わかたんかこれ  猿丸集第12歌 あけまくをしき 

前回(2018/4/23)、 「「猿丸集第11歌 凌ぐのは何」」と題して記しました。

今回、「猿丸集第12歌 あけまくをしき」と題して、記します。(上村 朋) (追記 動詞の活用種類の認識の誤りを正し3-4-12歌の現代語訳(試案)の修正を2020/5/25付けでしました。さらに前後の歌との関係など理解を深めましたので。2020/8/10付けブログも御覧ください。(2020/8/17)。))

 

. 『猿丸集』の第12 3-4-12歌とその類似歌

① 『猿丸集』の12番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-12歌  女のもとに

たまくしげあけまくをしきあたらよをいもにもあはであかしつるかな

 

3-4-12歌の類似歌 万葉集2-1-1697:紀伊国作歌二首(1696,1697)

たまくしげ あけまくをしき あたらよを ころもでかれて ひとりかもねむ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、四句以下と、詞書とが、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します

類似歌は、 『萬葉集』巻第九の、雑歌にある2-1-1697歌です。この巻は、雑歌・相聞・挽歌の三部に分かれています。雑歌(全102首)は、雄略天皇2-1-1668歌からはじまります。雑歌の歌は、「(・・・)歌◯首」と詞書してあり、例外は、詞書のない2-1-1714歌と2-1-1715歌(1715歌にはこの二首の作者名に関した左注あり)と2-1-1716歌(「・・・詠月一首」)だけです。

② この歌は、「(献・・・皇子)歌◯首」と詞書した歌のグループに挟まれた地名等が記された詞書の歌のグループ(16首)にあります。その詞書すべてを、また類似歌(2-1-1697歌)の前後各6首については歌もあわせて示すとつぎのとおりです。

泉川辺間人宿祢作歌二首(2-1-1689歌、2-1-1690)

鷺坂作歌一首(2-1-1691歌)

2-1-1691歌   しらとりの さぎさかやまの まつかげに やどりてゆかな よもふけゆくを

名木河作歌二首(2-1-1692歌、2-1-1693)

2-1-1692歌   あぶりほす ひともあれやも ぬれぎぬを いへにはやらな たびのしるしに

2-1-1693歌   ありきぬの へつきてこがに からたちの はまをすぐれば こほしくありなり

高嶋作歌二首 (2-1-1694歌、2-1-1695)

 2-1-1694歌   たかしまの あどかはなみは さわけども われはいへおもふ やどりかなしみ

 2-1-1695歌   たびにあれば よなかをさして てるつきの たかしまやまに かくらくをしも

紀伊国作歌二首(2-1-1696歌、2-1-1697)

 2-1-1696歌   あがこふる いもはあはさず たまのうらに ころもかたしき ひとりかもねむ

 2-1-1697歌  略(類似歌)   

鷺坂作歌一首 (2-1-1698)

 2-1-1698    たくひれの さぎさかやまの しらつつじ われににほはに いもにしめさむ

泉河作歌一首(2-1-1699)

2-1-1699歌   いもがかど いりいづみがはの とこなめに みゆきのこれり いまだふゆかも

名木河作歌三首(2-1-1700歌、2-1-1701歌、2-1-1702)

2-1-1700歌   ころもでの なきのかはへを はるさめに われたちぬると いへおもふらむか

2-1-1701歌   いへびとの つかひにあらし はるさめの よくれどわれを ぬらさくおもへば

2-1-1702歌   あぶりほす ひともあれやも いへびとの はるさめすらを まつかひにする

宇治河作歌二首(2-1-1703~2-1-1704歌)

  2-1-1703歌   おほくらの いりえとよむなり いめひとの ふしみがたゐに かりわたるらし

 

③ 2-1-1705歌以下にまた「(献・・・皇子)歌◯首」等の詞書のある歌のあとに、また「鷺坂作歌一首」と「泉河辺作歌一首」があり、次に「献弓削皇子歌一首」(2-1-1713)となります。その2-1-1713歌の左注に「右、柿本朝臣人麻呂之歌集出」とあり、阿蘇瑞枝氏は、右とは、「2-1-1686歌~2-1-1713歌を指す。非略体歌で人麻呂作と認められる」と指摘しています。地名等の詞書グループ(16首)の歌はそれに含まれます。

