前回(2018/5/7)、 「猿丸集13歌第 よりにけるかも」と題して記しました。
今回、「猿丸集第14歌 わがままに」と題して、記します。(上村 朋)
(追記:さらに理解が深まり改まりました。2020/8/17付けブログを御覧ください。(2020/8/17))
1. 『猿丸集』の第14歌 3-4-14歌とその類似歌
① 『猿丸集』の14番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。
3-4-14歌 この歌のみの詞書はありません。3-4-13歌の詞書のもとにある歌です。
あさ日かげにほへるやまにてる月のよそなるきみをわがままにして
3-4-14歌の類似歌 2-1-498歌。田部忌寸櫟子任大宰時歌四首(495~498)
あさひかげ にほへるやまに てるつきの あかざるきみを やまごしにおき
② 清濁抜きの平仮名表記をすると、四句と五句と、詞書が、異なります。
③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。
2.類似歌の検討その1 配列から
① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します
類似歌2-1-498歌は 『萬葉集』巻第四(全巻「相聞」の部)にある歌で、巻第四の詞書としては6番目にあたる「田部忌寸櫟子(たべのいみきいちひこ)任大宰時歌四首(495~498)」とある歌です。
この歌の前後の詞書(題詞)をみてみます。そしてその詞書における歌の作者を諸氏の論より示すとつぎの通り。
「難波天皇(なにはのすめらみこと)妹奉上在山跡皇兄御歌一首」: 作者は、難波天皇の妹 (仁徳天皇の妹か)
「岳本天皇御製一首」: 作者は、岳本(をかもとの)天皇 (斉明天皇か)
「額田王思近江天皇作歌一首」: 作者は、額田王(ぬかだのおほきみ)
「鏡王女作歌一首」: 作者は、鏡王女
吹芡(ふふきの)刀自歌二首: 作者は、吹芡刀自
「田部忌寸櫟子任大宰時歌四首」: 作者は、田部忌寸櫟子夫妻か (田部忌寸櫟子と舎人吉年か)
「碁檀越(ごのだんをち)、徃伊勢国時、留妻作歌一首」: 作者は、碁檀越の妻
阿倍女郎歌二首: 作者は、阿倍女郎
・・・(中略)
阿倍女郎答歌一首:作者は、阿倍女郎
大納言兼大将軍大伴卿歌一首: 作者は、大納言兼大将軍大伴卿(大伴宿祢安麻呂)
石川郎女歌一首 即、大伴佐保大家也: 作者は、石川郎女(大伴宿祢安麻呂の妻)
(以下略)
② これらは多くの天皇の時代の歌であり、多くの人の名が作者名として並んでいます。その中には額田王と鏡王女のような対の歌の作者や、柿本朝臣人麿とその妻という作者や、阿倍女郎と同時代の歌や大納言兼大将軍大伴卿周辺の人々などとのグループ分けできますが、この人達とは直接の関連がない別のグループであるのが、詞書(題詞)に「田部忌寸櫟子任大宰時歌四首」とある歌の作者とみることができます。このため、この類似歌の検討は、この詞書のもとでの歌群の歌として独自性があればよい、と思われます。
③ また、作者名と思われる「名」と「歌」の文字に注目して詞書の書き方を比較すると、「御歌(あるいは御製)○首」、「(個人名)+作歌○首」、「(個人名)+時歌○首」、「(個人名)+歌○首」という書き分けが行われています。
2-1-498歌は、「(個人名)+作歌○首」ではない「(個人名)+時歌○首」タイプであり、「この時点で詠まれた歌」という意味合いにとれる詞書にある歌です。つまり、作者は「田部忌寸櫟子」ではなく、田部忌寸櫟子が「大宰」に任ぜられた時に誰かが詠った(朗詠した)歌を記載する、という意の詞書と理解できます。
例えば、櫟子が任ぜらたことを祝うとか送別の宴席で披露(朗詠)された歌という推測です。このため、以下の検討では、作者の推測も行うこととします。
なお、このタイプの詞書は、巻第三では2例、巻第四ではこの1例のみです。(付記1.参照)
3.田部忌寸櫟子任大宰時歌四首について
① 「田部忌寸櫟子任大宰時歌四首」という詞書における歌(2-1-495歌~2-1-498歌)について、諸氏は、妻舎人吉年が詠い夫田部忌寸櫟子が応えた歌で構成され、夫は大宰府へ赴任、妻は都で宮廷勤務という状況での歌であるか、と指摘しています。
舎人吉年は、天智天皇の挽歌を詠っている女官であり、官人の一人であるのは確かです。それ以上は不明です。櫟子は、『萬葉集』にはここ以外名があがっておらず、伝未詳です。
