わかたんかこれ 猿丸集第9歌 たがこと

前回(2018/3/26)、 「第8歌 ひとり ともしも 」と題して記しました。

今回、「猿丸集第9歌 たがこと」と題して、記します。(上村 朋) 

(追記 さらに理解を深めました。2020/8/3付けブログも御覧ください(2020/8/3)。)

 

. 『猿丸集』の第9 3-4-9歌とその類似歌

① 『猿丸集』の9番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 

3-4-9歌  いかなりけるをりにか有りけむ、女のもとに

人まつをいふはたがことすがのねのこのひもとけてといふはたがこと

 

3-4-9歌の類似歌:2-1-2878歌  題しらず      よみ人知らず   

ひとづまに いふはたがこと さごろもの このひもとけと いふはたがこと

人妻尓 言者誰事 酢衣乃 此紐解跡 言者孰言

② この二つの歌は、初句と三句などほか、詞書が、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します

類似歌は 『萬葉集巻第十二古今相聞往来歌類之下にある、正述心緒歌一百十首の二番目のグループ(2876~2975)にあります

巻第十一及び第十二は、編纂者の時代以前の歌(古)と同時代の歌(今)で互いに消息をたずねあう歌(やりとりする歌の類)が記載されている巻です。土屋文明氏は『萬葉集』中の代表的な民謡集と見ています。氏は、「民族心、社会心、集団意識と称すべきものを表現している歌が民謡」、といい、集団意識からの改変・進展を受けて現在に伝えられる形に到達したものである。と推測しています。相聞と往来とはほとんど同義だそうです。 

② この歌が含まれるグループの最初から12首ほどの歌をみてみます。なお、作者の性別の推計を試み歌の後に付しました。歌の内容からみて男女どちらが詠ってもおかしくないと推計した場合は、不定としています。

2-1-2876歌 わがせこを いまかいまかと まちをるに よのふけゆけば なげきつるかも 

    (女)

2-1-2877歌 たまくしろ まきぬるいもも あらばこそ よのながけくも うれしくあるべき 

    (男)

2-1-2878歌 上記のとおり

    (女)

2-1-2879歌 かくばかり こひむものぞと しらませば そのよはゆたに あらましものを 

    (不定

2-1-2880歌 こひつつも のちもあはむと おもへこそ おのがいのちを ながくほりすれ 

    (女)

2-1-2881歌 いまはわは しなむよわぎも あはずして おもひわたれば やすけくもなし 

    (男)

2-1-2882歌 わがせこが こむとかたりし よはすぎぬ しゑやさらさら しこりこめやも 

    (女)

2-1-2883歌 ひとごとの よこすをききて たまほこの みちにもあはじと いへりしわぎも 

    (男)

2-1-2884歌 あはなくも うしとおもへば いやましに ひとごとしげく きこえくるかも 

    (不定

2-1-2885歌 さとびとも かたりつぐがね よしゑやし こひてもしなむ たがなならめや 

    (男)

2-1-2886歌 たしかなる つかひをなみと こころをぞ つかひにやりし いめにみえきや

    (不定

2-1-2887歌 あめつちに すこしいたらぬ ますらをと おもひしわれや をごころもなし

    (男)

                                              

③ 2-1-2876歌は、このグループの最初の歌です。阿蘇氏の現代語訳や土屋氏の大意などを参照すると、相愛の間柄を前提に詠い待ち人来たらずの歌です。12番目の2-1-2887歌も相愛の間柄と信じて、自分の不甲斐なさを嘆いている歌です。

そのなかで、類似歌である2-1-2878歌は、相聞の歌と言えるかもしれないが、相愛の間柄とは一見みえない歌です。そもそも愛情を寄せるべきでないような相手に対する歌であり異質です。次に置かれている2-1-2879歌は他の歌が逢うのに苦労しているのに対して、やすやすと直近に逢っているかのような歌であり、この歌も異質です。

