わかたんかこれ  萬葉集は誤読されているか

前回(2018/4/9)、 「猿丸集第10歌 好きなオミナエシ」と題して記しました。

今回、「萬葉集歌は誤読されているか」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』も詞書が大事

① 『猿丸集』の1番目から10番目の歌を、その類似歌と比較しつつ検討してきました。この冒頭10首の歌で、『猿丸集』記載全52首のうち20%を占めます。検討してきて判ったこと、疑問とすることなどを、まとめてみて、今後の検討方向を確認したいと思います。

② 類似歌とは、諸氏が『猿丸集』の歌は異伝歌であるとして示した元の歌と、そのほか『猿丸集』の歌の作者が直接語句や修辞法などを参考としたと私が判断した歌を、言います。その一覧を表にすると、つぎのとおりです。歌番号は、『新編国歌大観』の「巻数―その巻での歌集番号―その歌集での歌番号」を示します。あわせて『猿丸集』の歌の詠み手や特徴を示します。

 

表 『猿丸集』の歌とその類似歌の一覧(1~10歌)             2018/4/3 現在

『猿丸集』の歌番号

作者の立場と相手の性別と歌区分

類似歌その1の歌番号

類似歌その2の歌番号

類似歌と一連の歌の代表歌の歌番号

『猿丸集』の歌の特徴

3-4-1

男→男 返歌

2-1-284歌

 

2-1-282歌&2-1-283歌

紫を詠い賞賛している

3-4-2

男→男 返歌

2-1-572歌

 

 

紫を詠い感謝している

3-4-3

 女→男  往歌

1-1-711歌

 

 

男に感謝している

3-4-4

 女→男  往歌

2-1-1471歌 

 

 

訪れない男への嫌味をいう

3-4-5

男→女   往歌

2-1-3070歌の一伝

 

 

女々しい男の述懐

3-4-6

男→女   往歌

2-1-2717歌の一伝

 

 

噂のたった女を慰める

3-4-7

男→女   往歌

 

1-3-586歌

『神楽歌』41歌

『神楽歌』42歌

富士山の噴火を例として、女を慰める

3-4-8

 女→男  往歌

2-1-293歌

2-1-1767歌

2-1-292歌

来訪の途絶えているのを嘆く

3-4-9

男→女   往歌

2-1-2878歌

 

 

女を詰問

3-4-10

 女→男  往歌

2-1-1538

 

 

子を持った女の恋の歌

注1)『猿丸集』の歌番号:『新編国歌大観』の「巻数―その巻の歌集番号―その歌集での番号」

注2)作者の立場と相手の性別と歌区分:立場(性別)は詞書と歌からの推計。歌区分は発信(往歌)と返事(返歌)の区分。

注3)類似歌その1の歌番号:諸氏のいう猿丸集歌が異伝歌となる元の歌の『新編国歌大観』による歌番号。

注4)類似歌その2の歌番号:類似歌その1以外の類似歌と推定した歌の『新編国歌大観』による番号。

注5)類似歌と一連の歌の代表歌:類似歌の理解に特段の影響がある歌の代表歌。同一の詞書の歌とか、同様な歌があると類似歌記載の歌集にある歌など。

注6)『神楽歌』:『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』。番号は『神楽歌』において『新編日本古典文学大系42』が付した歌番号。

 

③ 2018119日から201849日までのブログで『猿丸集』冒頭の10首を検討してきました。歌集にある歌の2割にあたる歌を振り返ってみて、何点か指摘したいことがあります。

類似歌を諸氏が指摘しており、有益であった。しかし、類似歌に関する諸氏の見解のみでは、『猿丸集』記載の歌の検討には不十分なところもあり、類似歌の理解に時間を要した。類似歌を誤読している例があった。

・類似歌は、『萬葉集』歌が断然多い。『猿丸集』の編纂者と歌の作者は、『萬葉集』の知識が豊富な人であると思われる。類似歌をよく理解し、編纂時及び作詠時に参照している、と考えられる。

