前回(2018/3/12)、 「第6歌 なたちて 」と題して記しました。
今回、「第7歌 ゐなのふじはら」と題して、記します。(上村 朋)(追記 付記での例歌を追加します。そして、「を」と「ふじはら」の理解が深まりました。ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か・・・」(2020/7/27付け)や同(2020/8/3付け)を御覧ください。)
1. 『猿丸集』の第7歌 3-4-7歌とその類似歌
① 『猿丸集』の7番目の歌と、その類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。初句の「しながどり」が枕詞とされているので、初句と二句に注目して類似歌を探しました。
3-4-7歌 (詞書なし)
しながどりゐなのふじはらあをやまにならむときにをいろはかはらん
3-4-7歌の類似歌は、2首あります。『拾遺和歌集』にある1首を、『新編国歌大観』より引用します。
類似歌a 1-3-586歌 よみ人しらず
しながどり ゐなのふし原 とびわたる しぎがはねおと おもしろきかな
「巻十 神楽歌」にある一首です。
もう1首は、『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』(かぐらうた)にある一首です。同書から引用します。歌番号は、同書が付した神楽歌に対する番号です。
類似歌b 41歌 伊奈野(41~43) 本
しながとる や 猪名の柴原(ふしはら) あいそ 飛びて来る 鴫(しぎ)が羽音(はおと)は 音おもしろき 鴫が羽音
この歌は、「神楽歌 大前張(おおさいばり)」の 「伊奈野(41~43)」と題する歌のひとつです。1-3-586歌を知っている人は、41歌も知っているに違いありませんので、類似歌として取り上げました。諸氏は1-3-586歌を神楽歌のひとつとしており、同類の歌が『古今和歌集』巻二十に「大御所御歌」のうちの「神遊びの歌」と題した歌群に既に記載されているように、後年神楽歌と称した歌群は、1-3-586歌のある『拾遺和歌集』成立よりかなり古い時代に成立している歌であるからです。
『拾遺和歌集』成立以前に、さらに『拾遺和歌集』の成立時生存していた作者が幼年時代以前にこの『猿丸集』が編纂されたとすれば、類似歌は、41歌のみとなります。
ここでは、三代集と『猿丸集』は、同時代の作品でありそれぞれの編纂担当者は同時代の人です(ブログ2017/11/9参照)ので、この二つの歌を類似歌として検討します。
② 清濁抜きの平仮名表記をすると、類似歌a1-3-586歌とこの類似歌b41歌との歌本文はよく似ているものの、詞書が、異なります。
2.類似歌の検討その1 配列とゐなの
① 3-4-6歌の前に、諸氏が既に現代語訳している類似歌の2首を、先に検討します。
最初に、類似歌記載の歌集における配列を、みてみます。
類似歌a3-1-586歌が記載されている『拾遺和歌集』「巻十 神楽歌」は、神事の際に詠われる歌や神に奉納した歌や神の託宣の歌などが記載されており、類似歌a3-1-586歌は、そのうち神事の際に詠われる歌のひとつであると諸氏は指摘しています。すなわち、巻十は、類似歌b41歌の底本(後述)と比較すると、
採物(とりもの)の榊の歌である3-1-576歌のからはじまり、前張(さいばり)の歌である3-1-586歌で宮中の神事歌謡が終わり、1-3-587歌から神祇の歌が配列されています。
② 『拾遺和歌集』において、類似歌a3-1-586歌前後の歌は、それぞれ関連のない場面を詠んだ歌と思われ、配列からいうと、それぞれ独立している歌、ととれます。
③ つぎに、類似歌b41歌は、『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』にあります。