また、氏は、この巻では、「(献・・・皇子)歌◯首」以外は旅中歌が多いとも指摘しています。

④ 地名等の詞書グループ(16首)の歌は、都での儀式に直接かかわりのない、まさに旅中の歌とみることができます。これらの歌を披露(朗詠)した場所を推測すると、旅中の歌であるならば、宿泊した土地での宴席か、休息時の団欒時です。紙に書いて示すものではなく、朗詠するのが和歌であったはずです。共感を呼ぶ伝承歌とされる萬葉集歌に、繰り返し官人が接したのは専ら宴席です。(付記1.参照)

詞書にある地名等は、当時の巨椋池周辺の泉川(現在の木津川)、鷺坂(現在の城陽市の久世神社の近くか)、及び宇治川は、都より半日の行程であり、その日の宿泊は、午後出発ならば当地、午前出発ならば国府のある地などとなります。このほか近江国の高島(琵琶湖西岸。越前国への通過地)の地名がありますが、その中で唯一国の名を記した詞書があります。その詞書の歌2首のうちの1首が類似歌です。

 また、夜の情景を詠う歌は、この類似歌のある詞書の2首と、その直前の「高嶋作歌二首」(2-1-1694歌、2-1-1695歌)及び「鷺坂作歌一首」という詞書にある歌(2-1-1691歌)であり、その他は、昼間の情景を詠っている歌です。それは、「◯◯河(川)」とある詞書の歌すべてと「鷺坂作歌一首」の歌(2-1-1698歌)です。

⑤ これらの歌の共通点は、旅行中の宴席などで披露(朗詠)した歌というだけであり、同一の旅行中でもなさそうです。

このため、類似歌は、同一の詞書の歌2首間に違和感がない理解であればよいと思います。

 

3.類似歌の前にある歌の検討

① 類似歌(2-1-1697歌)は、2-1-1696歌と同一の詞書です。先に記されている2-1-1696歌を先に検討します。歌を再掲し、諸氏のその現代語訳を1例あげます。

2-1-1696歌  紀伊国作歌二首(1696,1697)

あがこふる いもはあはさず たまのうらに ころもかたしき ひとりかもねむ  

・「恋しいあの人は私と逢ってくださらない。この玉の浦で、わたしは自分の衣だけを敷いてひとり寂しく寝ることだろうか。」(阿蘇氏)

② 阿蘇氏は、四句を「ころもでかれて」(万葉仮名は袖可礼而)として、訳を示しています。ともに行幸に従賀している妻の袖から離れたまま、という意(行幸に従駕していたとしても私的な時間を持つことは許されなかったはずだから)としています。また、三句「たまのうら」は、どこにでもあり得る地名としており、(紀伊国では)玉津島あたりの海岸か、と指摘しています。

なお、人麻呂の作とされる歌群から、人麻呂の妻は宮廷に出仕している、と推定できます。

③ 「たまのうら」という地名の場所は未詳としている諸氏が多い。詞書の「紀伊国」を重視すれば、「たま」を美称と捉えれば紀伊国のどこの浦の名に替わってもかまわない歌です。このグループ(16首)にあるほかの歌の詞書の地名などは、具体的な場所などがほぼ特定できるのに対して、不確かな地名が「たまのうら」です。『萬葉集』には「たまのうら」を直接詠み込んでいる歌がこのほか4首ありますが、瀬戸内かとかいうだけで同じように具体的な場所は不確かです。

そして、この歌の詞書は「紀伊国作歌二首(1696,1697)」という国の名であることに留意すべきです。行幸の記録のある「紀伊国」で記録との整合がとれない「たまのうら」という地名ならば、国名も仮定と理解してもよいのではないでしょうか。そうすると、旅中の歌に変わりはないとしても、行幸時ではない、人麻呂に限らず単に官人の出張中における歌、という理解がこの歌(2-1-1696歌)に可能となります。

このグループ(16首)に属するほかの歌も、同様に単に官人の出張中における歌、という理解で不都合は生じません。歌の内容と詞書にはすべて一人が詠んだと推定するヒントがありません。

人麻呂集の歌がたった一人の官人が詠んだ歌であるとは諸氏も認めていません。

④ このグループ(16首)の歌のうちに、類似歌同様に夜の情景を詠う歌をみてみます。5首あります。

「鷺坂作歌一首」という詞書にある歌(2-1-1691歌)は、「まつかげ(松蔭)にやどりてゆかな」と、その地に宿泊することを言っています。官人が野宿するとは思えないので、「まつかげ」は譬喩です。

