両氏とは別案を試みると、次のとおり。

2-1-1283

「あずさ弓を引くではないが、引津の海辺に引き広げて干すなのりその その花を摘むまであなたに会わないことになるのだろうか。花のようにみえているだけのなのりその花よ(絶対に摘めないよ。あえないのですか)。」

 

2-1-1934

「あずさ弓を引くではないが、(同音の)引津の海辺に引き広げて干すなのりその花が、本当に咲くまで、会わないという君なのだなあ。(浜に引き広げ干していたら、皆が知ってしまうのに。)」

 

2-1-1935

 「川の岸辺で、いつもよく茂っている藻のように、例の花はいつでも咲いているでしょう。そのように、いつでもおいでくださいな、あなた。時が悪いということなどないのですから。」

 この歌は、2-1-1934歌の答歌であり、2-1-1934歌同様に藻をどこか詠っているはずの歌です。二句にある「いつも」は川辺にある藻であるとすると、なのりそとは異なる藻です。どのような藻なのか、花が実際に咲くのか。茂った藻を花に例えたのかなど調べ切れていませんが、それより「例の花」の意をかけていると理解したのがこの試みです。

 この3首において、「なのりそのはな」は、「切れ目のない無限に長い期間」を指しています。「名告りそ」の意は二の次です。

⑥ 2-1-1283歌は、男女どちらの立場でも用いることができる歌です。2-1-1934歌ではどうでしょうか。

2-1-1934歌と2-1-1935歌は、問答歌として『萬葉集』に採録されているので、整合がとれていなければなりません。2-1-1934歌では、作中人物(主人公)が、「君」と呼び掛けているので、女の立場からの歌となります。2-1-1935歌は、「わがせこ」と呼び掛けいる作中人物(主人公)は、女です。女同士の間の問答歌とみることができます。私と(試案)の「例の花」は特定の位置にある生け花とか、特定の屏風絵であったかもしれません。

土屋氏のいうように、藻に対して藻で答えた問答歌の例というだけで、編纂者が満足しているのかもしれません。謡う場面によって、「君」とか「わがせこ」が男になったり女になったり、または言い換えすれば、男女間の問答歌ともなると予想していると思われます。

 このように理解できる歌として、次の『猿丸集』歌の検討に進みます。

⑦ なお、2-1-1934歌は、 『歌経標式』で、当麻大夫の歌として論じられています。『新編国歌大観』より引用します。原文は万葉仮名ですが、同書の示す訓ではつぎのとおり。

 5-282-22歌                              当麻大夫

   あづさゆみ ひきつのべなる なのりそも はなはさくまで いもあはぬかも

 『歌経標式』では「も」の重複を避けた修正案が示され、

   あづさゆみ ひきつのべなる なのりそが はなのさくまで いもにあはぬかも

と男の立場の歌とされています。(『新編日本古典文学全集8』の1934歌の頭注より)

 『歌経標式』は藤原浜成の作で、序によれば宝亀3(772)の成立です。その文の表記と内容から言えば奈良朝末期に成るのであろうと推定されています。

この成立時点であれば、『猿丸集』の作者は、『歌経標式』に接すことが可能ですので、この3-4-16歌の類似歌の資格が、この5-282-22歌にもあることになります。

 

5.3-4-16歌の詞書の検討

① 3-4-16歌を、まず詞書から検討します。3-4-16歌には、3-4-15歌の詞書(「かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに」)がかかります。 

② 前回(2018/5/14のブログ)行った現代語訳(試案)を再掲します。

 「親しくしてきた人が、遠く立ち去ってしまって、その人のもとに(送った歌)」

 

6.3-4-16歌の現代語訳を試みると

① 三句と四句の「なのりそのはなさくまでと」とは、類似歌と同じく「無限に長い期間」、の意です。二句に「ひきつのはな」と提示しておいて、三句にあらためて「なのりそのはな」と繰り返しているので、類似歌を印象付け、このような含意がある、とみました。

② 五句「いもにあはぬかも」の「いも」は、「妹」であり、女性を親しんでいうことばであり、自称の意はありません。「いも」は作者からみて親しい女性です。

また、五句にある「(妹に)あふ」は、四段活用の動詞で「(親しい女性と)夫婦になる、(親しい女性に)匹敵する・対面する」、の意もあります。

また、五句にある「かも」は、助動詞「ず」の連体形についており、終助詞であり、ここでは詠嘆をこめた疑問文をつくります。

③ 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-16歌の現代語訳を試みます。

梓弓を引く、その引くと同音の引津に咲く花なのですか(約束は)。萬葉集のあの歌のようになのりその(咲きもしない)花の時期がくるまではと言って、妹には逢わないつもりなのですか。