節を付けて歌った歌の歌詞を文学史上では歌謡と称しています。儀式で歌うものから気楽に口づさむものまで色々種類があり、神楽歌はそのひとつであって、平安時代の宮中で歌われた神事歌謡です。その神事として行われる御神楽の順序にしたがって、書き留められた一種の楽譜の形で伝来しています。その伝来しているものの一つ(鍋島家本『神楽歌』)を底本として、それから歌謡部分を抜きだして記載しているのが『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』です。
底本の原文は、万葉仮名です。「神楽歌次第」を最初におき、宮中での神楽の行事の次第を述べています。そして全93歌がそれに対応し、庭火、採物(とりもの。神おろしの歌)、前張(さいばり。神あそびの歌。大前張と小前張がある)、星(神あがりの歌)と順に記されています。
④ 臼田甚五郎氏が校注・訳を担当し、漢字仮名交じり文に読み下しており、その文を、ここで検討する歌の本文として記したのが、類似歌b41歌です。
この41歌は、大前張にある7題のひとつである「井奈野」に含まれる歌です。
題の「井奈野」について、臼田氏は、「猪名野」の当て字であるとし、(堤防などがない当時の)猪名川の河原の原野を指すという趣旨の理解をしています。底本は、39歌から42歌に対して「鳥」という題になっているそうですが、臼田氏は他本により校訂して、39~40歌に「階香取(しながとり)」、41歌~43歌に「井奈野」という題を付けています。
⑤ 神楽歌が歌われる神事とは、神は、祭祀を受けてこそ来臨し、神に満足してもらってから、もとの世界に帰っていただかなくてはならないとして行われています。そうすればよい祭をしたという安堵感(物事が順調にすすむなど神のご加護を受けられるはず)が生じたのです。その一連の儀式が宮中で行われてきました。
宮中で行われる神事は、神を招き、神と共に楽しみ、神を送るという順の儀式であるので、それに対応して、底本は記されています。
もう少し敷衍すると、採物とは、神楽を舞う人が手に持つものを指します。神が降臨する際の標識であり、神の憑代(よりしろ)になり、榊など9種あります。
前張とは、神人和楽の芸能を尽くす座の歌であり、いわば宴会歌の類です。
星とは、神々が帰り行くのを送る歌であり、明けの明星(金星)と題する歌から始まります。
なお、神楽歌は、神前で舞楽と共に唱和される歌謡として、貴族の神祭りや諸社の祭祀においても唱和されているものがあります。
現在に伝わる神楽歌(の演奏)を聴くには『日本古代歌謡の世界』(東京楽所 音楽監督多忠麿 レーベル:日本コロンビア)が最適だそうです。石清水八幡宮、鶴岡八幡宮などでは毎年聴くことができるそうです。
⑥ 『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』において、類似歌b 41歌は、「井奈野」という題における3つある歌の最初の歌ですので、この題のもとのこの3歌を検討単位として、まず検討します。各題ごとに、一応独立しているものと仮定して検討することとします。
3.類似歌aの現代語訳
① 類似歌a1-3-586歌より検討します。その現代語訳の例をあげます。
・「猪名の柴原に、一面に飛ぶ鴫(しぎ)の羽の音は、風情があることだ。」(『新日本古典文学大系 拾遺和歌集』)
初句「しながどり」を、枕詞であるとして現代語訳から割愛している訳です。
「しながどりとは息(し)が長い鳥の意という。にほどり。かいつぶり。居並ぶことから「猪名」にかかる枕詞。
神楽歌の大前張の歌。女性をシギに見立てた求婚の歌とする説もある。」と説明しています。
② また、「前張は2種。破格で通俗的な小前張と、短歌形式となる格調の整った正雅である大前張。ともに民謡風で娯楽的な歌。」とも説明があります。
③ 初句の「しながどり」については、前回(2018/3/12)検討したところです。その結論は、
・「ゐな」とは、地名の「猪名」であるとともに、「動詞「率る」の未然形+終助詞「な」(誘う意)」であり、「率な」とは、「引き連れてゆこう、行動をともにしよう(共寝をしようよ)」と誘っている意である。
・「しながどり」が雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよ、と呼びかけているのが、「しながどり(のように) ゐな」であり、その同音の「猪名」という地名を掛けている。