② 四首を比較検討することとします。最初に歌を示します。
2-1-495歌
ころもでに とりとどこほり なくこにも まされるわれを おきていかにせむ
土屋氏は、古注により舎人吉年の作としています。阿蘇氏は、詞書中の「任大宰」を「大宰府の役人に任ぜられ」と理解し、役職名は不明としています。任ぜられた時期も不明です。
2-1-496歌
おきていなば いもこひむかも しきたへの くろかみしきて ながきこのよを 田部忌寸櫟子
今『萬葉集』の原本としている『新編国歌大観』では、このように、作者名を記載している位置と思えるところに田部忌寸櫟子、とあります。
2-1-497歌
わぎもこを あひしらしめし ひとをこそ こひのまされば うらめしみおもへ
この歌の作者は、夫であると、土屋氏も阿蘇氏も指摘しています。
2-1-498歌 (上記1.に記載)
③ 次に、諸氏の現代語訳を示します。
2-1-495歌
・「衣の袖にとりすがって泣く子供以上に あなたとの別れを悲しんでいるわたしを置いて行ってしまうなんて、わたしはどうしたらよいでしょう。」(阿蘇氏)
・「衣の袖にとりつき離れ難く泣く子にもまして悲しむ吾を、後に残して置いて、吾はさてどうしませう。」(土屋氏)
太宰府への夫の赴任は左遷ではないはずです。それなのに、上記のような現代語訳に従えば、妻は取り乱したかのようにこの歌2-1-495歌を詠っています。妻を連れて赴任する官人もいるのでそれを妻は訴えたのでしょうか。2-1-496以下の歌に、妻に家を守れと直接指示をするような歌も、単身赴任が止むを得ない選択なのだと訴える歌もありません。何故このような感情を夫の赴任にあたり妻は詠ったのでしょうか。
2-1-496歌
・「置いて行ったら、あなたはわたしを恋しく思うでしょうか。その長く美しい黒髪を床に敷きなびかせて、長いこの夜を。」(阿蘇氏)
氏は、「しきたへ」が黒髪にかかる枕詞であるのは、この一例のみ、と指摘しています。
・「後において行ったならば妹は恋ひ思ふことであらうか。黒髪をしいて長い此の夜をば。」(土屋氏)
2-1-495歌を聴かされた直後に、夫が詠ったかに思われるのがこの2-1-496歌です。「(私が離れたら)そんなに私を恋うのかね」と問うている歌にとれます。妻が詠っていると理解可能な2-1-495歌のトーンとは違い、夫の妻に対する信頼関係はどうなっているのかと疑いたくなる歌にとれます。
2-1-497歌
・「あなたをわたしに引き合わせくれた人を、恋心がまさるにつけても、恨めしく思いますよ。」(阿蘇氏)
阿蘇氏は、「二人を引き合わせた人を恨めしく思う、と表現した歌はめずらしい」といっています。
・「吾が妹を 吾にあひ知らせた人をば、恋心のまされば 反って 恨めしいと思ふ」(土屋氏)
巻第四記載の順の時系列でこの4首が詠まれていると仮定すると、この2-1-497歌の理解に2案あります。第一案は、2-1-496歌の反論であり、「あなたとの出会いは運命だったのですから一緒に太宰府に行きたい」、と訴えているかに見えます。引き合わせた人(多分上司、同族の長など)が居るところで詠ったとすれば、その人へ妻が嘆願していることになります。官人で遠くへ赴任することになっている男ならば、このような歌は詠わないと思いますので、これは女の立場の歌です。
第2案は、既に詠われた(披露された)2-1-495歌と2-1-496歌が、果たして夫婦の掛け合いの歌であろうか、という違和感から生じた案です。即ち、何らかの理由で妻を同道して赴任できない夫を同僚が慰めた歌ではないか、という理解です。例えば、女官であり、退職ができない、妊娠中である、遠方の鄙の地はいや、と妻が拒否した、というケースです。この場合、2-1-495歌と2-1-496歌もこの2-1-497歌も仮定の夫婦の代作を同僚がしているということになります。この歌の作中人物は女であることは第一案と同じです。そして、2-1-496歌にある「田部忌寸櫟子」とは、編纂者ではないものが記した注記であるという理解となり、2-1-495歌は「妻はそうあれかし」という歌、2-1-496歌は「理想の妻を連れて赴任できないなんて。だから田部忌寸櫟子はこのような心配をするのだ」と詠った歌となります。
編纂者の注記とすると、田部忌寸櫟子が代作してくれた2-1-495歌に応えた歌、理解するのが妥当です。
2-1-498歌