冒頭の10首の各詞書は、類似歌が記載されている『萬葉集』等と同様に、歌の理解に欠かせないものであった。

『猿丸集』冒頭の10首は、結局、類似歌の異伝歌という範疇にある歌ではなく、あらたに創作した歌であり、その詠っている趣旨が異なっていた。一面、類似歌と異なっていたので、検討がすすんだ。

・『猿丸集』冒頭の10首は、贈答歌のおくる側の歌を示す形の詞書のもとに、全ての歌があった。贈答歌のもう一方の歌(返歌など)を併載している例はなかった。従って、歌合の歌や屏風歌と思われる歌は1首もなかった。勿論11首目以降の歌はこれから検討するところである。

・歌は、男か女かどちらかの立場で詠んだ歌ばかりであり、どちらの側が詠んだ歌ともとれるような歌がない。また最初の2首が男の立場から男へおくった歌であるが、それ以外の8首は、異性におくっている歌となっている。

・『猿丸集』の配列に、どのような特徴があるのか、わからない。歌集における最初の2首の位置づけも、まだわからない。『猿丸集』の編纂者と歌の実作者の検討もこれからである。

 

④ 以下に、上記の一端を示し、今後の検討の進め方について記します。

 

2.類似歌の理解は編纂者の意図が大事

① 諸氏が類似歌を指摘してくれているので、歌同士を比較して検討を進められ、効果的かつ論旨の徹底ができました。深く感謝します。

② 『猿丸集』冒頭の10首には、類似歌その1が9首(上記の表参照)にあり、『萬葉集』歌が8首で『古今和歌集』歌が1首でした。その歌1-1-711歌は、『古今和歌集』のよみ人しらずの時代の歌と推定できる歌です。

類似歌は、『猿丸集』編纂当時の歌か当時でも古歌の類であるならば資格があります。類似歌その1の指摘の無い歌(3-4-7歌)には、『神楽歌』41歌を類似歌その2と推定しました。「しながとり」という語句の理解によるものであり、『神楽歌』41歌は『拾遺和歌集』の元資料になり採録され1-3-586歌となっています。その歌をも、類似歌その2、と整理して検討をしています。

③ 『猿丸集』の第1歌(3-4-1歌)の類似歌(『萬葉集2-1-284歌)の理解が、新鮮でありました。都で留守番をするので見送りにでた妻が詠んだ歌となったのです。類似歌である黒人妻答歌一首は、高市連黒人歌二首に答えた歌です。当時の官人の旅行と配列からの考察によります。2-1-284歌は同僚の代作かもしれません。

 第1歌と同じ詞書における第2歌(3-4-2歌)も、類似歌(『萬葉集2-1-572歌)を詠った事情が明確にわかる詞書であり、「むらさき」の色の意味を知り、第2歌と第1歌を対の歌として理解できました。

④ 『猿丸集』の第3歌(3-4-3歌)と、類似歌(『古今和歌集1-1-711歌)とは、清濁ぬきの平仮名表記が全く同じですが、それぞれの歌集における配列と詞書の理解と「つきくさのうつしごころ」等の用例より、全然趣旨の違う歌となって浮かび上がりました。

類似歌1-1-711歌は、相手の不誠実なことを責めているか相手を揶揄しています。(3歌は、相手の気遣いや愛情に感謝していることを相手に伝える歌でした。)

通常、清濁ぬきの平仮名表記にした歌の文字列が同じとなる歌は、大変珍しい。

しかし、一つの歌が、いくつかの解釈を許していることはよくあることです。『万葉集』の歌でも論者によって理解が違う歌があります。歌集の編纂者の採用した歌が、元資料の歌と同じ趣旨の歌として採用したかどうかは、確認を要することです。例えば、『古今和歌集』をはじめ三代集には、元資料が屏風歌である歌が多々あります。三代集にあるその歌の理解・解釈を、行事に用いるべく調達した屏風にと注文されている元資料にあてはめてよいと無条件で認めるのは、三代集が元資料を集めて編纂されているという時系列からみて方法論としておかしいことです。理解・解釈の仮説としての検証が必要です。結果として一致する場合があるのは論理的に妥当なことです。

この類似歌は、伝承歌扱いの「題しらず」の歌であり、平仮名表記の「こと」により歌をおくられた人は、慎重に返歌をしたことが推測できます。なお、この歌だけが『古今和歌集』からの類似歌となっています。