ということでありました。
④ 二句にある「ふし原」には、上記の訳例では「柴原」という訳語をあてています。「柴」とはもともと「山野
にはえる小さな雑木」の意です。なお、類似歌bの底本の万葉仮名は「不志波良」と、あります
この1-3-586歌は、渡り鳥のシギが来る場所を、「ふしはら」と言っていると理解できますので、雑木の原というより、シギの餌がありそうな干満のある場所あるいは浅瀬で草がよく茂っている原野ではないか、と想像します。
「ふし(原)」とは「伏し目」と「ふし」で、枯れ始めた草原、草が頭を下げるようにみえる時期の草原という理解が可能です。
それはともかく、ここでは、渡り鳥のシギが来る場所ということを強調した表現と理解して、広い原野、と理解して、歌の検討をすすめます。
⑤ 四句にある「しぎ」は、渡り鳥とされています。現在は、シギ科の鳥の総称を鴫(しぎ)としています。「しぎ」が現在いうところの鴫であるとすると、くちばしと脚が長い、水に潜ることができない渡り鳥です。餌が底生生物のゴカイ、カニ、貝などなので、河口近くの干潟などは格好の餌場であったと思われます。
現在、日本では、渡り鳥が、湿地の生態系の健全性を測る指標として、渡来する個体数がモニタリングされています。
そのモニタリング結果が公表されています。「モニタリングサイト1000 シギ・チドリ類調査 ニュースレター 2015年 冬季概要」(sep.2016)(発行:環境省自然環境局生物多様性センター/編集:NPO法人バードリサーチ)によると、
・ 2015年冬季の一斉調査(1月10日を 基準日とした前後1週間の調査)への参加は102ヶ所(全調査サイトは114カ所)
・一斉調査期間では、シギ・チドリ類 37種 26,722羽、ツクシガモ2,418羽、ヘラサギ14羽、クロツ ラヘラサギ 267羽、ズグロカモメ1,619羽。
・冬期の全サイトの最大個体数(調査期間内に記録された各種個体数の最大値)の合計では、シギ・チドリ 類 41種 45,876羽、ツクシガモ5,138羽、ヘラサギ33 羽、クロツラヘラサギ470羽、ズグロカモメ3,181羽。
・優占種のベスト5は、ハマシギ 57.3%、シロチドリ 7.2%、ダイゼン 5.6%、ミユビシギ 3.3%、タゲリ 2.4%
⑥ シギには多くの種がありますが種別の特定などに、諸氏は興味を示していません。
歌の中の主人公は、鴫の群れの羽音にまず興味を示し、鳴き声に注目していません。羽音はシギの数が多いことを示唆しているのでしょうか。
『拾遺和歌集』の巻十神楽歌にある歌なので、宮中の神事の際の神楽歌ということが明記されている書物の歌を参照してこの歌を検討するのがしかるべきであると思いますので、41歌の検討後、改めて1-3-586歌の現代語訳の検討をすることとして、41歌に進みたいと思います。
4.類似歌bの現代語訳
① 類似歌bは、「井奈野」の題のもとの第1歌であり、残りの2歌は、次のとおりです。
42歌 末 しながとる や 猪名の柴原(ふしはら) あいそ 網さすや 我が夫(せ)の君は いくらか獲りけむ いくらか獲りけむ
底本における万葉仮名では、初句と二句が、「之奈加止留 夜 井奈乃不志波良」とあります。
43歌 (裏書) おもしろき 鴫が羽(は)の音や おもしろき 鴫が羽(は)の音や ゐや 猪名の柴原や あいそ 網さすや 我が夫(せ)の君は いくら獲りけむや いくら獲りけむや
底本における万葉仮名では、「猪名の柴原や」相当の語句が、「為奈乃布志波良也」とあります。
「末」とは、宮中の神楽の儀式のおり、あとから歌う一団(神前に向かって左の一団)を指し、「本」とは、先に唱え歌う一団を指します。その「末」の一団の歌う歌が、42歌です。「(裏書)」とは、底本の料紙裏に書かれている歌、の意です。
② 41歌と42歌の初句の「しながとる」は、諸氏の指摘するように「しながとり」の意である、と思います。
理由は、この両歌と39歌でも「猪名」に続いていること、その「猪名」には『萬葉集』では、「しながとり ゐな・・・」と詠われている歌が4首あることです。
