前回(2018/4/30)、 「猿丸集第12歌 あけまくをしき」と題して記しました。
今回、「猿丸集第13歌 よりにけるかも」と題して、記します。(上村 朋)
(追記 さらに詞書など理解を深めました。2020/8/17付けブログも御覧ください(2020/8/17)。)
1. 『猿丸集』の第13歌 3-4-13歌とその類似歌
① 『猿丸集』の13番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。
3-4-13歌 おもひかけたる人のもとに
あづさゆみすゑのたづきはしらずともこころはきみによりにけるかも
3-4-13歌の類似歌 2-1-2998歌
あづさゆみ すゑのたづきは しらねども こころはきみに よりにしものを
② 清濁抜きの平仮名表記をすると、2カ所で計6文字と、詞書が、異なります。
③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。
2.類似歌の検討その1 配列から
① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。
類似歌(2-1-2998歌)は 『萬葉集』巻第第十二 古今相聞往来歌之下 にあります。この巻は、「寄物陳思」の部が二つに分かれています。この歌は、二つ目の「寄物陳思」にあり、よみ人しらずの梓弓に寄せる歌6首のうちのひとつです。2-1-2997歌の本文の次に「一本歌曰」とあり、その次にあるこの歌は、2-2-2997歌の異伝歌ということになります。なお一つ目には「柿本朝臣人麻呂歌集に出ず」と最後に左注があります。
この巻は、諸氏により、よみ人しらずの相聞であって、季語のない歌の集である、との指摘があります。
② この歌の前後の歌について、配列による特徴をみてみます。「寄物」によって配列されており、次のような順になっています。
よみ人しらずの歌で、詞書もないのですが、さらに歌意を推測して「陳思」の「思ひ」を、例えば、四季、恋、(恋以外の)男女の相聞、同性の相聞、羈旅・送別、その他に分けて、確認してみました。
衣 2-1-2976歌 ~2-1-2984歌 「思ひ」はすべての歌が恋
(中略 (すべて「思ひ」は同上))
鏡 2-1-2990歌~2-1-2992歌 「思ひ」はすべての歌が恋
鏡あるいは神祇 2-1-2993歌 「思ひ」は恋
針 2-1-2994歌 「思ひ」は、恋(あるいは羈旅・送別)
剣 2-1-2995歌, 2-1-2996歌 「思ひ」は、すべての歌が恋
梓弓 2-1-2997歌~2-1-3002歌 「思ひ」は、すべての歌が恋
(類似歌2-1-2998歌はこのうちの一首であり、後段でさらに検討します)
たたり(蚕糸の仕事に必要な糸を引き掛ける道具) 2-1-3003歌 「思ひ」は、恋
繭 2-1-3004歌 「思ひ」は、恋
たすき 2-1-3005歌 「思ひ」は、恋
かずら 2-1-3006歌、2-1-3007歌 「思ひ」は、恋
(以下略)
③ このように、「思ひ」は恋ばかりであり、例外と強いて言えば、2-1-2994歌が地方に赴任した官人の羈旅の歌であるかもしれない、というところです。
④ 「寄物」の「物」が「梓弓」である歌を示すと次の6首です。 ()書きは『新編国歌大観』における万葉仮名の表記です。
2-1-2997歌 あずさゆみ すゑはししらず(末者師不知) しかれども まさかはきみに(真坂者君尓) よりにしものを
2-1-2998歌 あづさゆみ すゑのたづきは(末乃多頭吉波) しらねども こころはきみに よりにしものを
(検討対象の類似歌)
2-1-2999歌 あづさゆみ ひきみゆるへみ おもひみて すでにこころは よりにしものを
2-1-3000歌 あづさゆみ ひきてゆるへぬ ますらをや こひといふものを しのびかねてむ
2-1-3001歌 あづさゆみ すゑなかためて(末中一伏三起) よどめりし きみにはあひぬ なげきはやめむ
2-1-3002歌 いまさらに なにをかおもはむ あづさゆみ ひきみゆるへみ よりにしものを