⑤ 第4歌の類似歌(2-1-1471歌)も、配列を考慮すると、宴席に出席している多くの人がホトトギスを待ち焦がれていることを揶揄する歌に、理解が変わりました。第5歌の類似歌(2-1-3070歌の一伝)は詞書が「題しらず」であり、「草結ぶ」という俗信がはっきりせず、配列が参考となりました。

 第6歌の類似歌(2-1-2717歌の一伝)では、しながどり」が「率(ゐ)な」を引き出し、同音の「猪名(ゐな)」にかかることがわかり、理解が深まりました類似歌は、17文字を費やしてまで「名」が高まったと、つまり女に逢えたと、吹聴している歌となりました。(6歌(3-4-6歌)は、噂のたった女を慰めている歌となりました。

 第7歌の類似歌は、実質神楽歌です(『神楽歌』41歌)。今回検討してみて、 『神楽歌入文』(橘守部)で「ある色好みの男の人の娘を得んとして云々」が妥当なように思いました。

⑥ 第8歌の類似歌2首の詞書、即ち類似歌a2-1-293歌の詞書「間人宿祢大浦初月歌二首(292,293)」と類似歌b2-1-1767歌の詞書「沙弥女王歌一首」と後者の左注の考察で、「くらはしのやま」の利用方法がわかり、第8歌の詠われた趣旨が明確になりました。

類似歌2-1-293歌は、初月が山の陰に入り作中人物の視界から消えてしまってさらに暗くなった路を詠い、類似歌2-1-1767歌は、開宴を求める歌と理解できます。(それに対して第8歌(3-4-8歌)は、男が来てくれないことを嘆く恋の歌となりました。)

 第9歌の類似歌(2-1-2878歌)は、この歌の前後は相愛の歌が対になって配列されていることから、この歌も対に仕立てた相愛の歌と見做せます。1首のなかで「こと」と平仮名表記となる言葉が、万葉仮名では「言」と「事」と使い分けられていました。

⑦ また、第10歌の類似歌(『萬葉集2-1-1538歌)は、歌の配列を考察すると、詠んだ場が推定でき、変哲もない花が土産であるので、子にオミナエシを土産にすると詠っているこの歌は恐妻家の歌でした。(第10歌(3-4-10歌)は、男の望み通りの児を多分産んだであろう女性の、恋の歌となりました。)

⑧ 『萬葉集』にある類似歌の検討のため多くの萬葉集歌を参照・確認をしました。それらを通じて『萬葉集』は、もっと当時の地理を想定し、詞書と歌の並び(配列)に留意したと思われる編纂者の意図(編集方針)を尊重して理解すべきである、との思いを強くしました。

少なくとも伝承されてきたと思われる歌は、『万葉集』に採録する理由をも吟味すべきです。

⑨ 『萬葉集』の元資料にある歌は、どこで詠われているかというと、朝廷(国守主催なども含む)の行事と宴、及び官人で上層の貴族が行う私的な宴と餞の場が多くを占めており、そのほかに個人の贈答歌や伝承歌となります。個人の贈答歌で当事者名が明らかになっていない歌は伝承歌に括ってもよいかもしれません。伝承歌は官人ならば宴の席で朗唱する機会が多くあったと思われます。これらの場を念頭に『萬葉集』の歌は理解をしなければならないと思いました。

 『猿丸集』冒頭の10首のため検討した『萬葉集』歌を通じて思うのは、誤読されてきた歌がまだあるのではないか、及び、『猿丸集』の編纂者と作者は、解釈に幅がある歌を類似歌としてとりあげたのではないか、ということです。

 

3.『猿丸集』の歌は、パターンがありそう

① 『猿丸集』冒頭10首における詞書の文末は、「(に・て・ば)よめる」が5首、「女のもとに」が2首、「いれたりける」が1首、詞書を書きつけるのを省略した(前歌と同じ、の意)のが2首という状況です。「よめる」とか「もとに」はこの歌集全体を見ても多くあります。