・朝日の光にはなやかに染まっている山に照る月のように、いくら一緒にいても飽きないあなたを山の向こうに置いて・・・(私はゆかなくてはならない)」(阿蘇氏)
阿蘇氏は、初句~三句は「あかざる」を起こす序詞であり、残月を「あかざる」の比喩としたところには名残惜しい気持ちが託されている、と指摘しています。
・「朝日の光の美しくさす山に、なほ光りつつ残って居る月の如くに、共に居てもなほ見飽き足らない君を山越しに置きて 出で立つことかな」(土屋氏)
氏は、「上三句は、「あかざる」の序であり、「きみ」は男から女を詠んで例である」と指摘しています。
この歌は、2-1-497歌に返歌をしています。2-1-497歌の第一案に沿った理解では、「やはり留守番を頼むよ」と。本当に素晴らしいあなただからしっかり女官を務めてほしいとか留守番をして子も育ててほしい、と妻にお願いしている歌ではないでしょうか。
2-1-497歌の第一案に沿った理解でも、同じです。
④ この4首は一つの詞書のもとにあるので、このようなストーリーのもとでの歌であろうと理解が可能です。4首と偶数なので、男女の掛け合いの歌という理解に無理はありません。
妻が宮仕えしておれば(お仕えをつづければ)、遠く隔てて暮らさざるを得ないことを嘆かざるを得ません。そのような個人的な事情が加わってもこのストーリーで理解ができる歌群です。
また、詞書に拠ることなく、この4首の歌の内容から、作中の人物が夫婦であれば、実作者は誰でも構わない、ということが言えます。
⑤ しかしながら、高位の官人ではないように思える都を離れる作中人物(確実に「田部忌寸櫟子」が擬せられています。)は、なぜ同道して大宰府に赴任しないのかは、この詞書の四首では不明です。大家族であれば、赴任中は親子水入らずの生活となると思われるのだが、大家族の面倒を誰がみるのか、という心配を夫はしているのでしょうか。この問題は、遠方に赴任する当時の官人にとり、共通の問題でもあったのでしょう。私は、2-1-497歌における第二案の理解を採りたいと思います。
⑥ この一連の歌4首は、どのような経緯で『萬葉集』の編纂者の手元にきたのでしょうか。夫婦であればほかの官人にわざわざいうこともないでしょう。披露する場(互いに贈りあう場)があって他人が記録していたとすれば、大宰府勤務が決まって後の、お祝いの席とか送別会の席が有力となります。
あるいは、通常の宴席で、遠方への赴任が話題となったとき、出席者同士が応酬した歌であったかもしれません。大伴旅人や大伴家持本人やその周囲の人が出席していたのかとも考えられます。
⑦ 妻が、諸氏の指摘するように、女官である舎人吉年であるとすると、送別の席に少なくとも立ち会うことができる立場であるかもしれません。舎人吉年が妻であるという証拠資料が乏しいことを想えば、舎人吉年が妻の立場を代作した可能性も直ちに否定できないところです。
いづれにしても、この一連の歌の作者が誰かは横におき、このような歌意の理解で、3-4-14歌のための検討を進めることとします。
4.類似歌の検討その2 現代語訳
① 類似歌2-1-498歌について、改めて現代語訳を試みます。
② 2-1-498歌は、朝日が昇るにつれて空の星は消えてゆき、西空には入り残る月がみえるという情景を、詠っています。大和からみて朝日に輝くある山とは、都の西空にある山であり、それは「たつたのやま(やま)」、現在の生駒山系になります。作中人物は、大和の都に居る、あるいは、大宰府に向い都を出発したということになります。
③ 朝日に輝く山にでる「てるつき」とは、月の入りが日の出直後となる月齢12~18日頃の月です。
④ 五句「やまごしにおき」とあるのは、大和と難波を隔てる、あの「たつたのやま(やま)」の向こう側とこちら側に分かれ住む、ということを言っています。大宰府と難波を同一視し、難波に行くように赴任し、難波から帰任するように無事戻るから、ということを言外に言おうとしたのではないでしょうか。
⑤ 以上の検討から、土屋氏の訳を参考にして、現代語訳を試みると、次のとおりです。
「朝日の光の美しくさすあのたつたのやまに、なほ光りつつ残っている月の如くに、共に居てもなほ見飽き足らない君をたつたの山のこちらに置いて 私は西に出で立つよ(そして難波からもどるかのように元気に戻ってくるから)」
5.3-4-14歌の詞書の検討
① 3-4-14歌を、まず詞書から検討します。