④ 次に、これらの歌は相愛の歌なので、作者の性別を推定すると、上記の歌は、グループの最初から、女、男の順の繰り返しとなっています。男女不定の歌がありますが、それを女あるいは男と見なせば、女、男の順の繰り返しが2-1-2887歌までは続いています。これは、女と男の歌が一組となった対の歌とみることが可能かもしれません。

それを確認すると、次のように、対の歌ごとに場面設定がある、と認められます。

2-1-2876歌と2-1-2877歌:夜が長いことを詠う 

2-1-2878歌と2-1-2879歌:会った直後の歌

2-1-2880歌と2-1-2881歌:何としても添い遂げたいと詠う

2-1-2882歌と2-1-2883歌:仲たがいの歌

2-1-2884歌と2-1-2885歌:噂になったことを詠う

2-1-2886歌と2-1-2887歌:直接言い出せないもどかしさを詠う

対の歌として2-1-2876歌から始まっているので、作者が女の歌である類似歌2-1-2878歌は、作者が男である2-1-2879歌と対になる歌であり、2-1-2879歌から類推すると、2-1-2878歌は、「たがこと」と言ってはいるがその男を作者はまんざらではないと思っている歌として配列されている、とみることができます。2-1-2878歌も相愛の歌ということになります。別の見方をすると、巻第十二の編纂者が、そのように理解可能となるよう配列している、と言えます。

この配列からは、2-1-2878歌は、巻第十二では前後の歌とは独立しているとは言い難い歌である、と言えます。

 

3.類似歌の検討 その2 現代語訳を試みると

① 訳例を示します。

     「人妻に向かって言っているのは誰ですか。この衣の紐を解けなどと、言っているのはいったい誰のお言葉でしょうか。」(『萬葉集全歌講義』(阿蘇瑞枝氏))

  阿蘇氏は、「人妻が男性を咎める歌で詠いもの風である」と評しています。また、三句は万葉仮名では「酢衣乃」とありますが、誤字の可能性が高いとして「さごろも」と訓むのを、支持しています。

・ 「人妻に 言い寄るのはどなたのお言葉 衣のこの紐を解けと 言うのはどなたのお言葉。」(『新編日本古典文学全集 萬葉集』(小島憲之・木下正俊・東野治之))

作者自身を一般化して「ひとづま」と表現していることを指摘し、「いふ」は「要求する、言い寄る」、の意と捉えている訳です。なお、三句「酢衣乃」は染めないままに織り縫った下着の意か、という理解をし、貞女の拒絶の歌というより民謡であろう、と指摘しています。

     「人妻たる自分に対して言ふのは何人の言葉であるか。衣の紐を解けといふのは、何人の言葉であるか。」(『萬葉集私注』(土屋文明))

 一種の抗議であるが、抗議する中にすでに甘美の感がただよふ、と氏は指摘し、「倫理感を以って論ずべきものではない。勿論民謡であって好んで誦したのはむしろ男性であろうか」と指摘しています。

 この3例は、前後の歌が関係しない単独の歌であり、多くの人々が口にした伝承歌である、としています。

② 三句の万葉仮名は「酢衣乃」です。この訓について、『新編国歌大観』では、底本とした西本願寺本による訓をも示しており、それは「ス(サ)ゴロモノ」とあります。「さごろも」と訓むのは、仙覚の新点からだそうで、非仙覚系の諸本は「すごろも」とあるそうです。仙覚は、文永6(1269)萬葉集註釈』を著した天台僧・歌人です。

このため、『猿丸集』編纂時点での訓は、「すごろも」と推測します。その意を、「染めないままに織り縫った下着」として、以下の検討を進めます。

③ 二句の万葉仮名は「言者誰事」、五句は「言者孰言」で、訓はともに「いふはたがこと」です。

 漢字の「事」と「言」との違いを意識して用いている万葉仮名の表現であると思います。漢字「事」には、「ことととする・ものごと・できごと」の意があり、漢字「言」には、「こと・ことば・いいつけ・ものをいう」などの意があります。作者は、自分の立場を一般化して自分と相手が特定されるのを避けています。そして、自分に言い寄ったのが誰であるかがわかっているので、その人を全否定するのではなく、言い寄ったというその言動のみを非難する言葉を選んでいます。少なくとも、この歌を書き留めた人は、作者に言い寄った人の言動を問題とした歌であると理解して、漢字を選んでいると言えます。その漢字の意を消し去って表現された歌とは、思えません。それを強調するため、二句の漢字「誰」を繰り返さず五句には疑問詞として、その意が「いずれ・たれ」の漢字「孰」を選んでいます。