④ この歌は、「いも」を持つ男親か兄弟が、妹を思いやっている歌と理解できます。だから、作者は男です。詞書を離れてみると、母親や姉でも詠める歌と思います。

⑤ 3-4-15歌と3-4-16歌は、一つの詞書における歌ですので、あわせて検討を要します。

 3-4-15歌は、相手が遠ざかったことを嘆いた歌でした。

 3-4-16歌は、妹の相手の男の約束不履行をやんわりなじっている歌です。

 この二つの歌を同時に受け取った相手からみて歌の趣旨はかみあっている歌と理解しようとすると、この二つの歌の作者と作中人物は同一人であり、男親か兄弟となります。即ち、男となります。そうなると、同一の詞書の歌であるので、3-4-15歌と3-4-16歌はともに男の立場の歌と理解するほうが良いので、3-4-15歌の作中人物は、男、と訂正します。作者と「かたらひける人」とは、官人同士として親しくしていたのではないか、と推定します。

⑥ 同一の詞書は、「かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに」でありました。「いきたりける」男は、「作者が妹と呼ぶ人のところから疎遠になっていった」男、の意と理解できました。

前回示した詞書の現代語訳(試案)は、上記5.に再掲しています。このままで適切である、と思います。3-4-15歌の現代語訳(試案)も、そのままで3-4-16歌の上記のような現代語訳(試案)との間に不合理はないと思います。

ただし、次の3-4-17歌もこの詞書にある歌であるので、3首の間の整合の有無は、後ほど改めて検討しることとします。

 

7.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。

② 五句の「かも」の意が、異なります。この歌3-4-16歌は、詠嘆をこめた疑問文を作っています。二つある類似歌のうち2-1-1934歌は、問答歌であり、作中人物にとって深刻な事態ではなく呆れたしまったという感動文をつくっています。もうひとつの類似歌2-1-1283歌は、旋頭歌であり、謡い物であるので、深刻な事態を詠っている歌ではありません。

③ 『歌経標式』記載されている5-282-22歌および同書が示しているその修正案も、3-4-16歌とは異なる歌です。

④ この結果、この歌は、詞書を重視すると、約束を引き延ばしている男(反故にしようとかかっている男)をやんわりなじっている歌であり、類似歌の両歌は、相手を信頼して歌のやりとりを楽しんでいる歌です。

歌経標式』記載の歌5-282-22歌は、『猿丸集』の作者が参考にしたかどうかに関係なく、後代の私たちからみたら、3-4-16歌の類似歌です。

なんとなれば、類似歌とは、2018/1/15のブログにおいて「歌そのもの(三十一文字)を比較すると先行している歌がありますので、それを、(『猿丸集』歌の)類似歌」という」、と定義し、2018/1/22のブログに記載したように類似歌という用語をこの検討では「先行している歌で似ている歌」の意で用いている用語ですので。

   

 さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-17歌  (詞書なし。3-4-15歌の詞書がかかる) 

あひみねばこひこそまされみなせがはなににふかめておもひそめけん

3-4-17歌の類似歌  1-1-760歌  「題しらず  よみ人しらず」   巻十五 恋歌五

      あひ見ねばこひこそまされみなせ河なににふかめて思ひそめけむ

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/5/28   上村 朋)

付記1.『萬葉集』歌で、句頭において「なのりそ」と訓む歌は、13首ある。次のとおり。特定の地名(歌の下線部分)のある歌に△印を、歌における「(なを)告る」という動詞部分となのりその形態を推測させる語句とを太文字にしている。)

2-1-365歌:みさごゐる いそみにおふる なのりその なはのらしてよ おやはしるとも(巻三 雑歌)

2-1-366歌:みさごゐる ありそにおふる なのりその よしなはのらせ おやはしるとも(巻三 雑歌:或本歌曰)

△2-1-512歌:おみのめの くしげにのれる ・・・ いへのしま ありそのうへに うちなびき しじにおひたる なのりそが などかもいもに のらずきにけむ (巻四相聞 丹比真人笠麿下筑紫国時作歌一首幷短歌)

△2-1-951歌:みけむかふ ・・・ おきへには ふかあるとり うらみには なのりそかる ふるかみの ・・・(巻六 雑歌:過敏馬浦時山部宿祢赤人歌一首幷短歌)

2-1-1171歌:あさりすと いそにわがみし なのりそを いづれのしまの あまかかりけむ (巻七雑歌)

△2-1-1283歌:あづさゆみ ひきつのへなる なのりそのはな つむまでに あはずあらめやも なのりそのはな (巻七雑歌)

2-1-1294歌:わたのそこ おきつたまもの なのりそのはな いもとあれと ここにしありと なのりそのはな(巻七雑歌)

2-1-1399歌:おきつなみ よするありその なのりその いそになびかむ ときまつわれを (巻七雑歌)

△2-1-1400歌:むらさきの なたかのうらの なのりその いそになびかむ ときまつわれを (巻七雑歌)

△2-1-1934歌:あづさゆみ ひきつのへなる なのりその はなさくまでに あはぬきみかも (巻 )

△2-1-3090歌:すみのえの しきつのうらの なのりその なはのりてしを あはなくもあやし (巻十二 寄物陳思)

2-1-3091歌:みさごゐる ありそにおふる なのりその よしなはのらじ おやはしるとも(巻十二 寄物陳思)

△2-1-3191歌:しかのあまの いそにかりほす なのりその なはのりてしを なにかあひかたき(巻十二 羈旅発思)

(付記終る。2018/5/28  上村 朋)