前回(2018/4/2)、 「猿丸集第9歌 たがこと」と題して記しました。
今回、「第10歌 オミナエシ好き」と題して、記します。(上村 朋) (追記 さらに「あきはぎてをれ」など理解を深めました。2020/8/3付けブログも御覧ください(2020/8/17)。)
1. 『猿丸集』の第10歌 3-4-10歌とその類似歌
① 『猿丸集』の10番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。
3-4-10歌 家にをみなへしをうゑてよめる
をみなへしあきはぎてをれたまぼこのみちゆく人もとはんこがため
類似歌 2-1-1538歌 石川朝臣老夫歌一首
をみなへし あきはぎをれれ たまほこの みちゆきづとと こはむこがため
(娘部志 秋芽子折礼 玉桙乃 道去○(冠が「果」で衣と書く字)跡 為乞児)
② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句と四句の各2,3文字と、詞書が、異なります。
③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。
2.類似歌の検討 その1 配列から
① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します
類似歌2-1-1538歌は、 『萬葉集』巻第八の「秋 雑歌(1515~1609)」にある歌です。配列上の特徴を確認します。
巻第八は、初めて巻全体を四季に分けたうえ、雑歌と相聞に分け、そしてそれぞれ年代順に配列されていると諸氏が指摘しています。秋の雑歌は、舒明天皇の鹿の歌からはじまります。
② この歌の前後の歌をみてみます。
この歌の5首前の2-1-1533歌で七夕の歌が終わり、2-1-1534歌から、オミナエシとハギの歌となります。(付記1.参照)。
年代順に配列されているとすると、左注に「右天平二年七月八日・・・」とある2-1-1530歌以後は、しばらく年月日の記載がなく、2-1-1545歌に「作者大宰師大伴卿歌二首」とありますので、少なくともこの歌までは天平二年の作詠とみることができます。
オミナエシとハギの歌の2-1-1534歌と2-1-1535歌は、帰京する者の第何回目かの餞別の席か着任者の出迎えなのか、検分の途次の歓迎の席か分かりませんがとにかく蘆城(あしき)の駅家で蘆城野を詠う歌であり、次の2-1-1536歌と2-1-1537歌は、滋賀県賤ケ岳の連山のハギを詠う歌であり、その次に、この類似歌2-1-5138歌があります。 この歌の作者名は詞書に示されていますが、この歌を詠んだ場所を推測する手掛かりが詞書にもなく歌にも一見するだけではみあたりません。
そして、詠んだ場所が(歌の内容から)宴席であると阿蘇氏が推測する歌(2-1-1539歌)を挟んで名張の野に咲くハギを詠う歌(2-1-1540歌)、詠んだ場所が(歌の内容から)宴席であると阿蘇氏が推測する山上憶良の歌2首(2-1-1541歌と2-1-1542歌)となります。
オミナエシとハギの歌はいったんこれで終わります。(秋の雑歌は、その次の聖武天皇が雁を詠う歌2首(2-1-1543歌、2-1-1544歌)は詠んだ場所は不明であり、その次の大宰府に赴任している大伴旅人の歌2首(2-1-1545歌と2-1-1546歌)もハギと鹿とを詠っていますが任地のどこで詠んだかは不明であり、そして、秋の露の歌1首を置いて、2-1-1548歌から再び七夕の歌と続きます。)
③ このように、類似歌2-1-1538歌とその前後4首(2-1-1534歌から2-1-1542歌まで)の計9首は、作詠時点が天平二年でかつ秋の花であるハギなどに触発された歌が続いています。
この配列から考えると、この9首は、秋の野の花の代表的な花ハギなどを、咲き乱れる野の花として詠っており、詠う場所(披露した場所)は、宴席の歌が5首、旅中の歌が2首(2-1-1536歌、2-1-1537歌)、不明の歌が2首(2-1-1538歌、2-1-1540歌)となります。
即ち、この9首は、ハギなどを題材にした歌としてここにまとめて記載されていますが、詞書ごとのグループごとに独立している、とみることができます。このため、類似歌2-1-1538歌は、前後の歌と独立した歌であるとして検討することにします。
3.類似歌の検討 その2 現代語訳すると
① 2-1-1538歌の詞書は、この1首にのみかかり、作者名のみ明らかにしています。
訳例を示すと、次のとおり。
作者の伝は、未詳です。