この6首は、弓の末を詠う3首と、弓を引いたり緩めたりすることを詠う3首に分かれます。後者の歌は、その結果心が固まったと、詠います。前者は、今は貴方、と詠います。類似歌2-1-2998歌は、その前者のうちの1首です。この3首の「寄物」の「物」は、あづさゆみの構造の一部である「弓の末」と見做せます。このため、類似歌2-1-2998歌は、この3首の中で独自性を持った歌として配列されている、とみることができます。
3.弓の末の歌3首の検討 その1 2-1-3001歌
① 弓の末を詠う3首を比較しつつ検討することとします。歌番号順に、諸氏の現代語訳を例示します。
2-1-2997歌
・「梓弓の末ではないが、末、将来のことはわかりません。けれども、現在の気持ちはすっかりあなたに寄り添っていますのに。」(阿蘇氏)
・「(梓弓は枕詞)後のことは な仕様もわからない。しかし 現在は君に頼って居るものを」(土屋氏)
2-1-2998歌
・「梓弓の末、将来のことはわからないが、私の心はあなたに寄り添ってしまいましたものを。」(阿蘇氏)
氏は、「梓弓」は「末」に冠する枕詞であり、作者は女性である、指摘しています。
・「梓弓 未来のことは わかりませんが 心はあなたに なびき寄ってしまってのですもの。」(『新編日本古典文学全集8 萬葉集③』)
「梓弓」は、ここでは末の枕詞であり、「たづき」は、手がかりを言い、ここは様子・状態(将来の二人の仲のあり様)の意である、と指摘しています。
なお、土屋氏は、「2-1-2997歌の一本」であるので、大意を示していません。
2-1-3001歌。
・「梓弓の末の中ごろではないが、中頃、おいでにならなかったあなたにお逢いできました。もう嘆くことは止めましょう。」(阿蘇氏)
・「梓弓には末中があるが、其の中ごろ、停滞した君には会った。嘆きはをさまるであろう。」(土屋氏)
氏は、中途で来なくなった君に会い得たのだから、嘆きはやむだろう、と詠っていると指摘し、勿論民謡であるが、四句五句も感じの出て居る句である、と言っています。
なお、これらの3例は、二句を「すゑなかためて」ではなく「すゑのなかごろ」とする原本に基づき訳しています。(付記1.参照)
② 二句を「すゑなかためて」での訳例を示せないので、最初に2-1-3001歌の現代語訳を試みます。
初句の「あづさゆみ」とは、「あづさ」と呼ぶ木で作った弓であり、歌語としては「ひく」等にかかる枕詞でもあります。「真弓」とは、マユミという木から作った丸木の弓。「槻弓」とは、ツキという木から作った丸木の弓を言います。この歌は、弓の種類を言っていますが、弓一般の特性しか歌に用いていません。
③ 二句「すゑなかためて」にある「すゑ」は、「本(もと)」に対しての言葉であり、「さき、端、下、梢」、「後、将来」、「晩年」、「子孫」等の意があります。だから、「(あづさ)ゆみのすゑ」とは、弓を持ったときの上端部分をいい、「弓末・弓上」(ゆずゑ)と名のついた部分を言うことになり、「本」とは、弓を持ったときの下端部分を言うことになります。木でいうと「すゑ」即ち梢、「本」は張っている根本、をさしています。
この歌で、男女の間に起こるであろう事態を「すゑ」と見立てているとすると、過去の男女どちらかの問題行動とか出逢いが「本」になるでしょうか。
二句「すゑなかためて」の「なか」は、「中」の意です。末と本の間の部分を指します。
また動詞「たむ」は、下二段活用の「矯む・揉む」であり、「形を整え改める」「弓に矢をつがえて引きしぼったままでいる」の意があります。
初句と二句は、「(あづさ弓には末と本がありますが、そのような本から生じる)将来もそこに至る途中の現在も」となります。
三句「よどめりし」の「よどむ」は「淀む・澱む」であり、「物事がすらすら進まない・停滞する」、の意があります。直前の時点までは不仲とか行き合えない状態であったということです。
五句「なげきはやめむ」は、名詞「なげき」+係助詞「は」+下二段活用の動詞「止む」の未然形+推量の助動詞「む」です。「む」は、「あることをしようとする意志・意向」を表わします。
④ 2-1-3001歌の現代語訳を試みると、次のとおり。
「(あづさ弓には末と本がありますが、そのような)本から生じている二人の関係が、将来もそこに至る途中の現在も、変りないと思っていましたところ、貴方に逢うことができました。溜息をつくのはもうやめましょう。」
お先真っ暗であった男女の関係が修復可能である、と作者が安堵している歌となりました。これは、諸氏の訳例の趣旨と変りありません。