② この歌の詞書は、3-4-13歌の詞書(「おもひかけたる人のもとに」)に同じです。(2018/5/7ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第13歌 よりにけるかも」参照)
③ 現代語訳(試案)は、次のとおり。
「懸想し続けている人のところに(送った歌)」
6.3-4-14歌の現代語訳を試みると
① 四句「よそなるきみを」の「よそ」は、「余所、自分と無関係なところ・無縁な状態にあること」の意があります。「四十」という意もありますが、五句の語句との整合を考えると、採りません。
四句は、「(今は私と)無縁であるところの貴方を」、の意となります。
② 五句「わがままにして」の「まま」は、「儘・随」であり、「思い通りであること・事実のとおりであること」の意があります。
五句は、「我が+儘+に+して」であり、自分の思うままに、の意です。
③ ここまでの検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-4歌の現代語訳を試みます。
「朝日が射してはなやかに染まっている山にまけず、かがやいている月のように、私には(今は仰ぎ見る)遠い存在であるあなたとの距離を、いずれ私ののぞむ状態に(したいものです)」
④ この歌の作者は、類似歌と同様、男であり、女性にこの歌を送っています。
⑤ 同一の詞書にある3-4-13歌とこの3-4-14歌を一人の女におくったとすると、作者のその女性に対する強い願望が表現されています。
前歌は、女に強く懸想して、「あなたを思う気持はますます募り、あなたから離れません」と訴え、この歌は、「あなたのもとに通える仲になんとしてもなりたい」との申し入れと、なります。
7.この歌と類似歌とのちがい
① 詞書の内容が違います。
② 四句の意が異なります。この歌3-4-14歌は、「余所なる君を」と詠い、類似歌2-1-498歌は、「飽かざる君を」と詠います。
③ 五句の意が異なります。この歌は、「我が儘にして」であり、類似歌は、「山越しに置き」です。
④ この結果、この歌は、男の横恋慕とも思える歌となり、類似歌は、愛しい妻を想う歌となりました。
⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。
3-4-15歌 かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに
ほととぎすこひわびにけるますかがみおもかげさらにいまきみはこず
3-4-15歌の類似歌 類似歌は2首あります。
a2-1-2642歌: 左注に「右一首上見柿本朝臣人麿之歌中也、但以句句相換故載於茲。」 巻第十一古今相聞往来歌類之上の 寄物陳思にある歌です。
さとどほみ こひわびにけり まそかがみ おもかげさらず いめにみえこそ
b2-1-2506歌: 巻第十一古今相聞往来歌類之上の 寄物陳思にある歌です。
さとどほみ こひうらぶれぬ まそかがみ とこのへさらず いめにみえこそ
類似歌とこの歌も、趣旨が違う歌です。
⑤ ご覧いただきありがとうございます。
次回は、上記の歌を中心に記します。
(2018/5/14 上村 朋)
付記1.「(個人名)+時歌○首」タイプの詞書(題詞)について
① 『萬葉集』巻第三と第四で「(個人名)+時歌」タイプの詞書は、例外的であり、つぎの例に限られる。
② 巻第三の雑歌にある 「長田王被遣筑紫渡水嶋之時歌二首」(246歌、247歌)
2-1-246歌などは、長田王自身の作詠か代作かの可能性、さらに、長田王の随行者の作詠の可能性がある。諸氏の意見では、長田王自身の作詠という説が断然多い。
③ 巻第三の挽歌にある 「天平三年辛未秋七月大納言卿薨之時歌六首」(457歌~462歌)
2-1-461歌の左注に「右五首は資人である余明軍が詠んだ」とあり、2-1-462歌の左注に「内礼正である県犬養宿祢人上が詠んだ」とある。なお、巻第三の挽歌は、原則「個人名+作歌○首」であり例外は上記を含めて3例のみである。
④ 巻第四では、「田部忌寸櫟子任大宰時歌四首」の一例のみである。
なお、巻第三では 「之」字が「時」字の前にあったが巻第四ではない。
⑤ 巻第四の詞書(題詞)について追記すると、次のような詞書(題詞)が、わずかだがある。
後人追同歌○首
個人名1+(贈など)+個人名2歌○首
個人名+宴誦+歌○首
個人名+宴席+歌○首
(付記終り 2018/5/14 上村 朋)