二句は、「そのように言うというような出来事は、誰の行いか」  五句は、「そのように言うのは、誰のことばか」の意です。

ちなみに、清濁抜きの平仮名表記で、『萬葉集』において句頭に「いふはたかこと」表記の歌は、この2-1-2878歌の1首のみです。句頭に「たかこ・・・」と表記の歌は5首のみであり、万葉仮名で、「誰恋」(2-1-102)、「誰言」(2-1-779)、「誰之言」(2-1-3353歌)、「誰心」(2-1-3349)、「誰子」(3813)と、「誰」字から書き出しています。「孰」字の歌はありません。

④ 現代語訳(試案)は、つぎのとおり。

「人妻に、そのような声を掛けるとは、どなたがされる事でしょうか。(そのうえ上着ではなく)下着の紐を解けなどと言うのは、どのような方のことばでしょうか」

 言い寄ってきた人にこのように強く言い返えした(歌を送りつけた)としても、男としては平然と2-1-2879歌という返歌をすることにより、さらに言い寄るという方法があります。拒絶したいならば相手にしない(言い返さない)ほうがよかったのです。あるいは自分の名も相手の名も人々に分かるようにしたほうが、拒絶の意志は人々に尊重されるでしょう。

だから、この二つの歌は、個人間のやりとりという実際の事ではなく、老若男女がグループで歌の応酬を楽しむ際の歌として創作されたものだったのではないかという推測が成り立ちます。しかし、2-1-2878歌を相愛の歌と直ちに理解するには躊躇があります。

⑤ 対の歌の一方の歌として検討すると、相手が誰だか推測できる表現を避け、行為を非難し人格すべてを否定していない歌なので、今はその時ではない、あるいは強引に言い寄られたら受け入れますと、言っていると、推測可能です。そうすると、「人妻」と作者と名乗っているので、夫の喪に服している人妻の歌と理解でき、「逢うには早すぎるでしょう」、「そのようなことは今言わないでください」ということを示唆した歌となり、対の歌と見做した2-1-2879歌の内容も喪中の行事での出会いのことを詠っているとも解釈できます。

さもありなん、という光景が描けました。先に配列の検討から得た結論と同じ相愛の歌ということが、内容から可能である、ということです。

⑥ 勿論、対の歌でない単独の歌であっても、「まだ逢うには早すぎるでしょう」という歌と理解すれば、相愛の歌として、巻第十二の編纂者が、ここに配列するのも不自然ではありません。

 民謡として初句「ひとづまに」に別の言葉を用いた場合が多々あった伝承歌だと思います。もっとはっきりと作者の気持ちを表わせるようなことば、例えば、愛犬の名、美しくない花の名、好んで身に着けている装飾具などで、拒否か、待ての意か、からかっているのか、などを伝えたのでしょう。

 

4.3-4-9歌の詞書の検討

① 3-4-9歌を、まず詞書から検討します。

詞書の「いかなりけるをりにか」とは、事情をぼかした言い方です。ここでは、この歌の前後の歌の状況とは違う、ということを、示唆しています。ただただ逢えないという状況ではなく、裏切られた状況を、ぼかして言っていると理解できます。

② 現代語訳(試案)はつぎのとおり。

 「どのような事情のあった時であったか、女のところに(おくった歌)」

 