今、初句の「しながとり」に注目して類似歌を探したので、42歌も類似歌となるのですが、神楽歌の代表として41歌を類似歌としておき、「井奈野」の題のもとの歌を一括して検討します。
③ 類似歌b41歌等の現代語訳の例をあげます。枕詞が()書きされ、囃し詞が片仮名で示されています。
・41歌:「(しながとる)ヤ、猪名の柴(しば)の生えている野原よ。アイソ、そのあたりを飛んでくる鴫(しぎ)の羽の音は、音がほんとうにおもしろい。その鴫の羽の音。」(臼田氏)
臼田氏は、この歌を、『拾遺和歌集』は1-3-586歌として収める、と注記しています。
・42歌:「(しながとる)ヤ、猪名の柴の生えている野原よ。アイソ、網を仕掛けている、私のいとしいお方は、鴫を幾羽とっただろうか、幾羽とっただろうか。」(臼田氏)
臼田氏は、「網さす」とは、網とか罠を仕掛けること、と理解しています。
・43歌:「おもしろい鴫の羽の音よ。おもしろい鴫の羽の音よ。ヰヤ、猪名の柴の生えている野原よ。アイソ、網を仕掛けている、私のいとしいお方は、幾羽とっただろうか、幾羽とっただろうか。」(臼田氏)
臼田氏は、『神楽歌入文』(橘守部)では「ある色好みの男の人の娘を得んとして云々」と解しているのをも紹介し、猪名川河口の村落の歌垣などで男女が歌いかける機会があったのではないかと推測しています。
④ 41歌と42歌は、その歌の内容からして掛け合いの歌と認められます。
元々は、歌垣での歌であったとみると、41歌は、シギの羽音に注目し、42歌は、それに唱和しないで、幾羽とれたかと歌っています。女が、「わがせのきみ」と男を持ち上げて、たくさんいるシギが飛来したけれども捕れますか、とからかっているように見えます。
実際にシギを捕まえて当時食材にしていたのでしょうか。萬葉集の歌人たちの時代の村落の人々が、常食としてシギを食用にしていたと推測できる資料にまだ接していません。(現在では、狩猟によって食材として捕獲された野生鳥獣の料理をフランスではジビエ料理といっており、日本にもジビエ料理店が今日ではあります。シギもメニューにあるそうです。)
また、元々は、宴席での歌であったとみると、41歌と42歌は、女性をシギに喩え、1人くらいは何とかなるよ、と歌いかけ、罠をかけるようなことをしても簡単にはいかないのだよ、と答えている、と理解できます。
⑤ これらの歌の題「井奈野」の前の題は、「階香取」(しながとり)です。そのもとに2歌あります。
39歌 本 しながとる や 猪名の水門(みなと)に あいそ 入(い)る船の 楫よくまかせ 船傾(かたぶ)くな 船傾くな
40歌 末 若草の や 妹も乗せたり あいそ 我も乗りたり や 船傾(かたぶ)くな 船傾くな
水脈筋をみつけ慎重に船を停泊させるところを歌っているとみることができる歌ですが、エロチックな歌とも、とれます。41歌と42歌をその延長上におくと、元々は宴会の歌という理解が深まりまるように感じます。
⑥ また、「井奈野」の次の題は、「脇母古(わぎもこ)」であり、そのもとにある2歌は、
44歌は、「鳥も獲られず 鳥も獲られずや」と繰り返し、
45歌は、「十は獲り 十は獲りけむや」と繰り返しています。
この三つの題にもとの歌(39歌~42歌)は、一連の歌群で一つの物語とも見える歌群であります。
⑦ 41歌の枕詞「しながとる」と3-1-586歌の枕詞「しながとり」を、ここでは、有意の枕詞として、前回の結論に従って現代語訳(試案)すると、41~43歌は、次のようになります。
41歌
「しなが鳥が雌雄並んで遊ぶ場所、その猪名川に広がる原野に、アイソ 渡り鳥のシギが飛んできた。その睦みあう羽音は 感興を増すよ。その羽音は。(我らも睦みあう時期が近付いたなあ)」
渡り鳥のシギの羽音に何故注目したかというと、雌雄がペアを組むべく羽音高く相手選びをしているのだ、という思いを込めたのか、と推測しました。
42歌
「しなが鳥が ヤ 雌雄並んで遊ぶ場所、その猪名川に広がる原野に、アイソ 仕掛けをするのですか 私の愛しい貴方は。 何羽かかるのでしょう 何羽かかるのでしょう。(張り切っていますね。) 」
43歌
「面白い シギの羽音ですね。ほんとに面白い シギの羽音ですね。ヰヤ 猪名川に広がる原野で。 アイソ 仕掛けをかけたのですか 私の愛しい貴方は。 何羽かかりましたか 何羽かかりましたか。(気の毒に、気の毒に。) 」