② 初句の「をみなへし」は、現代では秋の七草のひとつであるオミナエシです。オミナエシは陽当たりの良いところに自生している多年草です。数本の茎をまっすぐに伸ばして株立ちになり、先端に多数の黄色い花を咲かせます。花房は全体で15~20cmほどの大きさがあります。関東地方以西だと開花は6~9月、植え付け・植え替えは2月~3月と紹介されています。(NHK出版「みんなの趣味の園芸」)
オミナエシは平安時代には寝殿の前庭に植栽された植物の一つです。
二句にある「あきはぎ」もヤマハギであるならば、赤紫色の花でその開花は7~9月であり、背の低い落葉低木です。ハギは、マメ科植物特有の根粒菌との共生のおかげで、痩せた土地でも良く育つ特性があります。
山上憶良が「山上臣憶良詠秋野花歌二首」と題した歌群(2-1-1541歌と2-1-1542歌)で言う秋の花に、オミナエシもハギも含まれています。(付記2.参照)
③ この9首うちで、歌に、二つの花を詠んだ2-1-1537歌は、一つの花から別の花を思い出したと詠んでいます。また2-1-1540歌も一つの花から次の紅葉を早くみたいと詠んでいます。それに対して、この歌は、作者の目の前に花が二種類あります。
④ 歌の現代語訳の例を示します。
「女郎花と秋萩とを折っておきなさい。玉鉾の 道中のお土産をと言ってねだるであろう妻の為に。」(『新日本文学大系3萬葉集3』(佐竹氏他))
同行の人、あるいは従者に呼び掛けた歌であろうと解説し、「玉鉾」は「枕詞」としてそのままにしています。
「をみなへしと秋の萩を手折りなさい。旅の土産をとねだるに相違ないあの娘のために。」(阿蘇氏)
阿蘇氏は、二句を「あきのはぎをれ」の訓で現代語訳しています。「折る」目的が四句以下に示されているので、「折れり」の命令形と理解しなくてもよい、と指摘し、また、五句の万葉仮名「為乞児」の「児」は、「留守居の者を漠然とさしたとみることができる。」と指摘しています。
この歌の前後の歌は単純に花を愛でていますので、この類似歌もそれに準じた歌とみて、阿蘇氏の訳で、以下の検討を行います。
⑤ 作者は、都の空き地でもみることができるような、珍しくもない花を、土産にしようと言っています。土産になると判断した理由は何でしょうか。手折る場所が重要ならばそのヒントが歌にあってもよいが見あたりません。土産にする理由が下句に示されていますが、官人であるならばその屋敷にも場合によってはありそうな花を土産として子に受け取ってもらえるのでしょうか。
⑥ 上記2.で、配列の検討をした9首のうち詠った(朗詠などにより披露した)場所が最も多かったのが宴席です。2-1-1534歌以前の七夕の歌の詠まれた場所(披露されたところ)は、山上憶良の七夕の歌が示す如く、七夕という宮廷行事というよりそれに関わる宴の席が圧倒的に多いと推測できます。2-1-1539歌などに関する阿蘇氏の推測は正しいと思います。
⑦ 9首のうち、詠った場所が不明の歌2首を、検討します。
最初に、2-1-1538歌は、戯れ歌と理解すると、宴席の歌になります。「出張だというと土産土産と子供はうるさいので、その土地に咲いている野の花でも持って帰ろうと思っているのです。(勿論その子の母もうるさいので)」と愚痴を言った歌と理解すると、どこにでもある花をそれも2種類を土産にするのだ、と詠う理由がわかります。笑いを取った歌として伝えられて、巻八の編纂者は採録したのではないでしょうか。万葉仮名「児」の漢字の意を思えば、「家人」と理解しないほうがよい、と思います。
次の、2-1-1540歌は、旅中の歌との理解が可能です。明日香から伊勢に行く道筋に名張の地が有ります。詞書での作者の位階は朝廷の重要な行事に伴う宴席に連なることができるほどの位階とは思えません。しかしながら、名張の地が宿泊した地であるならば、位階に関係なく旅先での宴席での歌とも理解できます。初句から二句が「名張」を起こす序として当時慣用表現化していたとしたら、「名張」という地名を入れた、宴席での客側の挨拶歌とみることができます。
⑧ 同じように、旅中の歌とした2首(2-1-1536歌 2-1-1537歌)も宿泊地での宴席での挨拶歌として、伊香山を詠み込んだ歌、応対の女性をほめた歌と理解できます。
⑨ そうすると、ハギなどを題材にした歌9首は、元々は宴席での歌であったということになります。七夕も朝廷の行事としてはじまっています。『萬葉集』巻第八の「秋 雑歌(1515~1609)」は全て宴の場で披露された歌に思えてきます。
『萬葉集』巻第八の各季の雑歌にもその傾向があります。
4.3-4-10歌の詞書の検討
① 3-4-10歌を、まず詞書から検討します。