5.3-4-9歌の現代語訳を試みると

① 初句「人まつ」とは、通い婚であるので、女性が男性を待っている意です。

② 二句と四句の「いふはたがこと」の「たがこと」は、類似歌を参考にすれば、

     誰が事: 誰の仕業・行いなのか、とか誰が行った事なのか、誰のことなのか、の意が考えられます。

     誰が言: 誰の発言なのか、とか誰が言った言葉なのか、の意が考えられます。

「いふはたがこと」の意味が二句と四句で同じ意であっても、諸氏の類似歌の理解のように可能とおもわれますが、ここでは、異なる意とし、対の歌としての検討をします。

 三句「すがのねの」は、「菅の根の」であり、スゲの根の形から、「長し」「乱る」にかかる枕詞と言われています。また「ね」の音を重ねて「ねもころ」にもかかる場合があります。

ここでは、紐は長いものであることから、紐を修飾していると思われます。

「すが」はスゲ(菅)のことであり、水辺や山野に生える多年草で、笠・蓑などを編む材料となっているカサスゲなどは地下匐枝がしっかりしています。シラスゲにも細長い匐枝があります。

④ 四句「このひもとけてと」の「ひもとく」とは、連語であれば「紐解く」(四段活用)であり、異性とともに寝ることを指します。「ひもがとく」(下二段活用)の理解だと、結んだ紐を呪術的な存在とみなして、自然にほどけた意となり、相手に逢える前兆として、歌に用いられたと、判断できます。 「とけて」の接続助詞「て」は、活用語の連用形につくので、この歌の動詞「とく」は下二段活用であり、この歌では、後者の意味合いとなります。

「このひもとけてと いふ」とあるので、「いふ」の主語に従い、四句は「自然に紐が解けて相手に逢えかもと、喜んで女が言う」あるいは「自然に紐が解けてあなたに逢えかもと、女が言う(相手は)」の意となります。

⑤ 類似歌2-1-2878歌においては、二句と五句の「いふはたがこと」の「いふ」は、相手の男の言動・発言であり、「たがこと」と問うているのは、作者でした。 

 この歌でも同様に、二句と五句の「いふはたがこと」の「いふ」は、同一人物の言動・発言としてこの歌を送った女の言動・発言とし、「たがこと」と問うているのは、作者と理解して検討します。 

⑥ 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-9歌の現代語訳を試みます。

 「いふ」の内容、即ち、この歌を送った相手の女が何を言ったかというと、初句と四句を言った、となります。

「通ってくる人を待つ」と、(男に)文を送ったのは、どなたがされる事でしょうか。すがのねのように長い紐が、自然にとけて乱れてしまってというのは、どのような方のことばでしょうか。」(二句は「誰が事」。五句は「誰が言」の意で反語であり女を指す。)

これは、詰問の歌です。この歌集では、ここまで睦言の歌はありませんでした。

⑦ 別案として、初句は女の行為で、四句は女ではない別の人の行為とみると、

 「通ってくる人を待つと言われたのは、誰を待っているのですか。すがのねのようなひもが、とけて乱れてと(いうことがおこったよと)返事をくれたと貴方が言われる人は、誰のことですか。(二句は「誰が事」。五句も「誰が事」。)

となりますが、この理解でも詰問の歌となります。

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この3-4-9歌は作詠事情を少しでも記していますが、類似歌2-1-2878歌は何も記していません。

② 初句が異なります。この歌は「人待つを」と、誰かの発言を引用しており、類似歌は「人妻に」と、誰かの行為の対象を指し示しています。

③ この歌の登場する人の数が違います。この歌は、3人、類似歌は、2人です。

④ この結果、この歌は、男である作者が、自分から離れていった女を詰問している歌となり、類似歌は、言い寄る男を人妻が拒絶している歌と表面上はなっていますが、相聞往来歌の1首として巻第十二の相愛の歌の間に置かれているので、婉曲に男を受け入れようとしている歌であり恋の成就を期待している歌です。このため、この歌の趣旨とは異なります。

⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-10歌  家にをみなへしをうゑてよめる

をみなへしあきはぎてをれたまぼこのみちゆく人もとはんこがため

3-4-10歌の類似歌:2-1-1538:  石川朝臣老夫歌一首  

をみなへし あきはぎをれれ たまぼこのみちゆきづとと こはむこがため 

 巻第八の 秋雑歌にある歌です。この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/4/2   上村 朋)