43歌は、対となる歌が判りません。42歌と差し替える歌かもしれないと考えて上記の試案を作りました。
⑧ 神楽歌である類似歌b41歌が、このように理解できるとすると、類似歌aも、神楽歌として『拾遺和歌集』に記載されているので、41歌と同じように、つぎのように現代語訳(試案)できます。
「しなが鳥が雌雄並んで遊ぶ場所、その猪名川に広がる原野に、渡り鳥のシギが飛びかっている。その睦みあう羽音は 興味深いなあ。」
⑨ また、鳥を採る網がどのようなものか、今のところ調査できていません。
⑩ このように検討してきた結果、類似歌a及びbは、男が歌っている歌で、獲物の鳥を捕ろうとしている気持ちがある歌であり、女性との逢引を期待している歌、と言えます。
5.3-4-7歌の詞書の検討
① 次に、3-4-7 歌を、まず詞書から検討します。
② 詞書が記されていないので、当時の歌集の作り方にならい、前歌3-4-6歌と同じ、という理解になります。即ち、「なたちける女のもとに」であり、現代語訳は
「噂がたった(作者が通っている)女のところへ(送った歌)」
となります。
6.3-4-7歌の、ゐなのふじはら
① 歌本文を検討します。初句「しながどり」は、「ゐな」とともに前回(2018/3/12)検討しました(上記3.③参照)。
二句「ゐなのふじはら」を検討します。
類似歌aの二句「ゐなのふしはら」が、この歌では「ゐなのふじはら」という表現(語句)です。
清濁抜きの平仮名表記で、句頭にある「ゐなのふしはら」という表記が、勅撰集や後代の夫木集にあります。文字にあたると、皆「ゐなのふしはら」とあり、「ゐなのふじはら」という表現(語句)ではありません。
例歌) 夫木集より
3-16-9735歌 正嘉2年詩歌合、羇中春 権僧正公朝
あを山にかすみたなびくしながどりゐなのふしはらやどはなくして
「ゐなのふじはら」は、この歌3-4-7歌独特の表現である、といえます。
② 二句の「ゐなのふじはら」について、類似歌aにならい、「固有名詞ゐな+の+形容詞+原」と仮定してまず検討しましたが、適切な形容詞が見つかりません。「ふじ」という表現が連体形となる語句がありません。
このため、「固有名詞ゐな+の+固有名詞+(の)+原」と仮定して検討しました。
植物のフジ(藤)は、歴史的仮名遣いでは「ふぢ」なので、該当しません。(『古今和歌集』での例は付記1.参照)
歴史的仮名遣いで「ふじ」と書く漢字の熟語を探すと、「富士(山・川)」や「不時」や「負恃」(たのみとする。たよる。)その他が、あります。(その他は付記3.参照)
③ また、「はら」は、「原」のほか「腹」(体の一部を指す「腹」、あるいはその女性から生まれたこと・生まれた子の意)があります。
「はら」を「原」と仮定すると、上記の固有名詞のなかでは、「富士(山・川)」が適当ではないかと、思います。しかし、「ふじのね」とか「ふじのやま」という語句が句頭にある歌が、『萬葉集』や『古今和歌集』にありますが、「ふじはら」はありません。それでも、「富士原」という語句であるとして「富士の裾野の原野」という理解は可能です。
「はら」を「腹」と仮定すると、上記の固有名詞のなかでは、「負恃」が可能となるかと、思います。ただ、上記のように勅撰集に「ふじはら」という語句のある歌はありません。「負恃」は漢語であり、「宮腹の中将」(『源氏物語』帚木)という表現が普通であるので、ここでは、「原」が妥当だと思います。
④ そのため、上句「しながどりゐなのふじはらあをやまに」は、
A案 「(枕詞のしながとりにちなみ)「率な」(ともに行動しよう)と誘うところの富士の裾野の原が、青い山に・・・」
B案 「雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよとしながどりがいざなう場所である富士山の裾野に広がる野山が、青々とした山に・・・」
という理解ができます。
⑤ この歌の作者の時代、富士山にはどのようなイメージがあったのか、確認します。