「高嶋作歌二首 」(2-1-1694歌、2-1-1695)は、「われはいへおもふ やどりかなしみ」とその地に宿泊することを詠い、「よなかをさして てるつきの」と月をみあげて寝つけない様子を詠っています。

以上の3首は、(翌朝ではなく)宿泊する当夜という時点を詠っています。

残りの2首が「紀伊国作歌二首」であり、ともに「ひとりかもねむ」と、詠っています。「かも」は、終助詞か係助詞です。この2首も(翌朝ではなく)宿泊する当夜という時点です。そして「あはさず」と自らの動きではなく相手の女性の動きを描写しています。

⑤ 二句「いもはあはさず」(万葉仮名は「妹相佐受」)の理解には、2案あります。

まず「いも」について検討します。「たまのうら」でひとり寝をする直接のきっかけが「いもはあはさず」にあるので、「いも」はいつでも思いを馳せることができる都で留守居をしている妻ではなく、今晩「たまのうら」に居る女性です。

 二句の理解の第一案は、多くの諸氏の理解である、四段活用の動詞「あふ」の未然形+軽い尊敬・親愛の助動詞「す」の未然形「さ」+(未然形につく)打消しの助動詞「ず」の終止形です。二句は自分が働きかけた女性の行動に触れた表現です。

親しみの情から言っているのならば、「(親密なのに)逢わない・逢ってくれない」の意となり、拗ねて言っているのならば、「(乙に構えて)逢わない・応じない」です(「あふ」には、「調和する、似合う、夫婦になる、匹敵する、対する・対面する」などの意があります)。

相手の敬意を強める意の「す」は、「せ給ふ」「せおわします」が通例であると『例解古語辞典』にはあります。この案の理解は例外的に思えます。

第二案は、四段活用の動詞「あふ」の未然形+使役の助動詞「す」の未然形「さ」+(未然形につく)打消しの助動詞「ず」の終止形です。

女性に対して率直にあるいは婉曲に意を伝えたが、「応じられません」と断られた、という意となります。

具体の場所を伏せた「たまのうら」を舞台にしている歌であるので、第二案のほうが、宴席が湿っぽくはならないので、よい、と思います。

そうすると、この歌(2-1-1696歌)は、そのために、その夜は「こうするほかない」という行動に関して詠った歌と理解できます。

⑥ 四句「ころもかたしき」の「かたしき」は、動詞「かたしく」の連用形です。「かたしく」は「片敷く」であり、男女が共寝する場合に対比した言い方であり、自分だけ(片方)の衣を敷いてひとり寝する意の歌語ですが、五句に「ひとりかもねむ」と重複しないためには、「寝るために自分の衣だけを敷く」という意であろうと思います。

 五句「ひとりかもねむ」には、歌語として「(ころもかたしき)ひとりかも」+「ねむ」という二つの文であるという理解と、歌語とはとらえず「(ころもかたしき)ひとりかもねむ」という一つの文であるという理解が可能です。

 前者ですと、五句「ひとりかもねむ」は、名詞「ひとり」+終助詞「かも」+動詞「寝」の未然形+意志・意向を表わす助動詞「む」の終止形です。その意は、「(自分の衣だけを敷くという)ひとり寝かなあ。寝るとしよう。」となります。

後者ですと、五句「ひとりかもねむ」は、名詞「ひとり」+係助詞「かも」+動詞「寝」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形です。その意は、「(自分の衣だけを敷いて)ひとり寝る以外ないのかねえ。」

後者のほうが、素直な理解であると思います。

 

⑦ 以上の検討を踏まえて、現代語訳(試案)を示すと、旅中の宴席での詠であることを意識して、つぎのようになります。

「私の思うあの人は応じてくれないよ。だから、この玉の浦での今夜は、自分の衣だけを敷いてひとり寝る以外ないのかねえ。」

宿泊地の「たまのうら」は、先に検討したように、どこの地名とも差し替えができる歌です。人麻呂が通過したり宿泊した土地以外の地名も可能です。

 そして、このグループ(16首)は編纂者が夜の情景を詠う歌において都を離れた「高嶋」と場所不明の「たまのうら」とを対比して配列しているかに見えます。

 