② 詞書の現代語訳を試みると、
「居宅の屋敷に、オミナエシを植えた際に詠んだ(歌)」
寝殿の前庭にはいろいろの草木を平安の貴族は植えたそうです。この詞書では、屋敷のどこに植えたかは明らかにしていません。常識的には前庭となるところです。オミナエシの植え時は太陽暦の2~3月であるので、陰暦では1~2月前後の時期となります。オミナエシを選んでいることになにか意味があるのでしょうか。
③ 二句「あきはぎてをれ」の「あきはぎ」を花の名とするには、詞書になく、作者が植えた花ではありませんので無理です。類似歌にならい、オミナエシを折り取れと詠っているとすると、二句「あきはぎてをれ」は、
名詞「秋」または動詞「あく」の連用形)+動詞「はぐ」の連用形+助詞の「て」+動詞「折る」の命令形
ではないか、と思います。
「あく」と発音する動詞が、二つあります。
四段活用の動詞「飽く」には、「十分に満足する・あきあきする」の意、また四段活用の動詞「開く」には、「閉じていたものがひらく」の意、があります(『例解古語辞典』)。
また、「はぐ」と発音する動詞でこの歌に相応しいのは、四段活用の動詞「剥ぐ」であり、「(皮など)物の表面をむき取る、着物を脱がせて強奪する」の意、があります(同上)。
このため、二句「あきはぎてをれ」の意は、「あき」に「秋」と「開く」の連用形を重ねて、
「秋に、開(あ)き(そして)剥ぎて(から)折り取れ」、即ち、「秋、閉じている蕾が開き、花がよく咲いてから折り取れ」、なめらかな現代語訳として「秋に、充分花がついている枝を、折り取れ」、と理解できます。
④ 四句の「みちゆく人」は、通りすがりの人でも、ある目的をもって行く人でも可能です。ここまでの歌の語句では決めかねますが、五句「とはんこがため」という語句により、後者の人となります。
⑤ 五句の「とはんこがため」の動詞「とふ」には、a問ふ(聞く・尋ねる)。 b訪ふ(訪問する・見舞う)。c弔ふ(供養する・とむらう)。の意があります。
類似歌の五句「こはむこがため」が、ほしがる子のため、の意であるので、別の意をこの五句に求めることができる、ということです。
⑥ この歌の作者が類似歌を参照しているものと信じて、この2つの歌の共通点を探すと、子が好きであるオミナエシを共に詠っています。オミナエシは、万葉時代も当時も、本当に好まれた花であったようです。
さらに、その子は特定の子供を共に指していることです。類似歌は「こはむこがため」に「みちゆきづと」を用意しています。その「みちゆきづと」は自分の子供のためでした。
この歌の「みちゆく人もとはんこ」も、特定の子供と推測できます。つまり、この歌の作者にも「みちゆく人」にも関係の深い子供です。当時は妻を訪問するのが通常の結婚であったことを考慮すると、「みちゆく人」とは「子供のところへ通ってゆく人」であり、作者と夫婦でありかつこの子の父親ではないかと推測できます。
だから、四句と五句「みちゆく人もとはんこがため」は、「子供のところへ通ってゆく人もその子供を訪ねる際にはそのようなオミナエシを折り取れ」、となります。
類似歌との比較でいうならば、「子供が好きなオミナエシを折り取ってあげてほしい」と詠い、「貴方には私を折り取ってもらいたいのです」ということを示唆しています。つまり、「子供のところへ通ってゆく人」へのラブコールの歌です。
⑦ オミナエシを植えた場所は、屋敷内でもこの歌は成立することになります。子が好むであろう秋の花を作者は屋敷内に植えオミナエシもその一つであったのではないでしょか。常識的な植栽ですが、『猿丸集』編纂者は、詞書に、詠っている季節を、植え付けの時期である現在の暦で2~3月と記し、オミナエシという植物名で、類似歌を喚起させ、歌の意の方向を固めています。植え付けの時の作者の思いを汲めと示唆しているととれます。
⑧ 歌の現代語訳(試案)を、示すとつぎのとおりです。「とふ」の意は「訪ふ」です。三句の「たまぼこの」は道にかかる枕詞なのですが、意が判らないのでそのままにして「道」を修飾する言葉としています。
「植えた女郎花は、秋に、充分花がついている枝を、折り取りなさい(我が子よ)。子供のところへたまぼこの道を通ってゆく人も、その子供を訪ねる際には充分花がついている枝(である私をも)を折り取りなさいな。」
この歌は、半年後の時点の「みちゆく人」の行動をチェックしている歌です。それができるのは、男(とその一族)が望む男の子か女の子を、この作者が産んだからでしょう。