富士山の噴火は800年代度々記録されています。富士山の中腹以下の地形は60数個の側火山によるところが大きく、貞観の噴火(864年。青木ヶ原溶岩を形成)をはじめ有史以来のおもな活動はすべて側火山からおこっているそうです。(噴火歴は付記5.参照)
「ふじのねの もゆるおもひも」(1-1-1002歌)と紀貫之は詠っています。
富士山は活火山で噴火口がどこにできるか分からない山、というイメージを持たれているようです。
貞観の噴火後、陸奥国に貞観地震(869)がありました。陸奥国にあるという末の松山を譬喩としている歌があります。
1-1-1093歌 東歌 みちのくのうた(1087~1093) (よみ人しらず)
君をおきてあだし心をわがもたばすゑの松山浪もこえなむ
その現代語訳の例を示すとつぎの通りです
「あなたをさしおいて、他の人に心を移すようなことがあったならば、あの末の松山を波が越えるようになってしまうでしょう(そんなことはけっしてあり得ません)。」(久曾神昇氏)
この歌を本歌として利用した歌があります。
1-4-770歌 心かはりてはべりけるをむなに人にかはりて 清原元輔
ちぎりきなかたみにそでをしぼりつつすゑのまつやまなみこさじとは
その現代語訳の例を示すとつぎの通りです。
「誓いあいましたね。おたがいに、あふれる涙でぬれた袖をしぼりながら、あの末の松山を波が越すようなことは決してしない、と。」(『例解古語辞典』付録「百人一首」)
この歌は、『後拾遺和歌集』巻第十四恋四の巻頭におかれている歌です。清原元輔の生歿は907~990年です。
7.3-4-7歌の現代語訳を試みると
① 三句以降の検討をします。
三句にある「あをやま」の「あを」は接頭語であり、幅広い青色を指す語であり、あるいは、未熟な、の意を添える語でもあります。
四句「ならむときにを」は、「四段活用の動詞「成る」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形+名詞「時」+格助詞「に」+「を」、とみることができます。この「を」は、五句にある動詞の主語ではないでしょうか。名詞の「を」には、a尾 b峰 c麻(または麻糸) d緒(糸・紐。長く続くもの) e男・雄 の意があります。
五句にある「いろ」は、名詞「色」であり、ここでは、名詞「を」に関することなので、色彩の意が最有力です。
② 二句~四句「ゐなのふじはらあをやまにならむときにを」とは、以上の検討から、
「「率な」の富士の裾野の原が、青い色の山に変化しようとすると、その時、峰(は)」
と理解できます。
「山に変化する」とは、当時活火山であった富士山の山腹での噴火を、意味します。
③ 以上の検討と詞書に従い、現代語訳を、仮に試みます。
「しながとりが「率な」と誘う猪名の柴原(ふしはら)とちがい、富士の裾野の原が、青々とした山のように変化するとなれば、(山腹に新たな噴火があったということであり)その山の峰(噴火口)は色が鮮やかになるでしょうよ(私たちの関係に、そのようなことはおこりません。噂にまどわされないようにしてください。)」
シギが飛来する柴原という猪名川の下流域の一部が、青々とした山となるのは、荒唐無稽のことと理解されてしまいますが、当時の活火山である富士山の裾野ではあり得ることでしたので、それを喩えに出して作者は詠った、という理解になりました。
④ 3-4-7歌の二句は、類似歌a1-3-586歌と同様な「ゐなのふしはら」(猪名の柴原)ではなく「ゐなのふじはら」であるのが、歌の内容の検討からこのように推測できましたが、初句に「しながとり」という語句を用いている理由はなんでしょうか。
作者は、女との関係は「しながどり」同然ではないかの意をこめて、3-4-6歌と対にしてこの歌を送ったのでしょうか。
また、「あをやま」は、未熟な山、できたてほやほやの山、の意のほうが、新しい噴火口のイメージに近いかもしれません。
そうすると、3-4-7歌は、さきの仮の現代語訳よりも次の現代語訳(試案)がよい、と思います。
「しながとりが「率な」と誘う猪名の柴原(ふしはら)とちがい、富士の裾野の原が、新しい山にと変化するとなれば、その山の頂(噴火口)は色が鮮やかになるでしょうよ(私たちはそのようなことの起こらない「率な」に通じる猪名の柴原(ふしはら)にいるのだから、そのようなことになりません。噂にまどわされないようにしてください。)」