4.類似歌の検討その2 現代語訳

① 類似歌(2-1-1697歌)に戻ります。2-1-1696歌と同様に、この歌は、旅中において同僚とともに一夜を過ごす官人が、作者です。同じ詞書のもとにある歌なので、対の歌として理解してよい、と思います。

 だから、同僚が詠った2-1-1696歌に、唱和した歌です。君に「いもがあはし」たら、気候もよい今夜は素晴らし夜となっただろうなあ、と唱和した歌です。

② 類似歌(2-1-1697歌)の現代語訳を例示します。

・「玉櫛笥 明けるのがいつもなら 惜しい夜を 妻の手枕をせずに ひとり寝するのか。」(『新編日本古典文学全集7 萬葉集②』)

・「玉くしげ 明けるのが惜しい夜であるのに、 妻の袖から離れて一人寝るのだろうか。」(新日本文学大系3萬葉集3(佐竹他) 

・「夜の明けてほしくないと思われるこの良い夜なのに、いとしい人の袖から離れたまま、ひとり寝ることだろうか。(なんと残念なこと。)」(阿蘇氏)

 阿蘇氏は、櫛笥(くしげ)の蓋を開ける意を夜が明ける意の「明け」にかけている、とみています。

③ どの訳例も、初句「たまくしげ」を「あけ(明け)に冠する枕詞」として訳しています。そして、五句「ひとりかもねむ」の「かも」を、疑問の係助詞とみています。

 なお、この歌は、『新古今和歌集恋五にも、「よみ人しらず」の歌(1-8-1429歌)としてあり、「かも」は諸氏氏により疑問の係助詞として理解されています。

④ 初句「たまくしげ」が、枕詞としてかかる語は、おもに「ふた、み、明く、開く、覆ふ、箱、奥に思ふ」と言われています(『例解古語辞典』)。そもそも「たまくしげ」とは、美称の「たま」+化粧道具のひとつである「櫛」+物を入れる器の意の「笥」、即ち「玉櫛笥」であり、化粧道具などを入れておく箱の美称です。蓋つきだったようです。

 ここでは、「化粧箱を開けるではないが、その音(あける)に通じる(夜が「明ける」のは・・・)」、の意で、二句「あけまくをしき」の「あけ」にかかる枕詞です。

 なお、萬葉集』には、「たまくしげ」を枕詞とはみなせない歌もあります。(枕詞ともとれる例は付記2.参照) 例えば、

 2-1-594歌 わがおもひは ひとにしるれか たまくしげ ひらきあけつと いめにしみゆる

⑤ 二句「あけまくをしき」は、「明け+連語まく+惜しく」です。

「あけまくをしき」の「あけ」は、四段活用下二段活用の動詞「明く」の未然形連用形であり、「夜が明ける」の意であり、「まく」は、連語として、「・・・(だろう)こと・・・(ような)こと」の意があります。二句は、結局「夜が明けるというようなことは、惜しい・手放すのにしのびない(ところの)」という意となります。

⑥ 四句「ころもでかれて」における「ころもで」とは、衣手即ち袖を指す語句ですがここでは、相手の女性を意味すると思います。また、動詞「かる」は、「離る」であり、「空間的に離れる・遠ざかる」とか「心理的に男女の仲が疎遠になる・心がはなれる」などの意がある語句です。

⑦ 五句「ひとりかもねむ」は、この歌が2-1-1996歌に対応した歌なので、2-1-1996歌と同じ意となります。

⑧ 詞書に従い、現代語訳(試案)はつぎのようになります。

「化粧箱を開けるではないが、その「あける」という音に通じる「明け」てはほしくない、と思われるこんな良い夜なのになあ。あの人の心が離れたので、ひとり寝るのかなあ(私もですよ。残念ですねえ、御同輩、)。

官人の、旅中の宴の席での応酬歌です。

⑨ 「たまのうら」を詠いこんだ歌が手元にきたので、海岸のある国として「紀伊国」を編纂者が選んだのではないか、と思われるほど、この両歌は、どの宿泊地おいても朗唱できる歌です。

そして、この前後の地名等のある歌も、地名等を差し替え可能の歌があります。

例えば2-1-1695歌は 「たかしまやま」は、所在があいまいです。   2-1-1694歌は 「たかしま」が他の湊の名に差し替え可能です。2-1-1698歌は、つつじの綺麗に咲く土地の名に差し替え可能です。