4.弓の末の歌3首の検討 その2 2-1-2997歌と「よりにしものを」
① 次に、2-1-2997歌の現代語訳を、検討します。
二句「すゑはししらず」は、名詞「すゑ」+格助詞「は」+強調の副助詞「し」+動詞「しる」の未然形+打消しの助動詞「ず」の終止形、です。
「すゑ」は、「後、将来」を意味しています。副助詞「し」はここでは「しらず」を強調しています。
即ち、「すゑはししらず」とは、「(貴方と逢っている今日はともかく)明日以降のことはとてもとても知ることはできない」の意と理解できます。2-1-3001歌で検討したような初句の意がかかる「すゑ(「あづさゆみのすゑ)」であるので、男女の間に今後生じる事態を「すゑ」と見立てているといえます。「すゑ」は「本」を意識さている言葉ですので、この歌における「本」を推測すると、この歌を詠う直前までの二人の間に生じていた状況を指していると思います。その状況は将来(すゑ)における相手の誠意を100%信じられなかったもののようです。作者が「しらず」と言っているのは、相手の誠意の持続の有無です。
② 阿蘇氏は、「しらず」の対象は、「四、五句の表現に照らすと、自分の気持ちであろう」と指摘しています。しかし、初句の「あずさゆみ」は男の持ち物ですから、相手の心の動きかもしれません。
土屋氏のいう民謡であるとすると、この歌を聞かされた側は、相手の誠意か、自分の気持ちかを選択して反論することができる歌、として活用したのではないか、と推測します。あるいは、反論として聞かされたとすると、自分に都合の良い方に理解して再反論の歌を詠ったのではないでしょうか。
ここでは、作者が「しらず」と言っているのは、相手の誠意の持続の有無として、検討をつづけます。
③ 四句「まさかはきみに(真坂者君尓)」の「まさか」とは、「目の先」即ち目の前の現実をいいます。将来を表わす「おく」とか「すゑ」などと対で用いられることが多い語句です。
④ 五句の「よりにしものを」を用いている歌が、『萬葉集』に幾つもあります。次に検討する2-1-2998歌と四句と五句が同じ(「こころはきみに よりにしものを」)歌が1首あります。
2-1-508歌 安倍女郎(あへのいらつめ)歌二首(508、509)
いまさらに なにをかおもはむ うちなびき こころはきみに よりにしものを
巻第四にあり、この巻全体が「相聞」と題されています。
阿蘇氏は、この詞書における2首を、「二人の関係に不安を抱いた躊躇する様子を見せる夫をはげまし、自身の純愛を誓った歌」、「中臣東人の妻であったか」とも指摘し、三句以下を「わたしの心はあなたにすっかり傾いてしまっておりますのに」と現代語訳しています。五句にある「ものを」を、終助詞と理解している現代語訳です。
この作者(安倍女郎)は伝未詳です。歌風はひたむきなところがある、と土屋氏は指摘しています。
しかしながら、この歌は、阿蘇氏が指摘するように「自身の純愛を誓った歌」であり、初句から二句が相手に強く伝えたい事柄です。「寄物」を介さずストレートに最初に言い切っています。そして、理由を、三句以下に、倒置文として言い継いだ文章の歌である、と見るのが妥当です。即ち、五句にある「ものを」は、接続助詞と理解すべき歌です。
⑤ また、「よりにしものを」のみを用いている歌は、上記の「あづさゆみ」を初句におく2-1-2997歌~2-2999歌および2-1-3002歌のほかに、次の3首が『萬葉集』にあります。
2-1-550歌 (神亀)2年(725)乙丑の春3月 三香原の離宮に幸(いでませる)時に、娘子を得て作る歌一首と短歌 笠朝臣金村 (その短歌が該当します)
あまくもの よそにみしより わぎもこに こころもみさへ よりにしものを
2-1-2790歌 寄物陳思
むらさきの なだかのうらの なびきもの こころはいもに よりにしものを
この歌は、巻第十一にある、 藻によせる歌です。二句は「名高の浦」であり、現在の和歌山県海南市名高。かっては黒江湾の奥の海浜であったところにあたる、と諸氏は指摘しています。
2-1-3779歌 中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子との贈答歌(3745~3807)
あがみこそ せきやまこえて ここにあらめ こころはいもに よりにしものを