8.3-4-7歌の現代語訳(試案)と類似歌との違い
① この歌と類似歌は、詞書の内容が異なります。この歌は、詠むきっかけを記し、類似歌は、神楽歌として、歌の種類を示すのみです。
② 二句が異なります。この歌は、「率なの(ふしはらならぬ)ふじはら」の意であり、類似歌は、「猪名の柴原(ふしはら)」です。
③ 四句・五句の意が異なります。この歌は、「ならむ時に 峰(を) 色は変わらむ」であり、類似歌は、「シギが羽音 面白きかな」です。
④ この結果、この歌は、女を慰めている歌であり、類似歌は、沢山のシギがいることを喜んだ歌、となります。そして、同じ詞書の歌3-4-6歌と3-4-7歌は、同じ趣旨の歌となりました。
⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。
3-4-8歌 はるの夜、月をまちけるに、山がくれにて心もとなかりければよめる
くらはしの山をたかみかよをこめていでくる月のひとりともしも
3-4-8歌の類似歌 類似歌は2首あります。
類似歌a:2-1-293歌 間人宿祢大浦初月歌二首(292,293)
くらはしの やまをたかみか よごもりに いでくるつきの ひかりともしき
(椋橋乃 山乎高可 夜隠尓 出来月之 光乏寸)
類似歌b:2-1-1767歌 沙弥女王歌一首
くらはしの やまをたかみか よごもりに いでくるつきの かたまちかたき
(倉橋之 山乎高歟 夜罕尓 出来月乃 片待難)
やはり、違う歌であります。
⑦ ご覧いただきありがとうございます。
次回は、上記の歌を中心に記します。
(2018/3/19 上村 朋)
付記1.『古今和歌集』における植物のフジ(藤)の表現の例
「ふじのね」:1-1-680歌 1-1-1001歌 1-1-1002歌 1-1-1028歌
1-2-565歌 1-2-647歌 1-2-648歌 1-2-1014歌 1-2-1015歌
1-3-891歌
「ふじのやま」:1-1-534歌
後代の歌の本文にある「ふじのけむり」や「ふじのすその」や「ふじのたかね」は、無い。
「ふじのけぶり」は1-2-1308歌にある。
付記2.「歴史的仮名遣いで「ふじ」となる例
不時:a適当な時期ではない。時期外れ。b予定したときにはずれている、思いがけないとき。
(国語辞典では、「思がけないとき」の意、と説明しています)
父事:相手を父のようにとうとび仕える。
負恃:たのみとする。たよる。
符璽:天子の御印。ひろく、はんこ。
また、国語辞典には
不二:別のものにみえても実質は一体であること
不治: 例)不治の病。
付記3.神楽歌:神事での歌が、定形を具えたのははるか後世のことで、正史では、『三代実録』貞観元年10月17日条が最初。「琴歌神神宴終夜歓楽」
付記4.富士山の噴火の記録:下記②以下は『新・国史大年表』(日置英剛編)より:
① 『萬葉集』での例:
2-1-322歌 なまよみの かひのくに ・・・ふじのたかねは・・・もゆるひを ゆきもちけち ふるゆきを ひもちけつつ いへもえず・・・・
2-1-2703歌 わぎもこに あふよしをなみ するがなる ふじのたかねの もえつつかあらむ
2-1-2705歌 いもがなも わがなもたたば をしみこそ ふじのたかねの もえつつわたれ
2-1-2706歌 きみがなも (以下2705歌に同じ)
②記録の初見は、『続日本紀』天応元年(781)7月6日 富士山噴火し降灰のため木葉みな枯れる。
③延暦19年(800)3月14日~4月18日 昼は暗く夜は火光天を照らしその音雷の如く灰は雨の如く降り、川水はこのため紅色となる。
④以後1000年までの記録は、6回ある。延暦21年5月19日、天長3年(826)月日未詳(相模・寒川神社記録)、貞観6年(864)5月24日より十余日(青木ヶ原溶岩形成)、 貞観12年(870)月日未詳(相模・寒川神社記録)、承平7年(937)11月 日未詳、長保元年(999)3月7日
(付記終わり 2018/3/19 上村 朋)