子供を訪ねるのは陽のあるうちでしょうから、子とともに作者が住んでいるならば話を交わす機会となります。作者にとって次のスッテプにすすめるきっかけになります。子の養育を信頼できる人に任せているならば、オミナエシを植えた屋敷でお待ちしていますという消極的な歌ではなく、その子の母を忘れていたらあなたが大事にしている子に会せない、と言っているような歌にみえます。
なお、穢れに関して敏感になった時代には、出産は物忌みの対象です。妊娠している女性及び産後の女性に接するのに男性にとって何らかの仕来たりやタブーが当時あったと思いますが、未確認です。
5.類似歌の検討その2 珍しい萬葉仮名
① 以上のような3-4-10歌の二句「あきはぎてをれ」の検討結果は、類似歌2-1-1538歌の二句「あきはぎをれれ」に適用できません。
類似歌の二句は「秋芽子折礼」と万葉仮名で書き記されています。この歌の記載されている第8巻では、万葉仮名を「萩」と訓んでいる歌が35首あり、万葉仮名の「芽」一字が10首、「芽子」二字が25首あります。 類似歌2-1-1538歌の場合だけを植物の名以外に理解するのは難しいのです。
② 引用した『新編国歌大観』においては、四句が「道去○(冠が「果」で衣と書く字)跡」と万葉仮名で記されています。その○相当の字は『大漢和辞典』(諸橋轍次)の「衣」偏の部にもない字です。「褁」という字は同辞典にあり(同辞典の文字番号34393)、「ふくろ」という意です。この漢字を用いた理由の解明は万葉仮名の知識がありませんので、宿題になってしまいました。
6.この歌と類似歌とのちがい
① 詞書が異なります。この歌3-4-10歌は、作詠事情を記しますが、類似歌は、作者名のみ記すだけです。
② 二句が異なります。この歌は、平仮名で「(花が)あき(になって)はぎて(いる枝を)をれ」なので、「十分咲いた枝だけ折れ」の意となります。類似歌は、「(山野に咲いている)秋萩(も)折(りなさい)」の意となります。類似歌の万葉仮名は「秋芽子折礼」で植物の萩であるのは確かです。
③ 五句が異なります。この歌は、「訪はん子がため」。類似歌は、「乞はむ児がため」。
④ この結果、この歌は、秋に子にあうにはその母も訪ねよ、という女の恋の歌であり、類似歌は、子のために土産は用意していると詠う恐妻家の戯れ歌という雑歌です。
⑤ 今回で『猿丸集』の最初の10歌の検討が済みました。類似歌の理解に時間を要しました。次回は、この10首の検討作業を振り返ってみようと思います。
さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌ですが、次々回検討します。
3-4-11歌 しかのなくをききて
うたたねのあきはぎしのぎなくしかもつまこふことはわれにまさらじ
3-4-11歌の類似歌 2-1-1613 丹比真人歌一首」 巻第八の秋相聞にある歌です。
うだののの あきはぎしのぎ なくしかも つまにこふらく われにはまさじ
この二つの歌も、趣旨が違う歌です。
⑥ ご覧いただきありがとうございます。 (2018/4/9 上村 朋)
付記1.2-1-1538歌より前の4首と後の4首計8首は、次のとおり(『新編国歌大観』より)
2-1-1534歌 大宰府諸卿大夫幷官人等、宴筑前蘆城驛家歌二首(1534,1535)
をみなへし あきはぎまじる あしきのは けふをはじめて よろづよにみむ
2-1-1535歌
たまくしげ あしきのかはを けふみては よろづよまでに わすらえめやも
2-1-1536歌 笠朝臣金村伊香山(いかごやま)作歌二首(1536,1537)
くさまくら たびゆくひとも ゆきふれば にほひぬべくも さけるはぎかも
2-1-1537歌
いかごやま のへにさきたる はぎみれば きみがいへなる をばなしおもほゆ
2-1-1539歌 藤原宇合卿歌一首
わがせこを いつぞいまかと まつなへに おもやはみえむ あきのかぜふく
2-1-1540歌 縁達師歌一首
よひにあひて あしたおもなみ なばりのの はぎはちりにき もみちはやつげ
2-1-1541歌 山上臣憶良詠秋野花歌二首
あきののに さきたるはなを およびをり かきかぞふれば ななくさのはな
2-1-1542歌
はぎのはな をばなくずはな なでしこのはな をみなへし またふじばかま あさがほのはな (芽之花 乎花葛花 く(瞿の冠が日日)麦之花 姫部志 又藤袴 朝貌之花 )
付記2.秋の七草は、山上憶良が詠んだ2-1-1541歌と2-1-1542歌の2首がその由来とされている。
2-1-1542歌の五句「朝貌の花」が何を指すかについては、朝顔、木槿(むくげ)、桔梗、昼顔など諸説あるが、桔梗とする説が最も有力であるといわれている。
(付記終わり 2018/4/9 上村 朋)