この歌は、巻第十五にあり、 2-1-3786歌の左注「右十三首中臣朝臣宅守」に従えば、中臣朝臣宅守が作者です。中臣朝臣宅守は、天平12年(740)前後に越前国味真野に流讁となっています。
これらの3首は、五句にある「ものを」を、多くの諸氏は終助詞と理解しています。「こころが寄ってしまった」ことを言いたい歌ですので、終助詞である、と思います。
⑥ 最初に「よりにしものを」と詠んだ歌を特定すべく、「よりにしものを」の歌(全8首)の作詠時点の前後関係を確認します。(作詠時点の推計方法は付記2.参照)
2-1-2997歌は、『萬葉集』巻第第十二 古今相聞往来歌の歌でかつよみ人しらずの歌であるので、作詠時点は、天平10年(738)以前。
2-1-2998歌も、作詠時点は、天平10年(738)以前。
2-1-2999歌も、作詠時点は、天平10年(738)以前。
2-1-3002歌も、作詠時点は、天平10年(738)以前。
2-1-508歌は、『萬葉集』巻第四にある安倍女郎の歌であるので、作詠時点は、天平18年(746)以前。この歌の相手である中臣東人は、和銅4年(711)に正七位から従五位下になり、天平4年(732)兵部大輔、同5年(733)従四位下になっています。
2-1-550歌は、詞書より、作詠時点は、神亀2年(725)です。
2-1-2790歌は、『萬葉集』巻第第十二 古今相聞往来歌の歌でかつよみ人しらずの歌であるので、作詠時点は、天平10年(738)以前。
2-1-3779歌は、宅守の流讁時の歌とみて、作詠時点は、天平12年(740)前後。
みな700年代前半(以前)の作詠と推計できましたが、推計方法の許容誤差の内と見ざるを得ないので、先後関係はいまのところ不明ということになります。
⑦ 歌の内容を検討すると、ほかの歌が、「すゑ」(将来)の二人の関係または自分又は相手の心の動きを疑うかの詠い方をしていないのに対して、2-1-2997歌と2-1-2998歌は、「すゑ」(に至るの)は分からないと断っており、たいへん異質です。そのため、五句の「よりにしものを」の終助詞「ものを」のニュアンスが、2-1-550歌などと違う様に感じられます。
⑧ この歌2-1-2997歌は「きみによった」ことを詠うのが主眼と理解できますので、五句「よりにしものを」は、動詞「寄る」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形+感動・詠嘆の終助詞「ものを」です。
動詞「寄る」には、「近寄る、寄りかかる・もたれる、心ひかれる」などの意があります。
また、作者は、現在から過去を振り返ると、「本」から「末」に順調に推移しなかった時点が最近あったからこの歌を詠んでいる、と理解できます。
詠嘆の終助詞「ものを」には、「(一方的では)はこまるのだが」という気持が含まれていると思います。
⑨ 2-1-2997歌の現代語訳を試みると、次のとおり。
「(あづさ弓には末と本がありますが、そのような)本から生じている末、将来は貴方と私の関係はどうなるかまったくわかりません。けれども 今はあなたに気持ちが引き寄せられてしまいましたのに。でも・・・(それがよいのかどうか)」
5.弓の末の歌3首の検討 その3 2-1-2998歌
① 次に、類似歌2-1-2998歌の検討をします。
② 二句「すゑのたづきは」の「たづき」は、「手段・手がかり」、「見当」、「様子」の意があります。
なお、「すゑのたづきは」表記の万葉集歌は、この2-1-2998歌のみです。
③ 土屋氏は、2-1-2997歌の「(すゑは)ししらず」と、2-1-2998歌の「(すゑの)たづきはしらず」を同義とし、後者の方が穏やかな表現である、と指摘しています。そして、「この歌は、男に頼る女の立場と見る方が自然」とも指摘しています。
④ この歌が「こころがきみによった」ことを詠うのが主眼と理解できますので、2-1-2997歌と同様に、五句「よりにしものを」は、動詞「寄る」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形+感動・詠嘆の終助詞「ものを」です。
⑤ 以上の検討結果を踏まえ、詞書に留意して、類似歌2-1-2998歌の現代語訳を、試みます。