⑩ この現代語訳(試案)は、『萬葉集』記載の歌に対するものです。新古今和歌集恋五に記載の歌(1-8-1429歌)は、清濁抜きの平仮名表記が同じであっても新古今和歌集』の編纂方針と配列を確認の上、現代語訳を試みる必要があります。

 

5.3-4-12歌の検討 

① 次に、3-4-12歌を、まず詞書から検討します。

 3-4-12歌の詞書の現代語訳をすると、次のとおりです。

「女のもとに(おくった歌)」

 詠んだ動機に触れていない詞書です。作者が男であることと、おくった女と作者と関わりがあったとしか、わかりません。

③ 二句「あけまくをしき」は、類似歌と同じ意であり、同音意義の語句ではない、と思います。

 五句「あかしつるかな」は、「四段活用の動詞「明かす」の連用形+完了の助動詞「つ」の連体形+終助詞「かな」であり、「夜を明かしてしまったなあ」の意となります。)

 「かな」は、終助詞の「かな」で詠嘆的に文を言いきるのに用いられています。

⑥ 以上の検討と詞書を踏まえると、現代語訳(試案)は、次のようになります。

「化粧箱を開けるではないが、その「あける」という音に通じる「明け」てほしくない、勿体ない夜を、あなたに逢うこともかなわなず、寝もやらず朝を迎えてしまったことよ。」(この訳は、2020/5/25修正)したので、以後現代語訳(修正試案)ということします。)

<以下を削除:二句「あけまくをしき」は、類似歌と異なる意であると、思います。

即ち、四段活用の動詞「飽く」の連用形+連語「まく」+形容詞「惜し」の連体形、です。「飽く」には、「十分満足する、存分に楽しむ」などの意があります。

④ 初句から三句は、「たまくしげ あけまくをしき あたらよを」という平仮名表記では類似歌とまったく同じですが、「化粧箱を開けるではないが、その「あける」という音に通じる「飽く」(存分に楽しめる)というようなことが(できた)、勿体ない夜を」、という意となります。

⑤ 五句「あかしつるかな」は、寝ないで朝を迎えた意です。

 「かな」は、終助詞の「かな」で詠嘆的に文を言いきるのに用いられています。

⑥ 以上の検討と詞書を踏まえると、現代語訳(試案)は、次のようになります。

化粧箱を開けるではないが、その「あける」という音に通じる「飽く」のような、存分に楽しめるというようなことが(できた)、勿体ない夜をあなたに逢うこともかなわなず、寝もやらず朝を迎えてしまったことよ。」>

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-12歌は、男がおくった和歌であることを明らかにしています。類似歌2-1-1967歌は、詠んだ旅先の土地の名を挙げているだけで、誰におくったかについて触れていません。

② 二句「あけまくをしき」の意が異なります。この歌3-4-12歌は、「飽け」+連語「まく」+「惜しき」であり、類似歌は、「明け」+連語「まく」+「惜しき」です。

 

③ 五句の語句が違います。この歌3-4-12歌は、「あかしつるかな」であり、寝ないで朝を迎えた意です。これに対し、類似歌2-1-1697歌は、「ひとりかもねむ」であり、推量の助動詞「む」により、「ひとり寝るのかなあ」と就寝前の歌です。

④ この結果、この歌は、訪問が叶うわなかった男が女に翌朝不満を述べた歌(恋の歌)であり、類似歌は、旅中での男の独り寝のつまらなさ・あじけなさを就寝前に述べた歌(羈旅の歌)となります。

 また、類似歌2-1-1697歌が諸氏の理解による現代語訳であっても、恋の歌と羈旅の歌という対比の構図は、同じです。

⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-13歌  おもひかけたる人のもとに

   あづさゆみすゑのたづきはしらずともこころはきみによりにけるかも

3-4-13歌の類似歌 2-1-2998

󠄀あづさゆみ すゑのたづきは しらねども こころはきみに よりにしものを

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑥ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/4/30 &訂正2020/8/17  上村 朋)

付記1.旅中の歌や宴席の歌が、記録され、『萬葉集』編纂者の手元に集まる経緯について

① 行幸以外でも官人の公務の移動は、宿泊すれば宴の席が設けられています。今日でも、宿泊を伴う出張で、訪問先に一席設けたいと事前に申し入れしたり、あるいは訪問先が席を設けたいと言ってきた場合また宿泊地に支店があった場合を、想像してください。