 ちなみに、『古今和歌集』の詞書の文末をみると、次のとおりです。

巻第一春歌上(全首)の文末には、「日よめる」「題しらず」「御うた」「(を・に・て・とて・時)よめる」「よませ給ひける」「のうた」「うたあはせのうた」「よみてたてまつれる」「人におくりける」「よみける」「おくりける」の11種類があります。

巻第十一恋歌一(全83首)の文末は、「題しらず」「つかはしける」「返し」「つかはせりける」の4種類です。

巻第十二恋歌二(全64首)の文末は、「題しらず」「つかはしける」「返し」「歌合のうた」の4種類です。

巻第十三恋歌三(全61首)の文末は、「つかはしける」「返しによめる」「題しらず」「やりける」「歌合のうた」「おこせたりける」の6種類です。

巻第十四恋歌四(全70首)の文末は、「題しらず」「歌合のうた」「(かはりて)よめりける」「つかはしける」「返し」「よみておくりける」「よみてやれりける」「とてよめる」の8種類です。

巻第十五恋歌五(全82首)の文末は、「(て・みて)よめる」「題しらず」「つかはしける」「返し」「つかはせりける」「よみてかきける」「歌合のうた」の7種類です。

 恋部全体の歌数でいうと、「題しらず」が断然多く、次に「つかはしける」が多い。

 『後撰和歌集』でみると、巻第一春上冒頭には、「たまはりて」「日よめる」「を見て」「つかはしける」と並び、巻第十恋一冒頭では、「侍りければ」「つかはしける」「つかはしける」「つかはしける」「返し」「つかはしける」「返し」「つかはしける 「と言へりければ」と並びます。

恋部全体では、「つかはしける」が大変多い。「と言へりければ」もちょくちょくあり、「もとに」は「もとにとつかはしける」のかたちでのみあります(512,523,528,584,775,814など)

 『拾遺和歌集』でみると、巻第一春冒頭では、「よみ侍りける」「屏風の歌」「よみはべりける」「 仰せられければ」「御屏風に」と並び、巻第十一恋一冒頭では、「歌合」「歌合」「題しらず」「つかはしける」「題しらず」(8首続く)と並びます。

拾遺和歌集』にも「のもとに」とある歌もあります(1-3-817歌など)が恋部では圧倒的に「つかはしける」が多い。

三代集の次の勅撰集『後拾遺和歌集』の恋部では「つかはしける」が圧倒的に多く、その次は「よめる」で、そのほかは微々たるものになっています。

② 『猿丸集』の全52首では、いまみた四つの勅撰集にある「つかはしける」と「題しらず」という文末で終る詞書が無いのです。

『猿丸集』に多い「よめる」は、四番目の勅撰集である『後拾遺和歌集』に多い。また三代集と比較して恋部の歌では文末のほかの表現が少ない、という特徴があります。詞書の文末の表現のパターンは『猿丸集』の編纂時期検討のための資料のひとつであると思います。

 歌の表現は、平仮名を存分に利用し漢字は一字使うかどうかです。冒頭の10首でみると、つぎのように、「啼(く)」以外はなんということのない漢字ばかりです。

 3-4-1歌  原 見

 3-4-2歌  人 

 3-4-3歌  月

 3-4-4歌  啼(く)

 3-4-5歌  草 月

 3-4-6歌  山

 3-4-7歌  (漢字無し)

 3-4-8歌  山 月

 3-4-9歌  人

 3-4-10歌 人

今、ここでの検討における歌の表現(文字使い)は、『新編国歌大観』記載の歌の表現によっています。

同書記載の『古今和歌集』恋一の和歌83首では、漢字が1字以下の歌が9首しかありません(付記1.参照)。すべてよみ人しらずの歌で、漢字使用無し2首、使用有り7首です。用いている漢字は、思、人、心、蝉各1首、秋2首、我1首、の6字だけです。

詠まれた時はすべて平仮名であった歌が、『古今和歌集』の編纂者の手元に集まった資料は一部が既に漢字まじりで表現されていたのか、歌集として編纂されるにあたり、漢字に置き換えたのか、あるいは書写の段階で平仮名が漢字に置き換えられたのかは、各歌ごとに検討しなければなんとも分かりません。