「(あづさ弓には末と本がありますが、そのような)本から生じて末にたどりつくには、これから先どうしたらよいのか見当がつかないのですが、 私の心はあなたに引き寄せられてしまいましたのに。どうしましょう・・・(このままでよいのかどうか)」
⑤ 2-1-2997歌と2-1-2998歌を比較してみます。
2-1-2997歌は、二人の将来があなた次第なので不安が残る意があります。阿蘇氏の説によれば、将来の自分の気持ちに不安があることを作者は自覚しています。
2-1-2998歌は、その不安を解消する方法に悩んでいる意があります。二人の将来に、前歌の作者より積極的に動こうとしています。
作者の立場は、両歌とも女と推測できます。
3-4-13歌の類似歌を1首と仮定するならば、語句とその並びがより似ており、かつ行動的な作者の歌である2-1-2998歌が妥当であると思います。
6.弓の末の歌3首の検討 その4 3首の比較検討
① 3首を比較すると、3首目の2-1-3001歌は、「あづさゆみのすゑ」の寓意しているところが他の二首と同一とは思われません。2-1-3001歌は安堵感があるのに対してほかの2首は、将来に不安を感じている気配があります。
その不安解消へより行動的なのが、2-1-2998歌、と言えます。
② 2-1-2998前後の歌はどこで披露されたのでしょうか。巻第十二の編纂者のところにどのような経緯で集まったのでしょうか。
土屋氏は、すべて民謡と理解しています。民謡が、当時詠われる場面は、民謡を詠う階層の人々の飲酒の伴う会合や定例的な若者組の集いとか、祭の場とか、あるいは作業歌として集団作業の場とかが想定できます。しかし、記録しておく必然性を感じられません。
あづさ弓から詠いだしているので、それを扱う武官という官人組織に配属された経験のある者が作者であるかもしれません(どの歌も男の代作であるかもしれません)。
民謡とすると、記録した者は、飲酒の伴う会合に参加したあるいは呼ばれた(官人の)家人または官人自身、田植等の監督にあたった(官人の)家人または官人自身で歌に興味を持った者、あるいは氏族単位の祭に際して種々奉納させた際の記録担当者とか、であろうと思います。
一旦官人の知るところとなれば、改作を含めて宴席等での披露(朗詠)も可能となります。何しろ仮想の恋の歌なのですから場に楽しい話題提供をしたことでしょう。
大伴家持は、防人の歌を命じて集めましたが、自然に『萬葉集』巻第三・第四の編纂者のところに編集の素材が集まったとすると、編纂者と同じ立場の官人の記録したものであるはずです。「寄物」が「あづさゆみ」の歌と、いわゆる防人の歌とを対比すると、土屋氏のいう民謡は「寄物」別に1,2首だけで多くは男の官人の作であろう、という推理も生じます。
7.3-4-13歌の詞書の検討
① 3-4-13歌を、まず詞書から検討します。
② 詞書「おもひかけたる人」は、動詞「おもひかく」の連用形+助動詞「たり」の連体形+「人」です。
動詞「おもひかく」は、「心にかける・期待する、慕う・懸想する、気にして念頭におく」の意があります。
③ 助動詞「たり」は、「動作・作用が引き続いて行われる」の意があります。
④ 3-4-13歌の詞書を現代語訳すると、次のとおり。
「懸想し続けている人のところに(送った歌)」
8.3-4-13歌を詞書に従い、現代語訳を試みると
① 二句にある語句「たづき」は、「手段。方法」の意であり、類似歌2-1-2998歌の場合と同じです。
② 五句「よりにけるかも」の「より」は動詞「撚る」の連用形です。「ける」は助動詞「けり」の連体形です。その意は、今まできづかなかったりしたことなどにはじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちをあらわします。
五句は、はるかに心を寄せるというようなものを越えて、強い気持ちが増してきていることに、自分でも驚いている意が込められています。
③ 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-4歌の現代語訳を試みます。
「(あづさ弓には末と本がありますが、そのような)本から生じて末にたどりつくには、どのような方法をとったらよいのかわかりません。でも、私の気持ちは貴方に纏いついてしまったようなのです、本当に。」