宴の状況を伺える『萬葉集』の題詞(ここにいう詞書)をみると、よく歌が披露(朗詠)されています。宴に歌の需要があったことがわかります。需要のあるところ供給が業として成り立ちますので、代作者は情報を集め、代作をお願いできる身分ではなくかつ歌がそれほど達者でない官人も書き記し、その後に役立てた、と思われます。

 現在でも勤務している事業所の同僚等が転勤の際には、職場の合同送別会のほか、所属課・グループ単位の送別会や、入社同期の送別会などがあり、参加せざるを得ない人もなんらかの準備をするものです。関係先のトップやその家族の冠婚葬祭や役職員の移動の有無を(友情からではなく)気にして種々配慮しています。官人は、建前として全国が転勤範囲の勤め人です。これらに似た状況が、当時の官人・関係先にあったのです。

 いくつか例を示します。

② 『萬葉集』巻第五の「雑歌」の部にある「梅花の歌丗二首」(2-1-819歌~)の序には「天平二年正月十三日に、師老の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申べたり・・・・」とあります。歌を詠むために宴会をしたかの趣です。

 宴に擬して、序をつけて大伴旅人が京に居る吉田宜(よろし)におくったとも考えられます。そうであっても擬することが不思議ではなかったということです。

③ 『萬葉集』巻第六は、すべてが「雑歌」ですが、そこに、次のような詞書と左注のある歌があります。

・「天平二年(730)庚午、勅(みことのり)して擢󠄀駿馬使(てきしゅんめし)大伴道足宿禰を遣はす時の歌一首(2-1-967歌)」 

 左注あり。「右 勅使大伴道足宿禰に帥(そち)の家にて饗(あへ)す。この日に、会ひ集ふ衆諸(もろもろ)、駅使葛井連広成を相誘ひて、歌詞を作るべし、と言ふ。登時(すなはち)広成声に応へて、即ちこの歌を吟(うた)ふ。」

 これは、歌を参加者が葛井連広成に「吟ふ」ことをすすめており、伝承歌を披露(朗詠)し楽しむだけではなく、この席にあった創作歌をも披露する必要がある、という認識が参加者にあった、と推測できる資料です。

それを誰かが記録したもの、あるいは、帥(そち)の家の主が記録させたものが、巡り巡って『萬葉集』巻第六の編纂者の手元に来たのです。

④ おなじ『萬葉集』巻第六に、次のような詞書の歌があります。

・「十六年(744)甲申の春正月五日に、諸の卿大夫の安倍虫麻呂朝臣の家に集ひて宴する歌一首 作者審(つまび)らかならず(2-1-1045)

 この歌の詞書は、「虫麻呂の歌ではない」と言っていることになります。正月五日の虫麻呂朝臣の家の宴は、正月の行事に伴う朝廷の宴ではなく、私的な集いあるいは正月の行事担当の者達の慰労の席ではないか。出席者が記録したか、あるいはこの席のために事前に用意した歌のメモが、巡り巡って『萬葉集』巻第六の編纂者の手元に来たのです。

歌については、座興に虫麻呂の立場で来客の誰かが詠んだ歌か、という諸氏の指摘があります。

⑤ 『萬葉集』巻第九の相聞の部に、次のような詞書があります。「相聞」とは、漢語として「互いに起居を問うこと」、「互いに音信を通ずること」を意味します( 『大漢和辞典』(諸橋徹次)より)。そのような部立であるはずの「相聞」の歌です。これらは、宴の席で披露された歌、とその詞書から読み取れます。

・「大神大夫(おおみわだいぶ)長門守に任ぜらるる時に、三輪川の辺に集ひて宴する歌二首(2-1-1774,2-1-1775歌)」

・「大神大夫、筑紫国に任ぜらるる時に、阿倍大夫の作る歌一首(2-1-1776)

 「三輪川の辺に集」った宴とは、大神大夫(三輪朝臣高市麻呂)が大宝2(702)2従四位上長門守に任じられたとき、大神一族による送別・激励の宴ではなかろうか。宴の場所を考えると、友人・同僚は加わらないで別途席を設けたことを想像させます。この二首は、左注に、「右の二首、古集の中に出でたり」とあり、その時点でも古い歌(つまり伝承歌)であったかもしれませんが、宴の席で披露(朗詠)された歌であることに変わりありません。「あれわすれめや」「あれはやこひむ」と京を離れる大神大夫を対象に詠っています。