『猿丸集』についていうと、編纂の為の資料の段階で漢字まじりで既に表現された歌であったかどうかもわかりません。編纂者が類似歌を意識しているとすると、漢字の使用を抑え、語句を重複させたり組み合わてある文字列であることを強調した表現方法として選択して書き替えたのかもしれません。あるいは、古歌であることを印象付けようとして書き替えたのかもしれません。10首の分析ではまだ何ともいえません。

④ 『猿丸集』の作者の立場は男か女かということを、詞書と歌の内容から判断すると、冒頭10首は、男6首で女が4首であり、どちらとも言いかねるという歌はありませんでした。このうち女の立場の、3-4-3歌は類似歌が、『古今和歌集』歌ですが、残りの3首(3-4-4歌、3-4-8歌、3-4-10歌)の作者が実際女性であるならば、『萬葉集』を十分承知していたか、古歌として伝承されてきた(今から見ると『萬葉集』歌の類歌も含む)歌集、いうなれば「伝承歌集」に馴染んでいたことになります。これが疑わしいと仮定すると、女の立場の歌の実作者は全て男性という可能性が生じます。

⑤ 作者の立場が男で、贈答の相手も男という歌は、冒頭の2首のみです。親しくさせていただいているが位階の高い男への歌だけです。どのような意味があるのかは、いまのところわかりません。そのほかの8首は、相愛の歌、男女の間の歌でありました。しかし恋こがれた歌ではない歌もありました。8首が全て同じ男と女との間に詠まれた歌にはみえません。詠む状況設定の順番を編纂者が意図的に行なっているかどうかはいままでのところなんとも言えません。

 

4.『猿丸集』の編纂者と歌の作者について

① 『猿丸集』は、『古今和歌集』などの勅撰集にならい、同一の詞書は、二番目以降の歌には省略されています。

萬葉集』は、その詞書のかかる歌数が、詞書に「・・・歌○首」と明示したり左注で記されたりしている場合がありますが、『猿丸集』にはそのようなことはありません。

『猿丸集』の詞書が、どの勅撰集にならった書き方であるかということは、この歌集の編纂時点を限定する根拠となるでしょう。

② 詞書の文末の表現(「よめる」など)は、先に指摘したようにこの歌集の編纂時点の検討の材料になると思います。

③ 歌の作者は、類似歌である『萬葉集』歌などを下敷きにした詠いぶりを考えると、萬葉集に造詣の深い人かあるいは古歌として伝承されてきた歌集(「伝承歌集」)に馴染みのある人であるのは確かです。代作も『萬葉集』の時代からあったことなので冒頭の10首からは否定できません。

④ 編纂者は、独りかどうかもわかりませんが、歌の作者と同じように、『萬葉集』あるいは古歌として伝承されてきた歌集(「伝承歌集」)に造詣の深い人ではないか、と推測できます。

 

5.これからの検討方法

① 類似歌も配列等編纂者の意図を確認しつつ行う必要があります。今まで通り、個々の歌の類似歌を吟味して後、『猿丸集』の歌の現代語訳(試案)を試みます。

② 時々、いくつかの歌を同時に眺めて論旨の整理に資するようにしたいと思います。歌集としての特徴などは個々の歌の検討が一段落した時点で、改めて検討することとします。

③ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-11歌  しかのなくをききて

     うたたねのあきはぎしのぎなくしかもつまこふことはわれにまさらじ

3-4-11歌の類似歌 2-1-1613  丹比真人歌一首」  巻第八の秋相聞にある歌です。

   うだののの あきはぎしのぎ なくしかも つまにこふらく われにはまさじ

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑥ ご覧いただきありがとうございます。

2018/4/zz   上村 朋)

付記1.『古今和歌集』巻第十一で、漢字が一字以下の歌は次のとおり。『新編国歌大観』より引用。

9首あるが、すべてよみ人しらずの歌である。

2-1-477 思    

2-1-483  無し

2-1-486 人

2-1-493  無し

2-1-541 心

2-1-543 蝉

2-1-545 秋

2-1-546 秋

2-1-548 我

(付記終わり。 上村 朋  2018/4/16)