④ 動詞「撚る」で表現して迫るこの歌は、男が女におくった歌、と思えます。
9.この歌と類似歌とのちがい
① 詞書の内容が違います。この歌3-4-13歌は、おくる相手を説明しています。類似歌2-1-2998歌は、「寄物陳思」だけであり、この前後の歌を合せ考えると梓弓の末を詠う歌、という説明がある、と理解してよいと思います。
② 五句にある語句「より(にけるかも)」の意が異なります。この歌は、動詞「撚る」(細長いものをねじって、互いにからませる)、類似歌は、「寄る(心が一方に向く)」です。
③ 作者の性が異なります。この歌は、男であり、類似歌は、女です。
④ この結果、ともに恋の歌ですが、この歌は、女に強く懸想している男の歌であり、類似歌は、男の愛情には不安を感じつつも受け入れようとしている女の歌です。
⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。
3-4-14歌 あさ日かげにほへるやまにてる月のよそなるきみをわがままにして
3-4-14歌の類似歌 2-1-498歌。田部忌寸櫟子任大宰時作歌四首(495~498)
あさひかげ にほへるやまに てるつきの あかざるきみを やまごしにおき
この二つの歌も、趣旨が違う歌です。
⑤ ご覧いただきありがとうございます。
次回は、上記の歌を中心に記します。
(2018/5/7 上村 朋)
付記1.2-1-3001歌の三句の「すゑなかためて」について
① 三句の「すゑなかためて」の万葉仮名は「末中一伏三起」です。このうち「一伏三起」表記は、当時のゲームの目の呼称によるものだそうです。「樗蒲」(ちょぼ)というゲームで、小田裕樹 氏(『奈良時代の盤上遊戯に関する新知見』 奈良文化財研究所2015)によると、「『和名類聚抄』には「かりうち」という和名がつけられています。また、樗蒲で投げる板のことを「かり」と呼んでおり、『万葉集』の特殊な仮名(戯書)から知られるところによると、この「かりうち」はユンノリと同様に4枚の板を投げるものであったそうです。
「一伏三起」は一つ裏三つ表の場合を「コロ」といったのによる。西本願寺本の訓は、おなじ目の別称「タメ」によるといいます。
このゲームは博打という指摘もあります。
② 樗蒲の由来は不明です。『隋書』には、百済や倭で樗蒲が遊ばれていたとしている。現代の韓国のユンノリは4枚の板を投げるところが樗蒲に似ているそうです。
付記2.作詠時点の推計は、次の基準によって行いました。
① 作詠時点を推計しようとする歌が記載されている歌集の成立時点を、作詠の下限の時点とする。但し『萬葉集』記載の歌は、「歌集の成立時点」を「巻の成立時点」とする。
② その歌の作者の没年の年月日あるいは詞書や重複歌その他の参考とする歌から判明した作詠の年月日が、上記①の時点より以前の時点と判明したら、没年あるいは作詠の年月日で早いほうを作詠の下限の時点とする。
③ よみ人しらずとして歌集に記載の歌は、記載歌集が勅撰和歌集であれば,その歌集の直前の勅撰和歌集の成立時点を作詠時点とする。但し『萬葉集』及び『古今和歌集』記載の歌は、下記の④と⑤による。
④ 『萬葉集』は、 『新編日本古典文学全集 萬葉集①~④』に従い、作詠時点の判明している歌などから推定した。 なお、巻七と巻十~十四の作者不明歌は、『新編日本古典文学全集 萬葉集③』の解説に従い、巻天平10年(738)前後以前とする。以上を巻別に示すと次のとおり。
巻一~巻二 霊亀元年(715)
巻三~巻四 天平18年(746)
巻五 天平5年(733)
巻六~巻十五 天平18年(746)
但し巻七と巻十~十四の作者不明歌 天平10年(738)
巻十六 天平13年(741)
巻十七 天平20年(748)
巻十八 天平勝宝2年(750)
巻十九 天平勝宝5年(753)
巻二十 天平宝字3年(759)
⑤ よみ人しらずとして『古今和歌集』に記載の歌は、古今和歌集の作者の時代を3区分して諸
氏が論じられているのに従い、最初の時代である「よみ人しらずの時代」の作詠とし、大同4年
(809)~嘉祥2年(849) 嵯峨、淳和等の時代以前、すなわち849年以前を作詠時点とする。
⑥ この作業は、諸氏の研究成果で指摘されている作詠時点をも参考とする。
(付記終り。2018/5/7 上村 朋)