また、送別の時に、阿倍大夫が作って披露している歌も、「互いに音信を通じ」たいと、詠う歌です。歌の内容は、この3首とも相聞の歌にあたります。

・「藤井連、任を遷されて京(みやこ)に上る時に、娘子が贈る歌一首 (2-1-1782)

・「藤井連が和(こた)ふる歌一首(2-1-1783)」

 「娘子が贈」った場面は、宴の場であるから藤井連のそれにこたえた歌もその場に居た者に記録されたと推測できます。二人きりの場でやりとりする歌であろうか。誰かに、やりとりしていることを聞かせたい内容の歌と思われます。だから誰かが記録できたのです。この両歌ともに「相聞」の歌にあたります。

⑥ 『萬葉集』巻第十五にある遣新羅使一行の歌(2-1-3600歌以下145)について、土屋氏は、「力のこもった作は少ない」、「代作者が(一行のなかに)いる」と指摘し、月並の歌ばかりと評したよみ人しらずの歌の作者が代作者か、と推測しています。とすると、このような代作者を指定してでも旅中のことを和歌に書き記しているのだから、当時の官人にとり欠かせぬ教養のひとつが和歌の知識であったとしることができます。歌を記録しなければならない外国への旅であったのであり、代作者は下手であっても必死であったのである、と思えます。

⑦ 時代はさがりますが、930年代の紀貫之の『土佐日記』には、「1221日乗船」した、と記してから、「27日(国府近くの湊)大津より浦戸をさして漕ぎ出」でる、と記してあります。この間、毎日誰かから「馬のはなむけ」を受けたり、守(かみ)の館に呼ばれたりしています。守の館では、「漢詩(からうた)声あげて言ひけり。和歌(やまとうた)、主人も客人も、他人も言ひ合へりけり。漢詩はこれにえ書かず。和歌、主人の守の詠めりける、・・・」とあります。

それ相応の官人との別れにあたっては、色々な立場の人が送別の席を設けたり差し入れをしたり、その席では漢詩とならんで和歌も披露されていることがわかります。『土佐日記』では主催者の守の歌だけを記すと、いっており、通常は主賓の歌や気の利いた歌は書き留められていた、と判断できます。

 

付記2. 『萬葉集』歌における「たまくしげ」が枕詞と理解できる歌の例は、次のとおり。

① 2-1-94歌 たまくしげ みもろのやまの さなかづら さねずはつひに ありかつましじ

2-1-1244歌 たまくしげ みもろとやまを ゆきしかば おもしろくして いにしへおもほゆ

 この2首では「たまくしげ」は、み(見)と音が通じる二句の「みもろ・・」の「み」ににかかっているそうです。

② 2-1-93歌 たまくしげ をほひをやすみ あけていなば きみがなはあれど わがなしをしも

 この歌では、「たまくしげ をほひをやすみ」が「あけて」を起こす序とされています。その意は、「玉櫛笥の蓋を覆うのがたやすいからといって、簡単に開けるように夜が明けてから・・・」(阿蘇氏)となります。

③ 2-1-379歌 あきづはの そでふるいもを たまくしげ おくにおもふを みたまへあがきみ

2-1-3977歌 ゆばたまの よはふけぬらし たまくしげ ふたがみやまに つきかたぶきぬ

この歌のほか、2-1-4011歌と2-1-4015歌も「たまくしげ ふたがみやまに」と詠い、蓋ではなく、音が通じる「ふたがみやま」にかけています。

④ 2-1-1535歌 たまくしげ あしきかりよを けふみては よろづよまでに わすらえめやも

 この歌は、「たまくしげ」は、三句の「けふみては」の「み」にかかるそうです。

(付記終わり。2013/4/30  上村 朋)

 

-1705歌以下にまた「(献・・・皇子)歌◯首」等の詞書のある歌のあとに、また「鷺坂作歌一首」と「泉河辺作歌一首」があり、次に「献弓削皇子歌一首」(2-1-1713)となります。その2-1-1713歌の左注に「右、柿本朝臣人麻呂之歌集出」とあり、阿蘇瑞枝氏は、右とは、「2-1-1686歌~2-1-1713歌を指す。非略体歌で人麻呂作と認められる」と指摘しています。地名等の詞書グループ(16首)の歌はそれに含まれます。

また、氏は、この巻では、「(献・・・皇子)歌◯首」以外は旅中歌が多いとも指摘しています。